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2014年11月13日
今回は、月読命「翠月」の四作目を紹介します。

透明度が高く、白雲のような紋様のあるヒスイプレートから制作しました。
淡く明るい翠が溶け合うように流れ、常に濡れているかのような肌は自然光を透します。
若干の石目とヒビ(秘美)もあり、自然そのままの景色を楽しめます。
かなり昔のヒスイなので値段は高額でしたが、その分、美しく仕上げる事ができました。



片側に多くの翠が流れ、白銀の月が少しずつ翠に染まっていく姿を映しているようです。
練られたヒスイだった事もあり、非常に硬く造形に苦労しましたが艶は出しやすかったです。
厚さを13mmにして曲線をとり、ふっくらとした仕上がりを目指しました。
しかし、勾玉と違い曲線のみを重視しすぎるとデザイン(姿形)が崩れるので、そのバランスがとても重要になります。(デザインは曲線と直線の二つで成り立ちます)
彩雲のような肌により、月読の美しさが最大限に引き出された作品となりました。




非常に透明度が高いヒスイなので、13mmの厚さでも光を容易に透します。
柔らかい翠は芽吹きを想わせて、苦難に耐えて成長する者を優しく包み込んでくれます。
雪のように繊細に見えるのに、悠久の時から繋がる不滅の存在、このギャップが人の心を魅了する一つの要因なのでしょう。




このタイプの糸魚川ヒスイを加工するのは、とても久しぶりです。
発色もさることながら、白雲のような紋様が最大の魅力と言えるヒスイだと思います。
今後も、なかなか入手できないヒスイなので、欠片も大切に加工したいと思います。

予定では同じ大サイズの天照と素戔鳴を制作し、三貴子を揃えようかと考えいます(笑)
プレートは大きくないのでヒビも入ってきますが、「秘めたる美」として表現できるよう努力したいと思います。

きっと「ヒビをさけて小〜中サイズで作れば?」、と思う人もいるのでしょう。
でも、このヒスイは「魂の依代」の領域を強く表現すべきレベルなので、より作品力を強めた存在として現代に誕生させたいと考えます。

ここは私の芸術への想いを、最後まで通させて頂きたいと思います。(今更ながら、一方通行ですみません(笑))
2014年11月10日
「神」と呼んでいる存在は、人(国)それぞれに違います。
前に「言葉の数だけ神が存在している」と書きましたが、それと似た事を書きたいと思います。

まず、日本で言う神(八百万の神)の本質は「自然」です。
そして、仏教でいう仏の本質は「道徳」なのでしょう。
一神教の神の本質とは「真理」を言っているのだと考えます。

そう考えると、各々の言っている事は当然なんですよね(笑)
自然は八百万あるし、道徳は人としての尊厳だし、真理は一つしかありません。(ただ、人間の考える真理とは、人間の都合で変わっていくで必ず敵対します)
まぁ、真理とは「全てを否定すると同時に、全てを肯定する表裏一体の存在」なので当然なのですが…。

これらの事を、全て「神という存在」に兼ねさせるから問題が起きるのではないでしょうか?
なぜならば、「現実逃避の究極体である人間」の考える神を完成させた場合、「現実逃避の究極体の完成体」と成ってしまいます。

そうなると全く地に足を着けず、現実を見ずに幻想を追う事になります。
そして何よりも、「完成された存在は終わりを迎える」って現実が在ります。
完成させる事で、人間による神が終焉を迎えるわけですね…。(正確には神と言う言葉が消滅する)

そんな世界になったら、人間は人間として存在していけるのでしょうか?
現実だけを見続けて生きなければならない…、それは人間の成長と正反対の領域です。
他の動物とは違い、現実(本能)から距離を置く事で進化してきのが人間なのだから、幻想は人間に無くては成らない領域なわけです。

だからと言って、幻想のみを求めていっても破滅するんですよね…。
要は完成させない程度の幻想(完成させない程度の現実)が大切なわけで、これは完成という領域のない芸術と同じだと言えます。

ただ、人間という領域を終わらせたく無いのなら完成させない方が良いのですが、人として進化するのならば終わらせる必用があるのだろうか?
これは解りませんね…、でも終わらせなくても成長は可能だと、私は信じています。(って言うか確信しています)

人間という存在は、必ず誕生理由を宿して生まれてくると考えています。
後は存在理由と出会うのみ、それを探すのが試練であり、成長であり、魂の研鑽なのだと思います。
この事を理解していないと、「ただ老けていった者」となり、認識した頃には「時既に遅し」って状態になります。(もう成っている輩はいますが…)

そして、これらを体験する事により、「人が神と呼んでいる存在」を身近に感じる事ができます。
この事で解るのは、「個々で地球と宇宙を感じる事が可能」と言う事です。(宇宙に出なくても)

現実の神と幻想の神、この二つのバランスが、人類の神を成り立たせているのだと感じます。
2014年11月07日
以前に糸魚川で伊邪那岐「萌芽」-壱-を、購入された方と再会しました。
この縁から、年齢が近い事もあり友人としてメールなどをしています。

前回は時間が無く糸魚川を案内できませんでしたが、今回は私の好きな場所へ案内できました。
いつも同じ場所への案内ですが、友人にとっては初めての場所であり、季節によっても景色が変わるので私は全く飽きません。(いつ来ても良い所です)

まずは小滝ヒスイ峡へ案内します。(ここは糸魚川へ来たら、絶対に訪れるべき聖地だと私は思っています)
連休の天気は雨の予報でしたが、友人が糸魚川へ着くと雨がやみ、少しの晴れ間も見られました。
これはチャンスと思い、着いた早々に小滝ヒスイ峡へ案内しました。
運が良いと言うのか、必然だったと言うのか…、天に感謝です!
午前まで雨が降っていた事もあってか、勾玉の池の水量が多めで、そこから川へ繋がる水路はちょっとした滝になっています(笑)
水に触れると冷たく、非常に澄んだ水はヒスイの聖地を絶えず潤しています。





川の水量自体は多く無く、秋の明星山が紅葉していて、とても綺麗でした。
夏の頃とは違う景色、何度見ても飽きないのは日本に四季があるからなのでしょうね。
遊歩道を歩きながら保護区域にあるヒスイ岩石を説明して、秋の散歩を堪能しました(笑)
天気の影響なのか観光のお客さんは少なく、贅沢な環境で友人に案内できて良かったです。






次は高浪の池へ向かいます。
小滝ヒスイ峡へ向かう道の途中にあるので、セットとして案内できます。
この時期の高浪の池も素晴らしく、風で水面が揺れる景色は巨大魚の影を想わせます(笑)
周りを歩き林のある付近を見ると、木々により風が防がれ水面は周りの紅葉を映します。
ちょっとした展望台へ続く道があったので、友人と上がってみました。
思いの外、体力を使う道でしたが景色は最高、天気が良ければ昼食でも食べたい場所です。
ここにはコンクリート製の台や椅子があるのですが、地盤がゆるいのか苔による影響なのか、幾つか傾いていたのが印象的でした(笑)





この日は、ここまでとして明日は不動滝を案内する事にしました。
夜は友人と一緒に夕食をとり、色々な話をして楽しみました。(会うのが二度目とは思えない程の既視感、とても不思議です)


次の日も雨は降らず、少し青空も見えました。(良かった〜)
去年に作っていた道と駐車場が、ようやく完成したようです。
以前は、駐車場になっている場所に、ストーンヘンジっぽいのがあったのですが…。
でもこれで、お客さん来やすくなったから良いのでしょうね。(外枠として使われているのは、ストーンヘンジの忘れ形見のような気が…(笑))
ここも紅葉が綺麗で、より神秘的な場所に映ります。





