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2013年11月17日
お守りとはどういう存在で、どういった理由で誕生したのかを私の解釈で書きます。
私が考えるお守りとは「誓いであり、宣言でもある」と強く感じています。

天運の加護を願うのは当然の事で、人智の及ばない「運命に神の祝福を願う」のは人にとって最も自然であり、大切な事なのだと思います。
しかし、願って所有するだけでは加護を得る事はできません。
天運の加護を得るには、もう一つ重要な事である「そう在ろうとする姿勢」が必用となります。

願う事へ挑戦し、努力し、成長する過程においてのみ、天運の加護は得られます。
ことわざで「果報は寝て待て」とありますが、これは「やるべき事をやった後は慌てるな」って事で、だだ寝て待っていろと言う事ではありません。

なので私は、お守りという存在を所有した瞬間、人は「どう生きるのか」を宣言し、「そう在ろう」と誓いを立てるのだと考えています。
古来から、その為にお守りは誕生し、存在しているのだと私は確信しています。

私は糸魚川のヒスイを造形してお守りを創る事を、ライフワークとしています。
古代からそうであったように、ただの道具では無く、硬く堅い不滅の存在を造形し、不屈の精神を込めて高みを目指す、この過程により天運が宿るのだと感じています。

そして、それを感じ共有できる方々との出会いの中で、私の魂は成長して行きます。
すぐには結果は出ませんが、信念を持って続けていれば、その過程で加護を得るのだと確信しました。
お守りという存在が、人類にとってどれだけ大切な存在なのかを理解できたように思えます。

そう考えると古代の勾玉にさえ「信仰による創作物」と「普及により交易品」が在るって事ですね…。
注意深く調べれば、現在のようにハッキリした違いは無くても「そこに派生する根源」に、気が付くかもしれません。
作った者の生き様が見えないので難しいですが、異常に普及している地域は混在の可能性大です。

まぁ、現代に続くロザリオと似た広がりであり、ただのアクセサリーとして進んだ事も事実でしょう。
そういった存在に天運の加護を求めても…、期待薄でしょうね(笑)
逆に言えば本物を所有して自身が成長すれば、その実感を得る事ができる事になるかと思います。

少なくても私はヒスイの創作活動を通じて、何かしらの加護は実感しています。(幻想の可能性もあるかもね…)

それぞれの時代にヒスイのお守りが在ったのだとするならば、それらを「点」として現代と「線」で繋ぐ、私の目指す事は、継ぐ事よりも「繋ぐ事」の方が重要になってくるのだと感じています。


この活動を通じて感じた事があります。
それは、お守りの大切さを理解できる人の特徴は「道具と人の関係を理解している」という事です。

道具とは、一部の人達が積み上げて進化させています。(長じて機械になっていく)
それぞれの道具を、各々が進めてきたのでは無い為、多くの人達は進められてきた道具を共有し、依存し、構造を理解せずに使っています。
これでは使いこなせる訳もないです…、原始人がスマホを持っているのと同じですから。

皆が作れるようになる必用はないのですが、現時点での道具と自身の差を認識しないと、大きな災いの渦に飲み込まれて行くことでしょう。(私も同様に)

昔は狩猟や農耕により、多くの人が作る事に関わっていたので少なからず道具の進化を担い、その本質を身体で感じていましたが、現在は何も関わっていない人が大勢います。
上っ面だけのシステムを上手く使う事は出来ても、根源を知らない為に作る事ができません。

要するに「人の褌で相撲は取れる」ってだけで、自身の相撲を取る事が出来ない訳ですね…。
だからって独り相撲では駄目なので、共有しながらも個で成り立つ、これが肝心なのだと思います。

古来から進んできた英知を共有しながらも、便乗するだけでなく、己の意志を反映させて共に進んで行けたら理想的なのだと思います。(後は身の丈に合った道具を使う事が肝心ですね)
2013年11月07日
発掘作業は11月に延びましたが、体験する日も残り僅かとなりました。

現在は縄文時代の住居を精査しています。
けっこう大きな住居跡のようで、隣に並ぶ住居の1.5倍はあります。
こちらの方が少し古い時代の住居跡らしく、不思議な事に炉の石が半分ありません…。(引っ越しの際に持って行ったのか?)
炉の下から出てくる土器は焼きがしっかりしていて、紋様も魅力的なデザインとなっています。
中央には敷物の跡らしき大量の墨が見られ、地べたに直接座っていなかったのだと考えられるそうです。
隣の住居は増築されたかのように、ピッタリと並び二世帯住宅のようにも見えます(笑)
住居は楕円型っぽくなっているようで、何とも不思議な住居跡だと感じました。

11月9日(土)に現地説明会があるので、興味のある方は是非見て頂きたいです。
出土品の展示もありますので、遺跡に興味がない人でも翡翠好きなら面白いかと思います。(小さいですが、なかなか良い翡翠が出土していましたから)


この体験で、いろいろと勉強になりました。
遺跡に対してではなく作業自体で感じたのは、土を造形する作業の「徒労感はハンパない」事です(笑)
雨風で崩れ、踏まれて崩れ、何度も同じ事を繰り返します。
だから作業になるのですが、不滅の存在、特に私はヒスイを扱っているので、それを強烈に感じました。
全霊をかけるのならば、絶対に不滅で在るものに限ると心底思いました…。(造形に限り)

遺物に対しての疑問は、「これだけ洗練されたデザインの土器を作成できたのなら、より高めた存在にしようとは思わなかったのだろうか?」という事です。
石器を作っていたのなら尚の事で、不滅の存在である鉱物の大切さを理解していたはずです。
それと同時に、石器の加工の苦労は現在の比ではなく、どうせ作るなら「壊れない品や壊されない品」の制作へ向かう人が出てくるのが当然だと私は感じます。

壊れない品であれば、強度があるという理由だけで翡翠を使用しますが、壊れない品+壊されない品となると「不滅でありながら、大切にされるだけの魅力のある品」である必用があります。(後者の方がより不滅の存在になります)

壊れない品だけを求めた場合、コストパフォーマンスが悪くなるかと思います。
道具である磨製石器は壊れるから次がありますが、翡翠で作ってしまうとそう簡単には壊れません。
しかも加工には、とてつもなく時間がかかる事から疲労も桁違い、道具としては割に合わないかと。

そんな理由も在ったのか無かったのか…?、翡翠による磨製石器は今の現場からは出土していません。(他の鉱物での磨製石器は数多出土しています)

現在の遺跡から出てくる翡翠は、原石・ハンマー・欠片くらいです。
原石の用途は見て楽しんでいたのか、ハンマー用に用意したのか、交易の為に所有していたのか、加工用に所有していたのか…、よく分かりません(笑)

