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2013年08月17日
夏休みとなりチビッコ(甥)が遊びに来ました。
そこで幼少の頃、父が教えてくれたトンボ捕りをしに山へ行って来ました。

虫網と虫篭を揃え(百均で)、山のちょっとした池へ行きました。
流石は夏、様々な昆虫がいます。
今回はトンボに絞り、いざ尋常に勝負です。

はりきってのトンボ捕りでしたが、シオカラトンボに惨敗でした…。
しかも草の根に引っかかって転ぶ始末、衰えるにも程がある(笑)。

かつて虫男と呼ばれ(両親に)、オニヤンマを大量に採集した頃とは別人になっていました。(しかし次の日、かつての虫男が甦る事になります)

甥に「無様」と称され、悔しさに枕を濡らした次の日、私は目覚める事になります(笑)。
まず心構えは「何としても捕る」という気迫を、内に秘めてのリベンジでした。
手加減をしていては、虫網の振る速度が遅くなってしまうのです。

まずはシオカラトンボ、他のトンボは眼中に無し。
このトンボは警戒心が強く、止まっている所に近づいても一定の距離を保って逃げてしまいます。
狙うのは飛んでいる間で、失敗は赦されません。(失敗しまくると警戒して遠ざかってしまう)

池の淵に行きシオカラトンボが通り過ぎる刹那、気迫を込めた網がシオカラトンボを捉えました!
捕獲成功!、「本気になった私に敵うまい」と甥の前で格好付けてみました。(大人げなく)


早速シオカラトンボを網から出して撮影しました。
手に乗せても逃げなかったので、このポーズになっています。
クルマトンボ(俗称)は習性を利用して手に止まらせる事はできますが、シオカラトンボは初めてです。
ちょっと「取られてあげました感」があり、どうせ逃がす事すら知っているようにも思えてしまう…。
だとしたら流石は旧友、甥の前で良い格好させてくれてありがとう、と礼を言いたい。

しばらく手の上にいましたが、撮影が終わると夏の大空へ飛んでいきました。


調子が出てきたので、オニヤンマ?も捕りました。


昔は正確な名前を知っていたのですが、現在は忘れてしまいました…。
しかし、その目の輝きは忘れる事は無く、「燃えるような翠」「吸い込まれそうな緑」の印象を与え、多くの人を虜にする命を示す象徴色、最高の宝石です。
久しぶりに見たので、トンボと遊んでいた頃の記憶が一気に溢れて出て、とても懐かしかったです。

ちなみに、このトンボは手には乗らず、更に指をガシガシ噛んできたので撮影は難航しました…(笑)。
暴れっぷりも凄まじく、力の加減が難しい…、流石は宝石を身に宿す昆虫です。

このトンボを捕る際は、二段構えが必用となる事が多いです。
同じ軌道を行ったり来たりする習性を狙い、何度か素通りを繰り返させ安心したところを狙います。

しかしヤンマ系は機敏な為、一回目の振りが回避される事があります。(かなりの確率で)
その際に戻しながらもう一度狙う、ツバメ返し的な技法が必用になります。
前からの網は回避できても、死角からの網は回避不可能と言っても過言ではないでしょう。

まぁ、最初から背後を狙えば良いだけなのですが、正面から挑むのが男と言うものです(笑)。



トンボ捕りの注意ですが、網の金具部分にトンボが当たると首が取れてしまう事が多々あります。(だからフルスイングを躊躇してしまう)
その時の罪悪感はけっこうなものなので、なるべく大きな虫網を使うと良いと思います。
魚用の網だと目が粗く、トンボの頭が網目に引っかかるので、これも使用しない方が良いです。

それと昆虫は玩具ではないので、扱いは丁寧にし、飼育不可能な昆虫は逃がしてあげるのが良いでしょう。(特にチビッコは気を付ける事)

そんな感じで、残りの夏も満喫して行きましょう!
2013年08月07日
現在は、縄文時代の中層を精査しています。

この前に姿を現した石棒の精査をさせてもらいました。(丁度私がいる班の区画でした)
何か面白い遺物が出ることを期待したのですが、結果は何も無し…。
残念です…、ちょっと期待していたのですが。

この場所に立っていた形跡も見当たらないらしく、どうにも現状では分からないようです。
流されてきたのか、最初から横に置いていたのか、よく分からないです。(近くに樹があったようなので立て掛けたのかも)

ただ、使用している鉱物が河原の巨石(ヒン岩)であり、石棒を作る文化を持った者達が使う六角柱の玄武岩ではないようです。
この石棒は「この地で加工された物では無い」と言われていたので、この地で加工した可能性が出た事を嬉しく思います。
また、既に棒状となっている素材からの加工と、河原の巨石からの加工では労力が違いすぎます。(おそらく平たい巨石の中央部分で制作されていると思います)
加工を行う者としては、両者を同等と考える事はできません。
どちらが優秀とかではなく、制作した過程(理由)が違っているように感じます。(量産重視か、信仰重視かの違いとか)

例え、ここの人達が加工したのでは無く、外から来た者がこの地で加工したものでも私は構いません。
「この地で作った遺物である」って事が私にとっては重要なのです。
でなけりゃ「人が外で作った物を持ってきただけ」となり、借り物感が尋常ではない…。

あの大きさの石棒を持ってくる事自体は、大変な労働であった事は分かります。(縄文時代だし)
その運搬技術も素晴らしいし、川の流れを読みながらの作業には熟練が必用だった事も分かります。

それでも「ここで作っていてもらわなくては困る」わけです。
何故なら、こういったオブジェ(シンボル)とも言える存在は、道具から昇華して、ある意味デカすぎて使えない「ウドの大木」のような領域にいながらも、それとは「似て非なるもの」として存在する作品だからです。

もう道具の範疇に無く、でも役に立たない存在でも無い、これは人が人として生きる「文化を象徴した存在」となっているからではないでしょうか…。
要は日常で使用する道具だけを作っていては、人類に進化は無いって事です。(私個人の考えですが)


