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2015年04月02日
今回は、素戔鳴「以心伝心」の四作目を紹介します。

知人から譲ってもらった良質の紫ヒスイ、SVペンダントのルースもこのカケラで制作
しました。
石質・発色・模様と、三拍子そろった珍しい紫ヒスイです。
チタン石もあまり見られず、紫と翠が混ざり合って非常に幻想的です。




大サイズを制作したかったのですがプレートの面積と厚さが足りず、中サイズの制作
になりました。
模様のまとまった部分を活かし、これからの季節を象徴する作品になるよう仕上げま
した。
磨きをかけた事で光の乱反射がなくなり、膨張するような輝きは見えづらくなりまし
たが、その代わりに紫と翠の模様がハッキリと見えるようになりました。


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翠にはチタン石も混ざっているのか、少しくすんだ部分もありますが、石質は均等で
艶やかに仕上がりました。
紫ヒスイは、加工してしまうと色が薄れてしまう事が多いのですが、今回は深い紫を
保ちつつ魅力的な模様を纏わせる事ができました!
このタイプも光源により、紫が濃く見えたり淡く見えたりしますが、これだけ全体を
紫が包んでいれば存在感があります。(濃くても、淡くても)

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白地は乳白色で美しく、透明度も高いタイプの紫ヒスイです。
何よりも致命的なヒビ(非なる美)が無く、最高クラスの紫ヒスイなのだと解ります。
海で出会えるタイプの紫ヒスイのようで、とてもキメが細かく堅牢です。
不純物が目立って見られないもの、素戔鳴により品格をもたらしているのだと感じま
す。(不純物を活かす作品もあるので、一概に不純物が邪魔と言うわけではない)

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この紫ヒスイで神玉を制作できるのは、これが最後になるかもしれません。
今回は運良く知人に譲ってもらいましたが、次があるのだろうか…。
叶う事ならば、次回は大サイズを制作できたらと思います。(可能性は低いですが)
奴奈川姫のデザインを具現化する際にも、この紫ヒスイを使えたら理想的です。(ま
だデザインが誕生していませんけどね(笑))

これだけ発色の良い紫ヒスイなので、より強く相手に想いを伝える作品に成ったかと
思います。
糸魚川の桜は、これからが本番なので、次第に満開となる北陸の桜のように、光を受
けてこれからの季節に輝いてもらいたいです。


ちなみに、これだけの作品なので私が持っていても良いな…、なんて事も考えてまう
自分がいます(笑)
手放したくない気持ちは仕方ありませんが、相応しい人が現れたのなら執着せずに
「その人のカケラ」と成るよう願って、立派に送り出せるよう成長したいと思います。
(自分が欲しい存在を作っているので、今更ながら仕方ありませんね…)


それぞれの誓いを身に付けて「私たち人間は神々(自然)と交歓する」、それが原点
なのだと考えています。
2015年03月31日
今月も、姫川をモニターしてきました。
やっと春の訪れを実感できる気温となり、曇りの多い日から晴れが多い日になってきています。(その分、花粉が大量に舞うので大変です(笑))

今回は、大野周辺の報告です。
この日は朝から曇っていましたが、この霞がかった景色は雪解けによる事が主な原因だと思います。
気温も高かったので、曇っていても気分は期待に満ちた春の日和となっていました。
ちなみに橋に固定してある石は、ヒスイと言うよりはロディン岩なので、壊して持って行っても意味ありませんよ(笑)




あれだけ積もっていた雪が溶け、更に整地された事によりスッキリとした環境になりました。
これから芽吹きを迎えますが、去年のような鬱蒼とした状態にはならないかと思います。





土手にはフキノトウがあって、確実に春が訪れている事を告げています。
数日前から急に暖かくなったので、成長も早いようです。




以前までの崩れそうな崖は無くなり、立派な堤防が出来ていました。
これでこの場所の危険は、かなり軽減したかと思います。
ちょっと気になった事は「両端が土を斜めに整えただけ」と、言う事です。
これからブロックを積むのでしょうか?、それともこのままなのかな?






ここも整える計画になっているのかな?
けっこう崩れたな…、と言う印象が以前よりあります。




よく見ると上流から流れてきたであろうゴミが、大量に散乱しています。
廃材のようなゴミもあり、これだけ多いと対応に困ります。
こういう場合はどうするのだろうか?





姫川の本流は水かさが増し、普段より濁った水が流れています。
雪解け水だと思われ、とても冷たく流れが急です。
これから更に激しくなるので、遊ぶ際は気を付けて下さい。





本流から分岐している流れは穏やかで、鉱物拾いを楽しむ人が一人いました。
これだけ川が変わっていれば、ヒスイと出会える可能性は高いかと思います。(後は天運次第かと)




最後に、モニターをしていたら晴れてきたので、その景色も載せます。
やっぱり晴れている方が気持ちが良い、晴れても霞がかっているのは、この季節ならではの風景でちょっと幻想的です。(この霞を食べたら、仙人になれるのかも(笑))







これから雪は無くなり、ヒスイ峡や不動滝へも行けるようになるので楽しみです。(五月にならないと除雪されませんが…)
山菜や山野草なども楽しめる季節になるので、いろんな楽しみがこの先に待っています。
この再生の季節を、思いっきり楽しもうと思います。(創作活動も)



全く関係ない話ですが、車のタイヤ交換をして筋肉痛になりました(笑)
2015年03月29日
これは、最近ご縁があったお客さんの質問に答える事で、再認識した事です。

ヒスイで制作した玉を連ねたブレスレットでの質問なのですが、「ヒスイ同士が擦れ合う事で音が鳴り、欠けたり傷が付いたりするのか?」と言う事でした。(実際はもっと丁寧な、お問い合わせでした(笑))

この質問に答えるには、玉一式が「何を兼ねているのか?」を知っている必用があります。
そしてヒスイが奏でる音が、どれだけ重要なのかを感じ取る必用もあります。

答えを言えば、あのタイプのブレスは数珠を兼ねたスタイルであり、音が鳴るよう少しゆるめに身に付ける方が良いのです。
普通の人では数珠が長すぎて邪魔なので、ファッションとして身に付けながらも加護を受ける、そんな目的があります。
なので二重に付けても良く、音が鳴る方が良いわけです。(ちなみに、返信する前にお客さんは気が付いたようです)
この時の玉と玉とが触れ合う音を、瓊音(ヌナト)と言うのだそうです。

では音の重要性についてなのですが、まず先に磨かれたヒスイ同士で擦れ合っても肉眼に見える程の傷は付きません。(砂場で派手に遊ばなければ(笑))
硬度的に勝る石英に強く押し当てながら研磨しない限りは、ほぼ無傷と言って良いかと思います。

そもそもに結晶体では無いので堅く、普段使いで欠ける事も砕ける事もありません。
風化にも酸化にも強く、人の一生では繋ぎ合わせているゴムが劣化するくらいです。
更に皮脂により摩擦が緩和されて、自然に磨いているような状態になります。


さて本題の音の重要性ですが、その音が「魔除けになると信じられている」って事にあります。(どんな音でも言いわけでは無い)
古来から音には、魔除けの力が宿ると言われています。
よって魂の依代とされるヒスイが奏でる音は、より大きな魔除けになるわけですね。

よく聞いてみると心地良い音色で、手触りも良いから癖になります(笑)
念仏を唱えなくても、心の浄化や安定をもたらしてくれるのだと感じます。

これが古代から繋がる音色である理由は、人とヒスイとの文化によるものでもありますが、原点は糸魚川の海にあります。
糸魚川では、海からもヒスイが上がります。
波打ち際へ行くと、波で擦れ合う石たちの音が聞こえてきます。
当然、その中にはヒスイも含まれていて、その音色で護られているまちなのだと感じます。(他の鉱物(瑪瑙など)もあるので、その効果は抜群かと思います)

この音色が精神を癒し、それを魂に伝え、肉体を活性化させる、そんな事が古代から繋がっているのだと思います。
しかし間違ってはいけないのは、魔除けではありますが「人の悪事から身を護る存在では無い」って事です。

その前段階の護りであり、そもそもにこの音色を聞いて生活しているのにもかかわらず「魂が腐っている者」は、この糸魚川にも多数います。
これは「精神から魂に音が届いていない」って事であり、その者達には当然宿るであろう基準が備わっていない事になります。
これでは抑止力には成りません…、魔は除けても悪からは守られない、それは忘れないで下さい。(悪事には、知恵と身体能力で対抗する以外にないかと…)


多くの人が糸魚川の海へヒスイ拾いに来るのは、「音色を求めての事」も含まれています。
本人は気が付いていないでしょうが、本能的に心の浄化や安定を求めています。
当然、ヒスイを拾いに来ているので目的は良質のヒスイですが、拾えなくても無駄ではないわけです(笑)
これを認識できないと、ヒスイへの執着が怨念へと変わり、狂ったように探し求めるようになります。(亡者のように徘徊し始める)

こうなると負の連鎖となっていきますので、天運を逃したり、腐れ縁になってしまいます。

逆に言えば、この行為で人の品格を判断できるわけです(笑)
良いヒスイを拾えてるとかの問題では無く、その者の行為、向き合い方、そういった事が明確に出るので、一つの判断材料になります。

