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2012年10月07日
糸魚川も10月に入り少し過ごしやすくなりました。
今年の夏は暑さがスゴ過ぎて創作が進みませんでしたね…。
(今月からは芸術の秋と言う事もあり、少しは進めていきたいです)

海から創作のヒントを得る事と気晴らしも兼ねて、ヒスイを拾いに海岸へ行ってきました。


海で拾えるタイプの練られた青ヒスイの漂石です。
淡青の氷砂糖のような質感で、日光下ではとても美しく見えます。
乾いてくると若干、白さか増しますが磨けばピカピカになる良質ヒスイです。
水色の霜降り肉のようにも見えるのは私だけでしょうか…?


裏側は表面だったらしく、擦れた痕が見られます。(おそらく川擦れ)
衝撃や粗い粒子で擦れてしまうと、ヒスイ輝石自体に傷が付きます。
粗い傷が多い分、乾くと白さが際立ってしまいます。
このタイプのヒスイは鱗状にクラックが入り、割れると平面状になるようです。


光を当てると水色に透けて、氷山のカケラのように輝きます。
青色は寒色なので、見ているだけでもちょっと涼しく思えてきます。
磨けば「空気が混じった氷のカケラ」か「雲が流れる早朝の秋空」のような表情を見せてくれると思います。
青ヒスイは珍しいので、拾えてラッキーでした。

こっちは緑ヒスイの漂石です。


こっちも練られた質感の良質な緑ヒスイの漂石です。
少し暗い緑色ですが、透明感があるので光によって全体に色が映ります。
所々にチカチカと小さなヒスイ輝石を確認できます。


裏側にも緑が通っていて、ツルっとした質感をより強く感じます。
海での段階である程度の光沢があり、指ざわりもしっとり滑らかです。
磨き行程に手間が少ない良質ヒスイだと分かります。


光を当てると美しい緑色が膨張し、木漏れ日を浴びている感じになります。
暗い緑も、この時ばかりは生命の色を放つヒスイだと主張しているようです。
久しぶりに良い緑ヒスイと出会う事ができて満足です。


沢山の人がヒスイを探しに海岸へ来ていました。
慣れていないからなのでしょう、ヒスイを拾えずにいる人が多いです。
それでも楽しんでいる人達を見ると、本当に「好きなんだなぁ」と感じます。
いずれきっと拾えますから「頑張って下さい!」と励ましています。

幾つも拾えるようになった先には、幾つかの問題も出てきますので、その時は初心を忘れないでほしいです。

拾い集めたヒスイ達の「将来的(最終的)なカタチ」を考えておく必要があります。
(加工するとかの話じゃなく、扱いについてのカタチです)
それぞれのカケラ(コレクション)を展示し伝える施設があれば良いのに…。
2012年09月27日
今でこそ勾玉が糸魚川に定着していますが、古代を見ると糸魚川での勾玉文化が、いかに新しいものであるかがわかると思います。

主だった理由としては遺跡から「完成されたヒスイの勾玉が出てこない事」です。
軟玉の勾玉1個と未完成のヒスイ勾玉は幾つか出土していますが、何故か完成されたヒスイの勾玉が出土していません。(軟玉勾玉は他国からもたらされた見本の可能性があるかと)

ここで考えるに、もともと糸魚川では勾玉という存在は認知されておらず、大国主の訪れと同時に出雲から入ってきた文化なのではないでしょうか?

そもそも北陸の文化圏は大珠なので、糸魚川も大珠の文化だったように思えます。
また勾玉は、そのデザイン自体(姿形)に大きな意味を持たせていて、当初は材質は問われなかったのではと考えています。(意味を持つまでは道具であったかと)

勾玉デザインの出所に関しては諸説ありますが、国内であれ国外であれ「日本で勾玉として確立した時点での存在」は日本の勾玉として語っても良いと思います。
それぞれの国に「確立した時点での存在」が在るのでしょうから、同じ存在として共有する必要は無いと思います。(この問題は中国や韓国とは絶対に共有しえないでしょう)
他国に押しつけず、共有もせず、自国だけで考えていれば良い問題と思っています。

何故か材質に「緑色の素材」と言うルールがあり、その事もあり堅牢なヒスイで作られるようになったとも考えられるし、ヒスイと言う石の価値を知っていて材質のグレードアップの為にヒスイを用いたとも考えられます。(材質を金・プラチナにしてアクセサリーの価値を高めるのと同じ原理)

あるいはヒスイ自体の不思議な力を感じ取っての事かもしれません。(上の全てを含んだ理由である可能性もあるかと)

出雲の碧瑪瑙は蛇を連想させる暗緑色が価値が高く、勾玉にその碧瑪瑙を使う事で蛇(龍)の力である「畏怖と生命力」を込めたように思えます。(ちょっと玉(ぎょく)に近い概念を持っているような気がする)

一方のヒスイでの勾玉には畏怖は感じられず、植物を連想させる新緑と深緑の「包容力と生命力」を込めたように思えます。(暗緑色のヒスイもあるので畏怖も兼ねる事が可能)

この事でヒスイで作られた勾玉とヒスイ以外で作られた勾玉では、微妙に「用途の違うもの」が在るのだと考えられます。

きっと奴奈川に勾玉文化が入った時に、ヒスイの大珠が持つ意味合いと混ざり合ったのではないかと考えています。
そして、より洗練された姿となり、全国にその存在が知られるようになったのだと思います。

ともあれ、大国主が訪れるまでは糸魚川では勾玉は認知されていなかったと考えます。

では、それ以前にヒスイで何を作っていたのでしょうか?

もし大珠を作っていたとしても、やっぱり数が少なすぎる気もしますが…。


余談ですが、もし大珠を作っていたとしたら勾玉制作を依頼された時に「何て面倒な作業で、何てヒスイを無駄にする形なんだろう」って思ったに違いありません。(大珠は宝飾に近い概念を持っているような気がする)

加工をすれば分かりますが、大珠に比べて勾玉はヒスイを無駄にします。
簡単な話、大珠の「横っ腹をえぐる」のですから。

これはどう見てもデザイン重視の存在であって、素材のヒスイを大切に使おうとはしていませんね。(大切にしようとする加工人は、後に誕生していきますけど)

現在、勾玉デザインを使う理由は「売りやすいから」と言うのが定石で、大珠より存在が確立していて、古代として、ヒスイとしての潜入観念から使われています。(個人規模では、明確な思想をもって加工している人も幾人かいるようですが…)
大珠は身に付け方すら良く分かっていませんので、乗っかりづらいようですね。


本題に戻り「ヒスイで何を作っていたのか」なのですが、良く分かりませんね。
ヒスイは在ったけど、それで何も作っていなかったのかもしれません。
あるいは外から来た加工人が、加工しては売りに行った可能性もあります。(その場合は在庫がたくさん出土するはずなのですが)
ただの原石供給地であったのかもしれません…。

創作とは「ある程度の余裕」が無くては生まれてきませんので、当時の糸魚川はそこまで潤ってはいなかったのでは無いでしょうか?

貧しくても「心に余裕」があれば可能ですが、あの堅牢なヒスイを加工する為には「情熱という名の根気」か、心の貧しさから成る「物欲」のどちらかが現在でも必要不可欠となります。
そこまでの情熱が古代の糸魚川にあったのかは疑問ですし、物欲であるならば品数と交易ルートを持っていなくては説明が付きません。
糸魚川の立地を考えるに物流は、かなり乏しかったと考えられます。(日本海は荒れるし)

しかし噂ではありますが、発掘作業中に出土品を盗んで持っていく人達がいたと聞いていますので、大切な証拠品が無くなっている可能性もあるのかもしれません。

他国が奴奈川にヒスイが在ると知り得た理由の証拠があれば…、それともやはり大珠がその証拠となる唯一の存在なのだろうか…?
(ヒスイが上がる浜辺から辿って探したのだろうか?)


