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2014年01月07日
去年に私が体験した、遺跡発掘の回想を書きます。
私が体験した範囲の、ごく小さな思い出を選んでみました。

まずは私最大の体験である石棒の精査です。


まずは、機械で掘っていた最中に発見された状態です。
ショベル部分が当たったらしく、少し先端部分は欠けて右にずれた跡が見られます。
もっと慎重に行っていれば無傷だったのに…、作者が生きていたら完全に激怒されている事でしょう。(実際は作者が遥か昔に死んでいるので、怒られる事もないのでしょうが…)


表面を精査して全体がよく見えるようになりました。
こうして見ると、棍棒あるいは剣の姿に見えますが、鬼でない限り振ることは不可能でしょう(笑)
ここの土は粘土のような地質なので、乾くとかなり硬くなり作業する手が疲れます。
時間が経ち乾くとヒビも入ってくるので、ボロボロと崩れてやりづらかったです。


両方の先端部分にトレンチを入れて探りを入れます。
右側の束のように見える部分に、丸い窪みがあるのがハッキリと見えてきました。
若干、上に反っていて男根を表現しているのでは?と言う事でした。
太古の時代に石でこれだけの存在を作るのだから、その時代の人にとって子宝がいかに貴重であったのかが、分かるような気がしました。

この後、片面の土を削り取って石棒を取り出しました。
ちょっと一人では運べない距離なので、二人で保管庫に運びました。(数メートルなら一人でも運べる重さですが、無理して壊したら大変です)
すごく重かった事を憶えています(笑)
ここでは他に何も出土せず、ちょっと期待外れでしたが石棒だけでもすごい事なんですよね。


この遺跡では土器も大量に出土しました。


初めてだったので大量の土器に驚きましたが、そこは破損した土器の集積場のようで、今で言うゴミ置き場なのだそうです。
だから固まって大量に出土したんですね…、でも現在では宝置き場とも言えるので貴重な足跡です。


土器の中でひときわ魅力的な欠片がありました。(私が見つけたのではない)
焼きが良く頑丈な為、あまり風化せず紋様がハッキリ残っています。
洗ったばかりなので水が光を反射して、釉薬のような光沢が見られます。
今でも十分に通用するデザインだと感じました。


こちらは乾いた状態です。
乾いても若干、光沢が見られます。
良い風合いで、悠久の時を感じさせてくれる肌になっています。
土器は欠片の方が美しく感じるのは、私だけなのだろうか…?


私が知る限りの綺麗な翡翠を紹介します。


小さく薄い欠片ですが、白地と翠の発色がとても美しい翡翠です。
石割の際の欠片なのだろうか?、この翡翠で何をしていたのか…、とても興味があります!
ちなみに、この翡翠は私が発見したものではありません。


こちらは、かなりグレードの高い深緑の翡翠です。
この底が見えない吸い込まれそうな深い緑、質も練られていて最高級でした。
おそらくは川の翡翠で、磨けばその素晴らしさが無知な者にでも分かる事でしょう。
これだけの翡翠、人生の内で見られるのは何回あるのだろうか?、まさに眼福でした!
この翡翠も私が発見したものではありません。


こちらも良質の翡翠で、新緑がとても美しいです。
深緑の翡翠と同じ場所から出た翡翠で、二つ揃ってあったようです。
見るからに同じ質の翡翠なので、母石は一緒なのだと思います。(おそらく小滝系)
今思い出すと「雪解けの季節に芽吹く生命」を見るようで、元気が湧いてきます。
残念、この翡翠も私が発見したものではありませんでした…(笑)
深緑と新緑の翡翠を見つけてのは、同じ班のお爺さんでした。(なかなかの強運、そしてとても面白いお爺さんでした)

小さい欠片は同じ班のおばさんが見つけました。
私は普通にヒスイってのばかりで、良質には出会えませんでしたね…。
でも黒曜石や石器・土器には出会えたので、とても勉強になったと感じています。

それに「翡翠らしき石」を見つけると私を呼んでくれるので、幾つもの翡翠を見られて良かったです。
この地は、まだまだ私を成長させてくれるので、よく学び自身の活動に活かしたいと思います。

それでは仕事始めとして、創作活動を頑張りたいと思います。
2014年01月01日
明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします。

昨年は特に「強力な個の方々」に支えられた年でした。
おかげさまで、無事に年を越すことが出来ました!
今後とも創作活動に尽力していきますので、協力をお願いします!

今回は事代主が神玉として完成しました!


去年12月の極寒の最中、少しずつ加工を進めて行きました。
加工中に何度か指がつりましたね…(笑)


まず、紫色と灰色に分かれた翡翠を使用して作成しました。
素戔鳴ゆずりの海の神であるので、他の国津神同様に青色が流れる翡翠で作ろうかとも思いましたが「暁の空」あるいは「黄昏の空」と、「銀色に輝く海」にも見える翡翠プレートを選びました。
上下の色合いを上手く使えれば面白い作品になるのでは…、と思いました。


デザインのモチーフは「タツノオトシゴ」です。
そこに「釣り針」と「波しぶき」のデザインを加えて表現しました。
このデザインには「静」と「動」を込めていて、静である姿は「恵をもたらす凪の海に住まう龍の子」で、動である姿は「大荒れの海原の化身である海竜(リヴァイアサン)」を表現しています。
顔が見方によっては、タツノオトシゴに見え(正面に戦化粧をしているデザイン)、斜め上に咆哮するリヴァイアサン(目の下に戦化粧をしている)にも見えるようにしています。


事代主に込めたコンセプトは、「大漁・判断・勇敢」です。
自然相手の狩猟である漁業の大切さと、海の漢の勇猛果敢な姿を象徴しています。
古から現代へ続く「人の基礎」を担う仕事、そんな存在に敬意を表して加工しました。(少しの判断ミスが命とりとなる仕事です)
凪の時は恵をもたらし、時化の際は命をも奪う、しかしそれでも「命を育む事」には変わりなく、静と動のバランスあっての「母なる海」である事は揺るぎません。
カエルの子はカエルと言うように、「龍の子は竜」飼い慣らせる訳がない、その顎門を砕く事は不可能という思いを込めて、華奢にせず頑丈に仕上げました。(人の意志も挫く事は不可能)


背の部分は丸みを持たせず波を(顎門も)イメージして加工し、腹の部分は釣り針をイメージして丸みを持たせてあります。
波と釣り針の共通点である「鋭利さ」を先端部分で表現し、波しぶきを渦や水泡のように表現してみました。
人魚のように上半身と下半身が分かれて見えるよう、模様の配置をしてみましたが面積が少ない事もあり少し分かりづらいかも…。
でも美しい紫色が少し入りましたので、元々の翡翠の景色である「朝焼けの海・夕焼けの海」を反映できたと私は満足しています。