そう言った事を自分の基準に蓄積し、信用への判断材料とすると良いでしょう。
面白い事に、信用できない人には良く似た特徴があるので、非常に解りやすいです(笑)


悠久の時より自然(神)が奏でる音色、それに人が適応して自然と共に生きられたのなら、古代人と同じ景色を共有できるかのもしれませんね。
2015年03月27日
この間、ヒスイ製品を扱う業者が集まってまとめた事を書きます。
全員は来ておらず、とりあえず現状の確認と報告内容を話し合いました。

まず、根本的に「ヒスイ製品全部の場所自体を移動するべき」との意見がでました。
今の状態は奥に押し込んでいる感があり、せっかく市が作ったヒスイの説明などのパネルと離れすぎているのは、どう考えても異常なのだそうです。(ちなみに市でヒスイ原石として展示してあるケースの中に、ヒスイではない石がが2〜3個あります(笑))

言われてみればそうですね…、ヒスイをメインとする市の意向とは全く逆の配置です。
この事に理由は在るのだろうか…?
もし在るとするならば、恐らくですが「今更ながら手を汚したくない」って事かと…。

要は「扱っているヒスイ製品の素性が分からない」って事で、売る事自体をリスクとして考えたのかもしれません。
他の理由は見当たらず、業者に一切の説明も無い、よってこれが理由かと私は思うのですが、ちゃんとした真意が知りたいですね…。(もっと単純で幼稚な理由かもしれないし)

宝飾ブースと天上の専用照明がズレている件は、私はド素人に金を渡して設計させたのだと思っていたのですが、実際は店長が癒着している業者のガラスケース2個を無理矢理そこにねじ込んだ事により、寸法がズレて当初の設計とは違うようになったのだそうです。

何とも救えない話だ…、しかも私が思う理由が真意だとしたら、全くの逆効果になっています。(わざわざその場所にねじ込んだのだから)
よって宝飾ブースの照明の件は、ねじ込んだガラスケース2個を出せば、設計通りに納まる事が解りました(笑)

何故、店長が「そんな事をしたのか?」ですが、前にも書きましたが以前に商品ケースの囲いから出された事への「仕返し」なのだと思います。(ある業者へ向けての)
もう子どもの喧嘩ですね(笑)、それに「その他大勢の業者が巻き込まれてる」っていう現状はどうなるのだろうか?(キックバック疑惑の件もどうなんだ?)
もし共有スペースに私の品が入っていたのなら、間違いなく営業妨害で訴えています。
デザイナー時代の弁護士もいますので、法廷に引っ張り出しますね(笑)
他の業者も、その気があるのなら可能かと思いますが…。

ちなみにヒスイ業者だけでなく、お菓子やお酒の業者からも苦情が出ているようです。
地元の業者を優先せずに、地元以外の業者を入れて場所の奪い合い(縄張り争い)が起きているようです。
それぞれに商品を大量に持ってくるので、ガチャガチャになっています。
こうやって地元の物が消えていくのか…、と思うと少し悲しくなりますね…。(糸魚川生まれではない私でも)

経営陣は、もう物産センター自体を辞めたいのだろうか?
ここを一つの単なる販売店として、別の運営をして行きたいって事なのかな…。
もしヒスイをメインとして行けない理由が業者に在るのなら、その事をちゃんと伝えて話し合うべきだと思うのですが…。
産地を表記して、業者も表記する、見た目で産地が分からないヒスイ製品は分析により処理の有無を確かめる、これで良いのでは無いだろうか?(宝飾系は、処理の有無とグレードが肝心なので)

どうもそれだけでは無い思惑が在る気がする、もの凄くセコイ小遣い稼ぎの思惑が…。

元々、ヒスイ王国館は新幹線の進路に入る予定だったので、取り壊す事前提で運営していたのだそうです。
その予定が狂ったので、経営陣も狂ってきたって事なのかな…。

新しく入ってきた菓子の業者も、コネで入ったのかも。
誰が誰を入れたのか、それをハッキリしてもらいたいなぁ…。(私が知っても意味無いですが(笑))
もしかしたら地元の業者全てで、抗議する事になるのかもしれません。

始まりからズレまくっているので、どこまでズレて行くのか訳が分からない(笑)

何であれ現状を良しとしていない業者とは、ちゃんと話し合う場を設けなくては「後進国まる出し」なので、恥ずかしいのではないでしょうか?

筋が通った理由であれば、誰も文句は言わないし、改善方法も見つかるかと思います。
2015年03月23日
今回は、月読命「月影」の二作目を紹介します。

一作目の中サイズを制作した月影と同じ黒ヒスイで、大サイズを制作しました。
素戔鳴の万武不倒とも同じ黒ヒスイなので、天照を作れば大サイズでの三貴子も揃います(笑)




漆黒を纏いながらも、純粋な白を本質とする月の姿が魅力的です。
目立ったヒビもなく、艶やかな仕上がりとなり「強さの中の優しさ」が表現できたかと思います。
石墨により黒を示しているので透明度は無いですが、所々に見える純粋な白は光を透して美しく輝きます。
白と黒、どちらを影としてみても面白く、その身に宿しているのが「善と悪」ではない事が解るかと思います。






曲線をとりながらもシャープな姿、それが私の理想なので特に気を付けて加工しています。
丸みを強めると、古代風になるのと同時に幼稚にも見えてしまう恐れがあります。
私としては「少し幼さを残す」位が丁度良く、既に宿っている糸魚川ヒスイの品格を保ちながら、作品を作りたいと考えています。
黒という品格を出しやすい色での制作なので、より気品が高まった作品となったかと思います。(自己満足ですね(笑))

このタイプの黒ヒスイは、海での転石としては少ないように思えます。(私の経験では)
あまり割れる事なく、川で磨かれているからだろうか…?
確かに石質はヒスイの中でも堅牢で、堅さと柔らかさを合わせ持っているように思えます。
加工していても滑らかで、良く練られている感覚が手に伝わります。

プレートにすると少し大きめの翡翠輝石がキラキラと輝いているので、粗いヒスイに見えるのですが加工すると違いが解ります。
もしかしたら「石墨が翡翠輝石の間を埋めているから」なのかもしれません。
でも黒ヒスイでは無く同じ感じのヒスイがもう一つあるので、石墨だけの理由ではないかと…。

何かが翡翠輝石の間を埋めている、これは確かであり、魂の器となる理由もそこに在るのかもしれません。





全く話は変わるのですが明日、物産センターにヒスイ製品を出している業者が集まって現状の改善点を話し合う事になりました。
前に書いた私が思う問題点を、他の業者も確認して店側に苦情を言ったようです。
しかし店側が対応しない事から、業者の総意として正式に申し出るようです。

苦情を言った甲斐があったのか、照明はそれなりに明るくなりまし。(まだ足りませんが)
いや当たり前か…、切れていた蛍光灯を入れただけだし(笑)
でも品の配置やケース代などの件は変わらず、何の対応もされていません。

勾玉類は照明が当たらず僻地のまま、放置されている感じですね…。
まぁ、私は共有スペースに品を入れていないので、特に被害は無いのですが。(私の作品は入れないって言われましたが、私としても現状では入れたくないです(笑))

そういう意味合いも在ったのだろうか…?

恐らく、店側にも業者に言いたい事はあるのだと思っています。(古巣ですので分かります)
一方的に責められる程、業者側の多くが真っ当に運営していないのだから…。
その事を業者側と話し合う事はしないのですよね…、どうにも救えない現状だ。

結局、私が成したいカタチは、まだまだ先になるのだと思います。
何故ならば「在庫処分に必死な爺さん」と「家族を養うのに必死な業者」との、単なる縄張り争いになっているからです。(巻き込まれたくないから傍観している業者もいますね(笑))
限りのあるスペースを「自分の扱う品だけで埋めたい」ってのがバレバレです。(専用スペースならケースを借りれば良いのに)

その者の立場で考えれば「ヒスイ製品を残すよりお金に代えたい」や「子どもを育てるのにキレイ事は言ってられない」というのも解らないではないです。

が…、そう成らないように生きるのが、糸魚川ヒスイを扱う者の条件でもあるのだと私は考えています。(最低限の条件かと)
私が当然と認識している基準を持ち合わせていない…、よって話が通じません。(私は外国人か(笑))

自分で作って自分で売る事を基本とし、扶養家族を持たず(親は別)、器用なだけの引きこもりでも無い、そういった者達の未来を求めているわけです。(私は)

今回の事で何が変わるのか分かりませんが、少しずつでも前に進んでもらいたいです。
2015年03月20日
私が物産センターの加工所にいた頃からのお客さんに、勾玉の制作を依頼されました。(久しぶりで懐かしかったのと同時に、憶えていてくれた事に嬉しさも感じました)

もう何十年も昔の、父親の代から家に在ったヒスイのカケラだそうです。




見た限り青海系のヒスイで、かなりのヒビがあります。
石質は良く、緑も少し暗いですが全体に濃く入ってます。
裏側は緑が薄いですが、その分、ヒビが全くありません。
以前に友人が出会ったヒスイと良く似ていて、良質なヒスイである事がわかります。(色的にも、加工的にも良質)


