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2013年05月11日
元々は押上の浜で冬の寒い時にぽつんと砂浜に打ち上げられた標石です。
海でだいぶ揉まれ手にした時から透けるような美しさでした。



転石と言う事もあり打撃破砕は行いませんでしたが、気の遠くなるほどの時を奴奈川の海の中で過ごし、悠久の時を越えて縁により生まれた「玉しずく」。
遠く奴奈川に暮らした縄文人の気持ちになって生み出した逸品です。


ヌナカハの河川より出でたる硬玉より砥ぎ出した奴奈川の清流。
身はあくまで小さく、姿はあくまで可愛く。
新発見技術による限界領域での管錐穿孔による魂入れ。
結晶粒に逆らわない砥石入れによる磨き込み。
この手仕事により生み出された玉しずくは、光源で驚くほど姿を変えます。
時には気高く凛とした姫、時には小さく可愛い女の子。
水色、白色、薄緑色に変化する姿は本当に水量で姿を変える姫川の様です。
神奴奈川姫も子供の頃、持っていたであろう玉しずくです。
2013年05月07日
連休も明けて、再び遺跡掘りの再開です。
現在の区画は今月中には終わらせる予定のようですが、未だに土器や石器が大量に出てきます。
人員も増員されたので、総力戦となりそうです。
そう言えば若い女性2人が新たに入りましたが、遺跡に興味があるのかは現段階では不明です(笑)。

現在、私が掘っているベルトでは研磨された斧1個と翡翠原石1個がでました。(土器は普通に出ます)
そこからは沢山の石や砂岩が出たので、掘っている最中に翡翠が出そうな予感はしていました。
翡翠はそこまでグレードの高いものでは無く、表面は打撃をした痕や打撃された痕も無く、研磨された痕も見られません。

もっとも、石器を研磨する事に使っていたのならば研磨痕は残るはず無いですね…。(翡翠の方が硬いので削れない)
逆に磨製石器は研磨痕が少し残っていて、古代人が「丁寧に仕上げた」って事が同じ加工をする者には良く分かります。(とても丁寧に作られています)

例え蛇紋岩であっても加工は容易ではありません。
古代で「道具と言う存在」がいかに大切だったのかが感じられました。
その道具が創作の原点であり、人に豊かさをもたらし、人に表現する喜びをもたらしたのだと感じます。

現代は道具が範疇からはずれ、機械として人を追いつめる存在となっています。
人が道具として使いこなせるレベル、このバランスが大切なのだと思います。
人が進化するか、機械を退化させるか、いずれにしろ人が機械を超えている事が条件となります。
結局、機械を超える存在というのは、人の創作性なんですよね…。

この体験によって、原点の在り様を学べそうな気がします。



悠久の時にふれた事で、無性に海へ出かけたくなりました。
何か良い出会いがあるのではないか…、そんな期待が不思議に湧いてきます。

その日は風が強く波も強めに打ち寄せていて、割と大きな石が上がっていました。
幾つか翡翠も拾えましたが紹介する程の質ではありません…、でも良い発色の赤石と出会う事ができました!



よく糸魚川に有る赤石は、赤色がくすんでいたり紫がかっていたりしています。
しかし今回の赤石は、赤色が一段階違っていて鮮やかさを放っていました。
それに、このサイズは海では珍しく、加工するには十分な大きさです。

遺跡では赤石は見ていないので、ここの古代人は集めていなかったのかもしれませんが、漆により赤に染まった土器は大量に出てきます。
それに赤色は太陽を示す色、古代人にとって感心が無かった筈はありませんね…。
私では詳しく分からないので、専門の人達に聞いてみようと思います(笑)。

何であれ魅力的な石、これで異玉を作ってみようと思います。
生玉の「火の精霊」を作るにも相応しいですね…、何だか創作意欲が湧いてきます!


「悠久の時に結ばれし絆を、今再び取り戻す」何だか楽しくなってきます。
2013年05月06日
この硬玉は当初酷い皮を被っており、外見からは玉になるとは思えませんでした。
ある時雨が降り、その原石が濡れた時に「ピキッ」て感じるものがありそこから研磨を始めました。



磨いて行くうちにだんだんと美しい肌が見え始め、この何とも言えない感覚の世界による引き合わせと言うものを感じました。
攻めるにつれ、その形が女性っぽくなり、スタイルの良い玉になりました。
ぜひ、その身を表に出す佩用をしていただければ嬉しいです。


角閃石を伴った硬玉より砥ぎ出したる奴奈川の深山。
身はあくまで細く、「威」は限りなく高く。
打込錐による片側打撃穿孔、頭には三条の丁子、手仕事の限界まで攻め込み生まれた深山の精霊。
麗しい妖艶な姿とはうらはらに、若草のように透ける透過光は恐るべき力を生み出し、持たれる方を守護します。
これぞ「奴奈川の底なる玉」だと玉作 工人は思います。

玉作 工人   拝
2013年05月02日
布留玉「八雲」「神魂」「佐太」をご紹介致します。

「八雲」「神魂」「佐太」三作の玉の原石は、全て同じ石から生まれました。玉造りの仕事は、加工に適した原石を探し出すことから始まります。青舟は京都府北部の丹後から、はるばる、翡翠の産地新潟県糸魚川まで足繁く通い、玉造り適した石を探しています。現地の石屋さんを巡る事もあれば、時には海岸におり自ら翡翠の原石を採集することもあります。いきつけの店もあり、現地の店主さんに頼めば、e-mailで画像を送ってもらったり、電話一つで原石自体を送ってもらうことも出来ますが、自ら足を運び、己の目で見て品定めをしなければ納得出来ません。それは、青舟の生来の性分なのです。

この三作品の原石は現地のとある石屋さんで巡り会う事になりました。通い慣れたお店でありまして、勾玉の話、翡翠の話やら、あれやこれや盛り上がっていると、店主さんがおもむろに立ち上がり、店の奥から一抱え程もある石を持って来られました。


「これは参考までに…」と前置きがあり、見せてもらったのですが、手に取ってじっくりと観察すると、ズッシリとした重みがあり、石目、クラックはありますが、まず目を引いたのは、その深いアオの色合いです。深緑色の発色は申し分なく、表面から垣間見えるトロリとした飴のような質感…。まさに、長年追い求めていた原石そのものです。採集場所は、はっきり教えてはもらえませんでしたが、石の表情から姫川上流の石であろうと推察しました。であるならば、一昔前に採集された石「昔の石」と呼ばれるもので、現在では採集出来ない貴重な石と言う事になります。


店主さんは、前置きの通り、販売する気はないらしく、その日は、すごすごと退散する事になりましたが、あのような石を見せられて、じっとしてはいられません。まさに、矢も楯もいられぬといった状態で、再度、お店を訪ねる事となりました。参考品と言っても流石に、店頭に並べるような石ではないようで、「あの石は…」と店主さんにお尋ねすると「ああ…あの石ね…。」とあまり気は進まないようでしたが、前回と同様、手にとって見せて頂く事が出来ました。再度、石の状態を確認しましたが、以前の見立てに間違いはなく、どうしても譲ってほしいと店主さんに交渉を開始しました。しかし、答えはノー。げっそりと落ち込みながら帰路につきました。ですが、このまま諦めるわけには参りません。日を改め再度、訪問。粘り強く交渉を続けました。「そこまで、おっしゃるなら…」と最後には店主さんが折れ、渋々ながらも譲って頂く事が出来ました。

このようにして仕入れた貴重な原石ですが、その大きさ故、勾玉に加工する為には、そのまま加工を開始するわけには行きませんでした。まずは原石の中でも工作に使用する部分と使用しない部分を分け、加工出来る大きさに切断します。大きな翡翠になると表面の色は分かっても石の内部の色の入り具合は、ある程度の予測は出来ますが、実際カットしてみないと分かりません。カットしてみると発色の良い加工に適した部分は4分の1から5分の1程度でした。

この原石から、青舟は“古代出雲の王の御霊を乗せる舟”をイメージし、生み出さされた三作品を布留玉の社では“出雲三作”と位置付けました。三作は古来の玉では最も完成されて形体とされる“丁字頭勾玉”です。


出雲三作 其の壱 布留玉 八雲




命名の由来は、古代出雲の枕詞でもある“八雲立つ“から頂いております。三作の筆頭にふさわしい、縦の大きさは5cmを越える大玉に仕上がりました。この大きさは伝世の玉でも稀に見る大きさであります。しかも、縦・横の大きさだけでなく厚みも1.6cmとしっかりと、とってありますので、丁子の彫りの品位も相まって手にした時の圧倒的な存在感・迫力は、青舟が今まで造ってきた玉とは一線を画するものがあります。

