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2014年06月14日
色とりどりのカケラで、ストラップを制作したので紹介します。

青ヒスイのカケラ「青海」での作品です。
全体が青色に染まっていて、青い海を想わせてくれるヒスイのカケラです。
青色としては珍しく透明度が高い方で、海中から空を見上げた景色のように輝きます。
紺色では無く、純粋に青色と言えるタイプの青ヒスイで制作しました。





緑翠ヒスイのカケラ「万葉」での作品です。
白地に翠と緑が入り交じっていて、初夏の木々を想わせてくれるヒスイのカケラです。
透明度も高く、光に透かすと生命色で染まった輝きが、全体を包み込みます。
糸魚川ヒスイのイメージを代表するヒスイで、悠久の時を感じさせてくれます。







紫ヒスイのカケラ「開花」での作品です。
こちらは特に紫色が濃く、透明度も高い貴重な紫ヒスイのカケラで制作しました。
このハイレベルの発色は、満開に咲き誇った紫陽花を想わせてくれます。
一色タイプで、更に透明度が高い紫ヒスイは珍しく、その姿に気品を感じます。





同じ母石での作品ですが、紫色の薄い部分で制作しています。
色が淡くなった分、透明度が増し、開花し始めの風景を映しているかのようです。
少し桃色がかった紫色をしていて、これから花開く期待感を感じさせてくれます。





こちは別のタイプの、紫ヒスイのカケラで制作しました。
白地が美しいのが特徴で、それにより紫色がとても映えます。
透明度は高くありませんが、白と紫とで表現された模様が面白い紫ヒスイです。
灰色に見える紫ヒスイが多い中、この白はとても魅力的です。





こちらも別のタイプの、紫ヒスイのカケラで制作しました。
このタイプは緑色が一緒に入る事が多く、紫と緑の両方を楽しめます。
透明度は高くありませんが、表面では若干の光の透過を見せます。
白の部分は色が混ざり合い、濁って見えてしまう事もありますが、その中でも綺麗な紫ヒスイで制作してあります。




どの紫ヒスイのカケラも、開花を想わせてくれる作品に仕上がりました!


家の近くの紫陽花は、これからが本番のようです。
この姿も美しく、花(植物)は未来への希望を与えてくれる存在なのだと感じます。



きっと古代人も、同じ喜びを感じていたんだろうなぁ〜、と思っています。(日本原産らしく、古代にも紫陽花の種類はあったようです)
2014年06月12日
美しい紫ヒスイで作品を制作しましたので紹介します。

濃い紫色に染まったヒスイで、勾玉の首飾りを制作しました。(古代っぽく)
この季節に合わせて紫陽花の葉に乗せて撮影してみました。
浜辺に咲くヒルガオにも見えて、憂鬱な梅雨の時期でも心を楽しませてくれます。
頭部には緑色も入っていて、咲き誇る「花」を感じさせてくれます。




樹齢1000年を超える屋久杉の丸玉ウッドビーズ3個を合わせて、普段使いに適しているスエードで首飾りにしています。(四角いウッドビーズ2個は通常のウッドビーズです)

加工したのは小滝(昔)の紫ヒスイで、今では濃い紫のヒスイは数が少なく入手が困難です。
昔は沢山あったのかな〜、と考えると羨ましいですね…。
でもきっと「今よりは多少あった」というレベルで、大量にはなかったのでしょうね…。
何せ「奴奈川の底なる玉」なんですから!


糸魚川ヒスイの紫色は、光源によって濃く見えたり明るく見えたりします。
どうも強い光(白色の光)により影が薄れると明るい紫色に見えて、逆に弱い光により影が強まると濃い紫色に見えるようです。(小滝系の紫ヒスイは特に違いが分かりやすいです)
透明度は低いですが、それでも表面のヒスイ輝石が僅かに光を透す事で、紫色が変化するのだと思います。
この事で、少し濁っている白地も光を受けて、そのちょっとの濁りが見えなくなったりします。(ちょっと「強い光でシワを飛ばず女性の撮影法」に似ているようにも思えます(笑))
白地に淡い紫色が混ざって濁る事も多いので、灰色なのか紫色なのかの判別が難しい場合もあります。

ちなみに紫ヒスイは黄色の光源の下だと、より濁って見えます。(ちょっとでも濁って見えます)
よって朝焼けや夕焼けの光で見た場合には、紫ヒスイは鮮やかさを失います。
そして、夜の白色光源で見ると鮮やかさが増します。(っていうかそれが本来の色)
自然光は季節ごとに色合いが違っていますので、本来の紫ヒスイの発色を見たい場合は夜に限るかと思います。
そう考えると紫ヒスイは、色彩で例えると「ヒルガオ」ですが、咲き誇る美しい姿は「ヨルガオ」と例えられるかもしれませんね。(この時期は、暗い梅雨に咲く紫陽花に例えていますけど(笑))

色彩により朝も夜も楽しめるなんて、流石は神の石ですね!
2014年06月07日
丸玉やカケラで、幾つか作品を制作しましたので紹介します。

開花をテーマにした紫ヒスイの丸玉に、シルバーパーツを合わせてペンダントを制作しました。
全体的にシンプルなデザインですが、シルバーパーツには細かな柄があり、それが丸玉を引き立てています。
これから咲く蕾のような紫色は、淡くはあっても弱くはありません。
光源によって濃く見えたり、薄く見えたりするので、日中と夜とでは違った表情を見せてくれます。(生きているかのようです)






彩雲のカケラで、ストラップ兼キーホルダーを制作しました。
雲の流れのような紋様が美しく、透明度も高く全体的にうっすらと翠に染まっています。
良質なので光沢も十分に出て、涼しげな印象を与える作品に仕上がりました。
メタルパーツ・シルバーパーツ・ウッドビーズ・革紐を使い、全体的にワイルドな感じを意識して制作しました。






芽吹のカケラで、ストラップ兼キーホルダーを制作しました。
純白と言っても良いほどの白地により、フワッと浮かぶ翠をより際立たせています。
雪解けの芽吹きを、そのまま映したような作品に仕上がったかと思います。
こちらもメタルパーツ・シルバーパーツ・ウッドビーズ・革紐を使い、全体的にワイルドな感じを意識して制作しました。






こちらは加工用に切断したところ、座りが良くなったので飾り石としました。(文鎮サイズ)
渓谷のような肌と形、鉄分によるサビが「夕日で染まる岩肌」を感じさせてくれます。
特徴であるゴツゴツした肌が魅力的で、所々に入る緑が自然風景を強調しています。
丁度あった台座にもピッタリと合い、なにか運命的なものを感じました(笑)



こっちは残り半分で、明星山に見えたので飾り石にしました。
こちら側は青海から見た明星山、そんな感じに私には見えています(笑)
粗めの角閃石が良い感じを出していて、岩肌に生える木々を想わせます。


こちら側は小滝から見た明星山、ロッククライミングしている岩肌にそっくりです(笑)
とても魅力的な姿、台座にも合って良い感じです!
海の転石とは違った魅力、力強い肌が「自然そのものの美」を感じさせてくれます。
加工するのは、いつでも可能なので、今はこの姿を楽しみたいと思います。




