作者の思考
神話と現実の類似
2012年12月17日
イザナギとイザナミの神話で、ちょっと思いついたので書いてみます。
現代の事柄に当てはめているだけなので、本当の意味とかじゃありません。
国生みと神生み、この神話を現実と合わせて考えてみました。
まずヒノカグツチが生まれるまでの期間は「交際期間」だったのではと考えます。
共有する世界観を構築していき、お互いとても惹き合っていた最高の時期だったと言えるでしょう。(早い話、恋愛中のピークだったと言うことですね)
その後、結婚をして子供(ヒノカグツチ)が生まれます。
神話では産道を焼いて死に至らしめたとありますが、「産道を焼く」という表現自体を「出産」として捉えてみました。(それだけの苦しみが出産にあるのだと男の私でも想像がつきます)
ヒルコは「生まれる事が叶わなかった最初の子」として考えるべきでしょう。
また「死に至らしめた」と言う表現は、母となった事で以前とは異なる存在となったとの表現ではと考えます。
では何故「イザナギが怒り我が子の首を切り捨てた」という表現を使ったのかですが、簡単に言うと「最愛の女性を奪い変貌させた自身の子に憎悪した」って事だと思います。
実際に子を殺したのでは無く「いなければ良かった」と、その存在自体を疎ましく思い、生ませた事を後悔したのではないでしょうか。(この時のイザナギは父親として幼稚で不完全な存在だったに違いない)
それからは家庭という奈落(地獄)のような期間を過ごす事になるイザナギですが、その中でもかつてのイザナミを求めて生活していきます。
しかし探した結果、より醜い部分を目の当たりにしてしまい、恐れ戦く事になったと考えます。(これはイザナギ(男)の主観での話です)
最初の子を失ったイザナミの心情を考えれば、生まる事が叶った子(ヒノカグツチ)を過保護に育ててもおかしくないです。
その後、家庭にお金を持ってくるだけの「換金要員」としてだけの人生に嫌気がさし、二人は大喧嘩をして離婚する事になったのだと考えられます。(神話の世界にはお金は在りませんので、イザナギはそれに相当する何か(時間かも)を持って来るだけの存在となり下がったのでしょう)
原因としては、やはり子供を優遇しすぎて「夫を蔑ろにした」とイザナギが感じたからでしょう。
もしかすると、イザナギは最後まで父親に成る事はできなかったのかもしれません。
そこで第三者(弁護士とか)を入れて離婚をするのですが、親権をイザナミが持つ事になり慰謝料と養育費をイザナギが支払う事となったと考えます。
あの約束事は「稼いだお金(に相当する何か)の三分の二を妻に支払う」と言う事後処理と言えます。(キクリヒメの立場は弁護士か裁判官とかでしょうか…)
ともあれ、これでイザナギは自由の身となり新たな生活を手に入れます。
後に別の「ある女性」との間に1姫2太郎をもうけるのですが、その時期の事は詳しく書かれてはいません。
禊ぎにより三貴子が誕生したとあるので、寂しさと悲しみの涙を流していたら「とある女性」が同情して支えてくれたのではないでしょうか。
その事で、あらゆる悲しみ(穢れ)から解放された事を「禊ぎ」として表現したのかもしれません。
八十神は「思い出」となった過去の記憶の欠片達と考えて良いかと思います。(後にイザナギが幸せに暮らしたのか、良き父親になったのかは明らかになってはいません)
こうして見ると、イザナギがアダムでイザナミがリリスで、とある女性がイヴにも思えてきますね…。
神話の原点は同じ場所なのでしょうから当たり前ではあるんですけどね。
そう言えばアマテラスとスサノオも同じように仲違いして、追放されたスサノオは新たな地で国津の家系を誕生させる事になります。(似たもの親子って事でしょうか…)
後にツキヨミの仲裁で復縁したのではと私は考えています。(剣と勾玉のくだりはツキヨミの計らいって考えでの話)
もしかしたら、この時のスサノオはイザナギとイザナミの子である「ヒノカグツチが成長した存在」なのかもしれません。(神話にはスサノオが二人存在している)
アマテラス・ツキヨミとは異母兄弟となるので、諍いが絶えなかったとしても不思議ではないです。(今で言うところの相続争いに該当するかと…)
もう一人のスサノオについては良く分かっていませんが、性格を考えれば既に大海原に出て別の国を目指していたとしても、有り得ない話ではなさそうです。(もっと言えばスサノオの伝説は別々の二人の冒険が、一つに合わさって伝わった話なのでは…、と思っています)
いや、もしかしたら海に出た方が「ヒノカグツチが成長した存在」なのかも…。
う〜ん、やっぱり正確な事は分かりませんね。
話が逸れましたが、こんな感じで良くある現代の男女関係を当てはめてみました。
結果としては現代を予言しているかのように、見事的中していると言わざるを得ない。(男女関係はその頃からあまり変化してないって事かもしれませんが…)
でもこれって「最初の結婚は次のステージに進むための試練であり、その後に子々孫々と繋がる家系を築ける」って事で受け取ったらいいのか…。
それとも反面教師として教訓とし、「お互い思い合って成長していけば、こんな遠回りをしなくても幸せになれる」って事で受け取ったらいいのか…。
結局、上記の事は神話の真意では無いでしょうから、真剣に考えなくても良いか…。
(現実はイザナミであって、イザナギを当てはめても意味無いかも)
※一応書いておきます。
私の作品である勾玉(イザナギ)には、こういった意志は込めていません。
あくまでもイザナギは「夢・理想・時間の創造神」であり、光を担う偉大な始神の一柱として制作しています。
