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2012年06月27日
また浜辺でヒスイを探していると、綺麗な翠ヒスイの漂石に出会う事ができました!


波うち際よりも少し奥の方で、ぼんやりと光を放っていました。
角閃石とヒスイとが混ざり合い、翠と緑の葉が風でざわめくようなヒスイです。
私が「万葉ヒスイ」と呼んでいるタイプのヒスイです。


こちら側は角閃石が流れ込んでいて、ヒスイ自体の質が粗いように感じます。
透明度は高く無いですが、その模様からは自然の力強さを感じます。
43mm程で小さいですが、今では貴重なサンプルとなるヒスイです。


ヒスイとしての純度が高い表側は、光を良く透して美しく輝きます。
遥か古代の、ヒスイが人の傍らに在った時代を感じる場面ではないでしょうか。
この系(万葉ヒスイ)は、何故か海ではあまり拾えません。(コンサワ産の青ヒスイも)


これらはサンプルとして保管しているヒスイ標石の一部です。(拾う確率の高い標準のヒスイ漂石を多めに揃えてみました)
応接間に飾ったり、同じ母石ごとに分けたりして保管しています。
未来の加工人が存在していれば、「糸魚川ヒスイの識別素材」のような役割を担えれば良いと考えています。(産地を分析で出せない以上は、サンプルだけが識別見本となります)


これは浜辺で拾った石英(瑪瑙)達を磨いたものです。
ヒスイ漂石を探していると、たまに出会う鉱物なのですが、この鉱物も模様があり綺麗なので磨いてから部屋に飾っています。
数を揃えて飾ってあげると、それなりのインテリアとなります。

綺麗なネフライトや、面白い模様の流紋岩もあるので糸魚川の浜辺は飽きませんね。
週末になると浜辺を歩く人達が多く訪れます。
その人達も同じ楽しみを共有しているのだろうなぁ、と感じます。

それとは別で、花火のゴミやバーベキューの機材などを捨てて行く人達には腹が立つ。
この海はゴミ捨て場じゃないんだよ、ちゃんと持ち帰れと言いたいですね…。
2012年06月17日
この間、浜辺でヒスイを探していたら美しい紫ヒスイの漂石に出会いました。


海で拾える明るい紫系のヒスイですが、そのタイプの中でも濃い紫色をしています。
3cm程で小さいですが、今では貴重なサンプルとなるヒスイです。


全体に紫色が入っていて、しっとりとした質感がとても魅力的です。
チタン石が入りやすい紫ヒスイですが、目立ったインクリュージョンは見られません。


それほど透明度は高くはありませんが、光を受けて紫色が神秘的に輝きます。
良質の紫ヒスイを拾う事は珍しいので、サイトに標石として掲載したいと思います。

今年も海から良いヒスイを贈られて嬉しい限りです。(まだまだ出会うチャンスはあります!)
ヒスイとの縁はこの仕事に向き合って努力していれば、きっと深く結ばれていくでしょう。(そうであると信じたい…)

その「繋がり」を確認する為に、海へヒスイを拾いに行っているようにも思えます。
良いヒスイを手に入れるなら買った方が早いし、浜辺での漂石では小さいので加工には向きません。
加工材料として求めているのではなく、自分の「運による繋がり」の確認をしているのだと思います。(サンプル集めも兼ねての運試し)
海でのヒスイなので「奴奈川の底なる玉」ではなく「日本海の内なる玉」と言えるのかも。

ヒスイ愛好家の人達の話ですが、ヒスイの方から寄ってくる人が希にいるらしいです。
そういう人には何かしらの理由があるのだと思います。(強運だけではない何か)
海底を探すのとは違って、浜辺で良質のヒスイ漂石と出会えるのは運でしかありません。
そういった運を持つのは、贈り物に感謝して自然との関わりを深める事ができる人なのでしょう。

同時に人との繋がりも大切にして、良い縁で集う人達を大切にできれば言う事ないですね。
価値観を共有できる人達がいれば、その人の人生はとても豊かなものになると考えます。

悠久の時より糸魚川に在り続けるヒスイを、今日に至っても求めて自らの意志を刻む。
この大切さも色んな人達と共有できたら最高です。

ヒスイ加工は百年の歳月を経て伝統工芸の条件(最低条件)をクリアすれば、糸魚川にヒスイ工芸士としての「ある程度の伸び代」を残せる事でしょう。(一級宝石研磨士の資格では、個体能力に大きく依存するので伝統には成り難い)

作る者が要となる伝統と、それを支える事のできる「まちづくり」が重要になると思います。
(これが出来なければヒスイ加工は、ただの換金作業の一つで終わる)

しかし、担い手は「守られるだけの存在」になってはなりませんね。
2012年06月07日
一週間くらい前ですが、大好きな不動滝へ行って来ました!
向かう道が険しく相変わらずの秘境っぷりと思っていましたが、以外にも小型バスなどが3台くらい停まっていて、大勢の観光客がいました。(秘境ツアーだそうです)

しかし束の間の見学でバスに帰って行くので、滞在時間は短かったですね…。
あれで不動滝の魅力が分かるのだろうか?(分かってたまるか!)とは思いましたが、ツアーとは大概そんなものなので仕方ないですね。

人がいなくなったので、今年初めての不動滝を楽しむ事にしました。
あまり写真は載せたくなかった(実際に見てほしい)のですが、ネットで検索すれば出てくるので今更意味無いでので紹介していきます。(カメラを忘れてiPhoneで撮影しました)


滝の前には石の鳥居が構えていて、そこを通って不動滝へ進む事になります。
鳥居自体は古い感じはしませんが、その演出はすごく良いと思いました。
画像には写っていませんが左に石碑があり、不動滝の景色を読んだ詩が彫られています。


鳥居から後方の(入口方面の)写真です。(まだ雪がありました)
大きな池があり、カエルやアメンボなどが沢山いましたが魚はいるのだろうか…?
夏になるとトンボが飛んだりして、より多様な生物が生息します。
池の反対側には滝から出来た小川があって、そこでちょっとした川遊びもできます。
座る場所もあるので、ここで昼食をとるのが一番の楽しみとなっています。
この「楽しみ方」を知っている人は結構います。