糸魚川では「山を壊し海を汚す仕事」に依存せず、海で漁をして暮らしている人達がいます。(少数ですが)
これからも、そんな方々を心から応援して行きたいと思います。


これで国津神は、番外の八咫烏を入れて4体が誕生しました。
残るは3体、でも全くデザインが浮かびません…。(現時点で)
まぁ、毎年の事なので今に始まった事ではないですね(笑)
私に流れる「古代の血」や「繋がる遺伝子」が呼び起こされたら、残りの神々も具現化できるのだと思います。(作品として)
然るべき時に成される、そんな感じがします。
2013年12月27日
今年も残すこと4日となりました。
あっと言う間の一年だったなぁ〜、と感じています。
巳年だった事もあり、いろいろと充実した年だったと思います。(年男でもあったので)

一番の収穫は、遺跡発掘を体験した事でした。
運良く私が参加した場所から、あの1mを超える石棒が発見されたのは偶然には思えません。
糸魚川で私が求めていた「道具から逸脱した存在」と出会えた事は、必然だったようにも思えます。(特に石で作られた道具では無い存在に出会えた事が、私には非常に重要でした)

そしてそれを取り出す作業も任された事により、古代の作家との繋がりが現実となった気がしました。
私の中に眠っているであろう「古代から繋がる遺伝子」が、覚醒したように血が滾るのを感じました。
不思議な事に、あの石棒との出会いから「作品を通じての縁」で繋がった人達が増えて、とても充実した一年を過ごす事ができました!

もしあの石棒に出会わなかったら…、と思うとゾッとします(笑)
信念を持って物事に取り組めば必ず結果として表れる事は、幼少の頃から何気なく気が付いていました。
運の強さとでも言うのだろうか…、その頃から「祝福される事」を認識していたのだと思います。

私が勝手にそう捉えているだけかもしれませんが、それを感じられるだけでかなり幸せです。
この経験が創作活動の糧になる事は間違いなく、それらとの出会いが私を成長させる事も間違いありません。
ここ糸魚川には、まだまだ貴重な存在が眠っているはずです。(人を成長させる存在が)
それらと出会い、その縁で人と繋がり、私が更に成長する事を楽しみにしています!

ちなみに遺跡や遺物は、自分の手で発掘した方が知識や経験として身になります。
疑い深い私ですが、疑いのない現実を前にすれば素直にその情報を取り入れて分析できます。
上げ膳据え膳で得た情報なんて、人を成長させる事には成らないと断言します。(狡猾になるだけで)

古代から繋がる遺伝子に学び、同じ間違えを繰り返さない人間に成長できたら最高なんだと思いました。


さて、これより31日まで今年最後の創作として、神玉新作の「事代主神」の仕上げに入りたいと思います。

それでは皆様、良いお年を!
2013年12月23日
うっすらと翠に染まる良質のヒスイで、翠雪のストラップを制作しました。

翠雪のストラップ
雪のような透明感のある翠の翡翠「翠雪」のカケラを使用しました。全体をうっすらと翠が染める景色が、冬の終わり、春の到来を予感させる作品です。ヒスイで作ったオリジナルの「ibitsロゴ」を付けてあります。ちょっとしたアクセサリーとしても使うことができる品となっています。









水に濡れた雪のような白ヒスイに、淡い翠が滲むように入っているヒスイです。
このヒスイは、冬〜初夏までの景色を映しているように私には思えます。(真夏であれば涼しげに見える事でしょう)

抜群の透明度で、この季節の自然光でも透けて輝きます。
ヒスイ輝石が見えないほど練られていて堅牢、石目があっても簡単には割れません。
神緑のストラップと同じヒスイから加工していて、緑の濃い部分と淡い部分とで分けて、それぞれのコンセプトに合わせた作品に仕上げています。

ibitsロゴは、白〜水色のヒスイを加工して仕上げています。
ロゴの加工自体も、一つ一つ手作業なので大量産はできません。(って言うかしません)

糸魚川物産センターへ出品していますので、お立ち寄りの際は手にとってご覧下さい。
2013年12月17日
人類を生物の中で分別すると弱者となりますが、同じ人の中で分別すると強者と弱者に分けられます。
強者の中でも度合いがあり、強くありたいと生きる者〜強く生きている者の幅があります。(弱者も同じく)
ここでの弱者という存在は、女性と12歳以下の子供なのだと私は考えています。
本能的に守るべき存在であり、これから強者へと向かうであろう者達なのだと思います。

よって男は「成長により強者へと向かう本能」により、弱者である事を赦されません。
しかし「成長により強者へと向かう意志」を考えると、女性も強者に成っていく事を意味していると思います。
いつまでも守られる存在では無く、守る存在へと進んで行く、特に母となった女性は強さを求められます。(っていうか強いです)

多くの男が成長に失敗し、強者にも成れず、弱者にも戻れないくなっている現代で、これから強者へと進むであろう存在は女性なのかもしれません…。(愛妻の男は強者だと私は思います)
もし、そうであるのならば、ハッキリしている事があります。
現在のシステムをそのまま流用して行くだけならば、男と同じ結果を向かえるでしょう。(男が雑魚化したシステムですから)
その結果「雑魚を喰い物にして下種が私腹を肥やす世」になって行きます。

そうでない未来があるのなら、かつて強者が存在していた世になるのなら、人はもっと気高く生きて行けるのだと思います。

遥か古代では、強者と弱者のバランスがとれていました。
強者が弱者を守り、弱者は強者へと成長して行くシステムが自然により確立されていました。
なぜならば「そうでなければ生き残れなかったから」です。
そのバランスから外れた者は、成長する事も無く、守られる事も無く淘汰されたからです。

かつてのバランスは壊れ、外れた者達が増えて行き、それを喰い物にして生きる事が主流になってしまった現代…。
強者でも無い者が「弱肉強食」を口にする現代、この狂いまくった歯車は戻せないのだろうか?
遥か昔に強者(恐竜等)により恐怖を刷り込まれた人類(哺乳類)には、胸を張って生きて行くには限界があるのだろうか…?

