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2014年07月20日
以前に知り合った青年が、また奴奈川の底なる玉と出会いました。




全体が翠に染まっていて、透明感も高い良質の翡翠です。
なかなか出会えない翡翠で、河原で見つければ誰にでも分かるレベルのものです。
この底なる玉で、勾玉制作の依頼を受けました。
若干、厚みに心配がありましたが、小さいサイズならギリギリ作れそうです。
見たところ目立ったヒビもなく、良く練られている質なので綺麗に仕上がる事が見てとれます。

出来る限りのプレートを切り出し、20mmの勾玉を制作しました。
女性に贈るらしく、小さめのサイズでも大丈夫なようです。(むしろ小さい方が良いのかも)
なるべく色が濃い部分で加工し、形も可愛らしく仕上げてみました。







一色タイプの翡翠になるかと思いますが、一般的な翠一色ではなく、光を透す事で違った表情を見せてくれます。(透明度が肝心です)
紋様とは別の魅力、これが無いと単純な色だけの翡翠となり、創作意欲が湧きません。(私は)





我ながら良い作品に仕上がりました!
八千矛神は奴奈川姫に歌を贈りましたが、青年は奴奈川の勾玉を贈るようです。(糸魚川の女性では無い事が残念…)
喜んでくれると良いなぁ〜、もしその女性と縁が無かった場合、勾玉は返してもらった方が良いかもね(笑)

なんか浪漫がある、奴奈川でしか体現し得ない「古代の習い」を感じさせてくれます。
実際に在った習わしかは微妙だけど、二足歩行は「贈り物の過程」で進化したらしいので、全く無かったとは言えない気がします。
2014年07月17日
海で出会った玉髄で丸玉を制作しよう!、と思い立ちました(笑)

玉髄と言っても、これだけ良質(海での玉髄にしては)なのは珍しく、加工意欲が湧いてきました。
乳白色が美しく、擦りガラスとは違った天然の美しさが宿っています。(ミルキークォーツと言えるかと思います)
見た感じ致命的なヒビも無さそうなので、可能な限り多く作る為に最小限の切断を心がけました。




まずは10mmの正方形を切り出します。
ここでのズレが、後の単純作業の労力に関わってきますので、なるべく正方形に近づけます。
その後に、表裏に対角線を引き中心を出して穿孔をします。
右上のはヒビが深く入っていて、黒く汚れた部分に穴あけをする為に、丸玉に近づけながら穿孔をして行こうと思い作業を進めました。(この時点までは…)




平面板で正方形の角を落とし、サイコロのような形にします。
ここでも浅く削れば後の労力に影響し、だからって深く削ると球にならず歪な玉になります。
失敗するよりは労力が増す方がましなので、慎重に削る事をお勧めします。




ここからは単純作業、回転している筒に当てながら球になるまで削り続けます。
必ず面の中央部分が残っていきますので、丸玉に近づいたら赤のマジックで平らに残っている中央に印を付けて作業した方が見やすくなります。
この6面にある赤色の部分が消えるまで削る必用があり、見えなくなった時が丸玉として完成した目安だと言えます。

今回は10mm用の筒を使っているので、9.9〜9.8mm位の丸玉が仕上がります。
玉髄は翡翠と違い粉があまり出ず、わりと削りやすいので労力的にも助かりました。
しかし研磨していくにつれ小さな空洞が出てきたりするので、完全に無傷な玉は1個しか作れませんでしたね…。(左上の丸玉)




当初の予定のヒビがある部分の穴あけも、別の所から空洞が出てきて、それが無くなるまで削ろうとした結果、玉自体が小さくなってしまいました…。
そして更に小さくしなくては空洞が消えない為、ヒビ部分と空洞部分を繋げて革紐を通せる仕様に変更しました。




ブレス用に2個、ペンダント用に1個という感じになったので結果的に満足しています(笑)
同じ作業なのだから翡翠を加工すれば良いのに…、と思う方もいるかでしょうが、そもそも創作には損得感情が希薄で「面白そうだから」と言う好奇心が原動力となるんですよね…。

せっかく出会った玉髄なので、どうしてもカタチにしたい衝動に駆られました。
転石自体での姿が、あまり綺麗ではなかったのも理由の一つだと感じています。

販売したって大した金額になる訳でもありませんが、好きな人には解ってもらえるかと思っています。
いろいろと組み合わせて、身に付けられる作品にしたいと思います。(これから更に磨きをかけて、艶やかに仕上げたいと思います)
2014年07月15日
競争とは何なのか、闘争とは何なのかを考えてみました。

まずは古代からの成り立ちで考えてみます。
縄文時代より石器と言う道具を集団で作りまくる事が可能だったのは、その石器が道具であり、道具が人類の生活に必用であり、消耗品として交易が成り立っていたからだと考えます。
言い方を変えると「石器を作ると言う成長を、他者(他地域)から奪っていたので成り立っていた」と言えるのだと思います。

でも現在は逆で、他者(他国)に作らせて、自身(自国)の成長を売り払っている状態が続いています。
現代は「成長を奪われている」と言う認識は無く、その成長を「放棄した事」の認識も無い…。
一切、奪われる事のない人間(万能な人)は皆無であると確信し、割り切って「皆でシェアする」という考えに変えていったようにも思えます。(それと同時に人間を道具とする事に行き着いた)

どうしても「奪われている」と認識してしまうと、焦り、落ち着かず、他者よりも自分が先に…、と考えてしまい、争いが絶えない社会になるのでしょう。

でも全ての領域を成長させていく事などは、人間の寿命を今の10倍位にならないと不可能であり、より自分が得意とする分野を成長させ「奪われている成長で得られる利益よりも多く稼ぐ事」を、優先しているのだと感じます。
だから分担という考えになり、その分野の成長は捨てて、別の分野の成長を特化させる選択をしているのではないでしょうか。

これが裏と表の見方で、表だけを見て生きていると、奪われ続ける事になるのかも…。(気付かずに)
何であれ本質的に、生きる事とは闘争であり、商売というのは競争であるので、人から奪わない限り自身が潤う事はないのでしょうね…。
それが人類のシステムであり、生命体の生存戦略なのだと思います。

「奪う事」と「奪われる事」のバランスが良ければ、ある程度の安定が保たれるのですが、生命は本能的に奪う事を優先させる為、そこに格差が必ず生じます。
この格差を無くすには「奪われている者が奪い返す」か「奪う者が自主制限をするか」の、どちらかなのだと感じます。

ず〜っと、この繰り返しなのかな…。
きっと表の領域である「いかに共有し合えるか」が、カギになるのでしょう。
人と共有し合う事、これは綺麗事では無く、人類の滅亡回避の考え方のような気もします。(過剰な共有は毒となるけど)
何故ならば裏の領域が強く出れば、略奪を目的とする戦争にしかなりえませんから…。

闘争という規模で抑え、競争という規模で抑えておかなくては、この因果に飲み込まれてしまうのだと思います。

私たち人類は知らず知らずの内に、こんな複雑な生き方をしているんですね。
お互いが敵対しながらも協力し合う、この矛盾、どう理解すれば良いのだろうか?

