多くの人の“大切なわたしのかけら”となることを願いまして…
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2010年11月27日
翡翠には大量の処理品が出回っています。
特に樹脂含侵が頻繁で同時に着色も兼ねている事が多いです。
それを家庭で簡単に確認する方法は、バーナーやガスコンロで熱するのが良いです。
約40秒間、直火で熱すれば樹脂含侵された品は焼けただれて黒色や茶色に変色します。
同時にヤニ臭い煙も発生しますので確実に分かります。
(熱する時間は品の大きさによって異なります)
お金をかけずに真贋を確かめたい方にお勧めします。
注意事項として無処理の翡翠であった場合、熱による翡翠の変色は絶対にしませんが、
水で急激に冷やすと「ヒビ」が入る恐れがありますので、熱した際は自然に熱を冷まして下さい。
また、高額で購入した品については「信用ある鑑別機関」での確認をお勧めします。
2010年11月17日
今度は川へ流れる前の翡翠の岩石についてです。
本来、翡翠は巨大なプレートや岩石で誕生しており、
大きすぎて使いこなせず、人の手に余る存在となっています。
よって上手く使うためにそれらを分解して、小さな塊としなくてはなりません。
大きな存在を分解して新たな存在を生み出す行為はイザナギがヒノカグツチを斬り殺し、
そこから数多の神々が生まれた話に良く似ています。
生みの親をも死に至らしめた力は「手に負えるものではなかった」と考えて良いと思います。
普通に考えると難産で母親が亡くなったとしても、産まれてきた子を殺すなどは考えにくい…。
使いこなせない存在への憤り・怒りがそうさせたと考えて良いかと。
挑戦とはそう言った面が強くあり、その感情が進歩に貢献しているのも事実だと思います。
全てにそうした理が在るのだとしたら、地球にとって人間という存在は手に負えるのでしょうか?
イザナミ・イザナギの怒りの象徴である雷をエネルギーに変換する術を開発し、
地球に負担のない生き方をしなくては、いずれ人間も分解されてしまうかもしれません…。
2010年11月07日
私の理想として、陶芸の世界に近い表現を確立すれば良いと考えています。
陶芸は造形した後の窯入れの際、釉薬によって自然発色がおこり魅力的な作品が誕生します。
翡翠の場合は最初から自然発色した素材を造形して魅力的な作品を生み出します。
どちらとも「運」と「いかに上手く使いこなす」かが命であり、時にはヒビも美点となります。
一つ一つの表情が違い、風合いがあってどこか懐かしい気持ちにもなります。
普段使いとするか、観賞用とするかで存在の意義が変わってきますが、
身につけられる魅力的な翡翠の工芸品を目指して努力していきたいと思っています。
2010年11月01日
以前にお客様に伝えられて気づいた事があります。
翡翠とヒルコ神の共通点なのですが、ヒルコ神は不完全な姿で誕生した為に川へ流されます。
やがて海に出て新しい神(恵比寿など)になったと言われています。
翡翠も山から誕生し川を流れて海へと向かいます。
古代人はその海に出た翡翠を主に加工して身につけていたらしく、
神話に合わせればヒルコ神(翡翠の漂石)に姿をあたえていた事になります。
面白い事にそれが現在でも続いていて翡翠の漂石を拾い加工している人達がいます…。
漫画でもヒルコ神が自分の身体を取り戻していく物語がありますね。
私達は知らず知らずに大きな物語を継承しているのかもしれません。
2010年10月27日
作者が生み、所有者が育て、世の中が評価した作品は100年、200年、さらには1000年先にも残ります。
そして、ほぼ不滅の存在であるヒスイで造られたその姿は、未来の人達へのメッセージになります。
私達が縄文時代からの発掘品を見て感じるように、未来の人達にも問いかけるでしょう。
先人達が「どう生きて、それに何を込めたのか」を。
2010年10月17日
このデザインにとても苦戦しています。
より人に近くなるとシンプルなデザインが難しくなります。
私の中での国津神は「戦闘民族」「狩猟民族」として存在していて、
主にアイヌやインディアンを連想させるようなデザインで表現したいと考えます。
勇猛果敢な戦士の魂を高志ヒスイに込めたいと思います。
2010年10月07日
今は神無月という事で主にデザインを中心に制作しています。
10月までに制作した作品が幾つか在りますので近々アップします。
この月に計画を練り重厚感ある神玉プロジェクトを構築していきます。
2010年10月01日
作品を造っています神玉工房のHPからの連結が完了しました。
神玉工房のHPは、より神玉の世界を知ることのできるサイトとなっていますので、
興味のある方は是非ご覧下さい。
http://kamidama-kobo.jp/
加工人としての考えなども掲載しています。
2010年09月27日
新人デザイナーの頃、デザインは「一目で解るものでなければならない」
「説明を必要としてはならない」とよく言われました。
なるほど、と思いながらも同時に疑問も浮かびました。
何も知らない子供にそれが通用するのだろうか?…と。
その理想とする「デザイン」なるものは先人達の発想や思想、
それに一般教育があって初めて成立するルールではないのだろうか?
