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2014年08月31日
今回は、緑ヒスイの首飾りを紹介します。

前回に制作した紫ヒスイの首飾りと、同タイプのデザイン枠に合わせました。
今回の枠はスタンダードなサイズのシルバー枠で、深緑ヒスイのルースは細長くありません。
シャープさは無いですが、その分、丸みを強調した柔らかな印象の首飾りになりました。
湖面のような、湖水の浅瀬のような紋様と透明感は美しく、こちらも光源で濃淡が変わります。




実は珍しいタイプの緑ヒスイで、原石は角閃石に包まれ溶け合っている感じになっています。
その良質な一部分を切り出し、ルースを制作しました。
一見、粗そうな質に感じますが、良く練られている為、とても艶やかに仕上がります。


もう一つの魅力は光を透す事で見られる、この緑の揺らめきにあります。
この雲のような模様とオーロラのような発色、彩雲とでも表現できる景色を魅せてくれます。
非常に透明度が高いので光を取り込みやすく、日向と木陰では違った表情になります。
また、身に付けている時の景色と、透かして見る時の景色の二つを楽しめるので時折、太陽光に透かして彩雲を楽しむと、心が癒されるかと思います。



それぞれに宿る、様々な天然の模様を楽しむのも、糸魚川翡翠の楽しみ方だと感じています。
2014年08月27日
今回は、河口付近を見てきました。

連日の雨により濁った水が流れていますが、水量はそれほど多く無いようです。
新しく整備された堤防にも変化は無く、問題ないように思えます。
海は波があり、それなりに荒れてはいました。






近くにある車が通る橋は、破損があるようです。
落石注意の看板は、橋のコンクリートが崩れ落ちる事を言っているのだと思います。
かなり前からありますが、未だ修理はしていないようです。
この規模の破損は、補修しなくても大丈夫と言う事なのでしょうか?






その近くでは護岸の為のテトラを製造していました。
川と海岸の護りは、周到に準備されているようです。




そこから少し上がると河川の平地を使った、ちょっとしたグランドがあります。
ここでは少年達が、野球の練習や試合をしています。
とても良い活用だと思いますが、周囲の網に不安があります。
車が走る橋側の近くにもベースがあり、ファウルボールなどが車道へ上がる可能性があるように思えました。
でも、きっと低学年の子ども達が使用するので、その危険性は無いのかもしれません。
この面積では、中学生や高校生だとボールが川へ落ちる事が多々あるでしょう。
使用している側も承知の上で、安全を第一に活用しているかと思います。
それでも、囲いをもう少し立派にしてあげると、子ども達がより安全に遊べるかと思います。





河川の状況とは直接関係ありませんが、小滝川の下流〜上流などで大量発生するウルル(アブ)の対策を考えた方が良いかと思います。(不動滝など山奥の観光スポットも同様です)
元々、人が自然に分け入っているので完全排除する必用はありませんが、ヒスイ峡などの観光スポットが有る以上、ウルルに対しての警告を看板などで表記した方が良いかと思います。(主に小滝の入口や駐車場などに)

6月末〜9月末位まで発生し、車の窓を開けて走っていると隙間から車内に入り込んできます。
窓を開けずに行ったとしても、駐車場などで30秒くらい車内で様子を見る必用があります。
車(排気ガスにも?)と、濃い色に群がる習性があるようなので、服装には特に注意が必要です。

初夏から初秋の観光シーズンに発生するので、多くの人に被害が出ます。
ヒスイ峡へ行って降りた途端に襲われて、必死で逃げてきた人達もいます。
スポット領域の草刈りなどをして、その大量発生を抑えるなどの対処が必用かと思われます。
また、入口でウルルの状況が分かれば、奥に進まず怖い思いをする事も無いかと思います。(進むなら覚悟して進むでしょう)

実際、被害に遭ったお客さんも多く、小さな子どもが遭遇すると危険でトラウマにすら成りかねません。

けっこう前からあった被害ですが、ジオパークとして本格的に人々を迎え入れるのなら、こういった事に対応した方が良いかと思います。(観光したお客さんからも言われています)
2014年08月21日
今回は、奴奈川の勾玉を紹介します。

最近、糸魚川翡翠との縁で知り合った友人から、制作依頼を受けました。
その友人が出会った奴奈川の底なる玉…、かなりの良質です。
表面には明るい翠が見えていて、ヒスイ全体が淡緑に染まっています。
よく練られているヒスイで、ミャンマー産に似ている為、素人では判断が難しい場合があります。(販売している場合の話)
でも、このヒスイは本人が出会ったので、疑いようのない正真正銘の「奴奈川の底なる玉」です(笑)
玄人が見れば、これが青海の山系のヒスイなのだと分かるでしょう。




丁度、石目の部分を切断すれば勾玉を二つ加工できるので、奴奈川の勾玉を二つ制作する事にしました。
一方に明るい翠が寄っているので、同じ母石から作っても別の魅力を見せてくれるかと期待しました。


まずは、明るい翠が入っていたプレートで制作した奴奈川の勾玉です。
外側に明るい翠が入っていて、内側へ行くにつれ柔らかい翠へと変わっています。
可能な限り明るい翠を残す事を最優先し、プレートを限界まで使い、青海系(山系)特有の不純物を残して加工しています。
不純物を無くそうとすると小さくて細い勾玉に成ってしまい、魅力が半減します。
この雲のような、残雪のような模様も天然特有の景色として魅力的なので、あえて残す判断をしました。(友人に了解済みです)




結構な大きさの勾玉が仕上がり、友人も驚いていました。
左右で表情が違うのも面白く、一点ものとして満足のいく作品に仕上がりました!
これ程のヒスイと出会うのは希で、一生出会えない人だっています(笑)
致命的なヒビも無く、艶やかに仕上がるので加工していても楽しかったな〜。




光を当てると、全体が生命色に輝きます。
非常に透明度が高いので、弱い光源でも透けて翠が膨張します。
古代の景色が見えるような…、そんな錯覚を一時的に楽しめるかと思います(笑)



友人(その家族)専用のお守りとなれば、嬉しく思います。


次は、もう一つのプレートで制作した奴奈川の勾玉です。
期待通り違う表情で、こちらは湖水のような緑が全体を染め、黒色も一緒に流れています。
葡萄の果肉のような質感で、透明度も抜群に高いです。
とても涼しげな印象で、青みがかった緑により清涼感を感じるのだと思います。
所々に流れる黒色も、魅力を引き立てている大切な要素です。




サイズは一方のより若干小さくはなりましたが、それでも十分な大きさと厚みです。
黄色く酸化した部分や、少しのヒビが入っていますが、魅力を損なうものでは無いかと…。
特に自身で出会ったヒスイなので、愛着を持って所有してもらえると思っています。
形も可愛らしくなったので、奥さんかお子さん用にしても良いかもしれませんね。




こちらも弱い光源でも、全体が緑に透けます。
とても幻想的、黒色の部分も透けて星雲みたいになります。
もしかしたら翡翠は「人類最古の現実逃避の存在」だったかもしれませんね(笑)
厳しい冬に眺めていれば、やがて来る春を希望に生き抜けそうな気がします。



二つの奴奈川の勾玉を持ち、悠久の時に繋がる「何か」を感じてもらえたらと思います。(磨きの最終行程をして、今月中には納品する予定です)


ちなみに私の勾玉は、プレートを最大限に使うので形がそれぞれ異なります。
また、自身の信仰による伊邪那岐と、他者に作る勾玉(奴奈川の勾玉)は、その誕生理由と存在理由が若干違います。
どちらが良いと言うわけでは無く、ただ私の信仰を押しつける事の無いようにしているだけですね…。
その人の「魂の器」となるように、余計なものは最小限にしています。(でもテーマやコンセプトは必用)