それとこの領域が、これからどんな変化(進化)をしていくのか、とても興味深いです。(他人事ではないのですけどね(笑))


ちなみに、糸魚川の地で縄文時代から石器を作っていた人達の流れを受け継ぐのは、三条市などで活躍されている「一流の金物職人の方々」にるかと思います。
大元は同じ領域でも、翡翠の加工は別の分野を目指した為、違った進化をしました。
翡翠は、道具ではない領域が多い事から発展が遅く、よって際立った変化も見られないのが現状だと感じています。

しかし「じっくりと大切に繋げられた」とも考える事ができ、発展の可能性は未知数かと考えます。(熟成されて来た感じです)
これをどう繋いで行くかが肝心であり、この領域での伝統とは「祈りを具現化する事」なのだと感じます。(文化の継承では、職人のような厳密な技術の継承も、一定のレベルで必用かと)

似て非なるもの、その本質を理解しながら進める必用があるのだと感じています。(どうにも理解できないのは、親の財産を当てにして生きているのに、古代人の遺産は活用できていない事…、何故なのだろうか?)
2014年07月08日
今日、高田河川国道事務所の委嘱による、河川愛護モニターになりました。

きっかけは知り合いの勧めによるものですが、受けた大きな理由としては「翡翠を活用している者としての保護の一環」だと感じた事です。(最近、お金に成らない事ばっかやっている気がする…(笑))

それと先日、姫川で見た現実が切欠にもなっています。





現在でも岩石の破壊は行われている証ですね…。
これを見て解る事は、この破壊行為は「素人の仕業」だと言う事です。
何故ならば、使っている工具があまりにも小規模であり、最終的に中途半端に諦めています。
何よりも、これは翡翠では無くロディン岩であり、その違いも見分けられない者の仕業と考えるのが妥当でしょう。

よく翡翠らしき鉱物(持てる位の)が、片っ端から割られているのを見ますが、玄人なら割らなくたって解るし、割ったって中から良い翡翠が出てくる事は無いです(笑)
必ず外側に「兆し」があり、その有無で良質かを判断するのが定石です。

この行為は小規模ですが「新規の盗掘の前兆」であり、かつてそれを生業としていた者達が高齢となった事で、正常に成りつつある環境を振り出しに戻す危険性があります。(蟻の一穴ですね)

問題なのは山奥ならばともかく、国道から見える場所で行われている事です。(山奥も問題ですけど…)
何の対策がなければ、やって良いものだと錯覚し、更に行為はエスカレートし、同じ穴のムジナ達が大勢押し寄せる事でしょう。
これは法律(河川法)とかの問題では無く、人間性(モラルや民度)の問題なのだと考えます。
姫川の管理が出来ていない事が問題であり、よってこの現実を多くの者達が認識する必用があります。
奴奈川の底なる玉なので、誰もが求める権利はあるのですが、その方法は制限されなくてはなりません。

この事は最終的には、糸魚川の人達の意識を高める事にも繋がり、大昔から姫川は「地域の暮らしに密接に関わってきた大切な川だ」と再認識する切欠になると考えます。
そういう意味でも、まずは現状を国に知ってもらい、県に知ってもらい、市に知ってもらう必用があります。
この事で何かが変わるとは思っていませんが、これで「知らなかった・聞いていなかった」と言う現実は無くなります。
そういった現実を報告した事実が大切で、それに対応するのかは国・県・市が判断すれば良いかと思います。
これにより、現実を見る一つの判断基準ができるかと思っています。(要は荒唐無稽な戯れ言に対抗できるのは、信念で積み上げた現実だけって事ですね)

この事で糸魚川が翡翠を前面に押し出してアピールできない理由の一つである現実の、一定の浄化作用が期待できると考えます。
もう一つの理由である産地偽装は、未だそれをした者達が関わっている為、まだまだ先になるでしょう。
しっかし、その世代での罪なのだから、その世代で裁けないのだろうか?(現在の40代〜80代以上で)
自分達のケツくらいは、自分達で拭いてほしいのですが…。

それが出来なければ、目先を変えた翡翠ネイルとかをアピールするしか方法が無いのが現状です。(面白いけど、分野的に末端の利用法となります)
この領域も、どこの翡翠の粉なのかは明確にしていませんが、この客層には産地に拘る人もいないのでしょう。(粉末にしている分、科学分析はし易いのですが…)

いつしか糸魚川が糸魚川翡翠を、胸を張ってアピールできる日が来るのを楽しみにしています。



さて、個人的な理由はこれで終わりにして、その他の活動内容を書きます(笑)
河川愛護モニターの活動は、姫川の魅力や状態(ゴミや堤防の異常)、地元のイベント情報等の報告も求められています。

姫川はゴミの多さが目に付きますので、それらの抑止も考えたいと思います。
多くは上流からの漂流物なのでしょうが、橋の下などには新しいゴミが固まっている場合が多いので、そういったポイントを注意しながら調査する必用があるかと思います。

あとは姫川の水質の良さや、動植物などの情報なども伝えられたら良いかと考えています。
とにかく、糸魚川の人達と姫川との関わりを報告する事が大前提であり、昔から繋がる文化を体現している人たちを捜してみたいと思います。
悪い部分だけでは無く、良い部分を多く見て、姫川の良さを前面に出して報告できればと思っています。

せっかく糸魚川へ移り住んだので、姫川から始まった(始まる)文化を伝えていけたらと思います。
2014年07月07日
最近、良質の桃簾石が入手できた事で、以前から思っていた事を真面目に考えてみました。
それは「イザナギと白桃には繋がりがある」って事から始まっていて、珠玉の伊邪那岐シリーズを桃簾石で制作しても良いのでは?、と言う考えです。(勾玉(レプリカ)は、既に桃簾石で作られていますが…)

イザナギは黄泉から逃げる際にヨモツシコメ(黄泉醜女)に追われ、白桃を投げつけて逃げおおせたと言う神話が残っています。(ちょと格好悪い話ですが)
ヒスイではないですが、日本神話に全く関わりが無いわけではなく、しかも今回の桃簾石は上品な桃色で「白桃」として見る事が可能かと考えています。

これは面白いのではないだろうか…?、神玉シリーズではないので「糸魚川ヒスイ限定の制限」もありません。(自分で創った制限なんですけどね(笑))

挑戦する価値はありそうです、伊邪那岐シリーズですから大きなサイズの作品になるかと思います。
たま、神話では白桃3個を投げたと言われていますので、3パターンのデザインが在っても良いのかも。(一桃(一投)、二桃(二投)、三桃(三投)みたいな(笑))
それとも自由な形の方が良いかなぁ〜、とか考えています。

まぁ、恒例のように形にするのに時間がかかるので(マイペースなので)、あまり期待しないで待っていて下さい(笑)
そう言えば伊邪那美の八雷神も形にしていない…、こっちの方が先かなぁ…。(デザイン案は出来てますが…)

やるべき事が無いよりは良いので、少しずつ形にして行けたら良いかと考えています。



全然関係ない話ですが、庭に新たな生命が宿りました!(子供のカマキリです)
現段階では体も小さく本来の強さがありませんが、成長するにしたがって美しいまでの強さを備えていきます。


自然と生命が完成させる美、この強さを感じられるならば、不毛な戦争は無くなるのではないでしょうか…。

更に、色とりどりのヒスイを並べて紫陽花を作ってみました(笑)


前回のカケラより小さいサイズで、値段もお手頃です。(と言っても4,000円〜7,000円はしますが…)
ストラップにもペンダントにも、対応可能なヒスイのカケラたちです!