開花・青海・万葉・芽吹、色とりどりのカケラを、ストラップに加工しました!
発色の良いカケラを研磨し、メタルパーツ・シルバーパーツ・ウッドビーズ・革紐を使って仕上げました。
海でヒスイと出会えなくても、ガッカリせずに糸魚川へ遊びに来た記念と、お守りとしてお買い上げ下さい。(このレベルは、まず出会えないヒスイたちです)



これから海水浴の季節になります、糸魚川の海は綺麗なので是非遊びに来て下さい!
もし天運があれば(凄く運が良ければ)、ヒスイと出会えるかもしれません。(浪漫があります!)
2014年06月04日
海で出会う標石(良質の海岸転石)と、人が制作する作品とでは見方の基準が異なります。
簡単な違いは、標石は「自然のみの仕上げ」であり、作品は「人が仕上げた存在」と言う事です。
ここに「私の基準での話」を書きたいと思います。

■標石の基準
標石とは、渓谷で自然により砕かれたヒルコ神(ヒスイ)が川へ流され海へ出て、日本海の波により未完成から完成体となった存在だと言えます。
なので人が手を入れる事は一切必用なく、誰が見ても美しい姿をしている標石は大切にされます。(そのままの美、そのものの美)
この領域では加工技術の有無は関係なく、出会いによる「運のみ」が必用となります。
出会えるかは、その者の天運にあって、一見スタートラインは同じに思えますが「偶然のようで必然」といった「ヒスイとの縁」を持った者にしか出会えません。
ただ、ヒスイとの縁を持っている者であってもモラルの無い者は存在していて、せっかくの天運を曇らせている「残念な人達」がいます…。

■作品の基準
作品とは自然により川へ流れ出たヒルコ神(ヒスイ)と人が出会い、人の手で完成体とした存在です。
そこに己の信仰心を映し、自然への感謝を込め、表現したい祈りを宿した存在を言います。
この領域では加工技術と表現力(感性)が必用とされ、一般的には理解されない作品も多々存在します。
生まれ持った才能による領域である為、個々人の能力差は顕著に出ますが、己自身のみの作品は誰にでも創る事は可能です。
ここでは作品領域と商品領域が在り、商品領域へ行けば魅力は分かりやすくなりますが、傾き過ぎると信仰は腐敗し、せっかくのヒスイとの縁も「唯の腐れ縁」となってしまいます。
その傾向は主に作る事をせず、売るだけの人達に多く見られるようで、生き永らえる為の「滑り止め」と言ったものに成り下がります…。


後は標石とは言えない転石や、加工する必用のない(或いは最小限の)川石も存在します。(最初の基準とは逆になります)

自然のみで仕上げられてはいても、誰もが美しいと認められない転石は加工する場合があります。
自然によって完成体と成らなかった転石を、人の手で完成体とすると思えば良いのかもしれません。(自然によって完成体と成らないのは人間だけなんですけどね(笑))

川石でも飾り石として美しいものは存在していて、ちょっと切断したら座りが良くなり自然風景(山岳などの)に見える川石も希にあります。
加工を躊躇させる程の存在感、そういったヒスイに出会える事も楽しみの一つだと思います。

結局は人の目で見る基準を大元としているので、より人にとって美しい姿を求めるわけです。
でも、この領域にも確かに存在する感性、魅力を見出すだけの審美眼は必用とされます。

確実に言える違いは、自然のみで完成体と成った存在は「人が制作した作品よりも出会う確率が低く、運のみが頼り」って事で、人の手で完成体と成った存在は「外見の美しさだけでなく、作者・誕生理由・存在理由が不可欠」って事です。
なので金額の基準も違い、この両方を比較する事は不可能だと言えます。

例えば標石で作品を作ったとしても、標石の価値+作品の価値にはなりません。
この場合は、標石の価値はゼロになり、ヒスイ素材としての価値+作品の価値となるわけです。
もちろん「標石で制作した事」の付加価値は残りますので、より作品力は増す事にはなるでしょう。
しかし「自然が完成体にした標石を崩した」と言う現実も残り、作者の信仰を曇らせる原因にもなります。

恐らく標石で加工をする心境とは「初心からの好奇心で手を出してしまう」って事と、「金銭的(拾えば仕入が無料を含む)な理由から加工する」の二つなのだと私は考えています。
過剰に手を加えるのは「地球より人が優れている」って考えが根底にあるからではないだろうか…?
現時点の標石よりも美しく仕上げる自信がある、そんな考えが元になっている気がします。(純粋な初心により、更に美を引き出したいと挑戦する姿勢も理解はできる)
他者に伝えるには分かりやすい基準が必用不可欠ですが、それが過剰になると原点を忘れてしまいます。(なかなか難しいですね…)

地球が完成体にした存在を、そのまま受け入れる事ができなければ、人が過剰に手を加えて増長し、長じて自然を破壊する側となってしまうように思えます。(私も気を付けなくては…)
とにかく過剰な自己顕示欲、これを制限できなければ自然とは共生できないのかもしれませんね…。(自己表現と紙一重なんだろうし…)

ちなみに私が体験した縄文遺跡の発掘でも、標石は一切加工されることなく、そのまま出土していました。(現在の基準では無いので、私が標石としている中のレア度4〜5以上は未加工のまま出てきました)
縄文人は分けていたのではないだろうか?、「自然によるお守り」と「人によるお守り」を…。
その後の時代で権威を示す為に、標石を利用して勾玉などが作られたようにも思えます。(まぁ実際には、そうであった人と、そうでなかった人がいたのでしょうけどね)

結局、どの段階を「地球による完成体」とするかで、話は変わってきますので難しいのは当然なんですよね(笑)
私にとっての標石が、他者にとっては転石にしか見えなかったら、そのヒスイは手を加えられる事でしょう。
未完成として分けている時点で、自然を下に見ている事に繋がるのだろうか?、でもそれでは何も表現できなくなりますね…。(ヒスイに意志を刻む事ができなくなる=地球とのコラボができなくなる…)
人間は矛盾した生き物なので、そのバランスをとるのは非常に困難です。
恐らくこれから先も、この基準が明確になり全国共通と成る事はないでしょう。

それでも私自身の基準は、可能な限り構築して行きたいと思っています。

とにかく「生まれ(誕生)は地球によるもの」なので悪くは無く、「育ち(品となる制作過程)の善し悪しが、とても重要になる」って事を、忘れなければ道から外れる事もないと思っています。
そして育ちは「教育(再生)により矯正が可能」という事も、憶えておく必用があります。
2014年06月01日
開花シリーズのブレスレットを制作したので、紹介します。

紫ヒスイと水晶のビーズを合わせてブレスを作りました。
紫ヒスイだけを使用すると高額となり、ちょっと重々しい感じにもなりますので、スッキリとした無色透明の水晶ビーズと組んで開花を表現しています。
梅雨時期に咲く紫陽花のように、優しい色合いが魅力的だと思います。(水晶は水滴をイメージ)


物産センターで出品準備をしていたところ、偶然に出会った方が購入して下さりました。
縁としか言いようのない偶然、もはや必然だったとしか言いようのない出会いでした。
ブレスを求めて来られた方が、丁度私と私の作品に出会い、喜んで身に付けてくれる、全てが最高の出来事でとても嬉しかったです。
糸魚川は、男女問わず出会いの場なのかもしれませんね。(恋愛だけではなく、純粋な縁結びに加護が在るのだと感じました)