可能性のある女性にお願いしたい事は、同じ女性の中にも「成長を諦めた者達がいる事を認識しておいて下さい」って事です。
守るべき弱者との明確な違いを見出して、理想的な未来へ進んで行ってもらいたいです。

後、男にも少し期待しています。(同じ男として)
2013年12月15日
伊邪那岐「青海」-壱-の首飾りを依頼されたので制作してみました。
「青海のイメージに合う首飾りにしてほしい」との依頼でした。


全体的にシンプルな感じに仕上げました。
海を渡る探求心が表現できたかと思っています。
青海は大海原を表現した作品ですが、「地球そのもの」のイメージを込めた作品でもあります。

革紐は長さを調節できます。
先端を引っ張ると縮み、内側を引っ張ると伸びます。
先端部分は装着時に後ろに流しても良いし、うなじ部分のウッドビーズをスライドさせて前で止める事も可能です。


首元には風の模様のウッドビーズを使用しました。
帆を進める強い風1個と、穏やかな風2個を使っています。
穏やかな波を思わせるデザインでもあるので、イメージにピッタリだと思います。


うなじの部分には縄文の模様のシルバービーズを使用しました。
この部分には割れない素材が1つは必用になります。


紐の先端には星と太陽がデザインされてるビーズを使用しました。
時々、航海されるとの事でしたので、相応しいかと思います。


作ってみて自分で気に入ってしまい、欲しくなってしまいました(笑)
これだけの青翡翠の勾玉は、そうは在りませんし、ここまでイメージ通りに組み上がったのも偶然ではない気がします。

その方はネットで私を捜し当てたようです。
あえて検索に引っかかり難くしている(翡翠や勾玉などで)私ですが、そんな中でも探し当ててくれる人達がいます。
ネットで私を探せる人達は、皆決まって「何かしらの縁がある人達」だと感じています。
不思議ですが、偶然のようで必然なのかもしれません。
何だか「同じ遺伝子を共有している感じ」がして、親近感があります。

遺伝子が記憶を継いでいく事も立証されそうなので、私が目指す「古代の記憶を呼び起こす作品」が現実に成りつつあるのかもしれません。(希望的観測かな…)

ちなみに検索に引っかかり難くしている理由は、「仮想空間の中での秘境を目指しているから」です。
知られてはいなくても確かに存在し、そこは揺るぎのない創作空間であり、訪れた者を魅了する領域、そんな場所がネット(仮想空間)にも在って良いかと思っています。
糸魚川には現実に秘境がありますので、そのシュチュエーション(状況・場面・物語)を表現できたらと考えています。
2013年12月07日
一つのルールである「保護と活用」ですが、作る側の場合には優先順位が違ってきます。

私が考える分別では「保護と活用」は主に作れない側の領域であり、保護を優先して行きます。
もっと言えば作れない側で、更にそれで収入を得ていない者達が保護を優先し、作れない側で、それで収入を得ている者達は保護の領域を持っていません。

逆に「活用と保護」は主に作る側の領域であり、活用を優先して行きます。
活用を優先しますが、保護も担っています。

別にどちらが正義と言うわけでは無く、どちらも一つ基準なのだと思います。

人は(っていうか生命は)地球の資源を消費して生きています。
特に人間の消費が激しいのは事実で、この現状は異常だとは思います。

要は規模の問題なんですよね…、活用を優先しても保護も担わなくてはなりません。
私の領域での保護とは「無駄に使わない」って事です。
なので、その存在を高めて行けば、自動的に保護を担う事になるわけです。(低価格での量産が必用なくなるので)

翡翠自体の価値は既に高まっているので上げようがありませんが、その基準が見えていない人が多すぎます。

その価値を高められない、又は維持できない場合、扱うのを辞めた方が良いとも思います。
作る側として活用を優先するのは、遥か古代より続いた文化ですが限度もあります。
特に糸魚川翡翠には、その限度を明確にする必用がある気がします。
要は誰にでも理解できる基準が必用となるわけですね…。

これは金(au)でも同じ事なのですが、金は世界基準として成り立っています。
しかし糸魚川翡翠を世界基準とする事は不可能です。(絶対不可能)
不可能ですが、糸魚川基準とする事は可能なわけです。

結局、世界で共有する基準でなくても、「糸魚川で共有する基準」であれば良いわけです。(糸魚川が翡翠の原産地なんだから)
他の場所から国産翡翠がたくさん出る訳でもなく、他で構築しうる基準でもありません。

保護と活用側の基準を構築し、活用と保護側の基準を構築していけば、最終的に同じレベルの結論が出るかと思います。

しかし、これは理想であり、現実はバラバラ…。
チャンスがあるとするならば、翡翠に群がり蝕む者達が死滅した後にあるのだと思います。
その時までに、基準を明確にして行くしか方法は無いように思えます。

でも縄文期から続いた翡翠文化が終わりを告げ、現代で発見された時代があったのにも関わらず、滅んだであろう理由も理解しないで同じ事を繰り返す…。
勝手に盛り上がり勝手に死滅する、そんな流れをいつまで繰り返して行くのだろうか?

人の成長にこれだけ差があるのは何故なのだろうか…、単純に強者と弱者の話では無い気がするのは私だけだろうか?
この二者以外にも間違いなく存在する者達、これを明確にする必用は無いのだろうか?

なんであれ明らかに古代とは、それらの比率が違う気がする。


これはもう、もっと美術を教え込む必用がありますね…。
この世には、幾つもの基準(見方)が在る事を学んだ方が良いと思いますので。(安物買いの銭失いにならない為にも)
2013年12月05日
渓谷の芽吹きのようなヒスイで、火之迦具土神「火葉」-弐-を制作しました。




これから本場を向かえる冬を前に、春の訪れを想わせる作品を作ってみました。

白・黒・灰・翠と多彩な模様が入ったヒスイで作りました。
焔であるので暖かさだけでなく、鋭く尖った刃物のような攻撃性も込めたデザインにしています。
伊邪那岐の悲しみの表現でもあり、数多の神々を誕生させた力の根源でもある作品です。

両面に流れる翠は美しく、その明るく輝く発色は新芽を想わせてくれます。
火之迦具土は「生命力そのもの」、そんな作品に仕上げて行けたらと思います。

春をテーマに制作するのは、迦具土か素戔鳴が良いと考えています。
堪え忍び蓄えた力を、一気に解放するイメージは焔と龍にピッタリです。


作品を制作しながらも早く暖かい春が来ないかなぁ〜、と思いました。
この時期の加工は辛いです、制作意欲をも根こそぎ奪っていくような季節…。

しかし、ここでの頑張りが来年(未来)へ繋がると思いますので、頑張りたいと思います。
2013年11月27日
姫川で底なる玉を拾い、勾玉制作を依頼した青年が再び出会ったようです。


今回、彼が出会った「奴奈川の底なる玉」、なかなか良いヒスイです。
全体的に落ち着いた緑色に染まっていて、透明度も抜群です。
茶色の石目が多く入っていますが、そこから割れることはありません。
僅かに濃い緑色も入っていて、とても魅力的なヒスイだと思います。

