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2014年03月07日
今回は、最近に縁の繋がった方を紹介したいと思います。

紹介と言っても名前を出すわけでは無く、私が感じた印象を書こうと思います。

まずは最近納品しました「包み込む慈愛の海」の所有者さんの印象です。
おそらくは私よりも年下で、余裕があっての購入ではなかった筈です。(違ったらゴメンなさい)
ですが心を決めて私に連絡をしてきたのだと、数回のメールで感じる事ができました。

今はこんな世の中、若者にとっては大金だったと思います。
それでも持ちたいと願う姿に、強い信念を感じる事ができました。
自身に「誓いを立てる事」を見出し、その「証」と出会ったのだと思います。

それが私の作品だった事を、心から嬉しく思います。
身に付け方のアドバイスを求める姿勢に、いじらしさを覚え無償で首飾りに仕上げました。



それだけ嬉しかったのだと、自分でも思います。
作品が生玉だった事や、若者が審美眼を持っていた事が、その理由なんだと感じました。

生玉が、いつまでも共に在る事を願っています。


次に紹介しますのは、神玉工房の黎明期に知りあった方です。
久しぶりに連絡がありました。
基本的に、誰であれ私から連絡する事は滅多にありません。
理由としては「受身が性に合ってる」って事だけなんですが(笑)

この女性は、とてもユニークで、生き方が情熱的で芸術的です。
当初は、その片鱗が見えていただけですが、時を重ねて「本領発揮」って感じです。
本質的に私と目指す領域は一緒ですが、私よりも行動力があり、天真爛漫さを強く印象付ける魅力を感じます。
私はこの方に「解き放つ者」としての、印象を強く感じています。(私が勝手に)

以前に、この方の依頼を受けて大型の大珠を制作しました。
私にとって大珠はイザナミであり、女性の資質を具現化した存在です。

現在では、その大珠を使いこなし自身が信じる「世界」を体現しています。
なかなかできる事ではない…、その影響を受けて思い立つ人達もいるようです。

私と相通じる反骨精神、まさに「解き放つ者」ですね…。

魂は純粋な信仰のロマネスク、現代は信仰が腐敗したゴシック、目指す未来は再生のルネサンスって感じが私の生き方です。(分かりやすく言えば)
そして、その後に訪れるであろう技巧のバロック、そこに守るべき伝統が息づいている事を期待します。

きっと、この想いも共有できるはず、信じる道を進んでいけば、やがて道が交わる事もあるかと思います。
その時には協力し合えれば良いなと思います。(どちらにも依存せず対等に)
2014年03月03日
シルバーペンダントの作品紹介です。
皆様のおかげで、シルバーアクセにも開発資金を回す事ができました。
これからも神印などを揃えていこうと思います。

私がルースを作成し、WAPITIの池津さんにシルバーアクセに仕上げてもらいました!

紫ヒスイのペンダント




鮮やかな紫色が映えるヒスイで、菱形のペンダントを制作しました。
灰色の地に入る紫ではなく、薄紫の地に鮮やかな紫色が流れるヒスイで制作しました。
分断されたように流れる鮮やかな紫の中に、桃色に色づくインクルージョンがあります。
それが「朝焼け」や「夕焼け」に染まる雲のようで、とても魅力的です。


透明度も抜群で、自然光で華やかに透き通ります。
春を間近に向かえ、色づく季節の喜びを感じさせてくれる作品に仕上がったと思います。


青ヒスイのペンダント




淡青の地に青緑の模様が入ったヒスイで、ペンダントを制作しました。
強い光を受けると青色が薄く見えてしまいますが、黒系の服に合わせると青色がより際立ちます。
まるで水の流れを映したようなヒスイで、豊富な湧き水のある小滝を想わせてくれます。
水そのものを表現した作品なので、夏には涼しげに輝いてくれるかと思います。


裏の仕様で若干、光が透りづらくなっていますが、自然光でも透ける透明度があります。
光源が暗くなると紺色に見えるのも、このヒスイの魅力の一つだと思います。


白翠ヒスイのペンダント




美しい白地に翠が浮かぶヒスイで、ペンダントを制作しました。
うっすらと白地を染める翠が美しく、雪の下から芽吹く生命を想わせてくれます。
小滝系のヒスイなので、そこには雪解けを待つヒスイ峡の植物を映しているかのようです。
純粋な白ヒスイの魅力を感じる事ができる、作品となりました。


こちらも裏の仕様で若干、光が透りづらくなっていはますが、自然光でも透ける透明度があります。
より翠が映えて彩雲にも見えるので、季節を問わず楽しめる作品だと思います。

今年はコラボ作品にも力を入れて行けたら良いな〜、と思っています。



伊邪那美(大珠)ですが、以前に計画しているバージョンの他に黄泉バージョンの「八雷神」も作ろうかと考えています。
伊邪那美の特徴は、むしろ黄泉にある気がします。(当然なのかな…)
デザイン案も出来たので形にしてみようかと思っていますが、他にもやらなければならない事がいっぱい…。(焦らず活動して行こう、と自分に言い聞かせてみる(笑))

まだまだ寒い季節ですが、一歩一歩着実に進んで行こうと思います。
やがて来るであろう私の思い描く理想へ向けて、準備を整えて行こうと思います。
2014年02月27日
天気も良くなってきたので、久しぶりに姫川へ鉱物探索に出かけました。(今年の糸魚川は、雪が少なくて助かります)

春も近づき気温も上がってきましたが、風はまだまだ冷たいです(笑)
この日も海風が強く、ビュービューと吹いていました。

海岸側へ行けば、もっと風が強くなるし、波を被る恐れがあるので逆側へ歩く事にしました。
こうすれば、冷たい風に背を向けて歩く事ができます。(この間と同じように)