まぁ、同じ人(私)が作ってますので、どうしたって私の信仰は少し宿ってしまうのですが(笑)
2014年08月17日
今月の11日と12日に、伊邪那岐「青海」を購入されたお客さんが遊びに来てくれました。

ご購入の際に「一度は糸魚川へ来て欲しい!」とお願いをし、それが現実となりました!
この日は台風などの影響もあり天候に不安はありましたが、運良く通り過ぎた後で雨も降らず、とても涼しくて良かったです。
あれだけの作品を奥さんに贈る方なので、精一杯対応したいと思いました。


まずは、最初に向かった小滝ヒスイ峡です。
急に涼しくなったのでウルル(アブ)もおらず、最高の状態でヒスイ峡を案内できました。
曇ってはいましたが、その事が神秘的な領域を更に幻想的にしてくれたのだと感じています。

近づくにつれて、その大きさに驚く明星山、相変わらずスゴイ存在感です。(全体が写真に収まりません)



その下には整備された見学地があり、小滝川にも降りられます。
ここでの鉱物拾いは禁止されていて、拾っている所を見つかると怒られますので注意して下さい。(天然記念物指定の区域です)



ここから巨大なヒスイ岩石を見る事ができますが、一般的なイメージと違い綺麗ではありません。
磨いても中から緑色が出てくる事も無く、鉱物的にヒスイという岩石が殆どです。
なので割って持って帰ろうとは考えず、自然の風景を楽しんで下さい。



湧き水が豊富な事を利用し、勾玉形の池が作られています。
水はとても冷たく、暑さを和らげるのにピッタリです。(足を入れると30秒と保たないです(笑))




急激な気温の変化の為か、川が霧だって幻想的な景色を見せてくれました。
この景色にはお客さんも大変喜んでくれたので、非常に嬉しかったです。



だんだん天気も良くなってきて、自然に祝福されているような感じを受けました。
やっぱりここは素晴らしい場所です!


次は、一旦通り過ぎてきた高浪の池を案内します。

曇っている事で、より池の美しさが映えた感じがします。
鏡のように景色を映す深緑の池、底の知れない幻想の世界です。




雲が明星山にぶつかった瞬間。
まるでここは、仙人でも住んでいそうな場所ですね(笑)



高浪の池は遊泳禁止です、でもその理由が面白い。
実際には、とても深く危険なので禁止しているのでしょうけど、ユーモアがあるなぁ〜。



こういった場所に浪太郎がいるような気が…。
4mの鯉がいても不思議ではない感じがするのは、私だけでは無いでしょう。



池の周りを散歩しながら、お客さんと色々な話をしました。
初めて会った感じが無く、昔からの知り合いのような印象を受けました。(不思議ですね)



高浪の社です、この大きな樹がこの地を護っているように感じます。
ここはキャンプをしている人も多く、この地の魅力を理解している人は、けっこう多い事が分かります。(バランス良く賑わっていました)



帰り際、明星山と高浪の池を一緒に撮影できるスポットで撮影しました。
この場所は季節や天候の変化で、様々な景色を魅せてくれます。
猿もいたので、明星山と猿を同時に撮影してみました(笑)





そして私の大好きな不動滝へ向かいます。
土砂などが心配でしたが、糸魚川はそこまで雨は降らなかったので大丈夫であろうと思い、向かってみました。(慎重に)
小滝から向かう道端の草が刈られておらず、細い道がより細くなっていたので、あれはどうにかしてほしいですね…。

なんとか無事に不動滝へ到着、相変わらずの秘境です。
台風のお陰とでも言うのか…、この時期には珍しく立派な滝と成っていました。(水量が多かった)
三人で喜んで滝に近づき見ていると、気温の低下に気づき「寒っ」と言い合いました(笑)
お客さんに、立派な滝を見せられて良かったです。



普段は大人しい糸滝も、水量が増えたお陰で見栄えが良かったです。
これにも感激しました、運が良かったなぁ〜。



少しすると、後から観光の人達が来ました。
来やすい道ではないですが、この滝を見に来る人達がいるのは嬉しいです。(とにかく道端の草刈りはお願いします)



ストーンヘンジ(自称)があった場所を工事していました。
多分、車で降りられる道と場所を整備しているのだと思います。
便利にはなりますが、秘密の集落っぽさは薄まりますね…。
でも、あの坂道を降りて登るのは大変なので、観光地としては仕方ないのでしょうね。



そう言えば色々と新しくなっていたような…。(看板や水神様の祠とか)
前の姿を知っているので、少し寂しくなります。
それでも新たに定着して行く事も大切なので、今後に期待したいと思います。(今度はもっと良く見ておこうと思います)


今回は、無事に私の好きな場所を案内できました。(天気が回復して良かったです)
とても喜んでもらえたので、案内した甲斐がありました。
一部ではありますが、糸魚川の魅力を伝えられたかと思います。

ちなみにお客さんとの写真はアップしていません、その思い出はお客さんの記憶と私の記憶にあれば問題ありませんので。(あとお客さんのカメラに)

この後にフォッサマグナミュージアムへ行き、ヒスイの説明をしながら見学しました。
ヒスイの展示物が少ないのが残念、もっと種類を増やしてもらいたいですね…。
リニューアルするようなので、それに期待したいと思います。


今回の台風で感じた事は「人に向けた祭り」では無く、「自然(神)へ向けた祀り」が求められているように思えました。
あまりにも忘れすぎかと…、まずは集団となる宗教ではなく、個としての信仰から学び直す必用があるのだと感じています。
その後に集まって、それぞれの信仰を柱としながらも共有していく事が大切なのだと思います。

こういった話もお客さんと出来たので、とても面白かったです。
今後も私を支えてくれる人達と出会い、私の信じる未来に進んで行きたいと思います。
2014年08月14日
鳳の羽の首飾りの三作目と、紫ヒスイの首飾りを制作しましたので紹介します。

羽デザインのシルバー枠に、シルバーパーツ・メタルパーツ・ボーンパーツ・ウッドビーズを合わせ、肌触りの良いスエードの紐で民族風なデザインの首飾りを作りました。
ルースには透明度の高い神緑のカケラを加工し、深みがありながら光輝く作品に仕上げました。




裏側が空いている仕様なので、光を透して生命色が美しく輝きます。
作品のイメージとしては、太古の森に住まう鳳の羽を表現してみました。


このシリーズは、ルースが小さいので気を使います(笑)
労力的には小さい方が少ないのですが、神経を使いますので疲れるんですよね…。
でも、その甲斐あってイメージ通りの作品に仕上がりました。


こちらもシルバー枠に、シルバーパーツ・メタルパーツ・ウッドビーズを合わせ、肌触りの良いスエードの紐で民族風なデザインの首飾りを作りました。
少しシンプルにして、紫ヒスイがメインとなるよう仕上げてあります。




こちらも裏側が空いているので、光を受けて神秘的に輝きます。
透明度の高い紫ヒスイは、光源で色が変化する(主に濃淡が)ので、それも魅力の一つかと思います。


丁度、楕円のルースを制作できる部分が、紫ヒスイの一部にあり、その縦に紫が流れている部分を切り出して加工しました。
このタイプの(透明度の高い)紫ヒスイも、部分的に発色の良い紫色が希にあり、その部分を活かすよう加工する必用があります。
自分なりに上手く仕上げられたと思っています。


シルバーアクセを専門で作っていれば、加工したルース(不定形も)に合わせてトップを制作でき、石の加工を専門としていれば、シルバートップに合わせてルースを制作できます。

どちらが楽かと言うと、金属である分、銀をルースに合わせてもらった方がこちらとしては楽です。
でも、シルバー自体にデザインを持たせたい場合は、枠にルースを合わせる方が工賃的に助かります。(自分の労力で済ませる事ができるので)
どちらが正解とかは無く、どちらにも対応できるようにするのが得策かと思います。