そして今後も理解者がいる限り、納得のいく勾玉(イザナギ)を作って行かねば成らないと考えています。
現代の事柄に当てはめているだけなので、本当の意味とかじゃありません。
国生みと神生み、この神話を現実と合わせて考えてみました。
まずヒノカグツチが生まれるまでの期間は「交際期間」だったのではと考えます。
共有する世界観を構築していき、お互いとても惹き合っていた最高の時期だったと言えるでしょう。(早い話、恋愛中のピークだったと言うことですね)
その後、結婚をして子供(ヒノカグツチ)が生まれます。
神話では産道を焼いて死に至らしめたとありますが、「産道を焼く」という表現自体を「出産」として捉えてみました。(それだけの苦しみが出産にあるのだと男の私でも想像がつきます)
ヒルコは「生まれる事が叶わなかった最初の子」として考えるべきでしょう。
また「死に至らしめた」と言う表現は、母となった事で以前とは異なる存在となったとの表現ではと考えます。
では何故「イザナギが怒り我が子の首を切り捨てた」という表現を使ったのかですが、簡単に言うと「最愛の女性を奪い変貌させた自身の子に憎悪した」って事だと思います。
実際に子を殺したのでは無く「いなければ良かった」と、その存在自体を疎ましく思い、生ませた事を後悔したのではないでしょうか。(この時のイザナギは父親として幼稚で不完全な存在だったに違いない)
それからは家庭という奈落(地獄)のような期間を過ごす事になるイザナギですが、その中でもかつてのイザナミを求めて生活していきます。
しかし探した結果、より醜い部分を目の当たりにしてしまい、恐れ戦く事になったと考えます。(これはイザナギ(男)の主観での話です)
最初の子を失ったイザナミの心情を考えれば、生まる事が叶った子(ヒノカグツチ)を過保護に育ててもおかしくないです。
その後、家庭にお金を持ってくるだけの「換金要員」としてだけの人生に嫌気がさし、二人は大喧嘩をして離婚する事になったのだと考えられます。(神話の世界にはお金は在りませんので、イザナギはそれに相当する何か(時間かも)を持って来るだけの存在となり下がったのでしょう)
原因としては、やはり子供を優遇しすぎて「夫を蔑ろにした」とイザナギが感じたからでしょう。
もしかすると、イザナギは最後まで父親に成る事はできなかったのかもしれません。
そこで第三者(弁護士とか)を入れて離婚をするのですが、親権をイザナミが持つ事になり慰謝料と養育費をイザナギが支払う事となったと考えます。
あの約束事は「稼いだお金(に相当する何か)の三分の二を妻に支払う」と言う事後処理と言えます。(キクリヒメの立場は弁護士か裁判官とかでしょうか…)
ともあれ、これでイザナギは自由の身となり新たな生活を手に入れます。
後に別の「ある女性」との間に1姫2太郎をもうけるのですが、その時期の事は詳しく書かれてはいません。
禊ぎにより三貴子が誕生したとあるので、寂しさと悲しみの涙を流していたら「とある女性」が同情して支えてくれたのではないでしょうか。
その事で、あらゆる悲しみ(穢れ)から解放された事を「禊ぎ」として表現したのかもしれません。
八十神は「思い出」となった過去の記憶の欠片達と考えて良いかと思います。(後にイザナギが幸せに暮らしたのか、良き父親になったのかは明らかになってはいません)
こうして見ると、イザナギがアダムでイザナミがリリスで、とある女性がイヴにも思えてきますね…。
神話の原点は同じ場所なのでしょうから当たり前ではあるんですけどね。
そう言えばアマテラスとスサノオも同じように仲違いして、追放されたスサノオは新たな地で国津の家系を誕生させる事になります。(似たもの親子って事でしょうか…)
後にツキヨミの仲裁で復縁したのではと私は考えています。(剣と勾玉のくだりはツキヨミの計らいって考えでの話)
もしかしたら、この時のスサノオはイザナギとイザナミの子である「ヒノカグツチが成長した存在」なのかもしれません。(神話にはスサノオが二人存在している)
アマテラス・ツキヨミとは異母兄弟となるので、諍いが絶えなかったとしても不思議ではないです。(今で言うところの相続争いに該当するかと…)
もう一人のスサノオについては良く分かっていませんが、性格を考えれば既に大海原に出て別の国を目指していたとしても、有り得ない話ではなさそうです。(もっと言えばスサノオの伝説は別々の二人の冒険が、一つに合わさって伝わった話なのでは…、と思っています)
いや、もしかしたら海に出た方が「ヒノカグツチが成長した存在」なのかも…。
う〜ん、やっぱり正確な事は分かりませんね。
話が逸れましたが、こんな感じで良くある現代の男女関係を当てはめてみました。
結果としては現代を予言しているかのように、見事的中していると言わざるを得ない。(男女関係はその頃からあまり変化してないって事かもしれませんが…)
でもこれって「最初の結婚は次のステージに進むための試練であり、その後に子々孫々と繋がる家系を築ける」って事で受け取ったらいいのか…。
それとも反面教師として教訓とし、「お互い思い合って成長していけば、こんな遠回りをしなくても幸せになれる」って事で受け取ったらいいのか…。
結局、上記の事は神話の真意では無いでしょうから、真剣に考えなくても良いか…。
(現実はイザナミであって、イザナギを当てはめても意味無いかも)
※一応書いておきます。
私の作品である勾玉(イザナギ)には、こういった意志は込めていません。
あくまでもイザナギは「夢・理想・時間の創造神」であり、光を担う偉大な始神の一柱として制作しています。
そして今後も理解者がいる限り、納得のいく勾玉(イザナギ)を作って行かねば成らないと考えています。