こうなると、もう何だか分からなくなりましたが、勾玉文化の定着は糸魚川では新しい時代での話だった事は間違いないかと思われます。(文化が入ってきた時期は古いですが、定着には至らなかったようですし、現在でも文化と言えるほど成熟していない)

もし元々の土着文化が存在していたら、現在に失われている事はとても残念な事です。
もっと何か形跡があれば気づけるのに…。(無くても創っていけば良いんですけどね)

過去と言うのは、未来以上に分かりにくいものですね…。

以前にも書いたように、糸魚川には未だ「未知の領域」が眠っていると信じて活動して行こうと思います。
2012年09月17日
そろそろ糸魚川ヒスイを使う為の、最低条件を真剣に考える必要がありそうです。

資源というのは大きく見れば「地球の共有財産」でありますが、これだけ規模が大きいと国として上手く使えません。
よって地球規模から国家規模として資源の所有権を主張するわけですが、もっと小さく考えれば都道府県となり、更に市町村となり、個々人となります。

もし糸魚川ヒスイを「共有財産」として考えた場合、日本国よりも先に糸魚川市の、糸魚川市民の共有財産となるわけです。
なので、この「共有財産」を使うのならば「糸魚川でのヒスイ領域の発展に貢献しなければならない」ってのが最低条件となります。
これは国家レベルの商売でも同じ条件が付きます。(他国の資源を使うのだから当然の話になりますね)

本来はどの商売もそうでしたが、現在では商売に国境が無くなっています。
正確には、無くなっていると言うより「無くしてる連中がいる」ってのが現実です。

その方が使い易いのでしょうが、国家は人も資源と考えていますので、いつまでも他国の都合の良いように使われているはずもなく、然るべき時には排除されます。

これが矛盾する二つの領域である「保護と活用」の難しいところでしょう。
(言い換えれば理想と現実となり、おもいっきり反比例する世界です)

国家を「守護する事」と「発展させる事」には常に矛盾が付きまとうのですね。


■ここからは糸魚川の共有財産とした前提での話です。

共有すべきは得た利益では無く、高められた「誇り」である事が肝心です。
もし利益を共有したいのなら、相応の働きをする必要があるのは当然の事になります。
(利益を配当しても一人1円にもならないし、何もせずにお金が入る訳が無い)

特に重要な事は、その利用によって「私腹を肥やす」事は許されません。
一つの商売として括る事は出来ず、必ず「糸魚川に貢献する条件」が付きます。
基本的にこの仕事で家族は養えず、例外として共に発展に貢献する場合のみ許されます。(双方が加工し、子供が後を継ぐ条件でのみ可能となる)
それと同時に地域(国)の補助を受ける権利も生まれます。

もしヒスイで儲けたいのならば、処理したヒスイを大量に売れば良いです。
天然であると例え外国であっても、その国の発展に貢献する条件が付きますが、処理品は資源と見なされず、純粋な換金の品と言っても良い存在になります。

糸魚川ヒスイを活用すると決めたい以上、保護する領域を明確に決める必要があります。(例えば原石のままの販売は禁止し面積を定めたプレートで販売するとか、原石を購入する際は定められた機関で個人情報及びヒスイ画像等を記録するとか)

まずは商売とする上での、ルール作りが最優先となるわけですね。
これが決まらなければ、無法地帯となり「何でもあり」の状態となります。
どんな遊びもルールが無ければ面白くありませんし、楽しみを共有できません。
(使いこなせずに在庫処分するくらいなら、糸魚川に返還してほしい…)

保護とは規制を設ける「収縮」であり、活用とは規制を緩和する「拡大」であるので、そのバランスが大事です。(宇宙じゃないんだから拡大し続ける事などは不可能で、増えれば増えるほど一つの価値が劣化していく)

何度も言いますが、これで糸魚川が得るのは「名誉である」って事が重要です。

以上の事で分かるように糸魚川ヒスイを自由に使いたいのならば、最低の条件である「糸魚川でのヒスイ領域の発展」に貢献しましょう。

それが地域(他国)の「財産」を使用する最低限の礼儀(ルール)なのだから。
(そもそも礼儀とは闘争から生まれた戦闘回避術でもあるのです)

これにより、例え他が糸魚川と同等の糸魚川ヒスイを保有しても、その使い方を糸魚川が発展させていれば問題なく「糸魚川ヒスイの主導権」は維持できるでしょう。

とにかく糸魚川ヒスイの使い方での新技術や、新デザインなどを糸魚川発とする事が肝心です。(だからといってデザインを売り渡すわけでは無い)
そして、この領域でのデザインは具現化しないと意味がないので必ず形にする必要があります。(賞金では無くデザインの具現化にお金を使った方が良い)

サンプルを二点作成し、本人用と糸魚川での展示用とに分けるのが望ましいです。(そして然るべき場所に展示する必要があります)
ここではデザインの主導権の問題では無く「何処発なのか」が大切で、その扱い方(魅せ方)がともて重要になります。

これが正常に機能した際には、デザインした人は可能な限りの協力をして頂きます。
糸魚川の「共有財産」なのだから、筋を通してもらうのが当然のルールでしょう。

それに伴い、住民の意識も高めていかなければ誰も協力せず、発展もありません。
特に糸魚川ヒスイを扱う者の劣化は、ブームと同時に拡大しているようです。
(一部の日本人は中国人や韓国人を蔑みますが、日本人の中にも「蔑んでる一部の中国人・韓国人と同類の者」が存在している事実をちゃんと認めて恥る必要がある)

もう現在は国の品格以前に、個々人の品格の問題になっているのです。



と、前提での理想を書きましたが、世の中そんなに単純ではないですね…。
せめて甲府の前例を教訓にして、同じ結果にだけはなってほしくないですよ。

しかし保護が「立前」で、活用が「本音」だとしたら、こんなに難しく考える必要は無いですけどね。(それと時が解決する問題でもあるんですよね…。)
2012年09月07日
良く知られている神話の、この二つの物語は良く似ています。(これは私の勝手な解釈なので「こんな事を思っている人もいる」って事で読んで下さい。)

詳しいことは神話を読んでもらえばきっと分かるでしょうが、おおまかに言えば「ほぼ同じ筋書きの物語を登場人物を代えてやり直した」って感じかと私には思えます。

この二つの異なっている部分は、登場人物以外に「閉じこめる」が「閉じこもる」事に変わっている事や、恐れて逃げる側が「男女逆」って事が主に言えるかと思います。
(後は約束事がお祭りに変わっている事や、場所が黄泉でなく高天原である事など)

また、黄泉比良坂でのイザナミ・イザナギ・ククリヒメはスサノオ・アマテラス・ツキヨミとして見ることも出来るかと思います。
担っている事が、かなりカブっていて同一として見えても不思議じゃないかと…。

余談ですが、死者のイザナミと生者のイザナギの間をとりもったククリヒメですが、生者からの解釈は「死者を黄泉に括りつける」として安寧をもたらし、死者からの解釈は「生者に黄泉を荒らさせない」として安息をもたらしているのだと考えます。(この黄泉比良坂での話は死者のイザナミが不憫すぎる気がする)
葬儀に菊の花を手向ける習慣も、ククリヒメと何か関係があるのだと考えます。(菊理媛と書いてククリヒメと読むらしい)

話は戻って、天岩戸ではアマテラスは解放されスサノオは追放されますが、黄泉比良坂と違ってその後のスサノオは英雄となるよう描かれます。

こっちでは温情を感じますので、先の黄泉比良坂で得た教訓が活かされた形になっているようにも思えます。

黄泉比良坂では意味不明なほど男(イザナギ)を優遇していますが、天岩戸では女(アマテラス)が優遇され、更に男(スサノオ)に温情さえも与えています。

この事から、当時の男女間のバランスの変化を感じる事が出来るのかもしれません。

この二つの物語で私が感じる事は、避けようのない「繰り返しの連鎖」があるものの残され繋がれた知識を使えば、結果を大きく変えられ、先へ進む事ができるって事です。

私には天岩戸から出たアマテラスの姿は、イザナギが約束を守り黄泉の神に許されて現世に再び現れたイザナミにも見えます。
何故か天岩戸の物語はイザナギの深い後悔の念が反映し、一緒に居られなくても生きていて欲しいと言う願望を叶えているようにも思えます。

