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2016年01月17日
今回は、彩雲の垂飾の紹介をします。
白と半透明の斑模様が美しいヒスイで、彩雲の垂飾(レラ)を制作しまいた。
流れる雲がうっすらと翠に染まる景色を映し、その模様は高原の風を感じさせます。
スエードの紐にウッドビーズ・メタルビーズを合わせて首飾りにしました。




ヒスイ自体の肌が美しい事で、模様も色も良く映えます。
同じ母石で天照(陽炎)や素戔鳴(雲蒸竜変)も制作しており、僅かに共通したテーマを宿しています。
両面に緑(翠)が流れ、彩づいた風(雲)がそのまま固まったような姿が魅力的です。





透明度も高く、光を受けると生命色に輝きます。
同時に浮かび上がる模様は、まるで湖面に空が映し出されているかのようです。
この初夏を想わせる景色を厳しい冬に見ると、必ず来る祝福の季節が待ち遠しくなります(笑)




当初は芽吹(キナ)にするか彩雲(レラ)にするか迷いましたが、宿している景色に「風に流れる雲」を感じたので彩雲(レラ)として制作しました。
かなり古いヒスイとの事で、一つのプレートしか手に入れる事は出来ませんでした…。
残念ではありますが、その一つと出逢えた事に感謝して大切に活用(カタチに)したいと思います。

加工には辛い季節ですが、少しずつ自身の芸術をカタチにして行けたら幸せです。
2016年01月15日
提出した河川モニターの返答をもらいましたので、お知らせします。

根知付近の返答です。








「今年は今のところ雪が少なく暖冬のようです。家の周りの雪かきをしなくても良いのは助かりますし、河川の工事も予定を上回りはかどっていますが、雪が降らなくて困っている所もあると思います。このまま雪が少ないとイノシシの数が増えるなど、動植物に影響が無いか心配です。逆に春までに帳尻あわせのドカ雪が降るのではとも心配しています。
 工事現場についてですが、護岸は川底が洗掘を受けた場合でも護岸の基礎が壊れないよう現状の川底より深く施工しています。現場は作業員が安全に施工できるように配慮していますが、一般の方が立ち入った場合、思わぬ危険が及ぶこともあるかも知れません。そのため簡易な柵の設置や危険表示看板で注意喚起していますが、お気づきの点があれば報告をお願いします。
 姫川で冬に変化が厳しい場所といえば、冬期の出水はまれなので洪水の心配は小さいですが、河口部での波浪による堆砂が問題となります。姫川の場合、これらの砂は春の融雪出水で無くなるので、差し迫った問題が無い限り手を付けません。我々にとっては、海からの有り難くない贈り物ですが、浸食されるより堆積のほうがましと有り難くあずかっています。」


との事でした。


1月の前半は暖かかったですが、中盤となり本格的な寒さが訪れました。
しかし平地(まちなか)で積もる程の雪ではなく、雪かきの心配はありません。
雪がなくて困るのはスキー場なのでしょうが、その経営は雪があっても正常に成り立たせるのが困難のようで、維持するために多くの公的資金が投入されているようです。
在れば重荷、無ければ退屈、需要と規模のバランスを考える必用があるのかもしれません。

暖冬でイノシシやシカが増えるのは、古代ならば大歓迎だったでしょう。
古代から冬は「命をかけて耐え抜く季節」なので、暖かい事は神の祝福と受けとった事でしょう。(しかも食料となる獣も増えるし)
いつの頃からか人間は、「食料を大量に廃棄する意味不明の存在」と成り果てました…。
狩猟採取ができない、農耕もできない、人の褌で相撲をとる事を追い求め徒党を組んでピンハネに必死になる、それが当たり前となる事で人としての基準は壊れて行くのだと解ります。
人間が増え過ぎる事でのデメリットは、この程度では治まらないでしょうね…。

2月後半〜3月にドカ雪となりそうな雰囲気です。
こればっかりは自然の事なので、人間にはどうにもできませんね(笑)
道路の除雪も土建屋にとっては冬の大切な稼ぎとなるので、困る人だけでもないでしょう。

工事現場は刑務所レベルの柵をしない限り、入る者はいます(笑)
これは自己責任なので、現状の注意喚起のレベルで良いかと思います。
管理責任を問われるような事故は起こらないかと思いますし、仮に起こっても恥ずかしいので大事には成らないように思えますが…。

波浪による堆砂は、ヒスイを拾う人達も迷惑しています(笑)
砂ばかり上がっていて「肝心の転石が見当たらない」って事は少なくありません。
こういった場合は小砂利となったヒスイを探すしかありませんが、それを集めて小瓶に入れて飾ると素敵な思い出の品となります。

冬の海は波が強く危険なので、無理せずに楽しみましょう。
常連に話を聞くと「毎年一人二人はいなくなる」と言っていて、その言いようが面白くて笑ってしまいましたが、現実としては笑えないですね。
ですが冬の登山にもあるように、そこで命を終えられたなら当人としては本望なのかもしれません…。
こういった考え方は人間だけなのでしょうね…、生物としての欠陥がありますが、存在としては別の領域を持っている、つくづく面白い生き物だと感じます。


ちなみに私は生物として、冬は冬眠できる能力が欲しい(笑)
休息と停滞が混同する冬を楽しく乗り切る術を、誰かから学べたら良いのになぁ〜。
2016年01月07日
今回は、友人からのオーダーを受けて制作した作品を紹介します。
以前に勾玉を制作したヒスイのカケラを加工し、ペンダントを制作しました。
非常に良質のヒスイだったので、勾玉を作った後でも幾つものルースを作る事ができました。
仕上がったペンダントは母親(友人自身の)へ贈るのだそうです。




透明度も高く、明るい翠が非常に綺麗です。
雲海のような模様が魅力的で、ヒビも避けて仕上げる事ができました!



金具はSVの既製品ですが、ルースは外す事も可能なのでオーダーメイドの金具に入れ変える事も可能です。
でも普段使いならば、今の状態でも問題はないのでしょう。(ジュエリーとするなら相応の金具が必用ですが、お守りとするならば金具はあまり関係なく、むしろ銀の方が良かったりする)



もう一つは灰色ヒスイの転石で制作した垂飾です。(転石の画像を撮り忘れました…)
友人の注文で、矢尻のようなデザインの垂飾を作りしました。
私的に石器そのものを作っても面白くないので、石器からの派生をシンプルなデザインで形にしてみました。




灰色といった、一般受けしない発色のヒスイを魅力的に見せるには「模様」と「形」が特に重要になります。
「可能な限り大きめ」という希望だったので、「矢尻と言うより矛先」に近いデザインにし、その灰色を活かして鉄器を想わせるシャープなラインをとりました。





先端は鋭利で、ダンボールなどには突き刺さります(笑)
いざとなれば護身の為の道具にもなりそうですね…、まさに道具からの派生の初歩、これはこれで面白いです。(自分に刺さらないように気を付けてほしい)





叢雲の垂飾(カンナ)として制作したので、雨雲のような景色が出てくれて良かったです。
稲妻のような模様はありませんが、それは鋭利なデザインにする事で表現したので伝わると思っています。(私としては(笑))
それにこの石器からのスタイルは、神玉の武御雷神の原形でもあるので順を追えば理解できる事なのでしょう。

灰色系のヒスイは質が良いのが多く、加工に向いています。
こういったヒスイを加工して魅力的な存在を生み出す事が、加工人の本懐なのかもしれません。

今後も友人がいれば、私は初心を忘れる事なく成長して行けるのでしょう。
高みを目指す事で無駄な事を削ぎ落として行きますが、その「無駄としている中にも大切な事が残っているのだ」と気付かせてくれます。

慣れと言う耐性を得ながらも感動の劣化はしない、そんな理想的な魂を自身に宿して行けたら最高です。
同時に、それをもたらす人の縁も大切にしたいと思います。
2016年01月04日
元日に海へ転石を拾いに行ってきました。
いつもなら雪が降って寒い季節ですが、今年は気温が高く絶好のヒスイ日和でした。
何と言っても海が綺麗、日本海を知ってしまうと太平洋側へは行きたくなくなります(笑)




波は荒れていましたが大荒れではなく、ギリギリ浜辺を歩く事が可能でした。
しかし油断は禁物、時々大きな波がテトラまで打ち寄せてきます。
耳を澄ませて波の音を聞き、細心の注意をはらって歩きました。
天気も不安定で、上越方面は灰色の雲に覆われていました。(夕方になるにつて水平線も曇ってきました)





良い波ではありましたが、状態とは反比例してヒスイはあまり上がっていませんでした。
ようやく、一つの転石と出逢った事で安堵します(笑)
このタイプは山系のヒスイと思われ、肌が少し粗い事から海での研磨期間が少ないように思われます。
磨けば艶が出やすいタイプなので、研磨期間が長ければもっと艶やかな姿の筈、最近に川から海へ流れ出て打ち上がってのでしょう。(多分)



この転石は標石(標本になる石)とは言えませんが、黒や淡い翠が入っているので加工しても面白い品ができそうです。
一度海へ戻して、数年後に出逢えたら研磨も進んでいるのでしょうが、それは不可能なので現状で活かす方法を考えたいと思います。(勿体なくて手放せないし(笑))

初詣は人の伝統文化ですが、生物的な本能で海(生命の母)へ向かうのも「大切な一つのカタチ」なのかもしれませんね。
しかもヒスイと出逢える可能性もあるので、糸魚川は(越中宮崎も)一石二鳥な気もするなぁ〜(笑)


ともあれ年初めにヒスイと出逢えて良かった!
幸先も良いので、今年も充実な年になる事を願い活動したいと思います。
2016年01月01日
明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします。

昨年は、様々な人(ヒスイ)との出会いがあって充実した年でした。
おかげさまで無事に新たな年を迎えられ、縁の在った方々にとても感謝しています。
今後も創作活動に尽力していきますので、ご協力をお願いします!