石の鳥居と不動滝、何度見ても素晴らしい…、くぐると小人になった錯覚を楽しめます。
糸滝にも勢いがあり、紅葉の隙間から見られるのも秋ならではの景色でしょう。




水神様の祠です、新しくなったかと思っていたのですが以前のままでした。(良かった)
この前に見た時は、掃除して表面が綺麗になっていたんだと思います。(あまりにピカピカだったので、違和感があったのかと…)
この時期の不動滝も迫力があり、水龍を想わせる姿です。
友人と水しぶきを浴びながら滝壺へ向かい、身体と作品を水で清めて自然の気を宿します。
私はこういった事で創作意欲を高めて、自身の作品に取り組んでいます。(工房にこもって作るばかりでは、依代としての作品は誕生しませんので)
友人もこの場所の素晴らしさに感動して、目に見えない「何か」を感じてくれたようです。




新しい駐車場ができる前まで入口となっていた、大きな石の鳥居です。
これで「タカオカミノカミ」と読みます、漢字が難しすぎて普通では読めませんが新たに看板が出来たので、そこにルビをうって紹介されています。(滝の近くにある祠は、この神様を祀っています)
ここからも降りる事は可能ですが、管理人のお爺さんは新しい道から行くのを勧めています(笑)
ちなみに、お爺さんと色々と話して「管理人の成り手がいない事」を知りました。
誰でも良いようなので、本気で管理人に成ろうかなと考え中です(笑)
一週間に1〜2回くらいならできるでしょう、でもカメムシとウルルとの闘いは熾烈を極めそうですが…(笑)
もし管理小屋で簡易的な加工が許されるのならば、創作活動として最高な気がしますね…。(もちろん清掃や案内が基本ですが)




最後に姫川へ行って、ちょっとした鉱物探索を二人でしました。
「姫川がどういった川なのかも見ておきたい」との事で、河口の安全な場所を案内しました。
途中に面白いお爺さんがいて、ダイヤモンドヤスリで勾玉を加工しながら探していました。
話してみると私を知っていて、鉱物の話や加工の話で盛り上がりました。
地元のお爺さんにしては、「面白い楽しみを方してるなぁ〜」と感じました。(人力での加工なので、なかなかの強者です(笑))



少し雨が当たってきたので、昼食タイムに入りました。
友人が気になっていた、「ブラック焼きそば」なる料理がある店へ行きました。
私は食べた事がないので不安でしが、友人が食べたところ美味しかったようです(笑)
その後は天津神社へ参拝に行き、再び訪れる事を約束して案内を終えました。

今回も楽しい時間が過ごせました!
ほんの少しですが、糸魚川の魅力を紹介できて良かったです。
また来年にお会いしましょう!、それまではお互いに頑張りましょうね。


ちなみに糸魚川は、一般的に言うパワースポットとは少し違います。
なので糸魚川ヒスイも、パワーストーンと呼ぶのは適切ではありません。
パワー(力)とう言うよりは、ソウル(魂)であり、もっと根深い存在が根幹に在ります。(どうしても横文字で称するのなら、ソウルストーンでしょうね…)

糸魚川ヒスイは「自然そのもの」を神としている日本の核であり、それらと共生する意志と知恵が刻まれてきた存在と言えるでしょう。
そういった事を理解している人達と、今後も糸魚川の素晴らしい場所を巡りたいと思います。
2014年11月03日
今回は、オーダーで制作した翠ヒスイのペンダントを紹介します。

以前、友人のオーダーで勾玉を加工した際、僅かに残った翠のカケラを加工しました。
非常に良質のヒスイなので、カケラでも大切に加工すると素晴らしい作品に仕上がります。



お守りとして制作した勾玉は「自身の聖域に祀る事が望ましい」と助言した事により、普段使いも出来て、更にその勾玉に繋がる同じ母石で、ペンダントを制作する事になりました。
勾玉を常に身に付けてるのも良いのですが、こういった方法でも神器と繋がる事が可能です。



夫婦お揃いのペンダントで、柔らかな翠がシルバーに際立ちます。
丸く大きい方が旦那さんで、細長い方は奥さん用に仕上げました。
枠に合わせてルースを研磨するので、何度も合わせながら加工します。
磨きの行程も考えて、削りの行程では少しきつめにしておくのがポイントです。




どうしても翠の部分にはヒビが入る事が多く、面積が大きい友人用は避ける事が出来ませんでした…。
しかし、それも天然の景色であり、それを欠点と見る友人でもないので、あまり関係なかったです(笑)
それに友人用は裏が空いていない仕様なので、透過によってヒビが目立つ事もありません。
奥さん用は細長いので、上手くヒビを避けて仕上げる事ができました。
こっちはインクリュージョンが少し入って、光を受けると幻想的に透けます。





友人自身が出会ったヒスイでの作品なので、とても喜んでくれました。
このレベルのヒスイと現実に出会っている人もいますので、現在でも糸魚川の海や川には可能性はあります。(諦めず頑張って下さい!)

ルールを守って探すのなら誰も嫌ったりはしませんので、糸魚川へ遊びに来る切欠にはなるかと思います。
逆に赤珊瑚を盗っている連中と同レベルの輩は、奴奈川の地(血)に嫌われますので注意しましょう。(それは必ず災厄となって返ってきますので…)
2014年10月31日
今月も、姫川をモニターしてきました。
だいぶ冷え込むようになってきましたが、この日はとても良い日和でした。(風は冷たかったです)

今回は、根知周辺の報告です。
この場所は前回に引き続き、河川工事をしているようです。
ここの河川敷はとても広いので、将来的には何かに活用するのだろうか?
活用するのであれば、その際にはイノシシなどに注意する看板が必用かと思われます。
度々この付近の河川を、でかいイノシシがうろついているのを見かけます。





工事の邪魔になるのもいけないので、前から気になっていた場所へ向かいました。
川沿いを少しだけ上流へ向かうと、土手に階段が現れます。(以前はありませんでした)
ここも大水により削られて断崖となっていて、上から見たら分からないので注意が必要です。
簡易の看板には、「姫川の水量の変化に注意しよう」的な事が書いてあります。





階段を上って土手に上がってみると、舗装された道がありました。
左側は途中から砂利になっていて、更に進むと行き止まりになります。(工事している場所の付近に出ます)




今度は逆方向へ進んで行くと、けっこう長い道だと分かります。
土手の上からは、姫川をある程度見通す事ができます。(足下には注意が必要)
しばらく歩くと、こっちも行き止まりになっています。
ここは鎖で封鎖されていて、そこに辛うじて読める程度の「立入禁止」の警告が見られます。(ボロボロになっています)
この場所へ来て、初めて立入禁止だった事がわかります…。





この道はどういった目的のものなのでしょうか?(河川工事専用の道?)
最終的には、さっきの工事している場所に繋がるのだろうか?
もし、厳しく立ち入りを禁止するのであれば、土手の道にも看板が必用かと思います。
場所的には、とても良い所なので、一般の人も活用できる場所になれば良いかと感じました。(近くに線路があるので、鉄道ファンなどの撮影場所には良い気がしました)
ただ、川の逆側は農道なので、車で来ると農家さんの邪魔になるかと思います。
現段階では、近づかない方が無難なようです。(立入禁止だし)



その近くに「河川における行為の規制」の看板があります。
こういった看板があると言う事は、ここに来る人もいるって事なのかな…?(人の来ない所に、看板は立てないだろうし)




今回は、何処にも繋がらない不思議な道と出会いました(笑)
2014年10月29日
今回は、神緑のストラップの二点を紹介します。

高浪の池を想わせる色合いの翡翠で、神緑のストラップを制作しました。
非常に良質の翡翠で、その質感は「深緑に染まった氷」のようです。
このタイプの翡翠はヒビが多く、そのヒビにそって切断して作品を制作します。
今回は以前に制作した作品よりも、大きく切り出す事ができた分、値段も高めとなっています。
このレベルは川や海で出会える確立が非常に低く、原石での販売も見かけません。
糸魚川翡翠らしい、品格のある貴重な神緑の翡翠です。