そんな思い出の詰まったヒスイで、奴奈川の勾玉を作りました。
一部にヒビが少ない部分があったので、そこから制作しています。
ヒビを避けながら色を残していく、なかなか難しいですが、やり甲斐もあります。




暗く見えていた緑でしたが、磨きをかけた事で光を透し明るく輝きました。
なるべくヒビを避けたので少しスレンダーになりましたが、身に付ける事を考えると、この位が丁度良かったりします。
所々に流れる緑が美しく、雲のような模様も全体に見られます。







光を受ける事で、更に輝きを増します。
両面で違った生命色を見る事ができ、季節に合わせて見方を変えると面白いでしょう。
この景色を見る度に癒される、古代の人も同じ感動を楽しんだのでしょうね。(身分の高い古代人だけでしょうけど(笑))





今では出会う事が困難なレベルのヒスイですが、昔はどうだったのだろうか…?、と疑問に思う事があります。
現在までの加工での経験で見ると、このレベルを持っている(加工に持ってくる)年輩者も少ないので、昔でもそれ程多くは無かったのだと思います。(私の経験則です)

もしかしたら原石で売り払ってしまい糸魚川に無いのかもしれませんが、そう多く出ていないのは間違いないでしょう。
そんな貴重なヒスイを、私が加工できて良かったです(笑)

その方の親父さんは原石を集めるのが好きだったようですが、このプレートのままでは勿体ないとの事で、形見のヒスイを勾玉を制作する事を決めたようです。
父の思い出を勾玉に宿して身に付ける事で、その方のお守りとなるのだと感じました。

良い勾玉に仕上がりましたので、一族の護りとして繋がっていく事を願っています。
2015年03月17日
建御名方のデザインを考えている際に、色々な事が見えてきました。
見えてきたといっても、私の個人的な考えなので完全に正しい訳ではありませんが、面白い一致が見られます。

それは建御名方と武御雷は、「牛若丸(源義経)と武蔵坊弁慶の物語のモデルであるかも」って事です。
ちなみに、武御雷は建御雷とされますが、武神なので「武(たけ)」を使っています。(私は)
特に建国している神でもないので、こっちの方が良いかと思っています。(建国に大きく貢献はしていますが)
フツヌシとも同一のようで、刀剣の神なのだそうです。(書いた者の都合で名が変わっているのだそうです…、人のやる事だから当然か(笑))

まずは神話での私的解釈は、この二人の勝負は三本勝負だったと思われます。
将としての戦、体術での闘い、剣術での闘い、この三つで勝負したのだと思います。
そして建御名方は、将としての戦が苦手であったので敗北し、体術では勝ち、剣術では僅かの剣技と製鉄の差(剣が折れた)で負けたのだと思います。(この二人の勝負は相撲の原点だとされていますが、どちらかと言えば実戦的(モンゴル相撲みたいに)で、現在の相撲(押し相撲)の原点は天手力男なのだと思います)

三本勝負の後に、その驚異的な拳力が恐れられ両腕を切断された、もしくは両腕の筋を切られたのだと思います。

だた、それをしたのは武御雷ではないと思います。
あれだけ優秀な戦士、立場が違えば良き戦友となったでしょう。
そんな戦士の腕を無力化したのは、源頼朝のような立場の存在だったと考えます。

しかし建御名方の底力は、その強靱な足腰にあり、腕を無力化したくらいでは足技や柔術を封じる事は出来なかったのでしょう。
その理想的な体幹は柱に例えられ、大黒とも同一視される大国主の血を濃く継いでいるのだと思います。(大黒柱の血筋を)
それに「諏訪に逃げて命乞いをした」なんて事もあり得ないかと…、何故ならば諏訪の諏訪大社や御柱祭を見れば一目瞭然です。(あんなに信仰されているのだから)
きっと「諏訪に留めた」と言うのが、可能性として高いでしょう。

ちょっと呂不にも似ている気が…、武将として関羽に劣りますし。
でも武芸では並ぶ者がいなかった呂不と比べると、建御名方の武力は圧倒的ではないですね…。(やはり牛若丸と武蔵坊弁慶だな)


ここから牛若丸(源義経)と武蔵坊弁慶の物語に戻りますが、まず武御雷(フツヌシ)は「剣の先端に座り驚かせた」とありますが、牛若丸も弁慶の振り下ろした長刀の上に立って驚かせています。(驚かせた相手は大国主ですが)
更に源義経は剣技に優れた武将として知られていますが、純粋な力だけ(素手)なら武蔵坊弁慶には敵いません。

また、武蔵坊弁慶の最後は仁王立ちです。
あれはまさに主君を守る為の「最後の柱(楯)」としての象徴にしか見えません。
あの物語は、武御雷と建御名方が「共に戦っていたら」と考えた者の物語なのかもしれませんね(笑)
それに実際に両者(武御雷と建御名方)の間に友情が芽生えたのかも?、お互いが認め合うだけの力を持っていたのだから、戦士として当然の感情だと思います。
建御名方を貶める話を書いたのは、当時の権力者の「都合だけ」だったと思います。

両者の特徴を見ても、片方が剣(切り開く)であり、片方が楯(支える)となっています。
武御雷は武神でありますが、それ以前に刀剣の神です。(特にフツヌシは)
そう考えると武士の証である「刀剣と甲冑」こそが、この二つの神を揃えた姿のように思えて仕方ありません。

この事により、神玉での建御名方のモチーフも決まってきます。(私の中での話)
武御雷は象徴としての剣をモデルにしていますが、建御名方は(って言うか国津神は)もっと具体的なモデルをカタチにしたいと思っています。

感の良い人なら、ここまでの話でモチーフが見えてくるのではないでしょうか?
まぁ、それが相応しいかは人それぞれですので、私なりのカタチを糸魚川ヒスイに宿したいと思っています。

全ては繋がっていて、全てが継がれていく、そんな本質が在る気がします。
2015年03月15日
再び友人から転石での加工を受けました。

以前に勾玉2個と、SVペンンダント2個を制作したヒスイのカケラを加工します。
この画像のカケラは、前回のSVペンンダント2個を作る前の姿です。
当然ながら今回は、これより小さくなっていて大きなルースを制作するのは最後となるでしょう。(今回のカケラを撮影し忘れてしまいました…、ごめんなさい)




このペンダントは、奥さんの母親(友人の義理の母)に送るのだそうです。
以前に制作した友人夫婦用のSVペンダントを見た奥さんの母親が、とても惹かれていた事から贈る事にしたそうです。
このレベルのヒスイは質が非常に良く、無駄なく加工が可能です。
発色も明るいので、これからの季節にピッタリだと思います。




透明度も非常に高く、全体的に翠に染まっています。
若干のヒビは見られますが、それも糸魚川ヒスイの証として見る事ができます。(友人が出会ったのだから、間違いないのですが(笑))
生命色に彩られた小さな世界、そんな景色がいっぱい詰まっているように思えます。




今回で明るい翠のカケラは殆ど無くなりましたが、もう一方の落ち着いた緑のカケラは残っています。
鮮やかさには欠けますが、奥深さや品格を持ったカケラなので加工しても良いペンダントになるかと思います。(まだまだ同じ母石で、制作できますよ!)

奥さんが糸魚川の生まれなので、当然ですが母親も糸魚川の人です(笑)
なので糸魚川の人が、このヒスイのペンダントを持ってくれるのを嬉しく思います。

故郷の誇り・作り手の誇り・出会った友人の誇り、それらが宿ったペンダントなので、大切に身に付けてくれる事を願います。



北陸新幹線が開業して、様々な人達が糸魚川を訪れる事でしょう。
そういった方々にも、こういった楽しみ方を知ってもらえると、より糸魚川が魅力的になるかと思います。(きっと、悠久のロマンを感じられる事でしょう!)
最初は拾って持ち帰るのだとしても、それを「身に付けてお守りとする事の大切さ」を伝えて、お互いに成長できたら幸せです。

そんな未来が訪れる事を期待して、創作活動を頑張りたいと思います。(例えその未来が来ないとしても、勝手に頑張るのですが(笑))

厳しい冬が過ぎ、暖かい季節がやってきます。
生命の目覚と共に、新しい出会い(天運)が在る事を期待します。
2015年03月13日
提出した河川モニターの返答を貰いましたので、お知らせします。

