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2011年03月01日
遙か昔、私達の祖先である哺乳類は狩られる存在でした。
昔は「生まれながらの強者」が「生まれながらの弱者」を喰らう、とても単純なシステムです。
その時からでしょうか、人は強者に対して「恐れ」「憎しみ」「嫉妬」などの感情を持ちます。
ですがそれと同時に、ほの暗い「羨望」「憧れ」と言った感情も発生します。
自分も強者であれたら…と、恐竜などが絶滅し現在に至っては人間が生物の頂点にも思えます。
思えますが、「生まれながらの弱者」である人間の本能は忘れてはいません。
強者の「絶対的な力」の恐ろしさを…。
科学兵器などをもって、どうにか猛獣に対抗する事はできますが、素手では話になりません。
生まれもった力(能力)が違いすぎる、それは「恐れ」「憎しみ」「嫉妬」を生み、
同時に「羨望」「憧れ」の感情に達します。(同じ人間の中ですら発生する感情)
人間は忘れてはいけない、「生まれながらの弱者」と言うことを…。
人が築いた英知は「純粋なる本能の力」で簡単に崩されます。
地球そのものを生命体とするならば、天変地異が地球の力(能力)となります。
どうにも防ぎようがありません、勝負にもならない。
弱き存在と言うことを認識し、強き存在と「いかに向き合うべきか」を考えなければなりません。
なぜならば地球自体が各宗教で崇められる、生かす事も殺す事もできる「根源の神」なのだから。
2011年02月27日
糸魚川の海岸では翡翠の漂石を採取する事ができます。
膨大な時間をかけて自然が磨き上げた漂石は、とても魅力的な存在となっています。
その中でも特に質感の良い漂石を「標石(標本となる石)」と私は呼んでいます。
この小さな標石達は加工の余地はなく、自然によって完成された姿で浜辺に打ち上げられます。
私にとって加工とは、その対象からより魅力を引き出す為の技術であるので、
完結されている存在に手を出す事はありません。(逆に魅力を損なってしまう…)
なので自分で拾い集めた翡翠標石は加工も販売せずに、全てコレクションとして所有しています。
これはサンプルとしても大変重要な資料となり、国産と外国産の判別にも必要なデータとなります。
岩石から成る翡翠石は、必ず川や海にその一部が流れているので採取したサンプルと一致します。
同じサンプルを幾つか採取すれば、国産翡翠としての裏付けになるでしょう。
良質のサンプルの採取は困難ですが、今までに出ているサンプルがあるので参考にできます。
特に趣味で集めている人から見せてもらうと勉強になるのでお勧めします。
歳月をかければ自分でも拾う事ができますので、諦めず挑戦するのも楽しいかと思います。
目が翡翠に慣れていくと、海岸でも拾いやすくなるし真贋も分かるようになります。
加工をすれば、それぞれの翡翠の癖も分かるようになります。(硬いとか磨きにくいとか…)
息抜きの遊びとして採取していても、全てが自分の力になるのが実感できます。
これからの人生の中で何処まで国産翡翠を理解できるのか楽しみです。
2011年02月17日
日本(世界)各地にパワースポットなる場所が存在するそうです。
その地に訪れると大自然(地球)の力を感じることができると言います。
私の住む糸魚川にも同じ様な場所が幾つかあります。
私が知っている中で特に気に入っている場所は「不動滝」です!
何が良いのかと言うと、山奥にもかかわらず駐車場が広くトイレもあります。
キャンプも出来るらしく、管理小屋もあって自動販売機もあります。
こうして見ると人の手が入りまくっていて「自然じゃない!」と思うかもしれませんが、
その場所から下って緑の広場を通り、滝のある場所へ行けば感激すると思います。
とても美しく、緑にも囲まれているので秘密基地のようにも思えます。
私はその滝の水が流れる小川で作品の禊ぎ(浄化)をしています。
その時間は自然の祝福を受けているような感じで、晴れやかな気分になります。
自分の心を洗い流し、創作に向かい合う「意志」を再確認する場所となっています。

感じ方は人それぞれなので、あくまでも私が感じた印象で話をしています。
健康食品でもそうですが「有効に吸収できる人とできない人」がいるのと同じかな…。
(それ自体には栄養が入っていても、体質の違いで吸収できる量が異なります。)

