作者の思考
姫川での石拾い
2016年05月11日
ゴールデンウィークも最終日となったので、また姫川へ遊びに行きました。
連休の真っ直中は人が多いし、せっかく遊びに来ている人の楽しみを邪魔するのも嫌なので海や川での遊びは自粛します。(実際は連休なので品出しや制作で忙しいだけ(笑))
その前にこの間、桜並木を紹介した浄化センターへ向かいます。
今回は広場側、こちら側の魅力は芝生の広場とツツジにあります。(前回に紹介しなかった理由もここにありあす)
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広場の奥へ進むと池があり、憩いの場としても活用できます。
今回は少しだけ訪れるのが遅かったようで、散ってしまっているツツジもありました…。(いや…、気温が上がったので、例年より早く咲いてしまったのかも、と言い訳してみる(笑))
しかし辺りに漂う甘い香りに包まれ、天気も相まって最高の環境でした。
花の命は短いですが、またの再会を誓って姫川へ向かいました。
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ちなみに、ここから噴煙を上げた焼山が見られます。
小規模な噴火があったようで今後が心配ではありますが、どう心配した所で何もできません。
人間は大量破壊兵器は作れても、自然を制御する事は不可能、この事で自然の方が上位だと解ります。(神なんだから同然だ(笑))
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実際に核兵器で焼山を壊した所で何も変わらず人が住めなくなるだけ…、あまりにも無駄な知識、人間の知性にどれだけの価値があるのか疑問に思ってしまいます。
と、言う事で姫川へ向かいます(笑)
場所は、お馴染みの河口です。
ここは探しやすいし、面白い石たちが集まってくるので楽しいです。(海に近いので海岸転石も探せる)
雪解け水で多少は濁っていますが、この濁りは非常に綺麗です。
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海岸付近で魅力的な水石を発見!
なかなか面白い、庭石を縮小したような姿です。
置くと斜める姿も良い感じなので、飾り用兼文鎮にでもしたいと思います。
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更に探すと、また面白い水石を発見しました。
小さな剣水晶を含む石で、モコモコしながらもキラキラと輝いています。
さっきのと同様に乾いていても魅力的なので、撫で回して皮脂を擦り込ませる必用も無いでしょう(笑)
底も平らなので座りが良く、こちらも飾り用兼文鎮にできそうです。
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この日はヒスイとは出逢えませんでしたが、それが当然であり、川(って言うか河口)でヒスイと出逢えるのは幸運でしかありません。
上流へ行けばヒスイはありますが、大きすぎるし鉱物としてのヒスイが多いです。(規制されている場所も多いし)
手頃なサイズの魅力的な石を探すなら、やはり河口付近が良いでしょう。
今回の水石などの美学は、一言で言えば「枯れ行く者の美学」と言えるでしょう。
あまり良い印象の言葉では無いですが、最終的にはモノクロの美へ向かうのが人の理想なのでしょう。
いつまでも枯れ行く者が色気づいていたら、どうしたって気色が悪いのは当然(笑)
そう言う者が「枯れ木も山の賑わい」って存在に成るのでしょうね…。
私も枯れ行く者の入口に立つ事になるのだから、その美学は学ばねばなりません。
しかしながら、人は少し幼さを残すくらいが魅力的でもありますので、そう考えるとヒスイと言う鉱物はバランスのとれた存在だと感じます。
多様な姿があり、多様な色がある、心持ちに応じて表現の仕方を変えられます。
流石は神の石、いろいろと学ばせてくれます。
モノクロへ向かいながらも完全に彩を排さず、表具に彩を配し、台座に彩を配し、慎ましい幼さを残す加減は絶妙な気がします。(水墨画とか水石とか)
きっと光沢も色と同様の意味合いなのだと思います。(瑞々しさの象徴でもありますし)
ここがジュエリーと全く違う領域なのでしょうね…、でもどちらも人の理想の具現化、矛盾する人間らしい分かれ方のようにも思えます。
なので、せっかくだからどちらも楽しめば良いのでしょう(笑)
問題は双方とも「お金(結構な額のお金)が必用」って事で、なかなか手が出せません。
水石あたりは自分で出逢えば良いのですが、ピンは簡単には見つかりませんので買った方が安く済む場合もあります。(探す労力と通う交通費用などを考えると…)
まぁ、それを含めての楽しみなのでしょうから、心の豊かさを求めて各々の美学を構築するのが一番良いのでしょう。
そう考えると「枯れ行く者」となっても、やる事がいっぱいだ…。