加工付近の返答です。





「姫川の雪は、大野地区を境に下流は雪が無くなり、上流は積雪が残り堤防の河川巡視にも安全を確認しながら徒歩により実施しています。
 河口周辺では春の訪れが間近に感じます。写真を見ても雪が全く無いのが解ります。
 春間近の姫川は、気温が上昇するごとに雪解けに伴って水量が増える季節になりました。ちなみに、平成26年4月から平成27年2月までの、山本水位観測所の水位(時間毎の水位)で10月7日の78cmが最高でした。日最低水位は、10月31日から11月2日の三日間同じ値で、-101cmが最低でした。なお、月別にみると日最高水位を平均した値が、5月が最も高くなり-12cm(日最高水位の月平均値)でした。(観測所の標高63.046mを基準水位の0cmとしています)
 寺島地区では、低水護岸の工事を行っています。工期が3月20日のため最後の追い込みで頑張っています。河道内では重機を使ってのブロックの運搬・据え付けや土砂の埋め戻し作業を行います。
 ご存じのとおり姫川は、日本有数の急流河川です。異常出水の時には、山腹の土砂が崩れ、大量の水と伴に大きな石が流され河床などに激突します。堤防などの水衝部付近では、河道洗掘が生じ堤防を川の中から破壊する恐れがあります。川の底を深く掘って河床にブロックを敷き、河床洗掘の防止をします。また、低水護岸を強化して浸食を防止します。洗掘・浸食の防止を目的に寺島低水工事を行っています。
 自然の力は、人間の想像以上に凄まじいものと思います。今行っている工事は、100年に一度の出水に負けないような構造として施工しています。近年の気象現象は、地球温暖化現象が影響しているのか?激しさを増している様に感じます。
 日々の管理の中で、災害を未然に防止するため、小さな変状も見逃さずに、前兆を察して、適切な対応を施す様に業務を進めて行きたいと思います。」


との事でした。

水位の管理は、かなり細かく数値化しているのが良く解りました。
私のような素人には、その表面しか解りませんが、何十年も続けてデータを出している事は解ります。
それに基づいての変化を見れば、相応の予測(覚悟)は出来るように思えます。

人間にできる事には限界がありますが、そうなる前の心の準備(慎重さ)を促す大切な行程だと思います。
転ばぬ先の杖、備えあれば憂いなし、そういった事で人は自然と永く付き合ってきたのだと感じます。

なるほど、「100年に一度の出水に負けないような構造」を目的とした工事だったのか!
それでも毎年、少しずつメンテナンスしないと耐久性が落ちるように思えます。
それ程に姫川の下流は荒れます、凄まじく荒れるので「川の魚が全滅するのではないか?」って思う時もあります(笑)
魚は本能で生き残りますが、人は本能から距離をおく事で進化しているので、自然相手には地道な管理が必用となる事でしょう。

そういった事の大切さも、未来に繋げる必用があるのだと改めて感じました。
姫川と共に生きる姿を、後世にも残していって下さい。

これからは、少し春めいた姫川の様子を報告できるかと思います。
2015年03月10日
今回は、芽吹の垂飾と開花の垂飾の紹介をします。

まずは、芽吹の垂飾の紹介です。




雪解けの芽吹を想わす明るい翠が、とても魅力的なヒスイです。
小滝系のヒスイで、若干のヒビや石目がありますが、石質は良く艶やかに仕上がりました。
今回から、このタイプの垂飾を「芽吹の垂飾(キナ)」として行きます。
アイヌ語で「草」と言う意味があるらしく、草原のような清々しさも込めたいと思います。
雪が溶けて草が芽吹き、やがて草原となって数多の生命を育む、そんなコンセプトをカタチにしました。
基本的に従来の芽吹の垂飾と同じコンセプトで、よりそれらを強く表現したいと思い名付けました。



透明度も高いヒスイで、光を受けて翠が膨張して輝きます。
まさに再生の季節、待ちわびた春の訪れを感じさせてくれます。



次は、開花の垂飾の紹介です。




開花を想わせる紫が美しい、幻想的なヒスイです。
所々に入る緑が青葉を連想させ、その景色が花々の息づかいを感じさせてくれます。
チタン石による模様も面白く、春雪や残雪を想わせてくれます。
こちらも今回から、「開花の垂飾(ノンノ)」として制作しました。
アイヌ語で「花」と言う意味があるらしく、これから開花する花々の躍動も込めたいと思います。
厳しい冬を越して、今まさに咲き誇ろうとする命、そんなコンセプトをカタチにしました。



透明度は低いですが、その変わりに光源によって紫の濃淡が変わります。
奥から湧いてくるような紫は、まるで生きているかのようで、徐々に咲こうとする花を観賞しているような気分になれます。




異玉と生玉も首飾りにしてみました。
スエード紐にウッドビーズとメタルパーツを合わせています。
長さも調節できるので、自分に合うよう飾ってみて下さい。
糸魚川ヒスイの魅力と同時に、作者の誇りを身に付けていると感じてもらえると嬉しく思います。


編み込みシリーズの垂飾でも、コラボを進めています。
シルバーペンダントのコラボもそうですが、友人に無理を言って協力してもらっていますので、すぐにはカタチになりません。
その代わり納得のいく作品に仕上げられると思いますので、興味のある人は楽しみにしていて下さい。(人それぞれに好みがありますので、好みじゃ無くてもガッカリしないでね(笑))

今日は寒く雪もチラついていますが、確実に春に近づいているので、創作活動に力を入れて行きたいと思います。
2015年03月07日
昨日、物産センターへ様子を見に行って、その「あからさまな行為」に頭にきました。
まずは移動でズレまくっている品々、全く販売店としての基本が出来ていない。
自分達が何を扱っているのかが、理解できないのだろうか?
準備に忙しくて大変なら、出品している業者に連絡くらいしろと言いたい。(移動が完了したって事を)

まぁ、それは直せば良いので怒りは抑えましたが、ケースの配置が問題です。
私のケースは加工所の正面へと移り、そう問題は無い(照明に難あり)のですが、ある業者が一つ分のケース料金で二つ使っています。(もう長い事そうです)
しかも宝飾扱いで、それらと同じ並びに囲われています。(宝飾用の照明もある場所に)
あまりにも露骨、誰が見たって優遇しているとしか思えません。

その囲いを「宝飾分野」として、加工所の正面付近を「工芸品の分野」として分けているのだとしても、その選別がなされていません。(ちなみに将来的には、加工所正面のケース全てが、作って売る人達の品で飾られる事が理想的です)
しかも他の業者の勾玉は、その囲いから出されて一つだけ端に置かれていました。(照明が無く暗い場所に)
この状態は何なのだろうか?、早速、店長に苦情を言うと「私の作品は、あの囲いに入れない」と、ハッキリと言われました。(ヒステリックに)

理由としては「宝飾では無く、その場に合わないから」だそうですが、どうみてもその囲いには宝飾品以外の商品が並んでいます。(それに私は宝飾も作れますけど…)
まぁ実際、私の客層ならば加工所の正面である方が良く、「その業者の場所と変更しろ」と言いたい訳ではありません。(勘違いしたようで必死でした(笑))
私が何に怒っているかと言うと、その「あからさまな業者との癒着」にです。
他の業者より手数料が10%高いからと言って、場所とケースを優遇しすぎです。
平然と癒着を臭わす態度、それが当然のようにしている態度、常識が無いのでしょうか?(恥と外聞も)

その業者は店長とも強く繋がりがあるので、癒着しているような疑いを持たれても仕方ないのでは?(お金を貰っている疑惑だってあるし)
とにかく、やる事がいちいちセコイ、そんなやり方がバレないとでも思うのだろうか?(しかも私以外の業者から、苦情が出ないとでも思うのだろうか?)
とりあえず、その業者はケースを一つにして囲いから出し、その宝飾用とした二つのケースは、他の業者達の共同スペースにすべきだと思います。(その業者の商品は、通路を挟んだ近くのケースに移すべきでしょう)
全業者が名前を表に出せないのなら、宝飾領域は全て共同スペースにする必用があります。

その二つのケースを宝飾専用とするのなら、各々が宝飾品だけを並べれば良いだけです。
結局、どんな言い訳をしても筋が通らず、その業者を優遇している現実しか在りません。(ちなみに宝飾分野にすると言う事は、産地の制限から逃れたいと言う思惑がある証です)

それと、物産センター自体が委託で品を出しているのだから「勝手に手数料を変えるな」って話です。
競いたいのなら堂々と競え、「売れるなら何でも良い」と言うのなら、勾玉類を蔑ろにしている意味が解りません。
更に言えば、作ってもいない業者を優遇する行為も意味不明、その販売業者の在庫処理を手伝っているようにしか思えません。

恐らく以前、その業者が入っていた場所に私の作品が置かれていたのが気に入らなかったのでしょう。(店長も、その業者も)
もしかしたら私が場所を奪ったと勘違いしているのかも…、もしそうなら大きな勘違いで、私が出品する際に店員が空いた場所を勧めただけです。
何故その業者がその場所を出されたのかは、詳しくは知りませんが何かしらの問題があったのでしょう。(私が働いていた頃から、癒着の疑惑がありましたし…)

理由はどうあれ私がその場所に入った事や、物産センターで働いていた頃からの確執が大きな理由となっている気がします。(根深い嫉妬があるかと)
でも「好き嫌いで商売するな」と言いたい…、そこがこの糸魚川の致命的な欠陥だと言えるでしょう。(売れされすれば何でも良いと言っているんだし)
思い通りに成らなかった(成らないから)と言って、恨みを持つのはお門違いです。
俗に殿様商売と言われている特性…、歴史を見ても城がない町なのに、全くもって意味不明です(笑)

きっとその業者の商品を自分の商品と錯覚し、依存し、同化し、さも自分が運営している妄想を抱いているのだと思います。(弱者らしい妄想ですが)
どの商品を売っても、物産センターの売上げに成るのは変わりないのに…。
相変わらずと言いますか…、年々酷くなっている気がする、主任も解雇されたよですので、あそこには何かしらの闇があるのでしょう。(解雇には相応の理由が必要ですから、それに管理責任は誰にあるのですか?)
あの年代が必死になって保身をしている、そんな感じが強烈に伝わってきます。