ある意味でイザナギがイザナミを殺してしまった事を、天岩戸では機織女の死に置き換える事で両者の死別を回避させたようにも思えます。(醜さは皮を剥がされた馬で対応した?)
結果的に両者は決別するのですが、先に繋がる別れ方をした事が特徴でしょう。

もしかしたら古事記は物語と言う存在の「流れ」を作った書物なのかもしれません。
でもそれを確認しようが無いんですけどね…。(作者が生存していないしね)

なんであれ、この二人が天地を担う事になるのだから一件落着と言えるかと思います。
離れていても表裏一体、この男女の住み分けが壊れる時には一時的な争いが起きるのでしょうが、その時は男が大国主のように「縁の下の力持ち」でいられたらバランスは保たれるのだと思います。

きっと人類とは入れ替わり立ち替わりにより、バランスを保つ存在なのでしょうから。
(男女の役割分担も大切ですが、世代交代の方が重要になるかと思われます)
2012年08月27日
私が目標としている「神々との交歓」ですが、何も今から始まった事ではありません。
人類が誕生した時点から現在にまで繋がれた、究極のテーマだと考えています。

そして人類は進化しながら、そのテーマの答えに少しずつ導かれていると考えます。
この時代で日本人は「神が何であるか」を、再認識する事になるかと思います。

人の背中に翼を生やし、頭に光の輪を頂く理想像では無く、顔や手を幾つも持たせ、馬力の応用で人何体分の力を有する事を表現した造形品でも無く、大きさを利用して存在の偉大さを顕示する建築物でも無い。
(芸術品・文化財としての価値は計り知れませんが…)

それら全ては神々と繋がる入口であり、触媒である事を理解するでしょう。
多くの人々に分かり易くする「人の為の表現法」である事を知る事になります。

私の計画での現在を担う「生玉」も、その意味を伝える為に多くの品を制作する必要があると考えていましたが、その必要も無さそうです。(適正な数は作ります)
もう「そのもの」が人間社会に大きな影響を示し始めていますから。

古から続く習慣の全ては、神々との交歓に必要な「大切な基本」です。
習慣として持ち歩くお守りは、それ自体が全ての力を与えるものでは無く、求める存在と人とを繋ぐ鍵だと考えて良いでしょう。
よって「鍵と扉」を認知できなければ、その存在の加護を得る事は不可能なのです。

その扉が何処にあるのか、どう見つけるのかは自分自身の感覚を研ぎ澄ませて探すしか方法は無いかと思います。(その為に人は思考能力がある)
基本を忘れた生き方を続けるのなら、その扉を見つける事も開く事もできません。

人は視覚に頼って生きていますので、当然その習性を利用した判断基準が成されます。
原始的な感覚なのでとても惑わされ易いのですが、その感覚の先を進まなければ、いつまでたっても真実を見る事はできません。

芸術も視覚を意識しての表現方が多くなっていて、それが仮想空間であっても正確な評価ができなくなっています。

全ては「基本」をいかに身に付けているかで、生き方は大きく変わります。
そして、その基本をどれだけ研鑽するかが、人に求められる生き方だと考えます。
(他者との比較は必要なく、今ある基本を高めていけば道は開けるでしょう)

現代に、どのような教育が大切かを再認識する必要があるでしょう。
(この全てが義務教育の延長となっている社会を変える必要がある)
2012年08月17日
糸魚川では海岸でヒスイを拾えるのは有名ですが、ヒスイ以外にも「綺麗なカケラたち」を拾う事ができます。

今回は、そのカケラたちの一部を紹介してみます。




コランダムと言う、ルビーやサファイアの原石となる鉱物です。
青色なのでサファイア系の発色となります。(サファイアはルビーよりも色の幅が多い)
もちろん宝石になる程の純度は無く、鉱物として同じってだけの事ではありますが、その中でも今回のコランダムは綺麗な分類に入るかと思います。
和名は漢字は違いますが、ヒスイと同じ鋼玉(こうぎょく)と書きます。

最初は紫ヒスイかと思い拾いましたが、発色・質感・重さが違うので初心者で無ければ、コランダムだと気づく事が可能だと思います。(ヒスイ以上にレアな石)
透明度は低く、端の一部分が若干、青紫色に透けるくらいです。
小さいですが、初めて拾ったにしては満足のいくコランダムです。




一般的に軟玉と言われている、ネフライトと言う鉱物です。
中国の玉(ぎょく)の大半は、このネフライトを指しています。
初心者が良くヒスイと間違える鉱石で、軟玉と言う事もあり「柔らかいヒスイ」と勘違いされる人もいますが、これは全く別の鉱物です。

糸魚川で拾えるネフライトは、くすんだ緑色が多く石質もあまり良くありませんが、たまに良質のネフライトを拾う事ができます。
大抵は小さいのですが、中には手の平くらいの良質ネフライトも存在します。

石質の見極めは、乾いた時に「ヒスイと同じような質感」であれば良質となります。
表面が白くならず、艶やかな質感です。(手の汗などで擦らない状態で確認する)
色調は様々ですが、透明度の高さが良質になる条件のようです。




チューライトと言う、ゾイサイト(灰簾石)の一種の鉱物です。
漢字では桃簾石と書くようで、「桃」ではなく「桜」であったら…、とよく思います。
(桜の方が日本的に感じるからってだけの理由ですが…)

青色だとタンザナイトになるようで、その場合は一気に価値が上がるようです。
ピンク色のチューライトも最近は認知されるようになり、価値が上がりました。

大抵のチューライトはピンク色が薄く、白色に近いものが多いです。
海で見かける事も少ないので、ヒスイ並にレアな石あり、その為か昔はピンクヒスイとして扱ったらしいですが、全く別の鉱物なので誤解のないようお願いします。

石質の見極めは、ヒスイと良く似た結晶が緻密である事と、ピンク色が濃い事です。
透明度は、質による差があまりなく、弱い光でもぼんやりと透けます。(現段階の糸魚川で拾う事が可能なチューライトの透明度です)
普通の海岸石とは明らかに色調が違うので、あれば見落とす事はないでしょう。



■注意事項です。
ここ糸魚川でヒスイを含めた綺麗な鉱物を拾えるのは、とても浪漫がありますが常識の範疇での採取をお願いします。
許容範囲を超えた所行の場合、「盗賊」として末代まで恥を曝す事になります。
(糸魚川を国とするなら略奪者となり、住民ならば国賊となるのでしょう…)
2012年08月07日
人類が必ず渇望すると言われる「不老不死」について考えてみました。

まず、原点として日本神話で考えてみました。
始まりの神である「生と担うイザナギ」と「死を担うイザナミ」、以前はイザナミが死を担うのは理解できないと思っていましたが、イザナミが担っているのは「現」である事が分かりました。(そしてイザナギが「夢」であると)

死は生物である以上、必ず訪れる「避けようのない現実」です。
イザナミは神でありながら、現実を受け入れて死に向かいましたが、イザナギは現実に向かい合えずに逃げました。
その際に黄泉比良坂に大きな岩を置いて、現実が追いつくのを防いだわけです。

これは別にイザナギが情けないと言いたい訳では無く、イザナギこそが「究極逃避」を確立した神だと言えます。
誕生したばかりの生命に直ぐ死が訪れるのでは、あまりにも悲しすぎます。
生まれてから死に向かう「時」を創り出してくれたと言えるでしょう。

もっと言えば、海を担う素戔嗚(息子)が、深海である伊邪那美(母)を守護し、太陽を担う天照(娘)が、全ての光である伊邪那岐を守護し、時を担う月読(息子)が、そのバランスを管理しています。
また姉弟では、天照(姉)が日中の素戔嗚(弟)を見守り、月読(兄)が夜の素戔嗚(弟)を見守り、その月読(弟)を天照(姉)が照らし見守っています。
(理想である1姫2太郎のバランスです)

これは人間社会の男女・家庭・姉弟(兄弟)の関係にも繋がっています。
現実を担うイザナミ(母)が優遇されるバランスとなっており、女性としての、母としての重要性を感じる事ができます。(息子は母を守る存在)

