作者の思考
新作紹介(千徒)
2013年04月17日
私が制作した勾玉、伊邪那岐「桜空」-壱-の紹介をします。
この紫ヒスイは、かなり昔のヒスイらしく、紫ヒスイとしては珍しく練られた質です。
初めは頭の部分に濃い紫色がありましたが、研磨しているうちに薄れていってしまいました。
どうしても曲線が必要な部分は、色が残り難いです。
こちら側は、より紫色が薄くほぼ白色に近いです。
でも桜色に染まる空に浮かぶ「淡紫の雲」として見る事ができます。
ここまで質が良いヒスイだと、より上品さが際立ちます。
練られた紫ヒスイなので、厚みがあっても光を透します。
光を受けて膨張しながら透る姿は、暁の空や黄昏の空をも感じさせてくれます。
色も残り、透明度の高い、そんな紫ヒスイは現在では希な存在になりました。
当初からあったヒビ(石目)だったのですが、あえて避けずに大きめの玉を制作しました。
小さな玉では存在感が薄れてしまうし、無駄も多くなります。
そもそも数を多く作る、そんな事に興味はありませんし。
私はヒビを「非なる美」とするも「秘めたる美」とするも、作り手と持ち手次第だと考えています。
この姿は「舞い散る桜の花びらを玉が映し出した」として、私は見ています。
しかし、それを強要してはならず、同じ景色を見る事ができる人に所有されるのが一番幸せなのだと思います。
私の作品は殆どが自己完結しており、共有するのが困難だと思います。
しかしそれは作品の定めでもあり、そういう作家として生きるのだから覚悟しなければなりません。
今後も一方通行な品を創っていきますが、そんな中でも共有してもらえる人達に出会えたら嬉しく思います。
この紫ヒスイは、かなり昔のヒスイらしく、紫ヒスイとしては珍しく練られた質です。
初めは頭の部分に濃い紫色がありましたが、研磨しているうちに薄れていってしまいました。
どうしても曲線が必要な部分は、色が残り難いです。
こちら側は、より紫色が薄くほぼ白色に近いです。
でも桜色に染まる空に浮かぶ「淡紫の雲」として見る事ができます。
ここまで質が良いヒスイだと、より上品さが際立ちます。
練られた紫ヒスイなので、厚みがあっても光を透します。
光を受けて膨張しながら透る姿は、暁の空や黄昏の空をも感じさせてくれます。
色も残り、透明度の高い、そんな紫ヒスイは現在では希な存在になりました。
当初からあったヒビ(石目)だったのですが、あえて避けずに大きめの玉を制作しました。
小さな玉では存在感が薄れてしまうし、無駄も多くなります。
そもそも数を多く作る、そんな事に興味はありませんし。
私はヒビを「非なる美」とするも「秘めたる美」とするも、作り手と持ち手次第だと考えています。
この姿は「舞い散る桜の花びらを玉が映し出した」として、私は見ています。
しかし、それを強要してはならず、同じ景色を見る事ができる人に所有されるのが一番幸せなのだと思います。
私の作品は殆どが自己完結しており、共有するのが困難だと思います。
しかしそれは作品の定めでもあり、そういう作家として生きるのだから覚悟しなければなりません。
今後も一方通行な品を創っていきますが、そんな中でも共有してもらえる人達に出会えたら嬉しく思います。