ハンマーの用途は、ぶっ叩く為に頑丈で重い翡翠を使ったのでしょう。(全般に質は良くない)
それ以上でも、それ以下でもないかと…。

欠片ですが、ハンマーの欠片などもある中に片面が擦られているものが存在します。(1cm位の欠片)
一見、加工をしていた証にも見えますが、磨斧の欠片のように二面を擦られている欠片を私は見ていません。(磨斧の欠片は表面と側面の部分が擦られているものがある)
なので私には石割の際に「砥石で状痕を付けた場所を割る際に出た欠片」にしか見えないんですよね…。(けっこう深く砥石で痕を付けますから)
もし加工が成されていたとしても面で擦られている事から、磨斧制作での派生から誕生した大珠(長者ヶ原から出てる大珠)のようなタイプだと思います。

曲線がある翡翠の欠片が出れば、ここで珠・玉を加工していた事に疑いは無くなるのですが…。
研磨の最中に割れる事はあまりないのですが、もしあったのなら面だけ擦る行程だけではなく、曲線をとる行程でも割れる筈です。
なので、きっと石割の行程での欠片なのだなぁ〜、と今現在は思っています。
まぁ、石割も加工の内に入るんですけどね(笑)

縄文人に対して感じた事は、基本的に「現代人と本質は変わっていない」って事です。
著しく変わったのは使う道具だけ、規模がデカくなり大勢が共有する道具が多くなったので、被害も大勢が被る事になっただけに思えます。
全ては道具のみを一方に進化させていった事の結果であり、現状は成るべくして成ったって感じです。

縄文時代の漆器も、年代が古い方が作りが良いのだそうです。(漆100%)
量産するようになると混ぜものが多くなり、かなり耐久性が低下しているのだそうです。
この時代で、既に「過剰な普及のデメリット」が示されているわけですね…。

道具を制限すれば、かつての縄文人のように心穏やかに過ごせるのだろうか?、それとも過去を美化しているだけに過ぎず、それなりの闇があったのだろうか…。

是非、直接聞いてみたいものです。(不可能ですが…)
2013年11月04日
久々の作品紹介です。


月読命「月光」-壱-
抜群の透明度と白く揺らめく模様のあるヒスイで月読命「月光」を砥ぎ出しました。夜空を優しい光で包み込む月灯りをイメージし、月歩による成長をもたらす三日月を表現しています。

光を受けた姿は、月長石や蛋白石に少し似ているように思えます。
ぼんやりと柔らかで不思議な輝きが、月が放つ光のように見えるので「月光」と名付けました。
ヒスイ自体が良質な為、艶が出やすく磨きに手間がかかりませんでした。(普段より)

このヒスイは完全な白色ではなく、うっすらと緑が溶け込んでいます。
なので作品を日陰で見ると、全体が淡く緑に染まっているのを確認できます。
色の変化だけでなく月を想わせる紋様もあり、とても魅力的な作品に仕上がりました。



建速素戔鳴尊「雨過天晴」-参-
波紋のような模様のある水色のヒスイで建速素戔鳴尊「雨過天晴」を砥ぎ出しました。青磁の理想色である雨上がりの空をイメージし、その身に蒼天を宿す水龍を表現しています。

水色の地に青色が流れるヒスイで制作しました。
このシリーズは粉雪のような白色のインクルージョンもあり、動を示す嵐を表現しながらも、静である青色の晴天も合わせ持つ作品になっています。

透明度も高く光を受けると、より青色の流れが強調されます。
素戔鳴(龍)に相応しい「荒々しさ」をメインとしながらも、その後に訪れる「静けさ」をもたらす本質も込めた作品となっています。



ここのところ遺跡発掘などで、なかなか創作活動が進みません。
やっぱり同時進行は難しいですね…、ちょっとした商品制作なら問題ないのですが…。
10月で終わる予定の発掘ですが、精査する所がまだまだあり、11月までかかりそうです。

でもずっと同時進行するわけではないので、最後まで発掘を楽しみたいと思います。
2013年10月27日
日本神話では火之迦具土は、伊邪那岐と伊邪那美の最後の子という扱いになっています。
生んだ事で伊邪那美は死に、火之迦具土は伊邪那岐によって分解されたと言います。

ここで火之迦具土と天照の繋がりを考えてみました。(現代での視線で)
天照は「陽」であり、詰まるところ巨大な火の玉な訳です。
なので「焔」とされる火之迦具土は、その一部だと考えても良いように思えます。(光も力の一部と考えられますね)

例え話なのですが、人間が神を名乗ろうとした場合、天に在る太陽はとてつもなく偉大であり同等の存在感を持つ事は不可能だと認識するでしょう。(太陽の姿を知らない古代では)
太陽を使いこなす事などは不可能でありますので、「神の使い」や「子」を名乗るのが精一杯かと思います。
その太陽(神)の「使い・子」と称する為には「力の分解」が必用となります。
要するに「太陽の力の一部を使いこなす」って事が必用となるわけです。

その一部を火之迦具土である「焔」として、見る事ができると考えます。
太陽の一部である「焔」を使いこなす事で「人間は神に近づける」と考えるのは、人類の進化の過程としては不思議な事ではない気がします。

しかし神話では火之迦具土が分解されているので、焔ですら扱うのは難儀だったと考えます。
人が使うには陽→焔→火として、自然の力を制限した(小規模にした)方法でなければ不可能である事が良く分かります。
神の使者を名乗ろうとした夫婦(姉弟)の妻(姉)は「焔」を操りきれず焼け死に、残った夫(弟)が「火」のレベルに落として使い誤魔化したって話は、偽りだらけの現代ならば思いつきそうな話ではあります。

縄文時代では火の扱いは重要で、火を神として祀っていたのでは?とも言われているそうです。(この時代は太陽より、火を崇めていたらしい)
その時代に火を巧に扱えば、神の使いを名乗っても違和感は無かったのかもしれません。
太陽の科学的な姿が分かっていなかった時代でも、太陽の一部を崇めていて、更に自分が扱える規模にして上手に使う、ここで「人」と言われる生物の基礎が身に付いたのかもしれません…。

結局、人の領域で高めていった存在でも、自然の力の一部を制限して「使えるレベル」にしているに過ぎないのかもしれませんね…。(自然から見れば)

でも考えてみれば当然で、自然(地球)を従わせる事など絶対に不可能です。
自然を超えるなんて事よりも、重要視するべきは人の基礎となった「自分が扱える規模にして上手に使う」って事だと思います。

ある意味、焔(火之迦具土)の上位である太陽(天照)を良く知る時代でもあるので、その力の使い方、っていうか「恩恵の受け方」を考える必用が現代にはあります。
その事で、一部の人のする事(仕事)が無くなっても仕方ないようにも思えます。

要は人が身に付けた「道具とは自分に扱える規模にして使う」って事を進めるわけですね。(将来的には雷の恩恵の受け方も考えるべきでしょうね)
直ぐに代替エネルギーとは成りませんが、これが未来のエネルギーとなっていなければ、人類はもう「消費していくだけの生物」って事になりますね…。