元来、糸魚川の石には石目やクラックが多いので、それらを避けて形成すると、どうしても小さな玉となってしまいます。八雲の場合には、あえてそれらを避ける事はせず、玉の個性として、玉の魅力が、いかんなく発揮されるように取り込む事に心血を注ぎました。石目やクラックが入る事を嫌われる方がおられるのかも知れませんが、青舟としては翡翠及び勾玉を他の宝飾品と同列に捉えている訳ではありません。勾玉作品であり“いにしえの美”として完結させる事が何より重要な事なのであります。

石質はとろりと深みのある肌合いで、頭は爽やかな印象を受けます。色は全体に入っていますが、特に“逆くの字側”の色合いは豊かです。中でも背部外側から尾部にかけては濃緑色の発色が良く、際立っています。厚みをしっかりとるとなると、色調は深くなりますが透明感は沈みがちとなる事が多いです。しかし、この作品に関しては、透明感が高く、これだけの厚みがあっても光を通して透過光で見ても大変、魅力的な作品となっていまます。


この玉の画像をよく見て頂くと、玉の背中の真ん中から尾部にかけて亀裂が入っているのが確認して頂けると思います。ここは元々石目が入っており、加工中に真っ二つに破断しました。普通であれば割れたしまった以上、加工を中断するか、小さいサイズの玉に作り直すところですが、青舟には完成した玉の姿が見えていたのでしょう。幾日も破断した玉の断面を眺めている青舟の背中が印象的でした。そして突如、思い立ったように、破断した部分を樹脂接合し、再度加工を開始しました。苦難を乗り越え、ようやく完成したこの玉は、“威風”を放つ、青舟渾身の作となりました。
2013年04月30日
異玉の新作、千変の幼生の紹介をします。




白地に淡い翠が入ったヒスイで制作しました。
遅い春の訪れと共に、誕生し成長する幼生を表現してみました。
口をつけることで、可愛らしい姿に仕上がったかと思います。(葉をガツガツ食べる感じを出しました)
ヒスイ自体も透明度が高く、光にかざすと彩雲のような景色をその身に映します。




こちらも白地に淡い翠が入ったヒスイで制作しました。
横幅をもたせたので、ゆっくりと動くのんびり屋の幼生となりました。
こちらには切れ込みによる口はつけませんでしたが、モシャモシャと葉を食べる感じは表現できたかと思います。(ちょっと動物っぽいかな)
光にかざすせば、魅力的な模様と彩が映し出されます。


俗に言うと「子持ち勾玉」の部類になるのでしょうが、私的には定型勾玉はサナギに近い状態だと考えている為、その状態で子を持つ事には疑問があります。(これは個人的な考えです)
なので私は異玉として、始まりにして千変する幼生を表現しています。

今のままでも独特な魅力がありますが、やがて万化の蛹となり、精霊の加護を受け羽化へと向かいます。
どんな存在にも順序があり、その過程での姿も表現して行きたいと考えています。

現在で私の最終形態である神玉へと成長させておけば、未来ではその先へ進む「成長を表現する者」が現れると考えています。
そうなれば、この遊びは終わる事はありません。

これが現実になれば、私が生まれてきた意味も在ったのだと思えます。(その時は生きてませんが)



仲間との出会いや遺跡発掘の体験で、自分の原点に戻れそうな気がしています。
色んな鉱物での創作、私の原点はここにあります。
結局、異玉も生玉も色んな種類の鉱物で加工する為に作ったカテゴリーで、自由な創作を担っています。(特に異玉が担っています)

ヒスイの縛りがあるのは神玉だけ、なのにいつしか一つの基準にとらわれていたようです。
これでは自由な発想やデザインは生まれてきませんね…。
それぞれの役目を見直して、再構築していかねばと思っています。

今回の異玉はヒスイで作りましたが、次回からは赤石や軟玉などでも加工したいと思います。

ちなみに事代主のデザイン案が出来ました。
後は試作を重ねてデザインの調整をして行く段階となりました。
完成のお披露目は、恒例としている一月一日に出したいと考えています。(この加工が仕事納めとなり、この展示が仕事始めとなる感じです)
2013年04月27日
只今、縄文遺跡の発掘を体験しています!
いずれは経験しなければと思っていましたが、ちょうど注目される遺跡が出たので思い切って体験する事にしました。
私の創作テーマでもある「悠久に結ばれた絆の再生」に、近づくにはどうしても必要な経験となります。



初日に翡翠を発掘!、宝探しのようで興奮しました。
高いグレードではありませんが、現在の基準として見ても良い翡翠だと思います。
これで加工すれば、必ず良い作品が仕上がると感じました。

他にも黒曜石の矢尻を一つ発掘したのですが、写真を撮るのを忘れました…。(翡翠で頭がいっぱいでした)
それに掘り当てた度に写真を撮っていては、作業が進まないんですよね。
休憩時間などを利用して撮影していますが、土器などは掲載して良いものか分からないので確認してからアップします。

何であれ数千年前の古代遺産…、かなり感動してます。
古代に作られた(使われた)品を現代で、しかも私が手にしているのですから!
この経験で僅かですが、悠久の時と繋がったような不思議な感じがしました。
念のために書きますが、発掘した品は自分の物にはなりません。

私が入ったグループの区画では翡翠は三個発掘されて、どれもが良い翡翠でした。
翡翠を集める、古代人と同じ事を現在に行っている自分と「共通する何か」を見つけられたら、今後の活動も進化して行くように思えました。
残念ながら翡翠は原石の状態のみで、加工品はありませんでしたが…。

この作業は労働的に考えれば決して良い条件では無いでしょうが、勉強として考えれば魅力的な作業だと思います。
作業員は年輩者が殆どですが皆良い人達ばかりで、地道に発掘作業しています。
若者で考古学などが好きな人達はいますが、現場にはおらず三十代は私だけです(笑)
調査員の人達や建設会社の人達の中には、同年代〜年下の人はいます。

糸魚川は何処を掘っても遺跡が出るようですが、今回の遺跡は特別重要なんだそうです。
すごい数の土器や石器が出ていますし、当初は土偶なども出たようです。(墓が在ったようです)
やはり糸魚川には重要な存在が眠っていますね…。
信じて活動していて良かったです。
そうすると奴奈川姫の墓も存在しそうですが、古墳時代の人ではないので墓の場所を特定する事自体が困難なのだそうです。

今までちゃんと調べなかったのでしょうか…?、糸魚川はまちを発展させて「都会モドキ」に向かうより、遺跡のまちとした方が良いように思えます。
どうせ人が来ないのなら、いっそのこと特化してまち全体が文化財になった方が面白いです。
駅を降りたら古代のまち、そんな魅せ方を用いたまちづくりも必要となってくる時代ですから。

ちなみに遺跡付近には奴奈川神社があります。


古くから此処に在ったのではなく、遷された神社なのだそうですが意味があっての事だと思います。
この時から、遺跡の存在を知っていた人がいたのかもしれませんね…。

この地には謎がまだまだ残っています!
定期的に遺跡掘りはありますので、なるべく参加して勉強したいと思います。

この事で、自身の創作活動の幅が広がれば嬉しく思います。

私の創作スタイルは物語の具現化ですが、現実の歴史を知っておく必要があると考えます。
その知識が礎となり、新たな創作に進めるのだと信じて向かいたいと思います。
2013年04月24日
大勾玉であった事で砥石の作成に難儀しましたが、蛇紋岩ゆえの石質により攻玉は比較的順調でした。
穿孔は片側棒錐打撃穿孔、硬玉片による丁子加工、木砥による研磨と古墳時代の工程で再現しました。


奴奈川蛇紋岩より砥ぎ出したる緑の龍。
その身から湧き上がる「威」は森林の力そのものです。
形は古墳時代最末期、仏教が伝来し古神道とせめぎ合っていた頃の、勾玉文化の最終形状を生み出しました。



御統になった時、この大勾玉は最高の力を出すと玉作工人は思います。
温度、湿度、光によって色を変化させながら身から出る蛇紋岩の「威」は古代において、「物の怪」除けとして使われたのだと思います。
奴奈川蛇紋岩だけが持つ不思議な力です。

玉作 工人   拝
2013年04月22日
攻玉も非常に難しく難儀しましたが、青玉として原石の中に本来あった形をうまく出せたと思います。




この石は15年前に見つけたのですが、この縁(えにし)をずっと待っていてくれたのだと感じました。


海沿いにお住まいの方、海外に良く行かれる方の護りとして使っていただければ、最高の奴奈川の護りとなる事を匠として感じております。


奴奈川青玉より砥ぎ出したる蒼海の玉。
片側に穏やかな凪の海、片側に恐ろしき荒れた海を持つ恐るべき「威」を持つ大勾玉です。
光源により姿を変えるその身はから発する「威」には畏怖を覚えます。