今回は、建御名方神が神玉として誕生しました!


本来は母(奴奈川姫)を先に制作するのが道理なのですが、父(八千矛神)を制作してあるので先に建御名方神を加工しました。
どちらかと言えば父親似のイメージが強いので、デザインのベースも父と同様に獣形にしています。
加工したヒスイは黒と青が入り交じる激しい景色を映し、日本海の荒波を感じさせます。
しかし裏側は穏やかな凪を映していて、剛と柔をバランス良く宿している素材です。
リングには土俵を想わせるデザインと、鋭利な矛のイメージを表現してみました。

名前は「鬼士奔兜」(キシホントウ)、奔兜を「ホンカブト」と読ませても良かったのですが、この呼び名は一部の人にしか伝わらないかと思い断念しました(笑)
意味は読んで字の如し、武神(武御雷神)と肩を並べるだけの畏怖を込めています。
顔には国津神(国津の男)の特徴として、戦化粧(丁字)を彫り込んでいます。



デザインのモチーフは「甲冑」「柱」「相撲」「鬼」です。
それらを合わせて考えたら「カブトムシ」が思い浮かびました。(その場合、クワガタは武御雷になる?)
父から譲り受けた「武の象徴たる矛」も背中に持たせ、更にそこへ馬力を表現する為に歯車のデザインを合わせました。
これにより強靱な突進力と体幹を表し、拳術・柔術に優れた神だと言う事を表現しています。(私なりに)
ちなみに角の部分は、弁慶の薙刀をイメージしてデザインしてみました。




建御名方神に込めたコンセプトは、「運命に抗う力」と「高潔な意志」です。
これは武御雷神と同様で、運命を切り開く事で時代を創っていく士の生き様を込めています。
お互いが命をかけて「一対一で闘う高潔さ」と、「闘う事でしか切り開けない現実」を直視する強さを忘れない為の楔として具現化しました。
失態の償いに己の腹を切って名誉を保った者達の祖、その気高さは未来永劫、子々孫々にまで語り継がれて行く事でしょう。



柔術の達人として、武の基本である円を腕の部分にデザインしてありますが「両腕を失った事」を示す為に、側面で立つ事ができないようにし「バランスを崩している姿」も表現しています。
ですが逆に、これがテコの原理となり両足と体、そして首の力で相手を跳ね上げる事が可能です。
自身で立つ事が出来ない状況にあったとしても、周りからの支えがある限り大黒柱としての血は、士(漢)としての務めを果たします。(完全にバランスを崩しているわけでは無いので、実際には立つ事は可能です)



国津神は、より人に近い姿として伝わっていますが、人に近づけ過ぎると原点から離れていきます。
神は自然であり地球、それを忘れずにデザインしなくてはなりません。
自然と共存している植物・昆虫・動物、それらをモチーフにしながら人の文化と合わせて行けたらと思っています。

それにしても加工が大変…、本来なら大理石などで試作をしてから本番に入るのがでしょうが、緊張感や新鮮な衝動を楽しみたいので、ぶっつけ本番で加工しています。
でもイメージトレーニングは数十回やっているので、頭の中では数十体が仕上がっている訳です(笑)
まぁ、現実としての労力がイメージでは反映され難いので、そう簡単に進むわけもありません。
「削ったら戻せない」この緊張感をも楽しんで創るのは、造形作家の醍醐味なのかもしれませんね(笑)

未来へ繋げる事も考えて、私なりに可能な限りのコストを軽減してはいますが、何をしても大変な事には変わりがない…。
繋げる事での一番大切な事は「信念なのだ」と、改めて思い知らされます。

超絶技巧を求めるのは職人の方々であり私では無い、それは後のバロック期に任せて、これから来る(であろう)ルネサンス期を楽しみに活動したいと思います。(かなり前から待っているのですが(笑))
2015年12月30日
例年より暖かく、平地には雪が見られません。
良い天気の日は少なかったですが、時々太陽が顔を出す事もあって過ごしやすい月でした。
このまま雪かきが必要ない日が続ければ良いのですが、冬らしさが失われてしまうのもちょっと寂しく感じます。(雪だるまが作れない(笑))

今回は、河口周辺の報告です。
返答にもあったように、この日は前日の雨と雪解け水で姫川の水量が増えていました。
激しい荒れ方ではありませんでしたが、濁流が姫川を覆っています。
こういった状況では鉱物探しになりませんので、無理せず諦めましょう(泣)





河口の工事現場では、かなり川底を掘り込んでいました。
練り石での護岸工事をするようで、沢山の玉石が置かれています。
ここまで掘ってもヒスイ等の稀少な鉱物が出る可能性は低いので、無用に立ち入らない方が無難です。





こちらは押上の海岸です。
この日は晴れたので、一番最初に海に向かいました。
でもこの状態…、まさに「悲しみの日本海」って感じです(笑)



これではどうにもなりませんので、この後に姫川へ向かったのですが、姫川も濁流状態だったので鉱物との出逢いはありませんでした…。

天気は良かったのですが、海も川も荒れていて残念…、でもそれが状況を変えていくので後の楽しみができます。(冬は休息の季節、ほぼ冬眠状態になりながら春を待ちたい(笑))

来年も良い出逢いがある事を期待して、姫川を歩こうと思います。

それでは、よいお年を!
2015年12月27日
提出した河川モニターの返答をもらいましたので、お知らせします。

根知付近の返答です。








「11月下旬〜12月上旬の水位は、小さな雨が周期的に降ったため、3回ほど山本の観測所で1m程度水位が上がっています。12月11日から12日にかけてややまとまった雨が降った影響で山の融雪が起こり、山本の水位観測所で2.5mほど水位が上がっています。水が引いた後の河川敷は、流木に限らずいろいろなものが移動していますので、今回の情報も含め出水時の流れを推測する情報として活用させていただきます。
 河川敷の木も葉が落ちて枯れ木状態となったので、根知、山本、大野、西川原、寺島、西中(釜田川合流部)で河川管理上問題となる木を伐採しています。川原の賑わいを減らしてしまいますが、姫川の場合、濁流に流された大きな木が橋などに引っ掛かり流れをせき止めること、流された後の根の穴から浸食が進むことを防止するための伐採となります。ただし、川原の木はつまらないものでは無く、自然にとって重要な役割を担っていると考えていますので、伐採は樹木の生長を考慮して5年程度のサイクルで行い、今年はアキグミなどの背が高くならない気は極力残すようにしています。姫川は暴れ川で河川敷も流出と再生を繰り返してきたのでしょうから、伐採は里山管理のようなイメージで、自然と河川管理とのバランスを崩さないようにしていきたいと考えています。また、伐採した木の幹の部分は丸太にして無償配布しています。これから薪やキノコ栽培の原木として使われるようですので誰かの役に立っています。姫川と地域の繋がりも大事にしていきたいと思いますので、そういった情報がありましたらよろしくお願いします。
 今年は雪が遅そうです。暖冬との予報も有り、川原を歩く人も雪が積もるまで活動するのでしょうか。雪が融けて川原の景色の再生が始まったころに、不自然に割れた石がゴロゴロあらわれるのはガッカリです…、大人と一緒に川遊びをする子供達を見かけたこともありますのでとがった岩石は危険を感じます。自然の厳しさの中で不意に見つけた優しさは心が温かくなるのですが、単に自然を損なう行為は寂しい限りです。」


との事でした。


今年は気温が少し高いようで、雨が雪にならないまま降る事で姫川の水位にも変化があるようです。
河川敷の木は定期的に伐採されているようですが、その伐採した木も無駄にせずに活用を試みているようです。(今のところ活用している知り合いがいないのが残念…)

つまらない物は自然の世界には存在せず、人間の社会にのみ存在しています。
この領域でもリサイクルができたのならば、それは伝統・文化に繋がるのかもしれませんね。

人が一度でも手を加えたものは自然にまかせても荒れるだけなので、最後まで人の手で管理する必用があるのでしょう。
それが嫌なのなら最初から手を出さなければ良いのであって、現実逃避せずに他の動物と同じ生き方をすれば良いのでしょう。(これは人類の責任であり、贖罪とも言えるので逃げられない)

今の季節は海の方が人が多くなります。
浜辺でヒスイとの出逢いを求める人の多くは、川で鉱物を破壊する事はありません。(海底で探す人は破壊するかも…)
ただ海での事故も多くなる時期なので、欲を出さずに正確な状況判断を心がけてほしいです。
事故にあうのは私が知る限り男だけなので、もっと女性を見習って欲しいと思います…。

私も「不自然に割れた石がゴロゴロあらわれるのはガッカリ」しますが、同時に疑問に思うのは「川原だといってもハンマーなのど凶器になる道具を普通に持って歩く事は異常なのでは?」って事です。
鉱物好きの男なら、一度は持って歩いた事はあるのでしょうが、普通に考えるとおかしな光景ですね。
これがノコギリだったらどうなるのかな…、とかも考えます(笑)
もっと山奥で、探検を気取って楽しむなら目に付かないので何も言われないのでしょうが、下流辺りで持ち歩かれると滑稽にさえ思えます。(工事の人達は仕事なので別、そもそも用途が違うし(笑))
地質学者や鉱物学者じゃあるまいし…、家に持ち帰って敷地で割れば良いのにとも思います。
花崗岩を割る理由は理解できますが、花崗岩は糸魚川には少なく割られている石もそのタイプではありません。(翡翠に類似している鉱物だけが割られている)