しかし道具であるのならそれで良いですが、道具から離れた存在、自然と調和した存在を扱うには人が別方向へ進化する必用があります。
ここでは「使いこなす」と言う事ではなく「共に在る方法」を見出さなくてはなりません。

古の文献にすら人の業は記されていて、それを残されていながらも同じ事を繰り返す存在の人間…、どうすれば別方向に進むのか良く分からない。

別方向へ進化していくって事の明確なビジョンが在るとするならば、人類としては厳しい決断が必用となるようにも思えます。
多くの生物は適応して進化しましたが、人は自らの意志で「進化する方向を選ぶ必用」がある気がする…。
それが「意志を持って生きる生命体」としての責任と使命だと私は考えます。

外的要因で「右往左往して生き長らえていたら進化していた」ってのは、人の意志を蔑ろにしているようにしか私には思えません。(ただ老けていっただけだし…)
2013年10月17日
発掘作業も終盤を向かえ、ペースも少しずつ緩やかになってきました。

多くの遺物が出土するであろうと期待していましたが、思っていたほど出てこないです。
炉が4つほど出ていますが、規模が小さく人が住んでいたいにしてはお粗末です。
集会所だったのか、それとも休憩所だったのか…、よく分かりません。
ちなみに、また炉の下から炉が出たようです。

ヒスイの原石や石器は出ていますので、何かしらしていた事は間違いないかと。
川の近くなので、もっと栄えても良い気がするのですが、当時この川がどの程度の規模だったのかも分からなので、どのような環境だったか分かりません。(私には)
精査して出てきた川は、けっこう大きな川に見えるのですが…。

遺構も現段階では多く無く、どうも小規模な気がします。
小屋程度に使っていたのだろうか…?

そんな中でも、黒曜石の石核に出会いました。
小石程度の大きさでしたが、そこから大切に活用した事が良く分かります。
普段出てくる薄い黒曜石では無く、塊での黒曜石はそれだけで美しく、存在感があります。
矢尻となっている品とは違った魅力も感じました。(鉱物が好きだからかも)

それと重要ではない石ですが、面白いものを見つけました。



なんか顔に見える気が…。(ちょっと不気味な感じもする)
私はET(宇宙人)の化石と呼んでいますが、とても面白いです。
こういった石像があっても不思議ではないですが、胴体も無いし加工した感じでもないです。
もののけ姫に出てくる、木霊っぽくも見えてきますね…。
偶然なのでしょうが「必然に思える」って事は現実に存在していて、この世界を楽しくする一つの現象なのだと感じます。(それが幻想だったとしても)

もし古代人が同じ事を感じて、この石を持ってきたのだとしたら、その楽しみを「時代を超えて共有している」って事なのかもしれません。

まぁ、私が「そう思いたい」って事なのでしょうけどね(笑)
2013年10月07日
今回は人の進化について考えてみました。

遺跡発掘調査の作業をしていて、今まで頭の中で考えていた推論が確証に変わりました。(私の中で)
そこで人間の「一つの進化のかたち」を追っていきたいと思います。

まず、大昔に人とりつつある生物が、鉱物で道具を作り使いこなす事で人類となる一歩を踏み出しました。
道具として鉱物を使いながら、そこに美を求めていった古代人の感性は素晴らしいと感じています。
この感性だけを見ると現代人の多くは、かなり退化しているように思えます。

また、古代人が作りだした品は無から創造したのではなく、自然を見続けてその姿を見本としています。
きっと「自然は魂と繋がっている」って事を当然のように感じていたのだと思います。

現代では人間であるのが当たり前となり、その先へ進む鉱物の使い方を真剣に考えられていないように思えます。(建材くらいしか発展していない気が…)
なので道具を兼ねながら美しく、身に付ける装飾品でありながら魂と繋がる、そんなお守りが必用だと私は感じています。

自然との共存共栄は縄文時代より成されています。
私が考える「道具を逸脱した存在」も、縄文時代には確立されつつあったと考えます。
あれから最低でも3000年の歳月(諸説あり)が流れているそうですが、その間にこの領域がどれだけ進んだのだろうか…?
私には人が道具を超える事を先延ばしにし、道具に退化させて使っているようにしか見えない領域があります。

私は以前、原発事故の数日前に「弱き存在」と言うブログを書きました。
簡単に言うと、「人が築いた英知は純粋なる本能の力で簡単に崩される」という内容です。
地球そのものを生命体と見立てて書いたのですが、それがある意味現実となり「原発と言う人の英知」が簡単に壊れました。
この事により、私の中でハッキリと分かった事は「手に負えない英知は否定される」って事です。

原発って本当に低コストなのだろうか…?
低コストであるのならば、無駄がなくなり人が必用と無くなっていきます。(必用人数のみで動くから)
人を必用としなくなるシステムのはずなのに、やたら多くいる気がする…。
詰まるところ「人のやる事を奪っていくシステム」なのに矛盾している。
まぁそれが、こちらの領域の最終的な進化なのでしょう。

で…、やる事を失った人は何をすれば良いのでしょうか?
普通に考えれば、いくらでもすべき事はあります。
でもその多くが現代の生活に直結しない事ばかりです。(要はお金に成らない)
だからって古代の生活に戻る必用もないと思いますが…。

ここら辺で考える必用があるのではないでしょうか?
人と成った存在が、さらに先へ進む術を。(原点に帰り自然から)


ちょっと話がまとまっていませんが、どう進むべきかはそれぞれ違っていくのかもしれません。(人類の分岐点にいるのかも)
2013年09月27日
やっと中層が終わり、下層の精査が始まりました。

中層に炉が5つほど出てきたので、遺構を掘ったり図面を書いたりで大変でした…。
その中の1つは、炉の下からもう1つの炉が出てきたようです。(リフォーム?)
去年に調査した区画でも中層から住居跡が出ていたらしく、合わせるとかなりの数だそうです。(珍しいほど規模の大きい集落らしいです)

でも何故か遺物はあまり出てこない…、変わった遺跡だと言ってました。(調査員の人が)
冗談として「別荘的な場所だった?」と言うほど、生活の痕跡がないようです。

もしここに居た人達が職人の軍団だったのだとしたら、移動しながら回っていた場所なのかもしれません。

ちなみに、この層で出土した石棒は県内最大だったようで、大変貴重な遺物だと言うことです。
私的には、あの存在だけが作家(職人を兼ねた)の存在を示す遺物であり、道具から「逸脱した存在」を受け継げるのは作家のみなのだと証明している存在だと考えています。

これを追求して行くと「作家が創った品(世界観なども)は、作家でしか受け継げない」って事になります。
それ以外が流用すると、道具の領域に引き戻す事となり、せっかく高めた存在を引きずり降ろす事になります。(地獄の亡者のように…)