透明度が非常に高く、弱い光源でも透けて輝きます。
ゼリーのような柔らかい透過が魅力的で、まるで水面を眺めているようです。




こちらも同じ翡翠で制作しました。
一色タイプではありますが、透明度が高い良質の翡翠です。
良く見ると濃淡があり、美しい自然の景色が映し出されています。
光沢も抜群で、反射と透過のバランスがとても良い理想的な翡翠です。
プレートになっていた厚さで曲線を出し、滑らかな仕上がりになっています。
二〜三等分にして品数を増やす方法もありますが、せっかく致命的なヒビのない大きさを切り出せたので、そのままを加工してストラップにしました。





透明度も抜群で、光を受けると生命の象徴色で溢れます。
こちらの作品の方が発色が強く、翠と緑が混ざり合っています。




このレベルの翡翠には、なかなか出会えないので作品も限られます。
既に切断されているので、厚みのある作品が制作できません…。(今現在は)
昔の翡翠なので、まだ同じタイプを持っている住人がいるとは思いますが、今後に出会える確立は高くは無いでしょう。

無傷の原石があった場合は、そのまま未来へ繋げて行くのが良いのでしょうね。
2014年10月27日
来年の3月に、本格的に北陸新幹線が開通します。
それに向けて糸魚川も観光に力を入れて行くようで、様々な旅行会社が糸魚川を含めた旅行のプランを考えているそうです。

団体のお客さんが魅力的に思えるプラン、現実的に楽しめるプランが絶対に必要なのでしょう。
そこで、初めに言える事は「石灰石に物語性も無ければ、カニに悠久の浪漫も無い」って事です。

この二つを持っている存在は、ヒスイ(加工可能な鉱物も含む)と縄文遺跡(古代遺跡)でしょう。
もちろんジオパークも、その魅力に入るのですが、この二つほど強力ではありません。
重要な事は「人と自然とが共生する以前の話は学術的すぎて、一般的に興味が低い」って事です。(文化に浪漫があるし、ジオパークに海外ほどのスケールが無い)
ヒスイが5億年前に誕生した事は、知識として学ぶには良いですが、未来に繋がる知恵には成り得ません。

ですが糸魚川の住人が、どれだけヒスイと関わり、古代遺跡に触れ合っているのでしょうか?
現実が追い付いておらず、極力現地の人間と接触しない方が、物語性や浪漫が高まるのが悲しい現実です。

何よりもリピーターを増やす事が、糸魚川と旅行会社の必須条件であり、再び単体で訪れたお客さんが現実を知って、幻滅するような事は避けた方が良いでしょう。(嘘偽りのパフォーマンスは必要ない)

これはかなり難しいかと…、初めから期待させなければショックも少ないのでしょうが、それでは観光として意味ありませんし…。
結局、糸魚川単体では企画が組めず、周辺を取り入れなくては成り立ちません。(団体での旅行は)

糸魚川での翡翠鉱物展を見れば分かりますが、糸魚川へ業者を招待しておきながら地元の業者を優遇し過ぎています。
しかも「生活をかけた本業よりも必死」という、意味不明な状態にもなっています(笑)
競うならスタートラインを同じくして競えって話で、やること事がいちいちセコイ、我田引水どろこの話じゃない。

実際、去年に来た業者さんの数人が、もう二度と出ないと言っていましたね…。(糸魚川の業者がセコイのと、大した売上げに成らないから)
まぁ、刺身のツマのような扱いを受ければ、当然の話だと思います。(でも例え引き立て役だとしても、十分な売上げがあれば我慢もするでしょうけどね(笑))

そういう者達が、コンクリートのように固まっているのが現状です。(石灰石のまちだけに…)
で…、劣化したコンクリートは現実として、どう処理されれいるのでしょうか?
それを考えれば、糸魚川が今やらなくては成らない事が見えてくるのだと思います。(ちゃんとした年輩者もいますが…)
とにかく、ジジイ同士で傷を舐め合っている状態が見苦しい…。(いい年して群れるなと言いたい)

いつになっても老害が改善していかないまち、糸魚川。
ヒスイの故郷と言うよりは、石灰石のまちである糸魚川。
この「物語と浪漫の背骨がへし折れたまち」で、プロがどれだけの旅行を組めるのか期待しています。
2014年10月25日
提出した河川モニターの返答を、貰いましたのでお知らせします。

大野付近の返答です。






「9月は比較的穏やかな日が続き、姫川の水も澄んでいたようです。モニター報告では、地区や区間を区切っていただき、内容が解り易くて助かりました。
 河川敷を巡回していますと、橋の前後にペットボトルや空き缶が捨てられていました。去年より、その量が減っている様に思います。ゴミの中には、家庭ゴミや電化製品も過去にはありました。最近では見かけなく成りました。春頃にはクリーン作戦を実施します。姫川環境改善のためにぜひ、ご参加いただきたいと思います。
 姫川にも、いろいろの目的で所々に階段が設置されています。今年度も8箇所新設致します。ご報告のとおり、川岸付近は、断崖になって危険なところがあります。人の立ち入りが多い箇所には、看板で注意喚起をしていますが、お気づきの危険個所があれば、注意看板を立てます。また、今年度は、翡翠橋左岸上流部で、低水護岸工事を行い、水衝部の防護を致します。堤防の保護と河川利用者の安全のための工事です。
  写真の滑落崖の断面は、自然に出来た地層と思われます。洪水の度に堆積と表面の洗掘による現象のようです。
 モニター報告では、河川利用者の立場から、個人としてのご意見や河川環境の改善の要望などをお待ちしています。
 これからは、日に日に寒くなります。お体を大切に無理をせずに活動して頂きたいと思います。」


との事でした。
この付近を利用する人は、あまりいませんので階段で下りた川沿いの断崖付近に、看板を立てるくらいで良いかと。
春先にはヨモギやフキノトウをとっている人達を見かけるので、階段が出来た事は良かったかと思います。

ゴミの不法投棄は、いつになっても無くなりませんね…。
糸魚川市はゴミ処理環境がとても良く、大抵の埋め立てゴミも無料で引き取ってくれます。(自転車も可)
わざわざ川に捨てる意味が解らない…、空き缶やペットボトルもコンビニに捨てれば良いのに。
どれだけ怠惰なのだろうか…、昔の話とは言え呆れてしまいます。

この時期は、河川のいたる所で工事をしています。
小滝川入口まで上がってみて、どこら辺が水衝部なのか大体分かりました。
でも、こんな場所に一般の利用者はいませんので、そこら辺は土建屋さんに任せれば良いのでしょうね(笑)

今月は、根知付近をモニターしたいと思います。
私の活用は、一般利用者と少し異なる?ので、あまり参考には成らないかも…。
基本的に自分が自然に適応するスタイルなので、要望も無い気が…。

人間は自然から一定の距離を置く事で進化したのだから、自然に近づき過ぎると危険度が増すのは当然ではあります。(他の動物とは逆)
その事は教育で伝えていくのが重要で、物理的な自然への干渉で完全に防ぐのは不可能でしょう。

まぁ、毎年私がモニター報告するわけではないので、今年は私の目線での報告で勘弁して頂きたい。
私の目線で、姫川を楽しんでいる人もいるでしょうから!、… 多分(笑)