ちなみにヒスイ商品の配置ですが、散漫となっていて通路が狭くなっています。
もっと宝飾系のケースを減らしてスッキリとさせた方が良いかと。(二ケースくらい減らすとか)
あれではもっと店員を増やさなくては、お客さんに対応できないかと思います。
どう考えても、あの規模に店員四人では、かなり無理があるでしょう。(一〜二人が休みの時もありますし)
商品も選別していけば、もっと少なくなるので丁度良いかと思うのですが…。(宝飾には鑑別書を付けた方が良いかと)

店内は窓を塞いだ為に暗く、照明を考えなくては購買意欲も刺激されない気がします。
切れた蛍光灯も多数あるので、それらもちゃんと変える必用があります。(私のケースの蛍光灯も古くなっているので、交換してほしい…。)

とにかく今月の14日には、万全の体制で運営される事を心から願います。
この機会が、糸魚川ヒスイとして「最後の禊ぎになる」って事を忘れないで下さい。(あの年代の、最後のチャンスとなるでしょうから)
2015年03月06日
友人からの依頼で、転石を加工してSVペンダントを作りました。

海岸で出会ったヒスイの転石、鮮やかな翠を持った綺麗なヒスイです。
この翠の部分を切り出して、ペンダント用のルースを作ります。



海の転石なので小さく、タイプが山石系なので小さなヒビも見られます。(友人に伝えた所、ヒビは全く気にしないようです(笑))
翠の部分の厚さがギリギリだったので、慎重にプレートを切り出しました。
地は淡い灰色ですが、それが逆に翠を鮮やかに引き立てているかと思います。(渓谷の芽吹きを想わせます)
グルッと翠が裏まで回っているので、削っても翠が無くなる事はありません。





ヒスイのSVペンダント完成!、翠・黒・灰の三色が入りました。
翠と交差するように流れる黒が、なかなか面白い景色を出しています。
小さなヒビが少し残りましたが、自身で出会った転石なので、それも魅力の一部となるのだと思います。(友人にとっての秘美なのだと感じます)




透明度は低めですが、それでも光を受けて翠が輝きます。
この系のヒスイは翠に特徴があり、発色が良いので遠くからでも目立ちます。
トルコ石の翠バージョンみたいな雰囲気があり、シルバーとの相性も良いように思えます。





この友人とは糸魚川ヒスイを通じて知り合い、今では私と同様に糸魚川ヒスイに魅入られています(笑)
同じ気持ちを共有できる同年代の友人がいるのは、とても大切な事だと感じています。

この縁を大切にして、長く付き合っていけるよう活動して行きたいと思います。(友人達よ、糸魚川ヒスイに飽きないでくれよ〜(笑))

将来的には、こういった仲間と仕事をしたいと思うのですが、財源を考えなくては必ず喰い合う事になります。
仲間とは活動の範囲に留めて収入は別の労働で稼ぐのが、一番バランスがとれるのかも…。
私だけ本業としていますが、それを赦してくれる(認めてくれる)人達であってほしい。(本業には本業の責任があるので、それを果たして行きますので…)

この領域が未来に必用であるならば、どうか「繋げ、継いでいく者」を支えて下さい!




話は変わりますが、先日の新潟のニュースで糸魚川の特集がありました。
主に完成間近のフォッサマグナミュージアム内観や、糸魚川ヒスイの紹介を放映していました。
その際に、私の勾玉(伊邪那岐)と、神玉(台座一式)が少しの時間でしたが映りました!
糸魚川と糸魚川ヒスイのアピールに貢献できた事を嬉しく思います。

ただ、事前に確認が欲しかったですね…。
と言うのも簡易的なケースの移動により、台座と神玉一式がズレてしまっていました…。
私は神経質なので、ああいったズレがどうしても気になってしまいます。
すぐに整えて店員にも注意をしたのですが、どうもその前に撮影されたようです。
整えるのは私か、店員か、撮影者さんか、誰でも良かったのですが残念です。(一番は私が注意していなくては、いけなかったのですが…)

私は、ことある毎にケース内の作品を綺麗に整えています。
ブース内を可能な限り「時間が止まった世界」にしておきたいと考えています。(だからって、販売していない訳ではありません(笑))
いつ見られても「綺麗な姿で在り続ける」、これはほぼ不滅な存在のヒスイならではの魅力だと考えています。
そういった事を、もっと注意して欲しいなぁ…、物産の店員さんも。
特に女性は他者から見られる事を意識しての特性(化粧などの)が高いのだから、それらの感性を扱っているヒスイ製品に向けて欲しいものです。

まぁ、私が毎日(朝夕に)それらを確認しに行けば良いのですが(笑)
そうすれば今回のような、私(神経質な者)が気になる姿で放映はされなかったでしょう。
でも姑のようで気が引けるなぁ…、それで気になり続けるよりは絶対に良いですよね。
幸いに家も近いので、今後はもっと定期的に確認して行こうと思います。

ただ、気が付かない人もいるので、その殆どが自分の「綺麗に魅せたい」という表現への行為なんだと思います。(結局は自己満足でありますが、それにより別格の存在力が支えるのも事実、大切な事なのだと認識しています)

作品でありながら商品も兼ねている、そう言った存在を高める為には、神経質な程の感性が必用なのかもしれませんね。
何であれ、糸魚川ヒスイの宣伝にはなったので、それらを更に高める為に努力して行きたいと思います!(制作以外にも、やる事はたくさんあるな…)
2015年03月01日
この仕事をしていると、様々な人達に出会います。
特徴を大きく分けると三タイプあり、それぞれに違ったメリットを与えてくれます。
それらのメリットとデメリットを書きたいと思います。(以前にも似た事を書きましたが(笑))

一つ目のタイプは、作品を購入して下さる方々です。作者と世界観を共有し、その創作活動を最も支えてくれます。
三位一体で言う、魂・肉体・精神を救う唯一無二の存在だと言えるでしょう。(作者にとって)
この存在がないと、芸術は成り立つ事はあり得ません。

しかし、物事には表裏があり、存在感が強い事でデメリットも強くなったりします。
例をあげると心酔し「同化したがる」、「束縛したがる」、「操作したがる」と言った危険性が高まります。


二つ目のタイプは、自分で拾ったヒスイの加工を依頼してくれる人達です。
自身の思い出のカタチを委託する事で、作り手を支えてくれます。
三位一体で言うと、肉体を主に救ってくれます。(全く魂と精神を救わないわけではない)
必ず資金が得られるので、ある程度の安定が得られます。

デメリットとしては、作り手に対する「羨望と嫉妬」や、「使役したがる」と言った危険性が高まります。


三つ目のタイプは、自分で拾って自分で作る人達です。
副業(趣味)であれ本業であれ、基本的に根本が同じなので、作る楽しみや大切さを共有できます。
三位一体で言うと、主に精神を救ってくれます。
「同病相哀れむ」とでも言うのでしょうか…、苦労も分かち合う事ができます。

デメリットとして、「才能への嫉妬」があり、更に「傷の舐め合い」により、お互いの成長が止まる危険性が高まります。
たま、自身で作るので「お客さん」と言った扱いにはなりません。
これは私も同様で、他者が作ったヒスイ製品を私が購入する事は在りません。(将来的にコラボは在るかも)


当然ながら、キッパリと三タイプに分かれておらず、それぞれの中間にいる人達も大勢います。(一と二の中間は、特に女性が多いように思えます)
その他にも傍観しているだけの人や、全く関心のない人もいますが、お互いに「毒にも薬にもならない」ので説明は必要ないでしょう(笑)


人との関わりは、とても大切で、生きていく為には必要不可欠ですが、適切な距離を把握していかなくては良い関係は築けないでしょう。
何故なのかと問われると、人間と言う存在が「基本的に弱い存在だから」としか言えないかと…。

近づきすぎて過剰な集団となれば、人間としての強者も弱者となり、やがて卑怯者(ザコ)となって行きます。(人としての様々な基準が、崩壊していきます)
そういった習性を宿命づけられているとしか思えない程、非常に不安定で矛盾しています。

それでも繋がりながら支え合い、傷つけながらも未来を共有する…、とても不思議です。

希望と絶望を身に宿し、どう進むべきなのかを共に考えて行く、それが人としての友(仲間)なのかもしれませんね。
支え合える人達と上手に付き合って、共有できる未来へ進めたらと思います。




ちなみに、こちらは地元の人から首飾りの依頼を受けて作りました。
転石自体は既に磨かれて穿孔もしてあり、それを革紐とウッドビーズで首飾りにしました。(タイプで言えば、二つ目のタイプに入るでしょう)



転石は、そのままなら標石クラスでしたが「それを身に付けたい」と言う気持ちも良く解ります。
家にただ置いておくよりも「身に付けていたい」、私の仕事の原点にも同じ思いがあります。(私の原動力は「造形して高めたい」って思いです)
地元の人と言う事もあり、そういった意識を持った人の存在を嬉しく思います。
今では簡単には出会えない紫ヒスイの転石、きっと思い出のあるヒスイなのでしょう。