玉作 工人   拝
2013年04月17日
私が制作した勾玉、伊邪那岐「桜空」-壱-の紹介をします。


この紫ヒスイは、かなり昔のヒスイらしく、紫ヒスイとしては珍しく練られた質です。
初めは頭の部分に濃い紫色がありましたが、研磨しているうちに薄れていってしまいました。
どうしても曲線が必要な部分は、色が残り難いです。


こちら側は、より紫色が薄くほぼ白色に近いです。
でも桜色に染まる空に浮かぶ「淡紫の雲」として見る事ができます。
ここまで質が良いヒスイだと、より上品さが際立ちます。


練られた紫ヒスイなので、厚みがあっても光を透します。
光を受けて膨張しながら透る姿は、暁の空や黄昏の空をも感じさせてくれます。
色も残り、透明度の高い、そんな紫ヒスイは現在では希な存在になりました。


当初からあったヒビ(石目)だったのですが、あえて避けずに大きめの玉を制作しました。
小さな玉では存在感が薄れてしまうし、無駄も多くなります。
そもそも数を多く作る、そんな事に興味はありませんし。

私はヒビを「非なる美」とするも「秘めたる美」とするも、作り手と持ち手次第だと考えています。
この姿は「舞い散る桜の花びらを玉が映し出した」として、私は見ています。

しかし、それを強要してはならず、同じ景色を見る事ができる人に所有されるのが一番幸せなのだと思います。

私の作品は殆どが自己完結しており、共有するのが困難だと思います。
しかしそれは作品の定めでもあり、そういう作家として生きるのだから覚悟しなければなりません。

今後も一方通行な品を創っていきますが、そんな中でも共有してもらえる人達に出会えたら嬉しく思います。
2013年04月14日
大所川にて十数年前に採取した小さな転石から砥ぎだしました。
工程は平面出し、背砥ぎ、穿孔までは同じですが、この玉はえぐり形状が独特の為、荒研磨砥石を最初に成型し、その抉り形状を移す形で砥ぎ込んで行きます。



極めて緻密、堅牢なため攻玉には難儀しましたが、原石の中に潜んだ優美な形は表に出す事が出来たと思います。


砥石の一当たりひと当たりに心を込めて、内磨砥石を振り込み、持たれる方の護りとなるように祈りながら攻めました。
奴奈川の川面を渡る春風を感じていただければ幸甚です。


形状は古式奴奈川弥生末期の形で、頭に刻み込まれた三条の丁子、まさに大王の「威」を持った勾玉です。
透ける流水紋、そこに流れる一条の翠。
清流に春の訪れを告げる玉に仕上がりました。
完全な手研磨が生み出す光は上代玉作工人の真骨頂です。

玉作 工人   拝
2013年04月09日
玉作さんの作品「沼川の神桜」の制作行程です。

朝より攻め始め、破砕、二平面出し、背砥ぎ、内研磨、魂入れ(穿孔)、荒研。
ここまで延べ時間28時間。

内研の砥石作成に思ったより時間がかかりましたが、やはり腕が鈍っており、時間がかかってしまいます。





この硬玉、だいぶ前に奴奈川の方より縁あっていただいたものですが、非常に緻密、極めて堅牢でかなり難儀しました。その方曰く、50年くらい前に手に入れた物だそうで、「今はこんなのは無い」と話されていました。

その色は、確かな桜色、頭には若葉の緑色、「威」は極めて高いです。
ここまで透明度が出てくると、ラベンダー色は本当に気品ある桜色になります。

この玉の良い所は、頭に薄い青葉色を携えたところでして、ぜひ女性に持っていただければ良いなと思っています。

玉作とは各工程の積み重ねで、最終的にその成否が決します。
どこかで手を抜けば必ず後でそれは返って来ます。

古式玉作とはそういうものです。

この形は元々、この玉石の中にあったもので私がそれを外に出したにすぎません。
あくまで「縁」(えにし)これ以上でも、これ以下でもありません。



玉を攻める時の心理状態は「神駆ける」とでも申しましょうか。
完全に無心でただひたすら攻め込みますから、あっという間に一日が終わってしまいます。


名は「沼川の神桜」
神奴奈川姫を待つ場所で咲いた古式奴奈川勾玉です。
乳白色とほのかな紫、頭には春の新緑を持ち、透ける紫に流れる流水模様から発する「威」は古より綿々と続く、大いなる護りとなります。

玉作 工人 拝
2013年04月07日
私が常々思うことは「デザインの劣化」です。
例をあげると今使っている「文字」なのですが、元は一つ一つが単体のデザインであったのに、共有する事で繋ぎ合わされ大量に使われるようになりました。

これは伝達として進化しましたが、デザインとして劣化したのだと認識しています。
もともと伝達の為に生み出されたので、当然の進化なのでしょうが劣化しているのも事実です。
簡単明瞭であるべきで、言霊を尊ぶ人には怒られそうです…。

共有はコミュニケーション能力であり、人として大切ではありますが度が過ぎれば個性を失います。
だからと言って個性がありすぎても協調し難く、人間社会で生き辛くなります。

創作の上での劣化は「同じものを作る」と言う問題が原点なのだと考えます。
理由は、同じ存在を多く作ると必ず劣化していくからです。
更に同じ人が同じ存在を大量に作った場合、自分自身で作品を劣化させている事になります。

しかし文字と同様、ある程度の数を作らないと他者とは共有できません。
勾玉を見れば分かるように、その姿形は数多の共有を得て様々な素材で具現化されています。
その為、姿形としては劣化し、古代人の価値感を大きく下回る結果となっています。(しかし存在的には、三種の神器として共有される域にまでなっています)

唯一無二で存在しうる、そんな存在が「創作の絶対神」になるのだろうと私は考えています。(日本の神々は八百万にして唯一無二の存在)


私達は神では無く人なので「限りなく唯一無二に近い存在」を追い求めて行くしかないのでしょう。
私は加工を仕事としていますので、創り出す品は必ず劣化していきます。(同時に共有もされますが…)

それを防ぐ事にも繋がる「新たなデザイン」を増やして食い止めようとするのですが、今度は「デザインと言う存在自体」が劣化していくのです。

何かを消費しなければ、何かを生み出せない、それが生命の理なのかもしれません。
作品の劣化を防ぐのか、デザインの劣化を防ぐのか…、バランスよく考えて活動しなければと心の底から感じています。
今後は自身で「適正数」なるものを、基準として構築する必要がありそうです。

ガラパゴス化、大いに結構です、日本の独自性を保つのに過分な共有は必要ではありません。(こういった文化の領域での話です)

多分、純粋な創作活動を求めるのなら、強力なパトロンが必要不可欠になるかと思います。
しかし今の時代は王政でもありませんし、中途半端な民主主義で成されています。
どうにも「作る側」には、生き辛い時代なのだと感じます。


物を作り続ければ、より完成度の高い作品が仕上っていきます。
それは、一度制作した品が基準となり、更に上を目指すからだと思います。
そうやって人は成長していくようで、その性からは逃れられないようです。

姿形が同じゃ無くても、身体で憶え経験してきた事は無意識に手を動かすようで、人の学習能力の凄まじさを改めて感じます。

ここは潔く、その習性を使いこなし、高みを求めてたいと私は考えます。(制限も持ちながら)


理解しておけねば成らない事は、ヒスイ製品は「工芸品を兼ねているが、民芸品では無い」って事です。(更に言えば雑貨でもないです)
ヒスイは上位の存在なので下位に下る事も可能ですが、本質である「精神の石」や「お守り」である事は忘れてはいけません。

民芸品の要素を加えるにも「ぐい呑み」レベルにし、雑貨の要素を加えるにも「根付け」レベルで止めるべきでしょう。(どちらも工芸品を兼ねている品なので)

常に精神文化(お守り)の要素を大切にして、今後も人の傍にあり続ける存在として繋げていくべきだと考えます。

そんな私達の活動を「生きている限り見続けたい」と、願ってくれる人と出会えれば最高です。(近い将来、唯の傍観者では、見続ける事は不可能となっていくでしょう)



話は変わりますが、神玉工房のトップ画像をアレンジしました。
トップ画像の奴奈川姫が「何故、天津神の力を行使しているか?」は、私にとって奴奈川姫が「最高の巫女」だからです。
きっと八千矛神(建速素戔鳴尊という説も)が、この奴奈川の地を訪れた理由はヒスイだけで無く、奴奈川姫の巫女としての能力を必要としたからなのでしょう。
奴奈川姫はヒスイの「守護者」として森羅万象の力を体現する、そういった力が在ったのだと思っています。

なので今度は、国津神バージョンのデザインもしていきます。(神玉の国津神が仕上がった後の話ですが…)

かなり個人的な意見なのですが、出雲で表向き翡翠が流通していないのは、碧瑪瑙の立場が無くなるという理由だけでなく「翡翠の品だけあっても力を行使できる者がいない」って事が主な理由のように思えます。
出雲大社の勾玉は、備えた者が奴奈川姫と一緒にいる事で発揮される加護だったのではと考えます。(翡翠としても文化財としても、国宝である事は変わりません)
2013年03月27日
久しぶりに現実の事を書きます。
現実の事は同じようなことを繰り返し書きますので、興味がない人や飽きた人は読まないで下さい。


人それぞれに大切な存在があるかと思います。
そこには特別な感情が存在し、自分を構成する「何か」が在るのだと考えます。

そこでいつものように色々と考えてみました。

まず、糸魚川にとって大切な存在は何でしょうか?