この石棒のモデルは男根だと考えられていますが、それにしてはユニークな形をしています。
そのものを正確に表してはおらず、別の何かを想わせる遊び心(余裕)を感じさせます。

これは間違いなくデザインであり、洗練したセンスにより形作られた存在だと感じます。
このデザインの派生は現代にも在り、意味合いは薄れてはいますが繋がっています。

原初のデザインでは無いにしろ、縄文時代での創作物が糸魚川で作られたものであると期待します。
2013年07月27日
久しぶりに海へ行ってきました。

今回は川と海とが合流する場所で、作品に加工できる鉱物を探す事にしました。(海岸では小さい石が多く、私が求める加工には不向きです)
しばらく川淵を見ていると、川の中にとても綺麗に輝く石を発見しました。

こういった事は何度か経験する事ですが、その殆どがキツネ石です。
今回もそうだろうと思いながら、それでも「綺麗な緑玉髄(クリソプレーズ)なら良いな」くらいな感じで手にとってみました。(9割が冷静、1割が期待みないな心境です)


手にとって見て、その美しさに目を疑いました…。
とても暑い日でしたので頭が鈍くなり、感動を認識するのにも時間が必用でしたね(笑)。
正直な話、川でこのタイプを拾った事がなかったので乾くまで半信半疑でした。


とても明るい翠が全体を染め、透明度も抜群、このタイプは私が普段扱うヒスイとは異なっています。
おそらくは小滝の良質な翡翠だと思います。(青海の翡翠では無いと考えます)
かつて海で拾った人のを見た事があり、その特徴とそっくりです。


見る限りではヒビも無く、微細なヒスイ輝石がギッシリと集まっている良質の翡翠です。
裏側は角閃石が多い事もあり少し粗くなっていますが、所々に見える透明感のある白地には濃い緑色が流れています。
こちら側は、とても良く似た石英系の石があり間違える人が多いです。
確認方法としては、乾いた状態で判断する事をお勧めします。


不純物がある為、全体を光が抜けては行きませんが、良質の部分は全て光を透します。(裏側を少し削れば完全に光を透すでしょう)
この神秘的な姿は、何度見ても飽きる事はありません。
今の季節にピッタリの翡翠で、自然の生命力に満ちています。
まさに「底なる玉」と言えるかと私は思います。


まさかこのレベルの翡翠と出会えるとは思いませんでした。
加工が可能な大きさなのですが、勿体なくて手をつけられません(笑)。

ちょっと思ったのですが、こういった翡翠を加工した縄文人は、どんな心境だったのでしょうか?
もし欲だけの感情で加工したのだったら、幻滅ですね…。
そこに崇高な志が在ったのだと信じたいです。
2013年07月17日
この間まで、建設会社の人達が機械で縄文の地層まで掘っていました。(今も掘っている部分があります)
機械で掘ると言っても、ちゃんと調査員の人が付いて慎重に掘り進めていました。

薄く土壌を削り、一つ一つ丁寧に検査しながらの作業のようで、機械を扱う人の熟練度も必用とされる行程なのだと感じました。
滑らかで正確な動きなので、見ていても飽きませんね(笑)。

その間、作業員は土サンプルを洗浄したり、出土した石を洗浄したりしています。
暑い日が続き大変ですが、水を使った作業なので普段よりは汗をかかずにすみました。
今週からは通常作業(縄文地層の精査)なので、熱中症には気を付けなくては…。

そんな中、機械での掘削時に縄文の地層から石棒が姿を現しました!(慎重に掘る事が重要だと改めて理解できました)
長さ1mくらいの大きな石棒で、細くなっている片側には剣の束のような加工がされています。
パッと見は棍棒のような姿をしていて、あの時代でこれだけ大きな石を加工したなんてスゴイ事です。
日本でも1mを超える石棒は少ないらしく、糸魚川ではこれだけ大きいのは初めてなんだそうです。
また一つ、糸魚川が誇れる遺物が発掘されました!

しかしこの石棒、束っぽい部分などが円柱状なので、回転させながらの削りでなくては不可能な加工のようにも思えます。(正確な円ではありませんけど…)
それか素晴らしい「造形的バランス感覚を持った者」が作ったのだろうか…?
どちらにしても大変な作業であったのだと認識できます。(現代でも大変な作業ですから)
ただ使われている鉱物はヒン岩だと思われるので、堅牢さはあまり期待できません。(頑丈ではあるけど風化しやすいタイプだと思われる)

モチーフは剣だと考えられるそうで、信仰のシンボル的な存在であったと考えられるそうです。
これだけ立派な遺物が在るのだから、その付近からは信仰を裏付けるような遺物が出土しそうです!(私の勝手な期待です)

どうか何かしらの祭事で使われた品が出土する事を祈ります!
2013年07月14日
このロディン岩と呼ばれている鉱物は、一番ヒスイと間違われる鉱物だと思います。


実際、数年前には横川ヒスイとして販売されていました。(現在進行中の人もいますが…)
これは「知らなかった人、知ろうとしなかった人」が便乗して販売した事によって混在されたのだと思います。
海岸転石の場合は、より間違えやすく翠色の違いが見分けられないと、ほぼヒスイと間違えます。
この「黄緑色」と「色の広がり具合」さえ憶えていれば、間違う事も騙される事も無くなるでしょう。(騙される方が悪いと言っている連中が販売している事が多いです)


ロディン岩自体は良い石で、良質になると色も良く、堅く、重く、艶も出ます。
しかしヒスイに非常に似ている為、その魅力が判りにくくなっています。
私の個人的な例なのですが「美空ひばり」と「天童よしみ」の位置関係に相当するように思えます。(個人的な印象なので、逆に分かりづらいかも…)

また、名前も悪く「ロディン」と言う意味が在るのか無いのか分からないカタカナの名と、「岩」として複数の鉱物の混じり合いを強調している事が魅力を下げていると私は感じます。

名は体を表すと言います、とても重要な事なので慎重に命名してほしいですね…。
発見者の名前なんて付ける必用性を感じない。(そんなやり方でしか自分の名を残せないのだろうか…?)