少し歩くと質の良い蛇紋岩を発見!
ヒビも無く、ガサガサしていない表皮、濃淡のある紋様など、とても魅力的です。
加工しても良いし、飾り石でも良いし、いろいろと楽しめそうです。

それとオンファス輝石も拾えました!
緑色の泥岩に良く似ているので注意が必要ですが、肌の質感や堅牢さが全然違います。


こちらは海岸で拾える転石のオンファス輝石です。(目印になる標石と言えます)


表面はツルっとしていて、乾いても白く変色しません。
緑色の薄いのもあり、濃い緑と交じり合って魅力的な模様を見せてくれます。
太陽下で見ると、緑色が膨張しているように見えて、もっと綺麗に見えます。
特に普通の石の中で探していると、目が普通の石に慣れてる事もあってか、見つけた時はより輝いて見えます。(不思議な事に)

こちらは川にあるオンファス輝石です。


川擦れしているので、乾くと表面が白くなります。
この状態だと緑色岩(総称)にそっくり、でも硬く堅いので角張っているし非常に重いです。
水で濡らして見ると色が湧き出て、その魅力が分かりやすくなります。
この微妙な違いが分かる人は「魅力ある鉱物を探す目」の基準が、高いように思えます。


残念ながら今の糸魚川の業者が、ヒスイについて知っている事は「容易に換金できる」って事だけです。
なので原石として需要のないヒスイは、美味い商売にはならないわけです。(原石で需要があるヒスイは、加工しても売り易いから)
よって、それ以外は注目もされていません。(それはそれでメリットがあるけど)

でもその「需要のないヒスイ」の中には、加工するのに非常に相性の良いものが存在します。
このオンファスト輝石も、その一つです。

艶の出し易さだけを考えれば、かなり優秀なヒスイです。
鉱物自体の需要は低くても、それらを加工して高めるのも加工人の存在意義だと思います。
ちなみに、知り合いに少し分けたところ、さっそく石笛(いわぶえ)を作ったようです(笑)

私個人としても、太陽下で「緑青(ろくしょう)」のように輝く、この侘びた色合いが好きなので古代を感じさせる作品に使いたいと思います。
2014年02月24日
命名は、古代丹後王国の王の眠る“神明山古墳”より頂いております。



こちらの翡翠を加工し、布留玉「神明」が誕生しました。


丹後では古代王朝の勾玉・玉類が多数発掘されており、玉の素材・大きさも大小様々で、各時代により大きく変遷がありますが、発掘される数・遺跡からしても、玉造りの専門集団がいたのであろうと思われます。
この古代の玉造り達の造る玉は他の地域にみられない独特の造形美があり、大変見事であります。


この布留玉「神明」は、丹後で発掘されている“玉”を強く意識して造りました。
この玉は淡い色合いながら透明感は比較的に高く透過光も綺麗です。造形は面長であり頭から尾にかけての、しなやかな曲線美をたずさえています。


丹後の玉らしい味わい深い玉に仕上がりました。
作品より古代の息吹を少しでも感じて頂ければ幸甚の至りです。
2014年02月17日
今月の8日に、遺跡調査の報告会がありました。

前日から雪が降り、この日も荒れましたが50人ほど参加者が集まっていました。(現在まちには、殆ど雪は残っていません)

中には懐かしい顔ぶれがあり、去年を思い出しました(笑)
みなさん、元気で何よりです。

調査報告は素人にも分かりやすく、丁寧に説明していました。(時間の制限があり急いでいたのが残念です)
ここで埋設土器の説明があり、これが「お墓の原形」であるのだなと改めて感じました。(亡くなった赤ん坊を、土器に入れて埋葬していたとも言われているそうです)

何らかの「形式に基づく儀式である事」が最も考えられるようで、もしこの頃から付喪神の概念があったのなら、そういった儀式的な習慣があっても不思議ではないと感じました。(使い古し捨てた土器に対しての、感謝を表す意味で行った儀式もあるかと)

埋没土器自体に供えたと見られる土器も一緒に出るそうで、上に石を乗せる形態も、お墓っぽいです。

当然ながら体験した遺跡の報告が一番分かりやすく、スクリーンに映し出される画像の位置関係などが頭の中でイメージできました。

内容は現時点の報告であり、まだまだ遺物を調べて行くのだそうです。

やっぱり体験してると違いますね。
数カ月の体験でも違うので、もっと前から挑戦していれば良かったなぁ…。(創作活動と両立も可能なんだし)

最後の質疑応答では、「糸魚川の遺物を糸魚川主導で展示できないのか?」と言う質問がありました。
非常に分かる意見なのですが、糸魚川には出土した遺物を研究する機関も無く、人材もいません…。
結局は糸魚川自体の「考古学に対する意識や知識の不十分さ」による原因が大きいんですよね。(ヒスイも同じですが)
応答も、研究が必要の為、新潟県で管理する必用があるという内容でした。 (いずれは返ってくるそうですが、かなり先になるのでしょうね)

別の質問では「実際に遺跡発掘をした事のある人がどれだけいるのか?」と言う問いかけがありました。
この悪天候の日に会場に集まった人達の中でも、経験者は半数にも満たない人数でした。

これが現実なんですよね…。
何度も書きますが、御膳立てされた情報を得るだけでは、本当の成長は望めません。

三反田遺跡も、新幹線工事の工期の都合により調査が不十分な所があったようです。
その部分は「詳しい記録が永遠に失われた」って事なんですよね…。

人は「過去を知って未来に進む事」と「過去を知らずに未来へ進む事」では、雲泥の差があります。
いくら建物を新しくしたって、そこにいる人も成長しなければ「ただのハリボテ」です。

ちなみに、新しい駅は糸魚川らしさが全く感じられない…、「都会に憧れた田舎の駅」って感じです。
もっと「糸魚川らしさ(田舎風)」を演出したら良いのに。(田舎では無く田舎風、海や奴奈川姫などの古代神話を感じられるような)