そういった存在を、お守りとして身に付けて生きるのも、人として大切な事だと感じます。
2015年02月27日
今月も、姫川をモニターしてきました。
寒暖の差が激しく雨の続いた2月でしたが、ようやく春を間近に感じる気温になってきました。(この日も雨で寒い日でしたが、春の雨っぽく感じました)

今回は、河口周辺の報告です。
こちらには雪は見られず、先日の大雪でも特に積雪は無かったように思えます。
秋に良く似た景色ですが、どこか再生の季節への躍動を感じます。
海は荒れていませんでしたが、連日の雨により川は濁り、その影響を受けてか海も濁っていました。




水の量は多くありませんでしたが、雨により渇水の時期にしては増えたのだと思います。
これから雪解けが始まり、とんでもない水量になるのでしょう。
反対側では大規模な工事が進められています。




大型車や重機が頻繁に動いています。
邪魔にならないよう、現場の近くへは行かずにモニターしました。
遠くで見える明星セメントの煙が、雲と同化しているように見えて不思議な光景です。
セメント製造もフル稼働なのでしょうね。




これが以前の返答にも書いてあった、寺島地区の低水護岸工事なのでしょう。
かなり深く掘っていて、そこへブロックを埋めています。
この付近は頻繁に壊れていたので、これで洪水時でも堤防が決壊する心配は無くなるでしょう。




山の雪解けまでには、まだ時間がありますが春になるにつれて増水するので、天候が多少悪くても工事は進めて行くのでしょう。
この雨の中、ちょっとの時間でしたがモニターをして、現場の人達の苦労が少し分かったように思えます。(冬場の労働は、特に辛いものがありますね)
2015年02月23日
今回は、鳳の羽の首飾りを紹介します。


先日と同じ紫ヒスイで、鳳の羽の首飾りを制作しました。
前回より小さなルースですが、枠デザインと一体化して存在感があります。
春を運ぶ鳥、あるいは春風を表現できたらと思い、民族風の首飾りにしています。



鳥と羽が融合したデザインのSV枠に、柔らかな色彩の紫ヒスイを合わせてみました。
枠の裏側が空いておらず、ルースを合わせるのが少し手間でしたが、慎重に加工しながら納得のいく仕上げになりました。
ルースが小さい分、色の強い部分を選んで加工していますが、春や風をテーマにしたかった事もあり、このタイプの紫ヒスイを使用しました。
この清々しく深みのある紫は、気品さも感じさせてくれます。



裏側が空いていないので前からの光は抜けず、逆に膨張して紫ヒスイを輝かせます。
側面からの光を通すように、ルースの厚さも少しだけ高くしました。
小さな中にも、しっかりと幻想的な景色が詰まっている作品です。
こちらのSV枠はロジウムメッキされていて、変色の心配はありません。(925の刻印もされています)

スエード・ウッドビーズ・メタルビーズで首飾りにしていますが、自分好みの首飾りに変えて身に付けても良いかと思っています。




話は全く変わりますが、もっと先に延ばすはずの国津神「建御名方神」のデザイン案が湧いてきました(笑)
これも「不思議な縁の賜」ともでも言うのでしょうか…。
それと言うのも今月、本来は販売段階にない国津神「須世理毘売」を、ある方の強い要望にお応えして販売しました。
テーマに合った女性でもあり、通常のお客さんでは無く創作を共有できる方でもあったので、これも「偶然のようで必然」だと感じました。
そんな中で建御名方神を考えていると、モチーフとするイメージが湧いてきました。
全く見当もつかなかったのに突然思い付く、不思議です。(こんなに早くイメージできたのは初めて)

その方が言うには、「須世理毘売は嫉妬深いので、建御名方神や奴奈川姫にやきもちを妬いたのかも」と言っていました。
なるほど、私から離れた事でその束縛から開放され、建御名方神や奴奈川姫を考える力が養われたのかも。
また「自分に持てる量は決まっていて、手放さないと新しいものが生まれないという話もあるようだ」とも言っていて、それも納得のできる話だと感じました。(これは作っている人なら、良く解る話でしょう)

まぁ、2月の暗い雰囲気の中、この事が非常に新鮮であった事もあり、私の創作力が刺激されたのも大きいのだと思いますが(笑)

それでも同じ景色を見て、同じ事を感じられる人がいる事はとても嬉しいです。
自然の景色を見て、それが「美しい」と感じるのか、それとも命の奪い合いである「戦場」と見ているのかでは、全く感性が違います。
自然を美しく見られる人は、命を脅かされておらず、心に余裕があるからだと言えます。

それが人の成長であり、芸術へと繋がる源なのだと考えています。(昔、極寒の夜空で見た満天の星空が目に焼き付いています、凍死する思いをしましたが、そんな状況下でも美しいと感じる景色は、まさに神の領域なのでしょうね(笑))

ちなみに国津神は計画上の6体を仕上げてから、箱などのデザインをして、制作コストを見直しながら販売していく予定です。(いつに成るのやら…)
2015年02月20日
以前にも書いた糸魚川翡翠の未来を、再度考えてみました。(何度目だろうか(笑))

今月の13日から、物産センターの内装工事が始まっています。
工事と言っても今から始めるような小規模な工事で、一部の壁を壊したり作ったりする程度です。
商品の並び替えもするようですが、どうもスーパーマーケットのような並びになるらしいです…。
これ以上、糸魚川翡翠の品格を落として欲しくないなあ…。(噂なので、最終的な形に成らないと何とも言えないのですが…)
工事の為、商品ブースの簡易的な移動をしていますので、私のブース周りが少し混沌となっていますが、3月8日には終わるとの事なので、ご了承下さい。
この移動に伴い私のブースが何処へ置かれるのか、一抹の不安がありますが…。(まぁ、現場には臨機応変に対応してもらいますけど(笑))

どうしても糸魚川翡翠を別格の扱いにせず、物産の領域に留めたいようで、自分達が扱えるように存在を引き下げている感があります。(消耗品の扱いにしたいのでしょう)
更に産地を明確にする事もなく、業者を明記する事も無いようです。
要はミャンマー産翡翠を扱う事を、黙認したいのでしょうね。
糸魚川だけは「糸魚川翡翠しか扱わない」とした方が、世界に認めてもらえるのに…。
未だに「安く仕入れて高く売る事」を考えているのだろうか?

これに迷惑するのは、お客さんは勿論ですが、相対する販売員も対応に困ります。
どこの産地なのかも解らないまま、対応しなくてはならないのですから…。
現場の人達に手を汚させ、自分達は隠れて手を汚さない、そんな卑怯な事をこれからも続けて行くのだろうか?(そして知らなかったと逃げるのだろうか…)

しかも銀行から天下りしたジイさんを、引き続き加工所に入れていくようなので、翡翠好きの人達にちゃんと対応する気も無いようです。(銀行から融資を受ける為の施設になっている気がする…)
これが今の経営陣の限界なのだろうか?、どうにも改善不可能な現状が、今の糸魚川には存在しているって事なのだろうか?

市で翡翠をメインの一つとすると明言しているのに、何故こうも現状(中身)が追い付かないのかな…。
来客数(名)だけを考える公僕は今更どうにもなりませんが、利益(実)を考える業者の準備が全くできていません。(実を考えられないから、公僕なんですよね(笑))

現在の商売に必用なのは「福沢諭吉の印刷物を集めて喜んでいるだけの者達」では無く、それらを適度に使ってモノに変える人達なわけです。
お金を交換券として使える人達、汚く稼いだとしても綺麗に使える者達、商売に必用なのはそういった人達となります。

しかし糸魚川の翡翠には、綺麗に使える領域が少なすぎます。
同じように汚く稼ごうとしている者達で溢れ返っています。(その者達は、得たお金を綺麗に使う事はありません)
どうも「根本的な破綻」が存在しているのだと、改めて感じます。(中身のないパフォーマンスが多すぎますね…)

将来的に考えれば、糸魚川の翡翠を扱う者は「作る側である」って事が不可欠です。(ライセンス制も必用かと)
翡翠を仕入れして売る業者は、外で撃ちまくっていれば良いでしょう。
戦争と同じで「他人の国で争いたがる」って事が、最大の共通点でもあるのだから…。

そして作る側は、物産の加工所や高浪の池、不動滝などの管理を一部担う必用があるでしょう。(地域の人と財源を別にして、ローテーションで定期的に担う)
ああいった観光スポットは高齢化により、担い手不足になっていきます。
要は「観光に関わる仕事に協力する必用がある」って事で、家にこもって加工していれば言いわけではありません。(引きこもりじゃ無いのだから)
それと糸魚川での遺跡調査にも、協力していく必要があるでしょう。(糸魚川には、調査を目的とした遺跡発掘が必用かと)

糸魚川へ遊びに来た自身のお客さんを名所に案内しながらも、初めて来るお客さんとも楽しみを共有する、そんな活動が糸魚川翡翠を扱う者に求める「最低限の条件」にして行く必用があるでしょう。(主にフリーのお客さんが対象で、団体は業者に任せるのが良いかと)
ただ、基本的にサービス業ではないので、お互いに礼節をもって楽しめたらと思います。