ロディン岩は下手なヒスイよりも加工し易く、仕上がりも良いので、ロディン岩(もしくは石とした名前)を全面に出して認識させる事はできないものだろうか…?

インドヒスイやオーストラリアヒスイと呼ばれている鉱物も、アベンチュリンやクリソプレーズと言う鉱物名があり、単体でも勝負しています。
ロディン岩も、この領域まで引き上げる事ができれば、正々堂々と表に出る事が可能だと考えます。(純度の高いものだけを分けて、別名にする必用がありそうです)

それに何も販売を目的としなくても、その存在を引き上げる事は可能なはず。
様々な表現を駆使して表に出してあげれば、将来的にも糸魚川の役に立つように思えます。

色んな意味合いでロディン岩とヒスイを分けたく無いのでしょうが、もう誤魔化しようの無い段階まできているので諦めて頂きたいですね…。(確かに交ざっている巨大なヒスイ岩石はありますけどね…)


現実問題として、糸魚川だけではどうにもならない事でしょうから、ジオパークをきっかけに世界を巻き込んで進んでほしいものです。
2013年07月07日
※現在、前回の縄文遺跡から出土した石の洗浄をしています。(土嚢洗いも)

そこで気が付いた事を書きます。
それは、打製石器と磨製石器は「鍛冶屋と研ぎ師の原点なのでは?」と言うものです。(当然か…)

打製石器は様々な鉱物で制作されていますが、磨製石器は蛇紋岩〜透閃石・緑閃石などの艶が出る石が殆どです。
これは打撃での形成に適さないからだと思われますが、それだけでは無いように思えます。(打撃で形成して研磨で仕上げようと試みた石器も幾つかあります)

これは私の個人的な考えなのですが、打製は「純粋に道具を追求した技法」であり、磨製は「道具に美しさを求めた技法」であるのでは?と考えます。(時代が新しくなるにつれて、道具は打製が多くなっているとの事です)

当初は「頑丈な道具に切れ味を求めたから研磨した」そんな理由から始まったかもしれませんが、いつしか砂岩の粒度を見極め段階化し「より美しく携帯できる存在」を具現化する者が現れたように思えます。
その瞬間にそれは道具の領域を超え、自己アピールの象徴である装飾品への扉を開いたのではと考えます。(美しく磨かれた道具は皆の目を引きますし、大切に使うようになります)

何故ならば、石器で最高に切れ味の良い道具は「黒曜石で制作された道具である」って事です。
頑丈さに難はありますが、堅牢さを求めるのなら研磨の必用もありません。
切れ味の良い道具と堅い道具の二つがあれば問題無し、これは金属の概念にも共通するかと思います。
金属の刃物はその二つを合わせ持っているので、使い勝手が良く武器へと発展したのだと考えます。(武器での段階では打製石器の意味合いが強い気がします)
黒曜石も美を兼ねていて、それは黒曜石自体に「光沢があるから」だと言えると思います。

刀剣が美術品となった時代には「切れ味を追求したら偶然に美しくなった」なんて段階はとっくに過ぎており、ちゃんと理解したいた者が「より美しく携帯できる存在」を表現したのだと思います。(この段階だと磨製石器の意味合いが強い気がします)
ちなみに現代では艶があって当たり前になっていますので、更なる発展を必用としているようです…。(この領域に入る全ての存在が)

打製石器と磨製石器とは現代に存在する「道具と装飾品の原点」であり、どちら側の領域へ向かうかで用途も違ってくるのではないでしょうか?(金属器は両方の特性を持っていますね)
古代では打撃により割っていたヒスイも、現代ではブレードで切断しています。(切断は研磨領域になります)
これは生活する為の道具としてではなく、より豊かな生き方を求めて「変化した道具である」と言えると思います。

また、使用していた砂岩を見ると上手に使い込まれたものが存在します。
現代と一緒で「道具をみれば使い手の腕もわかる」もので、かなり使い込まれていて部分的に使用する用途に応じた形や厚みをしていました。(これ一つで穿孔以外の成形が可能でしょう)
間違いなく「使い手の道具」だと感じ、古代の加工人が使ったであろう砂岩(道具)と出会えた事を嬉しく思います。


私自身が目指す「悠久の絆」とは、創作を最初に体現した者との繋がりを築く事であり、その意志を私なりに現代へ再生させる事です。
道具の領域すら混在しているのだから、それらを作った者達の中から私が求める者を見つけるのは、とても難しそうです…。(東北の遺跡の方が可能性は高いかも)

でもそれが楽しいんですよね(笑)。

私は道具を使いこなす事が、人の真価(進化)だと考えています。
2013年07月02日
今回はヒスイの小瓶の紹介をします。


物産センターで販売しているヒスイの小瓶です。
種類を分けていて、白ヒスイ・緑ヒスイ・紫ヒスイ・青ヒスイ・黒ヒスイの欠片があります。(ヒスイの小石を入れたのも少しありあす)
実はこの品のには楽しみ方があります。(そのままストラップのように使用する方法以外に)


まずは中のヒスイの欠片を出して飾ります。
そして空いたビンには、糸魚川の海で拾う綺麗な小石を集めて一つのカタチとして楽しみます。
これによって中身の欠片がサブとなり、自身で集めた小石がメインとなって飾る事ができます。

更に、この小石がヒスイの小石であれば理想的だと思います。
何故なら海へ拾いに行った際に、海の状態が悪く砂だけが上がっている場合があります。
この状況では求める転石は拾えませんが、逆に小さなヒスイの小石を拾うには適しています。


ヒスイは小石になっても重いので、砂浜に残りやすく見つける事は難しくありません。
小さいのでヒスイであるかの判断は難しくなりますが、白くて乾いても艶があれば、その小石はヒスイの可能性大です。
本来ならガッカリな日となる状況ですが、こうした楽しみ方があれば来た甲斐もあるでしょう。