しかし、これは慣れによって受ける印象であり「感性の劣化」とも言えるのかもしれません。
最初は楽しくて仕方がないのに、慣れてしまうと感動しなくなるのでしょう。
ちなみに慣れは「感性の劣化」をもたらしますが、同時に「耐性」が得られます。
これにより騙されなくなり、正確な判断が可能になります。
でも感性は劣化していき面白くなくなるので、新たな感動(耐性)を求めて彷徨って生きる、なんか「人間の本質」そのものって感じですね(笑)

時代が進めば進むほど劣化していく領域、売れば売るほど劣化していく存在…、そんな世中でも正反対に高まっていく存在もあるのだから、人の世も捨てたものではないと感じます。(私にとって唯一の救いと言えます)

人間は矛盾している生き物であり、現実と幻想の狭間で進化していく何とも不思議な存在なので、それに生まれたのだから狭間の世界を一生懸命に楽しもうと思います。(と同時に抗おうと思います(笑))


あ、また話が逸れました…。

要は、いつまでも鉱物を叩き割っていないで「先へ進んでくれ」って事です。
尖った岩石も怖いけど、凶器を持って彷徨くオッサンやジジイの方が、よっぽど子どもは怖がるかと思いますし(笑)
2015年12月17日
今回は、建速素戔鳴尊「千波万波」を紹介します。

新たなテーマの一作目となる作品です。
日本海の荒波を映したような姿は美しく、淡い蒼と濃い碧が混ざり合っています。
オンファス系のヒスイと思われ、艶やかな仕上がりとなりました。
深みのある色調は、光源により群青にも青緑にも見えて色の変化も楽しめます。




なるべく激しい模様が流れる部分を選び、波の躍動が表現できるよう心がけました。
このタイプのヒスイは艶が出やすいですがヒビが多く、硬いですが粘りが少ないと言った特徴があります。(粘りが少ないと言っても普通に堅牢です)
致命的なヒビを避け、入ってしまうヒビも白波を想わせるような景色として加工しています。





透明度は低いですが、濃い碧の部分は光に透けます。
その姿は「透明度が高いけど底の見えない海」を見ているようで、探求心をもかき立てます。
厚めに制作したので青銅器のような重厚感を宿し、太古の龍に気品と存在感をもたらしています。




一作目なのでテーマに合った作品になるか心配でしたが、やはり私の目に狂いはありませんでした(笑)
自己満足ですが非常に満足!、こうなると、このタイプのヒスイをもっと加工したくなります…。
ちなみに、このタイプにもピン〜キリがあり、ここまで濃い碧が入るのも珍しいです。(石質もしっかりしている部分が多く、ヒスイ輝石が微細で肉眼では見えない部分もあります)

残念な事に、どしても良い模様の部分には致命的なヒビ(非なる美)が入るので、面積の大きな作品を作る事が出来なかったりします。
叶うのならば、このタイプで大サイズの素戔鳴を制作してみたいです!

絶え間なく寄せる波(試練)を乗り越え、迷いながらも着実に前に進む意志、そんな強い魂を鍛えられたのなら創作活動も、より華やかなものとなって行くかと思っています。(頑張ろう〜っと)
2015年12月11日
また快晴となりましたので、呼ばれるように押上海岸へ行って来ました。(12/9)

海は前回よりも波が引き、少し浜辺が多くなったので探せる範囲が広がりました。
でもその分、波の押し寄せる速度が上がっていて迅速に動かないと波を被ったり、小さなヒスイを逃す確率が上がります。(でも理想的な環境ではある)

前回よりも速い波との鬼ごっこを楽しみながら、輝石(奇跡)との出会いに期待します。
短期間で海岸の状況が変わっていて、非常になだらかな浜となり環境は完璧です。
後は運だけ、ヒスイと自身との縁を信じて、ひたすら光の膨張を探します。


しばらく歩くと、シーグラスのようなヒスイ転石を発見!
あまりに似ていたので、結晶を確認するまで半信半疑でした(笑)



キラキラと輝くヒスイ輝石、とても綺麗です。
丸みが強い事や、乾くと少しパサパサ感があるので、ちょっと石質が粗いのでしょう。
透明度の高いヒスイにはありがちな特徴で、こういったタイプは艶が出に難くなります。
ヒスイ輝石も長方形よりは正方形に近く、練られた感じではないのが解ります。
それでもやっぱり美しい、標石(標本になる石)とは言えませんが、大切な出会いだったと思います。(サンプルとして大切に保管します)


更に浜辺を歩いて、新たな出会いを求めます。
すると、ひときわ緩やかな波打ち際で、明らかに発色の違う存在を発見しました!
光の膨張からしても間違いなくヒスイと認識できて、色の強弱すら判断できるレベルです。
急いで拾い上げようと近づくと、そのタイミングで波が視界を奪います。
ゆっくりと寄せてくる白波でぜんぜん見えない(笑)、でも焦る必用はありません。
何故ならば、すごく緩やかな波だったのでヒスイが動くはずも無いからです(笑)
在った場所さえ確保しておけば問題なし、白波(って言うか泡だらけの波)が引くのを期待を込めて待ちます。(緩やかな場所だったから波が引くのも遅い…)

そうして手にしたのが、こちらの標石です!
このタイプの紫ヒスイとの出会いを、どれだけ待ち焦がれたか…。
思わず「ヨッシャーッ!」と叫んでしまった(笑)



今の季節は自然光が黄色がかっているので、紫系は控えめに見えますが、それでも乳白色の肌を染める明るい紫色がハッキリと見えます。
欲を言うならばもっと濃い紫だったら…、とも思いますが、色が濃くなると石質が不安定になる事が多かったりもします。(チタン石などが多くなるからか?)
この標石の特徴は「肌がきわめて美しい」って事で、それを活かす為の薄化粧だとしたならば贅沢は言えませんね(笑)
それに日影や夜に見れば、より紫が濃くなるので丁度良いのかもしれません。

けして透明度の高いタイプではありませんが、だからと言って低くもありません。
光を受けて幻想的に輝くその姿は、とても魅力的でまさに宝石(宝の石)だと認識できます。



この事で解ったのは、今現在でも「このタイプ、このレベルのヒスイと出会える」と言う事です。
そして押上海岸を探していれば、間違いなく可能性があるって事も解りました。(それとデジカメを持ってい行った方が運が良いって事も解りました(笑))

今までのサンプルを見る限り押上海岸では、糸魚川に出るとされるヒスイの全てと出会う事が可能だと思われます。(色と質を基準にして)
なので探すのは、この海岸一本に絞っても良いのかも…。

以前に宮崎海岸でも良質のヒスイ転石と出会いましたので、いろいろと探し回るのも良いのでしょう。
でもこの紫ヒスイと引き替えにするには惜しいなぁ…。
いや、宮崎海岸でもこのタイプの紫ヒスイとは出会えるのでしょうから、後は海岸との相性なのかもしれませんね(笑)

どこに行けば確実って事はありませんが、少なくともデータを多く揃えられたのは押上海岸なので、自信を持って「確実にヒスイと出会える海岸」と言えます!(昔に押上で拾っていた人のサンプルや、現在で拾っている人のサンプルも多く見てきたので確実です)

かつての様なレベルは少なくなってきているのでしょうが、間違いなく出会えるって事が解れば希望も湧きます!

今後も遊びを兼ねて「ヒスイとの出会い」を、立証して行きたいと思います。(それと同時に、遊びを仕事とする苦労や辛さも伝えて行きたい(笑))
2015年12月09日
久々に晴れましたので、気晴らしに押上海岸へ遊びに行ってきました。

少し前までは大荒れで、波しぶきが高々と上がっていましたが、この日はとても穏やかでした。
良質な青ヒスイのような海は美しく、その景色はヒスイとの出会いを期待させます。





階段を下り浜へ向かうと、砂浜部分が重機で削られたような形状になっていました。
これを見ると、つい先日まで大荒れだった事がよく解ります。(ここまで波が来ていたのが解りますね)
下に埋まっていて見えなかったテトラも頭を出していて、冬の海の凄まじさが伝わってきます。




今まで浜であった部分の殆どが波打ち際と変わり、ゆっくりと大きな波が打ち寄せます。
引いた時に波に近づき、寄せてくる時は離れる、なんか波と鬼ごっこをしている気分になり楽しくなります。
逃げる際に「ワー」と言いながら逃げたりして、改めて私は「一人で遊ぶ事が得意」なのだと感じました(笑)




そうやって遊びながらヒスイを探していると、この波で探すべきタイプのヒスイと出会いました!
薄い灰色の地に明るい翠が僅かに浮かぶヒスイで、何故これが「この波で探すべきタイプのヒスイなのか」の理由には、この形状が大きく関係しています。



と言うのも、このサーフボードの様な形状は、波に乗りやすく「打ち上げられやすい事」が特徴となります。(浜辺が少なくなる冬場では、こういったタイプが探しやすくなる)
要は波が大きく引いた場所を探す必用が無く、小さくなった浜辺を歩くだけで出会えるわけです。

逆におにぎりのような形状のヒスイは探し難くなり、探す際も危険が伴うようになります。
なので冬の海で初めて探す際は、こういったタイプとの出会いを優先した方が良いでしょう。


ちなみに、これは私の親父が出会ったヒスイです。(同じ日に)



まずサイズがデカイ、これは波に乗ってきたと言うよりは「掘り出された」って感じです。
現にほぼ埋まっていたとの事でした…、私が波と遊んでいる間に大物と出会っていたわけか…。
しかもヒスイ自体が私のと良く似ている。(でも親父の方がデカイ)
ちょっと悔しかったので「結晶が粗いな〜」って言ってやりました(笑)
でも転石の場合、多少粗い方がキラキラして綺麗なんですよね…。(今回は私の負けか…、いや勝負しているわけじゃないから負けじゃない(笑))

