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2014年10月10日
この間、海へ標石(標本となる石)を探しに行きました。
台風の影響で波は激しく、慎重に探索していないと危険な状態でした。

こういった状況だからこそ、良いヒスイが上がると聞いていたので、ちょっと確認を含めて探索しました。
ここで気を付けるのは「目は足下を見ていても、耳は波の音を聞いている」って事です。
これができれば、大きな波が来るのを予測できます。

大きな波が来る時は、大きな音(石のぶつかる音や波自体の音)が響きます。
その音を聞き分ければ、波を被る事はありません。(身も蓋も無い事ですが、反射神経も必用です)
もっと先の「静かになる状態」を聞き分けると、反射神経が劣っていても回避可能です。(引いている波が大きい程、押してくる波も大きくなる)

視覚と聴覚の使い分けができれば、危険回避にも繋がり生存確立が高まります。
まぁ、そういった状態の海に行かないのが、一番利口なのですが(笑)

話を戻して、川の濁流が流れ込んだ海は奇妙な色をしていて、いつもの日本海とは思えませんでした。
写真を撮っておけば良かったのですが、カメラを忘れたんですよね…。(スマホも)

浜の広い海岸だったので、波打ち際を少し離れながら探して歩きました。
そんな中、やっとヒスイを発見!、なかなか綺麗な欠片です。



でも小さい…、っていうか小さすぎ(笑)
この波の規模でこのサイズ、全然比例していません。

体験の結果「荒れた海で良いヒスイが上がる」と言う話は、あまり期待できないのが分かりました(笑)
探す場所や運が大きく関わってきますが、何も危険な状態の海で探すほどの効果は無いかと思われます。(ほとんど運ですし…)

欠片でも拾えたのは幸運のようで、他の探している人達は全く拾えておらず、欠片でも羨ましいと言っていました。(疲れ果てて座り込んでいる、お爺さんもいましたね…)

次回からは、荒れている海は避けたいと思います。(風も強くて疲れるし)
荒れた後の穏やかな日に、探した方が気分も良く癒されます。


ちなみに、何故か波打ち際でカマキリを発見しました。
その姿は美しい翠で、一瞬、良質のヒスイと見間違えてドキっとしました。(一瞬、血が沸きました(笑))
考えられる事は「流されて来た」って事で、大荒れの海の中、生存していたのが不思議な状態でした。
ちょっと少名毘古那をモデルにした、一寸法師の話を思い出しました(笑)

ここにいては、また波にさらわれてしまうので、波の届かない平地に移動しました。
奇妙な縁…、この出会いに何か意味があるのだろうか?
それに茶色に染まっているカマキリが多い中、あれだけ鮮やかな翠に染まっているカマキリは久しぶりです。
秋には枯れ草が多くなるので、逆に目立つ色をしていたのは不思議ですね…。
海岸であっても擬態としては茶色が良いはず、もしかしたら緑豊かな場所から流されてきたのかもしれませんね。

何であれ、私はカマキリが好きなのだと改めて認識しました。
あの色、あのフォルム、美しさと強さを兼ね備えた自然による完成体。
きっと生きているから魅力的なのであって、死んでいては美を感じる事ができないでしょう。

人は自然に近づきすぎると危険で、人の群に近づきすぎても危険です。
丁度良いバランスの中、両方の恩恵を受けながら生きて行けたら、より美しく生きられるのだと思います。
2014年10月07日
今回は、建速素戔鳴尊「万武不倒」の二作目を紹介します。

全作と同じ黒ヒスイを加工し、大サイズでの素戔鳴を制作しました。
漆黒の中に流れる白色が魅力的で、素戔鳴の特徴である猛々しさを表現するのにピッタリです。
大きさが十分にある事で存在感が増し、より不滅の存在を神々しく感じる事ができます。



武の象徴色である黒の中を白の意志が燃えさかるように見え、高潔の象徴色である白の中を黒の闘争心が染めあげるようにも見えます。
良質なので艶も美しく、透明度はありませんが黒ヒスイ独自の魅力を放っています。
光の加減により所々でヒスイ輝石が輝き、夜空で煌めく星雲や銀河にも見えて、とても魅力的です。




一色タイプとは違う紋様美を備え「自然そのもの」の美しさを、その身に宿しています。



荒々しさの中にも美しさを持つ黒ヒスイは、伝承する古き神々の畏怖を形作れる事でしょう。
鮮やかさだけでは無い「高潔な美」にも、力を入れて創作して行こうと思います。
2014年09月30日
今月も、姫川をモニターしてきました。
この日は暖かく(っていうか暑く)、風は涼しいモニター日和でした(笑)
あまりに良い天気だったので、裸足で川へ入ってみると意外に水温は高く、泳げるくらいぬるかったです。
ちょっとビックリ、この時期に水温がこれだけ高いのは初めてかもしれません。(私の体感的に)

今回は、大野の翡翠橋付近をモニターしました。
河川敷は綺麗に草が刈られており、ゴミもありませんでした。
前回には無かった階段も作られていて、降りるのに苦労しなかったです(笑)
この階段に一般の方の需要は無いでしょうが、整備する人にとっては助かると思います。






下に降りやすくなったからと言って、油断は禁物です。
川沿いは2m位の崖になっていて、近づくと崩れる恐れがあります。
前回よりも深く削れている事から、8月〜9月にかけて増水した事が分かります。
水が大地を削った事で、側にあった木々が倒れています。
この場所は、特に水の流れが激しかったのだと思われます。
ちょっと地層のようにも見える所があったので、撮影しました。
中央部分は砂の層になっていて、この時期には砂がこの場所を覆っていた事がわかります。(人工的な整地によるものなのか、自然での事なのかはちょっとわかりません)






この日の姫川は、穏やかで濁りも一切ありませんでした。
非常に美しい清流で、とても清々しい気分になって創作意欲が湧いてきます。
姫川は、この美しさと比例するようかのに、同等の恐ろしさを持つ川なのかもしれませんね。





少し先には、護岸用のブロックを制作していました。
頻繁に削れていく場所なので、準備を怠っては大惨事になるのでしょう。
橋や民家も近いので、特に気を付けているのだと思います。(多分)





姫川では、豊富な種類の鉱物を見る事ができます。
化石らしきものを発見!、貝だろうか?
通常は黒色の頁岩に入っているので、これは違うのかな…。(どうみても砂岩っぽい)
白翡翠も発見!、慣れないと珪石や曹長石と間違えますが、良く見ると翡翠輝石が見られます。
このタイプの翡翠は少し艶が出しづらかったかと…、若干の緑は入っていますが鮮やかではありません。
でもヒビは少なく、作品を作るには良いのかもしれませんね。(でもプレートを切り出しづらい形状ですね…)







数人の人達が、姫川で翡翠を探していました。
個で訪れていて、身なりも普通、これなら問題ありません。
人が個として自然の中で出来る事は、たかが知れています。(その規模で十分)
もし、道具を使わず拳で翡翠岩石を砕けるのなら、その者の身体能力なので私は文句を言いませんけどね(笑)
そんな人間がいるわけないでしょうから、くれぐれもルールを守って遊んで下さい。

来月も河川をモニターして、気付いた事を書きたいと思います。
2014年09月27日
最近に知り合いましたお客さんから、素朴な疑問について意見交換しました。

それは「永い年月の中で、勾玉の形に大きな変化が見られない事」についてです。
ここで分かるのは、獣形勾玉といった「異形の存在」を抜きにした疑問なのだと感じました。
どこからどこまでが勾玉なのか…?、それ自体が明確でないので「定形勾玉と称している存在」での、私なりの考えを伝えました。

改めて考えたので、ここに書こうかと思います。

まず定形勾玉に変化が無いのは、名前が示す通り「誰かが定形化したから」でしょう。
その形に意味を持たせ、品格を持たせ、厳しい制限の元で制作・管理されたのだと考えています。
当初は各地方で制作したと言うよりは、中心部で制作した完成形を各地に送ったのだと思います。

時代が進むに連れ制限が緩和され(と言うよりも自然に緩んだかと)、各地で作るようになっても、その形を大きく変える事は、しなかったのでしょう。
何故ならば「それ以上の存在を作り出せないから」です。
それだけ永い時を費やし存在価値を根付かせてから、制限を緩和した(自然と緩んだ)のだと思います。(継続は力なりってやつですね)