こちらは紫ヒスイを4つ使用し、水晶・ラブラドライトのビーズと組合せました。
紫ヒスイが少ない場合、水晶のビーズだけですとサッパリしすぎてしまいます。
そこに紫ヒスイよりもシックで、時々虹色に煌めくラブラドライトを入れると印象が引き締まります。
これも梅雨の紫陽花をイメージしているので色合いもピッタリ、幼稚な印象は受けないかと思います。(ラブラドライトは時々でる虹をイメージ)
紫ヒスイよりも目立つ明るい色は使わず、あくまでも紫ヒスイをメインとして制作してあります。


このブレスはビーズを均等に配置しているので、サイズ直しが出来ません。
なので、丁度サイズが合った人に身に付けてほしいと思います。


同じく紫ヒスイを4つ使用し、樹齢1000年を超える屋久杉のウッドビーズと組合せました。
以前から国産のウッドビーズを探していたところ、協力者から屋久杉のウッドビーズを教えて頂きました。(有り難うございます!)
糸魚川ヒスイと、とても相性が良く、作りも丁寧で良い香りがします。
石とは違うので耐久性は劣りますが、使い続ける事でより味わい深い色合いになっていくそうです。
たくさん使いすぎると数珠っぽくなりますので、「葉の間から少し見える枝」くらいのバランスで使うと良い雰囲気がでると思っています。


こちらもビーズを均等に配置しているので、サイズ直しが出来ません。
よって、サイズが合う人に身に付けてほしいと思います。


最近はとても暑く、梅雨を飛ばして夏真っ盛りな感じですね(笑)
でも、そんな中でも美しく咲き誇る花達。


この美しい姿を紫ヒスイに込めて、開花を表現して行きたいと思います。(表現したいのは見た目の美しさだけではなく、その気品を宿したいと考えています)
2014年05月27日
現代では「女性の活躍の場」が必要不可欠になっています。
これから少しずつですが、この領域は開拓されて行く事でしょう。
そこで、絶対に気を付けなくてはならない事を書きたいと思います。

まず、女性は明らかに男性よりも存在的に上位です。
ですが、上に立つタイミングを間違えると失敗します。

ここでイザナギとイザナミの神話に含まれている、予言とも思える事を書きたいと思います。(アダムとリリスの話しでも良いのですが、より日本の夫婦神の方が分かりやすいかと)

神語にあるように、イザナミが上でイザナギが下となると、ヒルコ(不完全体)が生まれてしまいます。
要は女性の成長が十分でない状態で上に立つと、不完全な存在が出来てしまうと言う事です。
なのでまずは、男に「露払い&地雷原突破」をさせて、その結果を解析・分析してデータを取った上で、ほぼ完全な社会を構築する事が、女性には求められてるわけです。(これは、かなり重要な使命です)

その後に上に立てば、完全体である存在、生まれながらにして人である「真人」が誕生するのではないでしょうか。(理想的な未来の子供たち)

何故、生まれながらに制限を受けている女性に、こんな重大な役割を担わせるのかは不思議です。
存在的には上位なのに身体能力に制限を受けている…、この矛盾、一体どういう事なのだろうか…?
何であれ、現代の不完全な状態は「女性が未熟であるから」とも言えるので、男から理不尽に責められる時代がありそうですね…。(全ての女性が未熟なわけでは無いけど)

現在では未だ、多くの女性の成長は不十分なままではありますが、焦らず成長を続けて下さい。(場の整備が成ってないし)
後、今の日本より発展していない国が、女性を上に立たせても失敗します。
当然ですが未熟な女性を上に立たせてしまうと、いろいろ不祥事が起こります。(男も同じですけどね)
確実に言えるのは「唯の不祥事では無い」って事で、神話と同じく必ず不運が付きまといます。


しっかし、数多の神話に書かれている事なんだから、普通に学べば解るのに…。
物語の成り立ちを理解していないのだろうか…、「実際に在った事を元に創られている」って事を忘れないでほしいですね。(湧いて出てきたのでは無いです)

不完全体であるヒルコが、成長して完全体に成っていく物語が在るのは「人の間である人間」でも、成長により「人」に成れるって事を伝えているのだと思います。
思うに卑弥呼の時代からの遺伝子(或いは卑弥呼の遺伝子)が成長すれば、きっと人として成り立つ事が可能なのだと考えます。(多分)
これは、イザナギが上である時代に生まれた我々でも、同じ事なのでしょう。

とにかく、男が作ったとは思えない現代の姑息なシステムを、再構築して頂きたいです。(弱者である事は罪ではありませんが、バカは罪だと認識すべきです)
2014年05月24日
久しぶりに海へ行って来ました。

前日は天候が荒れていたので、ちょっと期待しながら海へ向かいました。
良い出会いがあったら良いなぁ〜、と思いながら久しぶりの海を楽しもうと思っていました。

そうした最中、海へ下りて1分もたたずに、綺麗な白ヒスイと出会いました!
いきなり、しかもけっこう大きい白ヒスイです。
ほのかに翠が入っていて、私が「芽吹」と呼んでいる系統のヒスイでした。
レア度はレベル4を付けても良いかと思っています。(白の美しさが群を抜いている)
小滝系の川の(昔の)ヒスイで、海では珍しいタイプです。
もっと翠が入っていたらレベル4.5〜5は付けられたかと思います。(惜しい!)





普通に波打ち際にあり、最初は白い陶器かと思ったほど目立っていました。
拾った瞬間は「雪が解けずに漂着したのか?」と思うくらい綺麗でした。
これだけ目立っているのに、誰も気が付かなかったのだろうか?、と疑問に思いました。
私は午後から海へ向かいましたが、午前中に打ち上がっていたとしたら拾われていたのでしょう。
これはタイミングで、丁度その時に打ち上がって私が出会ったのでしょう。(多分)

石との出会いは運命と言います、きっとこの白ヒスイは私を待っていたのだと思います。(希望的観測)
久しぶりの出会いだったので、とても興奮しました。
最初に出会ってしまったので、後の散策は集中できず、ただの波を見ながらの散歩になっていました(笑)
それでも幾つかのヒスイと出会い、満足のいく日を送れました!



