2011年05月27日
私が思い描くibitsの未来の姿は、作家自身がお客様と正面から向かい合うシステムです。
これにより、作っては売り手に任せる「商品換金システム」と、それを売って利益を得る「ピンハネシステム」を完全に排除する事ができます。(作家同士の協力はします)
作品に対してお客様の質問に100%の受け答えが出来るのは、その作品を作った作者だけです。
今まで作る人は、お客様と向かい合う事から逃げすぎていたのではないでしょうか…。
何をそんなに恐れるのでしょうか?そんなに自分の作品に自信が無いのでしょうか?
芸術家とは人としての魅力を認めて貰わなければ、生きていくことは不可能です。
そして認めて貰うには、お客様と正面から向かい合うしか方法はありません。
画家や陶芸家などは、材料に特別な価値がないものを使って「特別な作品」を作ります。
その素材を扱うには、作品力と人間力が無ければ使いこなす事は無理でしょう。
けれど翡翠はある程度の価値が最初から認知されているので、まだ使い易い分類のはずです。
一般の人でも、ある程度その作品に対して評価を付けることができるはず。
ただ、そのせいもあり作品と商品の違いが曖昧になっている事実もありますが…。
どうしても一旦はお金の価値に変換しなければ、それを理解できない人達が多いのでしょう。
そもそも生命が鉱物を扱う原始の理由は「道具」として生きる為に使う事です。
その道具に、より使い易い「機能美」を求めて加工を施し、それによりある程度の生活の安定を得ると、そこに「造形美」を求めて表現を発展させたのだと考えます。
その姿のモチーフとなったのが、身近にあり共に生きている自然そのものだったのでしょう。
常に自然と一つで在りたいと言う願いを込めたのだと私は考えます。
換金のみを目的にして、人の文化に誕生したのではありません。
この部門での商売の基本は「安く仕入れて高く売る」と言いますが、現在では「安く仕入れたモノは高くはう売れない」という事がお客さんにバレています。
生きる術として換金目的のみで扱うのならば、原石でも販売していれば良いです。
拾ってきた石を売っていれば良いのです、あえてそれを造形する必要もないです。
造形し表現するのなら、換金とは別の理由が絶対必要になります。
この世界は、表現の為に存在する領域だと言っても過言ではないと考えます。
今は資本主義の世の中なので、お金を得ることは生活には欠かせませんが、それだけではあまりにも「心が貧しすぎる」と思います。
生活が豊かになったからと言って、必ずしも心が豊かになるわけでもありません。
現在、天然石として中国(他国)から入ってくる品は「切磋琢磨」の「磨」が抜けてます。
コスト削減で磨きをせずにガラスでコーティングをし、色がなければ着色をしています。
中国の言葉なのに残念でならない、それとも日本人がやらせているのかもしれません。
きっと「見栄えの良い品を安く」を求めたら、ここに行き着いたのでしょうね…。
また、国産翡翠を使って加工していても、換金目的だけでは心が貧しすぎる。
いい加減、自分達で作りましょうよ、作ってお客様と正面から向かい合いましょうよ!
そんな想いを込めて、ibitsは作家主導の組織にして行きたいと考えています。
現在は私が管理していますが、将来は作家達で支え合うお店にしたいです。
現実には、モラルがあって、国産鉱石を加工して、表現力のある同年代を探すのは難しいですが…。
それでも支えて下さる人達がいますので、未来に向けて進めると思います。