話は戻りますが、黄泉比良坂に置いた大きな岩は「意志」であると考えています。
この意志が衰退するにつれて、岩が小さくなり現実が漏れ出すのでしょう。
人は生への執着は強くなりますが、生への意志が弱くなる生き物です。

死へと向かう際、後世に何かしら三分の一は残せる生き方をしなければ…。
それが黄泉比良坂で男女の始神が交わした約束事ですから。

日本の神話では、不老不死は始まりの神ですら叶わなかった事が分かります。
(私達は究極逃避が確立した後を生きていますので十分かと…)

最近では男女の役割が逆転して行く傾向がみられます。
女性が人間社会での現である家庭から、夢である仕事(遊び)に移行しています。
これはバランスの崩壊を招きますので、男は大国主のように「現」を担う存在へと変わる必要があるでしょう。


今度は不老と不死を別にして考えてみます。
不老はそのままの通り「老いない」って事でしょうが、肉体が老いないって事であり精神が老いないって事では無さそうです。(気は狂うでしょう)

精神が老いない(劣化しない)となると、いつでも新鮮な感動を得る事が出来るのでしょうが、それはつまり「記憶しない」って事になるので、意味が無です。
(不死で無い場合は、簡単に事故死・餓死するでしょうね)


次は不死ですが、老い以外から解放された存在と言えるでしょう。
これが輪廻転生の記憶保存版だとしても、2回くらいなら楽しめるでしょうが、それ以降は飽きるかと思います。
こうなるとクリアしたゲームを、引継ながら無限に繰り返すようなものですね…。
(地獄のような試練であって、決して幸せではない)

傷を負っても再生するのでしょうが、痛みからは解放されいないかと思います。
やっぱり精神がもたない事が重大な欠陥となりますね…。

結局、理想を追求すると「鈍感な死なない存在」って奴になりなす。
全感覚を鈍くする事でしか、不老不死の精神を健全に保つ事は不可能でしょう。
ただ「無限に生きるだけ」を求めているのなら問題は無いのでしょうが…。


色々と考えてみましたが、こんな間抜けな存在を誰が求めるのでしょうか?

命は限りがあるから一生懸命に生きるのだと、これで再認識できました。
今を精一杯生きて、自分という存在を確立して行こうと思います。
2012年07月27日
この間、同郷より嬉しい来客がありました。
私よりも若い男女のカップルが、当工房を訪ねて来てくれたのです。
(自宅兼工房となっていますので、想像した感じとは違ったかもしれません…)

糸魚川のヒスイに惹かれ、この地に足を運んだところ、当工房を知ったそうです。
地道に宣伝していた事が役に立って嬉しい限りです!

いろいろと話を聞いていると、二人とも創作に理解がある人達でした。
女性は絵を描く仕事をしているらしく、共通する創作の話で盛り上がりました。
男性は日本神話に詳しく、彼女を支える良き理解者と言うのが良く分かりました。
作る側と支える側と言う、バランスのとれた二人で羨ましい限りです。

何よりも嬉しかったのが、年齢の近い世代の人に理解された事でした。
ヒスイというのは、どうしても「年輩向け」と言うイメージが強く根付いています。
そして現実的にも、年輩者でなければ購入が困難な価格でもあります。

若者に魅力を感じさせる為には、昔のスタイルを変えていく必要があります。
しかし、姿形は合わせられても、価格を合わせる事は非常に困難となります。
手をかけるほどコストが増えて、ヒスイのランクを落としても解決しません。
低価格で引き入れるのでは意味が無く、購入意欲を引き出す必要があります。

現在は自ら「低賃金使用人となる暇な爺さん達」がいて、暇つぶしで商売ごっこをしているので異常な価格設定になっている領域がありますが、バイト感覚での産物なので、それで生活し続ける事も未来を創る事も不可能です。
(年金をもらい、生い先も短いから可能な遊びで、そこには何の大義名分も無い)

何よりも「爺さんと中年男のラブロマンス」って状況をどうにかしたい。
(どうしても男だけだとこうなる、ムサイだけで情緒がない…)

これでは魅力的な未来へのビジョンには成りません。

申し訳ないですが、将来的に若い女性を道化として祭り上げる必要が出るでしょう。
それも、無駄に高いプライドを持たない「道化としての使命」を果たせる女性を…。
(道化とは本来、人を楽しませる存在であり、現代ではシンボルですから)

そして、そのイベントを支える市民(国民)や工芸士を育成できれば、糸魚川がヒスイにおいての主導権を握る事も出来るでしょう。(その前に、やれねばならない事がたくさん在るが…)
糸魚川という国が考える事ですが、この領域の知識を私達も得る必要があります。
ヒスイに興味が無くても、どんな仕事でも根本は同じです。(国政の縮図)

国産ヒスイは糸魚川の、更には日本人のアイデンティティーに関わってくる存在で、慎重に扱わないと民度にも影響し、先進国の笑い者になりますので注意が必要です。
(作った本人が価値を下げると、その価値が高いとは誰も肯定できなくなる)

このヒスイにおいて、中国が日本を何と呼んでいるかと言うと「ダストボックス」と呼んでいます、要するに価値のないモノを換金できるゴミ箱って事ですね…。
(安ければ良いと言う日本人の価値観を利用しながら馬鹿にしているのが現実)

結局、肥満体の現代ビジネスと言うのは「低賃金労働者換金システム」を使わないと成り立たないものとなっていて、天下りに依存し続ける「終身雇用家畜システム」と、競争という名目で外野が儲ける「軍鶏賭博システム」に蝕まれているわけです。

どこで歪んだのかは知りませんが、今はそんな世の中になっています。

そんな世の中で、私の創作を理解・評価してもらえた事を心から感謝します。
所有する二つの神玉が、二人の未来を共にするお守りとなる事を願っています。

私も前を向いて進めば、きっと良い結果をもたらすと信じて活動して行きます。


これから少しずつ、人の進化(変化)は分かれていくように思われる。
姿形は良く似ているけど違った進化形態、そんな生物は地球には多数いますし。
2012年07月17日
またまた、浜辺で綺麗なヒスイの漂石に出会う事ができました!
不動滝へ遊びに行ってから運が付いたのだろうか?




海で拾えるタイプの青ヒスイの漂石です。
青色と言っても、青緑のヒスイが殆どでスカイブルーのヒスイは見た事がありません。
紺色だったり青緑色だったりと、青ヒスイの色調は日本海と同じように思えます。
海での青ヒスイは良く練られていてるタイプが多く、結晶が小さい良質が多いです。
透明度もあって、透かすと魅力的に輝きます。(紺色は強い光でないと透けません)
色が濃くなると透明度が低下するのは、ヒスイ全般に言える事だと思います。




こっちは良質な濃緑ヒスイの漂石です。
私が万葉ヒスイと呼んでいるヒスイの上位に、このタイプが存在します。
角閃石は一切なく、その色調だけを残して緑と翠が溶け合ったようなヒスイです。
普段は暗く濁ったように見えますが、光にかざすと鮮やかな緑色が浮かび上がります。
質も練られているので、磨けば最高の光沢を出せるヒスイである事が分かります。
このクラスなら誰が見てもヒスイだと分かるので、喜んで拾って行く事でしょう。




もう一つは、良質な紫ヒスイの漂石です。
こちらも海で拾えるタイプの紫ヒスイで、明るく柔らかい紫色の発色が特徴です。
ヒスイ自体は結晶が細かく透明度も高いのですが、粘り(耐久力)が低いように思えます。
加工での経験で、他のヒスイと比べると衝撃に若干弱い印象を受けました。
このタイプの紫ヒスイは繊細に出来ているのかもしれません。(発色自体も繊細だし)
しかし貴重な「このタイプの紫ヒスイ」を加工する事は、ごく希な事なので、あまり重要な事ではないかもしれませんね…。
光の透過は抜群で、明るい紫色が膨張するかのように沸き上がってきます。


しかし、どれもサイズが小さいのが悔やまれます。(サンプルとしては十分ですが)
こんな時、愛好家なら「ビックライトが在ったら!」と思った事があるでしょう。
自分の意志で自在に大きく出来たらどれだけ幸せか…、でもあれって対象物の解像度も高めてくれるのだろうか?
単純に大きくなると結晶自体も大きくなり、ただ粗だけのヒスイになってしまう…。
そんな、どうでも良い事を考えてしまう今日この頃なのでした。
2012年07月07日
最近仕上がりました(仕上げている)品の紹介をします。