どうでもいいけど、私は自然と遊び、父とも遊んでいるオッサンなのだと認識しました(笑)


今回は、人との面白い出会いもありました。
こちらは、海岸のゴミを拾っていたおじさんです。
こういった人もいるんですよね、話によると他県から糸魚川へ移り住んだそうです。


ゴミの不法投棄の監視に関わる事もしているようで、これは私が行っている河川モニターのような活動なのだと思います。(ほぼボランティアって事です)
ちなみに、何分か話し合って出た結論は「行政は当てにならない」って事でした(笑)

その他にも同じ年頃でヒスイが好きな人(男性)と出会い、色々と話をしました。
話して数分でもう友人、話が噛み合うので非常に楽しめます。
持ち歩いているコレクションも見せてもらい、その魅力を共有します。
この場合、ヒスイのグレードとかは問題では無く、一つ一つの表情が大切になります。(海の転石は特にそうです)
そしてどんなヒスイでも拾える確率が低い現実、正直「拾った事もない者にとやかく言われたくない」って事が、拾っている人達の総意なのだと思う(笑)

それと同時に、現実に拾っている事を証明する事が「認められる一番の基準」って事もあり、その人もその場でヒスイと出会って見せてくれました。(薄紫の滑らかな転石です)
こうなると更に盛り上がります(笑)、よく解ったのですが「ヒスイとの縁を明確にする事」が私の中での基準に大きく関わっているようです。


いや〜、良い出会いがありました。(ヒスイとも、人とも)
今年も僅かですが、まだまだ良い出会いがありそうです!

この喜びを純粋に未来へ繋げられたのなら、この仕事をしている意味も在るのだと思います。
2015年12月07日
今回は、友人からルース(裸石)の制作を受けましたので紹介します。

以前に「石長姫と速津瀬神」を制作した、桃色の石灰石で加工します。
ルースはオーバルカボションと、ラウンドカボションの二つを制作します。

オーバルカボションは、桃色が綺麗な原石を加工しました。
本当は二つとも、こちらの原石で加工する事が友人の希望でしたが、面積が若干ですが足らずオーバルカボションの制作を優先しました。
桃色が綺麗で、石質もしっかりしている良質の原石です。




こちらでは、ラウンドカボションを制作しました。
若干、黄色が入った原石で、石質も少し不安定でしたが、そこにも魅力が宿っていますので上手く引き出そうと挑戦してみました。
「宝飾としてのルース」を考えた場合は、避けた方が良い原石なのでしょうが「思い出の品の制作」を考えれば、挑戦し甲斐のある原石です。




何とかルース二つの制作を終えました!
しっかりした石質ではありますが、いつも加工しているヒスイとは勝手が違うので慎重に進めました。(以前にも加工している経験が役に立った)
ラウンドカボションも不純物は入りましたが、自然の景色として楽しめるかと思います。



オーバルカボションの方は、祖母へ贈る作品の一部として制作を受けました。
なので今回の品は、私だけで完成する作品では無く、これから本格的に「友人の手で祖母に贈る品」が誕生します。(珊瑚の玉を合わせたブレスレットになるのだそうです)
私が「彫金をやった方が良い」と言った事もあり、友人は少しずつ道具を揃えて頑張っていたようです。(その行動力は見習いたい)
完成がとても楽しみ、孫から自作のアクセサリーを贈られるのだから、きっと喜んでくれる事でしょう。


コラボって楽しいなぁ〜、他にも首飾りを編んでくれる友人もいるし、表現の幅が広がります。
今後もバランス良く、友人と協力して行けたら最高です。(来年は、新たな縁にも期待したい)

女性の友人との共感、男の友人との共有、それぞれにタイプは違いますが、私にとってはどちらも大切で「失ってはならない繋がり」なのだと改めて感じました。
2015年11月30日
今月は後半から、かなり大気が不安定になりました。
冬の到来と共に晴れの日が少なくなり、寒さも増して滅入ってくる事が多くなりますが、必ず訪れる春を想いながら頑張りましょう。
冬には冬の楽しみ方もありますので、いろいろと挑戦してみるのも面白いかと思います。

今回は、根知周辺の報告です。
大気が不安定になっていたので、晴れたり曇ったりを繰り返していました。
近くの山は紅葉を終え冬支度に入り、「枯れ木も山の賑わい」って感じになっています(意味が違うけど(笑))
遠くの山には雪が降ったようで、だいぶ雪化粧をしています。(まだ厚化粧ではない)






堤防付近は草が生えていて、増水による被害は見られませんでした。
川へ向かう途中の「ちょとした崖」では、流木に草が絡まっているのである程度は荒れた事が見られます。
しかし流木は以前からあったもので、不安定な大気により激しい雨風で崖が崩れ、その草が絡まったのだと思われます。(ここまで水かさが増したという訳ではないかと…、増したとしても短期間だったと思います)
何であれ、この上には、なるべく近づかない方が良いかと思います。






姫川本流は、いつもよりは水が多いように思いました。(11月末にしては)
でも激しく流れている訳でもなく、水も澄んでいるので今のところは穏やかです。
近くに流木がありましたが、これも新たに流れてきたのではなく「多少は場所が移動していた」って程度でした。
それよりもその姿が「大きな口を開けた大蛇」に見えて、こういった所にも神(美)は宿るのだと改めて感じました。(こういった事が神の原点であり、神話の原点であり、鬼の原点でもあり、全ての創作の原点でもあるので非常に面白いです)






ヒスイを発見!、と思いきや残念、ロディン岩です(ロディン岩なので無用に割らないでね(笑))
少し先に行くと破壊された鉱物も発見しました。
こちらはアルビタイトだなぁ〜、ヒスイと間違えたのかな?、でもこれを手刀で打ち割ったとしたら別の意味でスゴイですね…。(超人だ)
まぁ、どっちにしろ「後片づけはしてくれ」って思う。
当然のように割って置いていくのは鉱物への冒涜だ、砕いたのなら全てを活用しろって話ですね。





穏やかな水の流れの中で、美しい翠の植物を発見しました。
現在の季節とこの発色を同時に見ると、今が春先だと錯覚してしまいます(笑)
これを見ると、まだまだ本格的な冬は遠い存在なのだと思えて嬉しくなります。
帰り際に綺麗なネフライトを発見!、この発色は夏を想わせます。
透明度もあり偶然に雲から出てきた太陽にかざすと、木漏れ日を感じる事ができました。



寒さが増してくる季節で、一瞬でも季節を錯覚できる存在に出会うのは楽しいです。
きっと縄文人も同じように自然を楽しんだのでしょう!

この事で、縄文人とも喜びを共有した錯覚を得られ満足です(笑)
人が現実逃避をして得た幻想の世界、逃げてはいますが完全に離れたのではなく、その原点には神(自然)が宿っています。(逃げようとしても、逃げ切れるレベルの存在じゃないし(笑))

一万年も続いた楽園(縄文時代)がエデンの園であったのなら、そこから追放されたイザナミとイザナギが幻想世界を創造したのでしょうね。
イザナミが原点を宿し、イザナギが発想を豊かにして行く…、でもそんなバランスは長くは続かず原点を失ったイザナギが暴走して幻想世界からも逃避していった気がするなぁ…。

どこまでが現実で、どこまでが幻想で、どもまでが幻想の幻想なのかが解らなくなっているように思える。(今の世の中は)
2015年11月27日
提出した河川モニターの返答をもらいましたので、お知らせします。

河口付近と小滝付近の返答です。








「河口付近の工事は河川敷の浸食を防ぐためのもので、上流の石公園付近から始めて
今年度で完了する予定です。異形ブロック(テトラなどの一般名称)は川底に並べて
浸食を防いだり、川をせき止めるによう並べて流れを緩やかにしたり、流れの方向を
変えたりするためのものです。現況の川床より深いところに設置するため、埋め戻し
た後は見えなくなってしまいますが、浸食が始まったときに機能するようになってい
ます。川原に山積みにした石は根小屋から採取してきたのもで、練り石積み(石を積
み上げてコンクリートで固める構造)の護岸の材料です。練り石積みの護岸はコンク
リートの護岸より耐久性に優れていますが、施工する職人さんと材料となる適当な大
きさの石が確保しにくくなっているため、今後出来なくなるかもしれません。
 姫川橋は昭和9年から20年代までにつくられており、80年以上経過した老朽橋です。
今年の9月に橋を管理する県が5年に1度の大規模な点検を行いました。このとき、ひ
び割れを記録(印)したり、コンクリートのかけらが浮いて落下しそうな所をあらか
じめたたき落としたようです。写真の箇所はそういう箇所だと思います。欠けたとこ
ろを補修しても剥がれてしまう事が多いため、見た目は良くないですが、機能に問題
が生じない程度であれば補修を我慢しているのかもしれません。
 今回は小滝川をかなり上流まで行かれたようで、こちらの管轄外のため差し障りの
無い範囲でのコメントをさせて頂きます。写真の施設は小滝公民館に隣接した施設で、
市に申請すれば誰でも使えるそうです。山菜・キノコの採取はその通りだと思います。
(一般的又は地元独自の暗黙のルールがあるかもしれませんね)
 ヒスイ峡へのアクセスは林道入山線から遊歩道を通るルート(上流川と下流川)の
みとなっています。地形が急峻で有り、風化しやすい石灰岩が落石となって落ちてき
たり、地滑りがあったりして道路の維持が出来ないため、通行が出来ない所もあるよ
うです。小滝川沿いは急傾斜地崩壊危険地域に指定されており、写真のような土石流
の停止、流出土砂量の調整のための砂防堰堤を施工しているのだと思います。また、
釣りをする場合では遊魚券が必用ですが、地形が急峻なためヒスイ峡下流付近を遡っ
て行くことは難しそうです。
 ヒスイと言えば、数年前にフォッサマグナミュージアムの協力で石のカタログ(下
敷き)を作成しています。これを片手に識別を試みたこともありますが、種類が多す
ぎて…。石が好きで姫川を訪れている人も多いと思います、そういう方は識別の知識
も豊富でむやみやたらと荒らすことは無いのですが、経験の浅い方が無茶をすること
が多いように思います。パトロール(当方管内)は行っていますが、看板の類もその
場所で情報を伝えるためには有効な手段と考えています。ただし、表示内容には非常
に気を使っています。(どうしても危険防止と環境が主となってしまいます)
 姫川を地域の資源・財産として守り・活用していくなかで、堅い話がでることはあ
りますが、地域が良くなるために何が出来るかを考えています。」