各地で作るようになっても、その誕生理由や存在理由は健在であり、その威光は憧れであったのだと思います。(だから変化するよりも継続を選択したのでしょう)
でも現代では、その誕生理由や存在理由が忘れ去られています。
全てが推測であり「一度この定形勾玉の文化は終わりを迎えた」って現実が残っているわけですね。(完成されていたが故に、終わりを迎えたかと)

勾玉と呼んでいる存在が何なのかは、タイムマシンでも無い限り明確には出来ないでしょうが、原点を考えれば、同じ人類なので感覚的に感じる事は可能です。(作る側なら尚更)

刀と良く似てはいて、完成された存在であり、魂の依代として所有し、道具から逸脱した存在です。
両方とも形が大きく変わる事もありませんが、勾玉の方が「永い時を人と共に在り続けた」と言えるかと思います。(多分、縄文時代後期から始まっているかと)

ヒスイの構造とか誕生時期とかは、知識として学んでおく必用はありますが、最も大切なのは人と関わってからの文化(知恵)の方です。
ここに浪漫があり、未来へ繋がる意志が宿っているわけです。(自然と共に生きる意志が)
定形勾玉が悠久の時の中、姿を殆ど変えずに存在し続けた現実は、とても重要な事なのだと考えます。

文化とは、大衆文化と成るにつれて低俗になるリスクが高まりますが、一度完成された存在は末端が低俗であっても、その本体は揺るぎがありません。(低俗だから集団で楽しめる現実もあったりするし)
きっと現代で、定形勾玉の誕生理由や存在理由が誰にでも理解できる規模で残されていたのなら、その先へ進む事は無く、支配にも似た感覚で人を縛ったのかもしれません。(良くも悪くも)


「そんな時代じゃなくて良かったなぁ〜」と思う気持ちと、「完成された絶対的存在と出会いたかったなぁ〜」と言う想いが私の中には一緒に存在し、改めて人が矛盾している生物だと感じます(笑)

例え多くの人間が便乗したとしても変わらない姿、そんな絶対的存在に男として憧れます。
と同時に、そのものだけに支配されたくないという反骨の意志、男の性なのかなぁ〜(笑)
その存在にどれだけ近づけるのか、更には自身の芸術がどれだけ通用するのかを、追い求めて私は生きていくのだと思います。(自分から面倒な道を進んでいる気が…)

結局、私が作っている神玉も本質は同じで、定形化する事により存在としての完成度を高めています。
ですが、日本には八百万の神々がいますので、定形化しながらも「それぞれのカタチ」があるわけです。
まだまだ無限のカタチが存在していて、それは人の数だけ在ると言っても良いのかもしれませんね。

重要な事は、それを「他者にまで向ける」のだとしたら、相応の共感力を放つ作品に高めなくては成りません。(これが非常に難しいのですよね…)
物体としての存在力だけでは不十分で、浪漫を呼び起こす能力「イマジンやノスタルジア」を備える必用があるのでしょう。

最近は頭で考える事よりも、魂的な感覚で進んでいるように思えてきます(笑)

魂とは、五感を限りなく制限する事で感じられると考えています。
もしヒスイの品を良く見せたいと考えたのなら、ネットの場合では視覚と聴覚に向けてアピールすれば最も伝わりやすいでしょう。(誰にでも分かる基準ですから)
その内に仮想空間は、嗅覚へのアピールにでも進むのではないでしょうか…。
でもそれは、本来とは違う錯覚をもたらす危険性があります。(正確に言えば、それだけに頼ると錯覚し本質を見失います)

五感を一切使わずに選択する事は不可能ですが、制限する事でノイズを消す事は可能です。
ヒスイ製品で言いますと、視覚では色よりも形を、そして触覚を大切にする事が必用でしょう。
本能にうったえる色彩と光沢を制限するのは、かなり難しいのでそれを含めた紋様を見るなど、違った魅力も感じ取れるようになれば良いかと思います。

私は「存在不確とされる魂」へ向けて創作しているので、それを感じられる人が増えると嬉しく思います。



ちょっと関係ない話なのですが、以前に私が「魅力ある存在になる必用がある」って事を書きました。
それを受けてか、その以前からなのかは定かではありませんが、過剰なアピールをする人が多くなっている気がします。(ここ最近、特に糸魚川翡翠を扱う者達が)
私達は芸能人(アイドルやタレント)ではありません、なのでやり過ぎると失敗します(笑)

現代の殆どの領域では「始まりの客層」を奪い合っています。
それは知識を得た者が知恵のある者を模倣する事から始まるのですが、本質を追求した年期が違い過ぎるので、本当に必用なお客さんに行き着く事ができません。

各領域で始まりの客層ばかりを奪い合っているので、そこから奥に進む能力を養えず、領域を変えて同じ事を繰り返していきます。
これが現代での商売の常識となっていて、これだと底が浅すぎて発展して行く事が困難になります。

このまま道化と成っていくのかは、自身の行動次第という事を忘れてはいけませんね。(重要なので何度も書いています)
2014年09月23日
今回は、月読命「月花」-壱-の紹介をしたいと思います。

月の光を受けて咲く宵の花々を連想させる、紫のヒスイで制作しました。
その花の彩りが、月本体にも映っている姿をイメージしています。
所々に見られるチタン石が、月のクレーターにも見えて魅力的です。




柔らかな紫色で、光源により濃淡が変わってきます。
特に日光下だと華やぐにように煌めくので、非常に美しい紫ヒスイです。
現実の月も太陽により輝くので、その道理により特に綺麗に見えるのだと思います。




こちら側も紫に染まっていて、特にお尻の部分は濃い発色が見られます。
淡いですが緑も頭に入っていて、紫と緑の二色を楽しめます。
チタン石の周りが濃い色を示す事から、発色の起因に深く関わっている事が見てとれます。




透明度は高くありませんが、強い光を受けると光の反射と透過が同時に行われ神秘的に輝きます。
表面の翡翠輝石は若干透けて、その少し奥の翡翠輝石は光を反射しているのだと思います。
紫に包まれた月が、健やかな成長をもたらし、大成へと導く事を願います。




基本的に川で出会えるタイプの紫ヒスイで、海の転石とは異なります。(川は海と繋がっていますので、このタイプも海で拾えたりしますが)
その中でも、特に紫色の濃いヒスイを加工しました。
思い通りの作品に仕上がって満足、紫色の配置も狙い通りです。

最近では紫ヒスイは少なくなり、このレベルで制作するのは困難になっています。
今後も大切に、無駄にならないよう活用して行きたいと思います。
2014年09月21日
提出した河川モニターの返答を、貰いましたのでお知らせします。

まずは姫川河口の返答です。


「さて、今年は日本各地で大雨による被害が多い様に思われます。幸いにも姫川では、まだ出水による大きな被害が出ていません。しかし、姫川は急流河川なのでちょっとした出水でも水衝部の洗掘は、少なからず徐々に進んでいるようです。」

各地で大雨の被害が報告される中、糸魚川は雨が降った日は少なかったです。
でも河川は各地と繋がっており、一級河川の姫川ともなると、その影響も大きく出ますね。
次は、もっと注意深く水衝部を見て行こうと思います。


次は、破損した箇所がある橋の返答です。


「ご報告の破損の進行している橋は、新潟県の糸魚川振興局が管理している姫川橋です。県では、架け替えか補修か検討中の状況にあります。場合によっては、廃道とすることも視野にあるようです。安全のため当面は、重量制限しています。」

あの規模の破損なら、すぐに倒壊する心配はないと言う事なのでしょう…、多分。
細い橋なので交通量も多くなく、廃道を検討するのも解る気がします。
でも長い事、あの状態なので早く結論を出した方が良いようも思えました。(個人的に)


次は、河口付近の護岸整備の返答です。


「河口付近の右岸は、昨年度に大型張りブロックによる護岸を施工しました。先端部は、背面へ水の回りを防止するためや洗掘防止のため、ネット製玉石袋やブロックで保護しています。」