どうしてもコラボする作品は高額となりますが、それに見合った作品を作り、それを理解する人に向けて制作して行きたいと思っています。
2014年08月10日
私が提出しました河川モニターの報告の返答を貰いましたのでお知らせします。
提出したのは大野地区付近のだけで、一通り見た河川の状態は書類としては提出してません。
特に異常が無かったので、報告書にする必要性がないと私が判断しました。(でも詳細としてブログのアドレスは送ってあります)

まず、紐で囲ってあった場所の返答です。


「大野地区の鉄ピンとトラロープで囲った箇所は、平成23年度に水衝部対策として、護岸根固め工が施行されています。ブロックを設置した所に土砂を埋め戻したため、部分的に地中部に空洞が生じて危険と判断し立ち入り禁止措置を講じてロープで囲っています。経年変化を観て安全な状態に成れば、立ち入り禁止を解除する予定です。」

と言う事なので、危ないので中に入らないようにして下さい。
陥没して頭だけ出る状態で、埋まりかねませんから(笑)


次は、橋の下のゴミ散乱が多発する場所の返答です。


「翡翠橋の前後は、交通車両からの不法投棄物が落ちている事が良く有りました。巡視の際や、現地を見回る際にゴミの回収をしています。こまめに見ると、空缶やペットボトルが多く有るようです。ポイ捨ては社会のモラルが良くなった為か最近は少なく成りました。」

との事です、社会のモラルに変化があったのだと信じたいですね…。
ゴミは少なくなっているのは間違い無いようです。


次は毎回、水の通り道が削られてる川沿いの返答です。



「河川の高水敷は、原則として除草は行いません。除草は、堤防の法面を年に2回程度実施します。堤防点検を行う為に実施しています。また、雑木については、概ね5年に1回程度のインターバルで伐採を行う計画です。ご報告のとおり、平らな所から突然崖に成っている箇所が川の水衝部に存在します。一般のご利用者が多く、危険な個所は、危険を知らせる看板を設置しています。感覚的に危険と思われるところが有れば教えて頂きますようお願い致します。」

やはり危険なので、容易には降りられないようにしていたのですね。
写真を撮影するの時も大変だったので、ここの一般利用者はいないかと思われます(笑)


最後は道端の戸隠神社を祀った祠と、ハゲ山となっている山の返答です。



「写真の碑については、良く解りません。この地区の水神が祀られているものと思います。また、山肌が見える山は、明星セメントが石灰石を採掘した跡と思います。北陸自動車道の姫川橋梁の下流に赤い橋があります。橋中にあるベルトコンベアーで石灰石を採掘現場から工場へ6km間運んでいるそうです。」

工場の関係者に聞いたようです、地球の資源を消費する現実が目に見えて存在するわけですね…。
未来には、この山は無くなっているのだろうか…、鉱物や地下資源などで成り立っている国(まち)は、相応の責任が伴っている気がします。
祠はお札が新しくなっているので、管理している人がいるのだと思います。
その人に聞けば、詳しい事が分かるかもしれませんね。(もし会ったら聞いてみます)


以上が河川愛護モニターでの返答です。
道端にいた幼生さんは、報告しませんでした(笑)
答えようがないですよね、でも名前を教えてもらえたら良かったかも…。

今月も引き続き、楽しみながらモニターして行こうと思います。
2014年08月07日
明るい翠が入ったヒスイを加工して白翠ヒスイのペンダントを制作しました。

雪のような美しい白地に、芽吹きを想わせる翠が魅力的なヒスイをルースに加工しました。
このタイプのヒスイは希に、鮮やかな翠が入る事があって、より大きく濃い部分を切り出して加工します。
今回のように大きく入っているのは珍しく、こういった翠は大きなヒスイであっても少ししか取れません。
運良く出会えた事を感謝し、大切に加工します。


雪や雲を想わす白地も魅力的なのですが、どうしても発色の良い方が人気があります。(白の魅力は伝わり難い…)
白は他者に向けた作品より、自身に向けた芸術(信仰)に適しているのでしょうね。


今回の白翠ヒスイのペンダントは、明るいヒスイの代表的な発色をしています。
シルバーの枠に合わせての制作なので、削り過ぎないように慎重に加工しました。
ツメで留める枠と違い、誤魔化しがきかないので「何度も合わせながら削る工程」が重要になります。


色が浅く入っていると、削るにつれ翠が薄くなってしまうので運も必用となります(笑)
切断した側面や裏側などを見て確認はしますが、思い通りにいかないのが自然の産物です。
削り過ぎないよう考えながら、ルースの曲線を決めていきます。(厚すぎても枠とのバランスが変になる)


裏が空いていないので光を透しませんが、このルース自体が透ける為、シルバーの枠の底が光を反射して、より翠が膨張して輝きます。
このタイプのヒスイは光が膨張するので、光を透かさずに反射して拡散させる方法にも適しています。(明るい翠が在る場合は)


印象として、海岸で鮮やかな翠ヒスイを拾った時の見栄えに、少し近い感じかと思います。(その経験があれば分かるかと…)

こういった糸魚川ヒスイでのルースは多くは作れませんが、出会ったのなら大切にカタチにしたいと思います。(着色された外国産なら大量に売ってますけどね(笑))

シルバーアクセの首飾りも制作中なので、完成したら紹介したいと思います。
2014年08月03日
お守りという存在の原点・成り立ちを考えてみました。(何度も書いているので重複するかと(笑))

まず、道具からの派生である事は以前から書いていますので、そこからの分岐について考えました。
人の祖が生きる上でもっとも必用としたものは「生に直結するもの」だったと考えます。
それは食料であり、身を守るための道具であったかと思われます。
二足歩行となったのも異性への贈り物からのだと言いますので、その場合の贈り物も直接命を繋ぐもの(食べ物)だったと考えます。(と言う事は男が先に二足歩行と成ったのだろうか?)

そこから何故「お守りという存在が誕生したのか?」ですが、これらの事に全く関係していないわけではなく、発端として「自身の為に」か「他者の為に」かの違いだけなのだと感じます。

いつの時代でも必用とされるのは、生活に直結する存在(道具)です。
現代では「お金」で、一番使い勝手が良く、生活に直結する優秀な道具なのだと認識しています。(だった、と将来的に過去形になる日が来るのかも?)
それでもお守りは、現代でも古代と同様に求められています。

その理由には、お守りの成り立ちが大きく関わっているのだと考えます。
私の考えでは、お守りは直接他者(主に異性)へ向けた存在ではなかったのだと思います。(原点は)
生活の為に狩猟をしていた者達の一部が、自然(神)への信仰を具現化したのだと考えます。(原初での獲物の牙などを身に付ける行為は、他者への自己顕示が大きな目的だったかと思います)
命を落とさないように、獲物を仕留められるように、自然の恩恵を受けられるように、そんな願いも込められていたのだと思います。(まずは個の願いが先だったかと)

そしてそれを身に付けて生活をしていると、それなりの効果があったのだと考えます。
もしかしたらそれは、元々その者の身体能力が高く、狩りが上手かっただけなのかもしれませんが、周りへの影響力は十分に発揮していたのだと思います。(自然に愛されているような印象を受けたかと)

実際に自然に愛されていたのかもしれませんね…。
その姿は人の心を惹きつけて、主に異性の関心を強く引いたのだと感じます。(要はモテたのでしょう)
それは同姓でも同じ事で、その者への尊敬や憧れ、頼もしさと言う感情をもたらしたのだと思います。
まぁ、身を守ってくれる屈強な男となれば、その時代の女性にとっては魅力的に映るのは当然でしょう。(しかも自然に愛されているし)
生物として女性を惹きつける事は必用な能力であり、原始ではもっとも求められていた事だと思います。(子孫繁栄は本能で、更に強い子孫を残す事を求められていたので)