鳥居の周りには大きな木が幾つもあります。
すげーデカイです、特にこのカツラの木からは「大いなる何か」を私は感じています。
どれだけ生きて何を見てきたのか…、そんな存在が身近に在る事を幸せに感じます。
この木をテーマに冊子デザインを作りたくなりますが、それは後々の楽しみとしましょう。


鳥居を抜けると、いよいよ不動滝が見えてきます。(鳥居からも見えますが…)
今回は雪解け水により、かなりの水が流れ落ちていて辺りが少し霞んでいました。
ここだけ温度も低くなっていて、長くいると肌寒くなってきます。
大量にマイナスイオンが出ているからと言って、長居すると風をひくでしょう(笑)
毎年見ていますが、いつ見ても素晴らしい滝だと感動します。(派手じゃない所が良い)
ここで作品の禊ぎをする事もありますが、国津神ゆかりの地なので天津神は…、とも思いますがヒスイ自体が国津の地にあるので問題ないですかね。(天津の地でもありますし)


不動滝の傍らには、小さな祠がひっそりと佇んでいます。
この祠自体は良い雰囲気なのですが、手すりが場に合っていない!
せめて色だけでも場に合わせた色にしてほしい!、と思うのですがこの辺りは豪雪地帯なので、すぐに塗装が剥げてしまうのだろうな…。(もう石材で手すりを作るしかない?)


こちらは不動滝へ降りる為に、車を止める駐車場で撮影しました。
もう6月近いと言うのに、まだ牡丹桜が咲いていました。
何本か植えてありましたが、今年の豪雪で多くが折れてしまっていました…。
それでも見事に花を咲かせている姿を見ると、植物の力強さを改めて感じる事ができました。

これから夏に近づくとウルルが大発生するので、今の内に不動滝を楽しむ事をお勧めします。
とにかく不動滝へ行った際は、車からすぐに降りずに車内で様子を見ましょう。
ウルルが発生していれば、車の窓に大量にぶつかってきます。(窓は閉めているように)
窓を開けていると大惨事になりますので、くれぐれも気を付けて下さい。
2012年05月27日
私の考えですが、人の祖先が人間として進化した瞬間は「道具を使いこなした時」だと考えています。
人類が初めて手にした道具は石であり、石器時代と言う「人として最初の文化」を作りました。
人ならざるものが人として進化するのに、石は欠かせない重要な存在だった事が解ります。

現代でもヒスイの所有を願う人は、遺伝子に石との関わりが深く刻まれてるからだと思います。
今でも人は進化を望んでいて、その方法を本能的に感じとれる人達がいるのだと考えます。
どんな鉱石にも進化を促す要素は含まれているのだと思いますが、ヒスイはその中でも「独特の文化」と成るほどに人類に愛された存在となっています。
人(特に日本人)にとってヒスイとは、とても重要な存在であり、向き合って再認識する必要があるように思うのは私だけでしょうか…。(地球と繋がっているように思えます)

人の進化に競争は必要と言いますが、必ずしもそうでは無い事が分かります。(唯の消耗ですから)
一般的に言う競争とは勝負の前段階であり、子供が自身と向き合う為に行う「予行練習」ですね。
勝負とは「一対一で限りなく同じ条件にして正々堂々と向かい合う事」ですから、身体能力や才能が同じ自分自身との勝負が最終的な試練となります。

スポーツ(特に武道)をやっていた人になら分かると思いますが、他者との勝負の際には第三者の審判が必要となり、その第三者の「誤審」や「しがらみ」によって結果が変えられてしまう事があります。
そういう中でも覆せない結果を出せば他者から賞賛されますので、自分を「その領域での高み」に上げる為には、必ず通らなければ成らない道ではあります。(期間限定の修行みたいな感じ)

しかし最終的に進化とは己自身の問題であり、人が進化に求めたのは競争では無く石(意志)です。
生存戦略としての縄張り的な本能はありますが、それは現段階では現代人に進化を促す要素ではない。
原始に共に生を繋いだ友として石は存在し、ヒスイは人の繁栄(反映)そのものだと考えます。

正々堂々の勝負でもなく、お互いに命を賭す決闘でもない、自分の立場を有利にして競い、間接的に人を死に追いやる、そんなものが人を進化させるはずはなく、それで生み出されるのは「人ならざるもの」でしょう。

人類に天敵がいなくなったと同時に、人は同じ人間を恐れるようになりました。
人間同士で争い「共通の敵」をつくる事でしか団結できない悲しい存在…。

結局そういう者は原始(子供)に戻っているので、一から進化(成長)をやり直すしかないでしょう。

まぁ、これは私の主観での話であり、賛同を求めるものでは無いですが…。
2012年05月17日
大好きな夏を待ちきれずに、こんなデザインを作成しました。(実寸はA4サイズ)
かなり以前から考えていた、Wbe用図鑑の企画として形にしたデザインです。


タイトルは「birth」で、以前に私が撮影した画像を使っています。(無断転載禁止)
この場合の「誕生」のコンセプトは、「孵化」ではなく「羽化」を指しています。
今回は、私が一番好きなセミの羽化をメインとして、その場での感動などを書いています。
(二番目に好きなのはトンボです)
羽化のみの図鑑として形に出来ればと思っていますが、個人規模だと流石に大変ですね…。

人によっては気持ち悪いと思う人もいるでしょうが、この羽化の時こそが昆虫の一生の中で、一番美しい場面だと私は感じています。
その姿は透明感があり、ヒスイにも良く似ています。(内から光を放っている感じです)
セミ(特にアブラゼミ)の羽化したての姿は、海岸で良質ヒスイを見つけた際の姿と同じに感じます。

幼少より昆虫が好きで、その中でもセミが大好きでした。
セミが鳴くと、呼ばれたように虫網を持って走り回っていたのを思い出します。

何故そんなに好きだったのかは未だに良く分かりませんが、この仕事をするようになって、そのヒントに幾つか気づく事ができました。

一般的な昆虫の成長を見ると、卵→孵化→幼生→蛹→羽化→成体となります。
これを私の計画に合わせてみると、大珠は「不変の存在としての卵」で、やがて来る孵化に備えて力を蓄えている状態、異玉は孵化をすませ「第一段階の成長を進める幼生」で、再び誕生する為の準備をしている状態、勾玉は大珠と同じで「不変の存在としての蛹」で、羽化に備えて蓄えた力を守っている状態、生玉は「無事に羽化できる為の自然の加護」で、精霊が宿る事により二度目の誕生を可能にする状態、神玉は羽化であり「第二段階の成長を進める成体」で、今まで継がれたもの全ての集合体として成長する存在です。
(これより先の第三の進化も考えられますので、可能性は無限大です)