去年この場所は、かなり派手に壊れたので特に力を入れて整備したかと思います。
今年はもう被害は出ないかと思いますが、来年の雪解け水と梅雨での出水が心配ではあります。
こればっかりは、人間にはどうする事もできませんね。(自然に壊されるのなら仕方ないです)


次は、河川の平地を使ったグランドの返答です。


「寺島地先の高水敷には、糸魚川市「市民運動広場」として野球場やサッカーグランドが整備されています。また、大きな石を展示した「姫川ふれあい石公園」が市民の憩いの空間として利用されています。毎年、年に2回河川の安全利用点検を行って危険な所を是正しています。広場や公園は糸魚川市が管理しています。定期的に草刈りなどもしています。」

7月の報告で紹介した石の展示場は「姫川ふれあい石公園」と言う名だったんだ。
市民運動公園はチビッコには良いかも、大人だと本気の野球は出来ない面積かと…。
この規模でのスポーツを楽しめば良いのであって、本格的な事を求めても駄目ですね。(当然か)
安全利用点検もしているようなので、車道に球が転がる事も無かったのでしょう。
とても良い所なので、散歩にも最適です。


最後は、姫川上流のウルルについての返答です。
「全国のニュースでは、東京都の代々木公園や明治神宮公園などでヤブ蚊によるデング熱が発生していますが、幸いにも姫川のウルルによる流行病は出ていません。
 パトロールの時は、蚊やウルル、ハチ、アブに気を付けています。草むらの中ではダニも怖い存在です。なるべく肌を出さないように予防しています。
 観光で来られるお客さんは、殆どが無防備でしょうね。
 姫川は、自然の中にある訳ですから自然に親しむ為には、自分の身は自分で守ることが大切なことだと思います。虫に刺されない対策を大人が子供に教える、生活の知恵を姫川で学んでほしいものです。
 姫川の管理について、糸魚川出張所の管理は、河川から11Kmの区間です。
その上流は、新潟県と長野県がそれぞれ管理しています。
 モニター報告の中の指摘事項は、関係機関へ伝えさせて頂きます。」

ウルルによる流行病は出ていないようです。
山へ行くのなら、相応の支度が必用なのは当然ですよね。
それを学んでいない現在の大人には、自身の体験をもって学んで貰うしかないのでしょうか…。
確かに一緒に行った子供は今後、その経験から山に行くときは警戒するのだと思います。(その前に山を嫌いになるかも…)
恐怖が人に慎重さを与えるのは事実で、安全ばかりを考えすぎて警戒心の無い者になっても困ります。
それでも、一応は現地に表記や警告を出すのも「それを知る大人の責任」だと考えます。(ウルルの群はアフリカの蠅レベルで襲ってくるので、山に慣れた人でも初めは驚くかと思います)
関係機関へ伝えてくれるとの事なので、その後の対応に期待したいと思います。

今月も河川をモニターして、気が付いた事を報告して行こうかと思います。(どこの管理とかは興味がないので、感じた事を報告します(笑))
2014年09月17日
今回は、深緑ヒスイのペンダントの紹介をします。

私が万葉ヒスイと呼んでいるヒスイで制作しました。
以前制作した同タイプのペンダントに使用したのは、芽吹きを想わせるヒスイでしたが、今回は燃えるような生命色のヒスイを用いました。
実はこのヒスイは、前回の芽吹きを想わせるヒスイと同じ原石で、場所によって違った緑(翠)が入ります。
主に角閃石が流れている部分の近くは、この発色になるようです。(このタイプの小滝産ヒスイは、そういった特徴があります)



ちなみに、緑と翠が入り交じって「万の木葉が風で揺らめいている」ように見えるので、万葉ヒスイと私は呼んでいます。

透明度も高く、光を受けると神秘的に輝きます。
この色を見る度に、オニヤンマの目を思い出して、夏が恋しくなるのは私だけでしょうか?(笑)



シルバー枠とチェーンを合わせてペンダントに仕上げました。
これだけ発色の良いヒスイも珍しいので、慎重に制作した作品です。

だれかのカケラとなる事を、楽しみにしています。
2014年09月11日
今回は、昔(8年くらい前)の作品を紹介したいと思います。
画像の整理をしていたら、懐かしいデータが出てきました。
初期の作品なので洗練されておらず、写りも良くないですが、とても懐かしいです。(限られた工具で、必死で作っていた事を思い出すなぁ〜)

これは白地に青が流れるヒスイで制作しました。
このタイプは踊るような紋様の青が魅力的で、紫も混在する事があります。
汚れに見えてしまう紋様もあり、アタリとハズレが明確に出ます。
削りやすく磨きやすい為、細かい加工との相性は抜群です。



同じヒスイから、6体を制作した初めての神玉です。
流れる青と、混在する紋様を自分なりに活かした作品となっています。
特にお気に入りはスサノオで、日本海の荒波のような、燃え上がる青炎のような紋様を背に入るように加工した事を憶えています。







物産センターを退職してすぐに、ある地元業者が台ごと一式を仕入れたようです。
私がいなくなったから、流用しようとでも思ったのでしょうね。
そんな事ばかりやっているから、魂が腐るのですよ…。
猿じゃあるまいし、この領域が真似事で成り立つ筈もないですよね(笑)


こちらは、小滝のヒスイです。(かなり昔のヒスイだったようです)
珍しくヒビが少なく、雲のような模様が美しかったヒスイです。
部分的に濃い緑と明るい翠があったので、それを優先的に活用しました。
白い部分が多かったヒスイでしたが、白地も美しかったので良い作品に仕上がりました。



このヒスイでは、一式制作以外にも小サイズや中サイズにも挑戦しました。
普通は小サイズから始めるのでしょうが、最初から大サイズの制作から入ったので苦労せずに作れました(笑)
もっと制作したのですが残っている画像は、これだけのようです。
非常に懐かしい、この頃も応援してくれたお客さんがいたのを憶えています。












後は、それぞれに違うヒスイ原石で制作した作品です。
特に画像の写りが悪いですが、ご勘弁を。
この頃は、金剛砂を使った研磨が多かった為、爪や指が汚れていますね(笑)
今では良い思い出です。(現在でも金剛砂を使う行程はあります)








この全てに持ち主がいますので、今も大切にされていると思います。(そうで在って欲しい)
あの頃の努力や縁が在っての今の私でもありますので、初心を忘れず前に進みたいと思います。

最近、ふと昔を思い返すのは年を重ねた証拠でしょうか…。
いや…、ちゃんとした年輩者から見れば、私の歳ではまだ小童なんだそうです(笑)

でも本当に3歳児と同レベルだったら、大馬鹿者ですよね(笑)
2014年09月07日
私が考える少子化の原因は、女性が求める基準が「お金と言う道具に代わって行ったから」だと考えます。(全ての女性では無いけど)

古代では女性が求める主な基準は食料(食という安定)でした。
それを得る為には、身体能力に秀でた男が、身体能力に制限のある女性の為に狩猟をする必用がありました。
そのシステムの中で、優秀な遺伝子を求めて子孫を残したのだと考えます。(農耕であっても、男の身体能力が求められた)

お金が誕生してからも、女性はそれらを得る手段を制限されてきました。
そして与えられ続ける事で、お金が食料に代わる「求めるべき安定」となっていきます。
食料がお金に代わると、どうなるのか…?、まず身体能力は必要なくなります。
この事で女性としての「優秀な遺伝子を求める基準」が変わっていきます。
そして現代の日本人へと繋がるわけですね…。

更に現代では、女性でもお金を得る事が可能になってきました。
自分でお金が得られる、そうなると男に求めるものも、また変わってくるわけです。

女性は自分で得る事が困難な存在を魅力と感じますので、男は昔のように身体能力による「何か」でアピールする必用があるのだと思います。(戦争では無く)
でも、その前の時代に身体能力に依存しないお金を求めたので、脆弱な男が多く誕生しています。
その者達が、どうやったら現代の強く成りつつある女性にアピールできるのでしょうか?