ちょっとした疑問は、姫川自体(河川敷を除く)を楽しんでいる人達は、私の知る限り「釣り人」と「鉱物探索の人」です。
これは、古代から同じで「食料の確保」と「石器素材や建材の確保」から派生してきたのだと思います。
この人達の要望は簡単で、「魚がたくさん釣れる環境作り」と「定期的に川の環境を変えてもらう事」でしょう。
でもこの場合、自然に任せていれば良かったりします(笑)

他の活用目的の利用者はいるのだろうか…?
その人達と出会えれば、別の視点での改善点を知る事が出来るかと思うのですが…。(流石に古代同様「運搬や生活用水」に、そのまま姫川を利用している人はいないだろうし…)
2014年10月20日
今回は、月読命「月光」の二作目を紹介します。

白ヒスイの中でも特に透明度の高いヒスイで、小サイズの月読を制作しました。
柔らかな光沢と質感が、月の光を表現するのにピッタリな白ヒスイです。
水に濡れた雪のようにも見えて、冷たい夜空に浮かぶ清廉の月(精神)を映しているかのようです。



片面には不純物による景色があり、それらが月の表面を想わせてくれます。
まるでライチの果肉のような質感で、光を受けてぼんやりと透けて輝きます。(ヒスイ輝石が細かく、よく練られた良質の白ヒスイでの作品です)
若干、細め(厚さ7mm)に制作していますので、重量的にも身に付けやすいかと思います。




白ヒスイではありますが、光に透かすと淡い緑に染まります。
冷たいイメージを持つ白ヒスイですが、その内には生命の温もりが宿っています。
強い光を受ける事で、より表情が際立ち、闇夜に輝く三日月が姿を現します。




発色の良いヒスイと出会うのは困難ですが、このレベルの白ヒスイも入手は困難です。(現在の海や川で出会う事は非常に難しく、購入するのも高額です…)
表現したい作品が在っても、それを造形するヒスイと出会えないのは残念ではあります。
それでも、少しずつイメージに合ったヒスイと出会って、創作活動を進めて行きたいと思います。
2014年10月17日
最近、この二つがゴチャゴチャになっている勾玉が増えています。
以前にも同じ様な事を書きましたが、今一度、書き記そうと思います。

この二つの大きな違いは「魂の器」は生者へ向けた存在で、「死の棺」は死者へ向けた存在である事です。
見極め方としては、何度も書いているように誕生理由と存在理由にあります。
簡単に言えば、海外での大量生産での勾玉は論外、国内であっても理解して制作していない勾玉は「ただの色違いの棺桶」です。

前者の理由は簡単で、こういった生産方法で海外の者が日本に「魂の器」を制作する訳がありません。(むしろ率先して棺桶を作る事でしょうね)
最近では、糸魚川翡翠を中国へ送り委託加工している業者が多くなりました。(良い部分は盗られるそうです(笑))
要は「糸魚川生まれの中国育ち」って事ですね…。
それで満足する者ならば問題ありませんが、知らずに購入している人も多いかと…。(遊びとして楽しむ分には、問題ないって事かな?)

後者の理由は単純で「誕生理由と存在理由が存在しないから」ですね(笑)
まぁ、最低でも「換金の為の道具」と「暇つぶし」という理由は、在るのかもしれませんが。

色違いの棺桶の特徴としては「量産品で曲線がとれておらず、無駄にピカピカしている」ってのが多く見られます。(あとは営利目的で形が媚びている)
要は墓石と同じで、角張ってピカピカになっているわけです。(とは言え姿形だけで判断できる人は、かなり少ないでしょう)

では「魂の器」とは何なのか?、ですが、一言で言えば「生者のお守りであり、魂の継承」です。
ここで誤解があるのですが、魂の器としてのお守りとは、災厄や困難から身を守る事が目的ではありません。(結果的に、そいった事を兼ねているだけです)
本来の目的は、「災厄や困難にあった際にも魂を腐敗させず、生者を未来へ進ませる最後の護りである」って事です。(最終防衛の神器ですね)
絶望さえしなければ、人は前に進めますから。(生きていく事自体が試練だし)

そして「死者の棺」とは死者のお守りであり、鎮魂を目的としたのだと思われます。

私が思うに、古代からこの二つの勾玉は使い分けられていたように思えます。
よく古墳などから出土する勾玉は、その多くは「魂の器」として作られた勾玉を埋葬したのでしょうが、もっと以前では、血族に継承されていたのだと思います。
何故ならば、生者の為の「魂の器」を死者の安らぎの場に埋めてしまうと、成仏できないからです…。

もし血族がいない王族や豪族であるならば、その「魂の器」を砕いて解放させる必用があります。
それに死者の鎮魂を願うのならば、生前に身に付けていた緑溢れるヒスイでなく、心安らぐ色調の勾玉である必用があるかと…。(もっと言えば勾玉である必用は在っても、ヒスイである必用は無かった気がする)

でも再生や復活などの願いを込めて一緒に埋葬すると、魂だけはそこに留まる事になります。
この事が必用だったのかもしれませんが、死者にとっては迷惑な気が…。(エゴだった気が…)
生への執着なのか、権力への執着だったのかは分かりませんが、引き際を間違えると最悪の結果になりますね…。

血族に繋がれた勾玉は子孫と共に魂を共有できますが、埋められた勾玉は孤独に土の中で永遠とも言える時を過ごすわけです。
もう拷問でしかない気がする…、ですが「死者の為の棺」として作られた勾玉を埋めてあげれば、その誕生理由・存在理由から死者に安らぎをもたらし、留まる事なく天へ還るのだと思います。

もしかしたら古墳から出土した勾玉には、未だ魂が留まった勾玉が存在するのかもしれませんね…。
いつの時代から使い方が変化したのか興味が湧きますが、確かめる方法は無いですね。(それに他者と共有できる証明方法も無いし)

また、血族では無くても「他者の魂と共存して、その時代に存在したい」、という思いがあっての選択なのかもしれません。(基本的に芸術品とは、そういったものだし)
だとすると遺跡調査とは、孤独な魂の発掘を知らずに行っているのかもしれませんね。

私が考える「死の棺」は、現在の「色違いの棺桶」とは違い、誕生理由と存在理由もあるので役目を果たしますが、現在は生者が「色違いの棺桶」を喜んで持っている為、おかしな事になっています。(終活の一種だろうか?)
死の棺と唯一つ共通している事は、その勾玉は「魂の守護を願って制作されていない」って事だけです。(と同時に魂の解放も願っていないので、全くの別物ですけど…)

要は「魂の器」でも「死の棺」でも無く、ただの色違いの棺桶(抜け殻)と言うわけです。
厄除けにも成らず、魂の守護にも成らず、魂の解放にも成らない、ただの「物体」でしかないのです。

でも所有者が人生をかけて、それに意味を持たせて成長させていく事は、可能なのかもしれません。(それには「他者が換金の為に作った商品に、自分の人生をかけられる者」である必用がありますね…)


日増しに狂って行く人間社会ですが、こういった事を見ても当然のようにも思えます。
もっと別の「誰もが解りやすい前兆」も在るかと思いますので、ちょっとした異常を見て、その後の災厄を予測できるようになれたのなら、人間はより成長できるのだと思います。
2014年10月10日
この間、海へ標石(標本となる石)を探しに行きました。
台風の影響で波は激しく、慎重に探索していないと危険な状態でした。

こういった状況だからこそ、良いヒスイが上がると聞いていたので、ちょっと確認を含めて探索しました。
ここで気を付けるのは「目は足下を見ていても、耳は波の音を聞いている」って事です。
これができれば、大きな波が来るのを予測できます。

大きな波が来る時は、大きな音(石のぶつかる音や波自体の音)が響きます。
その音を聞き分ければ、波を被る事はありません。(身も蓋も無い事ですが、反射神経も必用です)
もっと先の「静かになる状態」を聞き分けると、反射神経が劣っていても回避可能です。(引いている波が大きい程、押してくる波も大きくなる)