それと同時に、劣等感や嫉妬などの負の感情も芽生えさせたのも事実かと…。
圧倒的な身体能力の差は認めざるを得ないですが、この領域は明確ではない為、いつまでも張り合う者がいます。(張り合うのは、子孫を残す本能の一旦だと考えます)
なんであれ、その者が具現化した信仰は他者の心にまで響き、同じように所有したいと願いう人達が現れたのは間違いないでしょう。
なので、その者は自身の信仰を他者と共有しながらも、狩猟もして共に生活していたのだと考えます。

言うなればお守りとは、他者の気を引く事で進化したのではなく「自然(神)の気を引く事」を目的とした存在なのだと言えるかもしれません。
結局、人類とは何かの気を引く事で進化する存在なんですよね。(でも他者と自然(神)とでは、本質的に大きな違いがありますが…)


ここからが商売の原点に分かれるのですが、その者の信仰に人気があると気付き、同じものを作れば「異性や同姓から認められる」と考えた者達が表れたのだと考えます。
異性への贈り物で二足歩行になったとするならば、当然思いつくであろう手法です。
ここからは「信仰の具現化」では無く、ただ誇示したい、ただ人気者になりたい、ただ認められたい、と言った自己顕示欲からの模倣になります。(現代では「ただ換金したい」ってのも加わります)
これは道具であるはずのお金に、逆に使われている現代の始まりだとも言えるかもしれません。

結局、私は誰かに道を示してもらう必用はなく、目的地へ向かう為に結果的に「お金と言う道具」が必用となっているわけですね…。(示す人では無く、支えてくれる人たちが必用)
文化は「大衆で支えられるもの」と言ますが、それが少し解った気がします。(大衆では無く、民衆という表現の方が良い気がしますが)

本来、自身の信仰を具現化するのですから、それぞれのカタチが必用となります。(古い時代だと、それなりに違ったカタチが存在しています)
でも最終的には、ほぼ1つの形に集約されていきます。
それが「定型勾玉」と言われているものなのだと私は考えます。(アクセサリーと言われるもの全般にも言えるかと思いますが…)

この領域では「それぞれの信仰の具現化」は無く、便乗で得た「錯覚の名誉」や「錯覚の信仰」で埋め尽くされています。
しかし大元がお守りからの派生で在る以上、僅かにその本質(古代からの記憶)を残しています。
それが救いでもあり、やっかいな要因でもあるのだと考えます。(それが免罪符的な事になっているかと)
要は人を道具として使う為に、雇用が免罪符的な役割を果たしているのと同じ原理かと…。

私はお守りが「ただ姿形だけで認められたのでは無い」と考えています。
それを創った者の生き方が重要であり、その者を評価した上での話だったと思います。
その者の優しさや勇ましさ、哲学や美意識を含めた全てが魅力的だったのではないでしょうか…。(ヒスイを使う場合、ヒスイの魅力がマイナスを補うほど強力なので解りづらくなっている事も大きな要因ではある)

現代ではそれを明確にする術はありませんが、その者の本質を繋ぐ以上、これらは理解しておく必用があると私は考えています。
この者在っての今の自分であり、ゼロから創りだしたとか意味不明な事は言わず、必用のない無駄な事で張り合わず、受け入れながら未来へ繋いで行きたいと思います。(まずは現存する者を模倣する行為は、未熟者の証明である事を認識すべきでしょう)

アドバイスをするならば、加工技術よりも先にデザイン能力を身に付けた方が良いです。
これが身に付かなかったら、一生誰かの模倣で終わりますから…。
自身の信仰を具現化できる者は、他者へ向けた品を作る事も兼ねていて、お守りという存在の本質から離れて行く事はありません。

ここで重要な事ですが、私の計画は「古代の総意を継いだもの」ではなく、「個の意志を繋いだものである」って事です。(私が存在したと信じる一人、あるいは数人の古代人の意志です)
何度も同じ様な事を書いていますが、重要なので何度も書いていきます。

僅かなズレが時を重ねる度に大きくなっていきますが、時代はズレても自分はズレたくないものです。
それでも原点から見れば、だいぶズレているんだろうなぁ…。

でも許容範囲のズレであれば、その古代人から失望される事はないでしょうね(笑)
2014年07月27日
7月も後少しとなったので、河川愛護モニターの報告をしたいと思います。
毎月1回の報告なので、まずはこれからモニターしていくエリアを決めてきました。

まずは根知、大野、横町〜河口と言った感じでモニターして行こうと思います。
この日は天気が良く、自転車でサイクリングしながらモニターすれば最高だろうな〜、と思いました。(暑い日でしたが、良い風があって気持ちが良かったです)
丁度、姫川の側面に道があり、一般の車は通れないようになっているので、そこを通って行けば根知付近まで安全にモニターできそうです。
季節も良いので、今後も楽しみながら活動したいと思います。


■根知付近
最初は根知の、小滝へ向かうトンネル前でのモニターです。
深刻な水害があった場合、まずブッ壊れる場所がここです。
かなり頻繁に壊れている印象があって、いつも工事している気がしますね…。
今回は特に異常は無さそうで、澄んだ水が穏やかに流れていました。



この辺りになるとアブが出始めていて、でかいアブが車に寄ってきます。
スズメバチに似ているので、ビックリしますが大きなアブはあまり怖くありません。
怖いのはハエくらいの大きさのウルル、集団で寄ってきて毒性も高いアブです。
この時期、子供や女性は気を付けて川遊びをして下さい。
山奥に多いので、小滝川や不動滝などには用心して観光して下さい。(車の窓を閉めて行き、降りる前に少し車内で待つのが得策です)

少し下って、例のロディン岩破壊現場を見ます。
最近、工事が終わった場所で、川の形が少し以前と変わりました。
新しく堤防ができ、大水での災害対策が行われたようです。
姫川がある以上、土建屋さんは仕事が無くなりませんね(笑)
草も刈ってあって、土手は小綺麗になっていました。
ロディン岩はあのまんま…、なんか可愛そうな気になってしまいます。




国道沿いの脇道には、黄色い花がいっぱい咲いていて、とても綺麗でした。(自転車で来たら最高だな)





■大野付近
更に下って大野付近を見てみます。
紐で囲ってある部分は、崩れる危険があるのだと思われます。
その内、何かしらの対策がされるのだろうか?



橋を渡って逆側の、この場所によくゴミが散乱しています。
キャンプでもするのか分かりませんが、ゴミは持ち帰ってくれって言いたいですね。
でも今回は、ゴミは無く綺麗な状態でした。



川の周りは草木が生い茂り、整備されている感じはしませんでした。(現時点では)
ただ、自然の美しさは在って、昆虫などが沢山いたので私としては問題ありません(笑)
それに、ここは川の通り道が近く、川沿いへ行くと急に崖のようになっています。
大人でも滑り落ちるので、整備して容易に降りられるようにはしない方が良いのかもしれません。
この場所も大水の際に、しょっちゅう削られている場所です。(ちなみに鉄の建材のようなゴミも姫川には多く見られます)






周りは田園が広がっていて、見晴らしがとても良いです。
道端には戸隠神社を祀った祠があり、何かしらの関係性を示しています。
山を見ると、ちょっとガッカリ…、ハゲ山となっている山が…。(石灰石の採掘によるものかと…)





帰り際に綺麗な幼生を発見、蝶だろうか?(蛾か?)
見覚えがある、昔なら分かったのだろうけどなぁ…。(しかもピンボケしてるし)
暑さが増し、命の躍動を特に感じる季節になりましたね!
お互い頑張ろう!、と勝手な事を幼生に言い聞かせて次へ向かいます(笑)