これは刀の領域でも同じで、既に道具で無くなった刀を職人が受け継ぐ事は不可能となっています。(道具を兼ねてはいますが)
かろうじて「昔の刀を研ぐ領域」は残っていますが、美術品となった刀を受け継ぐ為には「職人を兼ねた作家」或いは「作家と共同作業する職人」が必用となっているかと思います。
要するに「原点の作り手」となる必用があるって事ですね…。(原点とは古代と言う意味ではない)
勾玉も然り、だからここまで劣化したんだと思います…。


あ…、話が逸れたので元に戻します(笑)。
中層の土を重機で慎重に掘りながら、下層が出てきた場所を両刃で削っていきます。(人力での作業)
この作業がけっこう大変…、簡単そうに見えて過酷な単純作業です。
何も出てこない事が多いので精神的にも滅入りますが、たまにヒスイが出たりするので、その時はテンションが上がります。(自分が出してないくても)

現在では6個のヒスイが出ています。
それも3個が近くに揃っていて、川があった場所で出土した事から「何らかの加工をしていたのではないか」と考えられています。(3個とも同じヒスイだと思うので、もしかしたら一つに合わさるかも?)
出土した6個の内、2個は良質と言えるヒスイでした。(加工意欲の湧くヒスイでしたね…)

先日は現場の撮影の為、表面の削り作業がハイペースで行われたので手が壊れそうになりました…。
体験で手を壊してしまうと意味がないので、気を付けなければ(笑)。

しかし人力も捨てたものではありません。
重機に追いつき、重機の作業待ちの状態にまでなりましたから!

この作業の中で表面にも土器は幾つか出ていたので、下層の調査は面白くなりそうです。(でも、そろそろ本腰入れて、創作活動もして行かなくてはなりません)

10月で最後なので、良い思い出になるよう楽しみながら進めて行きたいです。
2013年09月17日
ちょっと面白いヒスイと出会いました。
何が不思議かというと、まずは出会った場所が面白いです。

家の側で道路の拡張工事をしているのですが、そのヒスイは工事で掘り返した所にありました。
散歩ついでに見ていたら、不自然に鮮やかな青色をしている石があったのです。
当初は「珪石に入ったデュモルチェライト」だろうと思いながら拾ったのですが、どうも重さが違う…。

洗って乾かしてみると、なんと灰色の地に青色が入ったヒスイでした。(ヒスイ輝石が輝いてました!)





青色のヒスイは幾つか持っているし、見てきているのですが、このタイプは初めてです…。
灰色ヒスイに青色が入れるなんて、かなり珍しいように思えます。(紫は在りますが)
しかもクレヨンで塗ったような青色をしていて、一見ではデュモルチェライトにしか見えない…。(糸魚川石とも違うかと)
とても不思議なヒスイと、不思議な所で出会いました(笑)。


ちなみに、一般的な青ヒスイは、こんな感じです。





海での転石なので肌が違いますが、灰色に入っている事はありません。
おそらく、あのヒスイはコンサワ系の青ヒスイでは無いのでしょう。


こっちは紫色が入ったヒスイです。(海で出会いました)





少し灰色がかったヒスイに紫色が入っていますが、今回のヒスイとは全く違います。
このヒスイは地が白ければ、紫が映えてより美しくなるのですが、なかなか出会えません。
個人的には、消しゴムに一番見えるタイプのヒスイだと思います。(弾力がありそうに見える)


灰色の肌質を見る限りは、小滝系の紫ヒスイと良く似てはいるのですが、どうも違うみたいです。
別の場所で出るタイプのヒスイなのかもしれませんね。(ヒスイ輝石が少し粗いように思えるし)

しっかしどこからでもヒスイが出るな…、糸魚川は(笑)。
2013年09月07日
不思議な縁で知り合った青年の翡翠を、私が加工する事になりました。

彼が出会った「底なる玉」、それを母親へ贈るために勾玉に加工します。




なかなか良質の翡翠、そう簡単には出会えないレベルです。
しかし見たところヒビが多い感じ…、加工途中で割れないだろうか心配でした。
なるべく致命的なヒビを避けながら、それと同時に「美として映るヒビ」は残しながら加工をしました。

思ったよりも粘りがある翡翠で、しかも致命的とも思われたヒビは「石目」だったので、割れる事もなく無事に加工を終える事ができました。(主に切断の際に、粘りがある翡翠かが判断できます)



磨いた事により透明感を増し、美しい肌質や紋様が姿を現しました。
全体にうっすらと翠に染まる表側は無傷で、ブドウの果肉のような姿をしています。(とても美味しそうです(笑))

裏側には少しのヒビが残りましたが、雲のような、あるいは川の流を想わす紋様となり、所々に発色する明るい翠を引き立てていると思います。
持ち主の方には、この景色で姫川を感じてもらえたら嬉しいです。(秘めたる美「秘美」として見てもらえたら良いのですが…)


私的に、この「底なる玉」は加工して良かったと考えます。
理由に一つに「転石のままでの魅力は低かった」事があります。(綺麗な翡翠ではあったのですが、その姿形は魅力的ではなかったです)

翡翠の特徴的な姿である角張った状態、もう少し丸みがあったら良かったかな…、と思います。(でも翡翠輝石がキラキラしていて、美しかったのは確かです)

この姿で私と出会った(持ち込まれた)のも運命なので、内に秘めた美を引き出すよう私なりに造形しました。(青年の「思いやり」をイメージして加工しました)
後は青年と、その勾玉を贈られる母親に気に入ってもらえたら、作り手として最高です。


こういう青年が糸魚川にいるなんて「捨てたものでは無い」と思うのですが、結局は私と同じく糸魚川生まれでは無いんですよね…。(何より制作依頼の理由が一番気に入った)

それでも糸魚川へ移住してくれた事を嬉しく思います。
2013年08月27日
現在も縄文時代の中層を精査しています。

石棒が出土した場所の精査が終わりました。
完成形の石棒と加工途中と考えられる石材の他には、特に珍しい品は出土せず生活していた形跡もあまり見られないようです。(少しの土器が出たくらい)
炉と思われる場所に、加工途中と思われる石材があったのが不思議なようです。

純粋な創作場だったのか…、神を祀った家だったのか…。
もし住んでいたとしたならば、かなり詫びた人だっただろうと仲間と冗談半分に話しました(笑)。

その場所から少し離れて、職人の工場であろう跡が見つかっています。
そこからは様々な石や石の欠片、土器の破片が出ています。(ヒスイやヒスイに近い曹長石などもあります)

その中でも、特に不思議に思うものがありました。
調査員の方から簡単な鉱物の判別を求められた品なのですが、その品はゴルフボールより少し大きな球状の道具でした。
その日は曇っていて、更に洗浄した後の乾いていない状態で見たので今でも判別に迷っています。