糸魚川へ移り住んだ事で行きたい時に行けるのですが、いろいろと忙しく以前より海を訪れる回数が少なくなっています。
忙しい事は良い事ですが、標石(標本になる転石)との出会いも大切にしなければと改めて感じました。
これから季節も良くなってきますので、可能な限り海へ行きたいと思います。


そう言えば帰り際に、外国の(カルフォルニアの)女性と出会いました。(糸魚川へ旅行に来そうです)
ヒスイを探しに海へ来たそうで、浜辺を一生懸命、手で掘っていました。
近くを通りかかると、話しかけられ一瞬「ドキッ」としました。
何故ならば英語が話せないから…(笑)、日本人にありがちの理由で身構える自分が可笑しかったです。
でもその女性は日本語が堪能で、普通に会話ができました。
スゲーな外国人、言語能力では完全に負けているなと思いながらも、ヒスイの判別をお願いされたので集めた転石を見てみました。
すると二つヒスイがありました、それを伝えると、その女性は全身で喜びを表現していました。
あの喜びようは芸術的で、日本人では見られない表現力だと感じました。

言葉よりも遙かに伝わる感情、今の日本人に足りないのは「それ」のようにも思えました。
何故か関係のない私まで嬉しくなるような表現力、その影響力(伝達力)は凄まじいです。
アメリカは日本に(って言うか地球に)原子爆弾を打ち込んだ意味不明な国ですが、個々人を見ると普通な人達(むしろ感性の強い人達)がいるんですよね。
そういう人達となら、きっと解り合えるのだろうと思いました。(少数ですけどね…)

人類は、いつまでも錯覚を信じていないで、現実を見て生きていけたら良いのに。
でも人間主動の現実と自然の現実の、どちらを柱とするかで話は噛み合わなくなるんですよね…。
まぁ、地球あっての人間なんだから力関係はハッキリしていますけど。(宇宙と比較しても良いけどね)
2014年05月20日
コラボ作品の紹介をします。

前回にも協力してもらった方とのコラボ作品です。

まずは開花のブレスレット。
通常はゴムに通してのブレスですが、今回は編み込んでもらいました。
木々の枝やツタに色づく蕾をイメージしての、作品に挑戦しました。
紫ヒスイの優しい色合いが、より開花する蕾を感じさせてくれます。
取り外しの手軽さはありませんが、デザイン的には良いかと考えています。
サイズも調整可能なので、それぞれの手首に合うブレスに仕上がっているかと思います。
一度は表現したいカタチだったので、ご協力を感謝いたします!






次は小瓶のストラップです。
こちらも編み込んでもらい、お洒落な感じに仕上げてもらいました。
小瓶は取り外しが可能で、小瓶の変わりに海岸転石を入れる事も可能です。
今回は、私が出会った小さな転石を小瓶に入れています。
海岸が砂浜になっている状態でも小さなヒスイ転石は拾えますので、それを保管するのにも丁度良いかと思っています。
小瓶は小さめのサイズ(33*18*18mm)なので、カバンなどに付けても邪魔になりません。






最後は転石の首飾りの紹介です。
こちらも取り外しが可能な転石用の首飾りです。
緻密に編み込んであって、留め金にシルバーパーツも使っています。
男性のイメージで作ったとの事ですが、女性でも似合う作品に仕上がっていると思います。
自身の出会った転石(標石)を、取り替えながら身に付けれたら…、との思いから制作されています。
同じ思いの人がいたならば、喜んでもらえるかと思います。






今後も協力しながら、いろいろとコラボして行けたらと思います。(次はスエードでの編み込みをお願いしようかと思っていますが、編みが大変そうです…)

思いつきでの発案もあるので、無理を言うかと思いますが勘弁して下さいね(笑)
2014年05月17日
伊邪那岐「萌芽」の弐作目が仕上がったので、紹介します。

この作品は3月から制作を始め、ようやく仕上がりました。
何にそんなに時間が必用なのか?、が知りたければ作品(お守り)を作れるようになれば解ります。
強いて加工の工程で言うのならば、磨きにとても時間をかけました。

渓谷の残雪の中、新たな生命の誕生を想わせる明るい翠が印象的な作品です。
霜降りのように見える白地は美しく「冷たさ」と「暖かさ」を同時に与えてくれます。
頭には濃い緑が入るよう加工し、深緑への成長を表現してみました。
その頭部には不純物による小さな凸凹がありますが、それが雪解けにも見える事から、結果的にテーマに合った作品に仕上がったと満足しています。





このヒスイは美しい白地とは裏腹に、非常にデリケートで、雪そのものを磨いている印象でした(笑)
と、言っても柔らかいわけでは無く、キメの細かい部分と粗い部分が入り交じっている感じです。

私が「芽吹」と呼んでいるヒスイになるのですが、明るい翠や光で膨張する白地が特徴です。
それと磨きが出し難い事も…、艶消しで仕上げるとヒスイ輝石がキラキラと輝き、さらに翠が膨張するのでとても美しく仕上がります。
ですが、あえて磨いて艶を出し、気品を持たせる事を目指して加工しました。




加工人として、このタイプのヒスイの艶の出し方も研究する必要があります。
実際、ピカピカに仕上げる方法は在るのですが、それとは別に「風合いを残しながらも艶やか質感」を目指して取り組みました。
何故そこを目指すのか?、ですが「大量生産ではなく、システム化されていない技法が必用だから」と言う事が大きいです。
それぞれに合った技法が大切で、ヒスイ一つ一つが同じでは無く、それらを感じながら制作しなくては作品は生まれません。
そこを大切にしなくては「作品」と「商品」の違いも出せず、道具に成り下がります。

道具との大きな違いは、どれだけ大切に使っても道具は消費しますが、道具で無いもの(お守り)は信仰がある限り不滅です。(ヒスイ自体も不滅、5億年前から存在していますから)
そして全ての人間から信仰が失われる事は未来永劫あり得ず、よって不滅の存在として人と共に在り続けるわけです。(大量生産ではヒスイであっても、誕生理由・存在理由から不滅なだけの「ただの飾りとしての道具」となります)


こういった事が理解できれば、ヒスイの作品を高額に思う以前に、食費(生活必需品)というものがどれだけ高額かが解るのではないでしょうか?
一生の(っていう死んだ後も在り続ける)品と、数ヶ月・数年で消費する食費を計算した場合、割に合わないのはどちらなのでしょうか?(腹が膨れはしませんが、魂は満たされ続ける)

まぁ、目先の事にとらわれていたのでは、理解しようもないでしょうけどね(笑)
2014年05月15日
急激に気候が変動し、庭の妖精たち(花々)も大忙しです。

テッセンは見頃で、たくさんの花を咲かせています。
漢字で書くと「鉄線」、文字通り茎がとても丈夫、白色より紫色の花の方が生命力が強いようです。
ヒスイと同じで白は上品だけど、弱い体質があるみたいですね。(ヒスイの場合の弱さは見た目だけ)



こちらのツリガネソウ(釣鐘草)は、そろそろ終わりを向かえそうです。
小さく可愛らしい花が幾つも咲いて、個人的に好きな花です。
華奢でしなやかな姿は、いつ見ても愛らしく感じます。



うっすらと桃色に色づくマーガレット(菊科)です。
風に揺れながら咲いていて、この季節を喜んでいるようにも見えます。
もっとたくさん咲いていますが、その中でも特に綺麗な花を撮影しました。
茎が長く凛とした姿が、とても印象的な花です。



こちらは白色のサクラソウ(桜草)です。
同じ白色でも、白色の鉄線のように弱くはないようです。
この花は集団で咲いてこそ美しく、純白の絨毯のように咲かせても綺麗だと思います。



これから、まだまだ開花する花々があります。
この姿をイメージして、開花シリーズの作品制作に取り組んでいる最中です。
花のように強い色はありませんが、紫ヒスイを使い開花を表現したいと思っています。(ちなみに花の世話は母が主にやり、私はその手伝いをするくらいです(笑))

