作者の思考

大紅屋での活動(6)

2022年06月30日

今日で大紅屋での活動は終わりを向かえました。(一旦休憩)
今まで協力してくれた方々に感謝です、長かったような…、短かったような…、いろいろと濃密な活動が出来たかと思います。(ミニコンサートもしたし)

作家との交流は「期待した程ではなかった」と書きましたが、それを目的としていないイベントの中で強い縁を結べた作り手が2名いました。(石関係での繋がりでした)
一人は今井の同年代の陶芸作家さん、もう一人は富山のシルクスクリーンの作家さん、どちらとも友人を介して知り合い意気投合しました!

結果的に良かったなぁ〜、探さなくても必用な縁は来てくれるのかもしれません。
7月〜8月は大紅屋で活動できないかと思いますが、どこかで集まってコラボの相談をしたいと思います。
作るものは違えど同じ孤独を感じながら進む者たち、同病相哀れむって感じかな?
その弱さも結束には欠かせない要素なのだと感じました。

作り手ではないですが、他にも幾人かと交流を持つ事ができ嬉しい限りです。(若年層が多くて嬉しい(笑))

若干ですが困った縁もあり、その縁は断ち切った方が良いように思えました。
癇癪を起こす者、家の酒を会費だと言い張る者、その現状は若者も見ていましたので、今後の評価は下がる一方でしょう…。
呼んだ者も、呼ばれた者も、あまりにもセコイ人間で呆れるなぁ…。(会計の子が困っていたので私が払いました(笑))
もう「一生、来なくていい」と言いたい!

愚痴はこれくらいにして、全体的には最高の結果を出せたように思えます。
家賃が安いので元を取る事は雑作もないですが、それよりもヒスイの手磨き体験を希望した人が多く、皆が満足してくれた事が大きいです。
ほぼ女性で、ほぼ県外、それでも地元の人がいたのは救いでした。(少数ですが男性もいて良かった〜)

私がこの体験に固執する(創作活動を遅らせてまで行う)理由としては、「向ける対象がいなくなるのを看過でいない」って事が根本にあります。
要は切磋琢磨の「磨」が抜けた「マヌケだらけになっては困る」って事です。

自身を磨かない、自身の磨き方を知らない、そういったマヌケにお守りを向ける意味はありません(笑)
糸魚川のヒスイがお守りで在り続ける為には、作る側も、所有する側も「磨かれた者」である必用があります。

それを教える為の入口であり、基礎・基本を目で見えるカタチで学べる方法だと言えます。

ちなみに、縄文時代に憧れるのは良い事ですが、まずは自分の硬度を知る事から始めると良いかと思います。(やるべき事が見付かるので)

マヌケだらけになってはたまらない、どれだけ国力が落ちようとも「魂の質量だけは高められる者たち」を育てたいと思います。(日出ずる命にしか託せない願いでしょう)

今後も継続できるのか…、とりあえず今は目の前のギャラリー展示会に集中したいと思います。(期待できるのか未知数ですけど…)
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