作者の思考

ヒスイ日和(文月の弐)

2021年07月13日

やはり7月に入ってから雨が降り続く日が多くなりました。
大雨による水害で大変な事になっている地域もあるので、不安を感じながら経過を見ていましたが、一時的な雷雨は幾度かあったものの、致命的な水害は起こらなかったのは救いでした。
その後は太陽が顔を出し始めているので、短めの梅雨の最後の洗礼だったのかもしれません。(油断大敵ですが…)

それでは7月二回目の探石記録を書きます。

昨日は深夜に雷雨となりドシャ降りでしたが、一時間ほどで治まったので安堵しました。
そして次の日(7/13)は深夜の雷雨が嘘のように思えるほどの快晴(笑)、これは梅雨明けしたと思っても良いのではないだろうか?
降らなければ降らないで心配になりますが、一旦降り出すと早く明けるのを心待ちにするのだから、自然に適応して生きていくのも楽じゃありません…。





いつものように昼頃の探石、このプライベートビーチ感は何度体験しても良いものです。
ほとんど波はなく浜辺でチャパチャパしている程度、浅瀬の石たちも見えて良い感じです。


しかし、こういった状態は押し上がった石が締まっておらず、歩く度に足が沈みとても歩きづらい(見やすいけど歩きづらい)、きっと歩かず海を眺める人の方が環境に合っていたのでしょう。(沈みながら斜めの浜辺を歩くので腰が痛くなる…、そして年を感じる(笑))

先客がいた事を示す足跡が続きますが、そんな事を気にしていたらこのロケーションを楽しむ事はできません。(逆に、若干ですが歩きやすくしてくれた事に感謝しましょう(笑))
運を天に任せながら、石たちとの出逢いを楽しみます!


久々の陽光を浴びながら歩き、いつもの折り返し地点に到着。
昨夜の大雨は一時的だったので、川からの濁流で海が濁る事はなかったようです。(海流も関係したのかな?)
気温も真夏のような暑さではなく、初夏の到来を感じさせる清々しさがありました。




この時点で見付けたのは、流紋岩1個、石英斑岩1個、オンファス輝石2個、ネフライト1個、キツネ石2個です。


流紋岩と石英斑岩は「薬石」と呼ばれているタイプ、どちらも紋様が面白い石です。
双方を見分けるコツは「小さな石英の塊(ブロック)の有無」になるかと…、酸化した鉄分による茶色の紋様があるので斑点が見えづらく確認が困難、よって「小さな石英の塊(ブロック)」か「硬度」で識別できます。(流紋岩の方が柔らかい、でも加工しないと分からりづらい)

オンファス輝石はツルツルのピカピカ、特に白が混ざっている方はヒスイ部分を多く残しているようで、指に吸い付くような石肌をしています。(緑も濃くて純度が良い感じ)

ネフライトは透明度が高く色が丁度良い濃さです、鉄分を多く含むと黒くなるそうなので、これが適量に含んだ姿なのでしょう。(このタイプこそ「ネフライト」って感じがする)

キツネ石は少し紫がかったのと、ヒスイにそっくりなタイプを見付けました。
きっと同じキツネ石とは言えないのかもしれません、似ているタイプは「肌の質感が若干違う事」と「ヒスイ輝石が見られない事」で判断しましたが、緑閃石とか透緑閃石とかなのかも?、こういう微妙な石が一番困ります(笑)
とりあえず「総称としてのキツネ石」として分類します。


帰り際、せっかく見やすい海なので波打ち際の奥を見ながら歩きました。
その甲斐があって、集めている滅紫の灰簾石2個とオンファス輝石1個を見付けました。


滅紫の灰簾石は相変わらず綺麗に写りづらい…、滅紫の中でも明るめを選んで集めているので、もう少し綺麗な発色をしています。(肌はオンファス輝石に次いでツルツルです)
ピンポイントで切り出し加工しても映える素材ではないのですが、愛称として「アケビ石」と呼んでいる(私が呼んでいる)石なので不思議な愛着があります。
石と玉を分けて見ている私としては、やはり「玉に入る存在」として認識しているのだと思います。(不思議な魅力がある、灰紫ヒスイに通じる魅力なのだろうか…)

オンファス輝石は問題なく良質、暗めの石と一緒に映すと明るく写りますが、実際は落ち着いた色合いが魅力的な石です。
この石も滅紫の灰簾石(アケビ石)と同じ系統の魅力を放っているように思える、落ち着いた色合いで石質が抜群(手触りも最高)、建材としての優秀さなのか、民芸での活用としての潜在能力の高さなのか、何かに惹かれているのは確かです。(幼い頃に可愛がってくれた祖母や祖父を思い出す)


ヒスイ転石とは出逢えませんでしたが今回も楽しめました!、梅雨明け(と思われる日)早々に探石を楽しめた事に感謝したいと思います。(まずは身近で自然災害が起こらなかった事に感謝します)

経済的には「今更ジタバタしてもどうにもならない」って感じなので、やるべき事を進めながら、その時を待つしかありません。(待てなければ短期バイトでもするかな〜)
でも安定を失っているのだから、せめて自由は楽しまなくては滅入ってしまいます。
そういう生き方を選択したのだから、その覚悟をして生きなければなりません。

それでも今まで支えてくれた人たちのお金は死に金にしたくないので、あの場所の再生には尽力したいと思います。(いつまで待てば良いのやら、失意だけが募っていくけど…)

どういう理屈で存在しているのか…、私には到底理解できない成り立ちなのですが、その「腐れ縁」を継続する道理は何処を探しても見当たらないでしょう。

日本の縮図だな…、移住を試みた人たちも帰ってしまったようだし、「宝の持ち腐れ」って感じがするな…。
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