こちらは、紫ヒスイで制作した丸玉です。
丸玉の制作は単純作業ですが、けっこうな労力を必用とします。(工具による手作業での場合)
工具の消耗も早く、丸玉に色が残りにくい事もあって、割に合わない品ではあります…。
でも大量に作らず、表現の一環として制作する事は絶対に必要だと感じています。
できるだけ開花の季節に合わせてアップしたいと思っているのですが、なかなか思うようには行きませんね(笑)
どちらも自然のものなので、人の都合でどうにかなる存在でも無いのは当然ではありますが…。



市場に出ている丸玉は、糸魚川産ヒスイであっても中国で加工されています。(90%くらい)
理由は「中国に丸玉を大量生産する機械設備があるから」です。
この機械はヒスイだけでなく、他の天然石の丸玉制作にも使われています。
材料が変わるだけで、やる事は同じ、単純作業の特徴が表れている気がしますね…。

日本でもその機械で作れば?、と疑問に思うかもしれませんが、その機械自体を使いこなせる職人(っていうか機械屋)がおらず、人件費も高いので設備投資され人件費の安い中国へ出すわけですね。
この要領は、自分で作らずに稼ぎたい者達のセオリーでもあります。(この仕事だけに限らない方法)

とにかく、やれる事はやり、前に進んで行こうと思っています。
2014年05月12日
今年も、大好きな不動滝へ行って来ました!

小滝へ山菜を買いに行った帰りに寄ろうとしたのですが、まさかの行き止まり…。
多分、青海方面からの道も整備していないであろうと思い、今井の細い道から向かってみました。
この道は民家が近いので整備してあるはず…、との予想で向かいました。
その予想は当たっていて、無事に不動滝に着く事ができました。(やはり青海方面の道も通行止めとなっていました)

でもこの道は細く、行き違いがとても困難な道です。
もう少し整備できなものだろうか…、不動滝を管理している人も「いくら市に言っても金が無いと言って動いてくれない」と言ってました。
お客さんの方から言わないと動かないのだそうです。
尻で椅子を磨いてないで、現地に行って現場を見てくれば良いのに…。(ジオパークなんだから)

まぁ、とりあえず今年も不動滝に来らて良かったです。

まずは駐車場での風景です。
まだ桜が咲いています、去年に折れていた桜が復活したようです。
冬が来る度に折れるようですが、そこから復活して花を咲かせる姿は、とても美しく力強く感じます。



休憩所を兼ねた管理小屋です。(トイレもあります)
部屋の中には、季節ごとの写真や木製の工芸品が飾ってありました。(販売もしてる)
休憩室なので、それらを眺めながら休むのも良い楽しみ方だと感じました。
ちなみに、この時期はカメムシが大発生するので大変なようです(笑)




いつものように坂を下りて、滝へ向かいます。
けっこう急なので気を付けて下りないと…、また年をとった事を実感します(笑)



下りると、また桜が咲いていました。
しかも八重桜ではなく、普通なら葉桜になっているはずの桜です。
ここはまだ春なんだな〜、と感じました。



滝へ行く途中に池があるので覗いてみました。
近づくと何かが動いた気配…、姿は見えませんでしたが大きい生き物だった気がします。(いつも姿が確認できない)
カエルだろうか?、魚が見当たらないのがちょっと寂しい気もします。
ヌシのような生き物がいたら、より神秘的な場所になりそうなのに(笑)




桜と滝を入れて撮影してみました。
かなり微妙…、滝に水量があったので、かろうじて入った感じです(笑)



こっちはデカイ樹と滝を入れて撮影。
滝よりも目立つデカイ樹、すげーデカイ、いつ見ても立派な桂の樹です。(デカイ樹その壱)



滝と鳥居バージョン、雰囲気は出ているかな〜。



滝と水神様、前も書きましたが手すりが変。(いらない気がするが…)



雪解け水により水量を増して、とても迫力ある不動滝。
しぶきを浴びまくって、マイナスイオンが身体を癒してくれました。(でも体が冷えました(笑))




小人になった錯覚をもたらす巨木たち。(デカイ樹その弐)



こちらもかなりの巨木、人間の小ささが一目瞭然となります。(デカイ樹その参)



未だ雪を残す場所、とても清々しい風が吹き、心も癒されます。
ゆっくり休める空間がありますので、この場所を満喫して頂きたいです。




ストーンヘンジ(嘘)の中央に人間の痕跡が…、縄文人の炊事場か?(笑)
訪れた人が、バーベキューでもやったのでしょうか。(楽しそうで良いなぁ〜)



久しぶりの不動滝、心身共に癒された日でした!


作品を持って行くのを忘れていて、禊ぎができませんでした…。(不覚)
たま近々、訪れようと思います。
2014年05月09日
今回は、万葉の垂飾の紹介をします。




翠と緑が入り交じるヒスイ「万葉」で垂飾を制作しました。残雪の山々に生い茂る、新緑と深緑の木々を映し込んだ作品です。

銅鐸や新芽をモチーフにして、その身に生命色が燃え上がっているイメージを形作りました。
圧砕ヒスイの部類になるかと思いますが、その中でも質が均一で良質なヒスイです。
小滝のヒスイらしい、魅力的な紋様と発色が特徴と言えると思います。(ミャンマー産にも非常に似ているヒスイがありますが、良く見ると違いは分かります)

スエードの紐・ウッドビーズ・シルバービーズを使い、首飾りにしています。
付け心地の良いスエードの紐は普段使いに適していて、汗などを気にせずに身に付けられます。
とても柔らかいので紐に癖も付かず、肌へのストレスも少ないかと思います。

生命の雫のような作品を身に付けて、これから訪れる「祝福された季節」を楽しんで頂きたいと思います。


古代に作られた品々は、自然から学び感じた事を、そのまま具現化したのだと考えています。
その傾向を強く感じるのは大珠で、勾玉はその領域に在りながら、少しだけ「人の意匠への目覚」を感じさせます。
自然そのものを形作る中、そこに共生する人の意志も込められている気がします。

だから懐かしく感じ、大切に想い、本能的に魂が求めていくのだと私は考えています。
2014年05月07日
突然ですが、私は幸せなのだと感じています(笑)
それはきっと、原点に近い生き方を求めているからだと思います。

人類は無形を有形にする事で、進化してきました。
最近は逆の事をして、大きな失敗をしてる人達もいますが、その人達は「人の成り立ち」を理解していないのだと思います。
さすが「現実逃避の究極体」、その地に足の付かなさっぷりには、ついて行けませんね(笑)

人にとって一番大事な事は、「生きている事」を感じる事と「生かされている事」を感じる事の、二つだと思います。
そして、これを幸せと呼ぶのではないでしょうか。

私の場合は、作る事で「生きている事」を感じ、それが売れる事で「生かされている事」を感じる事ができます。
そのどちらにも糸魚川のヒスイが在って、私は糸魚川ヒスイで生き、糸魚川ヒスイに生かされているのだと感じています。(その大元には、地球に生かされているという現実があります)

なので、それに相応しい生き方をする責任もあります。

私にとって「作って売る事のバランス」は非常に重要であり、そのバランスを間違えると、ひたすらに「ただ老けていく者」となってしまいます。
これでは、私の魂が糸魚川ヒスイと共に在る事は不可能です。