これはどちらが原因だったのだろう…、「優秀な遺伝子の基準」を間違えた女性なのか、お金を与えて錯覚させ続けた男なのか…。
何であれ、現代の多くの女性が男に魅力を感じないのは、自分に持っていないものを「今の男から見出せていないから」でしょうね(笑)

多分、理解したのだと思います、ふんぞり返っていた男達が虚栄であった事が(笑)
しかも現代での「稼ぐ事」を純粋に考えた場合、女性の方が向いているんですよね。(良くも悪くも)

その領域から女性を引っぱり出すには、それ相応の魅力がなければ不可能なのでしょう。
本気で優秀な子孫を増やしたいのなら、お金とは別の「女性には手に出来ないであろう何か」を、男がもたらす以外には方法が無い気がします。

そう言えば、化粧は女性が男の気を引く為に誕生したと言われています。
男が女性の気を引く行為で「二足歩行」に進化し、女性が男の気を引く行為で「外見の美しさ」を得たのかもしれませんね。
でも今は、どちらも性別に関係が無くなり特有の魅力とはなっていません。
順番的には男の番かと思いますので、やはり男特有の魅力が必用となっている気がします。

女性がお金を得る手段が増えたからと言っても、未だ男の経済能力は魅力的に映っています。
でも、その基準だと男の特権である身体能力が低下します。(よって低下した子孫が誕生する確立が高くなる)
女性が強くなっていくのに、男が弱くなっていくので子孫は増えません。
また、男の子は母親の運動神経を継ぐ事が多いらしいので、女性もお金だけを求めていたのでは強い男の子を産む事が出来なくなります。(まぁ、人間社会では身体能力だけが高くても意味無いのですが…)
身体能力とは先天的なものですが、錬磨・研鑽すれば、それなりに高める事は可能です。
他者との比較ではなく、子孫に繋がる能力は高めておいた方が良いわけです。(それが親に成る者の責任というものですね)

もし優秀な部下を育てたいのなら、それは育てる事に特化した女性に任せ、まず男は自分の子供を立派に育て上げる必用があるのかもしれません。
その経験が無くては教育の本質も解らないし、子供の頃の教育こそが大人になってからの基盤となります。(この領域では女性は行き詰まっているので、男との交代が必用なのだと感じます)

今、日本に求められているのは単に若者の人数では無く「優秀な子孫の繁栄」なのだと考えます。

徴兵制度を嫌う人が多いですが、別に戦争する為に行くのでは無いのですよ。
大体、戦争を始める者の多くは自分で闘いませんし(笑)
そんな輩の命令なんて聞く必用は無く、「誰がその者なのか」を見極めて的確な対処すれば良いのです。
その為の力と知識を学ぶ必用は、これからの若者には必要不可欠でしょう。(仮想空間の闘いだけで終われば必要ないけどね…)

要は闘える者は選択できるって事です。(闘うか、闘わないかを)
闘えない者は選択できない現実しかなく、ただ支配されるだけ、それを認識する必用があるでしょう。

闘える者が多くなった場合、誰も無駄に争う事はしないかと。
なぜならば、双方が無傷ではすまず、それが致命傷になりかねないからですね。(小競り合い位はあるかもしれませんが)
軍鶏として内戦させ商売に発展させる者達もいますが、これは日本には通用しないでしょうね。

これからの時代、様々な意味で女性の選択が命運を分ける事になるでしょう。
それを自覚して未来へ進んでもらえると助かります。(他力本願で申し訳ないです…)

この事は結婚願望が無い私にも、全く無関係ではありません。
遺伝子を残したいと思われるかは別として、私の作品を繋いで行く為には絶対に女性の力が必用です。

女性特有の高い感性に訴えかける行為が不可欠で、結局は魅力的な存在と認識される事が求められるわけです。
同姓にも必用なアピールですが、高い感性を持った男は少なく、張り合う事が先に出てくるので繋ぐ事には向かない対象だと言えます。(本能なので仕方ないですが)
そんな中でも理解してくれる男性もいますので、その人達は大切にしていきたいと思います。

どんな領域であれ、例えそれが子孫繁栄に繋がらない領域であっても「異性に向けた主張」と言うのは、人間社会には必要不可欠な行為なんですよね。
でも過剰に顔色を伺うのは、そのもの(繋ぎたいもの)の存在価値を下げてしまい、そのもの(その作品)は本来の力を失って誕生・存在してしまいます。

なかなか難しいバランスですね…、それでも古代から続いている人類の法則でもありますので、それを理解しながら受け入れ活用しようと思います。

こう考えると少子化ってかなり深刻、税金を天引きする人員が少なくなるってだけでは終わらないかと。
異性へのアピール能力の低下は、人類存続の危機とも言えるのでしょうね。(でも人類自体が減っているようには思えないのですが…、それと評論家モドキばかり増えているのも問題な気が…)
しかし、こんな状況だからこそ本物が誕生する気もします。

なんか結局は少数精鋭と成っていく気がするのは、私だけなのだろうか?
2014年09月03日
今回は、天照大御神の新作を紹介します。

月読の「月影」や、素戔鳴の「万武不倒」と同じ黒ヒスイを加工して、天照大御神「闇陽炎」を制作しました。
純白のヒスイに石墨が入ることで黒く染まり、その黒は一切の光を透しません。
燃え上がる炎のような、揺らめく陽炎のような模様が魅力的だったので天照に用いました。
強い光を受けると白地がより見えやすくなり、黒の模様が目立ちます。





似たテーマの作品に日蝕がありますが、その意味合いは違います。
黒い陽炎に包まれる天照には「白(光)と黒(闇)とは表裏一体」といったコンセプトを込め、そのバランスを保ちながら姿を変える黒天の陽を表現しています。
こちらも特に不吉な現象を表現したのでは無く、神という存在をそのまま映し込んだ作品です。
それも当然で、この揺らめく黒の模様は私が作ったので無く、地球(神)が創ったのですから(笑)

これで同じ黒ヒスイでの三貴子が揃いました!(将来的に大サイズも作ろうと考えています)
特に黒ヒスイに需要があるわけではありませんが、個人的に揃えてみたかった三貴子です。
きっとこの想いにも自然からのメッセージがあり、それを切欠に誕生したのだと思っています。(私が勝手に)
全てを塗りつぶす武の象徴色と、厳格さを伝える黒ヒスイの作品なので、興味本気だけでは所有できないでしょう。
もしかしたら他者の手に渡る事は無く、私の手に在り続けるのかも…、結局は自分のカケラを作ってしまったのかもしれませんね(笑)
それもまた創作活動なので、満足のいく作品に仕上がって良かったです。


実は7年くらい前(ibitsを始める前)に、漢字は違いますが火之迦具土神で同じ名の作品を制作しました。(確か闇影焔だったかと)
その作品は、ある漫画家さんが購入されまして、少し後に同じ黒ヒスイを使った神印と神鏡もオーダーして頂きました。(作品画像が残っていないの残念ですが、黒ヒスイで制作した小サイズの火之迦具土神です)
この仕事をしていると色んな人と知り合えるので、とても面白いです。

今後も創作活動を続ける中で、大切な縁を結んでいけたら幸せです。
2014年08月31日
今回は、緑ヒスイの首飾りを紹介します。

前回に制作した紫ヒスイの首飾りと、同タイプのデザイン枠に合わせました。
今回の枠はスタンダードなサイズのシルバー枠で、深緑ヒスイのルースは細長くありません。
シャープさは無いですが、その分、丸みを強調した柔らかな印象の首飾りになりました。
湖面のような、湖水の浅瀬のような紋様と透明感は美しく、こちらも光源で濃淡が変わります。




実は珍しいタイプの緑ヒスイで、原石は角閃石に包まれ溶け合っている感じになっています。
その良質な一部分を切り出し、ルースを制作しました。
一見、粗そうな質に感じますが、良く練られている為、とても艶やかに仕上がります。


もう一つの魅力は光を透す事で見られる、この緑の揺らめきにあります。
この雲のような模様とオーロラのような発色、彩雲とでも表現できる景色を魅せてくれます。
非常に透明度が高いので光を取り込みやすく、日向と木陰では違った表情になります。
また、身に付けている時の景色と、透かして見る時の景色の二つを楽しめるので時折、太陽光に透かして彩雲を楽しむと、心が癒されるかと思います。



それぞれに宿る、様々な天然の模様を楽しむのも、糸魚川翡翠の楽しみ方だと感じています。
2014年08月27日
今回は、河口付近を見てきました。

連日の雨により濁った水が流れていますが、水量はそれほど多く無いようです。
新しく整備された堤防にも変化は無く、問題ないように思えます。
海は波があり、それなりに荒れてはいました。






近くにある車が通る橋は、破損があるようです。
落石注意の看板は、橋のコンクリートが崩れ落ちる事を言っているのだと思います。
かなり前からありますが、未だ修理はしていないようです。
この規模の破損は、補修しなくても大丈夫と言う事なのでしょうか?