見たところ紫色が入ったヒスイの玉です、ヒスイ輝石自体を確認してはいないのですが、普段から親しんでいる発色をしていました。

しかし心に引っかかるのは、その品の重さでした。
異常に重く、まるでコランダムのようでした…。
ここである疑問が私の中で発生し、紫ヒスイに良く似たコランダムの記憶が呼び起こされました。

確かに良く似たコランダムは存在します。
ですが、あれだけ大きなものが存在するのだろうか…?(全体をコブとなる部分で作らなければ有り得ない話です)
しかも部分的に翠色の発色が見られたので、ヒスイで間違いはないかと思うのですが…。(ロディン岩でも無いと思う)

そして不思議なまでに丸い状態も違和感を感じました。
ハンマーとして使ったと現場で説明がありましたが、打撃痕を確認する事ができませんでした。(濡れていたので…)
打撃のみで、あそこまで球状になるのだろうか?(ヒスイ、あるいはコランダムが)
あまり大きくないので石器の調整道具として使用したようですが、不思議なまでの存在感です。(主に打製石器に使ったとの事です)

そう言えば良く似た品が蛇紋岩と思われた石で見つかっています。
それも球状で、異常なくらい重いです。
しかも見た目は蛇紋岩なのですが、どうもネフライトのようなのです。
黒いネフライト、正確には「かなり濃緑のネフライト」なのだと思います。
これは打撃の痕が見られたのでハンマーだったのでしょう。(少し欠けていましたし)

双方の品がハンマーであるとして、問題は重さです。
どちらも通常よりも重い、これは何なのだろうか…?。
間違いなく言えるのは、使い手は「重さを分かっていてハンマーにしている」って事です。
しかも楕円形のハンマーではなく、球状のハンマーとして活用している点が不思議です。

私には「サイズを小さくしても、重さが十分なもの」を認識しているように思えます。
また、鉱物同士の比較は当然ながら、同じ鉱物の中でも見分けているって事も重要です。(叩く事で目が詰まり重くなるって事も、金属じゃないので無いかと…)

そしてこのハンマー、「叩き続けて丸くなった」と言うよりは、球状に加工してから使ったのだと考えます。(擦る事にも使ったように思える)
ここら辺の活用は、流石は職人って感じですね。
糸魚川で「ヒスイを道具として活用していた事実」を自分の目で確認できて嬉しいです。(手を加えた「道具」としてのヒスイの確認)


しかしヒスイの道具以外の活用が見られないのは、ちょっと悲しいです。
道具から逸脱した品を創るのが作家(芸術家)です。

いずれこの地で「ヒスイで制作された創作物」を見る事ができるのだろうか…?
これは「私にとって重要な問題」ってだけの話なんですけどね(笑)。



全く関係ない話ですが、高純度なロディン岩の和名を鶯石(鴬石)とするのはどうだろうか?
翡翠がカワセミならロディンはウグイス…、ちょっと浅はかな考えかな〜(笑)。
2013年08月17日
夏休みとなりチビッコ(甥)が遊びに来ました。
そこで幼少の頃、父が教えてくれたトンボ捕りをしに山へ行って来ました。

虫網と虫篭を揃え(百均で)、山のちょっとした池へ行きました。
流石は夏、様々な昆虫がいます。
今回はトンボに絞り、いざ尋常に勝負です。

はりきってのトンボ捕りでしたが、シオカラトンボに惨敗でした…。
しかも草の根に引っかかって転ぶ始末、衰えるにも程がある(笑)。

かつて虫男と呼ばれ(両親に)、オニヤンマを大量に採集した頃とは別人になっていました。(しかし次の日、かつての虫男が甦る事になります)

甥に「無様」と称され、悔しさに枕を濡らした次の日、私は目覚める事になります(笑)。
まず心構えは「何としても捕る」という気迫を、内に秘めてのリベンジでした。
手加減をしていては、虫網の振る速度が遅くなってしまうのです。

まずはシオカラトンボ、他のトンボは眼中に無し。
このトンボは警戒心が強く、止まっている所に近づいても一定の距離を保って逃げてしまいます。
狙うのは飛んでいる間で、失敗は赦されません。(失敗しまくると警戒して遠ざかってしまう)

池の淵に行きシオカラトンボが通り過ぎる刹那、気迫を込めた網がシオカラトンボを捉えました!
捕獲成功!、「本気になった私に敵うまい」と甥の前で格好付けてみました。(大人げなく)


早速シオカラトンボを網から出して撮影しました。
手に乗せても逃げなかったので、このポーズになっています。
クルマトンボ(俗称)は習性を利用して手に止まらせる事はできますが、シオカラトンボは初めてです。
ちょっと「取られてあげました感」があり、どうせ逃がす事すら知っているようにも思えてしまう…。
だとしたら流石は旧友、甥の前で良い格好させてくれてありがとう、と礼を言いたい。

しばらく手の上にいましたが、撮影が終わると夏の大空へ飛んでいきました。


調子が出てきたので、オニヤンマ?も捕りました。


昔は正確な名前を知っていたのですが、現在は忘れてしまいました…。
しかし、その目の輝きは忘れる事は無く、「燃えるような翠」「吸い込まれそうな緑」の印象を与え、多くの人を虜にする命を示す象徴色、最高の宝石です。
久しぶりに見たので、トンボと遊んでいた頃の記憶が一気に溢れて出て、とても懐かしかったです。

ちなみに、このトンボは手には乗らず、更に指をガシガシ噛んできたので撮影は難航しました…(笑)。
暴れっぷりも凄まじく、力の加減が難しい…、流石は宝石を身に宿す昆虫です。

このトンボを捕る際は、二段構えが必用となる事が多いです。
同じ軌道を行ったり来たりする習性を狙い、何度か素通りを繰り返させ安心したところを狙います。

しかしヤンマ系は機敏な為、一回目の振りが回避される事があります。(かなりの確率で)
その際に戻しながらもう一度狙う、ツバメ返し的な技法が必用になります。
前からの網は回避できても、死角からの網は回避不可能と言っても過言ではないでしょう。

まぁ、最初から背後を狙えば良いだけなのですが、正面から挑むのが男と言うものです(笑)。



トンボ捕りの注意ですが、網の金具部分にトンボが当たると首が取れてしまう事が多々あります。(だからフルスイングを躊躇してしまう)
その時の罪悪感はけっこうなものなので、なるべく大きな虫網を使うと良いと思います。
魚用の網だと目が粗く、トンボの頭が網目に引っかかるので、これも使用しない方が良いです。

それと昆虫は玩具ではないので、扱いは丁寧にし、飼育不可能な昆虫は逃がしてあげるのが良いでしょう。(特にチビッコは気を付ける事)

そんな感じで、残りの夏も満喫して行きましょう!
2013年08月07日
現在は、縄文時代の中層を精査しています。

この前に姿を現した石棒の精査をさせてもらいました。(丁度私がいる班の区画でした)
何か面白い遺物が出ることを期待したのですが、結果は何も無し…。
残念です…、ちょっと期待していたのですが。