このヒスイでリング(指輪)の制作を受けました。
リング自体の制作は初めてですが、加工自体は神玉制作の行程に含まれている作業なので心配はありませんでした。
機械化すれば楽に作れるのでしょうが、それでは面白くありません。
やはり「手作業を主とした工具」の開発に止め、可能な限り手仕事で仕上げて行きたいです。


まずは茶色の石目の間を取り、9mmくらいのプレートを切り出します。
そのプレートに鮮やかな緑色が入るように、慎重に切断する部分を決めていきます。
光を透して確認したり、表面の発色を見て判断したり、時には勘を頼りに切断します(笑)

今回は判断した通り、ワンポイントに緑色を入れる事が出来ました!
全体的に薄緑に染まっていても、やはり目が覚める緑色があると見栄えが違います。
石目付近に色があった為、少し茶色が入っていますが、逆にそれが大地から芽吹く生命を想わせる景色となりました。


サイズを合わせる為、慎重に内径を回転させながら拡げて行きました。(何度も測りながら)
外径は旋盤のように回転させ、ヤスリを当てながらゆっくりと円にしていきます。
場合によって不純物により硬度が不安定な部分もあるので、力を入れずに少しずつ削っていきます。(けっこう時間がかかる)

曲線をとっているので薄く見えますが、厚さも3mmくらいあって簡単には割れません。
リング幅も多めにしたので、大抵の衝撃には耐えてくれる事でしょう。


透明度が高いので光に透かすと、より鮮やかな緑となって輝きます。
全体も葡萄の果肉のように柔らかく輝き、とても美しいです。
納得のいく作品に仕上がって嬉しい限り、後は青年が気に入ってくれる事を願います。

今回は、自分で身に付ける予定なのだそうです。
自分で出会ったヒスイの品を身に付けて、未来に向けて頑張ってほしいです。


リング制作の行程も確立したので、自主作品として作って行こうかと考えています。
問題はサイズですね…、ガラスの靴のように合った人だけを対象にすれば良いのかも。
とりあえず簡単な加工ではないので、気長にやって行こうと思います。
2013年11月26日
新緑の欠片でストラップを作りました。




通常のストラップより大きめで、腰飾りにも使えるように作ってあります。
革ひもにウッドビーズ・シルバーパーツ・メタルパーツを使って、民族的なデザインにしました。
今後、このスタイルのストラップ(根付け)も作っていこうかと思っています。

ヒスイには波紋のような石目がありますが、通常使用で割れることはありません。
逆にこの模様と色合いが、秘境にある高浪の池を想わせるかと思います。

厳しい時代ですが、この生命力を象徴する緑ヒスイの作品と共に乗り越えて頂きたいと思います。
2013年11月17日
お守りとはどういう存在で、どういった理由で誕生したのかを私の解釈で書きます。
私が考えるお守りとは「誓いであり、宣言でもある」と強く感じています。

天運の加護を願うのは当然の事で、人智の及ばない「運命に神の祝福を願う」のは人にとって最も自然であり、大切な事なのだと思います。
しかし、願って所有するだけでは加護を得る事はできません。
天運の加護を得るには、もう一つ重要な事である「そう在ろうとする姿勢」が必用となります。

願う事へ挑戦し、努力し、成長する過程においてのみ、天運の加護は得られます。
ことわざで「果報は寝て待て」とありますが、これは「やるべき事をやった後は慌てるな」って事で、だだ寝て待っていろと言う事ではありません。

なので私は、お守りという存在を所有した瞬間、人は「どう生きるのか」を宣言し、「そう在ろう」と誓いを立てるのだと考えています。
古来から、その為にお守りは誕生し、存在しているのだと私は確信しています。

私は糸魚川のヒスイを造形してお守りを創る事を、ライフワークとしています。
古代からそうであったように、ただの道具では無く、硬く堅い不滅の存在を造形し、不屈の精神を込めて高みを目指す、この過程により天運が宿るのだと感じています。

そして、それを感じ共有できる方々との出会いの中で、私の魂は成長して行きます。
すぐには結果は出ませんが、信念を持って続けていれば、その過程で加護を得るのだと確信しました。
お守りという存在が、人類にとってどれだけ大切な存在なのかを理解できたように思えます。

そう考えると古代の勾玉にさえ「信仰による創作物」と「普及により交易品」が在るって事ですね…。
注意深く調べれば、現在のようにハッキリした違いは無くても「そこに派生する根源」に、気が付くかもしれません。
作った者の生き様が見えないので難しいですが、異常に普及している地域は混在の可能性大です。

まぁ、現代に続くロザリオと似た広がりであり、ただのアクセサリーとして進んだ事も事実でしょう。
そういった存在に天運の加護を求めても…、期待薄でしょうね(笑)
逆に言えば本物を所有して自身が成長すれば、その実感を得る事ができる事になるかと思います。

少なくても私はヒスイの創作活動を通じて、何かしらの加護は実感しています。(幻想の可能性もあるかもね…)

それぞれの時代にヒスイのお守りが在ったのだとするならば、それらを「点」として現代と「線」で繋ぐ、私の目指す事は、継ぐ事よりも「繋ぐ事」の方が重要になってくるのだと感じています。


この活動を通じて感じた事があります。
それは、お守りの大切さを理解できる人の特徴は「道具と人の関係を理解している」という事です。

道具とは、一部の人達が積み上げて進化させています。(長じて機械になっていく)
それぞれの道具を、各々が進めてきたのでは無い為、多くの人達は進められてきた道具を共有し、依存し、構造を理解せずに使っています。
これでは使いこなせる訳もないです…、原始人がスマホを持っているのと同じですから。

皆が作れるようになる必用はないのですが、現時点での道具と自身の差を認識しないと、大きな災いの渦に飲み込まれて行くことでしょう。(私も同様に)

昔は狩猟や農耕により、多くの人が作る事に関わっていたので少なからず道具の進化を担い、その本質を身体で感じていましたが、現在は何も関わっていない人が大勢います。
上っ面だけのシステムを上手く使う事は出来ても、根源を知らない為に作る事ができません。

要するに「人の褌で相撲は取れる」ってだけで、自身の相撲を取る事が出来ない訳ですね…。
だからって独り相撲では駄目なので、共有しながらも個で成り立つ、これが肝心なのだと思います。

古来から進んできた英知を共有しながらも、便乗するだけでなく、己の意志を反映させて共に進んで行けたら理想的なのだと思います。(後は身の丈に合った道具を使う事が肝心ですね)
2013年11月07日
発掘作業は11月に延びましたが、体験する日も残り僅かとなりました。