その近くでは護岸の為のテトラを製造していました。
川と海岸の護りは、周到に準備されているようです。




そこから少し上がると河川の平地を使った、ちょっとしたグランドがあります。
ここでは少年達が、野球の練習や試合をしています。
とても良い活用だと思いますが、周囲の網に不安があります。
車が走る橋側の近くにもベースがあり、ファウルボールなどが車道へ上がる可能性があるように思えました。
でも、きっと低学年の子ども達が使用するので、その危険性は無いのかもしれません。
この面積では、中学生や高校生だとボールが川へ落ちる事が多々あるでしょう。
使用している側も承知の上で、安全を第一に活用しているかと思います。
それでも、囲いをもう少し立派にしてあげると、子ども達がより安全に遊べるかと思います。





河川の状況とは直接関係ありませんが、小滝川の下流〜上流などで大量発生するウルル(アブ)の対策を考えた方が良いかと思います。(不動滝など山奥の観光スポットも同様です)
元々、人が自然に分け入っているので完全排除する必用はありませんが、ヒスイ峡などの観光スポットが有る以上、ウルルに対しての警告を看板などで表記した方が良いかと思います。(主に小滝の入口や駐車場などに)

6月末〜9月末位まで発生し、車の窓を開けて走っていると隙間から車内に入り込んできます。
窓を開けずに行ったとしても、駐車場などで30秒くらい車内で様子を見る必用があります。
車(排気ガスにも?)と、濃い色に群がる習性があるようなので、服装には特に注意が必要です。

初夏から初秋の観光シーズンに発生するので、多くの人に被害が出ます。
ヒスイ峡へ行って降りた途端に襲われて、必死で逃げてきた人達もいます。
スポット領域の草刈りなどをして、その大量発生を抑えるなどの対処が必用かと思われます。
また、入口でウルルの状況が分かれば、奥に進まず怖い思いをする事も無いかと思います。(進むなら覚悟して進むでしょう)

実際、被害に遭ったお客さんも多く、小さな子どもが遭遇すると危険でトラウマにすら成りかねません。

けっこう前からあった被害ですが、ジオパークとして本格的に人々を迎え入れるのなら、こういった事に対応した方が良いかと思います。(観光したお客さんからも言われています)
2014年08月21日
今回は、奴奈川の勾玉を紹介します。

最近、糸魚川翡翠との縁で知り合った友人から、制作依頼を受けました。
その友人が出会った奴奈川の底なる玉…、かなりの良質です。
表面には明るい翠が見えていて、ヒスイ全体が淡緑に染まっています。
よく練られているヒスイで、ミャンマー産に似ている為、素人では判断が難しい場合があります。(販売している場合の話)
でも、このヒスイは本人が出会ったので、疑いようのない正真正銘の「奴奈川の底なる玉」です(笑)
玄人が見れば、これが青海の山系のヒスイなのだと分かるでしょう。




丁度、石目の部分を切断すれば勾玉を二つ加工できるので、奴奈川の勾玉を二つ制作する事にしました。
一方に明るい翠が寄っているので、同じ母石から作っても別の魅力を見せてくれるかと期待しました。


まずは、明るい翠が入っていたプレートで制作した奴奈川の勾玉です。
外側に明るい翠が入っていて、内側へ行くにつれ柔らかい翠へと変わっています。
可能な限り明るい翠を残す事を最優先し、プレートを限界まで使い、青海系(山系)特有の不純物を残して加工しています。
不純物を無くそうとすると小さくて細い勾玉に成ってしまい、魅力が半減します。
この雲のような、残雪のような模様も天然特有の景色として魅力的なので、あえて残す判断をしました。(友人に了解済みです)




結構な大きさの勾玉が仕上がり、友人も驚いていました。
左右で表情が違うのも面白く、一点ものとして満足のいく作品に仕上がりました!
これ程のヒスイと出会うのは希で、一生出会えない人だっています(笑)
致命的なヒビも無く、艶やかに仕上がるので加工していても楽しかったな〜。




光を当てると、全体が生命色に輝きます。
非常に透明度が高いので、弱い光源でも透けて翠が膨張します。
古代の景色が見えるような…、そんな錯覚を一時的に楽しめるかと思います(笑)



友人(その家族)専用のお守りとなれば、嬉しく思います。


次は、もう一つのプレートで制作した奴奈川の勾玉です。
期待通り違う表情で、こちらは湖水のような緑が全体を染め、黒色も一緒に流れています。
葡萄の果肉のような質感で、透明度も抜群に高いです。
とても涼しげな印象で、青みがかった緑により清涼感を感じるのだと思います。
所々に流れる黒色も、魅力を引き立てている大切な要素です。




サイズは一方のより若干小さくはなりましたが、それでも十分な大きさと厚みです。
黄色く酸化した部分や、少しのヒビが入っていますが、魅力を損なうものでは無いかと…。
特に自身で出会ったヒスイなので、愛着を持って所有してもらえると思っています。
形も可愛らしくなったので、奥さんかお子さん用にしても良いかもしれませんね。




こちらも弱い光源でも、全体が緑に透けます。
とても幻想的、黒色の部分も透けて星雲みたいになります。
もしかしたら翡翠は「人類最古の現実逃避の存在」だったかもしれませんね(笑)
厳しい冬に眺めていれば、やがて来る春を希望に生き抜けそうな気がします。



二つの奴奈川の勾玉を持ち、悠久の時に繋がる「何か」を感じてもらえたらと思います。(磨きの最終行程をして、今月中には納品する予定です)


ちなみに私の勾玉は、プレートを最大限に使うので形がそれぞれ異なります。
また、自身の信仰による伊邪那岐と、他者に作る勾玉(奴奈川の勾玉)は、その誕生理由と存在理由が若干違います。
どちらが良いと言うわけでは無く、ただ私の信仰を押しつける事の無いようにしているだけですね…。
その人の「魂の器」となるように、余計なものは最小限にしています。(でもテーマやコンセプトは必用)

まぁ、同じ人(私)が作ってますので、どうしたって私の信仰は少し宿ってしまうのですが(笑)
2014年08月17日
今月の11日と12日に、伊邪那岐「青海」を購入されたお客さんが遊びに来てくれました。

ご購入の際に「一度は糸魚川へ来て欲しい!」とお願いをし、それが現実となりました!
この日は台風などの影響もあり天候に不安はありましたが、運良く通り過ぎた後で雨も降らず、とても涼しくて良かったです。
あれだけの作品を奥さんに贈る方なので、精一杯対応したいと思いました。


まずは、最初に向かった小滝ヒスイ峡です。
急に涼しくなったのでウルル(アブ)もおらず、最高の状態でヒスイ峡を案内できました。
曇ってはいましたが、その事が神秘的な領域を更に幻想的にしてくれたのだと感じています。

近づくにつれて、その大きさに驚く明星山、相変わらずスゴイ存在感です。(全体が写真に収まりません)



その下には整備された見学地があり、小滝川にも降りられます。
ここでの鉱物拾いは禁止されていて、拾っている所を見つかると怒られますので注意して下さい。(天然記念物指定の区域です)



ここから巨大なヒスイ岩石を見る事ができますが、一般的なイメージと違い綺麗ではありません。
磨いても中から緑色が出てくる事も無く、鉱物的にヒスイという岩石が殆どです。
なので割って持って帰ろうとは考えず、自然の風景を楽しんで下さい。



湧き水が豊富な事を利用し、勾玉形の池が作られています。
水はとても冷たく、暑さを和らげるのにピッタリです。(足を入れると30秒と保たないです(笑))




急激な気温の変化の為か、川が霧だって幻想的な景色を見せてくれました。
この景色にはお客さんも大変喜んでくれたので、非常に嬉しかったです。



だんだん天気も良くなってきて、自然に祝福されているような感じを受けました。
やっぱりここは素晴らしい場所です!