■横町・河口付近
桜公園付近と河口を見てみました。
ここには姫川付近に公園があります。
丁度、草刈りもされていて綺麗になっていました。
けっこう広いので、家族連れには良い場所かと思います。(休む場所もあるし)




そこからすぐ近くの川へ降りると、広い平地があります。(整備された平地)
鉱物の展示を兼ねた庭があり、日本海・姫川・虫川・根知川・小滝川の順に並べてあります。
鉱物名が書いてあるので、河原の石の名前を調べる事ができそうです。
ヒスイも在りますが、間違っても割って持っていかないように。(持っていっても金にはなりませんから)








反対側は平地になっていて、これから更に整備するようです。(芝を植えるようです)




ここから河口へ向かう道は、桜の樹が植えられていて春は見事な道になります。
河口までず〜っと続いていて、樹の下をくぐりまくると桜まみれになれます(笑)
確か車が入って来られない道だったので、安心して楽しめると思います。(春じゃ無くても)




この河口では、去年から大規模な工事をしていました。
ここも以前の面影は無く、えらく変貌した場所だと思います。
今月は雨が多かった月でしたので、何度か水量が増した日があったのだと思います。
堤防にも流木などが、いくつも挟まっていました。
自然の力の凄まじさを感じますね…。






今回は川幅も狭く、特に危険と思われる事はありませんでした。(長い魚(サヨリ?)が上がっているぐらいで(笑))

とりあえず、このエリアをランダムにモニターできればと思います。(より深く)
次回からの報告は、こんなに長くはならないかと思います(笑)


ちなみに、この場所ではありませんが、舟を乗り付けて海底でヒスイを盗っている者達がいます。
こうなると密漁なのか盗掘なのか分かりませんね…。
なんであれ管理能力の無さは、糸魚川の致命的欠陥のように思えます。(公僕の不祥事も多いし)
2014年07月24日
紫ヒスイとシルバーパーツ・メタルパーツを、組み合わせた首飾りを制作しました。
革ひもと合わせて、民族風なデザインに仕上げてあります。




シルバー枠に合わせてのルース制作だったので、慎重に削り出しました。
これだけ小さいと少しのズレが命取りとなります…。
また、小さいので色が映え難く、それなりの発色を示すヒスイが求められます。
今回は上品さを合わせ持つ紫ヒスイを使用して制作しています。




裏が開いている仕様なので、光を透して色が膨張します。
光を透す分、太陽光下では紫色が淡く見える場合がありますが、光源が変わると違った表情を見せてくれます。(太陽光だと目に映えて、蛍光灯だと濃く見えます)
革ひもの長さを調節できるので、お好みの長さで身に付けられます。




今回の鳳の羽の首飾りは、紫ヒスイを合わせて「朝焼けの空、または夕焼けの空を舞う羽」を表現した作品となります。
2014年07月20日
以前に知り合った青年が、また奴奈川の底なる玉と出会いました。




全体が翠に染まっていて、透明感も高い良質の翡翠です。
なかなか出会えない翡翠で、河原で見つければ誰にでも分かるレベルのものです。
この底なる玉で、勾玉制作の依頼を受けました。
若干、厚みに心配がありましたが、小さいサイズならギリギリ作れそうです。
見たところ目立ったヒビもなく、良く練られている質なので綺麗に仕上がる事が見てとれます。

出来る限りのプレートを切り出し、20mmの勾玉を制作しました。
女性に贈るらしく、小さめのサイズでも大丈夫なようです。(むしろ小さい方が良いのかも)
なるべく色が濃い部分で加工し、形も可愛らしく仕上げてみました。







一色タイプの翡翠になるかと思いますが、一般的な翠一色ではなく、光を透す事で違った表情を見せてくれます。(透明度が肝心です)
紋様とは別の魅力、これが無いと単純な色だけの翡翠となり、創作意欲が湧きません。(私は)





我ながら良い作品に仕上がりました!
八千矛神は奴奈川姫に歌を贈りましたが、青年は奴奈川の勾玉を贈るようです。(糸魚川の女性では無い事が残念…)
喜んでくれると良いなぁ〜、もしその女性と縁が無かった場合、勾玉は返してもらった方が良いかもね(笑)

なんか浪漫がある、奴奈川でしか体現し得ない「古代の習い」を感じさせてくれます。
実際に在った習わしかは微妙だけど、二足歩行は「贈り物の過程」で進化したらしいので、全く無かったとは言えない気がします。
2014年07月17日
海で出会った玉髄で丸玉を制作しよう!、と思い立ちました(笑)

玉髄と言っても、これだけ良質(海での玉髄にしては)なのは珍しく、加工意欲が湧いてきました。
乳白色が美しく、擦りガラスとは違った天然の美しさが宿っています。(ミルキークォーツと言えるかと思います)
見た感じ致命的なヒビも無さそうなので、可能な限り多く作る為に最小限の切断を心がけました。




まずは10mmの正方形を切り出します。
ここでのズレが、後の単純作業の労力に関わってきますので、なるべく正方形に近づけます。
その後に、表裏に対角線を引き中心を出して穿孔をします。
右上のはヒビが深く入っていて、黒く汚れた部分に穴あけをする為に、丸玉に近づけながら穿孔をして行こうと思い作業を進めました。(この時点までは…)




平面板で正方形の角を落とし、サイコロのような形にします。
ここでも浅く削れば後の労力に影響し、だからって深く削ると球にならず歪な玉になります。
失敗するよりは労力が増す方がましなので、慎重に削る事をお勧めします。




ここからは単純作業、回転している筒に当てながら球になるまで削り続けます。
必ず面の中央部分が残っていきますので、丸玉に近づいたら赤のマジックで平らに残っている中央に印を付けて作業した方が見やすくなります。
この6面にある赤色の部分が消えるまで削る必用があり、見えなくなった時が丸玉として完成した目安だと言えます。

今回は10mm用の筒を使っているので、9.9〜9.8mm位の丸玉が仕上がります。
玉髄は翡翠と違い粉があまり出ず、わりと削りやすいので労力的にも助かりました。
しかし研磨していくにつれ小さな空洞が出てきたりするので、完全に無傷な玉は1個しか作れませんでしたね…。(左上の丸玉)




当初の予定のヒビがある部分の穴あけも、別の所から空洞が出てきて、それが無くなるまで削ろうとした結果、玉自体が小さくなってしまいました…。
そして更に小さくしなくては空洞が消えない為、ヒビ部分と空洞部分を繋げて革紐を通せる仕様に変更しました。




ブレス用に2個、ペンダント用に1個という感じになったので結果的に満足しています(笑)
同じ作業なのだから翡翠を加工すれば良いのに…、と思う方もいるかでしょうが、そもそも創作には損得感情が希薄で「面白そうだから」と言う好奇心が原動力となるんですよね…。

せっかく出会った玉髄なので、どうしてもカタチにしたい衝動に駆られました。
転石自体での姿が、あまり綺麗ではなかったのも理由の一つだと感じています。

販売したって大した金額になる訳でもありませんが、好きな人には解ってもらえるかと思っています。
いろいろと組み合わせて、身に付けられる作品にしたいと思います。(これから更に磨きをかけて、艶やかに仕上げたいと思います)
2014年07月15日
競争とは何なのか、闘争とは何なのかを考えてみました。

まずは古代からの成り立ちで考えてみます。
縄文時代より石器と言う道具を集団で作りまくる事が可能だったのは、その石器が道具であり、道具が人類の生活に必用であり、消耗品として交易が成り立っていたからだと考えます。
言い方を変えると「石器を作ると言う成長を、他者(他地域)から奪っていたので成り立っていた」と言えるのだと思います。