小瓶が満たされる度に糸魚川での思い出が生まれ、小瓶を見る度に楽しい記憶として思い出す事でしょう。
そんな役目を果たしてくれると良いな〜、と思い制作しています。


海には、たまに微妙に入らない小石がありますが、それはご勘弁下さい(笑)。
2013年06月27日
現在は古墳〜古代の時代の地層を精査しています。(空撮も終わったので、この層も終わりです)

現在の地層では、あまり遺物は出土していませんが、魅力的な須恵器が少し出ています。
この体験をして初めて須恵器に出会い、当初は現代的な見た目だったので良さが判りませんでした。
縄文土器のようにいかにも「土器」って感じでは無く、ぱっと見は灰色で良くあるプラスチックの配管用の筒に見えるからなのでしょう…。
しかし実際に自分で取り上げてみると、その重厚さに驚きました。
手に持った瞬間、「ガチーン」と言う音が聞こえてくるくらい硬く重く、灰色に見えていた肌も実際は淡青である事を知りました。
表面には縄文土器のような派手な紋様はありませんが、ガラスが溶けたような艶があり肉厚で頑丈です。
かなりの不滅感で、こんな器が現代にも存在するなら所有したいと感じました…。

この感覚自体は初めてでは無く、私が慣れ親しんでいるヒスイ(特にオンファサイトによる翡翠)とそっくりです。
よく考えてみれば、色調もどこか似ていて見るほどに良さが伝わってきます。(淡青ではないですが)


細かい輝石が圧縮され高密度となり、堅牢な肌質と全体を染めるシックな色調を合わせ持つオンファス系のヒスイ…、一般的には知名度が無く人気は低いですが、作品を作るのには最高の石質だと感じています。
(画像は水で濡らした姿で、磨けばその姿になります)

やはり古代人が求めていったのはヒスイと同様の堅牢感であり、その基準は今現在でも繋がっているのだろうと感じました。

実際には灰色がかった淡青のヒスイも存在していて、須恵器が出土する際はヒスイと同様に色の膨張が感じられます。
何故か目に付く色合いをしているのが不思議ですが、これは私個人の目に映る場合の姿なのかもしれません。

ちなみに、この階層で水色のヒスイ石が出ましたが「割られていない事」や「青色である事」から自然に混入した転石ではないかと考えられます。(古代人が持ってきた可能性は捨てきれない…)
糸魚川は掘ると普通にヒスイが出てしまう場合があるので、それが古代人が持ってきたのか自然に運ばれたのかが非常に判りづらいです。(加工した痕があれば別です)

なかなか練られた淡青ヒスイで、最近は海へ行っていない事もあり魅力的に見えました。
あのレベルを海で拾っていたのなら、間違いなくコレクション行きですね…。
今度は海で出会える事を祈っています(笑)。


ちょっと思ったのですが、海や川で拾ってくる鉱物は古代でも現代でも、自身で扱える許容量を超えている事に気づきます。
せっかくの出会いなので拾うのは理解できますが、きっと「自身のみでの加工」だけを考えての事ではない気がしてきます。

もっと言えばその時代での扱いを超えて、次世代へと繋ぐ気もあったのだろうと考えます。
その時代では財産だったのだから当然の事なのかもしれませんが、それとは別に自身の認めた鉱物を「扱える者へ残している」という事はないのでしょうか…?。
これは自分だったらの話なので確実ではありませんが、もしそういった意志が少数の古代人から現代人へ託されていたのなら、その願いは叶う事はないでしょう。

何故ならば全てが文化財であり、個人ではどうにもできないレベルになっているからです。(個人的意志が共有財産を凌駕するなんて時代にならないと無理でしょうね(笑))
短い期間で確実に繋いでいけば定着するし意志も残せますが、数千年前の遺物となるとどうしたって保護するしか無いですよね…。

なので現代に生きる私は、自身が拾い集めた鉱物を後世に残し「扱える者へ繋ぐ事」の意志を明確に残しておこうと思います。(条件となるのは「糸魚川の地で扱う事」の一点のみとする)
鉱物にも加工用と観賞用がありますので、そこも明確にして残す必用があるかと思います。

しかしヒスイなどの鉱物は金属と違い、元に戻す事が不可能です。
なので扱う者は、かなり慎重な性格である事が必用不可欠なのかもしれません。
ただの石として見る人には問題にはなりませんが、そうでない人達には大問題…。

不滅の存在、扱うには便利ではありますが、使いこなすにはまだまだ永い時が必用となりそうです。
2013年06月26日
蛇紋石で千変の幼生を作成しました。




なかなか面白い紋様があったので、それを活かした作品が作りたくなり加工しました。
一般的な蛇紋石ですが、多分アンチゴライトにリザーダイトが入った状態だと思われます。(分析しないと確実な事は言えませんが…)
今回のように、魅力的な紋様が入った蛇紋石はそんなにありません。

質はしっかりしていて、加工している際に欠けたり割れたりする事はありませんでした。
硬度もそれなりにあり、厚さもあったので造形は簡単ではなかったです…。
でも磨き〜艶だしはヒスイよりは容易で、紋様部分もしっかりと艶がでました。
サイズを大きくしたので、沢山の紋様を入れる事ができました。
仕上がりを見ていると、擬態をしている幼生にも見えてきます。

黒色に見えますが、濃緑の塊で薄くスライスすると濃い緑色に透けます。(透明度は高くない為、薄くしても自然光では部分的にしか透けません)

蛇紋石ではボーウェナイトとも出会っているので、縁があるのかもしれません。(巳年だし(笑))
今後も糸魚川の色々な鉱物で、少しずつ作品を表現したいと思います。
2013年06月23日
翠雪シリーズの新作を紹介します。

前回の神緑シリーズは真夏の木葉をイメージしているのに対して、翠雪シリーズは生命色に染まり解けだす山岳の残雪をイメージしています。



これからの時期に解けだし植物や動物を潤す命の源泉を、このタイプのヒスイから感じました。
白色のみのに見える品もありますが、透かして見ると淡い翠に染まっている事が分かります。

一応シリーズごとに表現を変えており、芽吹シリーズは雪の中から顔を覗かせる「植物の芽吹き」を、彩雲シリーズはゆっくりと流れる「雲の紋様」を本題にし、その表現に合うヒスイを選んでいます。(私なりにですが…)

今年も暑くなりそうですが、ヒスイ(特にこのタイプのヒスイ)を見ると涼しさを感じられると思います。

糸魚川へ来られたなら、海とヒスイの魅力を感じて頂きたいです。(不動滝も最高、でもウルルに注意)
2013年06月17日
先週、不動滝へ行って来ました!
この頃は天気も良く、最高の日和で訪れる事ができて良かったです。
ウルルが出没する前に行けて幸いでした!