多分、まちとしては「観光地という存在」にする(戻して行く)事を望んでいるのだと思います。
糸魚川が観光地として成り立つ為に、最も必要となる存在…、それは「フリーのお客さん」です。
フリーのお客さん無しでは、どれだけ団体客を回しても「借金の利子を払い続ける」だけで終わります。
理由は簡単で、利益が低く、その為にサービスが劣化し、結果的にリピーターが生まれないからです。

やがて団体客の食事はジャンクフード化し、時間に縛られる事で観光としての自由も無く、せっかくの糸魚川の良さは伝わらないでしょう。(既得権益にどっぷり浸かったルートだし…)

ここで認識する必要があるのは、フリーのお客さんは「別格」だという事です。
きっと差別とか言われるかもしれませんが、一緒にできるわけが無いんです。

自ら糸魚川に訪れ、観光し、宿泊し、ヒスイも購入する。
今の世の中で考えれば「絶滅危惧種」と言っても過言ではない気がします。
こういった人達がお金を有益に使ってくれるのですから、お抱え運転手なみのサービスをしても良いように思えます。
これを実践しているのは、個人規模の民宿やペンションで、その人達はお客さんに正面から向き合っています。

もっと、こういった人達から学ぶべきだと思うのですが…。

公僕は税金で生きてるから見栄を求めるのは分かりますが、見た目が派手な団体客だけでは観光地として成り立つ事は不可能です。(バブルの時期ですら不可能だったのですから…)
外に向けてのパフォーマンスだとしても、もう騙される時代じゃないです。

フリーのお客さん在って、初めて観光が成り立ちます。
(団体を入口として考えているのでしょうが、今のツアーでは引き金にすらならない)


これはどんな商売でも同じ基本であって、私の仕事で当てはめると「卸」が団体に当たります。(ようするに団体客=卸業者ですね)
これを続けてしまうと、一時的にはお金は入ってきますが、時が経つほど自分の首を絞める事になっていきます。
守るべき存在が何なのか、これを理解していないと志を繋げていく事など不可能です。

では他に方法がない場合で、条件の悪い卸をせずに「どうやって乗り越えるか」と言うと、別の仕事をすれば良いのです。
私の協力者の人達も、別の仕事をしながら創作活動をしています。

人によっては「趣味の領域」として馬鹿にするでしょうが、結果的に「価格の破壊」も「志の劣化」も起きません。
創作とは「ある程度の安定」があれば行えて、作品を生み出す事が可能です。
ハッキリ言って、よっぽど趣味の人達の方がモラルがあります。(無い連中もいますが…)

逆に「この仕事一本で生きる」と言うのは格好良いですが、執着するあまり「背に腹はかえられない」って状態になり、何を守って行くのかさえ分からなくなって行きます。
現在はそういった「担い手モドキ」が多く、ヒスイの領域が壊れている理由もそこにあります。(これが消耗品である場合は、執着して大量消費に向かうのは仕方がない事なのでしょうが)

この領域が一生の仕事として成り立っていたのは、遥か昔の事なのでしょう。
現代のシステムでは「共有できない個体能力」は僻みや嫉妬しか生み出さないようです。(日本のスポーツの現状を見れば一目瞭然、先進国で一番支援していない国ですから)
なので「見せ物」として共有する事が、多勢に対する唯一の方法となるのでしょう。

しっかし年金で生きてる暇な爺さん達が、望んで値を壊しているのは理解不能ですね…。
もしかしたら「大切な存在が最初から無い者達」なのかもしれません。(あるいは諦めたのか…)
そしてそれに寄生する初老…、これが繰り返されていくのでしょうか…。

糸魚川はジオパークじゃなくて、ジジパークとなっている気が…。(ちゃんとした年輩者もいますけどね)
ちなみに、この仕事をしていると暇な爺さんの話し相手をする事があります。
そこで始まるのが「昔は良い時代だった」という昔話、そして武勇伝…。(正直、紀元前の話ですか?と思わずツッコンでしまう…)


ヒスイにおいて糸魚川はこのまま「卸問屋の末端」という扱いで良いのだろうか?
糸魚川は「外から逃げてきた者」や「逃げ帰ってきた者」そういった中での乞食〜乞食予備軍がヒスイを扱う事を放置してきすぎたんだと思います。(昔は必要悪だったんでしょうが、もう現在では容認されない)
若干「あぶく銭で育った二代目の生業」って現状もありますけど…。(あと爺さん達の暇つぶしも…)

糸魚川ヒスイって「そいった者達の滑り止め」なのでしょうか?
そういった者たちに消費される為に在るのでしょうか?

ジオパークによりヒスイの管理を強化するのは良いですが、同時に人の管理も強化すべきなのでは?
もう「誰がそうなのか」が分かっているんだから…。(盗掘で警察に何度も捕まっている者もいるんだし)

後は新たな「外から逃げてくる者・逃げ帰ってきた者」を把握して、ヒスイに近づけなければ良いだけのように思えます。
市場が濾過された為、そういった若者が新規で現れる事は少ないでしょうが、団塊の世代はやりかねない。

糸魚川市は福利厚生が充実しているそうで「外から逃げて住み着く者がいるので困っている」と、糸魚川市民も言っています。(一般移住者では無く、殆どが市民として税金を納めていない者達)
こういう人達は、元の国(県)へ強制送還するのが得策でしょうね。

この人達は「弱者」でも無いし「ホームレス」でもありあせん。(乞食とホームレスは違う)
全てが「モドキ」であり、必要最低限である「束縛」からも逃げている者達です。

お金を必要とするなら「束縛」に向かう必要があって、皆が羨む「自由」だけで生きていけるほど、この世界は単純ではありませんよ。


念の為に書きますが、何も団体客や卸業が悪と言うわけではなく、バランスが大事で「主力とすると破滅する」って事です。
消費していく存在では無いので、一つ一つを大切にする事が絶対条件となります。(ヒスイのような存在を大勢と共有した場合、価値は薄まり物だけが消費されていきます)

糸魚川を観光地としたいのなら、過剰に団体客に頼らず、個々の旅行者に「いかに訪れてもらえるか」を考えた方が良いかと思います。
ちなみに宣伝する側が「明確な糸魚川の魅力」を認識していないと、ガキの使いで終わります。

間違いなく言える事は「ヒスイが絶対的な魅力」って事で、後は付録みたいなものです。
ゆるキャラとかに力を入れるのも良いですが、そもそもに「特色のないまちの苦肉の策」なんだから、糸魚川は王道であるヒスイをちゃんと高めていく必要があります。

しかし規模が大きすぎると、どうにも成らない事もあるんですよね…。(現在の観光地が成り立たない理由は、幾つもの要因が重複していて複雑になりすぎてる)
今更どうにもならない…、そんな現実は今の日本(世界)には山ほど在りますし。

糸魚川市に出来なければ誰かがやるしかない…。
ヒスイを最小限の消費で済ませ、劣化させず、古代人の価値観をそのまま創作で体現しうる存在…、そういう人が一つの時代に多く生まれ活動したのなら、全世界に誇れる日本の古代文化を示せるのかもしれません。
そうすれば、同時に糸魚川へ訪れる人も増えるのだと思います。(待ってられないでしょうけどね…)


今回の結論は「自分が認めた存在くらい、最後まで支えてみせろ」って事になりますね。(ちょっと話がまとまってない気が…)

男は「30歳にして立つ」と言い、「40歳で迷わず」と言います。
40歳になるまでに、迷わない生き方を完成させなくてはなりません。(40歳は初老だし)



最近考えるのですが「価格競争」って何を競っているのでしょうか?
文字道理に考えれば価格を競っているのでしょうが、競争というのだから勝敗があるはずです。
で…、何をもって勝ちなのでしょうか?
安く売るのが勝ちなのか、高く売るのが勝ちなのか、適正価格で売るのが勝ちなのか…。(歴史あるオークションとは明らかに違う)
売る側と売る側の競争なのか、売る側と買う側の競争なのか…。

純利益を多く出せる売り方が勝ちなのだとすると、仕入れを限りなくゼロに近くする必要があります。
そうなったら「拾ったものをそのまま売る乞食商売」が勝ちになるのでしょうか?
人を奴隷として働かせ、稼ぐ商売が勝ちになるのでしょうか?
どんな売り方をしても利益が出れば勝ちなのでしょうか?