私が最終的に望むのは、地球(神)とのコラボレーションです。
もう人は自然そのものから、神を感じる事が出来なくなっているのではないだろうか…、と考えてしまう事もありますが、呼び起こす「きっかけ」があれば再び感じとる事ができるようになるでしょう。

今は一方通行の片思いのような状態ですが、必ず自然から何かしらの応えを得たいと考えています。
(他者との競争ではなく、自分との勝負であり、審判が人間以上の存在の地球であるって感じです)

人は常に自然から学び、自然の資源を使うことで成長してきた事が良く分かります。
根本は皆同じ道理で動き、人自体から地球と切り離した存在など生まれてこない事が理解できます。

人の作ったものは「人間の本質」を映し出しています。
人間社会に存在する全てのものは、人の本質を具現化した存在だと認識すべきです。
人の「素晴らしい部分」と「浅ましい部分」とに向き合って、人を再認識した方が良いでしょう。

とにかく人としての「燃費の悪さ」はどうにかした方がよい、本当に未来を考えているのだろうか…。
2012年05月07日
久しぶりですが、石英の話をしたいと思います。


今回は水色の石英のサンプルを紹介します。
ゴツゴツとした水色の塊が集まっていて、川での採取なので川擦れにより丸みを帯びています。
本来はもっと角張った結晶だったのでしょう…、そのサンプルが手に入らないのは残念です。


側面にも小さな水色の塊が幾つも見られます。
その他にも黄鉄鉱や白色の石英の層を見る事ができます。
キツネ石と言われる鉱石に良く似ていて、前回のクリソプレーズにも母石が似ています。


逆の側面には、緑色の石英が入っています。
濁った緑なので綺麗ではありませんが、よく見ると白色の石英の中で緑色が混じり合ってる感じです。
この石は上から、青→緑→白と三つのラインに分かれているのが面白いです。

緑色や紫色の石英はタイプが違っても多く存在していますが、青〜水色の石英は珍しいと思います。
植物でも青色は種類が少なく、青は色としての希少性はかなり高いようです。

この大きな塊の部分でルースを作ったら、きっと水の結晶のような品ができるのでしょう。
もう一つ同じサンプルが拾えたら磨きたいと思っていますが、未だ一つしか拾えません…。
小さくても良いので、もう一つは拾いたい!


石英も加工意欲を沸き立てたのですが、ヒスイという鉱物を知り、国産ヒスイの歴史を知れば、私が何故この存在に自分の意志を刻むのかが理解できるかと思います。
この話は、また別の機会に書いていきます。
2012年04月27日
以前から形にして行きたかった「作る人達の集う場」を進めていく事が出来そうです。
一度はそれを目指して行動しましたが、人間社会と言うのは結局「主導権の奪い合い」なので、同じ利益を奪い合い、競い合う事からは逃れられない事を学びました。
その経験を活かして、同じ利益を求めない人達との共有を目指して進んで行こうと考えています。

始めにお伝えしますが、新しくカテゴリーを作っていく人達は、ibitsの一員と言うわけではありません。
あくまでも作る際に「協力して下さった人達」としての紹介ですので、誤解のないようお願いします。
それぞれが自身の看板(ブランド)を背負って活動している人達です。
また、自立しようと努力し、独立を目指している人達とも協力していくつもりです。

何よりも重要なことは「主導権の奪い合い」はしないと言うことです。
小さな枠組みであればあるほど、お山の大将権の奪い合いになり、それを利用する依存者が出てきます。
しかし扱っている品が違うのであれば、利益を奪い合う事はありません。(この領域内では)
また、同じヒスイであっても古代製法に近い加工での品は、私の商品の範疇にありません。
なのでこれらの品も作家も紹介して行きます。

紹介していくのは、主に私が他店にヒスイ以外の加工をお願いして作るコラボ作品です。
それぞれのお店は自分独自の作品を持っていますので、そちらが必要な場合は、そのお店から直に購入るのが一番良いと思います。

ここでは最低でも「自分で作って売るルール」を共有する人でないと協力は難しいです。
(販売にもの凄く特化した人は別として)


■作家の紹介

HANDMADE&ORIJINAL【シルバーアクセサリーWAPITI】
代表 池津敏行さん/店長 池津純子さん
〜世界にひとつをあなたに〜
ワピチは"手作り"にこだわるオリジナルシルバーアクセサリーのお店です。
サイズ直し・修理からカスタム・フルオーダーまで承わっております。
どうぞお気軽にご相談ください!


不留玉の社(フルタマのヤシロ)
作家 青舟さん
”いにしえの美”をあなたへ…
古代の玉に、糸魚川ひすいに魅せられ、京都最北端の地”丹後”にて勾玉造りを行っております。
製作は古式製法、現代製法にこだわらず、ただ、結果を求め、
良い玉を生み出すべく最善の方法を模索しております。


ワピチさんは長岡にお店を持っていて、シルバーアクセサリーを中心に販売しています。
サイトを覗けば、ワピチさん主動の品々がたくさんあります。
友人の紹介や同じ新潟県と言う事もあり、糸魚川ヒスイのシルバーアクセを作ってもらいました。
私にとって「ハンドメイドである」って事が特に重要な事でした。
お店を持って運営しているので、安心してヒスイを預ける事ができました。
もし糸魚川ヒスイの品が必要な場合は、こちらにも協力要請があるかもしれませんね。

不留玉の社さんは、4年前からの知り合いが立ち上げたサイトです。(現在調整中)
息子さんが親父さんの夢に共感して、HPなどの制作や販売窓口を行っています。
この領域の人は、よほど信用のある人でないと関わりたくないのですが、4年の間の向かい合う姿勢を見て信用のおける人だと認識しました。
自分が作る対象を研究し、足を運んで自分の目で調べてくる真面目な人です。
私にとって重要な事は「唯の愛好家では無い」って事で、底の浅い人ではない事は確かです。