こんなに色があるなんて本当にヒスイは不思議な石です。
なんかヒスイで全ての自然風景を表現できるようにも思えてきますね(笑)
2014年07月02日
素戔鳴の新作「万武不倒」が仕上がりましたので、紹介します。

月読の「月影」と同じ黒ヒスイを加工し誕生しました。
本来は万夫不倒で、武は武御雷の領域なのですが、魂に刀剣(武御雷)を宿した素戔鳴をイメージして制作した作品です。
更に情熱(火之迦具土)を魂に宿す事で、天下無双をテーマにした作品にしたいと考えています。(ちなみに国士無双は八千矛が相応しいかと考えています)



黒と白が揺らめきながら交わる景色は魅力的で、光と闇の融合を表しているかのようです。
どのような武力にも屈する事のない「力そのもの」を、テーマにして制作しました。
傍若無人に近いテーマですが、純粋さの白を基準としている作品とは違い、武力の象徴である黒を基準としているので、より攻撃的ではあります。
しかし、強い信念の元に行動するので、純粋さのデメリットである「気まぐれな無邪気さ」はありません。
命を脅かされるその瞬間、守護神としての本領を発揮し「身を守る為の加護」を秘めている作品です。




暴れん坊の神で有名な素戔鳴ですが、志をもって行動すれば英雄となります。
力の使い道を考え、何を守りたいのかを見出す事ができれば、これほど心強い神はいませんね!


この神を味方に付けられるかは、自身の生き方にかかっているのでしょうね。
純粋である事が大前提、しかし無知であっては許されない。(馬鹿は罪だから)
なかなか難しい条件ですね…、きっと天照と月読の協力も必用なのでしょう。

天運が天照ならば、武運は素戔鳴になるのかもしれません。(武御雷は武神であり刀剣の神)
では月読は…、星運?成運?時運?学運?、何であれ身近なバランス(節制)に関わる運を司っているのでしょうね。

三貴子とは、それぞれの役割でお互いを支えているのだと感じます。
2014年06月27日
こちら糸魚川は、去年より雨も少なく割と天気が良い日が続いています。

曇ったり晴れたりを繰り返す日々が多いですが、この日は良く晴れたので美山へ行って来ました。
私の家からは、そんなに距離はなく(だからって近くもないけど)、普段は人が少ないので穴場と言える場所です。
あまりにも人がおらず自分の庭のような錯覚を楽しめるので、とても気に入っている公園です(笑)

今の時期は紫陽花が咲き乱れており、これだけ多く咲いていると気分も明るくなります。





列になって青い紫陽花が咲いています。
しかも、とても長〜く続いているんです、この紫陽花たち。
古墳のように盛り上がった場所を登り撮影をしたのですが、全部は入りませんでした(笑)


チョウチクトウと思われる花も咲いていたので、撮影しました。
雪により折れてしまっている枝もあり、少し寂しげではありましたが、それぞれに咲き誇っていて綺麗でした。




咲き始めの紫陽花も淡く美しいので、撮影しました。
これらが満開になったら、更に紫陽花ロードは長くなりますね(笑)





ちょっと戻ると市民の庭と彫られた石と、天に拳を突き上げている石像があります。
黄色の花が絨毯となり、とても華やかでした。(石像はラオウを思い出しました(笑))




貯水場の屋上は展望台となっていて、そこからの眺めは素晴らしいです。
しかし、海側の景色は電線などがあったりして、今ひとつです。(海は見えますが、この日は水平線が、ぼやけていたので撮影していません)
電線はどうにもなりせんが、ぼやけていない日なら海が綺麗に見えると思います。
ちなみにマレットゴルフをしている人達も、ここから見えます(笑)


かなり高いので、久しぶりに胸がゾクッとしました。
本能的に高所には恐怖するんだなぁ〜、と改めて思いました(笑)


この公園から細い道を下って行くと、ひっそりとした神社があります。
水前神社と言って水崎地域にあり、読み方も「みずさき神社」と読むのだそうです。
古い石の鳥居が入口にあって、私達を迎えてくれます。




鳥居の左側には池とも沼とも見える場所があり、鯉が泳いでいます。
何か別の、主のような存在もいそうで、怖くもあり神秘的でもあります。




こちらが水前神社、手前にある手水舎で手と口を清めて進みます。(柄杓にカタツムリが付いてました(笑))
戸は閉まっていて中を見ることが出来ませんでしたが、開くことはあるのだろうか…?(お祀りの時などに開くのかな?)




神社の左側へ進むと祠があり、これが「原初の姿」なのかなと思いました。
そして、やはり私は石で作られた存在が好きなんだと、同時に気づかされました。




その近くには美山稲荷神社があり、赤い鳥居が幾つも並んでいます。
この鳥居が金属でなかったら良かったのに…、もっと雰囲気を大切にして欲しいです。
でも管理は大変だし仕方ないのでしょうね、せめて風合いのある表面仕上げにすれば金属でも問題がない気がしますが…。(個人的に)




この日は紫陽花と神様の領域を堪能して、美山の散策を終えました。
糸魚川には神社が多く、あまり知られていなかったりします。(場所が場所だけに)
情報がネットなどに載っていても、あまり詳しくは書かれていません。

まぁ、自分の足で訪れるから意味があるわけで、情報過多も問題なのかもしれません。
でも知らずにいたら(その人にとって)無いのと同じ…、知ってもらい、行きたいなと思わせる魅せ方は必用なのかもせれませんね。(個人的に水前神社のお祀りを見てみたいです)

糸魚川には美しい場所がたくさん在りますので、少しずつ紹介して行きたいと思います。
2014年06月22日
月読の新作「月影」が仕上がりましたので、紹介します。

漆黒に揺らめく黒地と、そこを流れる白との紋様が美しい黒ヒスイで制作しました。
石墨による黒色は、ただひたすらに黒く、一切の光を透さない影ように見えます。
しかし、元は透明度の高い白ヒスイなので、白色の部分は光を若干透します。
撮影時に背景を月面に見立て、闇夜にも影を残す月影のイメージを表現してみました。



黒ヒスイは全般的に艶を出しやすく、とても綺麗な光沢が出ます。(黒色なので、より光を反射する)
当然ながら、黒が濃くなるにつれ透明度が下がり、薄くなるにつれ透明度は高まります。
やけに白い模様が入る黒ヒスイがあり、そういった部分は白ヒスイとは異なるようです。(重土長石らしい)




ヒスイのイメージには無い色彩ですが、黒に勝るの色はデリケートな白だけという面白い基準が存在します。
純粋なものには弱く、色に染めようとするものには強い、まさに武の象徴色と言えるかと思います。
同じ黒ヒスイでスサノオ・アマテラスも制作予定なので、完成したら同じ黒ヒスイの三貴子が揃います!(半透明の白ヒスイで制作する、ツキヨミ「月光」の二作目も仕上げに入っています)


私は、黒ヒスイの魅力は紋様にあると考えています。
全体が真っ黒の黒ヒスイもあるのですが、加工するとオニキスなのか黒曜石なのかが見分けづらい品になります。
希少性で言えば一色タイプの方が貴重ですが、作品(テーマ)としては面白くない…。
これが紫や青のヒスイならば問題ないのですが、特に黒や緑の一色は景色として面白くないです。(個人的感想)

作品としての魅力を求めると、需要とは反比例していく事は多々あるので仕方ないですね(笑)
一色であれ紋様であれ、黒色であるだけで人気はなく、誰かの手に渡る確立も低くなります。
多分、私の手元に残っていく作品は、黒や白と言った「鮮やかではない色」のものだけだと思います。(玄人好みの作品のみが残るかと)

でもそう言った作品が、時という付加価値を得て、将来的に高みに上がって行くかと思うと嬉しくなります。
私と在った時が長いほど付加価値が高まり、最終的に「色彩によるスタートラインの差」を無効化するだけの存在力…、そこまで高まれば大成功ですね!

