作者の思考

生きて、生かされて

2014年05月07日

突然ですが、私は幸せなのだと感じています(笑)
それはきっと、原点に近い生き方を求めているからだと思います。

人類は無形を有形にする事で、進化してきました。
最近は逆の事をして、大きな失敗をしてる人達もいますが、その人達は「人の成り立ち」を理解していないのだと思います。
さすが「現実逃避の究極体」、その地に足の付かなさっぷりには、ついて行けませんね(笑)

人にとって一番大事な事は、「生きている事」を感じる事と「生かされている事」を感じる事の、二つだと思います。
そして、これを幸せと呼ぶのではないでしょうか。

私の場合は、作る事で「生きている事」を感じ、それが売れる事で「生かされている事」を感じる事ができます。
そのどちらにも糸魚川のヒスイが在って、私は糸魚川ヒスイで生き、糸魚川ヒスイに生かされているのだと感じています。(その大元には、地球に生かされているという現実があります)

なので、それに相応しい生き方をする責任もあります。

私にとって「作って売る事のバランス」は非常に重要であり、そのバランスを間違えると、ひたすらに「ただ老けていく者」となってしまいます。
これでは、私の魂が糸魚川ヒスイと共に在る事は不可能です。

正面から向き合って、挑み、学び、何かを自分自身から勝ち取る。
そんな成長が必要なのだと感じています。(自然から「勝ち取る事」は不可能です、勝てませんから(笑))

未だ完全に引き出せていない「悠久の時より繋がる絆(感性)」が開花するよう、今後も創作活動を進めて行きたいです。


ちなみに、現代では「リア充」とかいう言葉があるそうですが、そもそもに人間社会は幻想なので、現実を充実できるわけがありません。(管理と言う幻想にすがっている以上は無理)

本当の意味で現実を充実していたのは、縄文人なのでしょう。(正確には、この段階の人類)
全てが人間のものでは無い事を共有し、無駄に管理せずに生きていたのですから。
文字が必要ではなかったのも、これで頷けます。

でも、その理由から土地を追われてしまったのも事実です。
現代において、管理する事は人間としての生命線であり、その錯覚は未来永劫に続いて行くのだと思います。(人間社会が続く以上は)

例えそれが、幻想なのだと認識していても…です。(笑)

しっかし、社会自体が幻想と言う事は、人間が想いを描く心の幻想は「幻想中の幻想」になるのだろうか?
ホーム | ショッピングカート 特定商取引法表示 | ご利用案内
Powered by おちゃのこネット