作者の思考
作品紹介
2019年09月04日
今回は「万葉の垂飾(ニタイ)」を紹介します。
深緑へと移り変わる森林を映すカケラ「万葉」で、垂飾を制作しました。
このテーマに用いるのは圧砕ヒスイに分類される素材で、全体が緑と翠で交ざり合う部分(しかも石質の良い部分)を切り出しました。
このタイプは石質が安定しない事が多く艶が出なかったり凹んだりしますが、経験により鍛えられた目で吟味すれば「このタイプの上位」を見極める事ができます。
テーマのニタイ(森)に相応しい「新緑から深緑へと向かう躍動の景色」を磨き上げ、生命の森を凝縮した作品に仕上がったと思います。
安定した石質には艶やかな光沢が備わり、僅かに流れる石目は「葉から零れる陽光(木漏れ日)」として感じられるよう制作しました。
革紐にウッドビーズを合わせ、シリーズを通してカジュアルな首飾りに仕上げています。(ある程度、革紐の長さを調節できます)
透明度は高く、光に透かすと全体が生命色に輝きます。
それはまるで森林浴を楽しんでいる気分、古代人もこの景色に魅了されたのでしょう。
通常時では濃緑(深緑)が優っているヒスイではありますが、その内に秘めた翠を光が照らし出し、遥か古代の記憶さえも呼び起こす不思議な感覚を楽しめます。
制作したのは8月初旬だったのですが、いろいろと忙しく紹介が9月になりました…。
他にも8月中に「万葉」で制作した作品がありますので、その紹介もしなければなりません。
なるべく季節に添った創作活動をしているのですが撮影と紹介文が間に合わない(笑)
でも、そこに拘っているのは私だけなので、見ている人には関係のない話なのが幸いです。
お金は作って売っているだけでも手に入りますが、生きている間だけでしか「自身で作った品の完成度を自分自身で高められない」ので、後悔のないよう努力したいと思います。(死んだ後は100%他者に価値の向上を期待する(笑))
後は「こんな作り手もいたんだ」って、未来でも憶えていてもらえたら最高、更に意志を継いで魂を鍛え磨く者が出てきたら「その者にとって私の生き方は無駄ではなかった」と言えるでしょう。
まぁ、その時には死んでいるので「期待したまま」を楽しみたいと思います(笑)
魂を備えた者が「魂の器を持つ」のは道理、魂を鍛え磨いた者だけが「魂の器を創れる」のも道理。
先祖(両親)のレプリカとして生きている者には、「自分オリジナルと唯一言える存在である魂」を備える事は無理なのでしょう…。
普通に「勿体ない」と思うのは私だけではないでしょうね。(個人の自由だから良いけど…)
それはそれとして、私は私の成すべき事に集中して頑張りたいと思います。(同士の皆さんの応援には、とても助かっています、感謝です!)
深緑へと移り変わる森林を映すカケラ「万葉」で、垂飾を制作しました。
このテーマに用いるのは圧砕ヒスイに分類される素材で、全体が緑と翠で交ざり合う部分(しかも石質の良い部分)を切り出しました。
このタイプは石質が安定しない事が多く艶が出なかったり凹んだりしますが、経験により鍛えられた目で吟味すれば「このタイプの上位」を見極める事ができます。
テーマのニタイ(森)に相応しい「新緑から深緑へと向かう躍動の景色」を磨き上げ、生命の森を凝縮した作品に仕上がったと思います。
安定した石質には艶やかな光沢が備わり、僅かに流れる石目は「葉から零れる陽光(木漏れ日)」として感じられるよう制作しました。
革紐にウッドビーズを合わせ、シリーズを通してカジュアルな首飾りに仕上げています。(ある程度、革紐の長さを調節できます)
透明度は高く、光に透かすと全体が生命色に輝きます。
それはまるで森林浴を楽しんでいる気分、古代人もこの景色に魅了されたのでしょう。
通常時では濃緑(深緑)が優っているヒスイではありますが、その内に秘めた翠を光が照らし出し、遥か古代の記憶さえも呼び起こす不思議な感覚を楽しめます。
制作したのは8月初旬だったのですが、いろいろと忙しく紹介が9月になりました…。
他にも8月中に「万葉」で制作した作品がありますので、その紹介もしなければなりません。
なるべく季節に添った創作活動をしているのですが撮影と紹介文が間に合わない(笑)
でも、そこに拘っているのは私だけなので、見ている人には関係のない話なのが幸いです。
お金は作って売っているだけでも手に入りますが、生きている間だけでしか「自身で作った品の完成度を自分自身で高められない」ので、後悔のないよう努力したいと思います。(死んだ後は100%他者に価値の向上を期待する(笑))
後は「こんな作り手もいたんだ」って、未来でも憶えていてもらえたら最高、更に意志を継いで魂を鍛え磨く者が出てきたら「その者にとって私の生き方は無駄ではなかった」と言えるでしょう。
まぁ、その時には死んでいるので「期待したまま」を楽しみたいと思います(笑)
魂を備えた者が「魂の器を持つ」のは道理、魂を鍛え磨いた者だけが「魂の器を創れる」のも道理。
先祖(両親)のレプリカとして生きている者には、「自分オリジナルと唯一言える存在である魂」を備える事は無理なのでしょう…。
普通に「勿体ない」と思うのは私だけではないでしょうね。(個人の自由だから良いけど…)
それはそれとして、私は私の成すべき事に集中して頑張りたいと思います。(同士の皆さんの応援には、とても助かっています、感謝です!)