とても素晴らしい場所なのですが、致命的な欠点があります。
楽しめる期間が決められていて、それ以外の期間に行くと地獄と化します!
その主な原因は「ウルル」と言うアブが大量発生して襲ってくる事です。
7月中旬〜8月末は行かないで下さい、冬期は行きたくても行くことはできませんが…。
小さいながらに毒性が強く、血を吸われると腫れて凄く痛いです!
止まってから刺すので、絶えず激しく動いていれば何とか逃げられます。
対処法は車の窓を閉めて不動滝へ向かい、駐車場に着いてら1分間車内で様子を見て下さい。
もし発生していれば排気ガスに反応して車の窓にぶつかってきます。(大量に…)
この時、窓を開けていると車内に大量のアブが入ってきます、経験しましたが地獄絵図でした…。
同じ時期の小滝川でも発生するので、地元の人に情報を聞いてから向かった方が良いでしょう。
ある意味で秘境と呼んでも良いかもしれません…、人が行けない分、美しい姿でいられるのかも…。
いつでも行くことができないから、大切に思えるのかもしれません。
2011年02月07日
ibits collectionに千聖さんが新しい仲間として加わりました。
女性でありながら翡翠の加工もする心強い仲間です!
いずれはこのショップサイトを千聖さんに管理してもらおうと考えています。
糸魚川の翡翠は古より奴奈川姫が治めていたと伝わっています。
なので現代でも女性が運営する糸魚川翡翠のショップがあっても良いと思います。
女性ならではのセンスを活かし、対応できない事は仲間がサポートすれば表現も広がります。

それと神玉工房のメイン作品を展示する別サイトも作ります。
こちらでは、より深いメッセージを込めた作品を紹介していきます。
ibits collectionに掲載している、異玉・生玉・神玉などを移し進行していきます。
主にマニアの世界となりますので「神・翡翠・文化」の好きな人向けに展開していきます。
やりたい事が多すぎて思うように進みませんが、何とか形にしていきたいと思っています。
2011年02月01日
お客さまが購入された作品は、当サイトの「ibits gallery」に展示してあります。
購入されたその時から作品は所有者の品であり、当店の価格は「最低価格」となります。
これ以降は所有者の存在価値となります。
よって購入された作品は全て値段を消してあります。
一般的には販売した品をそのまま残している事が多いようですが、
それによって所有者が何を得て、何が満たされるのかよく解りません…。
購入された「一点もの」の品に、いつまでもこちらの価格を表示するのは不適切だと私は考えます。
意匠の権利は創作者にありますが、その品を流用して商売しない限りは購入者の品です。
購入者の価値が作品の魅力をより高めていくのだと思っています。
変わったスタイルなのかもしれませんが、今後もこのスタイルで展示していきます。
2011年01月27日
神玉のデザインが幾つかできました!
ヤチホコとスクナヒコナ、そして何故かヤタガラスが思い浮かびました…。
ヤタガラスは順番的にはまだ先なのですが、一つでもデザインが誕生して良かったです。
このヤタガラスは「導き」の意味があり、太陽神としても信仰されています。
私の計画では、太陽ではなく「星」の神として表現したいと考えています。
方角を示す「南十字星」や「北極星」のような、進むべき方向を示し導く存在となれば良いです。
とりあえず、この三つを形にするべく試作に入っていきます。
最近の新潟は天候が荒れていて、とても寒く仕事が進んでいきません。
この冬は植物の芽吹きのように、焦らず少しずつ形にしていきます。
速く春が来ることを願っている毎日です。
2011年01月17日
只今、糸魚川の天候は大荒れです。
もしこの時期に翡翠拾いを考えている人は、もう少し待たれた方が良いです。
最近は良質な翡翠は出てきませんし、命以上に貴重な翡翠など存在しません。
翡翠は人を魅了する力を持っていますが、自己防衛本能で危険は回避すべきです。
良い季節に余裕を持って拾われる事が一番だと思います。
無理をせずに翡翠拾いを楽しみましょう!
2011年01月07日
この時期の加工は特に過酷です…。
水が冷たく手がかじかみ思うように動いてくれません。
「お湯を使えば?」と考えますが、逆に手の皮がふやけて怪我をします。
それに、どんどん冷めて冷水へと変化しますので、あまり意味ないですね…。
寒い時期は、肩や腰も痛めやすく良いことが一つもないです!
気持ちは入っていても思うように進まない行程にストレスが溜まりますが、
季節や天候が原因なので人にはどうにもなりません。
毎年、自然の厳しさを思い知らされます。
こういった時は焦らず、その状況で可能な仕事を優先して進めるのが良いのでしょう。
それでも必要な時は、気合いを入れて加工するのが作る側としての使命です。
なので作る側のみなさん、体調管理には気を付けましょう!
2011年01月01日
新年、明けましておめでとうございます。

今年はやりたいことが山積みです…。
でも焦らず一歩一歩、楽しみならが進めていこうと思います。
人それぞれの表現を大切にし、無形を有形として未来に残せる品々を創作していきます。
また、それらを表現する気の合う仲間を探していきたいです。