視覚と聴覚の使い分けができれば、危険回避にも繋がり生存確立が高まります。
まぁ、そういった状態の海に行かないのが、一番利口なのですが(笑)

話を戻して、川の濁流が流れ込んだ海は奇妙な色をしていて、いつもの日本海とは思えませんでした。
写真を撮っておけば良かったのですが、カメラを忘れたんですよね…。(スマホも)

浜の広い海岸だったので、波打ち際を少し離れながら探して歩きました。
そんな中、やっとヒスイを発見!、なかなか綺麗な欠片です。



でも小さい…、っていうか小さすぎ(笑)
この波の規模でこのサイズ、全然比例していません。

体験の結果「荒れた海で良いヒスイが上がる」と言う話は、あまり期待できないのが分かりました(笑)
探す場所や運が大きく関わってきますが、何も危険な状態の海で探すほどの効果は無いかと思われます。(ほとんど運ですし…)

欠片でも拾えたのは幸運のようで、他の探している人達は全く拾えておらず、欠片でも羨ましいと言っていました。(疲れ果てて座り込んでいる、お爺さんもいましたね…)

次回からは、荒れている海は避けたいと思います。(風も強くて疲れるし)
荒れた後の穏やかな日に、探した方が気分も良く癒されます。


ちなみに、何故か波打ち際でカマキリを発見しました。
その姿は美しい翠で、一瞬、良質のヒスイと見間違えてドキっとしました。(一瞬、血が沸きました(笑))
考えられる事は「流されて来た」って事で、大荒れの海の中、生存していたのが不思議な状態でした。
ちょっと少名毘古那をモデルにした、一寸法師の話を思い出しました(笑)

ここにいては、また波にさらわれてしまうので、波の届かない平地に移動しました。
奇妙な縁…、この出会いに何か意味があるのだろうか?
それに茶色に染まっているカマキリが多い中、あれだけ鮮やかな翠に染まっているカマキリは久しぶりです。
秋には枯れ草が多くなるので、逆に目立つ色をしていたのは不思議ですね…。
海岸であっても擬態としては茶色が良いはず、もしかしたら緑豊かな場所から流されてきたのかもしれませんね。

何であれ、私はカマキリが好きなのだと改めて認識しました。
あの色、あのフォルム、美しさと強さを兼ね備えた自然による完成体。
きっと生きているから魅力的なのであって、死んでいては美を感じる事ができないでしょう。

人は自然に近づきすぎると危険で、人の群に近づきすぎても危険です。
丁度良いバランスの中、両方の恩恵を受けながら生きて行けたら、より美しく生きられるのだと思います。
2014年10月07日
今回は、建速素戔鳴尊「万武不倒」の二作目を紹介します。

全作と同じ黒ヒスイを加工し、大サイズでの素戔鳴を制作しました。
漆黒の中に流れる白色が魅力的で、素戔鳴の特徴である猛々しさを表現するのにピッタリです。
大きさが十分にある事で存在感が増し、より不滅の存在を神々しく感じる事ができます。



武の象徴色である黒の中を白の意志が燃えさかるように見え、高潔の象徴色である白の中を黒の闘争心が染めあげるようにも見えます。
良質なので艶も美しく、透明度はありませんが黒ヒスイ独自の魅力を放っています。
光の加減により所々でヒスイ輝石が輝き、夜空で煌めく星雲や銀河にも見えて、とても魅力的です。




一色タイプとは違う紋様美を備え「自然そのもの」の美しさを、その身に宿しています。



荒々しさの中にも美しさを持つ黒ヒスイは、伝承する古き神々の畏怖を形作れる事でしょう。
鮮やかさだけでは無い「高潔な美」にも、力を入れて創作して行こうと思います。
2014年09月30日
今月も、姫川をモニターしてきました。
この日は暖かく(っていうか暑く)、風は涼しいモニター日和でした(笑)
あまりに良い天気だったので、裸足で川へ入ってみると意外に水温は高く、泳げるくらいぬるかったです。
ちょっとビックリ、この時期に水温がこれだけ高いのは初めてかもしれません。(私の体感的に)

今回は、大野の翡翠橋付近をモニターしました。
河川敷は綺麗に草が刈られており、ゴミもありませんでした。
前回には無かった階段も作られていて、降りるのに苦労しなかったです(笑)
この階段に一般の方の需要は無いでしょうが、整備する人にとっては助かると思います。






下に降りやすくなったからと言って、油断は禁物です。
川沿いは2m位の崖になっていて、近づくと崩れる恐れがあります。
前回よりも深く削れている事から、8月〜9月にかけて増水した事が分かります。
水が大地を削った事で、側にあった木々が倒れています。
この場所は、特に水の流れが激しかったのだと思われます。
ちょっと地層のようにも見える所があったので、撮影しました。
中央部分は砂の層になっていて、この時期には砂がこの場所を覆っていた事がわかります。(人工的な整地によるものなのか、自然での事なのかはちょっとわかりません)






この日の姫川は、穏やかで濁りも一切ありませんでした。
非常に美しい清流で、とても清々しい気分になって創作意欲が湧いてきます。
姫川は、この美しさと比例するようかのに、同等の恐ろしさを持つ川なのかもしれませんね。





少し先には、護岸用のブロックを制作していました。
頻繁に削れていく場所なので、準備を怠っては大惨事になるのでしょう。
橋や民家も近いので、特に気を付けているのだと思います。(多分)





姫川では、豊富な種類の鉱物を見る事ができます。
化石らしきものを発見!、貝だろうか?
通常は黒色の頁岩に入っているので、これは違うのかな…。(どうみても砂岩っぽい)
白翡翠も発見!、慣れないと珪石や曹長石と間違えますが、良く見ると翡翠輝石が見られます。
このタイプの翡翠は少し艶が出しづらかったかと…、若干の緑は入っていますが鮮やかではありません。
でもヒビは少なく、作品を作るには良いのかもしれませんね。(でもプレートを切り出しづらい形状ですね…)







数人の人達が、姫川で翡翠を探していました。
個で訪れていて、身なりも普通、これなら問題ありません。
人が個として自然の中で出来る事は、たかが知れています。(その規模で十分)
もし、道具を使わず拳で翡翠岩石を砕けるのなら、その者の身体能力なので私は文句を言いませんけどね(笑)
そんな人間がいるわけないでしょうから、くれぐれもルールを守って遊んで下さい。

来月も河川をモニターして、気付いた事を書きたいと思います。
2014年09月27日
最近に知り合いましたお客さんから、素朴な疑問について意見交換しました。

それは「永い年月の中で、勾玉の形に大きな変化が見られない事」についてです。
ここで分かるのは、獣形勾玉といった「異形の存在」を抜きにした疑問なのだと感じました。
どこからどこまでが勾玉なのか…?、それ自体が明確でないので「定形勾玉と称している存在」での、私なりの考えを伝えました。

改めて考えたので、ここに書こうかと思います。

まず定形勾玉に変化が無いのは、名前が示す通り「誰かが定形化したから」でしょう。
その形に意味を持たせ、品格を持たせ、厳しい制限の元で制作・管理されたのだと考えています。
当初は各地方で制作したと言うよりは、中心部で制作した完成形を各地に送ったのだと思います。

時代が進むに連れ制限が緩和され(と言うよりも自然に緩んだかと)、各地で作るようになっても、その形を大きく変える事は、しなかったのでしょう。
何故ならば「それ以上の存在を作り出せないから」です。
それだけ永い時を費やし存在価値を根付かせてから、制限を緩和した(自然と緩んだ)のだと思います。(継続は力なりってやつですね)