現在は縄文時代の住居を精査しています。
けっこう大きな住居跡のようで、隣に並ぶ住居の1.5倍はあります。
こちらの方が少し古い時代の住居跡らしく、不思議な事に炉の石が半分ありません…。(引っ越しの際に持って行ったのか?)
炉の下から出てくる土器は焼きがしっかりしていて、紋様も魅力的なデザインとなっています。
中央には敷物の跡らしき大量の墨が見られ、地べたに直接座っていなかったのだと考えられるそうです。
隣の住居は増築されたかのように、ピッタリと並び二世帯住宅のようにも見えます(笑)
住居は楕円型っぽくなっているようで、何とも不思議な住居跡だと感じました。

11月9日(土)に現地説明会があるので、興味のある方は是非見て頂きたいです。
出土品の展示もありますので、遺跡に興味がない人でも翡翠好きなら面白いかと思います。(小さいですが、なかなか良い翡翠が出土していましたから)


この体験で、いろいろと勉強になりました。
遺跡に対してではなく作業自体で感じたのは、土を造形する作業の「徒労感はハンパない」事です(笑)
雨風で崩れ、踏まれて崩れ、何度も同じ事を繰り返します。
だから作業になるのですが、不滅の存在、特に私はヒスイを扱っているので、それを強烈に感じました。
全霊をかけるのならば、絶対に不滅で在るものに限ると心底思いました…。(造形に限り)

遺物に対しての疑問は、「これだけ洗練されたデザインの土器を作成できたのなら、より高めた存在にしようとは思わなかったのだろうか?」という事です。
石器を作っていたのなら尚の事で、不滅の存在である鉱物の大切さを理解していたはずです。
それと同時に、石器の加工の苦労は現在の比ではなく、どうせ作るなら「壊れない品や壊されない品」の制作へ向かう人が出てくるのが当然だと私は感じます。

壊れない品であれば、強度があるという理由だけで翡翠を使用しますが、壊れない品+壊されない品となると「不滅でありながら、大切にされるだけの魅力のある品」である必用があります。(後者の方がより不滅の存在になります)

壊れない品だけを求めた場合、コストパフォーマンスが悪くなるかと思います。
道具である磨製石器は壊れるから次がありますが、翡翠で作ってしまうとそう簡単には壊れません。
しかも加工には、とてつもなく時間がかかる事から疲労も桁違い、道具としては割に合わないかと。

そんな理由も在ったのか無かったのか…?、翡翠による磨製石器は今の現場からは出土していません。(他の鉱物での磨製石器は数多出土しています)

現在の遺跡から出てくる翡翠は、原石・ハンマー・欠片くらいです。
原石の用途は見て楽しんでいたのか、ハンマー用に用意したのか、交易の為に所有していたのか、加工用に所有していたのか…、よく分かりません(笑)

ハンマーの用途は、ぶっ叩く為に頑丈で重い翡翠を使ったのでしょう。(全般に質は良くない)
それ以上でも、それ以下でもないかと…。

欠片ですが、ハンマーの欠片などもある中に片面が擦られているものが存在します。(1cm位の欠片)
一見、加工をしていた証にも見えますが、磨斧の欠片のように二面を擦られている欠片を私は見ていません。(磨斧の欠片は表面と側面の部分が擦られているものがある)
なので私には石割の際に「砥石で状痕を付けた場所を割る際に出た欠片」にしか見えないんですよね…。(けっこう深く砥石で痕を付けますから)
もし加工が成されていたとしても面で擦られている事から、磨斧制作での派生から誕生した大珠(長者ヶ原から出てる大珠)のようなタイプだと思います。

曲線がある翡翠の欠片が出れば、ここで珠・玉を加工していた事に疑いは無くなるのですが…。
研磨の最中に割れる事はあまりないのですが、もしあったのなら面だけ擦る行程だけではなく、曲線をとる行程でも割れる筈です。
なので、きっと石割の行程での欠片なのだなぁ〜、と今現在は思っています。
まぁ、石割も加工の内に入るんですけどね(笑)

縄文人に対して感じた事は、基本的に「現代人と本質は変わっていない」って事です。
著しく変わったのは使う道具だけ、規模がデカくなり大勢が共有する道具が多くなったので、被害も大勢が被る事になっただけに思えます。
全ては道具のみを一方に進化させていった事の結果であり、現状は成るべくして成ったって感じです。

縄文時代の漆器も、年代が古い方が作りが良いのだそうです。(漆100%)
量産するようになると混ぜものが多くなり、かなり耐久性が低下しているのだそうです。
この時代で、既に「過剰な普及のデメリット」が示されているわけですね…。

道具を制限すれば、かつての縄文人のように心穏やかに過ごせるのだろうか?、それとも過去を美化しているだけに過ぎず、それなりの闇があったのだろうか…。

是非、直接聞いてみたいものです。(不可能ですが…)
2013年11月04日
久々の作品紹介です。


月読命「月光」-壱-
抜群の透明度と白く揺らめく模様のあるヒスイで月読命「月光」を砥ぎ出しました。夜空を優しい光で包み込む月灯りをイメージし、月歩による成長をもたらす三日月を表現しています。

光を受けた姿は、月長石や蛋白石に少し似ているように思えます。
ぼんやりと柔らかで不思議な輝きが、月が放つ光のように見えるので「月光」と名付けました。
ヒスイ自体が良質な為、艶が出やすく磨きに手間がかかりませんでした。(普段より)

このヒスイは完全な白色ではなく、うっすらと緑が溶け込んでいます。
なので作品を日陰で見ると、全体が淡く緑に染まっているのを確認できます。
色の変化だけでなく月を想わせる紋様もあり、とても魅力的な作品に仕上がりました。



建速素戔鳴尊「雨過天晴」-参-
波紋のような模様のある水色のヒスイで建速素戔鳴尊「雨過天晴」を砥ぎ出しました。青磁の理想色である雨上がりの空をイメージし、その身に蒼天を宿す水龍を表現しています。

水色の地に青色が流れるヒスイで制作しました。
このシリーズは粉雪のような白色のインクルージョンもあり、動を示す嵐を表現しながらも、静である青色の晴天も合わせ持つ作品になっています。

透明度も高く光を受けると、より青色の流れが強調されます。
素戔鳴(龍)に相応しい「荒々しさ」をメインとしながらも、その後に訪れる「静けさ」をもたらす本質も込めた作品となっています。