でも現在は逆で、他者(他国)に作らせて、自身(自国)の成長を売り払っている状態が続いています。
現代は「成長を奪われている」と言う認識は無く、その成長を「放棄した事」の認識も無い…。
一切、奪われる事のない人間(万能な人)は皆無であると確信し、割り切って「皆でシェアする」という考えに変えていったようにも思えます。(それと同時に人間を道具とする事に行き着いた)

どうしても「奪われている」と認識してしまうと、焦り、落ち着かず、他者よりも自分が先に…、と考えてしまい、争いが絶えない社会になるのでしょう。

でも全ての領域を成長させていく事などは、人間の寿命を今の10倍位にならないと不可能であり、より自分が得意とする分野を成長させ「奪われている成長で得られる利益よりも多く稼ぐ事」を、優先しているのだと感じます。
だから分担という考えになり、その分野の成長は捨てて、別の分野の成長を特化させる選択をしているのではないでしょうか。

これが裏と表の見方で、表だけを見て生きていると、奪われ続ける事になるのかも…。(気付かずに)
何であれ本質的に、生きる事とは闘争であり、商売というのは競争であるので、人から奪わない限り自身が潤う事はないのでしょうね…。
それが人類のシステムであり、生命体の生存戦略なのだと思います。

「奪う事」と「奪われる事」のバランスが良ければ、ある程度の安定が保たれるのですが、生命は本能的に奪う事を優先させる為、そこに格差が必ず生じます。
この格差を無くすには「奪われている者が奪い返す」か「奪う者が自主制限をするか」の、どちらかなのだと感じます。

ず〜っと、この繰り返しなのかな…。
きっと表の領域である「いかに共有し合えるか」が、カギになるのでしょう。
人と共有し合う事、これは綺麗事では無く、人類の滅亡回避の考え方のような気もします。(過剰な共有は毒となるけど)
何故ならば裏の領域が強く出れば、略奪を目的とする戦争にしかなりえませんから…。

闘争という規模で抑え、競争という規模で抑えておかなくては、この因果に飲み込まれてしまうのだと思います。

私たち人類は知らず知らずの内に、こんな複雑な生き方をしているんですね。
お互いが敵対しながらも協力し合う、この矛盾、どう理解すれば良いのだろうか?

それとこの領域が、これからどんな変化(進化)をしていくのか、とても興味深いです。(他人事ではないのですけどね(笑))


ちなみに、糸魚川の地で縄文時代から石器を作っていた人達の流れを受け継ぐのは、三条市などで活躍されている「一流の金物職人の方々」にるかと思います。
大元は同じ領域でも、翡翠の加工は別の分野を目指した為、違った進化をしました。
翡翠は、道具ではない領域が多い事から発展が遅く、よって際立った変化も見られないのが現状だと感じています。

しかし「じっくりと大切に繋げられた」とも考える事ができ、発展の可能性は未知数かと考えます。(熟成されて来た感じです)
これをどう繋いで行くかが肝心であり、この領域での伝統とは「祈りを具現化する事」なのだと感じます。(文化の継承では、職人のような厳密な技術の継承も、一定のレベルで必用かと)

似て非なるもの、その本質を理解しながら進める必用があるのだと感じています。(どうにも理解できないのは、親の財産を当てにして生きているのに、古代人の遺産は活用できていない事…、何故なのだろうか?)
2014年07月08日
今日、高田河川国道事務所の委嘱による、河川愛護モニターになりました。

きっかけは知り合いの勧めによるものですが、受けた大きな理由としては「翡翠を活用している者としての保護の一環」だと感じた事です。(最近、お金に成らない事ばっかやっている気がする…(笑))

それと先日、姫川で見た現実が切欠にもなっています。





現在でも岩石の破壊は行われている証ですね…。
これを見て解る事は、この破壊行為は「素人の仕業」だと言う事です。
何故ならば、使っている工具があまりにも小規模であり、最終的に中途半端に諦めています。
何よりも、これは翡翠では無くロディン岩であり、その違いも見分けられない者の仕業と考えるのが妥当でしょう。

よく翡翠らしき鉱物(持てる位の)が、片っ端から割られているのを見ますが、玄人なら割らなくたって解るし、割ったって中から良い翡翠が出てくる事は無いです(笑)
必ず外側に「兆し」があり、その有無で良質かを判断するのが定石です。

この行為は小規模ですが「新規の盗掘の前兆」であり、かつてそれを生業としていた者達が高齢となった事で、正常に成りつつある環境を振り出しに戻す危険性があります。(蟻の一穴ですね)

問題なのは山奥ならばともかく、国道から見える場所で行われている事です。(山奥も問題ですけど…)
何の対策がなければ、やって良いものだと錯覚し、更に行為はエスカレートし、同じ穴のムジナ達が大勢押し寄せる事でしょう。
これは法律(河川法)とかの問題では無く、人間性(モラルや民度)の問題なのだと考えます。
姫川の管理が出来ていない事が問題であり、よってこの現実を多くの者達が認識する必用があります。
奴奈川の底なる玉なので、誰もが求める権利はあるのですが、その方法は制限されなくてはなりません。

この事は最終的には、糸魚川の人達の意識を高める事にも繋がり、大昔から姫川は「地域の暮らしに密接に関わってきた大切な川だ」と再認識する切欠になると考えます。
そういう意味でも、まずは現状を国に知ってもらい、県に知ってもらい、市に知ってもらう必用があります。
この事で何かが変わるとは思っていませんが、これで「知らなかった・聞いていなかった」と言う現実は無くなります。
そういった現実を報告した事実が大切で、それに対応するのかは国・県・市が判断すれば良いかと思います。
これにより、現実を見る一つの判断基準ができるかと思っています。(要は荒唐無稽な戯れ言に対抗できるのは、信念で積み上げた現実だけって事ですね)

この事で糸魚川が翡翠を前面に押し出してアピールできない理由の一つである現実の、一定の浄化作用が期待できると考えます。
もう一つの理由である産地偽装は、未だそれをした者達が関わっている為、まだまだ先になるでしょう。
しっかし、その世代での罪なのだから、その世代で裁けないのだろうか?(現在の40代〜80代以上で)
自分達のケツくらいは、自分達で拭いてほしいのですが…。

それが出来なければ、目先を変えた翡翠ネイルとかをアピールするしか方法が無いのが現状です。(面白いけど、分野的に末端の利用法となります)
この領域も、どこの翡翠の粉なのかは明確にしていませんが、この客層には産地に拘る人もいないのでしょう。(粉末にしている分、科学分析はし易いのですが…)

いつしか糸魚川が糸魚川翡翠を、胸を張ってアピールできる日が来るのを楽しみにしています。



さて、個人的な理由はこれで終わりにして、その他の活動内容を書きます(笑)
河川愛護モニターの活動は、姫川の魅力や状態(ゴミや堤防の異常)、地元のイベント情報等の報告も求められています。

姫川はゴミの多さが目に付きますので、それらの抑止も考えたいと思います。
多くは上流からの漂流物なのでしょうが、橋の下などには新しいゴミが固まっている場合が多いので、そういったポイントを注意しながら調査する必用があるかと思います。

あとは姫川の水質の良さや、動植物などの情報なども伝えられたら良いかと考えています。
とにかく、糸魚川の人達と姫川との関わりを報告する事が大前提であり、昔から繋がる文化を体現している人たちを捜してみたいと思います。
悪い部分だけでは無く、良い部分を多く見て、姫川の良さを前面に出して報告できればと思っています。

せっかく糸魚川へ移り住んだので、姫川から始まった(始まる)文化を伝えていけたらと思います。
2014年07月07日
最近、良質の桃簾石が入手できた事で、以前から思っていた事を真面目に考えてみました。
それは「イザナギと白桃には繋がりがある」って事から始まっていて、珠玉の伊邪那岐シリーズを桃簾石で制作しても良いのでは?、と言う考えです。(勾玉(レプリカ)は、既に桃簾石で作られていますが…)