ある事があって生玉の制作を控えていましたが、久しぶりに水の生玉を作ってみました。
まだ磨きを出していませんが、これはこれで可愛らしい姿だと思います。
生玉は土水火風の四大元素をデザインした品で、それぞれの属性に「静と動」の2つの表現を入れています。
紋様もそれに合ったヒスイを選んでいて、今回の二つには「波の紋様」と「川の紋様」のあるヒスイを使用しました。
どちらも動きのある存在ですが、動のデザインに波の紋様を、静のデザインに川の紋様を合わせています。
テーマに合った紋様のあるヒスイを探すのは困難ですが、運良く見つける事が出来たらテンションが上がって制作意欲が湧いてきます。
仕上がりましたら改めてアップしていきます。



こちらは抜群の透明度がある濃緑ヒスイを加工した品です。
このタイプは緑色の部分にヒビが多く、大きなサイズの品を作る事ができません…。
良質のヒスイなのでヒビに沿って切断・研磨し、少しでもヒスイが無駄にならないように工夫して加工をしています。
明るい翠ではありませんが、古の日本人が好んだ色(濃緑)だと言われています。
質が良いので、艶が段違いに映える作品を仕上げる事ができます。
シルバー925で作ったロゴやパーツを組み合わせてストラップにしています。



こちらも同じ良質のヒスイを加工した品になります。
白い部分の方がヒビは少ないですが、大きな品を作るだけの面積は滅多にありません。
ある時は雲のように、ある時は雪のように、澄んだ白色が季節によって輝きます。
透明度も高く、艶も美しく出せるヒスイなので大切に加工しています。
シルバー925で作ったロゴやパーツを組み合わせてストラップにしています。


こちらが同じヒスイのヒビの無い部分で制作した品です。
表側にも裏側にもヒビが無い部分を、慎重に探し出して制作しています。
本来ヒビは、入ってしまっても仕方がなく、逆に魅力として見出せる領域も在るのですが、どうしても多数の共有を求める場合は「皆が分かり易い基準」が必要となります。
ヒビの魅力を「共同幻想の領域」にまで構築できれば、多くの人と共有できるのでしょうが、比較対照が多すぎるので、まず不可能でしょう。
希少性の高さから言っても、ヒビの入らない品の方が貴重なので、他者に奨める場合(商売として)はこちらの方が間違いなく良いでしょう。



女性の千聖さんが作った品です。
白と緑のヒスイは、私が提供した良質のヒスイを加工したものです。
淡青のヒスイで作ったロゴと合わせて、女性用のストラップにしてあります。
青ヒスイは3つを使用して、夏らしい涼しげなスタイルにしたそうです。
貴重である青ヒスイですが、このタイプもヒビが多くどうしても避けきれません。
普段使いでは割れる事はありませんので、その点は安心して下さい。


これからも少しずつですが、作品を作っていきますので気長にお付き合い下さい。
今の世の中がどう変わっても、お金の対極にある美術の領域は消滅する事はないと考えていますので、生きている限りは挑戦して行きたいです。
2012年06月27日
また浜辺でヒスイを探していると、綺麗な翠ヒスイの漂石に出会う事ができました!


波うち際よりも少し奥の方で、ぼんやりと光を放っていました。
角閃石とヒスイとが混ざり合い、翠と緑の葉が風でざわめくようなヒスイです。
私が「万葉ヒスイ」と呼んでいるタイプのヒスイです。


こちら側は角閃石が流れ込んでいて、ヒスイ自体の質が粗いように感じます。
透明度は高く無いですが、その模様からは自然の力強さを感じます。
43mm程で小さいですが、今では貴重なサンプルとなるヒスイです。


ヒスイとしての純度が高い表側は、光を良く透して美しく輝きます。
遥か古代の、ヒスイが人の傍らに在った時代を感じる場面ではないでしょうか。
この系(万葉ヒスイ)は、何故か海ではあまり拾えません。(コンサワ産の青ヒスイも)


これらはサンプルとして保管しているヒスイ標石の一部です。(拾う確率の高い標準のヒスイ漂石を多めに揃えてみました)
応接間に飾ったり、同じ母石ごとに分けたりして保管しています。
未来の加工人が存在していれば、「糸魚川ヒスイの識別素材」のような役割を担えれば良いと考えています。(産地を分析で出せない以上は、サンプルだけが識別見本となります)


これは浜辺で拾った石英(瑪瑙)達を磨いたものです。
ヒスイ漂石を探していると、たまに出会う鉱物なのですが、この鉱物も模様があり綺麗なので磨いてから部屋に飾っています。
数を揃えて飾ってあげると、それなりのインテリアとなります。

綺麗なネフライトや、面白い模様の流紋岩もあるので糸魚川の浜辺は飽きませんね。
週末になると浜辺を歩く人達が多く訪れます。
その人達も同じ楽しみを共有しているのだろうなぁ、と感じます。

それとは別で、花火のゴミやバーベキューの機材などを捨てて行く人達には腹が立つ。
この海はゴミ捨て場じゃないんだよ、ちゃんと持ち帰れと言いたいですね…。
2012年06月17日
この間、浜辺でヒスイを探していたら美しい紫ヒスイの漂石に出会いました。


海で拾える明るい紫系のヒスイですが、そのタイプの中でも濃い紫色をしています。
3cm程で小さいですが、今では貴重なサンプルとなるヒスイです。


全体に紫色が入っていて、しっとりとした質感がとても魅力的です。
チタン石が入りやすい紫ヒスイですが、目立ったインクリュージョンは見られません。


それほど透明度は高くはありませんが、光を受けて紫色が神秘的に輝きます。
良質の紫ヒスイを拾う事は珍しいので、サイトに標石として掲載したいと思います。

今年も海から良いヒスイを贈られて嬉しい限りです。(まだまだ出会うチャンスはあります!)
ヒスイとの縁はこの仕事に向き合って努力していれば、きっと深く結ばれていくでしょう。(そうであると信じたい…)

その「繋がり」を確認する為に、海へヒスイを拾いに行っているようにも思えます。
良いヒスイを手に入れるなら買った方が早いし、浜辺での漂石では小さいので加工には向きません。
加工材料として求めているのではなく、自分の「運による繋がり」の確認をしているのだと思います。(サンプル集めも兼ねての運試し)
海でのヒスイなので「奴奈川の底なる玉」ではなく「日本海の内なる玉」と言えるのかも。

ヒスイ愛好家の人達の話ですが、ヒスイの方から寄ってくる人が希にいるらしいです。
そういう人には何かしらの理由があるのだと思います。(強運だけではない何か)
海底を探すのとは違って、浜辺で良質のヒスイ漂石と出会えるのは運でしかありません。
そういった運を持つのは、贈り物に感謝して自然との関わりを深める事ができる人なのでしょう。

同時に人との繋がりも大切にして、良い縁で集う人達を大切にできれば言う事ないですね。
価値観を共有できる人達がいれば、その人の人生はとても豊かなものになると考えます。

悠久の時より糸魚川に在り続けるヒスイを、今日に至っても求めて自らの意志を刻む。
この大切さも色んな人達と共有できたら最高です。

ヒスイ加工は百年の歳月を経て伝統工芸の条件(最低条件)をクリアすれば、糸魚川にヒスイ工芸士としての「ある程度の伸び代」を残せる事でしょう。(一級宝石研磨士の資格では、個体能力に大きく依存するので伝統には成り難い)

作る者が要となる伝統と、それを支える事のできる「まちづくり」が重要になると思います。
(これが出来なければヒスイ加工は、ただの換金作業の一つで終わる)

しかし、担い手は「守られるだけの存在」になってはなりませんね。
2012年06月07日
一週間くらい前ですが、大好きな不動滝へ行って来ました!
向かう道が険しく相変わらずの秘境っぷりと思っていましたが、以外にも小型バスなどが3台くらい停まっていて、大勢の観光客がいました。(秘境ツアーだそうです)