今後も、自分の誇りや哲学(ルール)を持った作家さんと関わって行きたいと考えています。
そのルールが、私が共有できる範疇のものならば、協力して表現を開拓していきたいです。
とにかく「向き合っている姿勢」が重要なので、協力する際は慎重に判断したいと思います。

これから訪れる未来が、作る側の人にとって生きやすい社会である事を願います。
2012年04月17日
この頃、〜風の商品が目立つようになってきました。(存在は昔から在ります)
例を挙げると「糸魚川ヒスイ風」や「海石風」といった商品ですね…。
〜風というのは「そのものでは無い」って意味ですので、間違わないようにして下さい。
でも、この類の商品は「糸魚川ヒスイ」や「海石」と錯覚させて販売されています。
こうなってしまうと、後は購入者の目利きでしか判断できないでしょう…。
(二つとも詳細を明記しているのなら問題はないと思います)

■糸魚川ヒスイ風
そのままの通り、外国産ヒスイや類似した鉱石を糸魚川産のヒスイとしている商品。
作る事が出来ず「安く仕入れて高く売る」を狙う人達の手法。
それなりに手をかけてあるので商品自体が無価値ではないが、売り方に問題がある。

■海石風
海の漂石に似せて、ヒスイ原石を砕きバレルで艶消しに仕上げたヒスイ原石の商品。
主にヒスイ漂石マニアを狙って暴利な儲けを狙う人達の手法。
ヒスイ自体は本物で、手もかけてあるので無価値ではないが、売り方に問題がある。

これが「古代風」という表現なら理解もできます。
現在において、遥か古代の品々を生み出す事などは不可能ですので「ぽい」や「な感じ」として、作る者が表現するのは当然だと思います。
この表現方法の重要な事は「古代の品」として顕示も販売もしていない事です。
(希に骨董屋で遺跡から出土したとして、古代風の品を販売している事もあるらしい)


そう言えば最近、糸魚川へ来たお客さんから質問されました。
質問は「これ糸魚川のヒスイですか?」と言う事でしたが、当店の品では無かったので困りました…。
その施設の店員であった時は明確に答えていましたが、今は違いますので他店の品の鑑定はしないようにしています。(店員であった時も利益を得る者からはかなり嫌がられましたし…)
今の私が言える事は「誰が何処で作ったか、どのお店の品なのかを調べ、作り手と販売店に納得がいくまで確認するしかない」って事です。
それか糸魚川ヒスイのサンプルを目に焼き付けるしかないです。(日々錬磨して)

更に質問されたのは「透明度が高い方が良いんじゃないですか?」と言うものでした。
基本的に透明度が高い方が良いヒスイですが、例外として「アルビタイトに近いヒスイ」や「不純物の多いヒスイ」も透明度が高い場合があります。
これを自身で見極める方法は、一度それを加工してみるしか無いです。
その前に加工を学ぶ必要があるのですが…、まぁ、欠片の研磨くらいなら何とかなるかと。

私的には、どの糸魚川ヒスイにも価値があり魅力があると考えていますので、この質問の答えは「全てが良いヒスイです」となってしまいます。(どれにも使い方がある)
ですが、明らかにそういった答えを求めていない人達もいますので、あえて言うならば「磨きに手間のかからないヒスイが高価」と答えておきます。

これは一つの基準としてなのですが、磨きに手間を必要とするヒスイは硬度や純度に難があります。
ある方面では、それが魅力ともなるのですが、今回の質問(質問者)に対してはベストな答えかと。
なので初めてのヒスイの場合、一度サンプルを加工しなくては解らないかと思います。
今回の質問は「作られた品」に価値があるのかを尋ねたのではなく、「ヒスイ自体の価値の見方」を尋ねられたのだと私は解釈しています。

この条件をクリアして更に、「高い透明度」と「鮮やかな色彩」が加わったヒスイこそが、最も良いヒスイだと他者に胸を張って言えるのでは無いでしょうか?(不純物が無くては発色しませんが…)

後はそのヒスイで「誰が何を作るのか」が問題となるのですが、現段階では「ヒスイ自体に価値が在りさえすれば、それなりの価格を付けて売れる」という現状なので、あまり重要では無いのかもしれません。
また「鮮やかでは無い色彩の美しさ」も、まだまだ共有できる状況では無いようです。

何であれ、糸魚川ヒスイの基準が構築されていないので、どうにも混沌としています。
その方が利益を得やすい人もいるのでしょうが、これではまるで進歩がない。

しっかしこの話は最後には「お金を求める」か「名誉を求める」かの話になりそうですね…。
2012年04月07日
こちら糸魚川は、まだまだ春が訪れず、今日も雪がチラチラと舞い、冬に戻った感じです。
今回の品も、早く暖かい季節が来る事を願って制作してみました。



深い緑と明るい翠が入り交じるヒスイ「万葉」で制作。
不純物の部分を削りながら作っていったところ、ヤギ? イヌ? タツノオトシゴ?…、なんか不思議な生物の異玉が仕上がりました。(絶滅種でも良いかも)
今回の異玉は試しとして艶を出しつつ、古代っぽく仕上げてみました。



こちらも深い緑と明るい翠が入り交じるヒスイ「万葉」で制作。
形なりに研磨したところ、ヒラメ? サメ? ハッパ?…、やはり不思議な生物の異玉です。
こっちの方が色も鮮やかで、その模様からも木々のざわめきが聞こえてくるようです。

このタイプのヒスイを「万葉」としているのは私だけで、ヒスイ業界の用語ではありませんので、誤解の無いようにお願いします。(念のために…)
万葉ヒスイは春〜夏を想わせ、命の躍動を感じさせるヒスイなので、その季節とそのテーマに添って制作して行きたいと考えています。

ヒスイには他にも種類が数多ありますから、それぞれに名前を付けて、どれもが「必要とされている領域」を創って行けたらと思っています。
地球が創った存在ですから、どれもが貴重であります。
それを人間社会(特に商売)と共有するのは困難な事ですが、だからこそ面白いって事もあります。

様々な表現を入れ込み、総合力を高めて立派な作品にして行けたらと思います。
その為には、他の表現者とコラボしながら進める部門の開拓も必要だと考えています。


注意するべき事は、表現の開拓(他者とのコラボなど)は利益率が良くないと言う事です。
利益率を考えるのなら、自分一人で完遂できる商売が一番収率が高いでしょう。
その上、手を加えず拾った物を売るのなら尚のことですね…。
基本的に商売とは、より原始的な方法であった方が利益率は高いです。(あくまで利益率の話)