次は、一旦通り過ぎてきた高浪の池を案内します。

曇っている事で、より池の美しさが映えた感じがします。
鏡のように景色を映す深緑の池、底の知れない幻想の世界です。




雲が明星山にぶつかった瞬間。
まるでここは、仙人でも住んでいそうな場所ですね(笑)



高浪の池は遊泳禁止です、でもその理由が面白い。
実際には、とても深く危険なので禁止しているのでしょうけど、ユーモアがあるなぁ〜。



こういった場所に浪太郎がいるような気が…。
4mの鯉がいても不思議ではない感じがするのは、私だけでは無いでしょう。



池の周りを散歩しながら、お客さんと色々な話をしました。
初めて会った感じが無く、昔からの知り合いのような印象を受けました。(不思議ですね)



高浪の社です、この大きな樹がこの地を護っているように感じます。
ここはキャンプをしている人も多く、この地の魅力を理解している人は、けっこう多い事が分かります。(バランス良く賑わっていました)



帰り際、明星山と高浪の池を一緒に撮影できるスポットで撮影しました。
この場所は季節や天候の変化で、様々な景色を魅せてくれます。
猿もいたので、明星山と猿を同時に撮影してみました(笑)





そして私の大好きな不動滝へ向かいます。
土砂などが心配でしたが、糸魚川はそこまで雨は降らなかったので大丈夫であろうと思い、向かってみました。(慎重に)
小滝から向かう道端の草が刈られておらず、細い道がより細くなっていたので、あれはどうにかしてほしいですね…。

なんとか無事に不動滝へ到着、相変わらずの秘境です。
台風のお陰とでも言うのか…、この時期には珍しく立派な滝と成っていました。(水量が多かった)
三人で喜んで滝に近づき見ていると、気温の低下に気づき「寒っ」と言い合いました(笑)
お客さんに、立派な滝を見せられて良かったです。



普段は大人しい糸滝も、水量が増えたお陰で見栄えが良かったです。
これにも感激しました、運が良かったなぁ〜。



少しすると、後から観光の人達が来ました。
来やすい道ではないですが、この滝を見に来る人達がいるのは嬉しいです。(とにかく道端の草刈りはお願いします)



ストーンヘンジ(自称)があった場所を工事していました。
多分、車で降りられる道と場所を整備しているのだと思います。
便利にはなりますが、秘密の集落っぽさは薄まりますね…。
でも、あの坂道を降りて登るのは大変なので、観光地としては仕方ないのでしょうね。



そう言えば色々と新しくなっていたような…。(看板や水神様の祠とか)
前の姿を知っているので、少し寂しくなります。
それでも新たに定着して行く事も大切なので、今後に期待したいと思います。(今度はもっと良く見ておこうと思います)


今回は、無事に私の好きな場所を案内できました。(天気が回復して良かったです)
とても喜んでもらえたので、案内した甲斐がありました。
一部ではありますが、糸魚川の魅力を伝えられたかと思います。

ちなみにお客さんとの写真はアップしていません、その思い出はお客さんの記憶と私の記憶にあれば問題ありませんので。(あとお客さんのカメラに)

この後にフォッサマグナミュージアムへ行き、ヒスイの説明をしながら見学しました。
ヒスイの展示物が少ないのが残念、もっと種類を増やしてもらいたいですね…。
リニューアルするようなので、それに期待したいと思います。


今回の台風で感じた事は「人に向けた祭り」では無く、「自然(神)へ向けた祀り」が求められているように思えました。
あまりにも忘れすぎかと…、まずは集団となる宗教ではなく、個としての信仰から学び直す必用があるのだと感じています。
その後に集まって、それぞれの信仰を柱としながらも共有していく事が大切なのだと思います。

こういった話もお客さんと出来たので、とても面白かったです。
今後も私を支えてくれる人達と出会い、私の信じる未来に進んで行きたいと思います。
2014年08月14日
鳳の羽の首飾りの三作目と、紫ヒスイの首飾りを制作しましたので紹介します。

羽デザインのシルバー枠に、シルバーパーツ・メタルパーツ・ボーンパーツ・ウッドビーズを合わせ、肌触りの良いスエードの紐で民族風なデザインの首飾りを作りました。
ルースには透明度の高い神緑のカケラを加工し、深みがありながら光輝く作品に仕上げました。




裏側が空いている仕様なので、光を透して生命色が美しく輝きます。
作品のイメージとしては、太古の森に住まう鳳の羽を表現してみました。


このシリーズは、ルースが小さいので気を使います(笑)
労力的には小さい方が少ないのですが、神経を使いますので疲れるんですよね…。
でも、その甲斐あってイメージ通りの作品に仕上がりました。


こちらもシルバー枠に、シルバーパーツ・メタルパーツ・ウッドビーズを合わせ、肌触りの良いスエードの紐で民族風なデザインの首飾りを作りました。
少しシンプルにして、紫ヒスイがメインとなるよう仕上げてあります。




こちらも裏側が空いているので、光を受けて神秘的に輝きます。
透明度の高い紫ヒスイは、光源で色が変化する(主に濃淡が)ので、それも魅力の一つかと思います。


丁度、楕円のルースを制作できる部分が、紫ヒスイの一部にあり、その縦に紫が流れている部分を切り出して加工しました。
このタイプの(透明度の高い)紫ヒスイも、部分的に発色の良い紫色が希にあり、その部分を活かすよう加工する必用があります。
自分なりに上手く仕上げられたと思っています。


シルバーアクセを専門で作っていれば、加工したルース(不定形も)に合わせてトップを制作でき、石の加工を専門としていれば、シルバートップに合わせてルースを制作できます。

どちらが楽かと言うと、金属である分、銀をルースに合わせてもらった方がこちらとしては楽です。
でも、シルバー自体にデザインを持たせたい場合は、枠にルースを合わせる方が工賃的に助かります。(自分の労力で済ませる事ができるので)
どちらが正解とかは無く、どちらにも対応できるようにするのが得策かと思います。

どうしてもコラボする作品は高額となりますが、それに見合った作品を作り、それを理解する人に向けて制作して行きたいと思っています。
2014年08月10日
私が提出しました河川モニターの報告の返答を貰いましたのでお知らせします。
提出したのは大野地区付近のだけで、一通り見た河川の状態は書類としては提出してません。
特に異常が無かったので、報告書にする必要性がないと私が判断しました。(でも詳細としてブログのアドレスは送ってあります)

まず、紐で囲ってあった場所の返答です。


「大野地区の鉄ピンとトラロープで囲った箇所は、平成23年度に水衝部対策として、護岸根固め工が施行されています。ブロックを設置した所に土砂を埋め戻したため、部分的に地中部に空洞が生じて危険と判断し立ち入り禁止措置を講じてロープで囲っています。経年変化を観て安全な状態に成れば、立ち入り禁止を解除する予定です。」

と言う事なので、危ないので中に入らないようにして下さい。
陥没して頭だけ出る状態で、埋まりかねませんから(笑)


次は、橋の下のゴミ散乱が多発する場所の返答です。


「翡翠橋の前後は、交通車両からの不法投棄物が落ちている事が良く有りました。巡視の際や、現地を見回る際にゴミの回収をしています。こまめに見ると、空缶やペットボトルが多く有るようです。ポイ捨ては社会のモラルが良くなった為か最近は少なく成りました。」

との事です、社会のモラルに変化があったのだと信じたいですね…。
ゴミは少なくなっているのは間違い無いようです。


次は毎回、水の通り道が削られてる川沿いの返答です。



「河川の高水敷は、原則として除草は行いません。除草は、堤防の法面を年に2回程度実施します。堤防点検を行う為に実施しています。また、雑木については、概ね5年に1回程度のインターバルで伐採を行う計画です。ご報告のとおり、平らな所から突然崖に成っている箇所が川の水衝部に存在します。一般のご利用者が多く、危険な個所は、危険を知らせる看板を設置しています。感覚的に危険と思われるところが有れば教えて頂きますようお願い致します。」