訪れるのは久しぶりなので、今年の不動滝の景色を紹介していきます。(去年の訪れから一年も経っていませんけど…)


まずは入口、高龍神と書いてある鳥居をくぐります。
横には不動滝と書いた石碑が、その横はトイレと休憩所があります。(後方には広い駐車場があります)
普段は鳥居の中央に赤いポールがあって、車が入れないようにしてありますが、撮影するので一旦退かしました(笑)。


鳥居をくぐると急な坂道となります。
結構な坂道なので、ゆっくり降りていく事をお勧めします。(途中から手すりがあります)


坂道が終わると広場にでます。
ここにもトイレがありますので、上まで我慢しなくても大丈夫です。
この場所ではキャンプも出来るようで、ある程度の設備も整っています。


広場の橋を渡る手前にはストーンヘンジ…、ではなくキャンプファイア?を楽しむ場所もあります。
広い空間なので大勢で楽しめる事でしょう。
不動滝を創作活動の聖地とできれば楽しいだろうな〜、と感じました。(期間限定での話)


広場を進んで行くと、団体で訪れていたお客さん達に出会いました。
皆さん景色を楽しまれたようですが、昼食を持参している私を見て「羨ましい」と言っていました。(これで何度目だろうか?)
やっぱりここで昼食をとりたい人は多いんだなぁ〜、と感じました。
今度は個々人で訪れて、この空間で昼食を楽しんで頂きたいです。


ちなみに、ここがベストポジションかと思います。
ちょうど木が陰となりテーブルを覆います。(この時期の11時〜12時の間)
屋根のある場所もありますが、どうせなら天上がない方が良いと思うのは私だけではないかと…。
雪解け水で静まる池を眺めながら、遠くで聞こえる滝の音を楽しむ、それが可能な場所です。




目的の不動滝へ進んで行くと、石碑と鳥居、そしてデカイ巨樹が迎えてくれます。(デカイ岩も)
いつ見ても圧倒される巨樹、生命力に溢れた姿は神々しく、私の目には揺るぎない存在に映ります。
鳥居を抜けると殆どが巨樹なので、ちょっと小人になったような錯覚を楽しめます(笑)。



不動滝へ到着!、ちょっと水量が少ないですが、凄い早さで流れ落ちていました。
時期を逃したか、降水量が少なかったのか…、それでも迫力は十分でした。
祠の水神様には、この場所が原産とされている鉱物(梅花石?)が供えられていました。
何か意味が在っての事なのだろうか?、それとも特に意味はないのだろうか…?


帰りに横の小川を見ると、雪解け水で荒れた形跡がありました。
もう少し前に来れば、かなりの水量だったのかもしれません。
一気に水が流れ込んだようで、派手に土砂に埋まっている部分もありました。


そんな小川とは逆に静かな水面をたたえる池…、しかし食物連鎖で激しい攻防が行われている事を忘れてはいけません。(ヤマカガシが獲物を狙っていましたね…)
でも、それすらも美しく感じてしまう自分がいるのに気づかされます。


そして、そんな池の岩陰に咲く小さな花…、小さいのにとても力強く感じます。
共生していると言うよりは、完全に「成り立っている」と感じました。

繋がってはいるけど、個々で完全に成り立つ、そんな強さを自然から感じられた日でした。
2013年06月10日
新緑から深緑へと向かう季節になってきました!(暑〜い夏を向かえる準備をしなくては…)


今年も夏をテーマに神緑ストラップを作成しました。(垂飾にも対応可)


ほぼ期間限定で制作しているストラップです。
この翡翠は非常に良質で、昔の翡翠らしくなかなか手に入りません…。

一見くすんだ緑色ですが、光を透すと鮮やかな翠色に染まります。

その姿は、まるで夏の日差しを受ける木葉のようです。
濃い緑色が真夏の葉を感じさせ、光を受ける事で「輝き流れる生命の美」を映し出しています。

艶も抜群に出るので、強い日差しを受けてより輝いてくれる事でしょう。
身に付けていると、なぜか光合成をしている感じを受けます(笑)。

自然の一部を身に付けて、自然と一体になる、そんな表現をして行けたらと思います。
2013年06月07日
人にとっての「財産と言う存在」を私なりに考えてみました。
まず、遥か古代では財を成す事が非常に困難だったようです。(なので格差が付きにくかったらしい)
なぜならば「貯蓄する事が困難だったから」と言う理由らしいです。(狩猟だったので、格差は無くても優劣はあったように思えます)

この事から考えると、ほぼ永久的に貯めておく事のできる存在…、それが財産となるわけですね。
私は古代人にとってそれは、「鉱物」のみだったのではと考えます。
石器時代から既に人は鉱物という財産を認識し、更に石器(道具)とする事で結果的に、その存在が昇華したのだと考えます。
なので道具=財産と言っても過言では無いかと思います。

よく考えてみれば、金(au)も鉱物であり、金本位制の原点が石器(道具)と言えるのかも。
石器時代では石器が財産であり、そこから時が流れ縄文時代では石器(道具)が共有された為、その上位とした翡翠が主な財産となった、そして金属の時代に入り銅→鉄→銀→金と言う具合に進んでいった気がします。(大雑把な例ですが…)