正面から向き合って、挑み、学び、何かを自分自身から勝ち取る。
そんな成長が必要なのだと感じています。(自然から「勝ち取る事」は不可能です、勝てませんから(笑))

未だ完全に引き出せていない「悠久の時より繋がる絆(感性)」が開花するよう、今後も創作活動を進めて行きたいです。


ちなみに、現代では「リア充」とかいう言葉があるそうですが、そもそもに人間社会は幻想なので、現実を充実できるわけがありません。(管理と言う幻想にすがっている以上は無理)

本当の意味で現実を充実していたのは、縄文人なのでしょう。(正確には、この段階の人類)
全てが人間のものでは無い事を共有し、無駄に管理せずに生きていたのですから。
文字が必要ではなかったのも、これで頷けます。

でも、その理由から土地を追われてしまったのも事実です。
現代において、管理する事は人間としての生命線であり、その錯覚は未来永劫に続いて行くのだと思います。(人間社会が続く以上は)

例えそれが、幻想なのだと認識していても…です。(笑)

しっかし、社会自体が幻想と言う事は、人間が想いを描く心の幻想は「幻想中の幻想」になるのだろうか?
2014年05月03日
神玉の天照大御神「日蝕」の紹介をします。

白と黒が分断しているヒスイで、日蝕を表現してみました。



こちら側では、日の「陰り」と「出現」を映した景色になるよう加工しています。
物事が終わりを向かえ、再び始まるイメージを込めてみました。
白にも黒にも生命色である緑(白には翠)が入り、どちらとも再生を担っています。



こちら側には白の部分は無く、完全に太陽が隠れた状態を表現しています。
隠れているとは言え、全ての光を失う事はなく、所々に入っている緑や灰色が光の存在を示しています。
日蝕は決して恐れるものではなく、地球(神)に約束されている「新たな光を向かえる現象」を、そのまま表現してみました。

このような面白い紋様のあるヒスイは、なかなか見つからず、しかも大サイズを加工できたのは幸運でした。
色も多彩で白・緑(翠)・黒・灰の4色が入り交じり、それがまるで血液のように巡って、一つの生命体にすら見えてきます。
このヒスイ自体が、大地の龍脈を取り込んでいるようにも思え、加工し甲斐がありました。
片方だけに美しい白の部分があった事も幸いして、「岩戸隠れと岩戸開きにも思える二つの景色」を表現できたかと思います。

誰もが分かる「鮮やかな色彩」は在りませんが、日本古代を想わせる作品には仕上がったと考えています。
こういった解り辛いけど、確かに存在している「古代の感性で見る作品」を作っていけたらと思っています。
2014年04月30日
翠雪のカケラで制作した、ストラップ(キーホルダー)の紹介をします。




神緑のカケラに近い発色ですが、やや緑が淡く、雪が徐々に生命色に染まっていくような表情をしたカケラを加工しました。
透明度と光沢は抜群で、まるで薄緑のシャーベットのようです。
緻密なので加工しやすく、艶も出やすい良質のヒスイです。

このタイプのヒスイは少なく、更にプレートに切断されている為、厚みが十分なものがありません…。
危険なヒビも多く、高い透明度によりヒビと石目を判断するのが少し難しいです。(透かすと脈もヒビに見えてしまう)
なるべく無駄にならないように致命的なヒビに沿って切断し、そのままの形で研磨しました。

革紐にウッドビーズ・シルバーパーツ・メタルパーツを使い、民族的な作品に仕上げました。
春〜夏の太陽光を受けて、より美しく輝いてくれると思います。



関係ない話ですが、今日でまた一つ年をとりました(笑)
ちゃんと年を重ねているのだろうか…?
糸魚川ヒスイを扱う者として成長しているのだろうか…?
今後も、なるべく時代に成長を奪われないように、努力して生きたいと思います。
2014年04月27日
※以前にも同じような事を書きましたが、重要なので今一度、書き記します。

今、糸魚川に最も必用なお客さんは「糸魚川ヒスイの作品」を買える人です。
これは何も自分の利益のみを考えて言っているのではなく、普通に考えたら分かる基準での話です。

糸魚川へ来て糸魚川ヒスイの品を購入する人達は、心もにもお金にも余裕がある人です。
生活必需品ではなく、道具でもない品を求める人は独自の基準を持っています。(自身の基準を)
それに何度も書いていますが「上位は下位を兼ねる」って事を忘れないで下さい。

簡単な話、ヒスイを買える人は、お菓子もお酒も買えます。
余裕があるので、糸魚川で食事もしていきます。
なので、この方々を呼び込めば通常の客層以外の売上げが見込める訳です。

要は糸魚川ヒスイの品を求める人を増やせば、自動的に他のお土産も売れる確率が上がるって事です。
この独自の基準を持った人達が、どれほど重要なのか再認識する必用があるでしょう。(糸魚川は)

再認識した上で「ヒスイを求める人」の見極めも大事になります。
まず、初級である者の場合、「自分で拾いたい」と言う気持ち半分、「タダで拾いたい」と言う気持ち半分です。
この段階の者では、糸魚川のメリットは見込めません。
車で来て車内で寝てヒスイだけを持っていく…、こんな不毛な状態を続ける人もいます。(糸魚川にとって不毛)
要は無料のヒスイとストレス発散にしか興味が無く、糸魚川には無関心と言う段階の人達です。

ですが一度は通る道でもありますので、その先へ進むよう導く必用があります。

中級ともなれば「拾う事の楽しみ」と「作品を所有する楽しみ」の、両方を楽しむ事ができます。
この段階では心の余裕が在り、糸魚川を楽しむだけの視野も広がっています。
それに、拾える限界も知っているし、それらの最終的な在り方を模索するようにもなります。

これにより上級へと進み「糸魚川でのヒスイ(石)拾いの思い出」と「そのヒスイ(石)で制作してもらった思い出の品」と「糸魚川で出会った自身のカケラ(作品)」の三つを合わせ持つ事になります。(三位一体みたいな感じ)
ここまで来れば、糸魚川でのメリットは大きいです。

●「糸魚川でのヒスイ拾いの思い出」
まず「糸魚川でのヒスイ拾いの思い出」ですが、素人はビギナーズラックで良質のヒスイを拾った場合、すぐに加工しようとします。
経験が浅いので「また拾える」と思ってしまい、下手に加工を依頼して良い部分を取られたり、腕の悪い加工人に加工されて「変な品」に仕上がったりします(笑)
これはあまりに勿体ない、腐る物ではないので活用は、もっと学んでからでも遅くはありません。
上級ともなれば、拾った良質ヒスイは一切加工しません。(次に出会える保証がないので)
その事で糸魚川の良質ヒスイは、自動的に守られる事にもなります。

●「そのヒスイで制作してもらった思い出の品」
次に「そのヒスイで制作してもらった思い出の品」ですが、こちらは魅力のある石であればヒスイで無くてもかまいません。
紋様や色彩など「面白い」って思えるものを加工し(してもらい)、思い出と共に身に付ける事が重要となります。(この段階で独自の基準が形成されて行きます)
自分の出会った石なので愛着があって、少しの短所も長所と見る事ができます。
この品は心持ちを具現化した存在であり、純粋な楽しみが詰まった「それぞれの宝」となります。