やはり危険なので、容易には降りられないようにしていたのですね。
写真を撮影するの時も大変だったので、ここの一般利用者はいないかと思われます(笑)


最後は道端の戸隠神社を祀った祠と、ハゲ山となっている山の返答です。



「写真の碑については、良く解りません。この地区の水神が祀られているものと思います。また、山肌が見える山は、明星セメントが石灰石を採掘した跡と思います。北陸自動車道の姫川橋梁の下流に赤い橋があります。橋中にあるベルトコンベアーで石灰石を採掘現場から工場へ6km間運んでいるそうです。」

工場の関係者に聞いたようです、地球の資源を消費する現実が目に見えて存在するわけですね…。
未来には、この山は無くなっているのだろうか…、鉱物や地下資源などで成り立っている国(まち)は、相応の責任が伴っている気がします。
祠はお札が新しくなっているので、管理している人がいるのだと思います。
その人に聞けば、詳しい事が分かるかもしれませんね。(もし会ったら聞いてみます)


以上が河川愛護モニターでの返答です。
道端にいた幼生さんは、報告しませんでした(笑)
答えようがないですよね、でも名前を教えてもらえたら良かったかも…。

今月も引き続き、楽しみながらモニターして行こうと思います。
2014年08月07日
明るい翠が入ったヒスイを加工して白翠ヒスイのペンダントを制作しました。

雪のような美しい白地に、芽吹きを想わせる翠が魅力的なヒスイをルースに加工しました。
このタイプのヒスイは希に、鮮やかな翠が入る事があって、より大きく濃い部分を切り出して加工します。
今回のように大きく入っているのは珍しく、こういった翠は大きなヒスイであっても少ししか取れません。
運良く出会えた事を感謝し、大切に加工します。


雪や雲を想わす白地も魅力的なのですが、どうしても発色の良い方が人気があります。(白の魅力は伝わり難い…)
白は他者に向けた作品より、自身に向けた芸術(信仰)に適しているのでしょうね。


今回の白翠ヒスイのペンダントは、明るいヒスイの代表的な発色をしています。
シルバーの枠に合わせての制作なので、削り過ぎないように慎重に加工しました。
ツメで留める枠と違い、誤魔化しがきかないので「何度も合わせながら削る工程」が重要になります。


色が浅く入っていると、削るにつれ翠が薄くなってしまうので運も必用となります(笑)
切断した側面や裏側などを見て確認はしますが、思い通りにいかないのが自然の産物です。
削り過ぎないよう考えながら、ルースの曲線を決めていきます。(厚すぎても枠とのバランスが変になる)


裏が空いていないので光を透しませんが、このルース自体が透ける為、シルバーの枠の底が光を反射して、より翠が膨張して輝きます。
このタイプのヒスイは光が膨張するので、光を透かさずに反射して拡散させる方法にも適しています。(明るい翠が在る場合は)


印象として、海岸で鮮やかな翠ヒスイを拾った時の見栄えに、少し近い感じかと思います。(その経験があれば分かるかと…)

こういった糸魚川ヒスイでのルースは多くは作れませんが、出会ったのなら大切にカタチにしたいと思います。(着色された外国産なら大量に売ってますけどね(笑))

シルバーアクセの首飾りも制作中なので、完成したら紹介したいと思います。
2014年08月03日
お守りという存在の原点・成り立ちを考えてみました。(何度も書いているので重複するかと(笑))

まず、道具からの派生である事は以前から書いていますので、そこからの分岐について考えました。
人の祖が生きる上でもっとも必用としたものは「生に直結するもの」だったと考えます。
それは食料であり、身を守るための道具であったかと思われます。
二足歩行となったのも異性への贈り物からのだと言いますので、その場合の贈り物も直接命を繋ぐもの(食べ物)だったと考えます。(と言う事は男が先に二足歩行と成ったのだろうか?)

そこから何故「お守りという存在が誕生したのか?」ですが、これらの事に全く関係していないわけではなく、発端として「自身の為に」か「他者の為に」かの違いだけなのだと感じます。

いつの時代でも必用とされるのは、生活に直結する存在(道具)です。
現代では「お金」で、一番使い勝手が良く、生活に直結する優秀な道具なのだと認識しています。(だった、と将来的に過去形になる日が来るのかも?)
それでもお守りは、現代でも古代と同様に求められています。

その理由には、お守りの成り立ちが大きく関わっているのだと考えます。
私の考えでは、お守りは直接他者(主に異性)へ向けた存在ではなかったのだと思います。(原点は)
生活の為に狩猟をしていた者達の一部が、自然(神)への信仰を具現化したのだと考えます。(原初での獲物の牙などを身に付ける行為は、他者への自己顕示が大きな目的だったかと思います)
命を落とさないように、獲物を仕留められるように、自然の恩恵を受けられるように、そんな願いも込められていたのだと思います。(まずは個の願いが先だったかと)

そしてそれを身に付けて生活をしていると、それなりの効果があったのだと考えます。
もしかしたらそれは、元々その者の身体能力が高く、狩りが上手かっただけなのかもしれませんが、周りへの影響力は十分に発揮していたのだと思います。(自然に愛されているような印象を受けたかと)

実際に自然に愛されていたのかもしれませんね…。
その姿は人の心を惹きつけて、主に異性の関心を強く引いたのだと感じます。(要はモテたのでしょう)
それは同姓でも同じ事で、その者への尊敬や憧れ、頼もしさと言う感情をもたらしたのだと思います。
まぁ、身を守ってくれる屈強な男となれば、その時代の女性にとっては魅力的に映るのは当然でしょう。(しかも自然に愛されているし)
生物として女性を惹きつける事は必用な能力であり、原始ではもっとも求められていた事だと思います。(子孫繁栄は本能で、更に強い子孫を残す事を求められていたので)

それと同時に、劣等感や嫉妬などの負の感情も芽生えさせたのも事実かと…。
圧倒的な身体能力の差は認めざるを得ないですが、この領域は明確ではない為、いつまでも張り合う者がいます。(張り合うのは、子孫を残す本能の一旦だと考えます)
なんであれ、その者が具現化した信仰は他者の心にまで響き、同じように所有したいと願いう人達が現れたのは間違いないでしょう。
なので、その者は自身の信仰を他者と共有しながらも、狩猟もして共に生活していたのだと考えます。

言うなればお守りとは、他者の気を引く事で進化したのではなく「自然(神)の気を引く事」を目的とした存在なのだと言えるかもしれません。
結局、人類とは何かの気を引く事で進化する存在なんですよね。(でも他者と自然(神)とでは、本質的に大きな違いがありますが…)


ここからが商売の原点に分かれるのですが、その者の信仰に人気があると気付き、同じものを作れば「異性や同姓から認められる」と考えた者達が表れたのだと考えます。
異性への贈り物で二足歩行になったとするならば、当然思いつくであろう手法です。
ここからは「信仰の具現化」では無く、ただ誇示したい、ただ人気者になりたい、ただ認められたい、と言った自己顕示欲からの模倣になります。(現代では「ただ換金したい」ってのも加わります)
これは道具であるはずのお金に、逆に使われている現代の始まりだとも言えるかもしれません。

結局、私は誰かに道を示してもらう必用はなく、目的地へ向かう為に結果的に「お金と言う道具」が必用となっているわけですね…。(示す人では無く、支えてくれる人たちが必用)
文化は「大衆で支えられるもの」と言ますが、それが少し解った気がします。(大衆では無く、民衆という表現の方が良い気がしますが)

本来、自身の信仰を具現化するのですから、それぞれのカタチが必用となります。(古い時代だと、それなりに違ったカタチが存在しています)
でも最終的には、ほぼ1つの形に集約されていきます。
それが「定型勾玉」と言われているものなのだと私は考えます。(アクセサリーと言われるもの全般にも言えるかと思いますが…)