どれもが不滅の存在で、先に進むに連れて加工が容易になっているのも特徴のように思えます。
やはり個体能力である「加工力(生産力)」が、一部の財を求める者にとって面白くない事だったのだと感じます。(硬い鉱物も技能者も使いづらいし)
この頃から財産は「不滅ではあるけど量産が容易な存在」へと変遷していったのだと考えます。

そして現代では交換券である紙幣が主流となっています。(データに成りつつあるけど)
燃えて無くなる紙が財産…、「ここまで来たか人間!」って感じですね。
要するに「不滅を劣化させ量産を特化させた」って事ですね…、量産が無限となれば「不滅と一緒」と言った考えの基に成された進化(変化?)なのかもしれません。
しかし、ここでも印刷技術という能力が必用となっているので、完全に個体能力を無視する事は不可能のようです。(設備を整えてしまえば人は用済みに成りかねませんが…)

私はこれを財産と言えるのかは、ちょっと疑問であり「ほぼ財産」って感じかと思っています。
逆に鉱物は宝石として「不滅を特化させて量産を劣化させた」のだと思います。(不滅の特化は付加価値で高め、更により耐久力のある鉱物を求めた)

しかし、それは一部の宝石であり大部分の鉱物は、その存在自体を劣化させるようになっています。(人にとっての財産と成らず、道具にすら成っていない鉱物が増えた)

知的財産も基本的に道具であり、無形であるので餓鬼が使っても無くなる事はありません。(劣化はしますが)

私は基本的に物々交換が成り立たないのは「お互いに交換し得る存在を持ち合わせていないから」だと考えています。(「不便であるから」という事も大きな理由だと思っていますが)
この現代で、どれだけの人が物々交換が可能でしょうか…?、正直な話「やって出来ない事はない」というレベルなんだと思います。
それだけ個体としての生産力が劣化したし、交換する基準が複雑に成りすぎたのだと思います。

国で考えれば国民は財産と言います。
と言うことは国民は道具と言う事になるのでしょうか?
不滅では無いけれど、生まれてくるし権利は平等、個体差はそれで解消し税金を徴収する。
そう言ったシステムでは、道具として見ても不思議はないですね…。

まぁ、これは古から繋がる道理でもあるし、道具としなければ財産と成らないのであれば仕方のない現実なんだと思います。
人は財産を持ちたがり、持った者を嫌いながらも依存する、共有を求めて徒党を組む、この原始的な性はどうすれば乗り越えられるのでしょうか?(と言うか乗り越える必用があるのだろうか?)

結局、原始的な基準である色の判別も信号機などに応用されていますが、それでも事故は起こります。(デザインだけにしたら逆に慎重になるのかもしれませんね、渋滞するけど…)
誰にでも判る基準ですら完璧ではない、これにどれ程の期待ができるのでしょうか…?

ここら辺は難しいので良く分かりませんが、唯一だけ判ったのは道具から交換券へと向かっていった存在と、道具から創作へと向かっていった存在があるのだと言う事です。
どちらも財産の領域で在る事には間違いないのですが、役割が違っていて、この二つが上手いバランスにあると人の社会も正常に機能するように思えます。
そしてこの二つは対であり、離れる事のない現実だと言う事も判りました。

創作とは可能性を示す存在であり、方向を示す存在でもあります。
向かうべき場所が判ったのならば、全力で進んで行くことも出来るのだと思います。


※一応書いておきますが「財産」と「宝」は違いますので。
2013年05月27日
奴奈川の玉匠さんの作品を掲載していましたが、当方が玉作さんに対し持ち主の方々への確認要求が不完全であった為もあり、掲載を中止いたしました。
玉作さんの品は受注生産であり、持ち主の方々の思い入れもかなり違うようです。

更に「私のサイトで販売している」と錯覚してしまう見せ方にも問題がありましたね…。
以前にも書いていますが、私が他の人の作品を委託販売する事は有りません。(ピンハネシステムは使わない)
なので私の手元には、その人達の作品は無く納品も無理です。
もっと新規の人達にも分かるようにしておくべきでした…。

私と玉作さんとの間では共有されていても、所有者さんとは共有されておらず残念な結果となりました。
自主制作の品の掲載についても、受注生産と自主制作の違いは明確にはならず、また職人である責任を果たす為に中止を決断されました。
ここで作家と職人の大きな違いに遭遇し、人の品を扱う難しさを知りました…。

今後は新作紹介のみを掲載する予定です。(あくまでも予定)

正直、最初からこのやり方で始めていれば良かったんですよね。
この方式を続けていき、所有者さんに理解してもらいながら掲載すれば良かったと後悔しています。
私の作品の所有者さんとは違うのだから、もっと気を付けるべきでした。

これも勉強、次は同じ過ちを犯さないよう心がけて活動して行こうと思います。
2013年05月27日
現場も変わり、ほぼ初めからの発掘作業を体験しています。

前回は終盤からの参加だったので、現在の作業は少し退屈だったりします(笑)。
でも初めからの調査行程を体験できるので、これも勉強。
出土する土器も少なく土木作業っぽい段階ではありますが、真剣に取り組んでいきます。

それにしても、一緒に作業している年輩者の方々のタフさには驚きます。
特に女性、糸魚川は働き者の女性が多いと言いますが、まさにその通りだと感じました。
これでは男はヒモに成りかねない…、とさえ思わせます(笑)。

しかし年輩の男性にも凄い人がいて、私が同じ年になっても「同じ事ができるのだろうか?」と考えてしまう。
翡翠の領域にいるので失望しがちな年輩者でしたが、ここではそれを払拭させてくれます。
精神が浄化され、始めの心持ちに帰れる気がします。

使っている道具にも少しは慣れてきましたが、まだ余計な力が入っているようです。
道具を使いこなしてこその人間、この発掘が終わる頃には完璧に扱えるようになりたいと思います。