しかし束の間の見学でバスに帰って行くので、滞在時間は短かったですね…。
あれで不動滝の魅力が分かるのだろうか?(分かってたまるか!)とは思いましたが、ツアーとは大概そんなものなので仕方ないですね。

人がいなくなったので、今年初めての不動滝を楽しむ事にしました。
あまり写真は載せたくなかった(実際に見てほしい)のですが、ネットで検索すれば出てくるので今更意味無いでので紹介していきます。(カメラを忘れてiPhoneで撮影しました)


滝の前には石の鳥居が構えていて、そこを通って不動滝へ進む事になります。
鳥居自体は古い感じはしませんが、その演出はすごく良いと思いました。
画像には写っていませんが左に石碑があり、不動滝の景色を読んだ詩が彫られています。


鳥居から後方の(入口方面の)写真です。(まだ雪がありました)
大きな池があり、カエルやアメンボなどが沢山いましたが魚はいるのだろうか…?
夏になるとトンボが飛んだりして、より多様な生物が生息します。
池の反対側には滝から出来た小川があって、そこでちょっとした川遊びもできます。
座る場所もあるので、ここで昼食をとるのが一番の楽しみとなっています。
この「楽しみ方」を知っている人は結構います。


鳥居の周りには大きな木が幾つもあります。
すげーデカイです、特にこのカツラの木からは「大いなる何か」を私は感じています。
どれだけ生きて何を見てきたのか…、そんな存在が身近に在る事を幸せに感じます。
この木をテーマに冊子デザインを作りたくなりますが、それは後々の楽しみとしましょう。


鳥居を抜けると、いよいよ不動滝が見えてきます。(鳥居からも見えますが…)
今回は雪解け水により、かなりの水が流れ落ちていて辺りが少し霞んでいました。
ここだけ温度も低くなっていて、長くいると肌寒くなってきます。
大量にマイナスイオンが出ているからと言って、長居すると風をひくでしょう(笑)
毎年見ていますが、いつ見ても素晴らしい滝だと感動します。(派手じゃない所が良い)
ここで作品の禊ぎをする事もありますが、国津神ゆかりの地なので天津神は…、とも思いますがヒスイ自体が国津の地にあるので問題ないですかね。(天津の地でもありますし)


不動滝の傍らには、小さな祠がひっそりと佇んでいます。
この祠自体は良い雰囲気なのですが、手すりが場に合っていない!
せめて色だけでも場に合わせた色にしてほしい!、と思うのですがこの辺りは豪雪地帯なので、すぐに塗装が剥げてしまうのだろうな…。(もう石材で手すりを作るしかない?)


こちらは不動滝へ降りる為に、車を止める駐車場で撮影しました。
もう6月近いと言うのに、まだ牡丹桜が咲いていました。
何本か植えてありましたが、今年の豪雪で多くが折れてしまっていました…。
それでも見事に花を咲かせている姿を見ると、植物の力強さを改めて感じる事ができました。

これから夏に近づくとウルルが大発生するので、今の内に不動滝を楽しむ事をお勧めします。
とにかく不動滝へ行った際は、車からすぐに降りずに車内で様子を見ましょう。
ウルルが発生していれば、車の窓に大量にぶつかってきます。(窓は閉めているように)
窓を開けていると大惨事になりますので、くれぐれも気を付けて下さい。
2012年05月27日
私の考えですが、人の祖先が人間として進化した瞬間は「道具を使いこなした時」だと考えています。
人類が初めて手にした道具は石であり、石器時代と言う「人として最初の文化」を作りました。
人ならざるものが人として進化するのに、石は欠かせない重要な存在だった事が解ります。

現代でもヒスイの所有を願う人は、遺伝子に石との関わりが深く刻まれてるからだと思います。
今でも人は進化を望んでいて、その方法を本能的に感じとれる人達がいるのだと考えます。
どんな鉱石にも進化を促す要素は含まれているのだと思いますが、ヒスイはその中でも「独特の文化」と成るほどに人類に愛された存在となっています。
人(特に日本人)にとってヒスイとは、とても重要な存在であり、向き合って再認識する必要があるように思うのは私だけでしょうか…。(地球と繋がっているように思えます)

人の進化に競争は必要と言いますが、必ずしもそうでは無い事が分かります。(唯の消耗ですから)
一般的に言う競争とは勝負の前段階であり、子供が自身と向き合う為に行う「予行練習」ですね。
勝負とは「一対一で限りなく同じ条件にして正々堂々と向かい合う事」ですから、身体能力や才能が同じ自分自身との勝負が最終的な試練となります。

スポーツ(特に武道)をやっていた人になら分かると思いますが、他者との勝負の際には第三者の審判が必要となり、その第三者の「誤審」や「しがらみ」によって結果が変えられてしまう事があります。
そういう中でも覆せない結果を出せば他者から賞賛されますので、自分を「その領域での高み」に上げる為には、必ず通らなければ成らない道ではあります。(期間限定の修行みたいな感じ)

しかし最終的に進化とは己自身の問題であり、人が進化に求めたのは競争では無く石(意志)です。
生存戦略としての縄張り的な本能はありますが、それは現段階では現代人に進化を促す要素ではない。
原始に共に生を繋いだ友として石は存在し、ヒスイは人の繁栄(反映)そのものだと考えます。

正々堂々の勝負でもなく、お互いに命を賭す決闘でもない、自分の立場を有利にして競い、間接的に人を死に追いやる、そんなものが人を進化させるはずはなく、それで生み出されるのは「人ならざるもの」でしょう。

人類に天敵がいなくなったと同時に、人は同じ人間を恐れるようになりました。
人間同士で争い「共通の敵」をつくる事でしか団結できない悲しい存在…。

結局そういう者は原始(子供)に戻っているので、一から進化(成長)をやり直すしかないでしょう。

まぁ、これは私の主観での話であり、賛同を求めるものでは無いですが…。
2012年05月17日
大好きな夏を待ちきれずに、こんなデザインを作成しました。(実寸はA4サイズ)
かなり以前から考えていた、Wbe用図鑑の企画として形にしたデザインです。


タイトルは「birth」で、以前に私が撮影した画像を使っています。(無断転載禁止)
この場合の「誕生」のコンセプトは、「孵化」ではなく「羽化」を指しています。
今回は、私が一番好きなセミの羽化をメインとして、その場での感動などを書いています。
(二番目に好きなのはトンボです)
羽化のみの図鑑として形に出来ればと思っていますが、個人規模だと流石に大変ですね…。

人によっては気持ち悪いと思う人もいるでしょうが、この羽化の時こそが昆虫の一生の中で、一番美しい場面だと私は感じています。
その姿は透明感があり、ヒスイにも良く似ています。(内から光を放っている感じです)
セミ(特にアブラゼミ)の羽化したての姿は、海岸で良質ヒスイを見つけた際の姿と同じに感じます。

幼少より昆虫が好きで、その中でもセミが大好きでした。
セミが鳴くと、呼ばれたように虫網を持って走り回っていたのを思い出します。

何故そんなに好きだったのかは未だに良く分かりませんが、この仕事をするようになって、そのヒントに幾つか気づく事ができました。

一般的な昆虫の成長を見ると、卵→孵化→幼生→蛹→羽化→成体となります。
これを私の計画に合わせてみると、大珠は「不変の存在としての卵」で、やがて来る孵化に備えて力を蓄えている状態、異玉は孵化をすませ「第一段階の成長を進める幼生」で、再び誕生する為の準備をしている状態、勾玉は大珠と同じで「不変の存在としての蛹」で、羽化に備えて蓄えた力を守っている状態、生玉は「無事に羽化できる為の自然の加護」で、精霊が宿る事により二度目の誕生を可能にする状態、神玉は羽化であり「第二段階の成長を進める成体」で、今まで継がれたもの全ての集合体として成長する存在です。
(これより先の第三の進化も考えられますので、可能性は無限大です)

私が最終的に望むのは、地球(神)とのコラボレーションです。
もう人は自然そのものから、神を感じる事が出来なくなっているのではないだろうか…、と考えてしまう事もありますが、呼び起こす「きっかけ」があれば再び感じとる事ができるようになるでしょう。