ここのところ遺跡発掘などで、なかなか創作活動が進みません。
やっぱり同時進行は難しいですね…、ちょっとした商品制作なら問題ないのですが…。
10月で終わる予定の発掘ですが、精査する所がまだまだあり、11月までかかりそうです。

でもずっと同時進行するわけではないので、最後まで発掘を楽しみたいと思います。
2013年10月27日
日本神話では火之迦具土は、伊邪那岐と伊邪那美の最後の子という扱いになっています。
生んだ事で伊邪那美は死に、火之迦具土は伊邪那岐によって分解されたと言います。

ここで火之迦具土と天照の繋がりを考えてみました。(現代での視線で)
天照は「陽」であり、詰まるところ巨大な火の玉な訳です。
なので「焔」とされる火之迦具土は、その一部だと考えても良いように思えます。(光も力の一部と考えられますね)

例え話なのですが、人間が神を名乗ろうとした場合、天に在る太陽はとてつもなく偉大であり同等の存在感を持つ事は不可能だと認識するでしょう。(太陽の姿を知らない古代では)
太陽を使いこなす事などは不可能でありますので、「神の使い」や「子」を名乗るのが精一杯かと思います。
その太陽(神)の「使い・子」と称する為には「力の分解」が必用となります。
要するに「太陽の力の一部を使いこなす」って事が必用となるわけです。

その一部を火之迦具土である「焔」として、見る事ができると考えます。
太陽の一部である「焔」を使いこなす事で「人間は神に近づける」と考えるのは、人類の進化の過程としては不思議な事ではない気がします。

しかし神話では火之迦具土が分解されているので、焔ですら扱うのは難儀だったと考えます。
人が使うには陽→焔→火として、自然の力を制限した(小規模にした)方法でなければ不可能である事が良く分かります。
神の使者を名乗ろうとした夫婦(姉弟)の妻(姉)は「焔」を操りきれず焼け死に、残った夫(弟)が「火」のレベルに落として使い誤魔化したって話は、偽りだらけの現代ならば思いつきそうな話ではあります。

縄文時代では火の扱いは重要で、火を神として祀っていたのでは?とも言われているそうです。(この時代は太陽より、火を崇めていたらしい)
その時代に火を巧に扱えば、神の使いを名乗っても違和感は無かったのかもしれません。
太陽の科学的な姿が分かっていなかった時代でも、太陽の一部を崇めていて、更に自分が扱える規模にして上手に使う、ここで「人」と言われる生物の基礎が身に付いたのかもしれません…。

結局、人の領域で高めていった存在でも、自然の力の一部を制限して「使えるレベル」にしているに過ぎないのかもしれませんね…。(自然から見れば)

でも考えてみれば当然で、自然(地球)を従わせる事など絶対に不可能です。
自然を超えるなんて事よりも、重要視するべきは人の基礎となった「自分が扱える規模にして上手に使う」って事だと思います。

ある意味、焔(火之迦具土)の上位である太陽(天照)を良く知る時代でもあるので、その力の使い方、っていうか「恩恵の受け方」を考える必用が現代にはあります。
その事で、一部の人のする事(仕事)が無くなっても仕方ないようにも思えます。

要は人が身に付けた「道具とは自分に扱える規模にして使う」って事を進めるわけですね。(将来的には雷の恩恵の受け方も考えるべきでしょうね)
直ぐに代替エネルギーとは成りませんが、これが未来のエネルギーとなっていなければ、人類はもう「消費していくだけの生物」って事になりますね…。


しかし道具であるのならそれで良いですが、道具から離れた存在、自然と調和した存在を扱うには人が別方向へ進化する必用があります。
ここでは「使いこなす」と言う事ではなく「共に在る方法」を見出さなくてはなりません。

古の文献にすら人の業は記されていて、それを残されていながらも同じ事を繰り返す存在の人間…、どうすれば別方向に進むのか良く分からない。

別方向へ進化していくって事の明確なビジョンが在るとするならば、人類としては厳しい決断が必用となるようにも思えます。
多くの生物は適応して進化しましたが、人は自らの意志で「進化する方向を選ぶ必用」がある気がする…。
それが「意志を持って生きる生命体」としての責任と使命だと私は考えます。

外的要因で「右往左往して生き長らえていたら進化していた」ってのは、人の意志を蔑ろにしているようにしか私には思えません。(ただ老けていっただけだし…)
2013年10月17日
発掘作業も終盤を向かえ、ペースも少しずつ緩やかになってきました。

多くの遺物が出土するであろうと期待していましたが、思っていたほど出てこないです。
炉が4つほど出ていますが、規模が小さく人が住んでいたいにしてはお粗末です。
集会所だったのか、それとも休憩所だったのか…、よく分かりません。
ちなみに、また炉の下から炉が出たようです。

ヒスイの原石や石器は出ていますので、何かしらしていた事は間違いないかと。
川の近くなので、もっと栄えても良い気がするのですが、当時この川がどの程度の規模だったのかも分からなので、どのような環境だったか分かりません。(私には)
精査して出てきた川は、けっこう大きな川に見えるのですが…。

遺構も現段階では多く無く、どうも小規模な気がします。
小屋程度に使っていたのだろうか…?

そんな中でも、黒曜石の石核に出会いました。
小石程度の大きさでしたが、そこから大切に活用した事が良く分かります。
普段出てくる薄い黒曜石では無く、塊での黒曜石はそれだけで美しく、存在感があります。
矢尻となっている品とは違った魅力も感じました。(鉱物が好きだからかも)

それと重要ではない石ですが、面白いものを見つけました。



なんか顔に見える気が…。(ちょっと不気味な感じもする)
私はET(宇宙人)の化石と呼んでいますが、とても面白いです。
こういった石像があっても不思議ではないですが、胴体も無いし加工した感じでもないです。
もののけ姫に出てくる、木霊っぽくも見えてきますね…。
偶然なのでしょうが「必然に思える」って事は現実に存在していて、この世界を楽しくする一つの現象なのだと感じます。(それが幻想だったとしても)

もし古代人が同じ事を感じて、この石を持ってきたのだとしたら、その楽しみを「時代を超えて共有している」って事なのかもしれません。

まぁ、私が「そう思いたい」って事なのでしょうけどね(笑)
2013年10月07日
今回は人の進化について考えてみました。

遺跡発掘調査の作業をしていて、今まで頭の中で考えていた推論が確証に変わりました。(私の中で)
そこで人間の「一つの進化のかたち」を追っていきたいと思います。

まず、大昔に人とりつつある生物が、鉱物で道具を作り使いこなす事で人類となる一歩を踏み出しました。
道具として鉱物を使いながら、そこに美を求めていった古代人の感性は素晴らしいと感じています。
この感性だけを見ると現代人の多くは、かなり退化しているように思えます。