その土台が在っての理論であり、格好良く見えるが依存しているだけでは…?。
その土台が著しく少ない分野において説明し、認識し、理解してもらわなければ、
その世界でのルールをお互いが共有し合う事ができません。
人間にはそれぞれにルールが在ますが、その多くが他人と共有できるルールとなっています。
それを確立したのが「道徳」であり「教育」だと思います。
人と多く共有するルールを持っていると集団で生きやすく、少ないと単体でいる方が楽になります。
創作の場合、最初は皆が「単体」であると言えます。
ですが「単体でいる方が楽」と言うわけではなく、むしろ多くの人と共有したいと願っています。
単体から始まったものは多くのものと共有するため努力する必要があり、
集団であるものはアピールしている単体にも目を向けるべきだと考えます。
なので今では「一目で解る、説明のいらない」デザインを目指しながらも、
その土台を構築するため説明をして、私の世界を共有してもらえるよう努力していきます。
2010年09月17日
ibitsは「わたしのかけら」「特別な愛」を大きなコンセプトにしています。
もっと細かく見ていくと「i」に含めた意味合いが、まだまだ存在しています。
idea(考え) ideal(理想的な)idol(偶像) if(もしも) image(像)
imagination(想像・想像力) immemorial(太古の) immortality(不滅)
impartial(公平な) imperial(帝国の・皇帝の) important(重要な)
impression(感動)independence(独立) insupiration(ひらめき)
intelligence(知性) intention(意図) interest(興味) invention(発明)
infinite(無限の)…etc
これらは自身を構築する要素であり、まさに「無限」の欠片だと考えます。
その全てを含めたコンセプトを「わたしのかけら」「特別な愛」としています。
2010年09月07日
一般的に龍は「光」を示し、蛇は「闇」を示しています。
龍の中には黒龍がいたり蛇には白蛇がいますが、単体の中で光と闇を分けただけの事であり、
龍と蛇の二つを比べてみるとやはり「光」と「闇」に分かれます。
ですが羨望と畏怖、これらは立場の違いで逆転する事もあります。
どちらが「光」でどちらが「闇」なのかは、おかれた状況で変化し全ての人が共有する事は不可能です。
人が人を敵として認識し争いがある以上は壊せない理です。
この理は神話にもあり天津神のスサノオは大海原の龍でありますが、
国津神のスサノオ(大国主)は大地に降りた蛇となっています。
神話で見れば国津神のスサノオが光にも思えるのですが蛇(畏怖)とされています。
国津神自体が総じて「鬼」と呼ばれる存在になっている事が多いようです。
何が真実なのか解りませんが物語である以上、綴った人が決めれば良いのだと考えています。
結局は全ての人間が一つの答えを完全に共有することは不可能なのだから…。
それでも作者には明確な答えがあり、それを知りたいと渇望するのも人間なんだと思います。
2010年09月01日
アイビッツとは「わたしのかけら」と、
日本人が古代からヒスイに注いできた「特別な愛」を表しています。
身に着ける人に「わたしの”i”」と「特別な愛」を。
だからこそ、産地・生産者・制作意図をはっきりと明記して、
所有者さまだけの一点ものを丹精込めて制作し販売してまいります。
作品の中に、ご自身の「かけら」を見つけられることを願って。
そして、作り手自身が責任を持って販売することで、信用第一を実現してまいります。
すべての作品は処理を一切施さない糸魚川〜富山地方で採取された翡翠を用いております。
2010年08月27日
やっと天津神6デザインの神印が揃いました。
この6デザインに自然が形づくった模様のルースが入って、より魅力的な品となります。
更に神玉では一式でしか表現できなかったリングデザインも再現しています。
神玉所有者には是非、身につけていただきたい品です。
それぞれの意志を表しているので胸を張って身につけて下さい。
2010年08月17日
おかげさまで7日間の催事が無事終わりました。
作品性の高い品から商品に徹した品を揃えましたので販売に繋がりました。
お客様と直に意見交換ができました事を嬉しく思います。