各地で作るようになっても、その誕生理由や存在理由は健在であり、その威光は憧れであったのだと思います。(だから変化するよりも継続を選択したのでしょう)
でも現代では、その誕生理由や存在理由が忘れ去られています。
全てが推測であり「一度この定形勾玉の文化は終わりを迎えた」って現実が残っているわけですね。(完成されていたが故に、終わりを迎えたかと)

勾玉と呼んでいる存在が何なのかは、タイムマシンでも無い限り明確には出来ないでしょうが、原点を考えれば、同じ人類なので感覚的に感じる事は可能です。(作る側なら尚更)

刀と良く似てはいて、完成された存在であり、魂の依代として所有し、道具から逸脱した存在です。
両方とも形が大きく変わる事もありませんが、勾玉の方が「永い時を人と共に在り続けた」と言えるかと思います。(多分、縄文時代後期から始まっているかと)

ヒスイの構造とか誕生時期とかは、知識として学んでおく必用はありますが、最も大切なのは人と関わってからの文化(知恵)の方です。
ここに浪漫があり、未来へ繋がる意志が宿っているわけです。(自然と共に生きる意志が)
定形勾玉が悠久の時の中、姿を殆ど変えずに存在し続けた現実は、とても重要な事なのだと考えます。

文化とは、大衆文化と成るにつれて低俗になるリスクが高まりますが、一度完成された存在は末端が低俗であっても、その本体は揺るぎがありません。(低俗だから集団で楽しめる現実もあったりするし)
きっと現代で、定形勾玉の誕生理由や存在理由が誰にでも理解できる規模で残されていたのなら、その先へ進む事は無く、支配にも似た感覚で人を縛ったのかもしれません。(良くも悪くも)


「そんな時代じゃなくて良かったなぁ〜」と思う気持ちと、「完成された絶対的存在と出会いたかったなぁ〜」と言う想いが私の中には一緒に存在し、改めて人が矛盾している生物だと感じます(笑)

例え多くの人間が便乗したとしても変わらない姿、そんな絶対的存在に男として憧れます。
と同時に、そのものだけに支配されたくないという反骨の意志、男の性なのかなぁ〜(笑)
その存在にどれだけ近づけるのか、更には自身の芸術がどれだけ通用するのかを、追い求めて私は生きていくのだと思います。(自分から面倒な道を進んでいる気が…)

結局、私が作っている神玉も本質は同じで、定形化する事により存在としての完成度を高めています。
ですが、日本には八百万の神々がいますので、定形化しながらも「それぞれのカタチ」があるわけです。
まだまだ無限のカタチが存在していて、それは人の数だけ在ると言っても良いのかもしれませんね。

重要な事は、それを「他者にまで向ける」のだとしたら、相応の共感力を放つ作品に高めなくては成りません。(これが非常に難しいのですよね…)
物体としての存在力だけでは不十分で、浪漫を呼び起こす能力「イマジンやノスタルジア」を備える必用があるのでしょう。

最近は頭で考える事よりも、魂的な感覚で進んでいるように思えてきます(笑)

魂とは、五感を限りなく制限する事で感じられると考えています。
もしヒスイの品を良く見せたいと考えたのなら、ネットの場合では視覚と聴覚に向けてアピールすれば最も伝わりやすいでしょう。(誰にでも分かる基準ですから)
その内に仮想空間は、嗅覚へのアピールにでも進むのではないでしょうか…。
でもそれは、本来とは違う錯覚をもたらす危険性があります。(正確に言えば、それだけに頼ると錯覚し本質を見失います)

五感を一切使わずに選択する事は不可能ですが、制限する事でノイズを消す事は可能です。
ヒスイ製品で言いますと、視覚では色よりも形を、そして触覚を大切にする事が必用でしょう。
本能にうったえる色彩と光沢を制限するのは、かなり難しいのでそれを含めた紋様を見るなど、違った魅力も感じ取れるようになれば良いかと思います。

私は「存在不確とされる魂」へ向けて創作しているので、それを感じられる人が増えると嬉しく思います。



ちょっと関係ない話なのですが、以前に私が「魅力ある存在になる必用がある」って事を書きました。
それを受けてか、その以前からなのかは定かではありませんが、過剰なアピールをする人が多くなっている気がします。(ここ最近、特に糸魚川翡翠を扱う者達が)
私達は芸能人(アイドルやタレント)ではありません、なのでやり過ぎると失敗します(笑)

現代の殆どの領域では「始まりの客層」を奪い合っています。
それは知識を得た者が知恵のある者を模倣する事から始まるのですが、本質を追求した年期が違い過ぎるので、本当に必用なお客さんに行き着く事ができません。

各領域で始まりの客層ばかりを奪い合っているので、そこから奥に進む能力を養えず、領域を変えて同じ事を繰り返していきます。
これが現代での商売の常識となっていて、これだと底が浅すぎて発展して行く事が困難になります。

このまま道化と成っていくのかは、自身の行動次第という事を忘れてはいけませんね。(重要なので何度も書いています)
2014年09月23日
今回は、月読命「月花」-壱-の紹介をしたいと思います。

月の光を受けて咲く宵の花々を連想させる、紫のヒスイで制作しました。
その花の彩りが、月本体にも映っている姿をイメージしています。
所々に見られるチタン石が、月のクレーターにも見えて魅力的です。




柔らかな紫色で、光源により濃淡が変わってきます。
特に日光下だと華やぐにように煌めくので、非常に美しい紫ヒスイです。
現実の月も太陽により輝くので、その道理により特に綺麗に見えるのだと思います。




こちら側も紫に染まっていて、特にお尻の部分は濃い発色が見られます。
淡いですが緑も頭に入っていて、紫と緑の二色を楽しめます。
チタン石の周りが濃い色を示す事から、発色の起因に深く関わっている事が見てとれます。




透明度は高くありませんが、強い光を受けると光の反射と透過が同時に行われ神秘的に輝きます。
表面の翡翠輝石は若干透けて、その少し奥の翡翠輝石は光を反射しているのだと思います。
紫に包まれた月が、健やかな成長をもたらし、大成へと導く事を願います。




基本的に川で出会えるタイプの紫ヒスイで、海の転石とは異なります。(川は海と繋がっていますので、このタイプも海で拾えたりしますが)
その中でも、特に紫色の濃いヒスイを加工しました。
思い通りの作品に仕上がって満足、紫色の配置も狙い通りです。

最近では紫ヒスイは少なくなり、このレベルで制作するのは困難になっています。
今後も大切に、無駄にならないよう活用して行きたいと思います。
2014年09月21日
提出した河川モニターの返答を、貰いましたのでお知らせします。

まずは姫川河口の返答です。


「さて、今年は日本各地で大雨による被害が多い様に思われます。幸いにも姫川では、まだ出水による大きな被害が出ていません。しかし、姫川は急流河川なのでちょっとした出水でも水衝部の洗掘は、少なからず徐々に進んでいるようです。」

各地で大雨の被害が報告される中、糸魚川は雨が降った日は少なかったです。
でも河川は各地と繋がっており、一級河川の姫川ともなると、その影響も大きく出ますね。
次は、もっと注意深く水衝部を見て行こうと思います。


次は、破損した箇所がある橋の返答です。


「ご報告の破損の進行している橋は、新潟県の糸魚川振興局が管理している姫川橋です。県では、架け替えか補修か検討中の状況にあります。場合によっては、廃道とすることも視野にあるようです。安全のため当面は、重量制限しています。」

あの規模の破損なら、すぐに倒壊する心配はないと言う事なのでしょう…、多分。
細い橋なので交通量も多くなく、廃道を検討するのも解る気がします。
でも長い事、あの状態なので早く結論を出した方が良いようも思えました。(個人的に)