イザナギは黄泉から逃げる際にヨモツシコメ(黄泉醜女)に追われ、白桃を投げつけて逃げおおせたと言う神話が残っています。(ちょと格好悪い話ですが)
ヒスイではないですが、日本神話に全く関わりが無いわけではなく、しかも今回の桃簾石は上品な桃色で「白桃」として見る事が可能かと考えています。

これは面白いのではないだろうか…?、神玉シリーズではないので「糸魚川ヒスイ限定の制限」もありません。(自分で創った制限なんですけどね(笑))

挑戦する価値はありそうです、伊邪那岐シリーズですから大きなサイズの作品になるかと思います。
たま、神話では白桃3個を投げたと言われていますので、3パターンのデザインが在っても良いのかも。(一桃(一投)、二桃(二投)、三桃(三投)みたいな(笑))
それとも自由な形の方が良いかなぁ〜、とか考えています。

まぁ、恒例のように形にするのに時間がかかるので(マイペースなので)、あまり期待しないで待っていて下さい(笑)
そう言えば伊邪那美の八雷神も形にしていない…、こっちの方が先かなぁ…。(デザイン案は出来てますが…)

やるべき事が無いよりは良いので、少しずつ形にして行けたら良いかと考えています。



全然関係ない話ですが、庭に新たな生命が宿りました!(子供のカマキリです)
現段階では体も小さく本来の強さがありませんが、成長するにしたがって美しいまでの強さを備えていきます。


自然と生命が完成させる美、この強さを感じられるならば、不毛な戦争は無くなるのではないでしょうか…。

更に、色とりどりのヒスイを並べて紫陽花を作ってみました(笑)


前回のカケラより小さいサイズで、値段もお手頃です。(と言っても4,000円〜7,000円はしますが…)
ストラップにもペンダントにも、対応可能なヒスイのカケラたちです!

こんなに色があるなんて本当にヒスイは不思議な石です。
なんかヒスイで全ての自然風景を表現できるようにも思えてきますね(笑)
2014年07月02日
素戔鳴の新作「万武不倒」が仕上がりましたので、紹介します。

月読の「月影」と同じ黒ヒスイを加工し誕生しました。
本来は万夫不倒で、武は武御雷の領域なのですが、魂に刀剣(武御雷)を宿した素戔鳴をイメージして制作した作品です。
更に情熱(火之迦具土)を魂に宿す事で、天下無双をテーマにした作品にしたいと考えています。(ちなみに国士無双は八千矛が相応しいかと考えています)



黒と白が揺らめきながら交わる景色は魅力的で、光と闇の融合を表しているかのようです。
どのような武力にも屈する事のない「力そのもの」を、テーマにして制作しました。
傍若無人に近いテーマですが、純粋さの白を基準としている作品とは違い、武力の象徴である黒を基準としているので、より攻撃的ではあります。
しかし、強い信念の元に行動するので、純粋さのデメリットである「気まぐれな無邪気さ」はありません。
命を脅かされるその瞬間、守護神としての本領を発揮し「身を守る為の加護」を秘めている作品です。




暴れん坊の神で有名な素戔鳴ですが、志をもって行動すれば英雄となります。
力の使い道を考え、何を守りたいのかを見出す事ができれば、これほど心強い神はいませんね!


この神を味方に付けられるかは、自身の生き方にかかっているのでしょうね。
純粋である事が大前提、しかし無知であっては許されない。(馬鹿は罪だから)
なかなか難しい条件ですね…、きっと天照と月読の協力も必用なのでしょう。

天運が天照ならば、武運は素戔鳴になるのかもしれません。(武御雷は武神であり刀剣の神)
では月読は…、星運?成運?時運?学運?、何であれ身近なバランス(節制)に関わる運を司っているのでしょうね。

三貴子とは、それぞれの役割でお互いを支えているのだと感じます。
2014年06月27日
こちら糸魚川は、去年より雨も少なく割と天気が良い日が続いています。

曇ったり晴れたりを繰り返す日々が多いですが、この日は良く晴れたので美山へ行って来ました。
私の家からは、そんなに距離はなく(だからって近くもないけど)、普段は人が少ないので穴場と言える場所です。
あまりにも人がおらず自分の庭のような錯覚を楽しめるので、とても気に入っている公園です(笑)

今の時期は紫陽花が咲き乱れており、これだけ多く咲いていると気分も明るくなります。





列になって青い紫陽花が咲いています。
しかも、とても長〜く続いているんです、この紫陽花たち。
古墳のように盛り上がった場所を登り撮影をしたのですが、全部は入りませんでした(笑)


チョウチクトウと思われる花も咲いていたので、撮影しました。
雪により折れてしまっている枝もあり、少し寂しげではありましたが、それぞれに咲き誇っていて綺麗でした。




咲き始めの紫陽花も淡く美しいので、撮影しました。
これらが満開になったら、更に紫陽花ロードは長くなりますね(笑)





ちょっと戻ると市民の庭と彫られた石と、天に拳を突き上げている石像があります。
黄色の花が絨毯となり、とても華やかでした。(石像はラオウを思い出しました(笑))




貯水場の屋上は展望台となっていて、そこからの眺めは素晴らしいです。
しかし、海側の景色は電線などがあったりして、今ひとつです。(海は見えますが、この日は水平線が、ぼやけていたので撮影していません)
電線はどうにもなりせんが、ぼやけていない日なら海が綺麗に見えると思います。
ちなみにマレットゴルフをしている人達も、ここから見えます(笑)


かなり高いので、久しぶりに胸がゾクッとしました。
本能的に高所には恐怖するんだなぁ〜、と改めて思いました(笑)


この公園から細い道を下って行くと、ひっそりとした神社があります。
水前神社と言って水崎地域にあり、読み方も「みずさき神社」と読むのだそうです。
古い石の鳥居が入口にあって、私達を迎えてくれます。




鳥居の左側には池とも沼とも見える場所があり、鯉が泳いでいます。
何か別の、主のような存在もいそうで、怖くもあり神秘的でもあります。




こちらが水前神社、手前にある手水舎で手と口を清めて進みます。(柄杓にカタツムリが付いてました(笑))
戸は閉まっていて中を見ることが出来ませんでしたが、開くことはあるのだろうか…?(お祀りの時などに開くのかな?)




神社の左側へ進むと祠があり、これが「原初の姿」なのかなと思いました。
そして、やはり私は石で作られた存在が好きなんだと、同時に気づかされました。




その近くには美山稲荷神社があり、赤い鳥居が幾つも並んでいます。
この鳥居が金属でなかったら良かったのに…、もっと雰囲気を大切にして欲しいです。
でも管理は大変だし仕方ないのでしょうね、せめて風合いのある表面仕上げにすれば金属でも問題がない気がしますが…。(個人的に)




この日は紫陽花と神様の領域を堪能して、美山の散策を終えました。
糸魚川には神社が多く、あまり知られていなかったりします。(場所が場所だけに)
情報がネットなどに載っていても、あまり詳しくは書かれていません。

まぁ、自分の足で訪れるから意味があるわけで、情報過多も問題なのかもしれません。
でも知らずにいたら(その人にとって)無いのと同じ…、知ってもらい、行きたいなと思わせる魅せ方は必用なのかもせれませんね。(個人的に水前神社のお祀りを見てみたいです)

糸魚川には美しい場所がたくさん在りますので、少しずつ紹介して行きたいと思います。
2014年06月22日
月読の新作「月影」が仕上がりましたので、紹介します。

漆黒に揺らめく黒地と、そこを流れる白との紋様が美しい黒ヒスイで制作しました。
石墨による黒色は、ただひたすらに黒く、一切の光を透さない影ように見えます。
しかし、元は透明度の高い白ヒスイなので、白色の部分は光を若干透します。
撮影時に背景を月面に見立て、闇夜にも影を残す月影のイメージを表現してみました。



