作者の思考
作品紹介
2019年07月03日
今回はオーダーで制作した作品(制作途中の1個)を紹介します。
当初は「玉壁を」との事でオーダーを受けたのですが、どうしても私には「糸魚川ヒスイで玉壁を作る(私が玉壁を作る事も含む)」と言う仕事の意義を見出す事ができず、素材の青ヒスイと対話(吟味)した結果、日本古来からの大珠のイメージを強めた品にする事にしました。
依頼人からも「作品として創ってほしい」との事だったので、魂が拒絶する仕事はしませんでした。
これが「商品として」との依頼だったら、割り切って量産されている玉壁のレプリカ(あの水切り石みたいなやつ)にしたのかも?、と思いましたが、間違いなく拒絶反応を起こして断ったでしょう…。
最近は「割り切れなくなったなぁ」って思います、歳を重ねるごとに頑固になっている気がする。
もう委託加工が出来ない魂になっているなぁ…、オーダー(作品)としての特性である「一方通行」が適応されない品には対応したくないのでしょうね。
「振り回される側」より「振り回す側で在りたい」って事なのかも(笑)、なんであれ創作活動をしているのだから「他人の手」に徹するのは無理なんですよね。(職人じゃなく作家だし)
更に言えば、この大珠は紫陽花をモデルにしています。
美山での晴天の下に咲いた青と蒼も美しかったですが、曇り空の下での淡紫も美しいです。
このボリューム感、ふっくらとさせた理由は紫陽花の美しさをこの姿に映したかったから。(中央に孔があるのでガクアジサイでも良いな〜)
日向は勿論の事、日陰であっても絶えず美しく輝く生命力を表現しています。
私が創る作品はどうしても、日本古来の特徴や自然(四季)の影響を強く受けた品になります。
何故かは解りませんが「そうなるのだから仕方ない」です(笑)
父曰く「それが芸術家だ」との事なので、きっとそうなのでしょう、そしてこれからも「そう生きる」のでしょうね。(生き続ける限り)
幸いな事に理解のある依頼人なので、正直に話せば納得してくれます。
「類は友を呼ぶ」と言いますので、もしかしたら似た者同士なのかも?
私は人(人運)にも恵まれているのでしょう、よって愛想を尽かされないよう気を付けねばなりません。
人の縁は大切、そして自然(神々)との交歓も大切、このバランスを崩さないよう努力したいと思います。
と、言う事で?今年も野いちごを大量に採りました。(強引な入り方だな(笑))
極上のルビーの山(笑)、ジャムにして楽しんでいますが、絞りすぎて渋味が残ってしまった…。(欲張ってしまった〜)
でもまぁ、それも適応して栄養に変えてやろうと思います(笑)
ちなみに野いちごを採っている最中に、散歩しているお爺さんやお婆さんに声をかけられました。
野いちごの事を意外と知らないらしく珍しがっていましたが、「そのまま食べても美味しくない」との説明をして談笑しました。
きっと変わった男だと思われただろうなぁ…、それでも声をかけてくれる気楽さは嬉しいです。
話は変わって、物産センターでのワークショップや加工所の再生などの提案書を数ヶ月前に提出しています。(かなり以前にも出してるけど…)
あとは物産センターが考える事であり、もう私が考える事ではないですね…。
適応すればカフェに来店するお客さんも増えますが、とにかく加工所との連携が必須なので「再生」が最優先となります。(カフェを利用したらヒスイの識別が無料とか、加工費が少しお得になるとか等々)
経営者と支配人は私が関わる事を嫌がっていますが、私的には「担えるのなら誰でも良い」ので、人を惹きつけるだけの魅力(引力)を備えた魂を見付けてきて欲しいです。(それが仕事なのだから)
未来に興味がある者ばかりではないですが、興味が無い者ばかりでもない、上手い解決法はないのだろうか?(また年月を待つだけか?)
この歪み捻れまくった共産思考は糸魚川独特なのだろうか?、それとも田舎の特徴なのか?、貧しさの特徴である事は確かなので豊かになれば無くなるのだろうか?