どうぞ今年もよろしくお願いします。
2010年12月27日
2011年は国津神のデザイン・制作に入ります。
より人間に近い国津神をどう表現するのか考えねばなりません。
加工行程も考えてデザインしなければ…。
それと同時に作家を目指す仲間の作品も紹介していきます。
それぞれのテーマ・コンセプトを表現する、信念を持った人達です。
糸魚川翡翠とのコラボという形で参加する仲間もいます。
お披露目には時間がかかりますが、糸魚川翡翠の新しい表現を開拓していきます。
表現は違っても求める世界が一緒なので、楽しい空間になると思います。
守るべき伝統は守りながら、新しい「未来のカタチ」を創って行きたいと思います。
創作と言う自由な表現をし、皆様に評価される時代が来る事を願っています。
2010年12月17日
今、作家に求められているのは「創って、造って、作る」事だと思います。

創る、デザインや企画を練りそれが存在する上での物語を計画する事。
造る、計画を推進して自分自身で世界を構築し、作品を具現化する事。
作る、その具現化した作品をベースに幾つかの作品を未来へと残す事。

この三つができなければ作家として認められないと考えています。
デザインができても形にならなければ、絵に描いた餅…。
形になってもその世界観を構築できなければ、人には伝えられません。
人に伝えられても残らなければ、結局は忘れ去られ世界から消滅します。
更に、お金を得る手段も持たなければ創作活動が出来なくなってしまいます。
商品を販売するか、スポンサーを見つけるか、別の仕事をかけもつか、
とにかく生活を支える仕組みをつくり、創作活動が出来るような環境を整える必要があります。
一番は「制作」も「販売」も出来るようになれば最良でしょうが、そう簡単ではありません。
自分自身の人生プランを組む際には、諦めなければならない「人としての幸せ」もあります。
作家として生きていくと決めたからには、覚悟しなければならないのでしょう…。
創作する人間は、評価されなくても自分の作品を作り続けていく使命があります。
その姿を滑稽な事と見る人もいますが、信念を失った作家ほど愚かな存在はいないでしょう。
2010年12月07日
世界中には数多の神々が伝承されています。
それを良く調べてみると似通った特徴が認められます。
太陽神を考えてみると、アポロやアメン・ラー等々、日本では天照が代表的です。
これらは同じ太陽の神を指しているので同じ存在、だけと完全に同じではありません。
言語では同じ「太陽」でもそれぞれの国の言葉で言い表されます。
言葉が違うだけで伝えている対象は同じ、だから本質は何も変わりません。
でも完全に同じ意味合いで使われている訳でもない場合があります。
更に日本語での太陽自体にも呼び名が幾つか在り、日・陽・日輪などがそれに当たります。
神に置き換えると天津神の天照、国津神の猿田彦、それぞれの子孫達と考えられます。
そう考えると言葉の数だけ神々が存在するように思えます。
もし世界中が同じ言語で統一される時代が来たら、多くの神々が姿を消すことでしょう。
ですが呼び名が変わるだけで、その存在自体が消滅するわけでは無い…。
同じ言語をもっとシンプル化すれば、その中でも言葉(神々)は整理されていきます。
しかし、これでは言語の退化を意味するのではないでしょうか…。
神々の、言語のルーツを辿り、原点だけの世界とする事は現代文明の破滅をもたらします。
表現方法の制限は豊かな感情(情緒)を無駄にして、激情での行動のみが残ります。
これでは遙か昔に逆戻り、先人達の苦労が報われません。
なので神々(言葉)はある程度、多い方が平和だと言えると思います。
神々が多いと言うことはそれだけ言語能力・表現能力の高い国だと考えて良いと思います。
2010年12月01日
普通、宝石名と鉱物名は異なった名前を持っています。
例:宝石名はルビー・サファイヤ、鉱物名はコランダム、コランダムでは宝飾にはなりません。
ですが、どちらとも同じ名前で通っている鉱物(岩石)が幾つか在ります。
その中の一つが翡翠で、全ての翡翠が宝石と勘違いされる事が多いです。
英名ではジェードからの区別でジェダイト(硬玉翡翠)として区分されてはいますが、
ジェダイトの中での区分がされず、別鉱物のオンファサイトやコスモクロアは分けられています。
単結晶でないので成分分析などが難しいのでしょうが曖昧すぎると思います。
そもそも宝飾のルールは、ごく一部の特権階級の方々により作られています。
無色透明ではダイヤモンド、赤ではルビー、青ではサファイア、緑ではエメラルドなど
色の頂点が既に決められているので、今更そこへ入り込む事は不可能なのでしょう。
その上、翡翠は「東洋の宝石」と言う位置づけなので西洋が表だって認めるとは思えません。
