作者の思考
縄文時代を考える
2019年12月20日
東北の知人より、「ヒスイ装飾品として展示してある出土品には、ヒスイ製ではなくキツネ石製が多く含まれている」と言った報告を受けました。(特に北陸の縄文遺跡には)
この事は以前から興味があった事なので、改めて理由を考えてみました。(私的解釈です)
まず、全国の縄文遺跡の出土品にはヒスイ製じゃない装飾品が多くあります。
でもそれを「ヒスイ製」と紹介している本も沢山ありますよね(笑)
古い学者の多くは成分分析をせずに憶測で掲載していたのでしょう…。(当時は分析の技術も低かったのかな?)
知人曰く「縄文人にとって、ヒスイもキツネ石も緑色であれば、同じ価値観だった?」と疑問を投げかけられましたが、「色」に関しては差がなかったと思いますが、やはり現代と同じで「ヒスイと類似鉱物との見分けが付かなかった縄文人」もいたのだと思われます。
更に「用途が違う」と言った使い分けをしていた縄文人もいたのだと思います。
要するに「その時代から多様性が在った証拠」なのでしょう、それぞれに自分の気に入った石を選んで装飾品として楽しむ豊かさがあり、石自体のグレードを見分けられない者もいたり、見分けて使い分けた者もいたり、そういった「完全には共有できない価値観」が成り立っていたように思えます。
生物として、人間として個体差があっても、劣等感を持たずに生きて行けた時代なのでしょう。
ヒスイ製の類似品の多くはネフライト製だったり、ロディン岩製だったりしますが、東北にはキツネ石製が多くあります。
これは「間違えた」と言うよりは、キツネ石と解っていて活用しているように思えます。
出土品(文化財)としては材質が何であれ同じ価値ですが、ヒスイとキツネ石とでは存在としてのグレードは異なります。
当時(縄文時代)、それを理解していてあえてキツネ石を活用したのならば、質素堅実の気質で普段使いとして活用したのだと思います。
逆に理解していなかったのであれば「ヒスイと間違えていただけ」ですが、私はそう言った者は少なかったように思います。
唯一、考えたくない可能性は、縄文時代であっても人を欺き「ヒスイとしてキツネ石(類似鉱物)を物々交換していた」って事です。
詐欺をするのは狩猟採取も農耕も出来ない雑魚のする事だと考えているので、縄文人には当てはまらないと思います。(そう信じています)
キツネ石にもピン〜キリがあり、石英部分が多くなるとクリソプレースが含まれます。
この部分で制作すると、もう「キツネ石製」とは言えなくなるでしょうね(笑)
きっと「緑色石英」の中では、クリソプレース化の多いキツネ石が最も高価なのでしょう。
私はキツネ石を活用した装飾品は、いわゆる「民俗芸術」だったのだと考えます。
それは「権威にすがらない古き良き東北の文化」を証明しているのでしょうね。
はたまたヒスイへの憧れから生まれた文化なのか…、複雑な要因から成り立っている気もします。
一人で成り立った文化じゃないので複雑なのは当然ですね(笑)、幾つもの想いで成り立つ文化には正解はありませんが、方向性(人の強さと弱さ)が見えるので面白いです。
完全には解らない領域ですが、「人は信じたい事を信じる」って事なので、私は「崇高な魂の文化」を勝手に信じて、在るのかも解らない道(王道)を辿り、納得のいく人生を過ごしたいと思います(笑)
今回は久々の文字だけの記録です。(結論は出ませんが、朧気には理解できる気がします(笑))
この事は以前から興味があった事なので、改めて理由を考えてみました。(私的解釈です)
まず、全国の縄文遺跡の出土品にはヒスイ製じゃない装飾品が多くあります。
でもそれを「ヒスイ製」と紹介している本も沢山ありますよね(笑)
古い学者の多くは成分分析をせずに憶測で掲載していたのでしょう…。(当時は分析の技術も低かったのかな?)
知人曰く「縄文人にとって、ヒスイもキツネ石も緑色であれば、同じ価値観だった?」と疑問を投げかけられましたが、「色」に関しては差がなかったと思いますが、やはり現代と同じで「ヒスイと類似鉱物との見分けが付かなかった縄文人」もいたのだと思われます。
更に「用途が違う」と言った使い分けをしていた縄文人もいたのだと思います。
要するに「その時代から多様性が在った証拠」なのでしょう、それぞれに自分の気に入った石を選んで装飾品として楽しむ豊かさがあり、石自体のグレードを見分けられない者もいたり、見分けて使い分けた者もいたり、そういった「完全には共有できない価値観」が成り立っていたように思えます。
生物として、人間として個体差があっても、劣等感を持たずに生きて行けた時代なのでしょう。
ヒスイ製の類似品の多くはネフライト製だったり、ロディン岩製だったりしますが、東北にはキツネ石製が多くあります。
これは「間違えた」と言うよりは、キツネ石と解っていて活用しているように思えます。
出土品(文化財)としては材質が何であれ同じ価値ですが、ヒスイとキツネ石とでは存在としてのグレードは異なります。
当時(縄文時代)、それを理解していてあえてキツネ石を活用したのならば、質素堅実の気質で普段使いとして活用したのだと思います。
逆に理解していなかったのであれば「ヒスイと間違えていただけ」ですが、私はそう言った者は少なかったように思います。
唯一、考えたくない可能性は、縄文時代であっても人を欺き「ヒスイとしてキツネ石(類似鉱物)を物々交換していた」って事です。
詐欺をするのは狩猟採取も農耕も出来ない雑魚のする事だと考えているので、縄文人には当てはまらないと思います。(そう信じています)
キツネ石にもピン〜キリがあり、石英部分が多くなるとクリソプレースが含まれます。
この部分で制作すると、もう「キツネ石製」とは言えなくなるでしょうね(笑)
きっと「緑色石英」の中では、クリソプレース化の多いキツネ石が最も高価なのでしょう。
私はキツネ石を活用した装飾品は、いわゆる「民俗芸術」だったのだと考えます。
それは「権威にすがらない古き良き東北の文化」を証明しているのでしょうね。
はたまたヒスイへの憧れから生まれた文化なのか…、複雑な要因から成り立っている気もします。
一人で成り立った文化じゃないので複雑なのは当然ですね(笑)、幾つもの想いで成り立つ文化には正解はありませんが、方向性(人の強さと弱さ)が見えるので面白いです。
完全には解らない領域ですが、「人は信じたい事を信じる」って事なので、私は「崇高な魂の文化」を勝手に信じて、在るのかも解らない道(王道)を辿り、納得のいく人生を過ごしたいと思います(笑)
今回は久々の文字だけの記録です。(結論は出ませんが、朧気には理解できる気がします(笑))