との事でした。


去年も河口では、同じ様な工事をしていたように思えます。
まぁ、予定は未定なので伸びたのかもしれないし、去年とは別の仕事として受注して
いるのでしょう。

練り石積みの職人さんが確保できないのは、かなり致命的なように思えます。
糸魚川には無駄に土建屋が多いですが、必用とする人材を育成していないのは意味不
明ですね(笑)
糸魚川に限らず、狩猟採集が出来ない、農耕が出来ない、幻想空間すら楽しめない、
そんな「何も出来ない成長を奪われた者」で日本は溢れかえっています。
足し算しか出来ない馬鹿な旧石器人に任せていると、新たな生命の未来は食い尽くさ
れる事でしょう。

姫川橋もそうですが、糸魚川駅近くの歩道橋もかなり劣化して危険な状態が続いてい
ます。
しかも小学生の通学路にもなっているので、早急な対応が必用でしょう。
しかし小学校へ通う子供たちが減ってきている為、今の状態を維持するだけのようで
す。
財源が足りないのか、結局は自分達と同じ老けた連中の事か考えておらず、新しい命
の安全を犠牲にしてるのが現状です。(こんな事では少子化は防げない)

小滝川は管轄外なんですか…。
河川モニターと言うから、糸魚川の河川の事は全て知っているのだと思っていました。
結局、ハッキリした事が解らなかったので残念です。
でも公民館は申請すれば誰でも使えるとの事なので、一度はあそこで遊んでみたいで
す(笑)

小滝川沿いは急傾斜地崩壊危険地域に指定されているようですが、住民は大丈夫なの
だろうか?
最近ではミャンマーの人を一時的に住まわせて、職業の訓練や斡旋をする事業に取り
組んでいると聞いています。
ここでちょっと心配なのは、やはりヒスイの保護についての怪しい動きです。
今堤防の工事している業者かは解りませんが、最近でも大きなヒスイ原石を工事のつ
いでに掘り出して販売しようとした者が警察に通報されました。(地元の人に通報さ
れたようです)
そのヒスイは没収されフォッサマグナミュージアムの施設内に飾ってあるのですが、
既に切断された箇所もあり、底の部分が足りないとの話です。(既に売り払ってしまっ
たのだろうか?)
こういった事や、その事業の背後にはヒスイ業者が関わっている事から「人種を変え
ての盗掘」が気になります。(考えすぎなのかもね(笑))

もうここまでくると、どんな事があっても「糸魚川市が容認している事」となるので、
底を知る良い機会なのかもしれません。(結局は、こんな事を昔からず〜っと続けて
きたまちなので、世界基準の保護を求めても無理な話なのかも)

「石が好きで姫川を訪れている人は、識別の知識も豊富でむやみやたらと荒らすこと
は無い」と言うのは残念んがら全てでは無く、「そういう者だからこそ欲にまみれる」
と言う現実もあります。
そういった者は総じてバブル期に多く、「略奪こそが最大の利益」だと刷り込まれた
人達です。
良く言えば生物的、悪く言えば野蛮、やがて絶滅して行くであろう習性を持ったタイ
プではありますが、そうなるまでは新しい未来を喰い尽くしながら延命して行きます。
自分達は闘っている武者と思い込んでいるのでしょうが、端から見れば「ポンコツの
ブリキの木こり」です。
要はただの抜け殻、魂を得るために魔法使いでも探していろって話ですね(笑)

石と玉の見分け方が解れば、味噌と糞の見分け方も備わります。
更に人相学を学べば、顔を見ただけで「ある程度の特徴」を知る事ができます。
人それぞれに個性は違いますが、大まかなタイプは決まっていて、その範囲でのグレー
ドは間違いなく存在します。(生まれと育ちが大きく関わってくる)
もし「誰を優先するのか」を迫られる事が在ったなら、その基準を元に決めるしかな
いでしょう。

看板を立てるのも良いですが、根本的に「自然からすると人間の作る多くの物はゴミ」
と言う事実も認識する必用があります。
全ては教育にあり、教育が行き届く規模の人口であれば最小限の看板を作るだけで事
足ります。
理想なのは人が看板の役目を担うって事で、それぞれが教養を高める必用があるので
しょう。

減らなければ増やす事が出来ない、これはかつての「バランスのとれた世の習い」な
ので、世代間で喰い合い、男女間で喰い合うのが現代の社会となってしまっているよ
うです。

人間が言う今現在での「一般的な良い」と言う基準は消費でしか無く、地域を良くす
るには消費しまくる以外に無いです。(自分の生きている間に消費しまくる事が、生
物にとって良いの事なでしょうね(笑))
でも「豊かにする事」を考えれば、地域に伝統・文化を根付かせる事へ向かうので、
まずはそこから考えるのが理想なのではないでしょうか。(それが人として生きるっ
て事でしょう)

まずは算数(引き算)ができる人材を、育てる事が必用となります。(戦争ではなく
て)
それは即ち、自分で自分を成長させる事ができる者であり、間違いなく「何かを創る
側である」って事です。
2015年11月17日
今回は、天照大御神「幻日」の二作目を紹介します。

非常に透明度の高い、良質のヒスイで加工しました。
私が翠雪と呼んでいるヒスイで、質感・艶・透明度と最高レベルのヒスイです。
秋の終わり、そして冬の始まりを感じられるように撮影してみました。




全体を淡い緑が染みわたり、ぼんやりと輝く姿は幻日を想わせます。
原石の時点でヒスイ輝石が殆ど見えず、一つの結晶体のような安定感がありました。
とても硬く堅い肌をゆっくりと研磨して、魅力的な艶を引き出せるよう努力しました。




そのライチのような肌は、まるで生きているかのように瑞々しく、光を受けて膨張し
ます。
冷たさと温かさを同時に感じられるような質感は、晩秋、あるいは立春に相応しいか
と思います。
テーマ通り「雲を神秘的な色に染める自然現象」を、そのまま映しているかのような
作品です。




淡い緑の中を流れる一筋の脈は、光の濃淡を表しているかのようです。
厚さが7mmと若干薄い作りなので、身に付けるのには最適です。
艶やかでありながら、しっとりとした質感、その肌触りを楽しんで下さい。




通常でも透明感のある肌ですが、光にかざすとより神秘的に輝きます。
晴れ間が少ない北陸の冬の最中でも、この作品を光に当てれば太陽を感じる事ができ
ます。
まさに幻日、幻とは言えその支えは大きな希望として所有者を照らす事でしょう。






この作品は月読の「月光」や、素戔鳴の「天上天下」と同じヒスイで加工しています。
部分的に緑の濃い所がありますが、ヒビも多いので慎重な見極めが必用となるヒスイ
です。
かなり昔に出たヒスイのようで、現在では入手が困難になっています…。
大切に加工しながらも、その経験に感謝して、より多くの事を学べるよう心がけたい
と思います。

未来へ繋げる為にも自分だけで消費せず、作品共々その先の継承者に残せたのなら、
やがてそれが伝統となって人の未来を照らす事でしょう。

これは縄文の血を受け継ぐ日本人の使命であり、神々(自然)の加護を受ける事がで
きる「遺伝子への感謝のカタチ」でもあるように思えます。
きっと1万年もの間、狩猟で生きてきた民族なのだから、八百万の神々を感じる事が
できるのでしょう。
その誇りは「忘れてはならない先人の遺産」なのだと思います。


この現代で明確にして行かなくてはならない事は「伝統と便乗の違い」なのだと思っ
ています。
伝統とは「継続していく姿(生き方)」であり、便乗は「一発屋の消費」です。

売り方を制限し、作り方も制限する私のスタイルも9年の間、なんとか継続する事が
できました。
その間には辛い時期もあり、同様の困難は今後も在り続ける事でしょう。
ですが「支えられた現実」も経験として残っていますので、これからも自分のスタイ
ルで未来へ繋げて行こうと思っています。

このスタイルこそが「縄文の意志」であり、日本人の原初の誇りなのだと私は認識し
ています。
2015年11月07日
最近は加工に専念している時間が長かったので、気晴らしに海へヒスイを探しに行き
ました。

いつもは押上の海岸へ行くのですが、今回は久しぶりに宮崎海岸まで行きました。
ここへ来るのは何年ぶりだろうか…、とても懐かしかったです。
でもあの頃よりも駅は綺麗になっていたし、廃墟になっていた旅館も無くなっていま
した。
昔は駐車場が少なくて車の置き場所に困りましたが、現在は臨時で無料の駐車場が設
けてありました。




この間まで海は荒れていて天気も悪かったのですが、この日は気持ちの良い秋晴れと
なりました。
海も穏やかで、まるで「空の蒼」と「海の碧」が融合したかのような景色が広がって
いました。
釣りを楽しんでいるオジサン達もいて、一時の休息を自然が与えてくれたようです。