これは要するに「創作活動(芸術)に終わりは無い」って事なのだろうか(笑)
連休の真っ直中は人が多いし、せっかく遊びに来ている人の楽しみを邪魔するのも嫌なので海や川での遊びは自粛します。(実際は連休なので品出しや制作で忙しいだけ(笑))
その前にこの間、桜並木を紹介した浄化センターへ向かいます。
今回は広場側、こちら側の魅力は芝生の広場とツツジにあります。(前回に紹介しなかった理由もここにありあす)
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広場の奥へ進むと池があり、憩いの場としても活用できます。
今回は少しだけ訪れるのが遅かったようで、散ってしまっているツツジもありました…。(いや…、気温が上がったので、例年より早く咲いてしまったのかも、と言い訳してみる(笑))
しかし辺りに漂う甘い香りに包まれ、天気も相まって最高の環境でした。
花の命は短いですが、またの再会を誓って姫川へ向かいました。
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ちなみに、ここから噴煙を上げた焼山が見られます。
小規模な噴火があったようで今後が心配ではありますが、どう心配した所で何もできません。
人間は大量破壊兵器は作れても、自然を制御する事は不可能、この事で自然の方が上位だと解ります。(神なんだから同然だ(笑))
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実際に核兵器で焼山を壊した所で何も変わらず人が住めなくなるだけ…、あまりにも無駄な知識、人間の知性にどれだけの価値があるのか疑問に思ってしまいます。
と、言う事で姫川へ向かいます(笑)
場所は、お馴染みの河口です。
ここは探しやすいし、面白い石たちが集まってくるので楽しいです。(海に近いので海岸転石も探せる)
雪解け水で多少は濁っていますが、この濁りは非常に綺麗です。
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海岸付近で魅力的な水石を発見!
なかなか面白い、庭石を縮小したような姿です。
置くと斜める姿も良い感じなので、飾り用兼文鎮にでもしたいと思います。
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更に探すと、また面白い水石を発見しました。
小さな剣水晶を含む石で、モコモコしながらもキラキラと輝いています。
さっきのと同様に乾いていても魅力的なので、撫で回して皮脂を擦り込ませる必用も無いでしょう(笑)
底も平らなので座りが良く、こちらも飾り用兼文鎮にできそうです。
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この日はヒスイとは出逢えませんでしたが、それが当然であり、川(って言うか河口)でヒスイと出逢えるのは幸運でしかありません。
上流へ行けばヒスイはありますが、大きすぎるし鉱物としてのヒスイが多いです。(規制されている場所も多いし)
手頃なサイズの魅力的な石を探すなら、やはり河口付近が良いでしょう。
今回の水石などの美学は、一言で言えば「枯れ行く者の美学」と言えるでしょう。
あまり良い印象の言葉では無いですが、最終的にはモノクロの美へ向かうのが人の理想なのでしょう。
いつまでも枯れ行く者が色気づいていたら、どうしたって気色が悪いのは当然(笑)
そう言う者が「枯れ木も山の賑わい」って存在に成るのでしょうね…。
私も枯れ行く者の入口に立つ事になるのだから、その美学は学ばねばなりません。
しかしながら、人は少し幼さを残すくらいが魅力的でもありますので、そう考えるとヒスイと言う鉱物はバランスのとれた存在だと感じます。
多様な姿があり、多様な色がある、心持ちに応じて表現の仕方を変えられます。
流石は神の石、いろいろと学ばせてくれます。
モノクロへ向かいながらも完全に彩を排さず、表具に彩を配し、台座に彩を配し、慎ましい幼さを残す加減は絶妙な気がします。(水墨画とか水石とか)
きっと光沢も色と同様の意味合いなのだと思います。(瑞々しさの象徴でもありますし)
ここがジュエリーと全く違う領域なのでしょうね…、でもどちらも人の理想の具現化、矛盾する人間らしい分かれ方のようにも思えます。
なので、せっかくだからどちらも楽しめば良いのでしょう(笑)
問題は双方とも「お金(結構な額のお金)が必用」って事で、なかなか手が出せません。
水石あたりは自分で出逢えば良いのですが、ピンは簡単には見つかりませんので買った方が安く済む場合もあります。(探す労力と通う交通費用などを考えると…)
まぁ、それを含めての楽しみなのでしょうから、心の豊かさを求めて各々の美学を構築するのが一番良いのでしょう。
そう考えると「枯れ行く者」となっても、やる事がいっぱいだ…。
これは要するに「創作活動(芸術)に終わりは無い」って事なのだろうか(笑)