黒ヒスイは全般的に艶を出しやすく、とても綺麗な光沢が出ます。(黒色なので、より光を反射する)
当然ながら、黒が濃くなるにつれ透明度が下がり、薄くなるにつれ透明度は高まります。
やけに白い模様が入る黒ヒスイがあり、そういった部分は白ヒスイとは異なるようです。(重土長石らしい)




ヒスイのイメージには無い色彩ですが、黒に勝るの色はデリケートな白だけという面白い基準が存在します。
純粋なものには弱く、色に染めようとするものには強い、まさに武の象徴色と言えるかと思います。
同じ黒ヒスイでスサノオ・アマテラスも制作予定なので、完成したら同じ黒ヒスイの三貴子が揃います!(半透明の白ヒスイで制作する、ツキヨミ「月光」の二作目も仕上げに入っています)


私は、黒ヒスイの魅力は紋様にあると考えています。
全体が真っ黒の黒ヒスイもあるのですが、加工するとオニキスなのか黒曜石なのかが見分けづらい品になります。
希少性で言えば一色タイプの方が貴重ですが、作品(テーマ)としては面白くない…。
これが紫や青のヒスイならば問題ないのですが、特に黒や緑の一色は景色として面白くないです。(個人的感想)

作品としての魅力を求めると、需要とは反比例していく事は多々あるので仕方ないですね(笑)
一色であれ紋様であれ、黒色であるだけで人気はなく、誰かの手に渡る確立も低くなります。
多分、私の手元に残っていく作品は、黒や白と言った「鮮やかではない色」のものだけだと思います。(玄人好みの作品のみが残るかと)

でもそう言った作品が、時という付加価値を得て、将来的に高みに上がって行くかと思うと嬉しくなります。
私と在った時が長いほど付加価値が高まり、最終的に「色彩によるスタートラインの差」を無効化するだけの存在力…、そこまで高まれば大成功ですね!

ちなみに、私が販売した作品の値を表示しないのは「所有者によって値が高まって行くから」です。(あと値段を顕示したって意味無いし…)
私が作品として完成させた領域は三分の一の領域であり、もう三分の一の領域は所有者が育てて生きます。(残り三分の一の領域は地球により既に完成されている)
この三位一体により、私の作品は成長していくわけです!

芸術とは未完成のものと言いますが、それは当然で芸術家のみでは完成させられず、更に地球が存在する以上は常に高まって行くので頂上がありません。(人類が全滅しない限りは高まる)
要するに芸術とは「完成への道を、常に人と共に歩んでいる」って事ですね。

そうと解れば目指す未来へ向けて、頑張って活動して行くしかないでしょう!(地球が順調に国生み(新しい大地の誕生)を進めているので、私も自身の神生み(創作)を進める為に努力して行きます)
2014年06月19日
天気が良かったので、海へヒスイの標石(転石)を拾いに行きました。

前日まで風が強く荒れていたので、ちょっと期待して探しました(笑)
でも期待とは裏腹に、この日の海は砂が多く上がり、非常に探しにくい状況でした。
ヒスイは無理でも、綺麗な石くらいは探そうと歩いていたところ、白いヒスイと出会えました!




パッと見は汚れが付着している良質の白ヒスイ、よく練られた質感で絹のような肌触りです。(乳白色系でスベスベな肌です)
この日は、この一つだけしか拾えず、ここに翠や紫が入っていればと残念に思いながら帰りました。
家に帰ってよく観察してみると、この汚れ…、どうも普段の汚れとは違います。
付着と言うよりは、練られた白ヒスイに浸透していて、更に黄色が強く出ています。
黄色の濃い部分は同化していて、一色タイプに近いヒスイになっています。

もしやこれは…、とても珍しい黄ヒスイなのでは!
昔に一度、よく加工所に来てくれたお爺さんが、黄ヒスイを見せてくれた事がありました。
そのお爺さんが拾ったようで、その時は既に加工されていましたが(お爺さんが加工したようです)、ヒスイの質感は今回と同じ様に練られていました。
お爺さんが持っていた方が少し色が濃かったですが、発色事態は今回のと同じです。(記憶が正しければ)
在りそうで無いヒスイ、今までのサンプルの中にも同タイプは存在しておらず、これが初めてのサンプルとなりました。

試しに光を当てると、非常に綺麗な黄色に透けました!(元々が透明度の高いヒスイ)
やはり先端の濃い部分の方が、より黄色の光を放ちます。



これは鉄分の酸化により発色するとされる、黄色のヒスイで間違いないかと思います。
茶色っぽい付着物が付いたヒスイ(転石)は良く見るのですが、この色は明るい黄色で、何よりも練られたヒスイの表面には付着物が付きません。
他の色と同じようにピンポイントに濃い色があり、そこから染みわたるように色が広がっています。
黄色が若干、薄くはありますが、糸魚川で黄色のヒスイが拾える事を自分の体験で確認できました!
もう糸魚川に無い色のヒスイは、赤ヒスイだけなのかもしれません。(誰か拾ってそうだけどね)

非常に貴重なサンプルと出会えて嬉しい限り、こういった出会いがあるのも糸魚川の魅力と言えるかと思います。
次回は、一色タイプの黄ヒスイと、赤ヒスイを目指して探索したいと思います。
2014年06月17日
現代人が心を病む一番の原因は、人間が「道化」であるからだと感じています。
私は「道具と化した者たち」を道化と分類しています。
現代の殆どの人達が道具となり、消費されて捨てられる、そんな社会に生きている気がします。(自分も含め)

なんでこんな社会に成ったのだろうか?
こんな領域に「人としての尊厳」は宿っているのだろうか?

そもそもに人間とは、道具としてしか生きられなくなっているのだろうか?
それとも根元的に人間は「道化」だったのだろうか?

この道化の領域では魂は正常ではいられず、魂の器なしでは成長はおろか、保つ事さえ困難なようです。
特に芸能界は魂の消費が激しく、長くその領域にいると魂は劣化して行きます。
薬物に手を出すのも、それが原因とも言えるのではないでしょうか…。
なので芸能人が「お守りという存在」を、こぞって所有したがる理由も頷けます。(ヒスイに限らず)

もし人間が道具の領域から出る事ができず、一生使い続けられる存在だとするのなら、その使用頻度を大幅に抑え、大切に扱われる存在になるしかないのかもしれません。
古来より、大切に使われた道具には「神」が宿ると言われています。
付喪神と言う概念が人間にまで及んでいるとしたら、これを目指すしかない気もしますね…。(他者が道具として扱うのならば、せめて自身だけは己を大切に生きなければならない)

人としての生き方は、目的は違えど結果的に「道化からの脱却」を果たそうとしているようにも見えます。
その為に努力して、自分自身の存在理由を確立し、誕生理由を確信したいのだと感じます。(その手法として、人間を道具としている現実もあるのかもしれませんが)

全員が道化から脱却したとしたら、現在のシステムは回らないのでしょうね…。
だとすれば、これは気づいた者勝ちと言う事なのだろうか?

自身の見せ方が解らず、売り方も解らず、そもそもに何者なのかすら解らない。
こういった者達は、これから先も道具として消費され続け、廃棄されて行くのかもしれません。

私はこれから先、信仰(宗教じゃなく)が重要になると思っています。
自分一人で仰ぎ信じる事の大切さ、それを持たない者達の結末は「道具として生き、道具として死んでいく」って事なのだと感じています。

それぞれの信仰、これが大切で将来的に必要不可欠となっていくでしょう。(それぞれの信仰=八百万(それだけ多く)の信仰と見る事もできるかと)


ちなみに「徒党を組む事でしか何も成せない者達」が「満足に徒党も組めない」なんて、意味不明ですよね(笑)
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