早速、長い浜辺を歩きながら、標石(標本となる石)との出会いに期待します。(連
日の加工で筋肉痛になった体をほぐすのに最適で、神経質になった気持ちも開放でき
ます)

波打ち際を見ていると、何やら光の膨張が見られました。
すかさず「その透明感のある角張った石」を手に取ると、それは良質のヒスイでした!
標本にするのに丁度良いサイズで、キラキラと翡翠輝石も輝いています。
それでいてキメは細かく艶がでるタイプで、透明度も高いヒスイでした。
これだけで来た甲斐があった!、不思議と自然に褒められている気分になります(笑)




今日は良質のヒスイを一つ拾えたので、これで出会いは終わりかと思って歩いている
と、波打ち際よりも少し海寄りの場所で光る石が見えました。
この時点でヒスイだと解りましたが、海で出会えるヒスイにしては大きいと感じまし
た。(どちらかと言えば、海底にあるサイズに近いかと)
波が引くのと同時に走り手に取って戻って見ると、その鮮やかな翠にビックリしまし
た!
こちらも透明度が高く、乾くとキラキラと翡翠輝石が輝きます。
姿も良く、まるで「残雪の芽吹き」を、その身に映しているかのようです。





久々の宮崎海岸、良い出会いがありました。
ヒスイの他にも、幾つかのネフライトの標石にも出会ったので大満足!
こういった陽気も少なくなっていきますので、楽しめる時に楽しみたいと思います。




この日は珍しくデジカメを持って行ったので、その場でヒスイを写してみました。
(普段はカメラを忘れる事が多いです(笑))
大きいヒスイの別カットの方は、ピンボケしていたので改めて草原で写しました(笑)
ヒスイを拾っている人なら共有できるかと思いますが、ヒスイは「拾った瞬間が一番
美しく見える」のですよね〜。(家に帰ってヒスイたちの中で見ると、その時の衝撃
が薄まってしまう事が多い(笑))
後で標石のコレクション用に撮影して、ギャラリーに掲載したいと思います。

以前から「宮崎海岸では良質なヒスイが多い」と聞いていましたが、今回の事で「本
当なのかもしれない」と思うようになりました。(断言は出来ませんが…)


一応書きますが、試作自演ではありませんので、ご安心下さい(笑)
それでも疑う場合は勝手に疑っていれば良いかと…、基本的に私も自分が経験した事
しか信用していませんので、今回の事は私自身にのみ有益な現実だったと言えます。
(二つの良質ヒスイと出会えたのだから!)
それに私が富山県の宮崎海岸を、捏造してまで宣伝しても意味無いし(笑)

よって勝手に「ヒスイの加工を頑張っているから、自然(神)がご褒美をくれた」と
錯覚し、改めて仕事(創作活動)に打ち込めるようになりました(笑)
まぁ、病気も景気も全ては気持ち次第、その気持ちに身体が適応できたなのら、あら
ゆる「不安」から開放される事でしょう。

それと夢を壊す事を言いますが、素人では海や川でヒスイと出会う事は不可能でしょ
う。(在っても気づかない)
1%で誰でも解るヒスイと出会ったり、先天的に目が仕上がっている人は拾えますが、
99%は何度もヒスイを見て学ぶ必用があります。
とにかく重要なのは「光を受けて膨張している姿を認識できる事」でしょう。
これは黒ヒスイでも同じ事で、数多ある鉱物の中からヒスイを見つけ出す絶対条件だ
とも言えます。

逆に考えれば「素人以上になればヒスイと必ず出会える」って事なので、先を考える
と希望はあります。

ヒスイには様々な色がありますが、海で出会えるヒスイの確率は灰色>白色>白緑>
黒色>濃緑>翠>紫色>青色って感じです。(私の経験での話で、濃緑〜青色の確率
は僅差です)
もっと細かく分類できますので、大まかな確率として参考にして下さい。(紫や青に
も幅があるし、透明度の違いも在るので)
なのでまずは、一番多い灰色のヒスイを拾えるように心がけると良いでしょう。

え?、灰色のヒスイになんて興味が無いって?
興味が在ろうが無かろうが、基本を学ばない限り一生出会えないのが現実です(笑)
灰色・白色・黒色のヒスイを拾えるようになれば、後は其処に在ればバカでも拾える
色なので目が仕上がっている方が有利となります。(ある程度の距離からでも、ヒス
イを認識できるような目になる)

絶対に拾えないなんて事はありませんので、根気よく頑張って下さい!
2015年11月02日
またまた友人から、転石の加工を依頼されました。

黒と白が交じり合った、力強いヒスイを加工します。
このタイプのヒスイと出会ったのは初めてとの事で、モコモコとした表皮を裏面に残
してほしいとの依頼でした。(よっぽど気に入ったヒスイなのでしょう!)
丁度、石目もあるのでそこを切断して垂飾を制作します。





「剣のようなデザインに」との要望でしたので、叢雲の垂飾(カンナ)として制作し
ました。
とても魅力的な模様を映し、白地が薄緑に染まっている部分があるので春雷を想わせ
ます。
Aカンを付けられるよう穿孔は小さめにし、革紐にも対応できるようバランスをとり
ました。





普段、私が加工する黒ヒスイよりも石墨の量が多いのか、研磨の際の粉は濃い灰色に
なっていました。
こういった事で、同じ黒ヒスイでも石墨の量が違うのが解ります。
漆黒でも粉は薄い灰色だったりして、黒ヒスイの濃さと比例していない事もあるよう
です。(一応、私の経験での話しです(笑))



要望通り裏側は表皮を残し、自然な仕上がりにしています。
原石の状態から肌は滑らかだったので、なかなか面白い仕上がりとなりました。
画像では解りづらいですが、緩やかな凹凸があり自然研磨の手触りも楽しめます。

これでまた一つ、友人の思い出のカケラをカタチにできました!
私の制作した作品を喜んで身に付けてくれるので、作者として嬉しい限り、創作活動
を続けて行く上で同じ時代を生きられる事も心強く思います。(私が創作活動を続け
る限りヒスイに飽きないよう、よろしく頼むよ!)

私の場合は、糸魚川ヒスイの事をもっと知らなくてはならない領域があるので「飽き
る」なんて言葉は使えません。
もし私が活動を辞めたのなら、それは飽きたのではなく「諦めた」と認識して下さい。
(飽きる程の領域に達していませんので…(笑))



紫ヒスイのカケラで、開花のストラップも制作してみました。
革紐にウッドビーズと、唐草模様のシルバーバーツを組み合わせています。
季節とは合っていませんが、来年の春を想って作ってみました(笑)
ちょっと気が早かったかな〜、でも厳しい冬を越す際の支えになれば…、と思ってい
ます。




ちなみに今現在は、国津神「建御名方神」を制作しています。
建御名方と奴奈川姫の制作は、もっと先に伸ばそうと考えていたのですが、その思い
と逆行してデザインを思い付いてしまったので、まずはそのデザインを具現化しよう
と思います。(自分でも不思議なくらいの天の邪鬼な性格だ(笑))

結局、私にとって「仮想空間のデザインほど無意味な存在も無い」のですよね…。
自分でデザインして何ですが、この母子のデザイン自体も気に入ったので、やる気が
出てきました。
でも好みは人それぞれに在るので、私の一つの表現として見てもらえれば幸いです。
(後、同じく自分でデザインして何ですが、加工が大変で心が折れそうになっていま
す(笑))

日本の神々の姿は、一つでは無く八百万あります。
同じ題材(神名)でも違ったデザインが在って良いので、一つの姿として制作し、未
来に可能性を繋ぎたいと思います。(結果的に自分の未来も広がって行くし(笑))


次回は奴奈川姫の制作…、すごいプレッシャー(勝手に感じている(笑))ですが、
カタチにしたいデザインが在るって事は、作家にとって幸せな事なのでしょうね!
2015年10月30日
今月は、かなり不安定な天気が多い月でした。
でも大雨が続く事はなく、竜巻が起きる事もなかったので、大きな災害には繋がって
いないようです。(穏やかな日もあったので、十分に楽しめた月でした)
これから冬に向けて風が強くなるので、海辺での事故には特に気を付けて下さい。

今回は、河口周辺の報告です。
河口へ行くと河川の工事をしていました。
河川敷ではテトラの制作が行われていて、冬場での波浪を考慮しての作業かと思われ
ます。(多分)




姫川では多くの土砂を掘り返していました。
テトラを埋める為なのか、人工的に澪筋を作っているのかは解りませんが、集められ
た土砂が山のようになっています。(土砂と言うか土石と言うか…、とにかく川原の
石達が山になっています)





以前から劣化していた橋は、本格的に修繕が必用となっているようです。
様々な箇所に印がされていて、老朽化した状態が姿を現していました。





すぐ脇には古いテトラが置かれていて、現在の工事を行う際に一旦掘り出されたのだ
と思います。
普段は埋まっていて姿が見えないのもあるので、その数の多さに驚きました。




昨日は雨でしたが姫川自体の水量は少なく、水害が起こるような環境には見えません。
風がもの凄く強い日だったので、海へ流れる水が逆流しているのが解りました。
海も大荒れだった事もあり、川の水が海へ流れ難くなっているようです。
しかし逆流しているのは表面状の水であり、その事で合流地点が氾濫するような事に
はならないかと思います。(そもそもに川の水が少ないし、波が引く際に川の水も流
れ出る)