この場所に立っていた形跡も見当たらないらしく、どうにも現状では分からないようです。
流されてきたのか、最初から横に置いていたのか、よく分からないです。(近くに樹があったようなので立て掛けたのかも)

ただ、使用している鉱物が河原の巨石(ヒン岩)であり、石棒を作る文化を持った者達が使う六角柱の玄武岩ではないようです。
この石棒は「この地で加工された物では無い」と言われていたので、この地で加工した可能性が出た事を嬉しく思います。
また、既に棒状となっている素材からの加工と、河原の巨石からの加工では労力が違いすぎます。(おそらく平たい巨石の中央部分で制作されていると思います)
加工を行う者としては、両者を同等と考える事はできません。
どちらが優秀とかではなく、制作した過程(理由)が違っているように感じます。(量産重視か、信仰重視かの違いとか)

例え、ここの人達が加工したのでは無く、外から来た者がこの地で加工したものでも私は構いません。
「この地で作った遺物である」って事が私にとっては重要なのです。
でなけりゃ「人が外で作った物を持ってきただけ」となり、借り物感が尋常ではない…。

あの大きさの石棒を持ってくる事自体は、大変な労働であった事は分かります。(縄文時代だし)
その運搬技術も素晴らしいし、川の流れを読みながらの作業には熟練が必用だった事も分かります。

それでも「ここで作っていてもらわなくては困る」わけです。
何故なら、こういったオブジェ(シンボル)とも言える存在は、道具から昇華して、ある意味デカすぎて使えない「ウドの大木」のような領域にいながらも、それとは「似て非なるもの」として存在する作品だからです。

もう道具の範疇に無く、でも役に立たない存在でも無い、これは人が人として生きる「文化を象徴した存在」となっているからではないでしょうか…。
要は日常で使用する道具だけを作っていては、人類に進化は無いって事です。(私個人の考えですが)


この石棒のモデルは男根だと考えられていますが、それにしてはユニークな形をしています。
そのものを正確に表してはおらず、別の何かを想わせる遊び心(余裕)を感じさせます。

これは間違いなくデザインであり、洗練したセンスにより形作られた存在だと感じます。
このデザインの派生は現代にも在り、意味合いは薄れてはいますが繋がっています。

原初のデザインでは無いにしろ、縄文時代での創作物が糸魚川で作られたものであると期待します。
2013年07月27日
久しぶりに海へ行ってきました。

今回は川と海とが合流する場所で、作品に加工できる鉱物を探す事にしました。(海岸では小さい石が多く、私が求める加工には不向きです)
しばらく川淵を見ていると、川の中にとても綺麗に輝く石を発見しました。

こういった事は何度か経験する事ですが、その殆どがキツネ石です。
今回もそうだろうと思いながら、それでも「綺麗な緑玉髄(クリソプレーズ)なら良いな」くらいな感じで手にとってみました。(9割が冷静、1割が期待みないな心境です)


手にとって見て、その美しさに目を疑いました…。
とても暑い日でしたので頭が鈍くなり、感動を認識するのにも時間が必用でしたね(笑)。
正直な話、川でこのタイプを拾った事がなかったので乾くまで半信半疑でした。


とても明るい翠が全体を染め、透明度も抜群、このタイプは私が普段扱うヒスイとは異なっています。
おそらくは小滝の良質な翡翠だと思います。(青海の翡翠では無いと考えます)
かつて海で拾った人のを見た事があり、その特徴とそっくりです。


見る限りではヒビも無く、微細なヒスイ輝石がギッシリと集まっている良質の翡翠です。
裏側は角閃石が多い事もあり少し粗くなっていますが、所々に見える透明感のある白地には濃い緑色が流れています。
こちら側は、とても良く似た石英系の石があり間違える人が多いです。
確認方法としては、乾いた状態で判断する事をお勧めします。


不純物がある為、全体を光が抜けては行きませんが、良質の部分は全て光を透します。(裏側を少し削れば完全に光を透すでしょう)
この神秘的な姿は、何度見ても飽きる事はありません。
今の季節にピッタリの翡翠で、自然の生命力に満ちています。
まさに「底なる玉」と言えるかと私は思います。


まさかこのレベルの翡翠と出会えるとは思いませんでした。
加工が可能な大きさなのですが、勿体なくて手をつけられません(笑)。

ちょっと思ったのですが、こういった翡翠を加工した縄文人は、どんな心境だったのでしょうか?
もし欲だけの感情で加工したのだったら、幻滅ですね…。
そこに崇高な志が在ったのだと信じたいです。
2013年07月17日
この間まで、建設会社の人達が機械で縄文の地層まで掘っていました。(今も掘っている部分があります)
機械で掘ると言っても、ちゃんと調査員の人が付いて慎重に掘り進めていました。

薄く土壌を削り、一つ一つ丁寧に検査しながらの作業のようで、機械を扱う人の熟練度も必用とされる行程なのだと感じました。
滑らかで正確な動きなので、見ていても飽きませんね(笑)。

その間、作業員は土サンプルを洗浄したり、出土した石を洗浄したりしています。
暑い日が続き大変ですが、水を使った作業なので普段よりは汗をかかずにすみました。
今週からは通常作業(縄文地層の精査)なので、熱中症には気を付けなくては…。

そんな中、機械での掘削時に縄文の地層から石棒が姿を現しました!(慎重に掘る事が重要だと改めて理解できました)
長さ1mくらいの大きな石棒で、細くなっている片側には剣の束のような加工がされています。
パッと見は棍棒のような姿をしていて、あの時代でこれだけ大きな石を加工したなんてスゴイ事です。
日本でも1mを超える石棒は少ないらしく、糸魚川ではこれだけ大きいのは初めてなんだそうです。
また一つ、糸魚川が誇れる遺物が発掘されました!