建物のレベルを上げるって事は、そこで働く人のレベルも上げる必用がある事を理解するべきでしょう。

何であれ、自分たちが生きている土地の歴史くらいは、知っておいた方が良いと思いました。
2014年02月07日
私は和食と糸魚川ヒスイの本質は、よく似通っていると思います。(あくまでも私個人の見解です)

まず双方の魅力の根幹には、「質素」というものが大きく影響しているように思えます。
それは、和食では「旨味」に当り、糸魚川ヒスイでは「色合」に当たるのだと思います。

双方の保護を考えた場合、本質を守るのなら「限られた者」でしか不可能となります。
何故ならば、本物の旨味を知る人は少数ですし、本物の色合を知る人も少数だからです。

和食が何故「質素を本質とするのか?」は、古代からの食事にあるのだと思います。
旨味は悪く言えば「詫びしい」となるかと…。(貧しいとは違います)

まぁ、飽食では無かったって事なんですが。

糸魚川ヒスイも同じで、身の周りに南国のような鮮やかな生物もおらず、そう言った存在に触れる機会も長い間なかったからだと思います。
(そう言えば幼少の頃、絵の具で初めて水色を作り感動しましたが、風景画として使う場所が無かった事を思い出します、空も川もあんな色をしてないんですよね)

その中で見出した「独特の感覚」であり、色で言えば「白」に例える事ができると考えます。

それを特徴をとしているので、現在のようなパレットに数多の色が混在している状況の中では、守れる者も限られると言うわけです。
白色は、どんな色にも「混ざってはいけない」、それが絶対条件であり、限りなく脆い存在でもあるかと思います。

こんな脆弱な存在を果たして守れるのだろうか…?

そこで考えられるのは、白色以外を混ぜて黒色にする事ですね。
これがどういう事なのかを言及すると、色々と面倒なので各々で考えて下さい(笑)
(これは大昔から在る、人の世特有の現象のようなものです)

とにかく、こうする事でそれらの意識は高まり、結果的に本物を守る「一つの役割」を果たします。

これは現代ではどうしようもなく、幼少の頃から味覚を壊され(和食での基準で)、視覚まで乱されてしまいます。(糸魚川ヒスイの基準で)
本物だった頃の基準を保てない、そんな時代ですから…。

しかし強すぎる光(白)は人の目を潰し、強すぎる闇(黒)も人から視力を奪います。(それに多彩な色と白色が混ざったら、より美しくなる場合がある事も事実です)

ここでも規模が重要であり、これを間違えると何も守れなくなります。

この理は個人の中にも存在していて、このバランスを保てないと「生きてる」ってだけになります。

それが何より必用って状況も確かにありますが、人生振り返ったら「ただ生きてた」って事にならないように、かつて間違いなく成り立っていた「本物の基準」に想いを馳せて頂きたいです。

そうなれば、黒色を劇的に濁せる存在である白色を基準として、物事を見る事ができるのだと私は考えます。(糸魚川ヒスイは不滅なので、基準を残し易いかと思います)

まぁ、これは逆の考え方も成立してしまうのですが…。(要は本質からズレればズレるほど、商売としては成り立ちやすくなるって事なんですよね)


しっかし、この二つの色から成る灰色。
これが「人間社会の象徴色」に見えるのは、私はだけでは無いはずです…。
2014年02月04日
今回は、開花のストラップを制作しました。

開花のストラップ




紫ヒスイを球型と楕円型に加工して、鹿革とウッドビーズを使ってストラップにしました。
玉の一つ一つを開花間近の蕾に見せると同時に、楕円型を四つ集める事で「花そのもの」も表現しています。
上にあるほど紫色が強く、春の温かい日差しを受けて咲く感じを込めました。
ibitsロゴも付けてオリジナル感もバッチリ、ちょっとの事で完成度も高まります!

この作品は、ある方のアイデアを受け作ってみたのですが、なるほど!、こうすればより花を感じる事ができますね。(この方とは別の作品でコラボする予定です)
新しいスタイルの作品にもなったので嬉しい限り、感謝します!
素朴な感じの中にも華やかさを表現したかったので、これなら糸魚川ヒスイにもピッタリだと感じています。
まぁ、玉の加工はけっこう大変なんですけどね(笑)

鹿革は私が革好きなので、合わせてみました。
普段の革紐ではなく、鹿革を使ったのは可愛らしく見せるためです。
私の作品は大抵が男っぽくなっていて、女性向きが少ないです。(自分が欲しいのを作っているので、男っぽくなるのは当然なのですが…)
なので今回は、女性のみに向けて作ってみました。
明るい紫ヒスイも使っているので、これは女性の方が断然似合うと思います。(デザインも花で、テーマも開花だし)

ちなみに淡青ヒスイでも作ってみました。


こっちの方が玉が大きく歪です(笑)
組合せも微妙に変えて、どんな雰囲気になるか試してみました。
こればっかりは形にしないと分からないし、好みも人それぞれなので難しいですね…。
でもきっと「誰かのカケラ」となると、信じています。(こっちは男でも似合うかと)


紫のヒスイは夜の蛍光灯下で見ると、日中では確認できなかった部分に淡い紫色を確認できる事があります。
白色や灰色に見えるヒスイでも、夜に見てみれば「うっすら色づいている」って事がありますので、確認してみるのも面白いかと思います。(ヒスイが生きている感じを受けます)

二月になり立春となった今日、待ちこがれた春を向かえ創作意欲も高まって来ました。
とにかく寒さが創作意欲を根こそぎ奪っていく季節が、早く終わって欲しいです…。

少しずつですが、春らしい作品を作って行こうと思います。(今日の糸魚川は雪が舞っていますが…)
2014年01月27日
前々から気になっていた事なのですが、糸魚川翡翠の魅力を先天的に感じとれる人は、何故か限られている気がします。
やはりこれは、古代から繋がる「何か」なのだと私は感じています。

