作者の思考

遺跡掘り体験 ⑧

2013年08月07日

現在は、縄文時代の中層を精査しています。

この前に姿を現した石棒の精査をさせてもらいました。(丁度私がいる班の区画でした)
何か面白い遺物が出ることを期待したのですが、結果は何も無し…。
残念です…、ちょっと期待していたのですが。

この場所に立っていた形跡も見当たらないらしく、どうにも現状では分からないようです。
流されてきたのか、最初から横に置いていたのか、よく分からないです。(近くに樹があったようなので立て掛けたのかも)

ただ、使用している鉱物が河原の巨石(ヒン岩)であり、石棒を作る文化を持った者達が使う六角柱の玄武岩ではないようです。
この石棒は「この地で加工された物では無い」と言われていたので、この地で加工した可能性が出た事を嬉しく思います。
また、既に棒状となっている素材からの加工と、河原の巨石からの加工では労力が違いすぎます。(おそらく平たい巨石の中央部分で制作されていると思います)
加工を行う者としては、両者を同等と考える事はできません。
どちらが優秀とかではなく、制作した過程(理由)が違っているように感じます。(量産重視か、信仰重視かの違いとか)

例え、ここの人達が加工したのでは無く、外から来た者がこの地で加工したものでも私は構いません。
「この地で作った遺物である」って事が私にとっては重要なのです。
でなけりゃ「人が外で作った物を持ってきただけ」となり、借り物感が尋常ではない…。

あの大きさの石棒を持ってくる事自体は、大変な労働であった事は分かります。(縄文時代だし)
その運搬技術も素晴らしいし、川の流れを読みながらの作業には熟練が必用だった事も分かります。

それでも「ここで作っていてもらわなくては困る」わけです。
何故なら、こういったオブジェ(シンボル)とも言える存在は、道具から昇華して、ある意味デカすぎて使えない「ウドの大木」のような領域にいながらも、それとは「似て非なるもの」として存在する作品だからです。

もう道具の範疇に無く、でも役に立たない存在でも無い、これは人が人として生きる「文化を象徴した存在」となっているからではないでしょうか…。
要は日常で使用する道具だけを作っていては、人類に進化は無いって事です。(私個人の考えですが)


この石棒のモデルは男根だと考えられていますが、それにしてはユニークな形をしています。
そのものを正確に表してはおらず、別の何かを想わせる遊び心(余裕)を感じさせます。

これは間違いなくデザインであり、洗練したセンスにより形作られた存在だと感じます。
このデザインの派生は現代にも在り、意味合いは薄れてはいますが繋がっています。

原初のデザインでは無いにしろ、縄文時代での創作物が糸魚川で作られたものであると期待します。
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