しかしこの石棒、束っぽい部分などが円柱状なので、回転させながらの削りでなくては不可能な加工のようにも思えます。(正確な円ではありませんけど…)
それか素晴らしい「造形的バランス感覚を持った者」が作ったのだろうか…?
どちらにしても大変な作業であったのだと認識できます。(現代でも大変な作業ですから)
ただ使われている鉱物はヒン岩だと思われるので、堅牢さはあまり期待できません。(頑丈ではあるけど風化しやすいタイプだと思われる)

モチーフは剣だと考えられるそうで、信仰のシンボル的な存在であったと考えられるそうです。
これだけ立派な遺物が在るのだから、その付近からは信仰を裏付けるような遺物が出土しそうです!(私の勝手な期待です)

どうか何かしらの祭事で使われた品が出土する事を祈ります!
2013年07月14日
このロディン岩と呼ばれている鉱物は、一番ヒスイと間違われる鉱物だと思います。


実際、数年前には横川ヒスイとして販売されていました。(現在進行中の人もいますが…)
これは「知らなかった人、知ろうとしなかった人」が便乗して販売した事によって混在されたのだと思います。
海岸転石の場合は、より間違えやすく翠色の違いが見分けられないと、ほぼヒスイと間違えます。
この「黄緑色」と「色の広がり具合」さえ憶えていれば、間違う事も騙される事も無くなるでしょう。(騙される方が悪いと言っている連中が販売している事が多いです)


ロディン岩自体は良い石で、良質になると色も良く、堅く、重く、艶も出ます。
しかしヒスイに非常に似ている為、その魅力が判りにくくなっています。
私の個人的な例なのですが「美空ひばり」と「天童よしみ」の位置関係に相当するように思えます。(個人的な印象なので、逆に分かりづらいかも…)

また、名前も悪く「ロディン」と言う意味が在るのか無いのか分からないカタカナの名と、「岩」として複数の鉱物の混じり合いを強調している事が魅力を下げていると私は感じます。

名は体を表すと言います、とても重要な事なので慎重に命名してほしいですね…。
発見者の名前なんて付ける必用性を感じない。(そんなやり方でしか自分の名を残せないのだろうか…?)

ロディン岩は下手なヒスイよりも加工し易く、仕上がりも良いので、ロディン岩(もしくは石とした名前)を全面に出して認識させる事はできないものだろうか…?

インドヒスイやオーストラリアヒスイと呼ばれている鉱物も、アベンチュリンやクリソプレーズと言う鉱物名があり、単体でも勝負しています。
ロディン岩も、この領域まで引き上げる事ができれば、正々堂々と表に出る事が可能だと考えます。(純度の高いものだけを分けて、別名にする必用がありそうです)

それに何も販売を目的としなくても、その存在を引き上げる事は可能なはず。
様々な表現を駆使して表に出してあげれば、将来的にも糸魚川の役に立つように思えます。

色んな意味合いでロディン岩とヒスイを分けたく無いのでしょうが、もう誤魔化しようの無い段階まできているので諦めて頂きたいですね…。(確かに交ざっている巨大なヒスイ岩石はありますけどね…)


現実問題として、糸魚川だけではどうにもならない事でしょうから、ジオパークをきっかけに世界を巻き込んで進んでほしいものです。
2013年07月07日
※現在、前回の縄文遺跡から出土した石の洗浄をしています。(土嚢洗いも)

そこで気が付いた事を書きます。
それは、打製石器と磨製石器は「鍛冶屋と研ぎ師の原点なのでは?」と言うものです。(当然か…)

打製石器は様々な鉱物で制作されていますが、磨製石器は蛇紋岩〜透閃石・緑閃石などの艶が出る石が殆どです。
これは打撃での形成に適さないからだと思われますが、それだけでは無いように思えます。(打撃で形成して研磨で仕上げようと試みた石器も幾つかあります)

これは私の個人的な考えなのですが、打製は「純粋に道具を追求した技法」であり、磨製は「道具に美しさを求めた技法」であるのでは?と考えます。(時代が新しくなるにつれて、道具は打製が多くなっているとの事です)

当初は「頑丈な道具に切れ味を求めたから研磨した」そんな理由から始まったかもしれませんが、いつしか砂岩の粒度を見極め段階化し「より美しく携帯できる存在」を具現化する者が現れたように思えます。
その瞬間にそれは道具の領域を超え、自己アピールの象徴である装飾品への扉を開いたのではと考えます。(美しく磨かれた道具は皆の目を引きますし、大切に使うようになります)

何故ならば、石器で最高に切れ味の良い道具は「黒曜石で制作された道具である」って事です。
頑丈さに難はありますが、堅牢さを求めるのなら研磨の必用もありません。
切れ味の良い道具と堅い道具の二つがあれば問題無し、これは金属の概念にも共通するかと思います。
金属の刃物はその二つを合わせ持っているので、使い勝手が良く武器へと発展したのだと考えます。(武器での段階では打製石器の意味合いが強い気がします)
黒曜石も美を兼ねていて、それは黒曜石自体に「光沢があるから」だと言えると思います。

刀剣が美術品となった時代には「切れ味を追求したら偶然に美しくなった」なんて段階はとっくに過ぎており、ちゃんと理解したいた者が「より美しく携帯できる存在」を表現したのだと思います。(この段階だと磨製石器の意味合いが強い気がします)
ちなみに現代では艶があって当たり前になっていますので、更なる発展を必用としているようです…。(この領域に入る全ての存在が)

打製石器と磨製石器とは現代に存在する「道具と装飾品の原点」であり、どちら側の領域へ向かうかで用途も違ってくるのではないでしょうか?(金属器は両方の特性を持っていますね)
古代では打撃により割っていたヒスイも、現代ではブレードで切断しています。(切断は研磨領域になります)
これは生活する為の道具としてではなく、より豊かな生き方を求めて「変化した道具である」と言えると思います。

また、使用していた砂岩を見ると上手に使い込まれたものが存在します。
現代と一緒で「道具をみれば使い手の腕もわかる」もので、かなり使い込まれていて部分的に使用する用途に応じた形や厚みをしていました。(これ一つで穿孔以外の成形が可能でしょう)
間違いなく「使い手の道具」だと感じ、古代の加工人が使ったであろう砂岩(道具)と出会えた事を嬉しく思います。


私自身が目指す「悠久の絆」とは、創作を最初に体現した者との繋がりを築く事であり、その意志を私なりに現代へ再生させる事です。
道具の領域すら混在しているのだから、それらを作った者達の中から私が求める者を見つけるのは、とても難しそうです…。(東北の遺跡の方が可能性は高いかも)

でもそれが楽しいんですよね(笑)。

私は道具を使いこなす事が、人の真価(進化)だと考えています。
2013年07月02日
今回はヒスイの小瓶の紹介をします。


物産センターで販売しているヒスイの小瓶です。
種類を分けていて、白ヒスイ・緑ヒスイ・紫ヒスイ・青ヒスイ・黒ヒスイの欠片があります。(ヒスイの小石を入れたのも少しありあす)
実はこの品のには楽しみ方があります。(そのままストラップのように使用する方法以外に)


まずは中のヒスイの欠片を出して飾ります。
そして空いたビンには、糸魚川の海で拾う綺麗な小石を集めて一つのカタチとして楽しみます。
これによって中身の欠片がサブとなり、自身で集めた小石がメインとなって飾る事ができます。

更に、この小石がヒスイの小石であれば理想的だと思います。
何故なら海へ拾いに行った際に、海の状態が悪く砂だけが上がっている場合があります。
この状況では求める転石は拾えませんが、逆に小さなヒスイの小石を拾うには適しています。