ルールとは作った側が有利になるよう構築された「制限」なのですから…。
(でも裏では最上質の翡翠はヨーロッパへ送られていますが…)
とにかく、宝石と鉱物のガイドラインを明確にして頂きたい!
「翡翠」ならば宝飾品、「ヒスイ・ひすい」ならばアクセサリー・工芸品と分別出来ないものだろうか…。
2010年11月27日
翡翠には大量の処理品が出回っています。
特に樹脂含侵が頻繁で同時に着色も兼ねている事が多いです。
それを家庭で簡単に確認する方法は、バーナーやガスコンロで熱するのが良いです。
約40秒間、直火で熱すれば樹脂含侵された品は焼けただれて黒色や茶色に変色します。
同時にヤニ臭い煙も発生しますので確実に分かります。
(熱する時間は品の大きさによって異なります)
お金をかけずに真贋を確かめたい方にお勧めします。
注意事項として無処理の翡翠であった場合、熱による翡翠の変色は絶対にしませんが、
水で急激に冷やすと「ヒビ」が入る恐れがありますので、熱した際は自然に熱を冷まして下さい。
また、高額で購入した品については「信用ある鑑別機関」での確認をお勧めします。
2010年11月17日
今度は川へ流れる前の翡翠の岩石についてです。
本来、翡翠は巨大なプレートや岩石で誕生しており、
大きすぎて使いこなせず、人の手に余る存在となっています。
よって上手く使うためにそれらを分解して、小さな塊としなくてはなりません。
大きな存在を分解して新たな存在を生み出す行為はイザナギがヒノカグツチを斬り殺し、
そこから数多の神々が生まれた話に良く似ています。
生みの親をも死に至らしめた力は「手に負えるものではなかった」と考えて良いと思います。
普通に考えると難産で母親が亡くなったとしても、産まれてきた子を殺すなどは考えにくい…。
使いこなせない存在への憤り・怒りがそうさせたと考えて良いかと。
挑戦とはそう言った面が強くあり、その感情が進歩に貢献しているのも事実だと思います。
全てにそうした理が在るのだとしたら、地球にとって人間という存在は手に負えるのでしょうか?
イザナミ・イザナギの怒りの象徴である雷をエネルギーに変換する術を開発し、
地球に負担のない生き方をしなくては、いずれ人間も分解されてしまうかもしれません…。
2010年11月07日
私の理想として、陶芸の世界に近い表現を確立すれば良いと考えています。
陶芸は造形した後の窯入れの際、釉薬によって自然発色がおこり魅力的な作品が誕生します。
翡翠の場合は最初から自然発色した素材を造形して魅力的な作品を生み出します。
どちらとも「運」と「いかに上手く使いこなす」かが命であり、時にはヒビも美点となります。
一つ一つの表情が違い、風合いがあってどこか懐かしい気持ちにもなります。
普段使いとするか、観賞用とするかで存在の意義が変わってきますが、
身につけられる魅力的な翡翠の工芸品を目指して努力していきたいと思っています。
2010年11月01日
以前にお客様に伝えられて気づいた事があります。
翡翠とヒルコ神の共通点なのですが、ヒルコ神は不完全な姿で誕生した為に川へ流されます。
やがて海に出て新しい神(恵比寿など)になったと言われています。
翡翠も山から誕生し川を流れて海へと向かいます。
古代人はその海に出た翡翠を主に加工して身につけていたらしく、
神話に合わせればヒルコ神(翡翠の漂石)に姿をあたえていた事になります。
面白い事にそれが現在でも続いていて翡翠の漂石を拾い加工している人達がいます…。
漫画でもヒルコ神が自分の身体を取り戻していく物語がありますね。
私達は知らず知らずに大きな物語を継承しているのかもしれません。
2010年10月27日
作者が生み、所有者が育て、世の中が評価した作品は100年、200年、さらには1000年先にも残ります。
そして、ほぼ不滅の存在であるヒスイで造られたその姿は、未来の人達へのメッセージになります。
私達が縄文時代からの発掘品を見て感じるように、未来の人達にも問いかけるでしょう。
先人達が「どう生きて、それに何を込めたのか」を。
2010年10月17日
このデザインにとても苦戦しています。
より人に近くなるとシンプルなデザインが難しくなります。
私の中での国津神は「戦闘民族」「狩猟民族」として存在していて、
主にアイヌやインディアンを連想させるようなデザインで表現したいと考えます。
勇猛果敢な戦士の魂を高志ヒスイに込めたいと思います。
2010年10月07日
今は神無月という事で主にデザインを中心に制作しています。
10月までに制作した作品が幾つか在りますので近々アップします。
この月に計画を練り重厚感ある神玉プロジェクトを構築していきます。
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