また、古代人が作りだした品は無から創造したのではなく、自然を見続けてその姿を見本としています。
きっと「自然は魂と繋がっている」って事を当然のように感じていたのだと思います。

現代では人間であるのが当たり前となり、その先へ進む鉱物の使い方を真剣に考えられていないように思えます。(建材くらいしか発展していない気が…)
なので道具を兼ねながら美しく、身に付ける装飾品でありながら魂と繋がる、そんなお守りが必用だと私は感じています。

自然との共存共栄は縄文時代より成されています。
私が考える「道具を逸脱した存在」も、縄文時代には確立されつつあったと考えます。
あれから最低でも3000年の歳月(諸説あり)が流れているそうですが、その間にこの領域がどれだけ進んだのだろうか…?
私には人が道具を超える事を先延ばしにし、道具に退化させて使っているようにしか見えない領域があります。

私は以前、原発事故の数日前に「弱き存在」と言うブログを書きました。
簡単に言うと、「人が築いた英知は純粋なる本能の力で簡単に崩される」という内容です。
地球そのものを生命体と見立てて書いたのですが、それがある意味現実となり「原発と言う人の英知」が簡単に壊れました。
この事により、私の中でハッキリと分かった事は「手に負えない英知は否定される」って事です。

原発って本当に低コストなのだろうか…?
低コストであるのならば、無駄がなくなり人が必用と無くなっていきます。(必用人数のみで動くから)
人を必用としなくなるシステムのはずなのに、やたら多くいる気がする…。
詰まるところ「人のやる事を奪っていくシステム」なのに矛盾している。
まぁそれが、こちらの領域の最終的な進化なのでしょう。

で…、やる事を失った人は何をすれば良いのでしょうか?
普通に考えれば、いくらでもすべき事はあります。
でもその多くが現代の生活に直結しない事ばかりです。(要はお金に成らない)
だからって古代の生活に戻る必用もないと思いますが…。

ここら辺で考える必用があるのではないでしょうか?
人と成った存在が、さらに先へ進む術を。(原点に帰り自然から)


ちょっと話がまとまっていませんが、どう進むべきかはそれぞれ違っていくのかもしれません。(人類の分岐点にいるのかも)
2013年09月27日
やっと中層が終わり、下層の精査が始まりました。

中層に炉が5つほど出てきたので、遺構を掘ったり図面を書いたりで大変でした…。
その中の1つは、炉の下からもう1つの炉が出てきたようです。(リフォーム?)
去年に調査した区画でも中層から住居跡が出ていたらしく、合わせるとかなりの数だそうです。(珍しいほど規模の大きい集落らしいです)

でも何故か遺物はあまり出てこない…、変わった遺跡だと言ってました。(調査員の人が)
冗談として「別荘的な場所だった?」と言うほど、生活の痕跡がないようです。

もしここに居た人達が職人の軍団だったのだとしたら、移動しながら回っていた場所なのかもしれません。

ちなみに、この層で出土した石棒は県内最大だったようで、大変貴重な遺物だと言うことです。
私的には、あの存在だけが作家(職人を兼ねた)の存在を示す遺物であり、道具から「逸脱した存在」を受け継げるのは作家のみなのだと証明している存在だと考えています。

これを追求して行くと「作家が創った品(世界観なども)は、作家でしか受け継げない」って事になります。
それ以外が流用すると、道具の領域に引き戻す事となり、せっかく高めた存在を引きずり降ろす事になります。(地獄の亡者のように…)

これは刀の領域でも同じで、既に道具で無くなった刀を職人が受け継ぐ事は不可能となっています。(道具を兼ねてはいますが)
かろうじて「昔の刀を研ぐ領域」は残っていますが、美術品となった刀を受け継ぐ為には「職人を兼ねた作家」或いは「作家と共同作業する職人」が必用となっているかと思います。
要するに「原点の作り手」となる必用があるって事ですね…。(原点とは古代と言う意味ではない)
勾玉も然り、だからここまで劣化したんだと思います…。


あ…、話が逸れたので元に戻します(笑)。
中層の土を重機で慎重に掘りながら、下層が出てきた場所を両刃で削っていきます。(人力での作業)
この作業がけっこう大変…、簡単そうに見えて過酷な単純作業です。
何も出てこない事が多いので精神的にも滅入りますが、たまにヒスイが出たりするので、その時はテンションが上がります。(自分が出してないくても)

現在では6個のヒスイが出ています。
それも3個が近くに揃っていて、川があった場所で出土した事から「何らかの加工をしていたのではないか」と考えられています。(3個とも同じヒスイだと思うので、もしかしたら一つに合わさるかも?)
出土した6個の内、2個は良質と言えるヒスイでした。(加工意欲の湧くヒスイでしたね…)

先日は現場の撮影の為、表面の削り作業がハイペースで行われたので手が壊れそうになりました…。
体験で手を壊してしまうと意味がないので、気を付けなければ(笑)。

しかし人力も捨てたものではありません。
重機に追いつき、重機の作業待ちの状態にまでなりましたから!

この作業の中で表面にも土器は幾つか出ていたので、下層の調査は面白くなりそうです。(でも、そろそろ本腰入れて、創作活動もして行かなくてはなりません)

10月で最後なので、良い思い出になるよう楽しみながら進めて行きたいです。
2013年09月17日
ちょっと面白いヒスイと出会いました。
何が不思議かというと、まずは出会った場所が面白いです。

家の側で道路の拡張工事をしているのですが、そのヒスイは工事で掘り返した所にありました。
散歩ついでに見ていたら、不自然に鮮やかな青色をしている石があったのです。
当初は「珪石に入ったデュモルチェライト」だろうと思いながら拾ったのですが、どうも重さが違う…。

洗って乾かしてみると、なんと灰色の地に青色が入ったヒスイでした。(ヒスイ輝石が輝いてました!)