●「糸魚川で出会った自身のカケラ(作品)」
次は「糸魚川で出会った自身のカケラ(作品)」ですが、どうしても良質ヒスイの加工品が欲しい場合は購入される事を進めます。(ミャンマー産には注意して下さい)
理由としては良質ヒスイは昔に切断されていて、それらを優先的に加工した方が良いからです。
現在で出会った良質ヒスイを崩すより、既にプレートにされているヒスイを活用しなくては、糸魚川ヒスイの無駄使いになります。
バブル世代が糸魚川ヒスイに胡座をかいて出た産物…、当然拾い続けられるであろうと考え消費していった宝の残骸…、これらを作品として再生させるのは作る側の使命だと感じます。
この品は魂を具現化した存在であり、古代人の信仰と意志が宿った「それぞれのカケラ」となります。(糸魚川には「中国で加工された糸魚川ヒスイの商品」も販売していますので、糸魚川(日本)で作られた品が欲しい人は注意して下さい)

ちなみに私の場合は「ヒスイで制作した思い出の品」と「出会った自身のカケラ」の領域が合わさっていますので、ヒスイのグレードに頼らない作品をライフワークにしています。(良質ヒスイを使わないのでは無く、依存しないスタイルです)

一つ一つ着実に段階を踏んでいけば、人として成長する事が可能でしょう。
そして、この人達は糸魚川に良い影響をもたらしてくれると考えています。(金銭的な事だけでは無く)
成長により、この領域での基準を持った人ならば、幻想である人間社会を正確に判断する事ができるでしょう。(偽りを見抜ける)
そうすれば真面目に作られたお菓子やお酒も評価され、多くの人達に愛されるのだと思います。
もちろん作り手の姿勢も問われるので、より良い品を生み出す努力が必要不可欠となります。

ヒスイの話から、どうしてこういった話になるかと言うと「上位は下位を兼ねる」って事が言えます。(何度も書きますが…)
例えるなら「先進国が新興国に過剰に干渉する原理」と同じと言えるでしょう。
急激に引き上げられると、必用な時間(成長)を飛ばしてしまい、結果的に無知が増えます。
それだけヒスイは強力な存在なんです。(貴金属や宝石全般にも言えるけどヒスイは特に強力)

これにより、生きる手段を選べない者・稼ぐ手段を選べない者は「成長を奪われた者」だと言えます。(年輩者なら尚更の事)

上位の存在に依存しすぎて時間を飛ばさない事を、ゆめゆめ忘れない事です。
依存しすぎた者達が、どういう結末を向かえるのかは、糸魚川へ移り住めば近い内に見られるでしょう。
それを教訓に、同じ過ちを犯さないよう未来へ繋ぎたいと思います。
2014年04月24日
お客さんよりオーダーがあり、大珠のペンダントと大珠の垂飾を制作しました。(素材の翡翠は、私の手持ちで対応しました)

まずは、大珠のペンダントを制作した翡翠プレートです。




翠と緑が入り交じる、私が万葉ヒスイと呼んでいるヒスイを加工しました。
発色が良く、このタイプには珍しく質もしっかりしている稀少なヒスイです。
現在では入手が困難で、見つけても高額だったりします…。

その万葉ヒスイで、大珠のペンダントを加工しました。




SVチェーンで身に付けられるように孔は上部に開けています。
厚さが5mmとギリギリでしたので、曲線は慎重に削り出しました。
なるべく大きなペンダントを要望されていましたので、バランスがとれる限界まで大きく加工しました。
大きな方が色や紋様が入り、より魅力的な作品に仕上がります。
その分、身に付け難くもなっていくのですが、このサイズなら問題ないと思います。(大きくて薄いと曲線も出し難くなります)
新緑と深緑が輝く、これからの季節にはピッタリのペンダントに仕上がったと思っています。
このタイプは普通の光源では暗い色に映りますが、太陽光などの強い光の下では美しく輝きます。


次は、大珠の垂飾を制作した翡翠プレートです。




こちらも万葉ヒスイと呼んでいるヒスイを加工しました。
どちらかと言えば翠の方が多く、質も更に良質なものとなっています。
入り交じるのではなくピンポイントに翠が湧きたち、鮮やかな生命色が映えています。
このタイプでの、練れているヒスイは珍しいです。

その万葉ヒスイで、大珠の垂飾を加工しました。





ウッドビーズを合わせ、革紐で調節可能の垂飾にしました。
大珠の身に付け方は、このスタイルが一番良いように思っています。(私自身が)
要望のシンプルな感じを反映しつつ、首元が寂しくならないようにデザインしてみました。
もっと大きな孔を開けようと思ったのですが、翠を削ってしまう恐れがあり最小限に止めています。
表にも裏にも翠が入り、白色に見える部分も薄緑に色づいています。
木葉のような魅力的な脈も入り、まるで葉脈のように光に透けて輝きます。(厚さ8mmでも透けます)
光に満ちた「生命そのもの」のカケラとして、仕上げる事ができたかと思います。


両方とも、以前に生玉を購入された方の依頼で制作しました。(ありがとうございます!)
非常に上手く仕上がったので、自分でも満足しています。
この作品が、これから進む未来の「光(希望)のカケラ」となる事を願っています。
2014年04月20日
天気が良かったので、海岸へヒスイの標石を拾いに行きました。
ちなみに標石とは「標本になるレベルの波間に漂っている漂石(転石)」の事で、私の解釈で区別しているヒスイの転石です(笑)

今回はとても小さいですが、綺麗な青ヒスイの標石に出会いました。




青ヒスイにもピン〜キリがあり、これはかなり良質な青ヒスイのカケラです。
青色がこれ以上濃くなると紺色になり、透明度が低くなります。
かなり練られた良質な青ヒスイで、良く見ると小さなヒスイ輝石がキラキラと輝いています。
海による自然研磨で艶が出ているので、磨きをかけたらピカピカになる事でしょう。
日本海をそのまま閉じこめたような色彩で、まるで「海そのもの」のカケラと出会ったようです。
(加工作業により爪が汚くてすみません(笑))

白地に青が入るコンサワ系の青ヒスイは質が粗いのが多く、磨きが出しにくかったりします。
でもその分、青色は鮮やかに入るので、丁寧に研磨してあげると良いかと思います。
その系の青ヒスイって、海ではあまり見かけないんですよね…。(ちょっと不思議です)
キメが粗いので残らないのかもしれませんね。



以前に姫川で出会った青石で、勾玉を作ってみました。




当初は鮮やかな青色が入っていたのですが、乾式での研磨あたりから緑っぽく変色したように思えます。(黄色も混ざっていたけど変色して渋い緑色になった)
摩擦熱によるものなのか、酸化によるものなのか、両方の理由からなのか…、よく分かりません。(気のせいって可能性は無いかと)
蛇紋石などは、酸化によって枯れ草のように変色したりするので、同じ理屈なのかもしれません。
もっと不純物が少なければ、もっと紺色が保たれるのかもしれません。(光源によっても色が違って見えたりもします…)
きっと青緑〜濃紺が限界で、磨いた場合に青色になる事は無いのでしょう。
肌が粗い状態では光が乱反射して白っぽくなり、紺色が青色に薄まって見えていたのだと思います。
その上で、熱あるいは酸化により変色し、より青色から離れたのだと思います。