逆に縁のない人は不思議で、気づいてないのか、元々持っていないのか…?
人それぞれとは言いますが、どうにも不可解に思えてしまいます。
それが個人差なのだろうか?、不思議だし面白いです。

人の遺伝子は「人という生き物(両親)の情報だけ」を遺し伝えていくのではないはずです。
もしそうだとしたら常にゼロからの繰り返しで、人はいつまでも原始人のままになってしまいます。
なので私は、必ず蓄積された記憶(正確には感情や想い?)を伝えていると考えます。

懐かしく感じる・愛着を感じる、そんな感情を情報として子々孫々まで繋げていっているはず…、特に人は石との繋がりが長く、石器は人類が初めて道具として使いこなした存在だと思っています。(骨や木は道具としては、強度的に不安定だったと私は考えます)
その記憶は、どの人種にも共通していて、元々持っていないとは考えられません。

なので、もし気付いていないだけなのならば、「引き出せばよい」と思っています。(ちょっとチャクラと言われている存在に、似ている概念なのかもしれませんが…)
私の作品で、数人でも眠っている古代の感覚を引き出せたのなら、それが作家として生きる者にとって最高の喜びなのだと思います。
そして、その為に私は創作活動を進めていきたいと思っています。

自分も満足し、他者をも満たす…。
個が全とも繋がれる作品、そんな存在を創って行きたいです。



しかし、負の感情までも伝えているのだとしたら、争い事は無くならないのでしょうね…。
光が在れば闇もある、そんな中でも前を向いて進んで行くのが人の定めなのでしょう。

結局、皆が一つの言語を共有していたとされる「バベルの塔」があった時代でも、人はデカイ塔を建て、神(自然)によりブッ壊されています。
人という生物にとって最高の伝達能力である「言語」、その「言語の共有」をもってしても、人にとっても、自然にとっても「良いことは無かった」って事なんですよね。
更に言語が人にとって「最高の伝達能力では無い」って事も、明らかになっている気がします…。

徒党を組んで共有するって事は、規模(バランス)を考えて進めなくては危険だって事なのでしょう。

まぁ、神話という物語の教訓なのでしょうけどね。(でもモデルになった事実は在ったかと)
2014年01月17日
今年初めて海に、翡翠を探しに行きました。
最近はなかなか時間がとれず(と言うか寒すぎて)行けませんでしたが、晴れ間が出たのでいつもの場所へ行きました。

今年は去年より雪も少なく、海側は雪かきも短時間で済んで助かります。(各地で大雪になっていますが、糸魚川の町中に雪は少ししか無いです)
朝と夜の温度は低いですが、日中は晴れの日もあって歩いていると汗をかく日もあります。
この調子で春が来れば良いのですが…、スサノオに祈ってみますか。(傍若無人の)

海に着くと波が強くて近寄れない状態でした…。
なので川と繋がっている場所で探す事にしました。
川は水が少なくなっていて、見る範囲がとても広く見応えがありました。

天気は良かったのですが風が強く、冷たい風が吹き付けて凍えそうでした…(笑)
風上の海に背を向けて探していると、それらしき石を見つけました。
しかしどうにも微妙な感じで、ロディン岩にも見えるしヒスイにも見える石でした。
泥も付いていて見づらく、洗おうと思うのですが水が冷たすぎて十分に洗浄できません。
大きさの割に非常に重いのですが、そんな石は糸魚川に沢山あります…。(拳くらいの大きさ)

とりあえず持って行って家で判断しようと思い、この日はこの石だけを持って帰りました。
家に着くとブラシでこすって、泥を落として洗浄しました。
するとやはりヒスイでした、ヒスイではありますが、純度が低く混ざり合っている感じです。

河原の石の中で見ると明らかに他と違う石なのですが、ヒスイの中でみると映えないです(笑)
ギリギリでヒスイの領域、そんな感じのヒスイですが使いようかと思えます。
翠も明るくなく透明度も無いですが、紋様は面白いので加工には向いているかもしれません。

加工は可能だし、今年最初のヒスイでもあるので、ちゃんと活用したいと思います。


それと今年、お客さんから嬉しい贈り物が届きました!


ラピスラズリ・シトリン(ヒマラヤ産)・チベッタンゴールド・ミックスタイガーアイ・ルチルクォーツ・デュモルティエライト・セドナライト・台湾北投石・グリーンルチルを使って、私専用のブレスレットを組んでくれました。
中央にある白い葉やヒマラヤ産水晶のさざれ石も一緒に付いていて、浄化やチャージに使うのだそうです。(赤い葉は飾りなのかな?)
私の「創作活動のお守り」となるようなるよう制作してくれました!
こういった贈り物は、同じ作る側の者として非常に嬉しいです。

この方は神玉を三つ(三貴子)も購入されて、一つは自身に、一つは旦那さんに、一つは生まれてくる新しい生命に「お守り」として所有されています。
神玉の存在理由・誕生理由を理解し、共鳴・共有してもらえるのは、作者として光栄な事です。
それらが失われない限り、私の作品は数多の時代を人と共に生き続ける事でしょう!