これからの作品に反映しながら魅力ある品を作成していきます。
2010年08月07日
古来より伝わる「神」という存在は人それぞれに姿があると思いますが、
私が考える神は大自然そのものであり、地球が誕生させた生命体に宿る「森羅万象の能力」です。
その能力は魂に宿り「使命」を見出すことで発揮されると考えます。
殆どの生物は本能に従いその使命を全うしますが、人は「迷い」があり選択する「自由」もあります。
全知全能が神とされるのなら、やはり自身の能力を使いこなせる生命体が神の存在となるでしょう。
日本では神は身近な存在として伝承しています。
この文化は自身の魂に宿る神の存在を伝えているのだと思っています。
自分がどう在るべきかを問い続けて生きる事で道が開かれるのだと信じています。
そして私の作品がその道の扉を開く助けとなる事を願っています。
2010年07月27日
久しぶりに大珠と勾玉を造ってみました。
知人が古代製法で途中まで制作した品をくれたので最小限の現代製法で仕上げてみました。
現在では完全古代製法で制作したとしても歴史や文化が伴っていないので、遺跡から出土する大珠と勾玉には及びません。
ですが「原点回帰」として現代人が模範する事は必要かと考えています。
神玉計画では大珠が「イザナミ」、勾玉は「イザナギ」と同じ存在になります。
完全体の作成は、まだまだ先の話になりますが今回は初心を再確認できました。
2010年07月17日
同じ母石から制作しています三貴子の持ち方についてお話しします。
三貴子は「女性・男性・男性」となっていますので姉弟で、家族で所有されるのが良いかと思われます。
昔から言われている理想型「一姫二太郎」をモデルとし、同じヒスイから造り出すことで永遠の絆を表現しています。
現代でこの役割は特に重要と考えています。
2010年07月07日
神を冠する三つの作品についての関連性をお知らせします。

■神玉
これは「魂の器」を本質として作成した品です。
三位一体の世界、肉体・精神の破損は見えやすいのですが、
魂の破損は分かりにくく、致命傷にもなりかねません。
その魂を留める、守る「器」として創作しました。
器には不滅の存在である鉱物の中でも硬く堅いヒスイが相応しいと考えます。
人それぞれに魂が違いますので八百万の神(器)を造る計画です。
溢れないように、余らないように、自身の「器」を見つけて欲しいと願っています。
この場合、身につけるだけでなく大切に飾ったり離れた場所に保管しておいても、
忘れない限り魂は注がれていくと考えています。

■神印(シンボル)
信念の印、志の証として身につけてもらいたい作品です。
はめ込まれたヒスイのルースにより自身の「魂の器」に繋がります。
気軽に身につけられる作品に仕上げてあります。
国で言えば「国旗」にあたる存在になるかと思います。

■神鏡(ミカガミ)
三位一体の状態確認の為の鏡として考案しました。
魂は神玉で守られていますが、肉体・精神・魂のバランスが保たれているかを
自身の顔を確認する事で管理できるよう制作しました。
これもヒスイのルースによって自身の「魂の器」に繋がります。
鏡面が傷つき曇ってきたら、それを磨き直し「原点回帰」をもたらします。
2010年07月01日
ibitsのフィロソフィー

古代の翡翠文化には多くの謎が残っています。
しかし、当店は、それらの謎は古代人が残してくれた
“新たな創意・創作を産み出すための資産” と考えています。
古代翡翠文化の魅力をより身近に、そして明日へと繋げて愉しむ。
そんな「時空間の夢や旅」をも込めた、より楽しい作品を創作していきます。
だからこそ宝飾品的な見た目の美しさだけではなく、
手にとって触れて楽しい、優しい、暖かな。
そして想像力を常に刺激し、永く愛される玉たちを。
多くの人の“大切なわたしのかけら”となることを願いまして。
2010年07月01日
「神化」は「進化」であり自然と人の融合・調和を表す「神玉」として未来を担う。
自然を敬愛するという理想的な人の生き方を「神」を通じて語る玉。
持ち主の生き方指針ともなり、信念ともなり哲学ともなる。
(人と自然が真に和解できた理想の究極体)
神玉は生玉の進化した姿で宗教概念にとらわれず、自然と人が融合した究極の品です。
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