もちろんこれには、翡翠だけの売上げで生きて行く事のデメリットの解消にもなります。(財源の確保が最優先ですが)
翡翠にとってのデメリットは「過剰に消費される事」であり、作り手としてのデメリットは「他者に足元を見られる事」ですから…。

また、今現在の糸魚川での「売る側と買う側の考え」を極端に説明すると、売る側は「安く仕入れたミャンマー産翡翠(処理品)を高く売りたい」って事で、買う側は「良質な糸魚川産翡翠を安く購入したい」って事です。
ここまでお互いの要望が離れていては、どうにも近づく事はできません。
なので「糸魚川産翡翠を適正価格で売る(買う)」と言う事が、求められるでしょう。
それを可能にするのも作る側であり、この者達の教育、或いは選別が絶対条件となります。

これには「信念を持った人材」で、団結する事が望ましいと考えます。(職人モドキでは無く)


ちなみに本来なら糸魚川の翡翠原石(特に切断されている原石)は、市がライセンスを持った加工人に販売して財源にするのが一番理想的だと考えます。(糸魚川翡翠の全てが、国の天然記念物に指定されている訳では無い)
では原石はどう揃えるのか?、ですが、市民に寄付して貰えば良いのです。(寄付した人に、ふるさと納税のような優遇処置をするのも良いかと)
これには、一定のレベルの翡翠原石である必用があります。
誰も寄付しないと思うかも知れませんが、それは田舎を知らない人の考えであり、その気があるか無いかの問題では無く「そうせざるを得ない」って状況に成るのが田舎の集団心理なわけです。
要は、ただ翡翠原石を持っている者は「住みづらくなる」って事で、幾つかを寄付する事で免罪符の役割を果たすわけですね(笑)
例え原石をライセンス所有者に販売しても、それを他者に売るライセンス所有者が現れるのでは?、と言った懸念もありますが、ちゃんと記録を残せば問題ありません。
その原石で何を作ったのか、残りのプレートはどれだけ在るのか、などを記録で残します。
原石を欲しがる者の殆どが「原石のままの姿での所有」を望むので、一度切断してしまえば需要は無くなります。(プレートにすれば、管理も簡単ですし)
もしそのプレートを誰かに売ったとしても分かるし、他者がそのプレートで制作した商品を売るにも糸魚川の外でしか売れなくなります。(要は趣味で加工する人達にしか売れないって事で、大した利益になりません)
勿論、その事がバレたらライセンスは没収となりますので、そこまでしてやるメリットもないわけです。(完全には防げませんが、かなりの抑止力になり、人格の問題にもなるので大丈夫かと…)
重要な事は、これは市に寄付され、市から購入した翡翠原石(主に切断された原石)での話であり、海や川で拾った翡翠などには適応されません。
この事は糸魚川翡翠を消費する事への「正当性を示す行為」でもあり、「戒め」でもある重要な大義名分になるかと私は考えています。
そんな事をしなくても翡翠販売業者の売上げを上げて税金を増やせば?、と思う人もいるでしょうが、そんな大規模な会社には成り得ませんし、成る必用も在りません(笑)
石灰石とは訳が違うので、その道理は通用しないでしょう。(でも市で石灰石を売っているのだから、市が糸魚川翡翠を売れない道理も無い訳です(笑))

どうしても未来の翡翠の加工人には、胸を張って生きてもらいたいんですよね…。(このままでは、ただの無頼漢にしか見えないし)


ここに書いた事は私個人の考えなので、各々が糸魚川へ来て自分の目で判断すると良いでしょう。
でも判断できるだけの基準を持っていなければ、上っ面に騙されるのは間違いないので、意味ありませんけどね(笑)

それにこれは、もっと先の「未来のカタチ」を想い描いての話なので、メンツが揃わない今では無理な話なのでしょう。

結局は自分の信じている姿を、見せて行くしか方法は無いかと…。
でも見せても「同じ事が出来ない」と言うのであれば、同じ事のできる者が現れるまで待つしかないのかもしれません…。

でも確実に前に進んでいるのだから、今は自分の事を頑張りたいと思います。
2015年02月17日
提出した河川モニターの返答を貰いましたので、お知らせします。

根知付近の返答です。





「姫川沿線を観ると、大野地区から上流に積雪があり、小屋根地区から上流は更に雪が多い様です。(2月6日頃)
 根知川合流部の付近には、未買収地の民地が存在します。ご報告の高水敷も民地で共有地もあります。過去に、河川工事でブロックを制作した事があり、借りた土地を返す時に地元要望でゲートボール場を作る事になった。しかし、「姫川は、急流河川で縦断勾配が大きい河川なのに、ゲートボール場は、水平に作らなければならないため苦労をした。」と当時の施工業者の方が話していました。何時の頃からか、雑草が生い茂りだして使われ無くなりました。
 現在、小屋根地区の雪の中で作業をしているのは、糸魚川の砂利組合関係の方々です。なぜ、この様な時期に作業をしているかと言いますと、河川工事等は、渇水期である秋の後半から冬期間が、増水の危険が少なくなります。一年のうちで最も安全な時期になります。また、川魚等への配慮もあり、この時期に川原の中で作業を行っています。
 今年度の河川工事は、寺島区と西川原地区及び山本地区で現在施工しています。
 小屋根地区の高水敷は、広く平らな地形です。一般者の駐車場としてまた石拾い等の河川利用者の駐車場として利用できないか?との事ですが、お察しのとおり、一般者の不法投棄や不法駐車(廃車の置き去り)などいろいろと困る事態が起こりうる懸念があります。また、民地のため地権者の了解も必用です。更に堤外地であり異常出水等の危険への対応もありますし、車から油流出等も心配になります。安全管理・環境保護への対応が必用に成ります。(川にも道の駅の様な施設が在っても良いですよね。)
 寺島地区の運動公園は、糸魚川市が占用許可を得て市で管理しています。きちんと管理出来る団体が占用許可を取り管理しています。この様に、地元や地権者の了解を得て適切な管理が出来る団体がいないと、小屋根に駐車場は難しいと思います。いずれにしても、河川利用者のマナーが良くなる事が何より大切です。
 冬の姫川は、危険がいっぱいです。天候の良い日に、安全を確保して川を散策して頂ければ幸いです。」


との事です。

先日の大雪で積雪は更に、ものスゴイ事になっているでしょう。
ちょっとの距離で、ここまで違うのは驚きます。

ゲートボール場が作られた経緯が良く解りました。
せっかく業者が苦労して作ったのに、勿体ないなぁ〜。
権利だけあっても、管理できないのであれば放棄したも同じに思えますが(笑)

渇水期が安全で仕事し易いってのは、石拾いと同じだな〜と思いました(笑)
もちろん石拾いは遊びなので、責任の重さは全く違いますが…。
去年からモニターをしてみて、姫川と上手に付き合っている人達もいるのだと感じました。(殆どが業者さんですけどね)



糸魚川へ来て強烈に感じた事は、「土地(敷地)に対しての執着が尋常じゃない」って事でした。
家の敷地の境界線も、常に隣同士でせめぎ合っている所があります(笑)
かなり小規模な領土侵犯が、日常的に行われている感じですね…。(ちなみに敷地の場合は、不動産の権利書に記載されているので法律で解決可能なのですが、そういった状況になると急に大人しくなるようです(笑))

この習性は老人(特に爺さん)に多い事から、昔の糸魚川は土地が何よりも大切だった事が解ります。
もしかしたら財産と呼べる存在が、土地以外には無かったのかもしれません。
なので、土地を手放す事(売るなどして)を、極端に嫌がります。

きちんと管理出来る団体がいない事も問題ですが、それ以前に権利だけを主張して管理能力のない個体が問題となっている気がします。
自分が使いこなせない存在を、他者が使いこなす事への「男の嫉妬や僻み」、これを強烈に感じます。
共有できる未来を考える事は無く、いつまでも自分のレベルに引き下げ続ける性根、これを見れば一部の韓国人や中国人だけを非難できないかと…。

きっと自分の手の届かない存在となり、自分が利益を得られなくなるのが恐ろしいのでしょう。
自身が成長するという選択はせず、権利だけを振りかざして正当性を主張する…。
これが人間の最終形態なのだろうか?、と思うと未来は真っ暗になります。

ですが若い人には見られない特徴なので、そう心配する事も無いようにも思えます。
財産とは古より、早い者勝ちで決まってきたのでしょうが、先祖代々から受け継げる財産には、その対象とならないものが存在します。
それが才能であり、個体としてのみ継げる財産です。

それらを成長させ「権利だけを持った中身のない者達とは違う未来」を、創って行く事が重要となるかと思っています。
違った成長を子ども達に見せていかなくては、現在の虚栄と虚構がセオリーなのだと、勘違いさせ続ける事になってしまうので…。
2015年02月14日
今回は、紫ヒスイの首飾りを紹介します。


知人から譲って頂いた貴重な紫ヒスイで、SVペンダントを制作しました。
この紫ヒスイは海で出会える事があるタイプの、とても稀少な紫ヒスイです。
乳白色の地に紫と薄緑が滲む景色は幻想的で、幼少の頃の夢の景色を見ているようです。
その紫ヒスイで慎重にルースを加工して、スェードとメタルビーズ・ウッドビーズを合わせて、首飾りに仕上げました。