未来に作家の意志とカタチを繋げる、そんな生き方ができれば幸せです。
2014年01月09日
万葉・芽吹・叢雲のカケラで、革紐ストラップを制作しました。

万葉のストラップ(キーホルダー)



翠と緑が入り交じるヒスイ「万葉」のカケラを使用しました。残雪の山々に生い茂る、新緑と深緑の木々を映し込んだ作品です。

芽吹のストラップ(キーホルダー)


春の芽吹を想わす白翠の翡翠「芽吹」のカケラを使用しました。所々に華やぐ明るい翠が、再生の時期、雪解けの季節を想わせる作品です。

叢雲のストラップ(キーホルダー)


雨雲のような模様のある滅紫の翡翠「叢雲」のカケラを使用しました。今にも恵の雨をもたらす雲を、そのまま映し込んだような作品です。

カバンの飾りや腰飾りに使えるように、シルバーパーツ・ウッドビーズ・メタルパーツを使って革紐で組んであります。
今回、革製のフサフサは茶色と焦茶色の二種類を使ってみました。

垂飾に近い作品なので、大珠(伊邪那美)を使って表現しても面白いかと考えています。
以前に考えていた種類の伊邪那美を、このスタイルで発展して行けば理想通りに表現できるように思えます。
2014年01月07日
去年に私が体験した、遺跡発掘の回想を書きます。
私が体験した範囲の、ごく小さな思い出を選んでみました。

まずは私最大の体験である石棒の精査です。


まずは、機械で掘っていた最中に発見された状態です。
ショベル部分が当たったらしく、少し先端部分は欠けて右にずれた跡が見られます。
もっと慎重に行っていれば無傷だったのに…、作者が生きていたら完全に激怒されている事でしょう。(実際は作者が遥か昔に死んでいるので、怒られる事もないのでしょうが…)


表面を精査して全体がよく見えるようになりました。
こうして見ると、棍棒あるいは剣の姿に見えますが、鬼でない限り振ることは不可能でしょう(笑)
ここの土は粘土のような地質なので、乾くとかなり硬くなり作業する手が疲れます。
時間が経ち乾くとヒビも入ってくるので、ボロボロと崩れてやりづらかったです。


両方の先端部分にトレンチを入れて探りを入れます。
右側の束のように見える部分に、丸い窪みがあるのがハッキリと見えてきました。
若干、上に反っていて男根を表現しているのでは?と言う事でした。
太古の時代に石でこれだけの存在を作るのだから、その時代の人にとって子宝がいかに貴重であったのかが、分かるような気がしました。

この後、片面の土を削り取って石棒を取り出しました。
ちょっと一人では運べない距離なので、二人で保管庫に運びました。(数メートルなら一人でも運べる重さですが、無理して壊したら大変です)
すごく重かった事を憶えています(笑)
ここでは他に何も出土せず、ちょっと期待外れでしたが石棒だけでもすごい事なんですよね。


この遺跡では土器も大量に出土しました。


初めてだったので大量の土器に驚きましたが、そこは破損した土器の集積場のようで、今で言うゴミ置き場なのだそうです。
だから固まって大量に出土したんですね…、でも現在では宝置き場とも言えるので貴重な足跡です。


土器の中でひときわ魅力的な欠片がありました。(私が見つけたのではない)
焼きが良く頑丈な為、あまり風化せず紋様がハッキリ残っています。
洗ったばかりなので水が光を反射して、釉薬のような光沢が見られます。
今でも十分に通用するデザインだと感じました。


こちらは乾いた状態です。
乾いても若干、光沢が見られます。
良い風合いで、悠久の時を感じさせてくれる肌になっています。
土器は欠片の方が美しく感じるのは、私だけなのだろうか…?


私が知る限りの綺麗な翡翠を紹介します。


小さく薄い欠片ですが、白地と翠の発色がとても美しい翡翠です。
石割の際の欠片なのだろうか?、この翡翠で何をしていたのか…、とても興味があります!
ちなみに、この翡翠は私が発見したものではありません。


こちらは、かなりグレードの高い深緑の翡翠です。
この底が見えない吸い込まれそうな深い緑、質も練られていて最高級でした。
おそらくは川の翡翠で、磨けばその素晴らしさが無知な者にでも分かる事でしょう。
これだけの翡翠、人生の内で見られるのは何回あるのだろうか?、まさに眼福でした!
この翡翠も私が発見したものではありません。


こちらも良質の翡翠で、新緑がとても美しいです。
深緑の翡翠と同じ場所から出た翡翠で、二つ揃ってあったようです。
見るからに同じ質の翡翠なので、母石は一緒なのだと思います。(おそらく小滝系)
今思い出すと「雪解けの季節に芽吹く生命」を見るようで、元気が湧いてきます。
残念、この翡翠も私が発見したものではありませんでした…(笑)
深緑と新緑の翡翠を見つけてのは、同じ班のお爺さんでした。(なかなかの強運、そしてとても面白いお爺さんでした)

小さい欠片は同じ班のおばさんが見つけました。
私は普通にヒスイってのばかりで、良質には出会えませんでしたね…。
でも黒曜石や石器・土器には出会えたので、とても勉強になったと感じています。

それに「翡翠らしき石」を見つけると私を呼んでくれるので、幾つもの翡翠を見られて良かったです。
この地は、まだまだ私を成長させてくれるので、よく学び自身の活動に活かしたいと思います。

それでは仕事始めとして、創作活動を頑張りたいと思います。
2014年01月01日
明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします。

昨年は特に「強力な個の方々」に支えられた年でした。
おかげさまで、無事に年を越すことが出来ました!
今後とも創作活動に尽力していきますので、協力をお願いします!

今回は事代主が神玉として完成しました!


