作者の思考

稼ぎ方の正当性

2014年11月17日

私達が普段に行っている仕事には、常に正当性が求められています。
要はそれが免罪符であり、稼ぐ事を許されている理由でもあるわけです。

例えば企業で言えば、「雇用」がそれに当たります。
人間社会に必用とされていて、皆が共有できる存在理由(利益)になっています。(納税とかも)

もう一つは消費者の「需要」で、例えば「その領域の本物」を大量生産や多角経営で潰したとしても、現在の人間社会では許されています。

では、もしその免罪符が成り立たなくなったら、どうなるのでしょうか…?

そうなった場合、まず許されていた今までの稼ぎ方が罪へと変貌します。
要は正当性を無くした稼ぎ方は「誰も赦す事の無い罪と同じ」って事です。

で…、今の世の中に正当性が、どれほど在るのでしょうか?
命の奪い合い(略奪)と言う生物の本能から逃げ、その領域を可能な限り薄める事で人類は社会を作ったのに、その誕生理由を現代人は全く認識できていません。

昔から、罪には罰が付きものです。(因果応報ってやつですね)
間違いなく、その行為の罰は受ける事になるでしょう。

それが人間による裁きなのか、別の「何か」によるものなのかで、結末は大きく変わってくるでしょうね…。
願うのならば、自分のケツは自分で拭いてほしいものです。

間違いなく言える事は、今の状態は「本物を潰してきた結果」だと言う事です。
それをどう償うのか、それが現代社会の課題なのだと考えます。

まぁ、免罪符の名の下で、さんざん本物を潰しておいて、今になって「継続できません」なんて意味不明なんですよね(笑)
もはや利益で成り立っているのか、銀行の金で成り立っているのか、訳が分からない。
いつまでも、その罪が赦されていく世の中だとは思わないで頂きたいものです。

最終的には「稼いだお金をどう使うのか」、これに正当性が無ければ魂は腐敗し続けていきますので、ゆめゆめ忘れないで下さい。

大昔のように、恐竜などの生物に喰われまくって恐怖を再び刷り込まれないと、人間社会の根幹は再認識されないのかもしれませんけどね…。

現実問題として、「成長に失敗した者に若者を育てられる道理は無く」、それと同時に「信念がなく真面目でもない若者を育てる道理も無い」わけです…。

この現状は、一体何なのだろうか?


ただ人類は、その領域からどうにか逸脱しようと、成長してきたようにも思えます。(気付いてない人が大勢いるだけで)
生物の本質からの脱却、それは人間が生物で無くなる事に繋がるのだろうか?
でも生存競争なるものを完全に排除する事が、人類の理想であるとも考えられない…。

不安定な魂の中に「可能性」と「野蛮性」を合わせ持つ、人間とは面白い存在だと改めて感じます。(私も、その生命の一つなんですけどね(笑))

古い者から新しい者へと、その意志が強く成長して行けば、やがては新しいバランスが誕生するのだと考えます。
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