少し話は変わって、糸魚川に翡翠の勾玉の完成形が出土しない理由を考えてみました。

どうしても「翡翠の完成勾玉が一つも出ない」と言う疑問が解消されないのですが、私が根本的な部分を間違えているかもしれません。

翡翠の勾玉は、糸魚川の地で一般の民は持っていなかったのではないでしょうか?(縄文時代でも例外無く)
持っていなかったのなら問題が解決しますね…。

刀狩りもそうでしたが、一旦多勢に持たれると回収する事は不可能となります。
大珠は少し出回ったのかもしれませんが、翡翠の勾玉は誕生した時点で強力な権力者の管理を受けていたと考えると納得できます。(大珠も豪族しか持っていなかったらしいし)

例外は絶対にあり、どこかに埋めて隠す人もいるし、付けたまま孤独に死んだ者もいると思います。(保存条件に問題があるのかもしれませんが…)

でもそれが一切無い、とするならば翡翠の勾玉は権力の管理下にあったのだと思います。
もっと言えば、権力者に献上する為に定型化されたのでは?とさえ思えてきました。
作れる者全てを管理できる存在、そんな存在がいなければ、作っていたのに「一切出てこない」という糸魚川の現状は理解できないです。(奴奈川姫の段階で、そのシステムは確立されていた?)
まぁ、時代が時代なので「制限されていた」程度かもしれませんが…。

今の糸魚川で考えると、この地から全ての勾玉を持っていくのは不可能です。
数が多すぎするし、持ち主も多すぎてどうにもなりません。
でも、こうなる前に管理されていたのなら話は別ですよね…。(しかも現代と違って作れる人は限られていたのだから)

ただ糸魚川で大規模に作られていたのなら、やはり一つくらいは翡翠の勾玉が出ても不思議ではないです…。
もしかしたら、糸魚川で翡翠の定型勾玉が作られていた期間は、とても短かったのではないでしょうか?(奴奈川の地でなく、現在の糸魚川の地での話)

全ての職人は移った後に本領発揮、そんな気がします。
或いは宝飾職人のように厳しい管理・監視の元、この地で勾玉を作っていたとか…?。
何か不備があったら命を奪われる、そんな厳しい掟があったのかもしれません。(それが権力者によってか、作る集団のルールによってかは分かりませんが)


何であれ、この状況では作家は必用では無かった気がします。
作家は束縛を嫌いますし、勾玉は既に定型で、それ以降は職人の仕事になるかと思います。
でも一緒に移動した作家は間違いなくいると思います。(職人の領域を求められていただけで…)

良く出てくる未完成品も、実は職人の未完成ではなく、職人のいなくなった地で残った人が見様見真似で作った品なのではないかとさえ思います。(磨製石器を制作・流通させていた人達とかが)
そうなると、翡翠の定型勾玉が出ていないと言えますね…。

私は、職人なら未完成品を残したりはしないように思えるのです。
また、残った者達は翡翠原石を移った職人優先に供給していたのでは?と考えます。(転石や石割した翡翠を)

この時代より翡翠の勾玉は権力者の証となりますので、後に糸魚川の民が翡翠の勾玉を持てたはずもないですね。
翡翠の勾玉は当時の権力者のみが所有し、長い間一般化しなかった。
更に、権力者以外が持っていた場合、厳しい非難があったのかもしれません。

とにかく「翡翠の定型勾玉は完全に管理されていた」とすれば、理解できます。
或いは単純に、現代と同じように「原産地に良い品が残らない」の理由である可能性もあり、良い品は中央に集まっていったってだけかもしれません…。(この場合、糸魚川の民は翡翠の勾玉に興味がなかった事になるのでは…)


これは私の個人的な感想で、現在も分からない事だらけです。
そして間違いなく言えることは、完全に解明できる事はありません。(全人類と共有できるレベルでの解明は不可能)

それでも考えてみる事は必用で、これは人に赦された「最高の想像」なんだと感じています。


何度も書きますが、これは個人的な意見ですので。
2013年05月26日
今回も、前回と同じ海で出会った赤石を加工しました。


中央部分に近くなったので質が安定するかと思ったのですが、逆により不純物が多くなりました。
その効果?で、魅力的な模様が背部に広がってくれました!
その反面、艶はより不安定となり、自然が作りだした存在を扱う難しさを改めて感じました。




異玉の「千変の幼生」シリーズです。
前回と同様に加工の際は、工具などが真っ赤に染まりました。
作品の形が形だけに「私は産婆さんか」と自分にツッコミながら作成しました(笑)。

不思議な事に黒色の不純物の方が硬く、質もしっかりしています。(おそらくは瑪瑙)
所々に黄色の弱いインクルージョンが入り、艶だしの行程でも削れてしまいます。
均等な面、艶出しには成っていませんが、風合いのある姿には仕上がったと考えています。

赤い部分は粘りが弱く加工の最中にポロっと取れたりして、何度か泣きそうになりましたね…。
当初は足の部分がもっと長かったのですが、欠けていく度に短くなっていきました。
でも加工を終えてみると、丁度良いバランスになったかと思います。


この幼生より千変しながら万化の蛹へと向かう、一つの自然の流れを表現できたかと思います。

これから暑くなり、自然界は謳歌する生命達で溢れていきます。
祝福された季節は短いので、一日を大切に懸命に生きようと思います。
2013年05月21日
◇健御名方富命彦神別(譲渡済みです)
この石はわたくしの玉作人生20年の中で初めて出逢った赤い石。



通常の赤玉と言われる鉄石英系の赤玉とは全く異なり、青玉のような極めて希少な赤い蛇紋岩で長く我が家の神棚におまつりしておりました。
ある朝、手を合わせていると「目が合った」気がして、やっと玉にすることを認めていただいた気がしました。本当に龍の心臓のごとき「威」を感じる大いなる奴奈川の底なる玉です。


奴奈川赤石より砥ぎ出したる赤龍の玉。
全面に真紅の流水紋を持ち、まるで龍の心臓の如く猛々しい恐るべき「威」を持つ勾玉です。
身から迸る赤の威力、血脈の様に走るインクルージョンは命の胎動を感じます。
光源により姿を変え、見る者を強引に納得させる「威」には畏怖を覚えます。



◇沼川の翠鳥
長い間、海中で揉まれた小さな海岸漂着石から磨ぎ出しました。



手が大きい玉作 工人はこの玉を砥ぐに当たり、指だけではなく木で押え道具を拵え、この形状を生み出しました。
一つしか作れませんでしたが、なかなか良い光も生み出せたと思います。


奴奈川の渚に着いた硬玉より砥ぎ出した緑鳩の玉。
全身が翠色に煌き、夕日に映える小さな姿は翠鳥そのものです。
小さいながらも十分に奴奈川の「威」を備え、しとやかに慎ましく持たれる方をお守りする奴奈川勾玉になりました。

玉作 工人   拝
2013年05月17日
今日で今までの区画は、終わりを向かえました。(お疲れ様でした!)