それでも新天地を開拓し進むのが、現代人の定めだと考えています。(原始人じゃないし…)
2012年03月27日
この糸魚川では、どうしても「ヒスイ故郷」として、ヒスイが主役になりがちですが、実際は「姫の国」としての奴奈川姫の存在が重要になります。

なんたって奴奈川姫は消耗しない「うつろわざるもの」ですから。
神話やおとぎ話で伝承されている別次元の存在です。

そして何よりも重要な事は「奴奈川姫=糸魚川」であって、糸魚川のみが主導権を持っています。
ヒスイは原石が他県に流れたらそれで終わり、勝手に都合良く使われ消費して行きます。

本当なら「糸魚川の納税者でなければヒスイを扱う権利を得られない」と言う、権限を行使できれば良いのでしょうが、この糸魚川が王国でもない限り不可能でしょう。(それに今更ですし…)

今でさえヒスイ原石が他県に流れているのですし、販売も殆ど卸になっています。
それにこれは「価格の守れない者(業者)から、価格の守れる者(業者)へ渡っていく」と言う商売の常なのでどうしようも無いですね。

結局、良質ヒスイの多くは他県の者が所有している始末、周り回って先人の報いを受けている訳です…。
これはもう、くだらない「イタチごっこ」ですよ。

だからこそ「絶対に持ち出せない存在」を重視しなければならないと考えます。
奴奈川姫を反映した商売は、なにもヒスイだけではありません。
奴奈川ブランドによる奴奈川ファションとしても面白くやれるかと思っています。
(ヒスイも奴奈川ブランドの一要素であれば良い)

例えば高校の制服を和風・古代風のデザインを取り込んでみるとか…。(私立なら可能かも)
コスプレ感が否めませんが、控えめにしながら独創的なデザインにすれば良いかと。
これから「そう言った趣向」の若者も増えるので、糸魚川も注目されるのでは無いだろうか…。
女性なら「奴奈川スタイル」男性なら「八千矛スタイル」でやれば面白い制服が仕上がるかも。
(夫婦としての扱いではなく、男女としての区別のスタイルです)

更に限定のデザインのお守りを持たせても良いですね。
特に小学生から教育の一環とすれば、その存在の大切さが伝わるかと思います。

すり込みではありますが、所詮は教育も同じですので何を伝えるべきなのかを決めた方が良いです。
奴奈川姫は糸魚川が存在する以上は不滅ですし、うつろわざるものは人類が存在する以上は不滅です。
そして人類によって完全に消費される事の無い「絶対的な宝」となります。

ヒスイが「糸魚川の宝」として維持できなくても、「日本の宝」として維持できなくても、「人の宝」として維持できなくても、うつろわざるものは「人類の宝」であり続けます。

これが「無形財産」の最大のメリットであり、弱点である領域は「有形」とすれば顕示できます。

即お金とは成りませんが「結果は後から着いてくる」を信念に進まなければ、いつまでたっても「幼稚な商売ごっこ」からは脱却できません。
特に「良い品を安く売る」こんな子供でも出来る遊びをしている場合ではない。


最近は特に商売の敷居が低く成りすぎて、混沌としている気がする…。
人類は短命であったから進化したと言われていますが、寿命が2倍になったと同時に進化率は半減したのかもしれませんね。

日本が今のステージで稼ぎたいのだとしたら、新興国と同じく商売中毒(商売ジャンキー)となるしか無いかと思います。(割に合わない事も平気でしますし)
今までの記憶を消して最初からやり直す事も考えられますが、現実的ではないですね…。
やはり次のステージに進んで、新たな「熱中対象」を発見するしか方法は無いかと。

しかし日本は世界に先駆けて「少子高齢化」となっています。
これは人類進化の必須条件なので、そういう意味では最先端を行っています。
誰が考えても増え続けて成り立つ地球ではありませんので、日本が世界へ向けて「在るべき姿」の見本となる日が来ることを願っています。

※現実の事を書く際には、同じ事を繰り返し言い続けて行きます。
 この世の中に信用しうる確かな事は、私にとっては非常に少ないので。
2012年03月17日
やがて来る春をイメージしてストラップを作ってみました。


開花のカケラ。
紫ヒスイとウッドビーズを使ってストラップを作成しました。
開花に向けて、枝に蕾を付けた様子を表現してあります。



芽吹のカケラ。
白翠ヒスイとウッドビーズを使ってストラップを作成しました。
厳しい冬を耐え、芽吹に向かう様子を表現してあります。
若干ウッドビーズの種類を変えてあります。

あまり手を加え過ぎず、素朴な感じで仕上げてみました。
この品を春の間に観光物産センターなどへ出して行こうと思います。


やはり、糸魚川に来て購入して頂きたいですね。
こちらの自然は素晴らしく、何とも言えない神秘的な気配を感じられる場所が多いです。
人間性はどんな土地でも「善し悪し」がありますので、過剰な期待はしない方が良いですが、自然の中で自身が感じられる感覚は間違いなく「正しい」と言えると思います。

私もこの基準に従い、こちらに移り住みました。
自然が美しさを増す、暖かな春が来るのが待ち遠しいです。(杉花粉が難敵ですが…)

この糸魚川の魅力を堪能した後に、思い出として糸魚川ヒスイを購入して頂きたい!
海岸でヒスイ漂石を探してみると、その貴重さも分かるかと思います。
(変わった模様の石も沢山ありますので、ヒスイを拾えなくても面白いと思います)

注意点は、胡散臭い人や店には近づかず、自然と向き合う事を主とした方が無難です。
ここまで来て嫌な思い出を残されては悲惨すぎますので…。
2012年03月07日
昨日、気晴らしを兼ねて、近くの海へ漂石拾いに行ってきました。
風はあまり無く、波もこの時期にしては激しくなかったです。
探しやすい環境だった為か、ヒスイを幾つか拾うことができました。


普通は白色〜灰色の透明感の低いヒスイが拾えるのですが、今回は私が今まで浜辺で拾った中でも、かなり良いヒスイに出会えました!
現代で漂石として拾えるヒスイの中ではAランクと言っても良いかと思います。
これなら「標石」としての展示が可能かと思います。