ちなみに、私が販売した作品の値を表示しないのは「所有者によって値が高まって行くから」です。(あと値段を顕示したって意味無いし…)
私が作品として完成させた領域は三分の一の領域であり、もう三分の一の領域は所有者が育てて生きます。(残り三分の一の領域は地球により既に完成されている)
この三位一体により、私の作品は成長していくわけです!

芸術とは未完成のものと言いますが、それは当然で芸術家のみでは完成させられず、更に地球が存在する以上は常に高まって行くので頂上がありません。(人類が全滅しない限りは高まる)
要するに芸術とは「完成への道を、常に人と共に歩んでいる」って事ですね。

そうと解れば目指す未来へ向けて、頑張って活動して行くしかないでしょう!(地球が順調に国生み(新しい大地の誕生)を進めているので、私も自身の神生み(創作)を進める為に努力して行きます)
2014年06月19日
天気が良かったので、海へヒスイの標石(転石)を拾いに行きました。

前日まで風が強く荒れていたので、ちょっと期待して探しました(笑)
でも期待とは裏腹に、この日の海は砂が多く上がり、非常に探しにくい状況でした。
ヒスイは無理でも、綺麗な石くらいは探そうと歩いていたところ、白いヒスイと出会えました!




パッと見は汚れが付着している良質の白ヒスイ、よく練られた質感で絹のような肌触りです。(乳白色系でスベスベな肌です)
この日は、この一つだけしか拾えず、ここに翠や紫が入っていればと残念に思いながら帰りました。
家に帰ってよく観察してみると、この汚れ…、どうも普段の汚れとは違います。
付着と言うよりは、練られた白ヒスイに浸透していて、更に黄色が強く出ています。
黄色の濃い部分は同化していて、一色タイプに近いヒスイになっています。

もしやこれは…、とても珍しい黄ヒスイなのでは!
昔に一度、よく加工所に来てくれたお爺さんが、黄ヒスイを見せてくれた事がありました。
そのお爺さんが拾ったようで、その時は既に加工されていましたが(お爺さんが加工したようです)、ヒスイの質感は今回と同じ様に練られていました。
お爺さんが持っていた方が少し色が濃かったですが、発色事態は今回のと同じです。(記憶が正しければ)
在りそうで無いヒスイ、今までのサンプルの中にも同タイプは存在しておらず、これが初めてのサンプルとなりました。

試しに光を当てると、非常に綺麗な黄色に透けました!(元々が透明度の高いヒスイ)
やはり先端の濃い部分の方が、より黄色の光を放ちます。



これは鉄分の酸化により発色するとされる、黄色のヒスイで間違いないかと思います。
茶色っぽい付着物が付いたヒスイ(転石)は良く見るのですが、この色は明るい黄色で、何よりも練られたヒスイの表面には付着物が付きません。
他の色と同じようにピンポイントに濃い色があり、そこから染みわたるように色が広がっています。
黄色が若干、薄くはありますが、糸魚川で黄色のヒスイが拾える事を自分の体験で確認できました!
もう糸魚川に無い色のヒスイは、赤ヒスイだけなのかもしれません。(誰か拾ってそうだけどね)

非常に貴重なサンプルと出会えて嬉しい限り、こういった出会いがあるのも糸魚川の魅力と言えるかと思います。
次回は、一色タイプの黄ヒスイと、赤ヒスイを目指して探索したいと思います。
2014年06月17日
現代人が心を病む一番の原因は、人間が「道化」であるからだと感じています。
私は「道具と化した者たち」を道化と分類しています。
現代の殆どの人達が道具となり、消費されて捨てられる、そんな社会に生きている気がします。(自分も含め)

なんでこんな社会に成ったのだろうか?
こんな領域に「人としての尊厳」は宿っているのだろうか?

そもそもに人間とは、道具としてしか生きられなくなっているのだろうか?
それとも根元的に人間は「道化」だったのだろうか?

この道化の領域では魂は正常ではいられず、魂の器なしでは成長はおろか、保つ事さえ困難なようです。
特に芸能界は魂の消費が激しく、長くその領域にいると魂は劣化して行きます。
薬物に手を出すのも、それが原因とも言えるのではないでしょうか…。
なので芸能人が「お守りという存在」を、こぞって所有したがる理由も頷けます。(ヒスイに限らず)

もし人間が道具の領域から出る事ができず、一生使い続けられる存在だとするのなら、その使用頻度を大幅に抑え、大切に扱われる存在になるしかないのかもしれません。
古来より、大切に使われた道具には「神」が宿ると言われています。
付喪神と言う概念が人間にまで及んでいるとしたら、これを目指すしかない気もしますね…。(他者が道具として扱うのならば、せめて自身だけは己を大切に生きなければならない)

人としての生き方は、目的は違えど結果的に「道化からの脱却」を果たそうとしているようにも見えます。
その為に努力して、自分自身の存在理由を確立し、誕生理由を確信したいのだと感じます。(その手法として、人間を道具としている現実もあるのかもしれませんが)

全員が道化から脱却したとしたら、現在のシステムは回らないのでしょうね…。
だとすれば、これは気づいた者勝ちと言う事なのだろうか?

自身の見せ方が解らず、売り方も解らず、そもそもに何者なのかすら解らない。
こういった者達は、これから先も道具として消費され続け、廃棄されて行くのかもしれません。

私はこれから先、信仰(宗教じゃなく)が重要になると思っています。
自分一人で仰ぎ信じる事の大切さ、それを持たない者達の結末は「道具として生き、道具として死んでいく」って事なのだと感じています。

それぞれの信仰、これが大切で将来的に必要不可欠となっていくでしょう。(それぞれの信仰=八百万(それだけ多く)の信仰と見る事もできるかと)


ちなみに「徒党を組む事でしか何も成せない者達」が「満足に徒党も組めない」なんて、意味不明ですよね(笑)
2014年06月14日
色とりどりのカケラで、ストラップを制作したので紹介します。

青ヒスイのカケラ「青海」での作品です。
全体が青色に染まっていて、青い海を想わせてくれるヒスイのカケラです。
青色としては珍しく透明度が高い方で、海中から空を見上げた景色のように輝きます。
紺色では無く、純粋に青色と言えるタイプの青ヒスイで制作しました。





緑翠ヒスイのカケラ「万葉」での作品です。
白地に翠と緑が入り交じっていて、初夏の木々を想わせてくれるヒスイのカケラです。
透明度も高く、光に透かすと生命色で染まった輝きが、全体を包み込みます。
糸魚川ヒスイのイメージを代表するヒスイで、悠久の時を感じさせてくれます。