次は、河口付近の護岸整備の返答です。


「河口付近の右岸は、昨年度に大型張りブロックによる護岸を施工しました。先端部は、背面へ水の回りを防止するためや洗掘防止のため、ネット製玉石袋やブロックで保護しています。」

去年この場所は、かなり派手に壊れたので特に力を入れて整備したかと思います。
今年はもう被害は出ないかと思いますが、来年の雪解け水と梅雨での出水が心配ではあります。
こればっかりは、人間にはどうする事もできませんね。(自然に壊されるのなら仕方ないです)


次は、河川の平地を使ったグランドの返答です。


「寺島地先の高水敷には、糸魚川市「市民運動広場」として野球場やサッカーグランドが整備されています。また、大きな石を展示した「姫川ふれあい石公園」が市民の憩いの空間として利用されています。毎年、年に2回河川の安全利用点検を行って危険な所を是正しています。広場や公園は糸魚川市が管理しています。定期的に草刈りなどもしています。」

7月の報告で紹介した石の展示場は「姫川ふれあい石公園」と言う名だったんだ。
市民運動公園はチビッコには良いかも、大人だと本気の野球は出来ない面積かと…。
この規模でのスポーツを楽しめば良いのであって、本格的な事を求めても駄目ですね。(当然か)
安全利用点検もしているようなので、車道に球が転がる事も無かったのでしょう。
とても良い所なので、散歩にも最適です。


最後は、姫川上流のウルルについての返答です。
「全国のニュースでは、東京都の代々木公園や明治神宮公園などでヤブ蚊によるデング熱が発生していますが、幸いにも姫川のウルルによる流行病は出ていません。
 パトロールの時は、蚊やウルル、ハチ、アブに気を付けています。草むらの中ではダニも怖い存在です。なるべく肌を出さないように予防しています。
 観光で来られるお客さんは、殆どが無防備でしょうね。
 姫川は、自然の中にある訳ですから自然に親しむ為には、自分の身は自分で守ることが大切なことだと思います。虫に刺されない対策を大人が子供に教える、生活の知恵を姫川で学んでほしいものです。
 姫川の管理について、糸魚川出張所の管理は、河川から11Kmの区間です。
その上流は、新潟県と長野県がそれぞれ管理しています。
 モニター報告の中の指摘事項は、関係機関へ伝えさせて頂きます。」

ウルルによる流行病は出ていないようです。
山へ行くのなら、相応の支度が必用なのは当然ですよね。
それを学んでいない現在の大人には、自身の体験をもって学んで貰うしかないのでしょうか…。
確かに一緒に行った子供は今後、その経験から山に行くときは警戒するのだと思います。(その前に山を嫌いになるかも…)
恐怖が人に慎重さを与えるのは事実で、安全ばかりを考えすぎて警戒心の無い者になっても困ります。
それでも、一応は現地に表記や警告を出すのも「それを知る大人の責任」だと考えます。(ウルルの群はアフリカの蠅レベルで襲ってくるので、山に慣れた人でも初めは驚くかと思います)
関係機関へ伝えてくれるとの事なので、その後の対応に期待したいと思います。

今月も河川をモニターして、気が付いた事を報告して行こうかと思います。(どこの管理とかは興味がないので、感じた事を報告します(笑))
2014年09月17日
今回は、深緑ヒスイのペンダントの紹介をします。

私が万葉ヒスイと呼んでいるヒスイで制作しました。
以前制作した同タイプのペンダントに使用したのは、芽吹きを想わせるヒスイでしたが、今回は燃えるような生命色のヒスイを用いました。
実はこのヒスイは、前回の芽吹きを想わせるヒスイと同じ原石で、場所によって違った緑(翠)が入ります。
主に角閃石が流れている部分の近くは、この発色になるようです。(このタイプの小滝産ヒスイは、そういった特徴があります)



ちなみに、緑と翠が入り交じって「万の木葉が風で揺らめいている」ように見えるので、万葉ヒスイと私は呼んでいます。

透明度も高く、光を受けると神秘的に輝きます。
この色を見る度に、オニヤンマの目を思い出して、夏が恋しくなるのは私だけでしょうか?(笑)



シルバー枠とチェーンを合わせてペンダントに仕上げました。
これだけ発色の良いヒスイも珍しいので、慎重に制作した作品です。

だれかのカケラとなる事を、楽しみにしています。
2014年09月11日
今回は、昔(8年くらい前)の作品を紹介したいと思います。
画像の整理をしていたら、懐かしいデータが出てきました。
初期の作品なので洗練されておらず、写りも良くないですが、とても懐かしいです。(限られた工具で、必死で作っていた事を思い出すなぁ〜)

これは白地に青が流れるヒスイで制作しました。
このタイプは踊るような紋様の青が魅力的で、紫も混在する事があります。
汚れに見えてしまう紋様もあり、アタリとハズレが明確に出ます。
削りやすく磨きやすい為、細かい加工との相性は抜群です。



同じヒスイから、6体を制作した初めての神玉です。
流れる青と、混在する紋様を自分なりに活かした作品となっています。
特にお気に入りはスサノオで、日本海の荒波のような、燃え上がる青炎のような紋様を背に入るように加工した事を憶えています。







物産センターを退職してすぐに、ある地元業者が台ごと一式を仕入れたようです。
私がいなくなったから、流用しようとでも思ったのでしょうね。
そんな事ばかりやっているから、魂が腐るのですよ…。
猿じゃあるまいし、この領域が真似事で成り立つ筈もないですよね(笑)


こちらは、小滝のヒスイです。(かなり昔のヒスイだったようです)
珍しくヒビが少なく、雲のような模様が美しかったヒスイです。
部分的に濃い緑と明るい翠があったので、それを優先的に活用しました。
白い部分が多かったヒスイでしたが、白地も美しかったので良い作品に仕上がりました。



このヒスイでは、一式制作以外にも小サイズや中サイズにも挑戦しました。
普通は小サイズから始めるのでしょうが、最初から大サイズの制作から入ったので苦労せずに作れました(笑)
もっと制作したのですが残っている画像は、これだけのようです。
非常に懐かしい、この頃も応援してくれたお客さんがいたのを憶えています。












後は、それぞれに違うヒスイ原石で制作した作品です。
特に画像の写りが悪いですが、ご勘弁を。
この頃は、金剛砂を使った研磨が多かった為、爪や指が汚れていますね(笑)
今では良い思い出です。(現在でも金剛砂を使う行程はあります)








この全てに持ち主がいますので、今も大切にされていると思います。(そうで在って欲しい)
あの頃の努力や縁が在っての今の私でもありますので、初心を忘れず前に進みたいと思います。

最近、ふと昔を思い返すのは年を重ねた証拠でしょうか…。
いや…、ちゃんとした年輩者から見れば、私の歳ではまだ小童なんだそうです(笑)

でも本当に3歳児と同レベルだったら、大馬鹿者ですよね(笑)
2014年09月07日
私が考える少子化の原因は、女性が求める基準が「お金と言う道具に代わって行ったから」だと考えます。(全ての女性では無いけど)

古代では女性が求める主な基準は食料(食という安定)でした。
それを得る為には、身体能力に秀でた男が、身体能力に制限のある女性の為に狩猟をする必用がありました。
そのシステムの中で、優秀な遺伝子を求めて子孫を残したのだと考えます。(農耕であっても、男の身体能力が求められた)

お金が誕生してからも、女性はそれらを得る手段を制限されてきました。
そして与えられ続ける事で、お金が食料に代わる「求めるべき安定」となっていきます。
食料がお金に代わると、どうなるのか…?、まず身体能力は必要なくなります。
この事で女性としての「優秀な遺伝子を求める基準」が変わっていきます。
そして現代の日本人へと繋がるわけですね…。

更に現代では、女性でもお金を得る事が可能になってきました。
自分でお金が得られる、そうなると男に求めるものも、また変わってくるわけです。

女性は自分で得る事が困難な存在を魅力と感じますので、男は昔のように身体能力による「何か」でアピールする必用があるのだと思います。(戦争では無く)
でも、その前の時代に身体能力に依存しないお金を求めたので、脆弱な男が多く誕生しています。
その者達が、どうやったら現代の強く成りつつある女性にアピールできるのでしょうか?