この領域では「それぞれの信仰の具現化」は無く、便乗で得た「錯覚の名誉」や「錯覚の信仰」で埋め尽くされています。
しかし大元がお守りからの派生で在る以上、僅かにその本質(古代からの記憶)を残しています。
それが救いでもあり、やっかいな要因でもあるのだと考えます。(それが免罪符的な事になっているかと)
要は人を道具として使う為に、雇用が免罪符的な役割を果たしているのと同じ原理かと…。

私はお守りが「ただ姿形だけで認められたのでは無い」と考えています。
それを創った者の生き方が重要であり、その者を評価した上での話だったと思います。
その者の優しさや勇ましさ、哲学や美意識を含めた全てが魅力的だったのではないでしょうか…。(ヒスイを使う場合、ヒスイの魅力がマイナスを補うほど強力なので解りづらくなっている事も大きな要因ではある)

現代ではそれを明確にする術はありませんが、その者の本質を繋ぐ以上、これらは理解しておく必用があると私は考えています。
この者在っての今の自分であり、ゼロから創りだしたとか意味不明な事は言わず、必用のない無駄な事で張り合わず、受け入れながら未来へ繋いで行きたいと思います。(まずは現存する者を模倣する行為は、未熟者の証明である事を認識すべきでしょう)

アドバイスをするならば、加工技術よりも先にデザイン能力を身に付けた方が良いです。
これが身に付かなかったら、一生誰かの模倣で終わりますから…。
自身の信仰を具現化できる者は、他者へ向けた品を作る事も兼ねていて、お守りという存在の本質から離れて行く事はありません。

ここで重要な事ですが、私の計画は「古代の総意を継いだもの」ではなく、「個の意志を繋いだものである」って事です。(私が存在したと信じる一人、あるいは数人の古代人の意志です)
何度も同じ様な事を書いていますが、重要なので何度も書いていきます。

僅かなズレが時を重ねる度に大きくなっていきますが、時代はズレても自分はズレたくないものです。
それでも原点から見れば、だいぶズレているんだろうなぁ…。

でも許容範囲のズレであれば、その古代人から失望される事はないでしょうね(笑)
2014年07月27日
7月も後少しとなったので、河川愛護モニターの報告をしたいと思います。
毎月1回の報告なので、まずはこれからモニターしていくエリアを決めてきました。

まずは根知、大野、横町〜河口と言った感じでモニターして行こうと思います。
この日は天気が良く、自転車でサイクリングしながらモニターすれば最高だろうな〜、と思いました。(暑い日でしたが、良い風があって気持ちが良かったです)
丁度、姫川の側面に道があり、一般の車は通れないようになっているので、そこを通って行けば根知付近まで安全にモニターできそうです。
季節も良いので、今後も楽しみながら活動したいと思います。


■根知付近
最初は根知の、小滝へ向かうトンネル前でのモニターです。
深刻な水害があった場合、まずブッ壊れる場所がここです。
かなり頻繁に壊れている印象があって、いつも工事している気がしますね…。
今回は特に異常は無さそうで、澄んだ水が穏やかに流れていました。



この辺りになるとアブが出始めていて、でかいアブが車に寄ってきます。
スズメバチに似ているので、ビックリしますが大きなアブはあまり怖くありません。
怖いのはハエくらいの大きさのウルル、集団で寄ってきて毒性も高いアブです。
この時期、子供や女性は気を付けて川遊びをして下さい。
山奥に多いので、小滝川や不動滝などには用心して観光して下さい。(車の窓を閉めて行き、降りる前に少し車内で待つのが得策です)

少し下って、例のロディン岩破壊現場を見ます。
最近、工事が終わった場所で、川の形が少し以前と変わりました。
新しく堤防ができ、大水での災害対策が行われたようです。
姫川がある以上、土建屋さんは仕事が無くなりませんね(笑)
草も刈ってあって、土手は小綺麗になっていました。
ロディン岩はあのまんま…、なんか可愛そうな気になってしまいます。




国道沿いの脇道には、黄色い花がいっぱい咲いていて、とても綺麗でした。(自転車で来たら最高だな)





■大野付近
更に下って大野付近を見てみます。
紐で囲ってある部分は、崩れる危険があるのだと思われます。
その内、何かしらの対策がされるのだろうか?



橋を渡って逆側の、この場所によくゴミが散乱しています。
キャンプでもするのか分かりませんが、ゴミは持ち帰ってくれって言いたいですね。
でも今回は、ゴミは無く綺麗な状態でした。



川の周りは草木が生い茂り、整備されている感じはしませんでした。(現時点では)
ただ、自然の美しさは在って、昆虫などが沢山いたので私としては問題ありません(笑)
それに、ここは川の通り道が近く、川沿いへ行くと急に崖のようになっています。
大人でも滑り落ちるので、整備して容易に降りられるようにはしない方が良いのかもしれません。
この場所も大水の際に、しょっちゅう削られている場所です。(ちなみに鉄の建材のようなゴミも姫川には多く見られます)






周りは田園が広がっていて、見晴らしがとても良いです。
道端には戸隠神社を祀った祠があり、何かしらの関係性を示しています。
山を見ると、ちょっとガッカリ…、ハゲ山となっている山が…。(石灰石の採掘によるものかと…)





帰り際に綺麗な幼生を発見、蝶だろうか?(蛾か?)
見覚えがある、昔なら分かったのだろうけどなぁ…。(しかもピンボケしてるし)
暑さが増し、命の躍動を特に感じる季節になりましたね!
お互い頑張ろう!、と勝手な事を幼生に言い聞かせて次へ向かいます(笑)




■横町・河口付近
桜公園付近と河口を見てみました。
ここには姫川付近に公園があります。
丁度、草刈りもされていて綺麗になっていました。
けっこう広いので、家族連れには良い場所かと思います。(休む場所もあるし)




そこからすぐ近くの川へ降りると、広い平地があります。(整備された平地)
鉱物の展示を兼ねた庭があり、日本海・姫川・虫川・根知川・小滝川の順に並べてあります。
鉱物名が書いてあるので、河原の石の名前を調べる事ができそうです。
ヒスイも在りますが、間違っても割って持っていかないように。(持っていっても金にはなりませんから)








反対側は平地になっていて、これから更に整備するようです。(芝を植えるようです)




ここから河口へ向かう道は、桜の樹が植えられていて春は見事な道になります。
河口までず〜っと続いていて、樹の下をくぐりまくると桜まみれになれます(笑)
確か車が入って来られない道だったので、安心して楽しめると思います。(春じゃ無くても)




この河口では、去年から大規模な工事をしていました。
ここも以前の面影は無く、えらく変貌した場所だと思います。
今月は雨が多かった月でしたので、何度か水量が増した日があったのだと思います。
堤防にも流木などが、いくつも挟まっていました。
自然の力の凄まじさを感じますね…。






今回は川幅も狭く、特に危険と思われる事はありませんでした。(長い魚(サヨリ?)が上がっているぐらいで(笑))

とりあえず、このエリアをランダムにモニターできればと思います。(より深く)
次回からの報告は、こんなに長くはならないかと思います(笑)


ちなみに、この場所ではありませんが、舟を乗り付けて海底でヒスイを盗っている者達がいます。
こうなると密漁なのか盗掘なのか分かりませんね…。
なんであれ管理能力の無さは、糸魚川の致命的欠陥のように思えます。(公僕の不祥事も多いし)
2014年07月24日
紫ヒスイとシルバーパーツ・メタルパーツを、組み合わせた首飾りを制作しました。
革ひもと合わせて、民族風なデザインに仕上げてあります。




シルバー枠に合わせてのルース制作だったので、慎重に削り出しました。
これだけ小さいと少しのズレが命取りとなります…。
また、小さいので色が映え難く、それなりの発色を示すヒスイが求められます。
今回は上品さを合わせ持つ紫ヒスイを使用して制作しています。




裏が開いている仕様なので、光を透して色が膨張します。
光を透す分、太陽光下では紫色が淡く見える場合がありますが、光源が変わると違った表情を見せてくれます。(太陽光だと目に映えて、蛍光灯だと濃く見えます)
革ひもの長さを調節できるので、お好みの長さで身に付けられます。




今回の鳳の羽の首飾りは、紫ヒスイを合わせて「朝焼けの空、または夕焼けの空を舞う羽」を表現した作品となります。
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