紫ヒスイのカケラ「開花」での作品です。
こちらは特に紫色が濃く、透明度も高い貴重な紫ヒスイのカケラで制作しました。
このハイレベルの発色は、満開に咲き誇った紫陽花を想わせてくれます。
一色タイプで、更に透明度が高い紫ヒスイは珍しく、その姿に気品を感じます。





同じ母石での作品ですが、紫色の薄い部分で制作しています。
色が淡くなった分、透明度が増し、開花し始めの風景を映しているかのようです。
少し桃色がかった紫色をしていて、これから花開く期待感を感じさせてくれます。





こちは別のタイプの、紫ヒスイのカケラで制作しました。
白地が美しいのが特徴で、それにより紫色がとても映えます。
透明度は高くありませんが、白と紫とで表現された模様が面白い紫ヒスイです。
灰色に見える紫ヒスイが多い中、この白はとても魅力的です。





こちらも別のタイプの、紫ヒスイのカケラで制作しました。
このタイプは緑色が一緒に入る事が多く、紫と緑の両方を楽しめます。
透明度は高くありませんが、表面では若干の光の透過を見せます。
白の部分は色が混ざり合い、濁って見えてしまう事もありますが、その中でも綺麗な紫ヒスイで制作してあります。




どの紫ヒスイのカケラも、開花を想わせてくれる作品に仕上がりました!


家の近くの紫陽花は、これからが本番のようです。
この姿も美しく、花(植物)は未来への希望を与えてくれる存在なのだと感じます。



きっと古代人も、同じ喜びを感じていたんだろうなぁ〜、と思っています。(日本原産らしく、古代にも紫陽花の種類はあったようです)
2014年06月12日
美しい紫ヒスイで作品を制作しましたので紹介します。

濃い紫色に染まったヒスイで、勾玉の首飾りを制作しました。(古代っぽく)
この季節に合わせて紫陽花の葉に乗せて撮影してみました。
浜辺に咲くヒルガオにも見えて、憂鬱な梅雨の時期でも心を楽しませてくれます。
頭部には緑色も入っていて、咲き誇る「花」を感じさせてくれます。




樹齢1000年を超える屋久杉の丸玉ウッドビーズ3個を合わせて、普段使いに適しているスエードで首飾りにしています。(四角いウッドビーズ2個は通常のウッドビーズです)

加工したのは小滝(昔)の紫ヒスイで、今では濃い紫のヒスイは数が少なく入手が困難です。
昔は沢山あったのかな〜、と考えると羨ましいですね…。
でもきっと「今よりは多少あった」というレベルで、大量にはなかったのでしょうね…。
何せ「奴奈川の底なる玉」なんですから!


糸魚川ヒスイの紫色は、光源によって濃く見えたり明るく見えたりします。
どうも強い光(白色の光)により影が薄れると明るい紫色に見えて、逆に弱い光により影が強まると濃い紫色に見えるようです。(小滝系の紫ヒスイは特に違いが分かりやすいです)
透明度は低いですが、それでも表面のヒスイ輝石が僅かに光を透す事で、紫色が変化するのだと思います。
この事で、少し濁っている白地も光を受けて、そのちょっとの濁りが見えなくなったりします。(ちょっと「強い光でシワを飛ばず女性の撮影法」に似ているようにも思えます(笑))
白地に淡い紫色が混ざって濁る事も多いので、灰色なのか紫色なのかの判別が難しい場合もあります。

ちなみに紫ヒスイは黄色の光源の下だと、より濁って見えます。(ちょっとでも濁って見えます)
よって朝焼けや夕焼けの光で見た場合には、紫ヒスイは鮮やかさを失います。
そして、夜の白色光源で見ると鮮やかさが増します。(っていうかそれが本来の色)
自然光は季節ごとに色合いが違っていますので、本来の紫ヒスイの発色を見たい場合は夜に限るかと思います。
そう考えると紫ヒスイは、色彩で例えると「ヒルガオ」ですが、咲き誇る美しい姿は「ヨルガオ」と例えられるかもしれませんね。(この時期は、暗い梅雨に咲く紫陽花に例えていますけど(笑))

色彩により朝も夜も楽しめるなんて、流石は神の石ですね!
2014年06月07日
丸玉やカケラで、幾つか作品を制作しましたので紹介します。

開花をテーマにした紫ヒスイの丸玉に、シルバーパーツを合わせてペンダントを制作しました。
全体的にシンプルなデザインですが、シルバーパーツには細かな柄があり、それが丸玉を引き立てています。
これから咲く蕾のような紫色は、淡くはあっても弱くはありません。
光源によって濃く見えたり、薄く見えたりするので、日中と夜とでは違った表情を見せてくれます。(生きているかのようです)






彩雲のカケラで、ストラップ兼キーホルダーを制作しました。
雲の流れのような紋様が美しく、透明度も高く全体的にうっすらと翠に染まっています。
良質なので光沢も十分に出て、涼しげな印象を与える作品に仕上がりました。
メタルパーツ・シルバーパーツ・ウッドビーズ・革紐を使い、全体的にワイルドな感じを意識して制作しました。






芽吹のカケラで、ストラップ兼キーホルダーを制作しました。
純白と言っても良いほどの白地により、フワッと浮かぶ翠をより際立たせています。
雪解けの芽吹きを、そのまま映したような作品に仕上がったかと思います。
こちらもメタルパーツ・シルバーパーツ・ウッドビーズ・革紐を使い、全体的にワイルドな感じを意識して制作しました。






こちらは加工用に切断したところ、座りが良くなったので飾り石としました。(文鎮サイズ)
渓谷のような肌と形、鉄分によるサビが「夕日で染まる岩肌」を感じさせてくれます。
特徴であるゴツゴツした肌が魅力的で、所々に入る緑が自然風景を強調しています。
丁度あった台座にもピッタリと合い、なにか運命的なものを感じました(笑)



こっちは残り半分で、明星山に見えたので飾り石にしました。
こちら側は青海から見た明星山、そんな感じに私には見えています(笑)
粗めの角閃石が良い感じを出していて、岩肌に生える木々を想わせます。


こちら側は小滝から見た明星山、ロッククライミングしている岩肌にそっくりです(笑)
とても魅力的な姿、台座にも合って良い感じです!
海の転石とは違った魅力、力強い肌が「自然そのものの美」を感じさせてくれます。
加工するのは、いつでも可能なので、今はこの姿を楽しみたいと思います。




開花・青海・万葉・芽吹、色とりどりのカケラを、ストラップに加工しました!
発色の良いカケラを研磨し、メタルパーツ・シルバーパーツ・ウッドビーズ・革紐を使って仕上げました。
海でヒスイと出会えなくても、ガッカリせずに糸魚川へ遊びに来た記念と、お守りとしてお買い上げ下さい。(このレベルは、まず出会えないヒスイたちです)



これから海水浴の季節になります、糸魚川の海は綺麗なので是非遊びに来て下さい!
もし天運があれば(凄く運が良ければ)、ヒスイと出会えるかもしれません。(浪漫があります!)
2014年06月04日
海で出会う標石(良質の海岸転石)と、人が制作する作品とでは見方の基準が異なります。
簡単な違いは、標石は「自然のみの仕上げ」であり、作品は「人が仕上げた存在」と言う事です。
ここに「私の基準での話」を書きたいと思います。