競争というからには明確な基準(ルール)があるはず、もし無いのならこれはもう、競争という名で隠した「ただの呪い」ですね。
何でもかんでも競争という文字を付けて、正当化しないでもらいたい。
2013年03月17日
ibitsに新しく「奴奈川の玉匠」の玉作工人さんが協力してくださる事になりました!
これによりギャラリーとしての総合力が増すことでしょう!
これをきっかけに、純粋に創作活動を目指す人達の励みになると嬉しいです。

玉作さんは私にとって「揺籃の師」であり、今回の縁をとても感謝しています。
今後は活動を再開されるので、青舟さんと同様にお互いを高め合う関係を築ければと思っています。

作品はどれもオーダーメイドで、更に完全手作業で行っているとの事です。
徹底した拘り(制限)、容易に真似できるものではありません…。

ご自身のHPには、数々の作品を閲覧できるようになっています。
悠久の時に思いを馳せる時間を、堪能できるかと思います。


私が望み認める本物とは「自身に制限を持った人」になります。
それと合わせて自分の世界をある程度、表現できる美的センスを必要とします。
当然ながら自分が何者なのかを明らかにし、表でも活動できる人が必要となります。
要は「どこの馬の骨とも分からない者」とは付き合えないわけです。


この多くの人が「必要としないであろう存在」を作り続け、そんな世の中にでも所有を求める人がいて、縁が導くままに出会う奇跡はとても神秘的だと感じます。
つい先日もその出会いがありましたので、尚のこと強く感じます。

人智の及ばない領域は確かに在って、共振するかのように強く結びつく、その現象を必然のように認識できるのだから、人間て本当に不思議な生き物だとつくづく思います。

今後もゆっくりとですが、志を共有できる人達と協力しあって骨組みを作っていきたいと思います。
2013年03月07日
ヒスイでibitsロゴを制作したストラップが仕上がりました。
自分が作った品には、全てロゴを入れていきたいと考えて色々と試してきましたが、ヒスイで制作する事が一番相応しく、コストも少ない事が分かってきました。
結局、小規模な仕事なので「自分が動く事が利益になる」これが基本なんですよね。

ケータイがスマートフォンに変わっていく世の中で、ケータイストラップの用途は見込めませんが、バックや財布などに付ける用途は残っています。
どういった使い方があるのかを示すのも、表現の一つなので追々提案したいと考えます。

今回仕上がった品の簡単な紹介をしていきます。
カケラは幾つかの名称に分けて、そのヒスイに合うコンセプトで仕上げています。

叢雲のカケラとなる品


雨雲のような模様と色調のヒスイのカケラを使用したストラップです。
灰色は色として人気が低く、ありがちな色として認識されてしまいがちです。
でもその中でも魅力のある模様や、一つ一つ違った色の魅力を感じてもらえたらと思い制作しています。
今回のヒスイは透明度も高く、光に透けます。
灰色は銀色としても捉えられ、シルバーと合わせるとより効果が出せます。(そっちの作品も作って行きます)


芽吹のカケラとなる品




雪の下から芽吹くような模様と色調のヒスイのカケラを使用したストラップです。
白地に明るい翠が綺麗なので、スタンダードなヒスイとして認識されています。
光を受ける事で、より翠が膨張するので立春を表現するにはうってつけです。
冬には暖かさを、夏には涼しさを感じさせてくれると思い制作しています。
このタイプを海岸で拾うには、かなりの運と労力が必要でしょう。


万葉のカケラとなる品




緑と翠の葉が交るような模様と色調のヒスイのカケラを使用したストラップです。
芽吹のカケラと母石を同じとする、1ランク上のヒスイとなります。
その夏を想わせる彩は、木々のざわめきを感じさせ、風をも表現しているようです。
まさに「万葉」の言葉が似合い、古代へ思いを馳せる浪漫のあるヒスイです。
透明度もある程度あり、夏に一番輝くヒスイとなるでしょう。


翠雪のカケラとなる品





冬の終わりを想わせる模様と色調のヒスイのカケラを使用したストラップです。
抜群の透明度があり、雪解け水のように澄んだ緑色をしたヒスイです。
ガラスのような質感をしていて、暑い日には涼を感じさせてくれます。
キメが細かく磨く前では、ヒスイ輝石があまり見らない角砂糖のような質感です。
ヒスイのグレードで見ると、高い方に入るヒスイのカケラです。


森緑のカケラとなる品


朝靄の森を感じさせる模様と色調のヒスイのカケラを使用したストラップです。
全体が淡く緑に染まっていて、モヤモヤとした景色が山脈をも感じさせてくれます。
透明度は高くないですが、外では全体で光を膨張させて発色している印象を与えます。
萌立つ森林のように、これから始まる事への期待感を膨らませてくれます。
芽吹や万葉とは異なる緑が、違った魅力を発しています。


彩雲のカケラとなる品



日の光に色づく雲の模様と色調のヒスイのカケラを使用したストラップです。
遠目では白色だけに見えますが、すごく淡い翠がフワッと入っています。
光に透かす事で、より翠を感じる事ができるので「彩雲」に相応しいヒスイだと感じます。
このヒスイは芽吹と同じ母石であり、白地を雪と見るか雲と見るかで分けています。
模様が多く翠が淡いカケラを使用し、奥に隠れている美を見出す品となっています。


どの品もヒスイのibitsロゴを付けています。
このロゴは私自身には重要ではありますが、お客さんとしては必要ないのかもしれません。
ですが自分の品に愛着を持たせる為にも、こういった存在は必要だと感じています。

独立は自身で立つ事ですが、歩き出すには周りの支えが必要となります。(一人だけで進むだけなら独歩・独走として表するでしょう)
前に進む為に、どれだけの人に支えられるかが今後の課題となりそうです。

我を通しながらも支えられる…、それは流石に無理があるでしょうけど…。
2013年02月27日
古代の遺産である大珠や勾玉は範囲が広く、どこまでを大珠とし、どこまでが勾玉とするのかはハッキリと区別されていません。
なので私の作品では大珠と称されている品を、大珠と垂飾に分けて表現していこうかと考えています。

垂飾となる作品





主な違いとしては、「大きさ」や「形」によって分けられるかと思います。

大珠と言うのだからまずは大きさが一番大事だと思うし、玉や球では無いので楕円型のスタンダードな形が理想的だと感じています。
例外として、大きく台形に近い形も大珠として制作していこうと考えています。
大きさと同等に需要となるのが「お守り」と成る存在として作る事だと感じています。
サイズは3cm以上を基本とし、穴の位置も中心よりやや上くらいを基本とします。

垂飾となるのは「小さく丸みも少ないアクセサリー」となる、手軽で意味合いの少ない首飾りとして行こうと考えます。
一番の違いはサイズになりますが、大きくても角を持つデザインは垂飾として、あくまでも装飾品としていくのが特徴となります。

結局、大珠も首飾りとすると垂飾とほぼ同じ姿になってしまいますが、トップの部分を大珠と呼ぶのかで違いを出せると考えます。

でも「何故分けるのか」と疑問に思う人もいるかと思いますので説明しますと、私にとってイザナミとなる存在を普通の装飾品と区別する為です。
なので私の中での区別であり、古代遺産を区別しているのではない事を理解して下さい。

垂飾はトップでも販売しますので、自分好みの首飾りを作ってみても楽しいかと思います。(大珠は大きく意味合いが強いので、アクセサリーとしては使いづらいかも…)

今回紹介した品や、前回のイザナギ(勾玉)などは物産センターに出品しますので、そこで直に見てもらえると嬉しく思います。
毎月ブース代を払っていますので、神玉工房と明記してあります。(分からなかったら店員に聞いて下さい)
ネットに出していない品もありますので、糸魚川を訪れた際にはお立ち寄り下さい。


正直な話、品が行ったり来たり、お金が行ったり来たりする事だけを望む場合、糸魚川でヒスイ加工の仕事をする意味なんて殆どありません。
都会へ行って制作販売していた方が、よっぽどお客さんが来ることでしょう。(生活費は高くなりますが…)
糸魚川でこの仕事をする意味合いは、糸魚川に訪れる「ヒスイ好きのお客さん」を増やし、ひっそりとした伝統文化を共有し、海での浪漫を感じてもらい、糸魚川という地域の「神秘性」やヒスイにとっての「聖地」としての重要性を認識してもらいたいという思いがあるからです。(遠すぎて訪れが困難な人には、作品で伝えられるよう努力しています)
仮想空間ではありますが、ギャラリーとして「見るだけで満足する人」にも対応していきたいと考えています。(ネットは販売も兼ねています)
ギャラリーとしての収入はありませんが、大切な事は「活動を見てもらう事」であり、この領域が必要だと捉えてくれる人々の発掘を目的としています。

