作者の思考

作品紹介

2015年06月17日

今回は、天照大御神「翠昇」の三作目を紹介します。


白地に明るい翠が流れるヒスイで、天照を制作しました。
春の芽吹を想わせる発色が美しく、未だ雪を残す山頂の景色を映しています。
氷雪を想わせる白地は、雪の結晶のような煌めきがあります。



少しヒスイ輝石が粗めなので表面に凹凸がありますが、それらが雪解けの景色を演出
しています。
ヒビが入っていますが、これも流動を表現するのに活用しました。
こちら側は「動」を担っていて、「躍動する生命の輝き」や「うねる炎のゆらめき」
を表現しています。(個人的に、秘めたる美として表現できたかと思っています)



こちら側は無傷で、その姿は「静」を担っています。
白地を染める明るい翠が、雪の下から湧き上がる生命の兆しを感じさせます。
こちらにも多少の凹凸があり、それにより雪の結晶のような姿を見せてくれます。
この翠が昇っていく景色は、太陽がもたらす恩恵を表しているのだと感じています。




透明度も高く、光を受けると神秘的に輝きます。
厳しい冬の中で「約束された季節に向けて蓄えた力」、それらが湧き上がっているか
のようです。
この柔らかい翠は、まるで幼い頃に見た「記憶の中の自然風景」を映しているかのよ
うです。



このタイプの発色を示すヒスイは、今では少なくなりました…。
部分的に少し粗い所があり、ヒビも多いので扱いが難しいですが、それらを活かす作
品とするには加工し甲斐のあるヒスイです。
これを完全な商品とする場合は、きっと表面をコーティングする事でしょう。

女性が化粧で肌の粗を隠すレベルとは違い、完全に包み込んで戻せないようにするの
で、整形に近い方法なのだと思います。
これにより「見た目の美しさ」と「頑丈さ」を得ますが、「そのままの美」と「豊か
な表情」を失います。

両方を得る事は不可能で、目的によって在り方が違っていきます(始めから兼ね備
えた原石を加工すれば可能ですが、まず現代では存在していませんね…)
要は「商品を販売する事」と「作品を販売する事」は、似て非なるものって事です。

私は作品を作って売る側ですが、販売しづらいという面があるのを体感しています。
でも救いは「行き場所のない作品が存在しない」って事で、誰にも求められなくても
作り手の元にあれば美しく飾られます。(と同時に活動資金は入らない(笑))

逆に販売を目的として作ったのに、行き場所が無くて「たらい回しにされている」っ
て商品が、一番惨めな気がします。(でも多少のお金には成る)
まぁ、お金が無いって事の惨めさを考えると、よっぽどマシなのかもしれませんが…。
(その者にとっては…)

商品として生まれたからには売れなくてはならないし、作品として生まれたからには
魅了していく世界観が必用となります。
どちらが正解とかは在りませんが、どちらを扱うにしても、これらの事を認識してい
なくては中途半端になります。

双方とも相応の覚悟が必用で、どちらも大変な事は変わりないですね…。
きっと一流になれば、どちらも似た悩みを抱える事になるのかもしれません。
まぁ、一流になっていないので解りませんが(笑)

それに芸術家として一流になるには、死んでからでないと成り得ませんので立証する
のは不可能かもしれませんね。(作者のエゴは失われ、作品の魅力だけが残るのだか
ら…)


私個人の夢と創作活動としての目標は若干違っていて、どちらを優先するのか悩みま
すが、最終的には同じ場所へ辿り着くのだろうと感じています。

個体としての表現力に特化していくのか…、作って売る者達の足場を作っていくのか
…、なかなか難しいですが、時が来るまで楽しんで生きようと思います(笑)
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