これはどちらが原因だったのだろう…、「優秀な遺伝子の基準」を間違えた女性なのか、お金を与えて錯覚させ続けた男なのか…。
何であれ、現代の多くの女性が男に魅力を感じないのは、自分に持っていないものを「今の男から見出せていないから」でしょうね(笑)

多分、理解したのだと思います、ふんぞり返っていた男達が虚栄であった事が(笑)
しかも現代での「稼ぐ事」を純粋に考えた場合、女性の方が向いているんですよね。(良くも悪くも)

その領域から女性を引っぱり出すには、それ相応の魅力がなければ不可能なのでしょう。
本気で優秀な子孫を増やしたいのなら、お金とは別の「女性には手に出来ないであろう何か」を、男がもたらす以外には方法が無い気がします。

そう言えば、化粧は女性が男の気を引く為に誕生したと言われています。
男が女性の気を引く行為で「二足歩行」に進化し、女性が男の気を引く行為で「外見の美しさ」を得たのかもしれませんね。
でも今は、どちらも性別に関係が無くなり特有の魅力とはなっていません。
順番的には男の番かと思いますので、やはり男特有の魅力が必用となっている気がします。

女性がお金を得る手段が増えたからと言っても、未だ男の経済能力は魅力的に映っています。
でも、その基準だと男の特権である身体能力が低下します。(よって低下した子孫が誕生する確立が高くなる)
女性が強くなっていくのに、男が弱くなっていくので子孫は増えません。
また、男の子は母親の運動神経を継ぐ事が多いらしいので、女性もお金だけを求めていたのでは強い男の子を産む事が出来なくなります。(まぁ、人間社会では身体能力だけが高くても意味無いのですが…)
身体能力とは先天的なものですが、錬磨・研鑽すれば、それなりに高める事は可能です。
他者との比較ではなく、子孫に繋がる能力は高めておいた方が良いわけです。(それが親に成る者の責任というものですね)

もし優秀な部下を育てたいのなら、それは育てる事に特化した女性に任せ、まず男は自分の子供を立派に育て上げる必用があるのかもしれません。
その経験が無くては教育の本質も解らないし、子供の頃の教育こそが大人になってからの基盤となります。(この領域では女性は行き詰まっているので、男との交代が必用なのだと感じます)

今、日本に求められているのは単に若者の人数では無く「優秀な子孫の繁栄」なのだと考えます。

徴兵制度を嫌う人が多いですが、別に戦争する為に行くのでは無いのですよ。
大体、戦争を始める者の多くは自分で闘いませんし(笑)
そんな輩の命令なんて聞く必用は無く、「誰がその者なのか」を見極めて的確な対処すれば良いのです。
その為の力と知識を学ぶ必用は、これからの若者には必要不可欠でしょう。(仮想空間の闘いだけで終われば必要ないけどね…)

要は闘える者は選択できるって事です。(闘うか、闘わないかを)
闘えない者は選択できない現実しかなく、ただ支配されるだけ、それを認識する必用があるでしょう。

闘える者が多くなった場合、誰も無駄に争う事はしないかと。
なぜならば、双方が無傷ではすまず、それが致命傷になりかねないからですね。(小競り合い位はあるかもしれませんが)
軍鶏として内戦させ商売に発展させる者達もいますが、これは日本には通用しないでしょうね。

これからの時代、様々な意味で女性の選択が命運を分ける事になるでしょう。
それを自覚して未来へ進んでもらえると助かります。(他力本願で申し訳ないです…)

この事は結婚願望が無い私にも、全く無関係ではありません。
遺伝子を残したいと思われるかは別として、私の作品を繋いで行く為には絶対に女性の力が必用です。

女性特有の高い感性に訴えかける行為が不可欠で、結局は魅力的な存在と認識される事が求められるわけです。
同姓にも必用なアピールですが、高い感性を持った男は少なく、張り合う事が先に出てくるので繋ぐ事には向かない対象だと言えます。(本能なので仕方ないですが)
そんな中でも理解してくれる男性もいますので、その人達は大切にしていきたいと思います。

どんな領域であれ、例えそれが子孫繁栄に繋がらない領域であっても「異性に向けた主張」と言うのは、人間社会には必要不可欠な行為なんですよね。
でも過剰に顔色を伺うのは、そのもの(繋ぎたいもの)の存在価値を下げてしまい、そのもの(その作品)は本来の力を失って誕生・存在してしまいます。

なかなか難しいバランスですね…、それでも古代から続いている人類の法則でもありますので、それを理解しながら受け入れ活用しようと思います。

こう考えると少子化ってかなり深刻、税金を天引きする人員が少なくなるってだけでは終わらないかと。
異性へのアピール能力の低下は、人類存続の危機とも言えるのでしょうね。(でも人類自体が減っているようには思えないのですが…、それと評論家モドキばかり増えているのも問題な気が…)
しかし、こんな状況だからこそ本物が誕生する気もします。

なんか結局は少数精鋭と成っていく気がするのは、私だけなのだろうか?
2014年09月03日
今回は、天照大御神の新作を紹介します。

月読の「月影」や、素戔鳴の「万武不倒」と同じ黒ヒスイを加工して、天照大御神「闇陽炎」を制作しました。
純白のヒスイに石墨が入ることで黒く染まり、その黒は一切の光を透しません。
燃え上がる炎のような、揺らめく陽炎のような模様が魅力的だったので天照に用いました。
強い光を受けると白地がより見えやすくなり、黒の模様が目立ちます。





似たテーマの作品に日蝕がありますが、その意味合いは違います。
黒い陽炎に包まれる天照には「白(光)と黒(闇)とは表裏一体」といったコンセプトを込め、そのバランスを保ちながら姿を変える黒天の陽を表現しています。
こちらも特に不吉な現象を表現したのでは無く、神という存在をそのまま映し込んだ作品です。
それも当然で、この揺らめく黒の模様は私が作ったので無く、地球(神)が創ったのですから(笑)

これで同じ黒ヒスイでの三貴子が揃いました!(将来的に大サイズも作ろうと考えています)
特に黒ヒスイに需要があるわけではありませんが、個人的に揃えてみたかった三貴子です。
きっとこの想いにも自然からのメッセージがあり、それを切欠に誕生したのだと思っています。(私が勝手に)
全てを塗りつぶす武の象徴色と、厳格さを伝える黒ヒスイの作品なので、興味本気だけでは所有できないでしょう。
もしかしたら他者の手に渡る事は無く、私の手に在り続けるのかも…、結局は自分のカケラを作ってしまったのかもしれませんね(笑)
それもまた創作活動なので、満足のいく作品に仕上がって良かったです。


実は7年くらい前(ibitsを始める前)に、漢字は違いますが火之迦具土神で同じ名の作品を制作しました。(確か闇影焔だったかと)
その作品は、ある漫画家さんが購入されまして、少し後に同じ黒ヒスイを使った神印と神鏡もオーダーして頂きました。(作品画像が残っていないの残念ですが、黒ヒスイで制作した小サイズの火之迦具土神です)
この仕事をしていると色んな人と知り合えるので、とても面白いです。

今後も創作活動を続ける中で、大切な縁を結んでいけたら幸せです。
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