また現実的な問題として、保護を担う者よりも「活用を求める者が多すぎる」という事実があり、今後は保護を担う加工施設の「再生と維持」が絶対に必要となります。
全くバランスが保たれていないので、まずは各々に保護となる規制を構築する必要があると考えてます。(糸魚川ヒスイは他の資源と違いすぎる部分があり、それに伴う責任も大きい)

それを個人のレベルで高めていき、それと同時に周りの底上げに貢献する事が必要な事だと考えます。


人というのは、世界の半分が幻想(共同幻想)で成り立っていて「思いの強さ」によって自身の細胞を使いこなす事も可能です。
今流行のナチュラルキラー細胞なるものも同じで、幻想世界の「思い」が現実世界に反映され、結果として自身の生存に大きく関わってくるわけです。

これは人の幻想自体が根源ではなく、自身の能力を引き出す術を原始の時点で、人が自然から学んだ事が大きな要因となっています。
それが遺伝子として子々孫々まで繋がれている「人と自然の絆」なのです。(すでに自律神経みたいなもので、魂の琴線にふれると自動的に発動する力)

もし人が自分自身を使いこなせているのなら、自律神経で動く心臓を自身の意志で止めたり、動かしたり自由に出来るでしょうし、病気なんて存在は一切無くなるでしょう。
今現在、自身と言える存在は自我であり「魂」と呼ばれる存在となります。
その魂で発した思いを精神や肉体に、いかに影響させるのかが「自分という人間」を使いこなす唯一の方法なのだと考えます。


心に余裕がない時代には目先の魅力しか容認できず、そういった品(等価交換が可能であろう品)を求めて行きます。
それは間違いでは無いのですが、あまりにも「面白くない」です。
結局は「面白いと思えるほど心に余裕がない事」が原因であり、この大きな要因は不景気によるものです。
しかし、そんな中でも「心を豊かに保てる人達」も存在しますので、その少数の人達に向けた創作活動も必要となると考えています。
伝統を守りながら、伝統にとらわれない、それが継承するって事だと私は思います。


毎回、似たような事を書きますが、それだけヒスイにとっての「現状が進んでいない」って事でもあります。
状況が進むまで同じ事を書き続ける事が、大切な継続力に繋がるのだと考えています。



ちょっと話は違いますが、日本のお札は完成度が高すぎる気がします。
あれでは交換券としてのレベルを超えている…、ユーロ札レベル(ちょっと綺麗なチラシ)くらいに止めないと「目で価値を判断する事に慣れた日本人」には逆効果に思えます。
どうしても「使ってこそのお金だ」という領域を超えている気がするんですよね…。

だからってわざわざ印刷のレベルを下げるのもどうかと思いますが、もう日本は最高クラスの印刷技術がある事は他の国々も理解しているでしょうから、もう少し考えた方が良い気がします。(普段使い用のお札を作るとか…、そう言えば二千円札、あれは一体なんだったんだろうか?)
良く見えすぎて「使う事を躊躇う事」にも繋がっているように感じます。
その代わり硬貨は、ユーロの硬貨のように高レベルの水準にした方が良いかと思います。

これも以前に書いた気が…。
2013年02月17日
前回は珠玉の企画を書いたので、今回は完成したイザナギ(勾玉)の紹介をしていきます。

伊邪那岐「萌芽」(ほうが)


白〜灰色の地に明るい翠が全体に広がるヒスイで伊邪那岐「萌芽」を砥ぎ出しました。渓谷の雪解けに芽吹く命を映し、始まりの喜びと成長の期待を表現しています。

形はスタンダードにして、芽そのものをデザインした作品となっています。
頭の部分に濃い萌黄色が入るように加工し、そこから広がっていく淡翠が渓谷の春を感じさせてくれる作品に仕上がりました。
所々に入る石目も岩肌に走る断層として見ると、自然の創った造形美として受け取る事ができるかと考えています。
それに幾つもの工程を耐え抜いた石目なのでかなり堅牢、作り手としてもヒスイに対し感謝しています。


伊邪那岐「玄斗」(げんと)


黒〜灰色の地に緑色が流れるヒスイで伊邪那岐「玄斗」を砥ぎ出しました。龍のように全身を流れる緑色が、武人に受け継がれる猛々しい血脈を表現しています。

お尻の部分を持ち上げた形にして、勇ましい士魂をデザインした作品となっています。
流れる緑が多く入るように加工し、黒い炎を宿す鎧を纏い、その身に龍脈が猛々しく流れる武士を感じさせる作品に仕上がりました。
所々に入る白く流れる石目を熱気・闘気として見ると、まるで自分に合わせて呼応している命として受け取る事ができるかと考えています。
幾つもの工程を耐え抜いた堅牢な鎧として、人に降りかかる災難からも守ってくれると感じています。


伊邪那岐「青海」(おうみ)


全身を青〜水色に染めるヒスイで伊邪那岐「青海」を砥ぎ出しました。波を想わせる斑模様と色彩は、美しくも激しい糸魚川の海を表現しています。

頭とお尻の部分を尖らせる形にして、満ち引きする波をデザインした作品となっています。
波を感じさせる模様が入るように加工し、時には穏やかな波として、時には激しく打ち寄せる糸魚川の海を感じさせる作品に仕上がりました。
所々にうっすらと入る石目は、より波を強調している景色であり、満ち引きを繰り返し生命を育む母なる海として受け取る事ができるかと考えています。
幾つもの工程を耐え抜いた堅牢な肌は、光に照らされて輝く大海原を感じさせてくれます。
(ヒスイの青は空と見るよりも、海と見る事の方が相応しく思えます)


伊邪那岐「神蛇」(かんなぎ)



灰色の地に黒色が流れるヒスイで伊邪那岐「神蛇」を砥ぎ出しました。蛇の鎌首を連想させるその姿は、遥か古代、奴奈川姫と出会った大国主が所有した勾玉を表現しています。

頭を丸く作りお尻を持ち上げた形にして、蛇の鎌首をデザインした作品となっています。
極力、顎の部分を削り込んで加工し、敵意に対して一歩も引かず、敵対する者を威嚇し恐怖させる大蛇の意志を込めた作品に仕上がりました。
大国主が所有したとする勾玉をイメージし、奴奈川姫が所有する巫(かんなぎ)との運命的な出会いを強く表現していきます。
なので本当の意味で完成するのは、奴奈川姫の大珠である巫(かんなぎ)が仕上がった時なのかもしれません。
(もし八岐大蛇が八千矛神の一部とするならば、この勾玉を八つ備えていたとして考えても面白いです)

勾玉の加工としては難しい部類に入るデザインですが、神玉を作るよりは行程が少なくて助かります。
でもシンプルなだけにバランスは難しく、普段よりも全体を見ながらの研磨が必要となってきます。

後、糸魚川のマスコットである「ぬーな」のデザインは勾玉を持っていますが、あれは大国主に出会った後の奴奈川姫として私は見ています。
糸魚川で出土しているのはヒスイの大珠なので、元々それが奴奈川姫の所有した品の原型として計画していこうと考えます。(その方が糸魚川としてもメリットがある気が…)
あまりに「ヒスイ=勾玉」が先行しすぎて、地域文化と矛盾している気がするのは私だけなのでしょうか…。



異玉・生玉・神玉と同様に、珠玉にも専用の箱を用意しました。
蓋の裏には共通で神玉工房と入れてあります。
人によっては箱は必要ないのでしょう、しかし作り手として完成度を高める為には、どうしても必要となる付加価値として用意しています。(私が制作した珠玉だけの箱で、他の作り手の珠玉には、それぞれの納め方があります)



全く話は変わるのですが、イザナギのナギを「蛇」とするなら、イザナミのナミは何を意味するのでしょうか…?
イザは共に「誘う」を意味しているとして、イザナギは「蛇を誘う」と考えられます。
もしイザナミのナミが「波」とするならば、この二人の始神は出雲に深く関係している神として見ることができますね。(今更ですかね…)
蛇を誘い、波を誘う、他に当てはまる地域があるのだろうか…。
蛇と波だけを考えれば沖縄とかもあるのですが、出雲ほど神秘的な伝承(蛇が海を渡ってくる伝承)も残っていないし、無理がありそうです。(波だけを考えれば海岸沿いの地域すべてが当てはまる…)

まぁ、イザナまでを「誘う」とするならば、ギとミしか残らずしかも多くの意味を持ちすぎてキリがなさそうです。
さらにイザナギまで、イザナミまでを「誘う」とすれば、これ以外の意味は「込めていない」って事になりますね…。

ともあれ、まだまだ日本神話には謎が多いので、この浪漫は終わることは無いでしょう!
2013年02月07日
珠玉を新しく作るに当たって、ちょっとした物語が必要かと考えます。(作品に深みを出す為と、作家として古代の模倣ってだけでは創作性が無さすぎる…)

まずは大珠(イザナミ)の名前をアイヌ語で表現しようかと思います。
大珠は北陸の文化だと私は考えていますので、アイヌの文化が最も相応しいと感じ計画しています。

○大珠(イザナミ)
伊邪那美「冬」(マタ)  白
伊邪那美「岩」(シュマ) 黒
伊邪那美「草」(キナ)  翠・緑
伊邪那美「雨」(アプト) 青
伊邪那美「花」(ノンノ) 紫

ここには入っていない色もありますので、相応の名を付けて完成させたいです。
デザインの固定は無く、色や模様で名を分けようかと現在は考えています。(やっぱりアイヌって格好良い!)