裏側の質は不純物が多い感じですが、ちゃんと翠が入っていて透明度の高い部分もあります。
ヒスイ全体が、ちょっと暗い薄緑に染まっているので派手さはありません。
太陽光で見ると細かなヒスイ輝石がびっしりと詰まっていてキラキラと輝いています。


全体的に透明度があり、自然光でも薄翠に光が透けながら膨張します。
サイズも、このレベルにしては大きい方なので貴重と言えるかと思います。
昔ならこのレベルも多く拾えたのかな、と考えると羨ましい限りですね…。


今までも浜辺で幾つかヒスイを拾っていますが、海に潜ってまで拾う事はありません。
自分で採取したヒスイサンプルは、私のヒスイ知識に対しての基準となります。

PCで言えば「OS」であり、プリンターで言えば「色認識機能」ですね。
基準が狂っていれば正常に機能しないし、見当違いの色をプリントし続けてしまいます。
なので自分が経験して納得していない事柄に対しては、全て否定から入るようにしています。
未経験でも確実に認めざるを得ない事実が在る場合以外は、信じる事はありあせん。
(あくまで人間社会での私自身のスタンスですので)

これと同じく人としての基準もあって、それが狂っていると正確な判断ができません。
幼少期に何で基準を構築したかで、成人してからの価値観が決まると考えています。

自然・親・友人・教育などの繋がりは大事で、そこから何を学んだかが重要になります。
それと物事を考える時は、その対象の原点へ目を向ければ大体の事が理解できます。
始めから持っている性質を、途中で完全に「無かった事」にする事は不可能です。

必ず因果があるので、それを理解した上で生きていく事が必要だと思います。
2012年02月27日
アイビッツの語源でもある、ヒスイのカケラ達です。


これからストラップにしたり、垂飾にしたりして完成品にしていきます。
シルバーパーツの仕上がりが遅れている為、それを使用する品の作成が遅れていますが、3月中にはアップできるかと思います。(もうしばらくお待ち下さい)

さすがに今年はスサノオの年なので、まだまだ寒い日が続きますが春は必ず来ます。
その春の訪れを想わせる芽吹きのヒスイ(白地に緑)や、開花のヒスイ(紫〜薄紫)でカケラを作成してあります。(3月〜6月くらいの季節に合わせた色合いで作成してみました)

以前から季節の移ろいと同時に、ヒスイ自体も変えて表現して行きたいと思っていました。
これは、ある意味での「制限」なので商売としては得策ではないでしょうが、作り手としては明確なテーマを持って品を作成できるメリットもあります。

問題は、毎年そのテーマに合うヒスイを安定に供給できるのかが課題になるでしょう。
特に紫ヒスイと青ヒスイは難しくなりそうです…。(絶対数が少ない)

それでもカケラとしての規模でもありますし、大量に販売する訳でもありませんので、私の生きていく間はどうにでもなるでしょう。(そう売れるものでもないですし)

ですが、作り手として「未来に伸び代を残す」事ができないのでは情けない…。
羽化せず食い荒らす事しか出来ない、大きなイモムシやケムシには成りたくないです。

自分なりにでも、作る側として生まれてきた責任に向かい合って生きなければなりません。
2012年02月17日
引き続き石英の話を続けていきます。


こちらは前回のサンプルとは違った場所で採取しました。
所々に緑色の部分があり、その緑色の中で層状に分かれているのが特徴です。(瑪瑙っぽい)
また、全体に入っている茶色の部分は鉄分の酸化(錆び)によるものだと思います。
片面を磨く事で特徴が分かりやすくなりました。


反対側の割れた面には、中央付近に空洞があったらしく、そこには微細な水晶が見られます。
同時に細かな黄鉄鉱も見られ、茶色の発色はこれが原因だと考えられます。
以前のクリソプレーズとは、かなり異なる形状をしています。


表面からも緑色が見られるので、磨けば色が出てくる事が想像できした。
母体が石英で、緑色の部分が瑪瑙、結晶の部分が水晶と言うような感じに思えます。
なかなか面白いサンプルを拾いました。

この川には石英系が多く、瑪瑙を苗床にして水晶が育っている典型的な標本もありました。
しかし緑色が入っているのは、このサンプルだけで他には拾えませんでした。
10年以上も前の事なので機会があれば、また探したいと思います。


鉱物愛好家は石英から始まると言うとおり、石英はとても魅力のある鉱物だと思います。
小学生の頃から水晶を探して、一人で川に行っていた事を思い出します。
あの頃に今のような知識があれば、もっと楽しく探せたのだろうなと思うことがあります。

こういった遊びを安全に子供に教えられるのは、大人だけだと思います。
一番楽しい時期に良い思い出や経験を残す事が、人の成長に重要な事のように思えます。
(同時に自然の厳しさも学ぶ事ができますし…)

つづく。
2012年02月07日
今回は千聖さんが作成しました品を紹介します。
これらの品は時期を見てショップに出していきたいと思います。


シルバー925でハンドメイドした黒ヒスイのトップです。
型で作られた枠とは違い、暖かみの感じる仕上がりとなりました。
黒ヒスイをスクウェア状に加工した事で、シャープさも出せたかと思います。


シルバー925でハンドメイドした黒ヒスイの指輪です。
しっかりとシルバーを使ったので、シンプルなデザインにしました。
こちらも黒ヒスイをスクウェア状にする事でシャープさを強調してみました。


ヒスイの小さな欠片をビーズと組み合わせて、ストラップを作りました。
小さいので穴あけが大変ですが、手をかけてあげれば可愛らしい品になると思います。
女性用・子供用のお土産品として作りました。


薄翠のヒスイの珠にビーズを合わせて首飾りを作りました。
ヒスイの柔らかなフォルムと、ビーズのカチッとした感じを融合してみました。
どうしてもビーズの方が目立ちがちになりますが、今回は上手くいったかと思います。


芽吹き色のヒスイで小さな勾玉の首飾りを作りました。
勾玉を挟み込む金具にシルバー925を使用して民族装飾っぽい感じを持たせました。
勾玉ではありますが、アクセサリー的な感覚で身につけられるかと思います。