去年12月の極寒の最中、少しずつ加工を進めて行きました。
加工中に何度か指がつりましたね…(笑)


まず、紫色と灰色に分かれた翡翠を使用して作成しました。
素戔鳴ゆずりの海の神であるので、他の国津神同様に青色が流れる翡翠で作ろうかとも思いましたが「暁の空」あるいは「黄昏の空」と、「銀色に輝く海」にも見える翡翠プレートを選びました。
上下の色合いを上手く使えれば面白い作品になるのでは…、と思いました。


デザインのモチーフは「タツノオトシゴ」です。
そこに「釣り針」と「波しぶき」のデザインを加えて表現しました。
このデザインには「静」と「動」を込めていて、静である姿は「恵をもたらす凪の海に住まう龍の子」で、動である姿は「大荒れの海原の化身である海竜(リヴァイアサン)」を表現しています。
顔が見方によっては、タツノオトシゴに見え(正面に戦化粧をしているデザイン)、斜め上に咆哮するリヴァイアサン(目の下に戦化粧をしている)にも見えるようにしています。


事代主に込めたコンセプトは、「大漁・判断・勇敢」です。
自然相手の狩猟である漁業の大切さと、海の漢の勇猛果敢な姿を象徴しています。
古から現代へ続く「人の基礎」を担う仕事、そんな存在に敬意を表して加工しました。(少しの判断ミスが命とりとなる仕事です)
凪の時は恵をもたらし、時化の際は命をも奪う、しかしそれでも「命を育む事」には変わりなく、静と動のバランスあっての「母なる海」である事は揺るぎません。
カエルの子はカエルと言うように、「龍の子は竜」飼い慣らせる訳がない、その顎門を砕く事は不可能という思いを込めて、華奢にせず頑丈に仕上げました。(人の意志も挫く事は不可能)


背の部分は丸みを持たせず波を(顎門も)イメージして加工し、腹の部分は釣り針をイメージして丸みを持たせてあります。
波と釣り針の共通点である「鋭利さ」を先端部分で表現し、波しぶきを渦や水泡のように表現してみました。
人魚のように上半身と下半身が分かれて見えるよう、模様の配置をしてみましたが面積が少ない事もあり少し分かりづらいかも…。
でも美しい紫色が少し入りましたので、元々の翡翠の景色である「朝焼けの海・夕焼けの海」を反映できたと私は満足しています。

糸魚川では「山を壊し海を汚す仕事」に依存せず、海で漁をして暮らしている人達がいます。(少数ですが)
これからも、そんな方々を心から応援して行きたいと思います。


これで国津神は、番外の八咫烏を入れて4体が誕生しました。
残るは3体、でも全くデザインが浮かびません…。(現時点で)
まぁ、毎年の事なので今に始まった事ではないですね(笑)
私に流れる「古代の血」や「繋がる遺伝子」が呼び起こされたら、残りの神々も具現化できるのだと思います。(作品として)
然るべき時に成される、そんな感じがします。
2013年12月27日
今年も残すこと4日となりました。
あっと言う間の一年だったなぁ〜、と感じています。
巳年だった事もあり、いろいろと充実した年だったと思います。(年男でもあったので)

一番の収穫は、遺跡発掘を体験した事でした。
運良く私が参加した場所から、あの1mを超える石棒が発見されたのは偶然には思えません。
糸魚川で私が求めていた「道具から逸脱した存在」と出会えた事は、必然だったようにも思えます。(特に石で作られた道具では無い存在に出会えた事が、私には非常に重要でした)

そしてそれを取り出す作業も任された事により、古代の作家との繋がりが現実となった気がしました。
私の中に眠っているであろう「古代から繋がる遺伝子」が、覚醒したように血が滾るのを感じました。
不思議な事に、あの石棒との出会いから「作品を通じての縁」で繋がった人達が増えて、とても充実した一年を過ごす事ができました!

もしあの石棒に出会わなかったら…、と思うとゾッとします(笑)
信念を持って物事に取り組めば必ず結果として表れる事は、幼少の頃から何気なく気が付いていました。
運の強さとでも言うのだろうか…、その頃から「祝福される事」を認識していたのだと思います。

私が勝手にそう捉えているだけかもしれませんが、それを感じられるだけでかなり幸せです。
この経験が創作活動の糧になる事は間違いなく、それらとの出会いが私を成長させる事も間違いありません。
ここ糸魚川には、まだまだ貴重な存在が眠っているはずです。(人を成長させる存在が)
それらと出会い、その縁で人と繋がり、私が更に成長する事を楽しみにしています!

ちなみに遺跡や遺物は、自分の手で発掘した方が知識や経験として身になります。
疑い深い私ですが、疑いのない現実を前にすれば素直にその情報を取り入れて分析できます。
上げ膳据え膳で得た情報なんて、人を成長させる事には成らないと断言します。(狡猾になるだけで)

古代から繋がる遺伝子に学び、同じ間違えを繰り返さない人間に成長できたら最高なんだと思いました。


さて、これより31日まで今年最後の創作として、神玉新作の「事代主神」の仕上げに入りたいと思います。

それでは皆様、良いお年を!
2013年12月23日
うっすらと翠に染まる良質のヒスイで、翠雪のストラップを制作しました。

翠雪のストラップ
雪のような透明感のある翠の翡翠「翠雪」のカケラを使用しました。全体をうっすらと翠が染める景色が、冬の終わり、春の到来を予感させる作品です。ヒスイで作ったオリジナルの「ibitsロゴ」を付けてあります。ちょっとしたアクセサリーとしても使うことができる品となっています。









水に濡れた雪のような白ヒスイに、淡い翠が滲むように入っているヒスイです。
このヒスイは、冬〜初夏までの景色を映しているように私には思えます。(真夏であれば涼しげに見える事でしょう)

抜群の透明度で、この季節の自然光でも透けて輝きます。
ヒスイ輝石が見えないほど練られていて堅牢、石目があっても簡単には割れません。
神緑のストラップと同じヒスイから加工していて、緑の濃い部分と淡い部分とで分けて、それぞれのコンセプトに合わせた作品に仕上げています。

ibitsロゴは、白〜水色のヒスイを加工して仕上げています。
ロゴの加工自体も、一つ一つ手作業なので大量産はできません。(って言うかしません)

糸魚川物産センターへ出品していますので、お立ち寄りの際は手にとってご覧下さい。
2013年12月17日
人類を生物の中で分別すると弱者となりますが、同じ人の中で分別すると強者と弱者に分けられます。
強者の中でも度合いがあり、強くありたいと生きる者〜強く生きている者の幅があります。(弱者も同じく)
ここでの弱者という存在は、女性と12歳以下の子供なのだと私は考えています。
本能的に守るべき存在であり、これから強者へと向かうであろう者達なのだと思います。