次は勾玉(イザナギ)の名前ですが、こちらも色や模様で付けていきたいと思っています。
こちらはアイヌ語は使わず、倭を意識した作品になっていくと思います。

△勾玉(イザナギ)
伊邪那岐「白礼」(はくれい)  白
伊邪那岐「玄斗」(げんと)   黒
伊邪那岐「萌芽」(ほうが)   翠・緑
伊邪那岐「青海」(おうみ)   青
伊邪那岐「桜空」(おうぞら)  紫

こっちも他の色がありますので、相応の名を付けて完成させたいです。

また例外として、この二つの存在に共通する名前を付け、専用デザインで表現しようとも考えています。

大珠 伊邪那美「巫」 (かんなぎ)専用デザイン
勾玉 伊邪那岐「神蛇」(かんなぎ)専用デザイン

この二つのデザインモデルは奴奈川姫と大国主の「二人が所有した珠玉」を表現しよと考えています。
私の考えでは、奴奈川姫が所有したのは大珠(イザナミ)だと思っているので、大国主の訪れにより「同じ名の存在が出会った運命」を強く表現したいと考えています。

また、大国主の勾玉(イザナギ)デザインですが、出雲の定型ではなく「蛇の鎌首」を表現したデザインを考えています。(古代の遺産にもあるワラビやコゴミのようなデザインです)

糸魚川で「奴奈川姫(巫)と大国主(神蛇)が出会った伝承」をより分かりやすく、誰にでも理解できるように日本神話に合わせながら表現していけば、外国人にも伝わるのではと考えます。(ここでの大国主にはオオナムチも含めています)

伊邪那岐「萌芽」(ほうが)


伊邪那岐「玄斗」(げんと)


伊邪那岐「青海」(おうみ)


伊邪那岐「神蛇」(かんなぎ)


こんな感じで、古代の宝物を表現してみても面白いと思い計画しています。
勾玉(イザナギ)の試作は、仕上げを残しているだけで近々完成しますが、大珠(イザナミ)の試作はもう少し先になりそうです。

珠玉の作品は、大きめのサイズで作りたいと考えています。
小さいとアクセサリーの意味合いが強く、お守りの意味合いが弱くなります。
作品としての存在感も弱くなるので、ある時は腰に下げるような根付けのように、ある時は神棚に祀れるお守りのように存在感を強くして表現したいと考えています。


一応、明記しておきますが「奴奈川姫と大国主が所有していた品はこれだ!」と既成事実にしたわけではなく「私の考える物語の主人公の話」だとでも理解して下さい。

歴史の主導権を持ちたいわけではなく、自身の表現を深めたいってだけです。(古代遺産での主導権の奪い合いなんて興味がありませんので)

私はヒビや石目などを美として捉え、人気の低いヒスイでも魅力を引き出す事ができる作家を、一流のヒスイ作家と呼ぶのだと考えています。
更に欲しい物がなくなった現代人ですら求める、悠久の時を越える「不滅の宝」を誕生させる事ができれば、その存在を超一流と称するのだと思います。

その存在に私がどれだけ近づけるのか…、それを考えるとワクワクして生きている意味を見出せた気がします。


競い合う事、その事自体は「人としての成長の一部」である事は間違いないのですが、それが成長の全てではありません。
何度も書きますが「それが必要な時期がある」ってだけで、いつまでも競い合っていたら新たな命にまで恐怖して排除しかねません。
自分以降の発展を許さず、残りの人生を保身に費やし、お山の大将・裸の王様として頭を狂わせながら生きていく事になるでしょう。
そういう者は軽蔑されて、死後も名誉を回復する事は不可能でしょう。

多分、競争をいつまでも続ける人というのは、「一度も一番になった事がない人」か「義務教育の期間に十分に競い合っていない人」なのだと思います。(普通は飽きるはずなんです…)

今後も成長を望む人達に願うのなら「過去の偉人・古代遺産」を見本とし、勝ち負けではなく、どれだけ近づけたか、どれだけ近づけるのかを望んで頂きたいものです。(経済成長は身近な存在と競い合うしか選択肢は無いのかもしれません…)

常に高みを目指し、今は亡き偉大な先人を見習い、何を学ぶべきかを追い求めて生きると、人はもっと幸せになれるのかもしれませんね。
2013年01月27日
ヒスイの原石(主に漂石)の理想的な展示方・換金方を考えてみました。
簡単に言ってみれば「不動産の概念を少し取り入れる」って方法です。

まず展示場を用意し、所有者の名前を表記してヒスイを展示します。
その施設のみでの販売や購入を認可し、持ち主が変われば名前も変えていきます。

重要な事は「ヒスイ自体は持ち出せない」とする事です。
要は「展示する権利と販売する権利だけを持たせる」って事ですね。

結局、お金が回れば良いだけの人達もいるのだから「ヒスイは動かず消費せずにずっと展示してある」という状態にしておけば良いのではないだろうか?
その施設での販売手数料は施設の運転資金にでもすれば良いかと思います。

しかし例外として「自己顕示・自己満足」として購入する人もいるかもしれませんので、その場合はその人が死ぬまで完全に価値が守られる事でしょう。

これにより糸魚川から外へヒスイ鉱物が出る事も少なくなるだろうし、何よりも「守ろうとする者」と「換金目的の者」とが区別できます。(頻繁に名前が変わっていけば換金目的と見られる)
なんだか今問題となっている「名誉をとるかお金をとるか」で早期退職を悩む教職員(公務員)みたいですね…。
換金した事で地元からは軽蔑されるかもしれませんが、結果的に守られるのだからそこまで非難はされないように思えます。(要はそのお金を「何に使うのか」で決まるのだと思います)

どうしても「未加工のヒスイ鉱物を公然と換金したい人達」には、こういった方法もあるのでは無いだろうか…、と考えてみました。(その施設で同時に加工品も販売すれば人が集まるように思えます)

しかし「条件付きの所有」なのでお金の回りは良くないでしょうね…。

まぁ、本来の目的は「展示して未来に残す事」なのでサブ的な意味合いとなりますが、「換金が可能」としなければ興味を持たない者が多くいる事も事実なのです。

また、よっぽど立派な建物で展示しなければ自己顕示欲を満たす事ができず、出展者が集まる事はないでしょうね。(共有するギャラリーとしての魅せ方も大切になるので、空間デザイナーみたいな人が必要になるでしょう)

そう考えると糸魚川では、もうヒスイ王国館かフォッサマグナミージアムでしか不可能ですね。(責任の観点から行政関連施設である必要がある)
ああいった施設をもっと使いこなせないものだろうかと本気で思ってします…。

特にフォッサマグナミージアムで私的に疑問なのは、新鉱物を探すのに必死になっている事です。
新鉱物とは人間社会では知られておらず名前が無いってだけで、発見以前からもずっと在り続けた鉱物です。
名前を付けて支配したい気持ちも分かりますが、自然界が創り出した存在なので完全な支配は不可能です。
それに純粋な研究心からの発見ならば、研究者らしい名前を付けた方が良いように思えます。(新鉱物は独立した機関か、独立した学者が調べれば良い事だし)

とにかく、この二つの施設が再生しない限り、糸魚川での翡翠文化の再生は大きく進む事はないでしょう。

ハッキリ言って「保護するべきもの・活用すべきもの」の優先順位は決まっていて、まず地層とかは保護するまでもなく誰も壊しませんよ。
理由は「興味がある人が少ないから」でお金に直結しないので壊れようがないんです。
壊されるとしたら「多数が興味あるもの」で、お金に直結する存在です。

それに世界が求めているのはインディアンジュエリーに繋がったような独特の文化であり、歴史的にそれらは保護しないと「換金」によって壊される事が歴史的にも証明されています。

残念な事に糸魚川(日本)では、翡翠文化は途切れた時代(表向き)がありますが、虫川での瑪瑙工場から繋がる「意志を刻む魂」は糸魚川に今も健在です。
そこからの繋がりを大切にして独特の文化を開花させていけば良いだけです。
糸魚川では「ヒスイと呼ばれる存在に意志を刻む事を異常なほど大切にする」という習慣を根付かせて行けば良いだけの話です。(他鉱物での加工も含め)

自然によって海からヒスイ(宝石)が打ち上げられると言う神秘的な自然現象があるのだから、自然と融合した人としての神秘性も大切にしていく必要があるのです。(これを書くのは二回目だったような…)

問題は作り手を育成するに当たって「誰が協力してくれるのか?」です。
まず地元企業の協力は得られない事は六年前から断言されています。
では行政が作り手の育成を支援してくれるのでしょうか…?