青色のヒスイは幾つか持っているし、見てきているのですが、このタイプは初めてです…。
灰色ヒスイに青色が入れるなんて、かなり珍しいように思えます。(紫は在りますが)
しかもクレヨンで塗ったような青色をしていて、一見ではデュモルチェライトにしか見えない…。(糸魚川石とも違うかと)
とても不思議なヒスイと、不思議な所で出会いました(笑)。


ちなみに、一般的な青ヒスイは、こんな感じです。





海での転石なので肌が違いますが、灰色に入っている事はありません。
おそらく、あのヒスイはコンサワ系の青ヒスイでは無いのでしょう。


こっちは紫色が入ったヒスイです。(海で出会いました)





少し灰色がかったヒスイに紫色が入っていますが、今回のヒスイとは全く違います。
このヒスイは地が白ければ、紫が映えてより美しくなるのですが、なかなか出会えません。
個人的には、消しゴムに一番見えるタイプのヒスイだと思います。(弾力がありそうに見える)


灰色の肌質を見る限りは、小滝系の紫ヒスイと良く似てはいるのですが、どうも違うみたいです。
別の場所で出るタイプのヒスイなのかもしれませんね。(ヒスイ輝石が少し粗いように思えるし)

しっかしどこからでもヒスイが出るな…、糸魚川は(笑)。
2013年09月07日
不思議な縁で知り合った青年の翡翠を、私が加工する事になりました。

彼が出会った「底なる玉」、それを母親へ贈るために勾玉に加工します。




なかなか良質の翡翠、そう簡単には出会えないレベルです。
しかし見たところヒビが多い感じ…、加工途中で割れないだろうか心配でした。
なるべく致命的なヒビを避けながら、それと同時に「美として映るヒビ」は残しながら加工をしました。

思ったよりも粘りがある翡翠で、しかも致命的とも思われたヒビは「石目」だったので、割れる事もなく無事に加工を終える事ができました。(主に切断の際に、粘りがある翡翠かが判断できます)



磨いた事により透明感を増し、美しい肌質や紋様が姿を現しました。
全体にうっすらと翠に染まる表側は無傷で、ブドウの果肉のような姿をしています。(とても美味しそうです(笑))

裏側には少しのヒビが残りましたが、雲のような、あるいは川の流を想わす紋様となり、所々に発色する明るい翠を引き立てていると思います。
持ち主の方には、この景色で姫川を感じてもらえたら嬉しいです。(秘めたる美「秘美」として見てもらえたら良いのですが…)


私的に、この「底なる玉」は加工して良かったと考えます。
理由に一つに「転石のままでの魅力は低かった」事があります。(綺麗な翡翠ではあったのですが、その姿形は魅力的ではなかったです)

翡翠の特徴的な姿である角張った状態、もう少し丸みがあったら良かったかな…、と思います。(でも翡翠輝石がキラキラしていて、美しかったのは確かです)

この姿で私と出会った(持ち込まれた)のも運命なので、内に秘めた美を引き出すよう私なりに造形しました。(青年の「思いやり」をイメージして加工しました)
後は青年と、その勾玉を贈られる母親に気に入ってもらえたら、作り手として最高です。


こういう青年が糸魚川にいるなんて「捨てたものでは無い」と思うのですが、結局は私と同じく糸魚川生まれでは無いんですよね…。(何より制作依頼の理由が一番気に入った)

それでも糸魚川へ移住してくれた事を嬉しく思います。
2013年08月27日
現在も縄文時代の中層を精査しています。

石棒が出土した場所の精査が終わりました。
完成形の石棒と加工途中と考えられる石材の他には、特に珍しい品は出土せず生活していた形跡もあまり見られないようです。(少しの土器が出たくらい)
炉と思われる場所に、加工途中と思われる石材があったのが不思議なようです。

純粋な創作場だったのか…、神を祀った家だったのか…。
もし住んでいたとしたならば、かなり詫びた人だっただろうと仲間と冗談半分に話しました(笑)。

その場所から少し離れて、職人の工場であろう跡が見つかっています。
そこからは様々な石や石の欠片、土器の破片が出ています。(ヒスイやヒスイに近い曹長石などもあります)

その中でも、特に不思議に思うものがありました。
調査員の方から簡単な鉱物の判別を求められた品なのですが、その品はゴルフボールより少し大きな球状の道具でした。
その日は曇っていて、更に洗浄した後の乾いていない状態で見たので今でも判別に迷っています。

見たところ紫色が入ったヒスイの玉です、ヒスイ輝石自体を確認してはいないのですが、普段から親しんでいる発色をしていました。

しかし心に引っかかるのは、その品の重さでした。
異常に重く、まるでコランダムのようでした…。
ここである疑問が私の中で発生し、紫ヒスイに良く似たコランダムの記憶が呼び起こされました。

確かに良く似たコランダムは存在します。
ですが、あれだけ大きなものが存在するのだろうか…?(全体をコブとなる部分で作らなければ有り得ない話です)
しかも部分的に翠色の発色が見られたので、ヒスイで間違いはないかと思うのですが…。(ロディン岩でも無いと思う)

そして不思議なまでに丸い状態も違和感を感じました。
ハンマーとして使ったと現場で説明がありましたが、打撃痕を確認する事ができませんでした。(濡れていたので…)
打撃のみで、あそこまで球状になるのだろうか?(ヒスイ、あるいはコランダムが)
あまり大きくないので石器の調整道具として使用したようですが、不思議なまでの存在感です。(主に打製石器に使ったとの事です)

そう言えば良く似た品が蛇紋岩と思われた石で見つかっています。
それも球状で、異常なくらい重いです。
しかも見た目は蛇紋岩なのですが、どうもネフライトのようなのです。
黒いネフライト、正確には「かなり濃緑のネフライト」なのだと思います。
これは打撃の痕が見られたのでハンマーだったのでしょう。(少し欠けていましたし)

双方の品がハンマーであるとして、問題は重さです。
どちらも通常よりも重い、これは何なのだろうか…?。
間違いなく言えるのは、使い手は「重さを分かっていてハンマーにしている」って事です。
しかも楕円形のハンマーではなく、球状のハンマーとして活用している点が不思議です。

私には「サイズを小さくしても、重さが十分なもの」を認識しているように思えます。
また、鉱物同士の比較は当然ながら、同じ鉱物の中でも見分けているって事も重要です。(叩く事で目が詰まり重くなるって事も、金属じゃないので無いかと…)

そしてこのハンマー、「叩き続けて丸くなった」と言うよりは、球状に加工してから使ったのだと考えます。(擦る事にも使ったように思える)
ここら辺の活用は、流石は職人って感じですね。
糸魚川で「ヒスイを道具として活用していた事実」を自分の目で確認できて嬉しいです。(手を加えた「道具」としてのヒスイの確認)


しかしヒスイの道具以外の活用が見られないのは、ちょっと悲しいです。
道具から逸脱した品を創るのが作家(芸術家)です。

いずれこの地で「ヒスイで制作された創作物」を見る事ができるのだろうか…?
これは「私にとって重要な問題」ってだけの話なんですけどね(笑)。



全く関係ない話ですが、高純度なロディン岩の和名を鶯石(鴬石)とするのはどうだろうか?
翡翠がカワセミならロディンはウグイス…、ちょっと浅はかな考えかな〜(笑)。
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