よって男は「成長により強者へと向かう本能」により、弱者である事を赦されません。
しかし「成長により強者へと向かう意志」を考えると、女性も強者に成っていく事を意味していると思います。
いつまでも守られる存在では無く、守る存在へと進んで行く、特に母となった女性は強さを求められます。(っていうか強いです)

多くの男が成長に失敗し、強者にも成れず、弱者にも戻れないくなっている現代で、これから強者へと進むであろう存在は女性なのかもしれません…。(愛妻の男は強者だと私は思います)
もし、そうであるのならば、ハッキリしている事があります。
現在のシステムをそのまま流用して行くだけならば、男と同じ結果を向かえるでしょう。(男が雑魚化したシステムですから)
その結果「雑魚を喰い物にして下種が私腹を肥やす世」になって行きます。

そうでない未来があるのなら、かつて強者が存在していた世になるのなら、人はもっと気高く生きて行けるのだと思います。

遥か古代では、強者と弱者のバランスがとれていました。
強者が弱者を守り、弱者は強者へと成長して行くシステムが自然により確立されていました。
なぜならば「そうでなければ生き残れなかったから」です。
そのバランスから外れた者は、成長する事も無く、守られる事も無く淘汰されたからです。

かつてのバランスは壊れ、外れた者達が増えて行き、それを喰い物にして生きる事が主流になってしまった現代…。
強者でも無い者が「弱肉強食」を口にする現代、この狂いまくった歯車は戻せないのだろうか?
遥か昔に強者(恐竜等)により恐怖を刷り込まれた人類(哺乳類)には、胸を張って生きて行くには限界があるのだろうか…?

可能性のある女性にお願いしたい事は、同じ女性の中にも「成長を諦めた者達がいる事を認識しておいて下さい」って事です。
守るべき弱者との明確な違いを見出して、理想的な未来へ進んで行ってもらいたいです。

後、男にも少し期待しています。(同じ男として)
2013年12月15日
伊邪那岐「青海」-壱-の首飾りを依頼されたので制作してみました。
「青海のイメージに合う首飾りにしてほしい」との依頼でした。


全体的にシンプルな感じに仕上げました。
海を渡る探求心が表現できたかと思っています。
青海は大海原を表現した作品ですが、「地球そのもの」のイメージを込めた作品でもあります。

革紐は長さを調節できます。
先端を引っ張ると縮み、内側を引っ張ると伸びます。
先端部分は装着時に後ろに流しても良いし、うなじ部分のウッドビーズをスライドさせて前で止める事も可能です。


首元には風の模様のウッドビーズを使用しました。
帆を進める強い風1個と、穏やかな風2個を使っています。
穏やかな波を思わせるデザインでもあるので、イメージにピッタリだと思います。


うなじの部分には縄文の模様のシルバービーズを使用しました。
この部分には割れない素材が1つは必用になります。


紐の先端には星と太陽がデザインされてるビーズを使用しました。
時々、航海されるとの事でしたので、相応しいかと思います。


作ってみて自分で気に入ってしまい、欲しくなってしまいました(笑)
これだけの青翡翠の勾玉は、そうは在りませんし、ここまでイメージ通りに組み上がったのも偶然ではない気がします。

その方はネットで私を捜し当てたようです。
あえて検索に引っかかり難くしている(翡翠や勾玉などで)私ですが、そんな中でも探し当ててくれる人達がいます。
ネットで私を探せる人達は、皆決まって「何かしらの縁がある人達」だと感じています。
不思議ですが、偶然のようで必然なのかもしれません。
何だか「同じ遺伝子を共有している感じ」がして、親近感があります。

遺伝子が記憶を継いでいく事も立証されそうなので、私が目指す「古代の記憶を呼び起こす作品」が現実に成りつつあるのかもしれません。(希望的観測かな…)

ちなみに検索に引っかかり難くしている理由は、「仮想空間の中での秘境を目指しているから」です。
知られてはいなくても確かに存在し、そこは揺るぎのない創作空間であり、訪れた者を魅了する領域、そんな場所がネット(仮想空間)にも在って良いかと思っています。
糸魚川には現実に秘境がありますので、そのシュチュエーション(状況・場面・物語)を表現できたらと考えています。
2013年12月07日
一つのルールである「保護と活用」ですが、作る側の場合には優先順位が違ってきます。

私が考える分別では「保護と活用」は主に作れない側の領域であり、保護を優先して行きます。
もっと言えば作れない側で、更にそれで収入を得ていない者達が保護を優先し、作れない側で、それで収入を得ている者達は保護の領域を持っていません。

逆に「活用と保護」は主に作る側の領域であり、活用を優先して行きます。
活用を優先しますが、保護も担っています。

別にどちらが正義と言うわけでは無く、どちらも一つ基準なのだと思います。

人は(っていうか生命は)地球の資源を消費して生きています。
特に人間の消費が激しいのは事実で、この現状は異常だとは思います。

要は規模の問題なんですよね…、活用を優先しても保護も担わなくてはなりません。
私の領域での保護とは「無駄に使わない」って事です。
なので、その存在を高めて行けば、自動的に保護を担う事になるわけです。(低価格での量産が必用なくなるので)

翡翠自体の価値は既に高まっているので上げようがありませんが、その基準が見えていない人が多すぎます。

その価値を高められない、又は維持できない場合、扱うのを辞めた方が良いとも思います。
作る側として活用を優先するのは、遥か古代より続いた文化ですが限度もあります。
特に糸魚川翡翠には、その限度を明確にする必用がある気がします。
要は誰にでも理解できる基準が必用となるわけですね…。