市が駄目なら県で、県が駄目なら国で、国が駄目なら世界で、世界が駄目なら人種を越えた「魂の共有者達」で守る以外に道は残されていません。(最終的には自身で守るしかないんですけどね)

もっと深刻な問題は地元の若者で「ヒスイ及び加工に興味のある人がいない」って現実なんでしょうけどね…。


と、こんな感じで1月は理想を書いてみましたが、どう考えても「理想を現実に近づける為のシステム」が必要となりますね…。(現実的に市場が澄みすぎても上手くはいかないし)
結局は、かなりの財力と権力がある独裁者でなくては、短時間で大きな組織や仕組を動かす事は不可能なんですよね。

まずは考えを整理して「自分ができることをして行こう」と再認識できました。

どんな状況になっても「作品を創り続ける事」これが私のするべき事なのだと思っています。
そういう人間が活動して行けば、かなり小規模ながらも「古代からの絆」は繋がっていくと信じています。


※只今、大きめの勾玉(イザナギ)を制作中です。


勾玉を久しぶりに加工していると「欲しい勾玉が見つからなかったから自分で作った」という初心に戻った気分になります。
今後は珠玉ロゴも新しくして、違ったデザインの勾玉(イザナギ)を制作しています。
同時にいろんな大珠(イザナミ)も作ってこうと思います。

自分が欲しい品を作っていけば、最終的な作品の居場所は保証されています。
常に誰かに肯定され未来に繋がっていく、そんなカタチを求めて活動して行こうと思います。(所有者が亡くなっても「かつて肯定されていた作品」として残ってほしい)

今後もヒビや石目を美と捉え、作品として媚びない品を作っていきます。
2013年01月17日
※この話は世界に呪い(のろい)呪い(まじない)が在るのだとしたらの話です。

現在の「限られた領域で喰い合うデフレ社会」は、古の呪いである「蠱毒」と同じ状況を成しています。
なので、その領域で作られた商品には僅かながら呪いを帯びていても不思議ではありません。
物が売れない理由は需要がなくなった事もありますが、人が本能的に感じ取っているのではないでしょうか…。

そんな状態の社会が良くなる訳がありませんし、今後もデフレが続くのなら、より呪いの力は増して行くでしょう。
もしかしたら「世界に呪詛を刻む事」を目的としている者が、世界にいるのかもしれません。
今の状況を利益とし、継続する事を望む側は必ず存在していますので。

この状況を打破するにはどうすれば良いのでしょうか…?

私が思いつく事は「毒を以て毒を制す」という考え方です。
要するに「呪い(のろい)には呪い(まじない)を以て対処する」って事です。

しかし、現実的に呪い(まじない)に相当する行動とは何なのだろうか…?
インフレに向かう全ての事になるのだと思うのですが、具体的には良く分かりませんね。

景気が気分の影響を強く受ける事から「楽しくなるような事」には間違いはないでしょうが…、昔ならば「お祭り」という行事で担えたのでしょうけど、現在は毎日がお祭りみたいな日常でもあるので効果は薄いでしょう。

何であれ「信仰心を煽る事」が大昔からの対策で、お金を信仰している現代人にはやはり「お金そのもの」をばらまくのが一番効果があるのでしょう。
しかし、お金が「人間社会における便利な交換券」と認識していないと、くだらない事に使わされる恐れがあります。
重要な事は「物と換える」って事で、根本が物々交換から始まっている事を忘れず、仮想空間のデータだけの存在に使うお金は最小限で良いです。

呪い(まじない)の領域も行きすぎれば問題が生じるので、バランスをとる事が重要な課題となるでしょう。
結局はどちらも毒、そう考えると「人間社会は毒で満ちている」って事になるのでしょうか…。(二つの毒の耐性を持てば関係ないでしょうけどね)

幻想社会がどんどん進んでいく中、人はそれに対応しきれるのだろうか?
人類が何をしたいのか、何をすべきかさえも分からなくなっている気がします。

一度、原点に戻って考えた方が良いのではと思う事があります。

今の人は「人を使う者・人に使われる者・自身を使う者」の三タイプが存在しています。
この三つは個体に少なからず同時に存在し、どの領域をメインとするかで生き方に違いが出ます。

これは自分で決めていく事が可能で、段階ごとに移り変わる事も可能です。
結局は「自分の選択次第」であり、その領域を選択したのなら相応の生き方をするのは当然となるでしょう。(別の領域に行くのなら相応の行動が必要となります)

現状の自分がどのタイプかを見定め、それを全うするも良し、段階を進めるのも良し、個人の自由ですが、何もせずに僻むのだけはやめて下さい。

とにかく邪魔、全く邪魔でしかない。(後が閊てるから、引退するなり独立するなりして道をあけて頂きたい)
こんな思いを女性は「何世紀も抱えていたんだな」と思うと同情してしまう。
しかし、その溜め込んでいた不満が力となり、女性が現在を大きく変えていくのは間違いないでしょう。
そして、その伸び代を使って、現在を担ってもらうしかないですね…。
でも「伸び代の限界」は在りますので、人はその先の事を考えておく必要があるります。

国民が増え難くなりますが、人類自体は増えているので地球的には問題ないか…。
この先、更に人類が増えて行くのなら身体のサイズを半分にする方法を考えた方が良いような気がします。
どうしたって「群れて生きる弱者」と言う割には身体がデカ過ぎますね。(ホビットくらいで丁度良い)


商売では「作る側・売る側・買う側」の三つがありますが、それとは別に「餓鬼」という領域があります。
要するに必要も無いのに「作りまくる・売りまくる・買いまくる」がそれで、一切満たされる事のない器の壊れた存在です。

餓鬼が存在しているのだから、もうこの世は地獄と同じって事ですね…。
呪いどころの話じゃないのかもしれません。

とにかく、人を子飼いにし使役する事しか頭にない連中に言いたい!「王族にでもなったつもりですか?」と…。
所詮は根っからの貧乏人、餓えに苛まれている人達です。
そんな人達に「鷹は餓えても穂を摘まず」って言葉を教えてあげたいものです。

時に人は「右」や「左」として例えられる事がありますが、右であろうが左であろうが人をひっぱく事は可能なんですよ。
重要な事は「よっぽどの事がない限りその選択はしない」とする意志が大切であり、それが人としての最大の証であるのだと私は考えています。


少し話は違うのですが、糸魚川のヒスイ関係者はジオパークに認定された重大さを理解しているのだろうか…?(ある意味、開国と同じなんですよ?)
どうも現場の人達(末端ですが)に危機感が無く、情報統制されている感がある。(ここは小さな中国みたいだ)
知ろうとしていない、思考が止まった人達だからかもしれませんが…。

これは「その人達にとってかつて無い危機」なんです、日本からも監視され、世界からも監視されるのですから。
今までのように癒着してどうにかなるシステムじゃ無くなるのです。
言い張って正当化される問題でもなく、今までやってきた事実が表にでるわけです。
もし「騙しが糸魚川の伝統文化だ」と断言したのら不当とは言えませんが、そんな低レベルの伝統文化なら守る必要もありません。

今後に起こる事は、そういった者達が一カ所のショップに大勢集まりだすでしょう。
持っている在庫をどうにか処分するため、真と嘘を混ぜながら販売していく為に。(その者が表に出る事はない)
人を騙すのに、真実と偽りを混ぜ合わせる事は騙しの常識でしょうし…。

今回、認定の更新があるようですが、取り消される事はまずないと思われます。
こういったシステムは、切り捨てるのでは無く「改善させていく」のが定石です。
条件付きの認定となり、次回までの改善を要求されるわけです。(簡単に言えば執行猶予みたいな感じです)

若い世代の罪でもないのにその罰を負わせられる…、全くこの世は闇に満ちていますね。
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