■標石の基準
標石とは、渓谷で自然により砕かれたヒルコ神(ヒスイ)が川へ流され海へ出て、日本海の波により未完成から完成体となった存在だと言えます。
なので人が手を入れる事は一切必用なく、誰が見ても美しい姿をしている標石は大切にされます。(そのままの美、そのものの美)
この領域では加工技術の有無は関係なく、出会いによる「運のみ」が必用となります。
出会えるかは、その者の天運にあって、一見スタートラインは同じに思えますが「偶然のようで必然」といった「ヒスイとの縁」を持った者にしか出会えません。
ただ、ヒスイとの縁を持っている者であってもモラルの無い者は存在していて、せっかくの天運を曇らせている「残念な人達」がいます…。

■作品の基準
作品とは自然により川へ流れ出たヒルコ神(ヒスイ)と人が出会い、人の手で完成体とした存在です。
そこに己の信仰心を映し、自然への感謝を込め、表現したい祈りを宿した存在を言います。
この領域では加工技術と表現力(感性)が必用とされ、一般的には理解されない作品も多々存在します。
生まれ持った才能による領域である為、個々人の能力差は顕著に出ますが、己自身のみの作品は誰にでも創る事は可能です。
ここでは作品領域と商品領域が在り、商品領域へ行けば魅力は分かりやすくなりますが、傾き過ぎると信仰は腐敗し、せっかくのヒスイとの縁も「唯の腐れ縁」となってしまいます。
その傾向は主に作る事をせず、売るだけの人達に多く見られるようで、生き永らえる為の「滑り止め」と言ったものに成り下がります…。


後は標石とは言えない転石や、加工する必用のない(或いは最小限の)川石も存在します。(最初の基準とは逆になります)

自然のみで仕上げられてはいても、誰もが美しいと認められない転石は加工する場合があります。
自然によって完成体と成らなかった転石を、人の手で完成体とすると思えば良いのかもしれません。(自然によって完成体と成らないのは人間だけなんですけどね(笑))

川石でも飾り石として美しいものは存在していて、ちょっと切断したら座りが良くなり自然風景(山岳などの)に見える川石も希にあります。
加工を躊躇させる程の存在感、そういったヒスイに出会える事も楽しみの一つだと思います。

結局は人の目で見る基準を大元としているので、より人にとって美しい姿を求めるわけです。
でも、この領域にも確かに存在する感性、魅力を見出すだけの審美眼は必用とされます。

確実に言える違いは、自然のみで完成体と成った存在は「人が制作した作品よりも出会う確率が低く、運のみが頼り」って事で、人の手で完成体と成った存在は「外見の美しさだけでなく、作者・誕生理由・存在理由が不可欠」って事です。
なので金額の基準も違い、この両方を比較する事は不可能だと言えます。

例えば標石で作品を作ったとしても、標石の価値+作品の価値にはなりません。
この場合は、標石の価値はゼロになり、ヒスイ素材としての価値+作品の価値となるわけです。
もちろん「標石で制作した事」の付加価値は残りますので、より作品力は増す事にはなるでしょう。
しかし「自然が完成体にした標石を崩した」と言う現実も残り、作者の信仰を曇らせる原因にもなります。

恐らく標石で加工をする心境とは「初心からの好奇心で手を出してしまう」って事と、「金銭的(拾えば仕入が無料を含む)な理由から加工する」の二つなのだと私は考えています。
過剰に手を加えるのは「地球より人が優れている」って考えが根底にあるからではないだろうか…?
現時点の標石よりも美しく仕上げる自信がある、そんな考えが元になっている気がします。(純粋な初心により、更に美を引き出したいと挑戦する姿勢も理解はできる)
他者に伝えるには分かりやすい基準が必用不可欠ですが、それが過剰になると原点を忘れてしまいます。(なかなか難しいですね…)

地球が完成体にした存在を、そのまま受け入れる事ができなければ、人が過剰に手を加えて増長し、長じて自然を破壊する側となってしまうように思えます。(私も気を付けなくては…)
とにかく過剰な自己顕示欲、これを制限できなければ自然とは共生できないのかもしれませんね…。(自己表現と紙一重なんだろうし…)

ちなみに私が体験した縄文遺跡の発掘でも、標石は一切加工されることなく、そのまま出土していました。(現在の基準では無いので、私が標石としている中のレア度4〜5以上は未加工のまま出てきました)
縄文人は分けていたのではないだろうか?、「自然によるお守り」と「人によるお守り」を…。
その後の時代で権威を示す為に、標石を利用して勾玉などが作られたようにも思えます。(まぁ実際には、そうであった人と、そうでなかった人がいたのでしょうけどね)

結局、どの段階を「地球による完成体」とするかで、話は変わってきますので難しいのは当然なんですよね(笑)
私にとっての標石が、他者にとっては転石にしか見えなかったら、そのヒスイは手を加えられる事でしょう。
未完成として分けている時点で、自然を下に見ている事に繋がるのだろうか?、でもそれでは何も表現できなくなりますね…。(ヒスイに意志を刻む事ができなくなる=地球とのコラボができなくなる…)
人間は矛盾した生き物なので、そのバランスをとるのは非常に困難です。
恐らくこれから先も、この基準が明確になり全国共通と成る事はないでしょう。

それでも私自身の基準は、可能な限り構築して行きたいと思っています。

とにかく「生まれ(誕生)は地球によるもの」なので悪くは無く、「育ち(品となる制作過程)の善し悪しが、とても重要になる」って事を、忘れなければ道から外れる事もないと思っています。
そして育ちは「教育(再生)により矯正が可能」という事も、憶えておく必用があります。
2014年06月01日
開花シリーズのブレスレットを制作したので、紹介します。

紫ヒスイと水晶のビーズを合わせてブレスを作りました。
紫ヒスイだけを使用すると高額となり、ちょっと重々しい感じにもなりますので、スッキリとした無色透明の水晶ビーズと組んで開花を表現しています。
梅雨時期に咲く紫陽花のように、優しい色合いが魅力的だと思います。(水晶は水滴をイメージ)


物産センターで出品準備をしていたところ、偶然に出会った方が購入して下さりました。
縁としか言いようのない偶然、もはや必然だったとしか言いようのない出会いでした。
ブレスを求めて来られた方が、丁度私と私の作品に出会い、喜んで身に付けてくれる、全てが最高の出来事でとても嬉しかったです。
糸魚川は、男女問わず出会いの場なのかもしれませんね。(恋愛だけではなく、純粋な縁結びに加護が在るのだと感じました)


こちらは紫ヒスイを4つ使用し、水晶・ラブラドライトのビーズと組合せました。
紫ヒスイが少ない場合、水晶のビーズだけですとサッパリしすぎてしまいます。
そこに紫ヒスイよりもシックで、時々虹色に煌めくラブラドライトを入れると印象が引き締まります。
これも梅雨の紫陽花をイメージしているので色合いもピッタリ、幼稚な印象は受けないかと思います。(ラブラドライトは時々でる虹をイメージ)
紫ヒスイよりも目立つ明るい色は使わず、あくまでも紫ヒスイをメインとして制作してあります。