白に翠が映えるヒスイの玉と水晶ビーズを使ってブレスレットを作りました。
水晶によって澄んだ水がヒスイへと流れ込むイメージを形にしてみました。
高額になりますが、国産の天然水晶を使用して作る事も可能です。


これからも少しずつですが、作品を増やすように努力して行きます。
2012年01月27日
今回のは更に茶色と黒色のインクリュージョンが多く、不完全なサンプルとなります。


色は最初のサンプルに似て濃い緑色をしています。
モヤモヤとした緑色の濃淡があり、それが面白い模様となっています。
石英部分が濃い緑色になるにつれて、石質も安定している感じを受けます。


外側と思われる部分は茶色の皮が張り付いている感じで、所々で結晶化した石英が見えます。
やはり内側よりはヒビがあり、質感も劣るようです。

どれも手の平で包み込めるサイズで、大きいのは見つかりませんでした。
このタイプの大きな塊はあるのだろうか…、どこかにひっそりと存在している事を期待します。

糸魚川にクリソプレーズが出る事が分かったので、もうサンプルは十分です。
そろそろ「ヒスイを探さなければ」と考えるのですが、綺麗な鉱物があると気を取られてしまいます。
もうしばらく石英(違うタイプの)に心を奪われる時期が続きます。


今だから分かるのですが、最初はどうしても「外見の美」に向かっていきます。
実際にヒスイを拾った時は、その姿の平凡さに感動する事もありませんでした…。
これなら「良質の蛇紋石や石英の方が価値がある」とさえ考えました。

しかし、これから後に私の中で、その考えが大きく覆る事になります。
(色の良いヒスイが拾えたからでは無いです)

その話はヒスイ編になってから詳しく書いていきます。

つづく。
2012年01月17日
サンプルを探していると同じタイプの鉱物数点を見つける事ができました。


ほとんど全体が緑色の石英の塊となっていますが、所々に茶色と黒色のインクリュージョンが見られます。
緑色も前回のと比べると明るい色で、結晶としては少し不完全な感じがします。


裏側はヒビが多く表面が粗い感じがしますが、中心部分も粗いかは分かりません。
混ざり合っている為、部分的にしっかりした所もあるので面白い鉱物です。

このタイプは通常では艶を出す事が難しく、ヒビが多いので磨き出しても余計に粗が目立ってしまいます。
ですが、ここまで石英部分が多く、ヒビの無い面があれば綺麗に仕上げる事は可能になります。

本当はそのままの姿が良いのですが、空洞にできる水晶と違って表面を川で擦られている為、そのままでは白くパサついています。
なのである程度の研磨が必要になるかと思います。(水に浸けて保存する方法もありますが…)
クリアラッカーを使うと時間の経過に連れて黄ばんでいくので、あまりお勧めできないです。

しかし、これも国産のクリソプレーズと言えるのだろうか…?
これが何であれ綺麗な鉱物である事は間違いないので満足なのですが、やはり素性を知りたくなります。
鑑別に出して分かるものなのだろうか?石英って出てきたら「知ってるよ」って言いそうです…。

つづく。
2012年01月07日
今度は緑色の石英(クリソプレーズ)の話をしていきます。


こちらの石英もヒスイを探していて出会いました。
糸魚川ではヒスイに間違われる代表的な鉱物ですが、ここまで緑色の石英がはっきり出ているのは珍しいようです。(当時のフォッサマグナミュージアムの学芸員さんも言ってました)
緑色の雲母による発色では無いので、アベンチュウリンではないようです。


コブのように出ている緑色の部分だけは、大きく滑らかに結晶化しているのだと思います。
このコブのように盛り上がっている部分は色も濃く、ルース等の加工も可能な質になっています。
中にも同じような塊があるのでは…、と期待させてくれる姿をしています。(加工しませんが…)


このタイプの石は、水に濡れていると緑色が映えて綺麗なので初心者にはヒスイと間違われますが、乾くと白っぽくなりカサカサ感が目立つようになります。(キツネ石と呼ばれている代表格でもあります)
茶色と緑色が縞模様に混ざり合っているのが特徴だと言えます。
今回のサンプルもコブのように出ている部分以外は、乾燥すると同じようになります。

しかし、ここまでになるとやっぱり美しいですね…、一般的に知られている緑石英(クリソプレーズ)は、もっと明るい翠でアップルグリーンの色をしています。
今回のは深い緑色をしていますので、あまり価値がないのだろうかと調べてみると、クリソプレーズよりも稀少とされる「プレーズ」なるものがある事がわかりました。

でも見本が外国産で、しかもカメオになっているのでよく分かりません。
印刷によっても色も違ってくるので難しいですね。

とりあえず鑑定は後回しにして、もっとサンプルを探す事にしました。
当初の目的であるヒスイ拾いから少し離れていってますが、楽しかったので今では良い思い出です。

つづく。


こういった経験を活かして将来的に、この地域だけの「鉱物の本」を作ってみたいと思っています。
まぁ、自分の規模の範疇での本になるかと思いますが…。
2012年01月01日
明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします。

昨年はいろいろな方々に支えられて、ある程度の生活の安定を保てました。
おかげさまで私の夢である、未来に繋げるオリジン(元型)をまた一つ生み出せました。
人間にとって「幸福=衣・食・住の安定」なので、それが叶った時に夢を追う事ができます。

今回は国津神の少名毘古那が神玉として完成しました!