これは金(au)でも同じ事なのですが、金は世界基準として成り立っています。
しかし糸魚川翡翠を世界基準とする事は不可能です。(絶対不可能)
不可能ですが、糸魚川基準とする事は可能なわけです。

結局、世界で共有する基準でなくても、「糸魚川で共有する基準」であれば良いわけです。(糸魚川が翡翠の原産地なんだから)
他の場所から国産翡翠がたくさん出る訳でもなく、他で構築しうる基準でもありません。

保護と活用側の基準を構築し、活用と保護側の基準を構築していけば、最終的に同じレベルの結論が出るかと思います。

しかし、これは理想であり、現実はバラバラ…。
チャンスがあるとするならば、翡翠に群がり蝕む者達が死滅した後にあるのだと思います。
その時までに、基準を明確にして行くしか方法は無いように思えます。

でも縄文期から続いた翡翠文化が終わりを告げ、現代で発見された時代があったのにも関わらず、滅んだであろう理由も理解しないで同じ事を繰り返す…。
勝手に盛り上がり勝手に死滅する、そんな流れをいつまで繰り返して行くのだろうか?

人の成長にこれだけ差があるのは何故なのだろうか…、単純に強者と弱者の話では無い気がするのは私だけだろうか?
この二者以外にも間違いなく存在する者達、これを明確にする必用は無いのだろうか?

なんであれ明らかに古代とは、それらの比率が違う気がする。


これはもう、もっと美術を教え込む必用がありますね…。
この世には、幾つもの基準(見方)が在る事を学んだ方が良いと思いますので。(安物買いの銭失いにならない為にも)
2013年12月05日
渓谷の芽吹きのようなヒスイで、火之迦具土神「火葉」-弐-を制作しました。




これから本場を向かえる冬を前に、春の訪れを想わせる作品を作ってみました。

白・黒・灰・翠と多彩な模様が入ったヒスイで作りました。
焔であるので暖かさだけでなく、鋭く尖った刃物のような攻撃性も込めたデザインにしています。
伊邪那岐の悲しみの表現でもあり、数多の神々を誕生させた力の根源でもある作品です。

両面に流れる翠は美しく、その明るく輝く発色は新芽を想わせてくれます。
火之迦具土は「生命力そのもの」、そんな作品に仕上げて行けたらと思います。

春をテーマに制作するのは、迦具土か素戔鳴が良いと考えています。
堪え忍び蓄えた力を、一気に解放するイメージは焔と龍にピッタリです。


作品を制作しながらも早く暖かい春が来ないかなぁ〜、と思いました。
この時期の加工は辛いです、制作意欲をも根こそぎ奪っていくような季節…。

しかし、ここでの頑張りが来年(未来)へ繋がると思いますので、頑張りたいと思います。
2013年11月27日
姫川で底なる玉を拾い、勾玉制作を依頼した青年が再び出会ったようです。


今回、彼が出会った「奴奈川の底なる玉」、なかなか良いヒスイです。
全体的に落ち着いた緑色に染まっていて、透明度も抜群です。
茶色の石目が多く入っていますが、そこから割れることはありません。
僅かに濃い緑色も入っていて、とても魅力的なヒスイだと思います。

このヒスイでリング(指輪)の制作を受けました。
リング自体の制作は初めてですが、加工自体は神玉制作の行程に含まれている作業なので心配はありませんでした。
機械化すれば楽に作れるのでしょうが、それでは面白くありません。
やはり「手作業を主とした工具」の開発に止め、可能な限り手仕事で仕上げて行きたいです。


まずは茶色の石目の間を取り、9mmくらいのプレートを切り出します。
そのプレートに鮮やかな緑色が入るように、慎重に切断する部分を決めていきます。
光を透して確認したり、表面の発色を見て判断したり、時には勘を頼りに切断します(笑)

今回は判断した通り、ワンポイントに緑色を入れる事が出来ました!
全体的に薄緑に染まっていても、やはり目が覚める緑色があると見栄えが違います。
石目付近に色があった為、少し茶色が入っていますが、逆にそれが大地から芽吹く生命を想わせる景色となりました。


サイズを合わせる為、慎重に内径を回転させながら拡げて行きました。(何度も測りながら)
外径は旋盤のように回転させ、ヤスリを当てながらゆっくりと円にしていきます。
場合によって不純物により硬度が不安定な部分もあるので、力を入れずに少しずつ削っていきます。(けっこう時間がかかる)

曲線をとっているので薄く見えますが、厚さも3mmくらいあって簡単には割れません。
リング幅も多めにしたので、大抵の衝撃には耐えてくれる事でしょう。


透明度が高いので光に透かすと、より鮮やかな緑となって輝きます。
全体も葡萄の果肉のように柔らかく輝き、とても美しいです。
納得のいく作品に仕上がって嬉しい限り、後は青年が気に入ってくれる事を願います。

今回は、自分で身に付ける予定なのだそうです。
自分で出会ったヒスイの品を身に付けて、未来に向けて頑張ってほしいです。


リング制作の行程も確立したので、自主作品として作って行こうかと考えています。
問題はサイズですね…、ガラスの靴のように合った人だけを対象にすれば良いのかも。
とりあえず簡単な加工ではないので、気長にやって行こうと思います。
2013年11月26日
新緑の欠片でストラップを作りました。




通常のストラップより大きめで、腰飾りにも使えるように作ってあります。
革ひもにウッドビーズ・シルバーパーツ・メタルパーツを使って、民族的なデザインにしました。
今後、このスタイルのストラップ(根付け)も作っていこうかと思っています。

ヒスイには波紋のような石目がありますが、通常使用で割れることはありません。
逆にこの模様と色合いが、秘境にある高浪の池を想わせるかと思います。

厳しい時代ですが、この生命力を象徴する緑ヒスイの作品と共に乗り越えて頂きたいと思います。
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