今は一方通行の片思いのような状態ですが、必ず自然から何かしらの応えを得たいと考えています。
(他者との競争ではなく、自分との勝負であり、審判が人間以上の存在の地球であるって感じです)

人は常に自然から学び、自然の資源を使うことで成長してきた事が良く分かります。
根本は皆同じ道理で動き、人自体から地球と切り離した存在など生まれてこない事が理解できます。

人の作ったものは「人間の本質」を映し出しています。
人間社会に存在する全てのものは、人の本質を具現化した存在だと認識すべきです。
人の「素晴らしい部分」と「浅ましい部分」とに向き合って、人を再認識した方が良いでしょう。

とにかく人としての「燃費の悪さ」はどうにかした方がよい、本当に未来を考えているのだろうか…。
2012年05月07日
久しぶりですが、石英の話をしたいと思います。


今回は水色の石英のサンプルを紹介します。
ゴツゴツとした水色の塊が集まっていて、川での採取なので川擦れにより丸みを帯びています。
本来はもっと角張った結晶だったのでしょう…、そのサンプルが手に入らないのは残念です。


側面にも小さな水色の塊が幾つも見られます。
その他にも黄鉄鉱や白色の石英の層を見る事ができます。
キツネ石と言われる鉱石に良く似ていて、前回のクリソプレーズにも母石が似ています。


逆の側面には、緑色の石英が入っています。
濁った緑なので綺麗ではありませんが、よく見ると白色の石英の中で緑色が混じり合ってる感じです。
この石は上から、青→緑→白と三つのラインに分かれているのが面白いです。

緑色や紫色の石英はタイプが違っても多く存在していますが、青〜水色の石英は珍しいと思います。
植物でも青色は種類が少なく、青は色としての希少性はかなり高いようです。

この大きな塊の部分でルースを作ったら、きっと水の結晶のような品ができるのでしょう。
もう一つ同じサンプルが拾えたら磨きたいと思っていますが、未だ一つしか拾えません…。
小さくても良いので、もう一つは拾いたい!


石英も加工意欲を沸き立てたのですが、ヒスイという鉱物を知り、国産ヒスイの歴史を知れば、私が何故この存在に自分の意志を刻むのかが理解できるかと思います。
この話は、また別の機会に書いていきます。
2012年04月27日
以前から形にして行きたかった「作る人達の集う場」を進めていく事が出来そうです。
一度はそれを目指して行動しましたが、人間社会と言うのは結局「主導権の奪い合い」なので、同じ利益を奪い合い、競い合う事からは逃れられない事を学びました。
その経験を活かして、同じ利益を求めない人達との共有を目指して進んで行こうと考えています。

始めにお伝えしますが、新しくカテゴリーを作っていく人達は、ibitsの一員と言うわけではありません。
あくまでも作る際に「協力して下さった人達」としての紹介ですので、誤解のないようお願いします。
それぞれが自身の看板(ブランド)を背負って活動している人達です。
また、自立しようと努力し、独立を目指している人達とも協力していくつもりです。

何よりも重要なことは「主導権の奪い合い」はしないと言うことです。
小さな枠組みであればあるほど、お山の大将権の奪い合いになり、それを利用する依存者が出てきます。
しかし扱っている品が違うのであれば、利益を奪い合う事はありません。(この領域内では)
また、同じヒスイであっても古代製法に近い加工での品は、私の商品の範疇にありません。
なのでこれらの品も作家も紹介して行きます。

紹介していくのは、主に私が他店にヒスイ以外の加工をお願いして作るコラボ作品です。
それぞれのお店は自分独自の作品を持っていますので、そちらが必要な場合は、そのお店から直に購入るのが一番良いと思います。

ここでは最低でも「自分で作って売るルール」を共有する人でないと協力は難しいです。
(販売にもの凄く特化した人は別として)


■作家の紹介

HANDMADE&ORIJINAL【シルバーアクセサリーWAPITI】
代表 池津敏行さん/店長 池津純子さん
〜世界にひとつをあなたに〜
ワピチは"手作り"にこだわるオリジナルシルバーアクセサリーのお店です。
サイズ直し・修理からカスタム・フルオーダーまで承わっております。
どうぞお気軽にご相談ください!


不留玉の社(フルタマのヤシロ)
作家 青舟さん
”いにしえの美”をあなたへ…
古代の玉に、糸魚川ひすいに魅せられ、京都最北端の地”丹後”にて勾玉造りを行っております。
製作は古式製法、現代製法にこだわらず、ただ、結果を求め、
良い玉を生み出すべく最善の方法を模索しております。


ワピチさんは長岡にお店を持っていて、シルバーアクセサリーを中心に販売しています。
サイトを覗けば、ワピチさん主動の品々がたくさんあります。
友人の紹介や同じ新潟県と言う事もあり、糸魚川ヒスイのシルバーアクセを作ってもらいました。
私にとって「ハンドメイドである」って事が特に重要な事でした。
お店を持って運営しているので、安心してヒスイを預ける事ができました。
もし糸魚川ヒスイの品が必要な場合は、こちらにも協力要請があるかもしれませんね。

不留玉の社さんは、4年前からの知り合いが立ち上げたサイトです。(現在調整中)
息子さんが親父さんの夢に共感して、HPなどの制作や販売窓口を行っています。
この領域の人は、よほど信用のある人でないと関わりたくないのですが、4年の間の向かい合う姿勢を見て信用のおける人だと認識しました。
自分が作る対象を研究し、足を運んで自分の目で調べてくる真面目な人です。
私にとって重要な事は「唯の愛好家では無い」って事で、底の浅い人ではない事は確かです。

今後も、自分の誇りや哲学(ルール)を持った作家さんと関わって行きたいと考えています。
そのルールが、私が共有できる範疇のものならば、協力して表現を開拓していきたいです。
とにかく「向き合っている姿勢」が重要なので、協力する際は慎重に判断したいと思います。

これから訪れる未来が、作る側の人にとって生きやすい社会である事を願います。
2012年04月17日
この頃、〜風の商品が目立つようになってきました。(存在は昔から在ります)
例を挙げると「糸魚川ヒスイ風」や「海石風」といった商品ですね…。
〜風というのは「そのものでは無い」って意味ですので、間違わないようにして下さい。
でも、この類の商品は「糸魚川ヒスイ」や「海石」と錯覚させて販売されています。
こうなってしまうと、後は購入者の目利きでしか判断できないでしょう…。
(二つとも詳細を明記しているのなら問題はないと思います)

■糸魚川ヒスイ風
そのままの通り、外国産ヒスイや類似した鉱石を糸魚川産のヒスイとしている商品。
作る事が出来ず「安く仕入れて高く売る」を狙う人達の手法。
それなりに手をかけてあるので商品自体が無価値ではないが、売り方に問題がある。

■海石風
海の漂石に似せて、ヒスイ原石を砕きバレルで艶消しに仕上げたヒスイ原石の商品。
主にヒスイ漂石マニアを狙って暴利な儲けを狙う人達の手法。
ヒスイ自体は本物で、手もかけてあるので無価値ではないが、売り方に問題がある。

これが「古代風」という表現なら理解もできます。
現在において、遥か古代の品々を生み出す事などは不可能ですので「ぽい」や「な感じ」として、作る者が表現するのは当然だと思います。
この表現方法の重要な事は「古代の品」として顕示も販売もしていない事です。
(希に骨董屋で遺跡から出土したとして、古代風の品を販売している事もあるらしい)


そう言えば最近、糸魚川へ来たお客さんから質問されました。
質問は「これ糸魚川のヒスイですか?」と言う事でしたが、当店の品では無かったので困りました…。
その施設の店員であった時は明確に答えていましたが、今は違いますので他店の品の鑑定はしないようにしています。(店員であった時も利益を得る者からはかなり嫌がられましたし…)
今の私が言える事は「誰が何処で作ったか、どのお店の品なのかを調べ、作り手と販売店に納得がいくまで確認するしかない」って事です。
それか糸魚川ヒスイのサンプルを目に焼き付けるしかないです。(日々錬磨して)