このブレスはビーズを均等に配置しているので、サイズ直しが出来ません。
なので、丁度サイズが合った人に身に付けてほしいと思います。


同じく紫ヒスイを4つ使用し、樹齢1000年を超える屋久杉のウッドビーズと組合せました。
以前から国産のウッドビーズを探していたところ、協力者から屋久杉のウッドビーズを教えて頂きました。(有り難うございます!)
糸魚川ヒスイと、とても相性が良く、作りも丁寧で良い香りがします。
石とは違うので耐久性は劣りますが、使い続ける事でより味わい深い色合いになっていくそうです。
たくさん使いすぎると数珠っぽくなりますので、「葉の間から少し見える枝」くらいのバランスで使うと良い雰囲気がでると思っています。


こちらもビーズを均等に配置しているので、サイズ直しが出来ません。
よって、サイズが合う人に身に付けてほしいと思います。


最近はとても暑く、梅雨を飛ばして夏真っ盛りな感じですね(笑)
でも、そんな中でも美しく咲き誇る花達。


この美しい姿を紫ヒスイに込めて、開花を表現して行きたいと思います。(表現したいのは見た目の美しさだけではなく、その気品を宿したいと考えています)
2014年05月27日
現代では「女性の活躍の場」が必要不可欠になっています。
これから少しずつですが、この領域は開拓されて行く事でしょう。
そこで、絶対に気を付けなくてはならない事を書きたいと思います。

まず、女性は明らかに男性よりも存在的に上位です。
ですが、上に立つタイミングを間違えると失敗します。

ここでイザナギとイザナミの神話に含まれている、予言とも思える事を書きたいと思います。(アダムとリリスの話しでも良いのですが、より日本の夫婦神の方が分かりやすいかと)

神語にあるように、イザナミが上でイザナギが下となると、ヒルコ(不完全体)が生まれてしまいます。
要は女性の成長が十分でない状態で上に立つと、不完全な存在が出来てしまうと言う事です。
なのでまずは、男に「露払い&地雷原突破」をさせて、その結果を解析・分析してデータを取った上で、ほぼ完全な社会を構築する事が、女性には求められてるわけです。(これは、かなり重要な使命です)

その後に上に立てば、完全体である存在、生まれながらにして人である「真人」が誕生するのではないでしょうか。(理想的な未来の子供たち)

何故、生まれながらに制限を受けている女性に、こんな重大な役割を担わせるのかは不思議です。
存在的には上位なのに身体能力に制限を受けている…、この矛盾、一体どういう事なのだろうか…?
何であれ、現代の不完全な状態は「女性が未熟であるから」とも言えるので、男から理不尽に責められる時代がありそうですね…。(全ての女性が未熟なわけでは無いけど)

現在では未だ、多くの女性の成長は不十分なままではありますが、焦らず成長を続けて下さい。(場の整備が成ってないし)
後、今の日本より発展していない国が、女性を上に立たせても失敗します。
当然ですが未熟な女性を上に立たせてしまうと、いろいろ不祥事が起こります。(男も同じですけどね)
確実に言えるのは「唯の不祥事では無い」って事で、神話と同じく必ず不運が付きまといます。


しっかし、数多の神話に書かれている事なんだから、普通に学べば解るのに…。
物語の成り立ちを理解していないのだろうか…、「実際に在った事を元に創られている」って事を忘れないでほしいですね。(湧いて出てきたのでは無いです)

不完全体であるヒルコが、成長して完全体に成っていく物語が在るのは「人の間である人間」でも、成長により「人」に成れるって事を伝えているのだと思います。
思うに卑弥呼の時代からの遺伝子(或いは卑弥呼の遺伝子)が成長すれば、きっと人として成り立つ事が可能なのだと考えます。(多分)
これは、イザナギが上である時代に生まれた我々でも、同じ事なのでしょう。

とにかく、男が作ったとは思えない現代の姑息なシステムを、再構築して頂きたいです。(弱者である事は罪ではありませんが、バカは罪だと認識すべきです)
2014年05月24日
久しぶりに海へ行って来ました。

前日は天候が荒れていたので、ちょっと期待しながら海へ向かいました。
良い出会いがあったら良いなぁ〜、と思いながら久しぶりの海を楽しもうと思っていました。

そうした最中、海へ下りて1分もたたずに、綺麗な白ヒスイと出会いました!
いきなり、しかもけっこう大きい白ヒスイです。
ほのかに翠が入っていて、私が「芽吹」と呼んでいる系統のヒスイでした。
レア度はレベル4を付けても良いかと思っています。(白の美しさが群を抜いている)
小滝系の川の(昔の)ヒスイで、海では珍しいタイプです。
もっと翠が入っていたらレベル4.5〜5は付けられたかと思います。(惜しい!)





普通に波打ち際にあり、最初は白い陶器かと思ったほど目立っていました。
拾った瞬間は「雪が解けずに漂着したのか?」と思うくらい綺麗でした。
これだけ目立っているのに、誰も気が付かなかったのだろうか?、と疑問に思いました。
私は午後から海へ向かいましたが、午前中に打ち上がっていたとしたら拾われていたのでしょう。
これはタイミングで、丁度その時に打ち上がって私が出会ったのでしょう。(多分)

石との出会いは運命と言います、きっとこの白ヒスイは私を待っていたのだと思います。(希望的観測)
久しぶりの出会いだったので、とても興奮しました。
最初に出会ってしまったので、後の散策は集中できず、ただの波を見ながらの散歩になっていました(笑)
それでも幾つかのヒスイと出会い、満足のいく日を送れました!



糸魚川へ移り住んだ事で行きたい時に行けるのですが、いろいろと忙しく以前より海を訪れる回数が少なくなっています。
忙しい事は良い事ですが、標石(標本になる転石)との出会いも大切にしなければと改めて感じました。
これから季節も良くなってきますので、可能な限り海へ行きたいと思います。


そう言えば帰り際に、外国の(カルフォルニアの)女性と出会いました。(糸魚川へ旅行に来そうです)
ヒスイを探しに海へ来たそうで、浜辺を一生懸命、手で掘っていました。
近くを通りかかると、話しかけられ一瞬「ドキッ」としました。
何故ならば英語が話せないから…(笑)、日本人にありがちの理由で身構える自分が可笑しかったです。
でもその女性は日本語が堪能で、普通に会話ができました。
スゲーな外国人、言語能力では完全に負けているなと思いながらも、ヒスイの判別をお願いされたので集めた転石を見てみました。
すると二つヒスイがありました、それを伝えると、その女性は全身で喜びを表現していました。
あの喜びようは芸術的で、日本人では見られない表現力だと感じました。

言葉よりも遙かに伝わる感情、今の日本人に足りないのは「それ」のようにも思えました。
何故か関係のない私まで嬉しくなるような表現力、その影響力(伝達力)は凄まじいです。
アメリカは日本に(って言うか地球に)原子爆弾を打ち込んだ意味不明な国ですが、個々人を見ると普通な人達(むしろ感性の強い人達)がいるんですよね。
そういう人達となら、きっと解り合えるのだろうと思いました。(少数ですけどね…)

人類は、いつまでも錯覚を信じていないで、現実を見て生きていけたら良いのに。
でも人間主動の現実と自然の現実の、どちらを柱とするかで話は噛み合わなくなるんですよね…。
まぁ、地球あっての人間なんだから力関係はハッキリしていますけど。(宇宙と比較しても良いけどね)
2014年05月20日
コラボ作品の紹介をします。

前回にも協力してもらった方とのコラボ作品です。

まずは開花のブレスレット。
通常はゴムに通してのブレスですが、今回は編み込んでもらいました。
木々の枝やツタに色づく蕾をイメージしての、作品に挑戦しました。
紫ヒスイの優しい色合いが、より開花する蕾を感じさせてくれます。
取り外しの手軽さはありませんが、デザイン的には良いかと考えています。
サイズも調整可能なので、それぞれの手首に合うブレスに仕上がっているかと思います。
一度は表現したいカタチだったので、ご協力を感謝いたします!