その割には利益を出せる事をしないのは何故なんだ?、あまりにも矛盾が強くて沼のように進めない、だから私は自身で進める自己完結(芸術)の道を優先する訳ですね(笑)
いっそ隠者にでもなろうかと思う、今日この頃です。(もう半ばなっているような気が(笑))
当初は「玉壁を」との事でオーダーを受けたのですが、どうしても私には「糸魚川ヒスイで玉壁を作る(私が玉壁を作る事も含む)」と言う仕事の意義を見出す事ができず、素材の青ヒスイと対話(吟味)した結果、日本古来からの大珠のイメージを強めた品にする事にしました。
依頼人からも「作品として創ってほしい」との事だったので、魂が拒絶する仕事はしませんでした。
これが「商品として」との依頼だったら、割り切って量産されている玉壁のレプリカ(あの水切り石みたいなやつ)にしたのかも?、と思いましたが、間違いなく拒絶反応を起こして断ったでしょう…。
最近は「割り切れなくなったなぁ」って思います、歳を重ねるごとに頑固になっている気がする。
もう委託加工が出来ない魂になっているなぁ…、オーダー(作品)としての特性である「一方通行」が適応されない品には対応したくないのでしょうね。
「振り回される側」より「振り回す側で在りたい」って事なのかも(笑)、なんであれ創作活動をしているのだから「他人の手」に徹するのは無理なんですよね。(職人じゃなく作家だし)
更に言えば、この大珠は紫陽花をモデルにしています。
美山での晴天の下に咲いた青と蒼も美しかったですが、曇り空の下での淡紫も美しいです。
このボリューム感、ふっくらとさせた理由は紫陽花の美しさをこの姿に映したかったから。(中央に孔があるのでガクアジサイでも良いな〜)
日向は勿論の事、日陰であっても絶えず美しく輝く生命力を表現しています。
私が創る作品はどうしても、日本古来の特徴や自然(四季)の影響を強く受けた品になります。
何故かは解りませんが「そうなるのだから仕方ない」です(笑)
父曰く「それが芸術家だ」との事なので、きっとそうなのでしょう、そしてこれからも「そう生きる」のでしょうね。(生き続ける限り)
幸いな事に理解のある依頼人なので、正直に話せば納得してくれます。
「類は友を呼ぶ」と言いますので、もしかしたら似た者同士なのかも?
私は人(人運)にも恵まれているのでしょう、よって愛想を尽かされないよう気を付けねばなりません。
人の縁は大切、そして自然(神々)との交歓も大切、このバランスを崩さないよう努力したいと思います。
と、言う事で?今年も野いちごを大量に採りました。(強引な入り方だな(笑))
極上のルビーの山(笑)、ジャムにして楽しんでいますが、絞りすぎて渋味が残ってしまった…。(欲張ってしまった〜)
でもまぁ、それも適応して栄養に変えてやろうと思います(笑)
ちなみに野いちごを採っている最中に、散歩しているお爺さんやお婆さんに声をかけられました。
野いちごの事を意外と知らないらしく珍しがっていましたが、「そのまま食べても美味しくない」との説明をして談笑しました。
きっと変わった男だと思われただろうなぁ…、それでも声をかけてくれる気楽さは嬉しいです。
話は変わって、物産センターでのワークショップや加工所の再生などの提案書を数ヶ月前に提出しています。(かなり以前にも出してるけど…)
あとは物産センターが考える事であり、もう私が考える事ではないですね…。
適応すればカフェに来店するお客さんも増えますが、とにかく加工所との連携が必須なので「再生」が最優先となります。(カフェを利用したらヒスイの識別が無料とか、加工費が少しお得になるとか等々)
経営者と支配人は私が関わる事を嫌がっていますが、私的には「担えるのなら誰でも良い」ので、人を惹きつけるだけの魅力(引力)を備えた魂を見付けてきて欲しいです。(それが仕事なのだから)
未来に興味がある者ばかりではないですが、興味が無い者ばかりでもない、上手い解決法はないのだろうか?(また年月を待つだけか?)
この歪み捻れまくった共産思考は糸魚川独特なのだろうか?、それとも田舎の特徴なのか?、貧しさの特徴である事は確かなので豊かになれば無くなるのだろうか?
その割には利益を出せる事をしないのは何故なんだ?、あまりにも矛盾が強くて沼のように進めない、だから私は自身で進める自己完結(芸術)の道を優先する訳ですね(笑)
いっそ隠者にでもなろうかと思う、今日この頃です。(もう半ばなっているような気が(笑))