更に質問されたのは「透明度が高い方が良いんじゃないですか?」と言うものでした。
基本的に透明度が高い方が良いヒスイですが、例外として「アルビタイトに近いヒスイ」や「不純物の多いヒスイ」も透明度が高い場合があります。
これを自身で見極める方法は、一度それを加工してみるしか無いです。
その前に加工を学ぶ必要があるのですが…、まぁ、欠片の研磨くらいなら何とかなるかと。

私的には、どの糸魚川ヒスイにも価値があり魅力があると考えていますので、この質問の答えは「全てが良いヒスイです」となってしまいます。(どれにも使い方がある)
ですが、明らかにそういった答えを求めていない人達もいますので、あえて言うならば「磨きに手間のかからないヒスイが高価」と答えておきます。

これは一つの基準としてなのですが、磨きに手間を必要とするヒスイは硬度や純度に難があります。
ある方面では、それが魅力ともなるのですが、今回の質問(質問者)に対してはベストな答えかと。
なので初めてのヒスイの場合、一度サンプルを加工しなくては解らないかと思います。
今回の質問は「作られた品」に価値があるのかを尋ねたのではなく、「ヒスイ自体の価値の見方」を尋ねられたのだと私は解釈しています。

この条件をクリアして更に、「高い透明度」と「鮮やかな色彩」が加わったヒスイこそが、最も良いヒスイだと他者に胸を張って言えるのでは無いでしょうか?(不純物が無くては発色しませんが…)

後はそのヒスイで「誰が何を作るのか」が問題となるのですが、現段階では「ヒスイ自体に価値が在りさえすれば、それなりの価格を付けて売れる」という現状なので、あまり重要では無いのかもしれません。
また「鮮やかでは無い色彩の美しさ」も、まだまだ共有できる状況では無いようです。

何であれ、糸魚川ヒスイの基準が構築されていないので、どうにも混沌としています。
その方が利益を得やすい人もいるのでしょうが、これではまるで進歩がない。

しっかしこの話は最後には「お金を求める」か「名誉を求める」かの話になりそうですね…。
2012年04月07日
こちら糸魚川は、まだまだ春が訪れず、今日も雪がチラチラと舞い、冬に戻った感じです。
今回の品も、早く暖かい季節が来る事を願って制作してみました。



深い緑と明るい翠が入り交じるヒスイ「万葉」で制作。
不純物の部分を削りながら作っていったところ、ヤギ? イヌ? タツノオトシゴ?…、なんか不思議な生物の異玉が仕上がりました。(絶滅種でも良いかも)
今回の異玉は試しとして艶を出しつつ、古代っぽく仕上げてみました。



こちらも深い緑と明るい翠が入り交じるヒスイ「万葉」で制作。
形なりに研磨したところ、ヒラメ? サメ? ハッパ?…、やはり不思議な生物の異玉です。
こっちの方が色も鮮やかで、その模様からも木々のざわめきが聞こえてくるようです。

このタイプのヒスイを「万葉」としているのは私だけで、ヒスイ業界の用語ではありませんので、誤解の無いようにお願いします。(念のために…)
万葉ヒスイは春〜夏を想わせ、命の躍動を感じさせるヒスイなので、その季節とそのテーマに添って制作して行きたいと考えています。

ヒスイには他にも種類が数多ありますから、それぞれに名前を付けて、どれもが「必要とされている領域」を創って行けたらと思っています。
地球が創った存在ですから、どれもが貴重であります。
それを人間社会(特に商売)と共有するのは困難な事ですが、だからこそ面白いって事もあります。

様々な表現を入れ込み、総合力を高めて立派な作品にして行けたらと思います。
その為には、他の表現者とコラボしながら進める部門の開拓も必要だと考えています。


注意するべき事は、表現の開拓(他者とのコラボなど)は利益率が良くないと言う事です。
利益率を考えるのなら、自分一人で完遂できる商売が一番収率が高いでしょう。
その上、手を加えず拾った物を売るのなら尚のことですね…。
基本的に商売とは、より原始的な方法であった方が利益率は高いです。(あくまで利益率の話)

それでも新天地を開拓し進むのが、現代人の定めだと考えています。(原始人じゃないし…)
2012年03月27日
この糸魚川では、どうしても「ヒスイ故郷」として、ヒスイが主役になりがちですが、実際は「姫の国」としての奴奈川姫の存在が重要になります。

なんたって奴奈川姫は消耗しない「うつろわざるもの」ですから。
神話やおとぎ話で伝承されている別次元の存在です。

そして何よりも重要な事は「奴奈川姫=糸魚川」であって、糸魚川のみが主導権を持っています。
ヒスイは原石が他県に流れたらそれで終わり、勝手に都合良く使われ消費して行きます。

本当なら「糸魚川の納税者でなければヒスイを扱う権利を得られない」と言う、権限を行使できれば良いのでしょうが、この糸魚川が王国でもない限り不可能でしょう。(それに今更ですし…)

今でさえヒスイ原石が他県に流れているのですし、販売も殆ど卸になっています。
それにこれは「価格の守れない者(業者)から、価格の守れる者(業者)へ渡っていく」と言う商売の常なのでどうしようも無いですね。

結局、良質ヒスイの多くは他県の者が所有している始末、周り回って先人の報いを受けている訳です…。
これはもう、くだらない「イタチごっこ」ですよ。

だからこそ「絶対に持ち出せない存在」を重視しなければならないと考えます。
奴奈川姫を反映した商売は、なにもヒスイだけではありません。
奴奈川ブランドによる奴奈川ファションとしても面白くやれるかと思っています。
(ヒスイも奴奈川ブランドの一要素であれば良い)

例えば高校の制服を和風・古代風のデザインを取り込んでみるとか…。(私立なら可能かも)
コスプレ感が否めませんが、控えめにしながら独創的なデザインにすれば良いかと。
これから「そう言った趣向」の若者も増えるので、糸魚川も注目されるのでは無いだろうか…。
女性なら「奴奈川スタイル」男性なら「八千矛スタイル」でやれば面白い制服が仕上がるかも。
(夫婦としての扱いではなく、男女としての区別のスタイルです)

更に限定のデザインのお守りを持たせても良いですね。
特に小学生から教育の一環とすれば、その存在の大切さが伝わるかと思います。

すり込みではありますが、所詮は教育も同じですので何を伝えるべきなのかを決めた方が良いです。
奴奈川姫は糸魚川が存在する以上は不滅ですし、うつろわざるものは人類が存在する以上は不滅です。
そして人類によって完全に消費される事の無い「絶対的な宝」となります。

ヒスイが「糸魚川の宝」として維持できなくても、「日本の宝」として維持できなくても、「人の宝」として維持できなくても、うつろわざるものは「人類の宝」であり続けます。

これが「無形財産」の最大のメリットであり、弱点である領域は「有形」とすれば顕示できます。

即お金とは成りませんが「結果は後から着いてくる」を信念に進まなければ、いつまでたっても「幼稚な商売ごっこ」からは脱却できません。
特に「良い品を安く売る」こんな子供でも出来る遊びをしている場合ではない。


最近は特に商売の敷居が低く成りすぎて、混沌としている気がする…。
人類は短命であったから進化したと言われていますが、寿命が2倍になったと同時に進化率は半減したのかもしれませんね。

日本が今のステージで稼ぎたいのだとしたら、新興国と同じく商売中毒(商売ジャンキー)となるしか無いかと思います。(割に合わない事も平気でしますし)
今までの記憶を消して最初からやり直す事も考えられますが、現実的ではないですね…。
やはり次のステージに進んで、新たな「熱中対象」を発見するしか方法は無いかと。

しかし日本は世界に先駆けて「少子高齢化」となっています。
これは人類進化の必須条件なので、そういう意味では最先端を行っています。
誰が考えても増え続けて成り立つ地球ではありませんので、日本が世界へ向けて「在るべき姿」の見本となる日が来ることを願っています。

※現実の事を書く際には、同じ事を繰り返し言い続けて行きます。
 この世の中に信用しうる確かな事は、私にとっては非常に少ないので。
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