海辺にある大量で巨大なテトラの塊が、荒れる海の凄まじさを表しています。
ここは頻繁に崩れるので、冬場は近づかない方が無難です。





この日は強風だった事もあり、晴れたり曇ったりを繰り返していました。
釣り人が何人か訪れていたので、これからは川の事故より海の事故の方が多くなるで
しょう。

ちょっと疑問に思ったのは「あの強風の中でルアーを飛ばせているのだろうか?」っ
て事です(笑)
海辺はスカイダイビング並の強風だったので、立っているのも辛かった…。

追い風を受けて凧になった気分を楽しみながら、海辺を離れて今月のモニターを終え
ました(笑)
これからは演歌が似合う季節なりますので、ひとり旅を楽しむのも良いかもしれませ
ん。
2015年10月27日
糸魚川で行われる「小規模だけと大切な催し」を見てきました。

ちなみにB級グルメは大勢の人が集まって賑やかでしたが、個人的には興味がありま
せんでした(笑)
心の琴線に触れる事も無く、消費の在り方を見せつけられるだけ…。
基本的に、あれを続けていくしか成り立たない領域、人口を増やそうとする根源がこ
こに在るのが解ります。(個人的に人混みが嫌いだし、並んでまで買いたくないんで
すよね(笑))
後、このイベントで6万人が来たと市は言っていますが、ハッキリ言って在り得ない(笑)
糸魚川の人口を超えた人が二日間で来るはずないし、実際に見て来たので冗談にしか聞こえません。
テレビにしろ、イベントにしろ、糸魚川はハッタリが過ぎる。
この性質は、病気としか言いようがないですね(笑)


なのでもっと小規模で、何かしら共感できるイベントを探してみました。

とりあえずは土日にイベントが重なっている事が多いので、興味が惹かれる名称のイ
ベントを選びました。
今回は「不動の滝」で行われる祭りと、大所の「木地屋の里」で行われる祭りの感想
を書きます。


残念ながら不動の滝の祭りは、天候不良で中止になったようです。(前日にやったと
かでは無いと思います)
前日の昼間の天気は良かったのですが、次第に天気は崩れて行きました。
この日は、朝から雨が降ったようなので中止になったのでしょう…。
入口の幕だけが残り、より残念さが伝わってきます。






午前中は曇りだったので訪れていた人もいましたが、午後は大荒れになったので中止
は良い判断だったと思います。
不動池や不動滝を見る限り、濁ってもいないし水量も多くありません。
これは「雨が降り続いたと」言うよりは、急激に天気が変化した事を示しています。
運が悪かったと納得して、来年に期待します。(こんな天気でも不動滝では癒されま
す)

数日後の木地屋の里の祭りに期待して、この日は青海側から下りて途中の雄大な景色
を堪能しました。(10月11日でしたが、ここでもセミが鳴いていた)



木地屋の里は「木地屋」と言う名称と、祭りの名が「きのこ祭り」であったので興味
がありました。(職人にも、キノコにも興味があるわけです(笑))
一度も行った事が無かったのですが、大所の場所は知っていたので姫川温泉へ向かい、
そこから大網とは逆の山へ上がって行きました。

なかなかの山道、でもちゃんと整備されているので驚きます。
ここで暮らしている人達の苦労や、離れないだけの魅力を少しでも感じられたらと思
い向かいます。

しばらく進んで行くと、立派な建物が見えてきました。(住人の古民家も立派でした
が(笑))
始まったと同時に到着しましたが、既に駐車場は車でいっぱいでした。(でも過剰な
多さでは無い)
なんとか駐車して、祭りの雰囲気を楽しみます。




周りは、のどかな景色で紅葉も見られます。
小滝や不動滝とは違った「かつて私には身近だった景色」で、郷愁を誘う心を祝福す
るような清々しい秋晴れでした。(秋晴れと言うよりも、夏日に近い気温でしたが
(笑))





立派な建物の横では、お爺さんがイワナを焼いていました。
炭火でじっくりと焼いていて、とても美味しそうでしたが、この時点で予約でいっぱ
いとなり「もうイワナが無い」と困っていました。(隣で売っていたナメコも、すぐ
に完売しました(笑))
なんかとても良い規模、商売じゃないから仕入も少ないし、炭火だから回転も悪いで
す。
でもそれを改善する為に欲を出されると、こういった場では興醒めします。
イワナは他でも食べられますし、キノコ汁もあるので問題ないです。(要は、お爺さ
んのペースでやれば良い訳です)




きのこ祭りとなっていますが、いろんな種類のキノコを販売しているのでは無いよう
です。
主にナメコ汁や蕎麦がメインで、蕎麦は建物内の食堂で食べる事ができます。(手打
ちで旨かった!)
思っていたよりも立派な造りで、清潔感が伝わってくる施設でした。
お土産を販売している売店もあります。(レジのお姉さんに許可を得て撮影しました)
ここで売られていた木の台に興味を持ち、後に作った人に会いに行きました。(その
話は後日)




外には小さな釣り堀があり、何人かのお客さんが釣りを楽しんでいました。
ここで養殖しているのではありませんが、立派なイワナが泳いでいます。
競いながら楽しんでいる人の中で、6匹のイワナを釣った人の網を見せてもらいまし
た。
10匹で2,000円らしく、関係者に話を聞いたら「イワナ1匹の原価が200円だから儲け
がない」って言っていました(笑)
これは商売では無く、イベントとして楽しむための遊びのようです。(ちなみに、こ
こで釣ったイワナを食堂で調理してもらう事は出来ないようです)





木地屋の里の隣には、同じく立派な建物があります。
ここは資料館で、何故ここが木地屋の里なのかが解る資料が展示してあります。
入場料は必用ですが案内なども受けられるので一度は見た方が良いでしょう。
当然ながら内観は撮影できませんので、私の感想を書きたいと思います。


間違いなく言える事は私にとって、このイベントに来て出会えた「最も大切なカケラ」
だったと言う事です。(かつての本物の職人との出会いでした)
恐らく普通の人が見ても「古いだけの家や道具」ってだけなのだと思います。
木地にも興味が無ければ全く面白くない空間なのでしょうが、私からすれば「作り手
の全てが詰まっている空間」となります。

この使い込まれた道具たち、これは普及の為に存在しているのでは無く、一つの目的
の為に特化した存在であり、その道具すらも自分達で作っていた事がよく解ります。
(よって壊れる事を目的としていない)
私とは作るものは違いますが本質は同じ、でも基本となる力量(生きる労力含む)が
桁違いで、先人の偉大さにひれ伏します(笑)

改めて理解しましたが、この時代の職人とは「普段、自分達の生活で使う道具を作り
ながらも、販売する作品を作っていた」って事で、総合的な創作力が比べものになり
ません。
また、ここでは木地だけで終わらず漆塗りまでの行程を行っていたのだそうです。
その為の道具も揃っていて、これを見ると物づくりの原点を再認識します。(森を疲
弊させないよう、定期的に制作地域を移動してもいたようです)

しかし最も重要な支えは妻(女性)であったようで、道具の揃わない時期では女性が
寝ずに漆器の管理をしていたとの事でした。(その他の行程も補佐していた)
なので嫁をもらう際は素人では無く同じ木地屋の家の女性を求めた結果、それを繰り
返して血が濃くなり過ぎた事の弊害もあったようです。

家の内観自体は、作られた漆器の優美さとは違い無骨さが身染み出ていて、それが逆
に渋さを感じさせます。
とにかく家の造りなどを見ると「自然に自分を適応させてきた」って事が解り、現代
とは逆の生き方を選んでいたのが解ります。(自然に合わせ、家に合わせ、仕事に合
わせ、人間が適応するって感じです)

それに、古い道具を見ると現代の機械の基礎が見られるので面白いです。
漆器をゆっくりと回して乾かす道具も、滑車とゼンマイ仕掛けで回していて、ゆっく
り回す為にちゃんと工夫がされていました。

残念ながら現在では木地屋は存在していませんが、その子孫が先祖の宝を守っていま
す。


今回はとても勉強になりました。
実はこの資料館を見ずに帰ろうとしていた時に、偶然に知人と出会い、その人の紹介
と説明で案内してもらいました。
見て来て良かったです…、しかも国指定の重要文化財だったようで、この施設自体が
立派な理由がこれで解りました(笑)
そして痛感した事は、糸魚川でのヒスイには「歴史は在っても伝統が無い」って言う
欠点です。
この里のような深みが自然には在っても、人の技(生き様)に無い…、この致命的な
欠陥を補う存在がどうしても必用となります…。(ヒスイは、道具では無い事が幸い
しているとも言える)
古きを訪ねれば、いろいろな事に気づかされます。

こういう遺産は是非、未来へ残してもらいたいです!
生活の原点、作り手の原点、ここに来れば私は先人達と何度でも対話が出来るのでしょ
う。
壁と認識すれば絶対に越えられませんが、学ぶべき存在と認識すれば死ぬまで学んで
行けます。
また一つ心の故郷が増えました!、今度はイベントが無い時にも遊びに行こうと思い
ます。(今年は11月3日まで営業しているそうです)



久しぶりに良い出会いがありました!
不動滝の祭りが不発に終わった事で、より楽しめたのかもしれませんね(笑)
満足して山道を下りて平岩駅まで来た時に、ふと大網も想い出しました。
とりあえずは、お気に入りの足湯へ行き、誰もいない温泉を楽しみます(笑)


来年は、あそこで頑張っている若者たちについても書きたいと思います。


やっぱり小規模だけど大切なイベントってのは、間違い無く在るのだと解りとても満
足です!
2015年10月20日
提出した河川モニターの返答をもらいましたので、お知らせします。