青石の多くは、リーベック閃石や苦土リーベック閃石や藍閃石などの角閃石が混ざった鉱物で、アルカリ角閃石岩という総称で呼んだ方が無難なようです(笑)
これにもピン〜キリがあって、質が良くなると紋様が少なくなり良質なネフライトのような肌質になります。(ネフライトよりは柔らかい)
色も濃紺になり、不純物が少ないのでピカピカに仕上がりやすくなるようです。(このタイプで作れば、最低限の変色で抑えられるかと思います)
そういった青石は稀少で、滅多には出会えない「底なる玉」の分類に入るかと思います。

加工した感じだと、角閃石と言うよりは蛇紋岩の硬さに近いです。
ネフライトと比べているからかもしれませんが、非常に加工しやすく削った粉がヌルヌルして何度も手から落ちてしまいました(笑)
不純物が多いと良い紋様が出ますが、ちょっとした亀裂が見られ気になる人は気になるかと思います。(そこが魅力でもあるんですけど)
とても魅力的な石ではありますが、経験を積んで仕上がりが予想できるレベルになってから加工した方が、より良い作品が作れるかと思います。

でも、この過程が楽しく、全てが分かってしまったら面白くなくなるんだろうな…、と思いました(笑)
2014年04月17日
知恵と知識、この二つには大きな違いがあるかと思います。
簡単に言えば、知恵は「発想」であり、知識は「情報」であるのだと思います。
更に分かりやすく言えば、知恵は「創作」に必用で、知識は「商売」に必用なのだと考えます。

ここで疑問に思うのは、アダムとイヴに「知恵を与えた蛇」の扱いです。
蛇は発想(アイデア)を与えただけで、それを元に選択し行動したのはアダムとイヴ(人間)です。

要するに与えられた発想から「ある一方の情報を学んで選択した」って事だと思います。
その結果、エデン(楽園と言われてる領域)から追放されたわけですね…。
ならば、それの結果は人間の選択によるもので、知恵をもたらした蛇が原因では無いかと思います。

知恵のリンゴとして登場する存在も、実は知恵を与えてくれるのでは無く、人間が選択した結果の産物なのだと考えます。
蛇から知恵を得て、その結果リンゴを食べる選択したわけですから、リンゴ自体には何の力もなかったのでしょう。(人間のみに都合の良い物体だったと考えます)

なのに何故、蛇は神の敵対者とされるのか…?
学ぶ事は誰にでも可能ですが、発想は資質によるものだからでしょうか?(ただの妬みから?)
もしそうだとしたら、とんだ勘違いですね…、選択を誤るのは常に人間なのですから(笑)

普通に考えても分かると思いますが、生物は必用なものを得て、不必要なものを排出します。
その不必要なものも、ある生物にとっては必用であり、それが繰り返されるのが地球の摂理です。

でも人間が作る物、例えば車とかは原理は似ていますが、排出されたものを分解するシステムがありません。
そこは地球に丸投げで、見て見ぬふりを続けています。
毒を作る際には解毒剤も作るのが鉄則ですが、そもそもに毒と認識していないので、その対処が不十分なのでしょうね。

これを発展させて考えると、原発の廃棄物も同じ事になるのだと思います。
まずは地球に埋めて、埋める所がなくなると宇宙にでも捨てるのでないでしょうか?
月などの惑星にでも、埋める気なのかもしれません…。(将来的に)

どうにも理解できません、これは原発の善し悪しの問題ではないです。
簡単な話、人による解毒剤(解毒システム)があれば良いだけでは?
最初のちょっとしたズレが、年代を重ねる毎に完全に的から外れて行く。

これは射撃を経験した事がある者ならば、体感として簡単に認識できると思います。
完全な「的外れ」、これは選択を間違えている証拠なのでは無いだろうか…?
そして、この結果がもたらす事は、恐らく追放という名の「排除」なのでしょう。

リンゴを食べるのではなく、ナシを食べる選択をすればどうなるのだろうか?
人間が人へと成長して行ければ、この問題も解決するのでしょうが、それまで地球は待ってくれるのだろうか?
近頃の海底の異変の理由は「死が溢れているから」です。
だから黄泉の国である海底(深海)に住む、大王イカなどが出てきているのも当然なんですよね。(深海生物を見て喜んでいる場合じゃないかと…)
全ては人間の選択した結果で、別の選択を見ようとしなかった事に原因があります。

ただ「死が溢れる」と言っても、これは人間にとっての話であり、他の生物にとっては「命が溢れる」って事になります。
とても簡単な話で、生態のパワーバランスが崩れるわけで、再び人間が喰われる側になるって事です。

これが「エデンからの追放」に相当する話なのだろうか?
だとしたらもう一度、蛇が与えた知恵を元に学び直さなくてはなりませんね…。(要はイザナギがもたらした究極逃避を、更に発展させる必用があるわけです)

もう一度書きますが、そこへ向かう原因の「人による解毒剤」が必用なわけです。
これが無理な場合、地球(他の生物)による解毒が始まります。(兵器で闘う選択も無駄、根本的にあれらは人間を相手にする為に作られていますので、抑止力にもならない)

どちらも同じ解毒ですが人間にとっては死活問題、今後の「選択」がカギとなってくるでしょう。



話は変わりますが、専門家がSTAP細胞に否定的なのは当然です。
そもそもに否定から入るのは、科学の鉄則ですから(笑)
科学も商売と一緒で「素人にでも分かる基準を示さなくては肯定されない」って事です。
ですが科学も、人間が成した業(わざ)だと言う事も忘れてはいけません。
なので確証がなくても信じる事はできるわけです。(個人の自由ですから)

ちなみに私としては、人間のみに都合の良い細胞なんてどうでも良いです。(若返りなんて迷惑だし)
その細胞から、寿命を半分にし幸福感を2倍にする細胞が誕生するのなら別ですけど…。

でもジジイ達より若い女性を応援したくなるのは、時代の流れなのでしょうね。(笑)
2014年04月16日
制作した「勾玉の首飾」と「変成岩のペンダント」の紹介をします。

前回に加工したキツネ石と呼ばれいる変成岩で、再びペンダント制作を受けました。


今回は、少しシャープなデザインで加工しました。
模様や発色も良く、よく見ると所々に入った黄鉄鉱が輝いて綺麗です。
どうしても表面に凹凸が残りますが、粗を探そうと間近で見ない限りは気にならないでしょう。
緩やかな曲線により柔らかな光沢を出したので、自然石の魅力を引き出せたかと思います。


付け心地の良いスエードを使い、勾玉の首飾を制作しました。




普段でも付けられるように小さめの勾玉を制作して、ウッドビーズやシルバーパーツで合わせています。
淡紫と白黒の首飾にはヒスイの珠を二つ合わせて、より古代風にしてみました。
私の勾玉には決まった形があまり無く、かなり自由に作っています。(神玉が定型である分、その反動で勾玉が自由になっている気がする…)
ちなみに伊邪那岐と勾玉との違いは、サイズにより区別しています。(お守りの意味合いが強い、大きな勾玉を「伊邪那岐」としています)

それぞれが魅力ある作品に、仕上がったかと思っています。
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