2013年05月27日
現場も変わり、ほぼ初めからの発掘作業を体験しています。
前回は終盤からの参加だったので、現在の作業は少し退屈だったりします(笑)。
でも初めからの調査行程を体験できるので、これも勉強。
出土する土器も少なく土木作業っぽい段階ではありますが、真剣に取り組んでいきます。
それにしても、一緒に作業している年輩者の方々のタフさには驚きます。
特に女性、糸魚川は働き者の女性が多いと言いますが、まさにその通りだと感じました。
これでは男はヒモに成りかねない…、とさえ思わせます(笑)。
しかし年輩の男性にも凄い人がいて、私が同じ年になっても「同じ事ができるのだろうか?」と考えてしまう。
翡翠の領域にいるので失望しがちな年輩者でしたが、ここではそれを払拭させてくれます。
精神が浄化され、始めの心持ちに帰れる気がします。
使っている道具にも少しは慣れてきましたが、まだ余計な力が入っているようです。
道具を使いこなしてこその人間、この発掘が終わる頃には完璧に扱えるようになりたいと思います。
少し話は変わって、糸魚川に翡翠の勾玉の完成形が出土しない理由を考えてみました。
どうしても「翡翠の完成勾玉が一つも出ない」と言う疑問が解消されないのですが、私が根本的な部分を間違えているかもしれません。
翡翠の勾玉は、糸魚川の地で一般の民は持っていなかったのではないでしょうか?(縄文時代でも例外無く)
持っていなかったのなら問題が解決しますね…。
刀狩りもそうでしたが、一旦多勢に持たれると回収する事は不可能となります。
大珠は少し出回ったのかもしれませんが、翡翠の勾玉は誕生した時点で強力な権力者の管理を受けていたと考えると納得できます。(大珠も豪族しか持っていなかったらしいし)
例外は絶対にあり、どこかに埋めて隠す人もいるし、付けたまま孤独に死んだ者もいると思います。(保存条件に問題があるのかもしれませんが…)
でもそれが一切無い、とするならば翡翠の勾玉は権力の管理下にあったのだと思います。
もっと言えば、権力者に献上する為に定型化されたのでは?とさえ思えてきました。
作れる者全てを管理できる存在、そんな存在がいなければ、作っていたのに「一切出てこない」という糸魚川の現状は理解できないです。(奴奈川姫の段階で、そのシステムは確立されていた?)
まぁ、時代が時代なので「制限されていた」程度かもしれませんが…。
今の糸魚川で考えると、この地から全ての勾玉を持っていくのは不可能です。
数が多すぎするし、持ち主も多すぎてどうにもなりません。
でも、こうなる前に管理されていたのなら話は別ですよね…。(しかも現代と違って作れる人は限られていたのだから)
ただ糸魚川で大規模に作られていたのなら、やはり一つくらいは翡翠の勾玉が出ても不思議ではないです…。
もしかしたら、糸魚川で翡翠の定型勾玉が作られていた期間は、とても短かったのではないでしょうか?(奴奈川の地でなく、現在の糸魚川の地での話)
全ての職人は移った後に本領発揮、そんな気がします。
或いは宝飾職人のように厳しい管理・監視の元、この地で勾玉を作っていたとか…?。
何か不備があったら命を奪われる、そんな厳しい掟があったのかもしれません。(それが権力者によってか、作る集団のルールによってかは分かりませんが)
何であれ、この状況では作家は必用では無かった気がします。
作家は束縛を嫌いますし、勾玉は既に定型で、それ以降は職人の仕事になるかと思います。
でも一緒に移動した作家は間違いなくいると思います。(職人の領域を求められていただけで…)
良く出てくる未完成品も、実は職人の未完成ではなく、職人のいなくなった地で残った人が見様見真似で作った品なのではないかとさえ思います。(磨製石器を制作・流通させていた人達とかが)
そうなると、翡翠の定型勾玉が出ていないと言えますね…。
私は、職人なら未完成品を残したりはしないように思えるのです。
また、残った者達は翡翠原石を移った職人優先に供給していたのでは?と考えます。(転石や石割した翡翠を)
この時代より翡翠の勾玉は権力者の証となりますので、後に糸魚川の民が翡翠の勾玉を持てたはずもないですね。
翡翠の勾玉は当時の権力者のみが所有し、長い間一般化しなかった。
更に、権力者以外が持っていた場合、厳しい非難があったのかもしれません。
とにかく「翡翠の定型勾玉は完全に管理されていた」とすれば、理解できます。
或いは単純に、現代と同じように「原産地に良い品が残らない」の理由である可能性もあり、良い品は中央に集まっていったってだけかもしれません…。(この場合、糸魚川の民は翡翠の勾玉に興味がなかった事になるのでは…)
これは私の個人的な感想で、現在も分からない事だらけです。
そして間違いなく言えることは、完全に解明できる事はありません。(全人類と共有できるレベルでの解明は不可能)
それでも考えてみる事は必用で、これは人に赦された「最高の想像」なんだと感じています。
何度も書きますが、これは個人的な意見ですので。