絹にインクを滲ませたような模様が美しく、やや青みがかった紫には気品が感じられます。
よくある特徴のチタン石は目立たず、萌黄〜薄緑に溶け合っています。
何度も枠に合わせながら、可能な限り誤差の無いようにルースを制作しました。
SV枠はロジウムメッキされていて、変色の心配はありません。



透明度も高く、弱い光源でも神秘的に透けます。
色が濃く、くすんでいない紫ヒスイはとても少ないですが、この紫ヒスイはその稀少なタイプの紫ヒスイです。(私が知る限りの、最高クラスの紫ヒスイです)




こちらも同じ紫ヒスイで、SVペンダント制作しました。
ルースサイズが大きい分、色や模様を多くいれる事ができました。(大きく入っていた部分を選んで、ルースに加工しました)
ルースの下部の方が濃くなっていて、上部から紫が流れて溜まるような感じに配置しました。
こちらもスェードとメタルビーズ・ウッドビーズを合わせて、首飾りに仕上げてあります。




微睡むように湧き出す紫が魅力的で、幻想的な水彩画を見ているようです。
僅かに混ざり合う薄緑が、より神秘的に景色を引き立てているように感じます。
華やかな枠を選んだので、男女共用の首飾りになったかと思っています。(紫なので、どうしても女性の方が似合いますが(笑))
こちらもSV枠はロジウムメッキされていて、変色の心配はありません。(925の刻印もされています)



光を受けて輝き、一色タイプとは異なった模様を楽しめます。
地が乳白色なので、ボヤ〜っと膨張するような輝きが魅力の紫ヒスイとなります。
春を感じ、花々を感じ、幼き日の思い出すらも感じる、そんな景色です。

どちらの首飾りも、うなじ部分にあるメタルビーズを移動させる事で、紐の長さを調節できます。



今回は知人の好意により、貴重な経験ができました。
現在では、このレベルの紫ヒスイを加工したくても、その原石と出会えないでしょう。
万が一、海で出会えたとしても、勿体なくて加工する事が出来ないかと思います。(私の場合は)
乳白色タイプの紫ヒスイの多くは、発色している紫がとても淡いです。
それはそれで美しいのですが、加工する(磨く)と余計に薄くなるので、原石のままで楽しむ方が良かったりします。(それにこのタイプは非常に少ないし)

しかしこの紫ヒスイはルースに加工できるだけで奇跡なのに、その模様も素晴らしいです。
インクが滲むような…、紫色の雲が流れるような…、まさに幻想的という言葉がピッタリです。(いわさきちひろ先生の絵のようです)

こういったヒスイで「もっと多くの作品が作れたら…」とも思いますが、それは私のエゴであり、一つ一つを大切に造形していく事が、この仕事に求められているのだと戒めています。

譲って頂いたプレートを大切に加工し、代表作となるような作品に仕上げたいと思います。
2015年02月09日
今回は、天照大御神「咲輝」の三作目を紹介します。


白地に淡く染みる紫色が、春の訪れを感じさせます。
所々に入るチタン石や緑色などの景色は、春雪や桜の葉を連想させます。
紫色は光源により濃く見えたり明るく見えたりして、蕾と開花の表情を楽しめます。





強い光により白地が際立ち、斑のような模様が春風を感じさせます。
特に頭とお尻の部分に濃い紫色が入るように加工し、春の日を浴びて「ゆっくりと開花する景色」を天照に映しました。
綺麗な紫ヒスイが少ない中、テーマに合う作品が誕生して良かったです。



このタイプの紫ヒスイは透明度は低いですが、それでも魅力的に輝きます。
厳しい冬を越えた生命が、幻想的な紫の光を放ってその本領を発揮する…、そんな待ちに待った「再生の季節」を身に宿しています。


今の時期、この景色を見る度に、もうすぐそこの春が待ちきれなくなります(笑)
糸魚川の冬は私の生まれ故郷よりも雪が少なく、凍る事もありません。
でも、晴れ間が少ないのが精神的には苦痛で、冬は暗い気持ちになりがちです。(どこの冬も暗い気持ちになりますが…)

できる事なら冬のない国へ行くか、冬眠したいのですが現実問題として無理だし、それでは冬の魅力にも気づけないでしょう。
この暗い季節だからこそ光はより輝き、ヒスイはより自身の魂を支えてくれるのだと感じています。

この季節の加工は辛いですが、創作の楽しさは強く感じられ、純粋に作る事に没頭できます。
そのせいなのか、自分主動の作品を作る事が多くなり、販売する事を考えなくなります(笑)

ここらで販売も考えて制作しなくては、本格的な春に間に合いそうにないなぁ…。
と、言う事で垂飾のコラボや、シルバーアクセのコラボにも力を入れて行きますので、楽しみにしていて下さい。

ちなみに、自分主動の作品である神玉も販売していますので、気になる方はお問い合わせ下さい。
物産センターにも値段を表記して出品していますので、見に来て下さいね。(暖かくなったら)
2015年02月07日
久しぶりに晴れたので、海へ転石を拾いに行きました。
最近は海へ行く事も少なくなり、ヒスイの標石と出会う機会がありませんでした…。
今年は、この日が拾い始めとなります。(初心に戻り楽しもうと思いました)

早速、一番近い押上のヒスイ海岸へ行きました。
天気は良かったのですが海は大荒れ…、大きな波が打ち寄せていました…。
無理は禁物!、と慎重に浜へ近づき、波の引き際を見ていると太陽光で「ボヤ〜」っと輝く存在が目に映りました。
その時点でヒスイだと分かりましたので、波が引いたのと同時に走り、押してくるのと同時に戻りました(笑)
まだまだ「錆び付いていない」っと自画自賛をして、安全な場所へ上がり手にした転石を確認しました。(海には、県外から二人ほど拾いに来ていましたが、あんな拾い方は出来ないと驚いていました(笑))

海が荒れていると危険なので、全くお勧め出来ない方法です。
きっと久しぶりで気合いが入っていたから、動けたのだと思います。(慣れた時(油断した時)が一番危ないです)

こちらが、この日に出会ったヒスイです。
珍しさとしては普通レベル(レア度2.5)ですが、拾い始めとしては満足のいく結果でした!
標石とするには少し魅力が足りないので、ここだけの紹介にします。





白地に、うっすらと淡い翠が入っています。
細かい翡翠輝石がキラキラと輝いていて、まるで雪のような質感です。
石目にそって茶色く変色した部分は、このタイプのヒスイに良く見られる特徴です。(青ヒスイにも見られる特徴と似ている)
以前に紹介した黄色ヒスイと思われるヒスイとは違い、色自体が赤褐色で、練られている部分に染み込んでいる感じもしません。

茶色が張り付いているような感じで、石目で変色している部分は、かなり劣化しているようです。(その部分だけヒスイ輝石(細胞)が死んでいる感じです)
その石目から割れた事により、表面にも茶色が残っているのだと思います。

それなりに光も通して、8mm位なら透けます。
透けた部分も黄色くならないので、溶け合っていない事が分かります。(ちょっと茶色が映りますが)

もし完全に溶け合っていたのなら、黄色ヒスイと言えるのだろうか…?
ミャンマー産ヒスイでは、土の色が染み込んで表面〜数センチが赤色や黄色に変色するのだと言います。
染み込みながら酸化して色が付くと考えると、黄色が深く染み込んでさえいれば問題は無いのか?
まぁ、黄色ヒスイにもピン〜キリがあるので、その基準は分析するしか無いのでしょう。
それに見た目も黄色ではなく茶色のなので、溶け合っていても茶色ヒスイとしか思えないでしょうね(笑)


とにかく、久々のヒスイ拾いを楽しめました。
押上のヒスイ海岸は、糸魚川駅から一番近い場所にあります。
現在、工事をしていて、車を止めるスペースを広くしているようです。(普段は、大型車の運転手さんが休んでいたりして、車を置くスペースが狭い感じがありました)

ちなみに昔は、糸魚川駅の真正面が海水浴場だったのですが、現在は道路になっています。
あれでは商店街の道を歩いて海へ向かう意味が無い…、虹の橋では魅力に欠けるかと思います。
なので、糸魚川駅の正面(海側)に、奴奈川姫の祭壇を作ればどうだろうか!
道路はトンネルにでもして、その上に祭壇を作り、同時に虹の橋と同じく海を見渡せる場所にするとか。
これなら間違いなく、商店街を通って祭壇へ向かう事でしょう!(祭壇は古代の出雲大社をモデルにして作る)

海側に奴奈川姫の祭壇、山側に天津神社(天津神社本殿・奴奈川神社本殿)、そんな感じにすれば魅力的な気がする。(天津神社へ行く道も真っ直ぐに繋げた方が良いかと…)
その際は、旧市役所跡にある奴奈川姫親子の像を、祭壇に祀る事をお忘れなく。(あと海風対策もね)
あ、これって以前にも書いたような気が…(笑)

勝手な事を言ってますが、いずれそうなったら面白いな〜。(相変わらず無責任だな(笑))
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