デザインのモチーフは「小人・蝶(蛾)」です。
一寸法師のモデルにもなっている少名毘古那は蛾の衣を纏っていたと言われています。
その鱗粉を調合して薬を作っていたのだろうか…、などを考えながら作りました。
少名毘古那は別天津神とも分類される記述がありますので、原姿の蚕をモデルにしてみました。


少名毘古那に込めたコンセプトは、「逸脱・転身・変化」です。
基本的に蛾は葉を消費していく幼虫から、それらを誕生させていく成虫へと変身します。(蜜を消費して)
実際は植物が昆虫の習性に適応して進化したと言われていますが、昆虫が変身する習性を持たなかったら植物は消費されていくだけの存在になっていたでしょう。
現在にいたっては蚕は退化している為、人の完全な管理の元でしか種を繋ぐ事は不可能になっています。
(幼虫時に得た栄養だけで成虫になっても生きていきます。退化したからとは言え一切消費する事のない存在に変身するのは奇跡だと思います。)
日本の国作りに貢献した紡績にも関係しているので、そういった良い特徴をもった生物としての理想型を少名毘古那に宿しています。


その他には勾玉からの羽化も表現してあり、もっと自由な発想へと飛び立てるよう願いも込めています。
そして国津神の特徴として顔には丁字を彫って現実を生きる逞しさも表現しています。

しかし…、八千矛もそうですが加工の手間が凄すぎますね…。
もう少し加工コストを下げなければ誰も計画を継いで行けないような気がします。
そこら辺も考えなくては…、神玉プロジェクトを未来に繋げるのが現在の夢なのですから。

ちなみに幼い頃は昆虫が大好きで、昆虫博士になるのが夢でした。
最近では自然の中で遊んでいる事で色彩の基準が養われるのではないかと思うようになりました。
例を上げると、オニヤンマの目こそが最高級(宝石)としての翡翠であると認識しています。
あれこそが生命の輝きであり、あの真夏に燃えるような翠の複眼(まさに福眼です)を見ると、オニヤンマの満ちあふれる生命力を感じる事ができます。
ヤンマの種類で目の色が若干違いますが、どれも一流の翡翠色である事は間違いないでしょう。




私の中での人とっての天津神と国津神とは「上を向いて二足歩行で歩くのが天津神」「足場を確かめながら二足歩行で歩くのが国津神」だとしています。(両方が引っ張り合って地に両足を着けている)
この二つがあって人は初めて「前を向いて両足で歩ける」のだと考えています。
なので、この二つのバランスが崩れると「現を抜かして仮想空間で生きる人」や「這い蹲って暴力・謀略で生きる人」になっていくのだと思います。

農耕と狩猟にも同じ事が言えて、農耕の悪い所は「溜め込んで腐らせる」事であり、狩猟の悪い所は「力によって略奪する」事であります。
どうしたって現在の人間には不変で過ごす事は精神的に無理ですので、いろいろな経験を重ねて慣れていくしかないのでしょう。
一生の間に慣れていけば良いのですが、意識して生きていかない場合は全く気付かずに、人としての業に飲み込まれて行く事になります。

人がどのように進化していくのかも興味がありますが、まずは自分の計画を確立していなくては…。

今年は辰年でスサノオの年ですし、来年は巳年でオオナムチの年となります。(私も巳年)
この二年は希望の持てる年になりそうです。
2011年12月27日
これで最後になるであろう蛇紋石の話をしていきます。

サンプルを探している中で、面白い蛇紋石が見つかりました。


見つけたのは斑点模様のある透明の蛇紋石です。(酸化して黄ばみが出てきました)
硬度も以前に見つけた蛇紋石と同様で柔らかいです。


正に調べたサーペンティンの見本通りって感じの蛇紋石でした。
その蛇紋石をよく見ると、紫色をした部分がある事に気づきました。


この紫色した部分は何なんだろうか…?
そういった不純物が入る事は図鑑では記されていなかったので、その正体を知りたくなりました。
地域特有の「インクルージョン」か「紫色した蛇紋岩」か…、不思議です。

硬度を調べてみると、紫色の部分は少し硬い感じがするので「紫色した蛇紋岩」ではなさそう。
しかし素人なのでハッキリとした事が分かりません。

丁度その頃に、フォッサマグナミュージアムで鉱物の展示会がある事を知り、そこで鑑定もしてくれるとの事だったので、この蛇紋石を見てもらう事にしました。

集めたサンプルを持っていって学芸員に尋ねたところ、一瞬驚いた表情を見せましたが、よく見てから「蛇紋石ですね」と言いました、きっと一瞬は良質のヒスイに見えたのでしょう。

蛇紋石である事は分かっていたので、これが「ボーウェナイト」か「ウィリアムサイト」に相当するのかを聞いてみたのですが、どちらの名前も「聞いた事がない」と言われました…。
いや…、図鑑にも載ってるし…、とも思ったのですが、改めて紫色した部分を聞いてみても「分からないです」と言われました…、何だか来た意味が無い。

後から知ったのですが、一般的に学芸員と言うのは鉱物学者ではありませんので、鉱物の詳しい知識が無くて当たり前なんだそうです。
あの場所での学芸員なので、ある程度の鉱物の知識は必要となりますが、日本で知られている一般的な名前や特徴を覚えるのが基本みたいです。
そもそも日本は外国(主にドイツやアメリカ)に比べると鉱物の研究が凄く遅れているそうです。

紫色の部分も機械にかけて分析しないとハッキリした事が言えなかったのだと思います。
なら「分析しますか」って聞いてほしかった…。

イベント中だったので対応できなかったのだろうか…。
しかし疑問思うことは、あの施設には鉱物に詳しい学芸員が一人いると聞いています。
当時は二人いた学芸員に聞いたのですが未解決…、どちらとも別の人だったんだろうか?
もうかなり昔の事なので顔も覚えていません。

現在まで忘れていて未解決のままにしていましたが、そろそろ解決したいですね。
ジオパークになってヒスイ以外の鉱石も調査していると思いますので、再び聞いてこようかと思います。


ちなみに「宝石となる」とありますが、これは商業的な価値ではなく、貴石〜半貴石に相当する事を言っているのだと思います。(美しいか否かの問題)
ボーウェナイトやウィリアムサイトを宝飾に加工して販売しても高値は付かないでしょう。

主に彫刻(美術品に)するらしく、ニュージェイドって名前でビーズにもなっているようです。
結局はヒスイにちなんでの名前をつけて、商業的に価値を付けるのが一般的なのでしょう。

しかし美しい事には間違いないし、蛇紋石の中でトップクラスなのも間違いありません。
加工して身につけていても、それが蛇紋石なのか他者には判断できませんし、身につける人が満足し、人としてのモラルを持った人格者ならば、その存在は「宝石となる=価値が在る」と考えも良いと思います。
私は巳年なので、どうも蛇紋石に愛着を持ってしまいますね…。

でもピンのものは原石の姿で美しいから加工する必要は無いでしょう。(破片とかを加工するとか)
加工すべきは「キリとされている存在」で、それらの評価を高める事が「作る側」の役目だと思います。
とは言え、質がある程度しっかりしていなくては加工しようもありませんが…。
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