少し前から、新潟県のお偉方が視察に来て急かされていました…。
スケジュール通り進んでいないので「今月中に終わるのか?」と言われていたようでしたが、この遺跡を見て「それだけしか言えないのだろうか?」と疑問に思ってしました。
まぁ、それがその人達の仕事なのだから仕方ないのでしょうけどね…。

そんな事は良いとして、今日は最後に作業を終えた遺跡の簡単な説明を聞き、その遺跡から出土した品々を少しですが説明を受けながら見せてもらいました。
4500年前の村…、完全な姿ではありませんが、自分の目で見ることができて幸せです。
そこで使われていた道具の数々、素晴らしいの一言です。
耳飾りなどもあり創作へと発展した「心の安定」を感じる事もできました。

発掘作業で疲れていた人達も、これを見てとても盛り上がりました。(皆、スケジュールの調整と、寒暖の激しさでまいっています…)

そして何より私が気になっていた、赤石(鉄石英)での石器がありました!
自分の目で見るまで確実と言えませんので、ちょっと心配していましたが、これで古代でも赤石は使われていた事が私自身で確認できました。
今回の赤石は磨製石器ではありませんでしたが、道具として使われ発展して行ったのは間違いないので、いずれ赤石の磨製石器にも出会える事でしょう。(打製石器だけでしたが、赤石の矢尻もありました)

ヒスイも幾つか出土したのですが、加工された品は無く、割られているものが少しあったくらいです。
これは憶測ですが「そのまま流通させていたか」それとも「石割の段階まで行い他へ移したか」だと思います。(両方である可能性も)
遺跡はここだけではありませんので、奴奈川の別の地域に持って行ったとしても不思議ではないかと。
ヒスイの加工には特殊な技術と道具が必用なので、その者(者達)が居る集落へ石割した後に持ち込んだ可能性もあるかと思います。(ここには勾玉の加工に必用な形の砂岩が見あたらない)
この遺跡では幾つも打製石器を作っているのだから、ヒスイの石割くらいは出来た可能性があります。
割っておけば移動は容易なので、奴奈川以外の地域にも持って行ったのではと考えます。

ちょっとした分業があったのだろうか…、それともやっぱり、ここで加工していたのだろうか…?
これだけヒスイや磨斧が出て、ヒスイの加工品が出ないのは異常としか思えない。(大珠なら作れたはず)
私は古代の工人が加工した品を、奴奈川の民が全て手放したとはどうしても考えられないんですよね…。
持ち主が移動していったのなら納得がいきますが、全ての持ち主が移動する現象は普通ではないです。

なので私は、糸魚川にはヒスイの勾玉は絶対に存在すると考えます。
何かの理由で出てこない、それが古代人による理由なのか、現代人の都合なのかは判りませんが…。

と、現時点での私なりに考えたのですが、全く分かりません(笑)。

なんであれ次に調査する現場もありますので、まだまだ色んな遺物に出会えると思います。
夏に近づくにつれ作業的に大変になるのでしょうが、数千年前の存在と対面できる経験は、創作を受け継ぐ私にとっては、代え難い体験となるように思います。

運良く今回のような、遺跡調査に立ち会えた事を嬉しく思います。
この事で色んな事が分かっていくような気がします。
2013年05月15日
海で出会った赤石を加工してみました。


流石は鉄石英、切断するのに時間がかかりました。
そして何より凄いのは、赤に染まる手、水、機械…。
今更ですが、赤石の加工は血塗れのようになります(笑)。
普段は白い粉が殆どなので、赤い粉が大量に出るとビビってしまいます。(水に溶けると血に見えます)
まるで指を切断しかたのような鮮血色、初めてならビックリする事でしょう。



異玉の「万化の蛹」です。(先にサナギを作ってしまいました…)
あえて不純物の多い部分で加工してみました。
この色に、この模様、とても面白いです。
しかも頭の部分には無色の瑪瑙があり、なかなか良い味を出してくれました。
形は体験で感じ取った、縄文風のデザインにしてみました。
サナギは二度目の卵化とも言って良い段階なので、「万化の蛹」は大珠の意味合いを込めた作品となります。(私個人の認識による表現です)

不純物が多いため艶が統一されていない部分もありますが、かえってそれが古代を感じさせてくれる要素だと感じています。

順番が逆ですが、千変の幼生も作りたいと思います。
2013年05月13日
黒曜石は天然ガラスのため、その加工には非常に気を使います。
硬さは天下一品なのですが、堅牢さがまるでありません。



そのため、打撃成形で形を整えることは容易なのですが、磨き成形を開始すると、途端に細かく表面が飛び始めます。
この解決方法は、柔らかい砥石、つまり木の板に研磨砂を付けて磨くことで解決しました。 ちょうどスリガラスを磨いて透明にする感じです。
非常に勉強になった攻玉でした。


旧石器時代から使われ続けた黒曜石。
長野県和田峠産の原石を縄文の玉に砥ぎ出しました。
その姿は山の獣の牙の様に鋭く、色合いは琥珀の様に透き通り天然のインクルージョンが織りなす色合いは圧倒的迫力です。
内部にはこの石が生まれた時に出来た時の気泡が封じ込められ悠久の大地の浪漫を感じます。
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