大野付近の返答です。








「河川敷の草や木が季節の移り変わりを教えてくれます、川に棲む生き物にとって草
や木は重要な環境ではありますが、川を管理する上ではときどき困りものになります。
堤防を管理したり、水を流すことだけを考えれば草や木は無いほうが良いのですが、
それでは自然が損なわれてしまいます。特に姫川のように変化の激しい川は、必要以
上に手を入れない(入れられない?)環境も何かと出会ったり、発見したりする場と
して大切なのかなとも思えます。ただ、人為的なゴミは自然環境にとって「毒」でし
かないので、捨てられないようにする妙案を模索中です。
 夏場に姫川は水量が少なく、用水や釣り人もぎりぎりの状況でしたが、9月に入っ
て姫川流域での降水量は周期的に変化し、中旬以降は1週間毎にまとまった雨があり
ました。水位も山本水位観測所で1〜2m程度上がりましたが、すぐに元の高さまで下
がっています。確かに藻が付いた石を転がすほどでは無かったようです。川底の石に
ついた藻で増水の状況をはかる視点はさすがです。
 関東から東北で大きな被害を出した台風18号も姫川では大きな影響も無くやり過ご
せました。このまま出水期を抜けられるかと思っていたら、10月2日に流域で10
〜30mm/h程度の雨が4〜5時間降った影響で、山本水位観測所の水位が1.01mまで上が
りはん濫注意水位の一歩手前まで上昇しました。(今年度最大の出水です)また、水
位上昇速度が早く1時間に最大2m上昇した時間帯もありました。鬼怒川が9月10日に決
壊したときのように、雨雲が長時間流域に留まればさらに高い水位に短時間でなって
いた可能性もあります。姫川の水位上昇速度は鬼怒川よりも相当早いようです。
 川原の中の調査は、出水による土石の動きを把握するために、川原の土石の蓄積構
造を調べていました。この他、流量調査など夏場の出水時にいろいろなデータを集め
ています。
 引き続きお気づきの点があればご報告の程よろしくお願いします。」


との事でした。


人間の都合だけを考えて河川を整備するのであれば、生物として存在価値は無いです。
ある時期は草木が生え、ある時期は整備される、そんな事の繰り返しが良いのでしょ
う。
そうで無くては土も生まれないので、基礎(大地)が貧弱になって行くだけです。
(そこにコンクリをうっても意味が無い(笑))
様々な存在との出会いの場として楽しめるので、バランスを大切に管理する必用があ
りますね。

以前にも書きましたが、あの場所にゴミが集中する理由が解らない…。
橋から捨てる事が多いようですが、わざわざあの橋に捨てに行くのだろうか?
バカのやる事は、道理が無いので考えても理解できない(笑)

この頃は集中して雨が降る日が増えてきました。
晴れた次の日が大雨になったりして、連休などは天気に翻弄された人も少なく無いで
しょう。
これからの時期は海が荒れるので、川の急激な増水と合わさったら危険な状況になる
かと思います。(水の出口が塞がってしまうと大変危険)

人間が可能な限り堤防を整備しても、自然の前では破壊される時は簡単に壊れます。
被害を最小限に防ぐ効果を期待しながら、必ず壊れる時を覚悟していた方が良いのか
もしれません。(先日、小滝川を見てきて改めて感じました)
幾度と無く水害を経験したきた糸魚川ですから、その準備は怠ってはいない気はして
います。(希望的観測)

やはり川の中央付近の作業は、工事では無く調査だったんですね。
土石の動きのデータ、かなり興味があります。
なんか樹の年輪みたいで、姫川の歴史を語ってくれそうです(笑)

自然には人間が知らない事が、山ほど存在しています。
世界を大きくして行くのも大事ですが、もっと身近な小さい事を知った方が良いよう
に思えます。(宇宙も縮小するようですし(笑))

まだまだ自然から学んで行ける年齢なので、必ず訪れる衰退の時期まで己を高めて行
こうと思います。(本質を同じくした人からも、学んで行けたらと思っています)
2015年10月17日
久しぶりに、小滝川へ遊びに行ってきました。

ここは小滝の公民館です。
綺麗に整備されていて、一休みするのには丁度良い場所です。
そこに新しく体育館が建てられていました。


この地域に合った規模で、住民(お年寄り)の人達に活用されている事でしょう。
冬の厳しい所なので、こういった施設があれば運動不足にもならないかと思います。

グランドも広く照明設備も万全です。
マレットゴルフなどを楽しむ為、全面に芝を生やしているようです。


こういった設備の充実は、発電所を運営している企業によるものなのだと思います。
(多分)
水力発電なので公害もないでしょうし、豊かな水を活用するのには良い場所なのでしょ
う。


このグランドから、小滝川を見る事ができます。
ここから下りる事も出来るので、川で遊ぶ事も可能です。(ちょと危ないですが…)


姫川とは違った独特の雰囲気があり、底の知れない景色が非常に神秘的です。


懐かしさを感じながら川を見て行くと、やはり破壊の痕跡がありました。
人間は「自分の手に負えない存在を破壊したくなる習性」が、あるのだろうか?
一目見て、一般的に需要のあるヒスイでは無い事が解らないのかな…。



この食い散らかしたような様は、まるで農産物を食い荒らすサルを見ているようです。
こういった事を防ぐには、執拗なまでの巡回が必用になるのでしょうね…。


少し先へ進むと大きな流木がありました。
姫川河口で見る普通の流木とは規模が違う「巨大な根の塊」、これだけで芸術品になっ
ている気がします(笑)




水門に到着!、ここで流れる水量を調節しています。(水門だから当然か(笑))
急に水かさが増したりするので、ここで遊ぶ際には気を付けて下さい。(事前にサイ
レンも鳴るので解りやすいと思います)




脇の茂みにはキノコが生えていました。
これはナラタケ(ナラタケの一種?)で、食べる事が可能です。
ここらでは「モタセ」と呼んでいて、人気のあるキノコです。(ちなみに私の故郷で
はモトアシと言っていました)


名の由来は解りませんが、煮こぼすとぬめりが出てシャキシャキとした歯ごたえが鍋
に合います。
食べ過ぎると消化不良を起こしますので、気を付けて下さい。(どんな食べ物も同じ
です)

基本的に山での山菜の採取は禁止されていますが、川の脇だったら良いのだろうか?
いや…、この場所自体が山とするなら駄目なのでしょう。
まぁ、この程度の規模で住民の人達が怒る事もありませんが、この地域での数少ない
収入(お年寄りの)を奪うのは無粋というものでしょう。
必用なら小滝の入口に販売所があるので、そこで購入すれば良いです。(数百円だし)
人の地域で遊ぶ際には、礼儀を心がけなくては嫌われますね(笑)


水門の少し上には、小滝川発電所があります。
川を上がって行くと気が付きませんが、ここは立ち入りが禁止されています。


岩場に上がり、管理地のギリギリで撮影しました(笑)
きっと危険と言う事と、不審者が入らないように立ち入りが禁止されているのだと思
います。
ここには道があるので、地元の人なら歩いて先へ進む事も可能なのでしょう。(多分)


更に少し進むと、堤防(土留め)の工事をしていました。
ここからは川であろうと、道であろうと進む事ができないようです。
少し水が濁っていたのは工事が原因だったのだと、ここで理解しました。


実際の疑問として、小滝川を上がっていけるのはヒスイ峡入口の下流限界までとなっ
ていましたが、現在はどうなのだろうか?
ここには釣りを楽しむ人達も来るので、その辺りをちゃんと知っておきたいですね…。
(河川モニターの際に聞いてみるか)


とりあえず、ここで小滝下流のモニターを終えます。
次は小滝上流、ヒスイ峡の管理区外を見てみます。


ヒスイ峡を少し過ぎると、遊歩道へ出ます。
ある程度は車で先へ進めますが、道が狭いし崖だしで危険なので歩いた方が無難です。
歩いて先へ進むと、ここにも水門があり澄んだ水が溜まっています。



上流では大規模な工事はしていないようなので、非常に水が綺麗です。
ここは流れが急な事や水温が低い事から、ほとんど石に藻が付いていないのが解りま
す。
この辺りから、更にデカイ流木が見られるようになります。

それよりも驚いたのは、10月でもセミ(ミンミンゼミとアブラゼミ)が鳴いている事
でした。
生命の森…、そんな言葉が頭をよぎり、かつて感じた高揚感に包まれます。


さらに歩くと、また発電所があります。
ここは小滝川では無く、黒部川の発電所のようです。
近づくと急にアナウンスが流れるので、ビックリした人も少なくないでしょう(笑)





この付近では遊漁券が必用となるようです。(釣りをする場合)
山菜に関する看板もあり、山菜を山で栽培している人もいるのだそうです。





この先へは、ちょっとしたゲートを越える必用があります。
一般車両の進入を禁止しているようですが、歩行は可能のようです。(多分)
川を上がって行くと看板などに気が付かず、そのまま進入している事が多いです。
確かこの先は登山口とも繋がっていたかと記憶していますので、立ち入り禁止では無
かったと思います。(崖道を進んで行くので、足下や落石などに注意が必要)




流石に疲れたので、この先へは行きません(笑)
ここからは、より自然の領域が強くなるので油断すると命を落とすでしょう…。(ク
マ出没注意です)
川の名前も変わっていくので、小滝川を楽しみたい人は進む必用は無いと思います。

ちなみにヒスイを目的で進んでも、既にブッ壊されているので期待できません。
かつてはその破片が下流にも流れていたので、それなりに紫ヒスイの欠片が拾えたよ
うですが、現在は取り尽くされたようです。(この破壊行為によって、小滝下流でも
ヒスイが拾えたのも事実です…)

なんであれ、良くも悪くも相応の理由無しでは、この先には進まないでしょう(笑)


久しぶりの小滝川…、多少は変わってはいましたが、雄大な自然は変わらず美しかっ
たです!(ウルルがいなくて良かった〜(笑))
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