ヒスイは小石になっても重いので、砂浜に残りやすく見つける事は難しくありません。
小さいのでヒスイであるかの判断は難しくなりますが、白くて乾いても艶があれば、その小石はヒスイの可能性大です。
本来ならガッカリな日となる状況ですが、こうした楽しみ方があれば来た甲斐もあるでしょう。

小瓶が満たされる度に糸魚川での思い出が生まれ、小瓶を見る度に楽しい記憶として思い出す事でしょう。
そんな役目を果たしてくれると良いな〜、と思い制作しています。


海には、たまに微妙に入らない小石がありますが、それはご勘弁下さい(笑)。
2013年06月27日
現在は古墳〜古代の時代の地層を精査しています。(空撮も終わったので、この層も終わりです)

現在の地層では、あまり遺物は出土していませんが、魅力的な須恵器が少し出ています。
この体験をして初めて須恵器に出会い、当初は現代的な見た目だったので良さが判りませんでした。
縄文土器のようにいかにも「土器」って感じでは無く、ぱっと見は灰色で良くあるプラスチックの配管用の筒に見えるからなのでしょう…。
しかし実際に自分で取り上げてみると、その重厚さに驚きました。
手に持った瞬間、「ガチーン」と言う音が聞こえてくるくらい硬く重く、灰色に見えていた肌も実際は淡青である事を知りました。
表面には縄文土器のような派手な紋様はありませんが、ガラスが溶けたような艶があり肉厚で頑丈です。
かなりの不滅感で、こんな器が現代にも存在するなら所有したいと感じました…。

この感覚自体は初めてでは無く、私が慣れ親しんでいるヒスイ(特にオンファサイトによる翡翠)とそっくりです。
よく考えてみれば、色調もどこか似ていて見るほどに良さが伝わってきます。(淡青ではないですが)


細かい輝石が圧縮され高密度となり、堅牢な肌質と全体を染めるシックな色調を合わせ持つオンファス系のヒスイ…、一般的には知名度が無く人気は低いですが、作品を作るのには最高の石質だと感じています。
(画像は水で濡らした姿で、磨けばその姿になります)

やはり古代人が求めていったのはヒスイと同様の堅牢感であり、その基準は今現在でも繋がっているのだろうと感じました。

実際には灰色がかった淡青のヒスイも存在していて、須恵器が出土する際はヒスイと同様に色の膨張が感じられます。
何故か目に付く色合いをしているのが不思議ですが、これは私個人の目に映る場合の姿なのかもしれません。

ちなみに、この階層で水色のヒスイ石が出ましたが「割られていない事」や「青色である事」から自然に混入した転石ではないかと考えられます。(古代人が持ってきた可能性は捨てきれない…)
糸魚川は掘ると普通にヒスイが出てしまう場合があるので、それが古代人が持ってきたのか自然に運ばれたのかが非常に判りづらいです。(加工した痕があれば別です)

なかなか練られた淡青ヒスイで、最近は海へ行っていない事もあり魅力的に見えました。
あのレベルを海で拾っていたのなら、間違いなくコレクション行きですね…。
今度は海で出会える事を祈っています(笑)。


ちょっと思ったのですが、海や川で拾ってくる鉱物は古代でも現代でも、自身で扱える許容量を超えている事に気づきます。
せっかくの出会いなので拾うのは理解できますが、きっと「自身のみでの加工」だけを考えての事ではない気がしてきます。

もっと言えばその時代での扱いを超えて、次世代へと繋ぐ気もあったのだろうと考えます。
その時代では財産だったのだから当然の事なのかもしれませんが、それとは別に自身の認めた鉱物を「扱える者へ残している」という事はないのでしょうか…?。
これは自分だったらの話なので確実ではありませんが、もしそういった意志が少数の古代人から現代人へ託されていたのなら、その願いは叶う事はないでしょう。

何故ならば全てが文化財であり、個人ではどうにもできないレベルになっているからです。(個人的意志が共有財産を凌駕するなんて時代にならないと無理でしょうね(笑))
短い期間で確実に繋いでいけば定着するし意志も残せますが、数千年前の遺物となるとどうしたって保護するしか無いですよね…。

なので現代に生きる私は、自身が拾い集めた鉱物を後世に残し「扱える者へ繋ぐ事」の意志を明確に残しておこうと思います。(条件となるのは「糸魚川の地で扱う事」の一点のみとする)
鉱物にも加工用と観賞用がありますので、そこも明確にして残す必用があるかと思います。

しかしヒスイなどの鉱物は金属と違い、元に戻す事が不可能です。
なので扱う者は、かなり慎重な性格である事が必用不可欠なのかもしれません。
ただの石として見る人には問題にはなりませんが、そうでない人達には大問題…。

不滅の存在、扱うには便利ではありますが、使いこなすにはまだまだ永い時が必用となりそうです。
2013年06月26日
蛇紋石で千変の幼生を作成しました。




なかなか面白い紋様があったので、それを活かした作品が作りたくなり加工しました。
一般的な蛇紋石ですが、多分アンチゴライトにリザーダイトが入った状態だと思われます。(分析しないと確実な事は言えませんが…)
今回のように、魅力的な紋様が入った蛇紋石はそんなにありません。

質はしっかりしていて、加工している際に欠けたり割れたりする事はありませんでした。
硬度もそれなりにあり、厚さもあったので造形は簡単ではなかったです…。
でも磨き〜艶だしはヒスイよりは容易で、紋様部分もしっかりと艶がでました。
サイズを大きくしたので、沢山の紋様を入れる事ができました。
仕上がりを見ていると、擬態をしている幼生にも見えてきます。

黒色に見えますが、濃緑の塊で薄くスライスすると濃い緑色に透けます。(透明度は高くない為、薄くしても自然光では部分的にしか透けません)

蛇紋石ではボーウェナイトとも出会っているので、縁があるのかもしれません。(巳年だし(笑))
今後も糸魚川の色々な鉱物で、少しずつ作品を表現したいと思います。
2013年06月23日
翠雪シリーズの新作を紹介します。

前回の神緑シリーズは真夏の木葉をイメージしているのに対して、翠雪シリーズは生命色に染まり解けだす山岳の残雪をイメージしています。



これからの時期に解けだし植物や動物を潤す命の源泉を、このタイプのヒスイから感じました。
白色のみのに見える品もありますが、透かして見ると淡い翠に染まっている事が分かります。

一応シリーズごとに表現を変えており、芽吹シリーズは雪の中から顔を覗かせる「植物の芽吹き」を、彩雲シリーズはゆっくりと流れる「雲の紋様」を本題にし、その表現に合うヒスイを選んでいます。(私なりにですが…)

今年も暑くなりそうですが、ヒスイ(特にこのタイプのヒスイ)を見ると涼しさを感じられると思います。

糸魚川へ来られたなら、海とヒスイの魅力を感じて頂きたいです。(不動滝も最高、でもウルルに注意)
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