次は小瓶のストラップです。
こちらも編み込んでもらい、お洒落な感じに仕上げてもらいました。
小瓶は取り外しが可能で、小瓶の変わりに海岸転石を入れる事も可能です。
今回は、私が出会った小さな転石を小瓶に入れています。
海岸が砂浜になっている状態でも小さなヒスイ転石は拾えますので、それを保管するのにも丁度良いかと思っています。
小瓶は小さめのサイズ(33*18*18mm)なので、カバンなどに付けても邪魔になりません。






最後は転石の首飾りの紹介です。
こちらも取り外しが可能な転石用の首飾りです。
緻密に編み込んであって、留め金にシルバーパーツも使っています。
男性のイメージで作ったとの事ですが、女性でも似合う作品に仕上がっていると思います。
自身の出会った転石(標石)を、取り替えながら身に付けれたら…、との思いから制作されています。
同じ思いの人がいたならば、喜んでもらえるかと思います。






今後も協力しながら、いろいろとコラボして行けたらと思います。(次はスエードでの編み込みをお願いしようかと思っていますが、編みが大変そうです…)

思いつきでの発案もあるので、無理を言うかと思いますが勘弁して下さいね(笑)
2014年05月17日
伊邪那岐「萌芽」の弐作目が仕上がったので、紹介します。

この作品は3月から制作を始め、ようやく仕上がりました。
何にそんなに時間が必用なのか?、が知りたければ作品(お守り)を作れるようになれば解ります。
強いて加工の工程で言うのならば、磨きにとても時間をかけました。

渓谷の残雪の中、新たな生命の誕生を想わせる明るい翠が印象的な作品です。
霜降りのように見える白地は美しく「冷たさ」と「暖かさ」を同時に与えてくれます。
頭には濃い緑が入るよう加工し、深緑への成長を表現してみました。
その頭部には不純物による小さな凸凹がありますが、それが雪解けにも見える事から、結果的にテーマに合った作品に仕上がったと満足しています。





このヒスイは美しい白地とは裏腹に、非常にデリケートで、雪そのものを磨いている印象でした(笑)
と、言っても柔らかいわけでは無く、キメの細かい部分と粗い部分が入り交じっている感じです。

私が「芽吹」と呼んでいるヒスイになるのですが、明るい翠や光で膨張する白地が特徴です。
それと磨きが出し難い事も…、艶消しで仕上げるとヒスイ輝石がキラキラと輝き、さらに翠が膨張するのでとても美しく仕上がります。
ですが、あえて磨いて艶を出し、気品を持たせる事を目指して加工しました。




加工人として、このタイプのヒスイの艶の出し方も研究する必要があります。
実際、ピカピカに仕上げる方法は在るのですが、それとは別に「風合いを残しながらも艶やか質感」を目指して取り組みました。
何故そこを目指すのか?、ですが「大量生産ではなく、システム化されていない技法が必用だから」と言う事が大きいです。
それぞれに合った技法が大切で、ヒスイ一つ一つが同じでは無く、それらを感じながら制作しなくては作品は生まれません。
そこを大切にしなくては「作品」と「商品」の違いも出せず、道具に成り下がります。

道具との大きな違いは、どれだけ大切に使っても道具は消費しますが、道具で無いもの(お守り)は信仰がある限り不滅です。(ヒスイ自体も不滅、5億年前から存在していますから)
そして全ての人間から信仰が失われる事は未来永劫あり得ず、よって不滅の存在として人と共に在り続けるわけです。(大量生産ではヒスイであっても、誕生理由・存在理由から不滅なだけの「ただの飾りとしての道具」となります)


こういった事が理解できれば、ヒスイの作品を高額に思う以前に、食費(生活必需品)というものがどれだけ高額かが解るのではないでしょうか?
一生の(っていう死んだ後も在り続ける)品と、数ヶ月・数年で消費する食費を計算した場合、割に合わないのはどちらなのでしょうか?(腹が膨れはしませんが、魂は満たされ続ける)

まぁ、目先の事にとらわれていたのでは、理解しようもないでしょうけどね(笑)
2014年05月15日
急激に気候が変動し、庭の妖精たち(花々)も大忙しです。

テッセンは見頃で、たくさんの花を咲かせています。
漢字で書くと「鉄線」、文字通り茎がとても丈夫、白色より紫色の花の方が生命力が強いようです。
ヒスイと同じで白は上品だけど、弱い体質があるみたいですね。(ヒスイの場合の弱さは見た目だけ)



こちらのツリガネソウ(釣鐘草)は、そろそろ終わりを向かえそうです。
小さく可愛らしい花が幾つも咲いて、個人的に好きな花です。
華奢でしなやかな姿は、いつ見ても愛らしく感じます。



うっすらと桃色に色づくマーガレット(菊科)です。
風に揺れながら咲いていて、この季節を喜んでいるようにも見えます。
もっとたくさん咲いていますが、その中でも特に綺麗な花を撮影しました。
茎が長く凛とした姿が、とても印象的な花です。



こちらは白色のサクラソウ(桜草)です。
同じ白色でも、白色の鉄線のように弱くはないようです。
この花は集団で咲いてこそ美しく、純白の絨毯のように咲かせても綺麗だと思います。



これから、まだまだ開花する花々があります。
この姿をイメージして、開花シリーズの作品制作に取り組んでいる最中です。
花のように強い色はありませんが、紫ヒスイを使い開花を表現したいと思っています。(ちなみに花の世話は母が主にやり、私はその手伝いをするくらいです(笑))

こちらは、紫ヒスイで制作した丸玉です。
丸玉の制作は単純作業ですが、けっこうな労力を必用とします。(工具による手作業での場合)
工具の消耗も早く、丸玉に色が残りにくい事もあって、割に合わない品ではあります…。
でも大量に作らず、表現の一環として制作する事は絶対に必要だと感じています。
できるだけ開花の季節に合わせてアップしたいと思っているのですが、なかなか思うようには行きませんね(笑)
どちらも自然のものなので、人の都合でどうにかなる存在でも無いのは当然ではありますが…。



市場に出ている丸玉は、糸魚川産ヒスイであっても中国で加工されています。(90%くらい)
理由は「中国に丸玉を大量生産する機械設備があるから」です。
この機械はヒスイだけでなく、他の天然石の丸玉制作にも使われています。
材料が変わるだけで、やる事は同じ、単純作業の特徴が表れている気がしますね…。

日本でもその機械で作れば?、と疑問に思うかもしれませんが、その機械自体を使いこなせる職人(っていうか機械屋)がおらず、人件費も高いので設備投資され人件費の安い中国へ出すわけですね。
この要領は、自分で作らずに稼ぎたい者達のセオリーでもあります。(この仕事だけに限らない方法)

とにかく、やれる事はやり、前に進んで行こうと思っています。
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