作者の思考
作品紹介
2015年05月27日
今回は、彩雲の垂飾と万葉の垂飾の紹介します。
まずは、彩雲の垂飾の紹介です。
うっすらと翠に染まるヒスイで、垂飾を制作しました。
私が彩雲と呼んでいるタイプのヒスイで、アイヌ語で風を意味する「レラ」を名前に
加えました。
高原に吹く風のような爽やかな色合いで、岩肌を想わせる灰色の模様も流れています。
基本的に従来の彩雲の垂飾と同じコンセプトで、色づいた雲を運ぶ風のイメージを、
より強く表現したいと思い名付けました。
全体が淡い翠ですが、光を受けると強く発色します。
光を受ける事でより輝く姿は、まさに彩雲と言えるかと思います。
日の光だけでなく、身に付ける者の「内からの光」で、照らされる作品となります。
次は、万葉の垂飾の紹介です。
緑と翠が入り交じるヒスイで、垂飾を制作しました。
私が万葉と呼んでいるタイプのヒスイで、アイヌ語で森を意味する「ニタイ」を名前
に加えました。
新緑から深緑へと変わりゆく景色を映し、生命の躍動を強く感じさせる作品です。
所々に雪から大地が現れたような景色があり、それらが魂の輝きを全体に伝えます。
(大地の栄養を得て育つ樹のイメージです)
基本的に従来の万葉の垂飾と同じコンセプトで、よりそれらを強く表現したいと思い
名付けました。(今回は二作目となります)
透明度も高く、光を受けて神秘的に輝きます。
夏の木漏れ日を見上げているような景色を映し、かつて人類の祖が見ていたであろう
原始の森の記憶を呼び覚ましてくれます。
夏に向けて「涼しげな作品」と「燃えるような作品」の二つを作ってみました。
今年も暑くなるであろう夏を満喫する為にも、自身に合った作品と出会って頂きたい
と思います。(今現在でも暑いのですが(笑))
ヒスイに宿る模様は、自然の景色をそのまま映したかのように魅力的です。
実際にヒスイ自体は地球(神)が作った存在なので、当然の事だとも言えますね(笑)
でも、それだけでは人を支える存在にはなりえません。
重要な事は「人に向けた存在は、同じ人が作りだした存在だけ」って事です。
自然が創造した存在にテーマを与え、コンセプトを加え、人の手で加工する、この事
で人の世の全ては成り立っています。(本物の領域での話)
これは大昔からの原理であり、原則である事を忘れてはならないでしょう。
全ては「人間が自然に適応して成り立ってきた事」を、再認識する必用があるでしょ
う。
ここから外れ幻想に傾きすぎると、嘘偽りが跋扈します。
これも人の世の理であり、幻想と現実の狭間で揺れ動くのが人の宿命なのかもしれま
せん。
そうであるならば願う事は「選択できるだけの基準を持つ」って事で、幻想であると
理解して選択し、現実であると認識して選択する、そんな「絶対的な基準」を成した
いものです。
過剰な自己催眠をかけて現を抜かすのでは無く、もっと大切な事に気が付けたのなら
天命を知る事も可能かもしれません。
まずは、彩雲の垂飾の紹介です。
うっすらと翠に染まるヒスイで、垂飾を制作しました。
私が彩雲と呼んでいるタイプのヒスイで、アイヌ語で風を意味する「レラ」を名前に
加えました。
高原に吹く風のような爽やかな色合いで、岩肌を想わせる灰色の模様も流れています。
基本的に従来の彩雲の垂飾と同じコンセプトで、色づいた雲を運ぶ風のイメージを、
より強く表現したいと思い名付けました。
全体が淡い翠ですが、光を受けると強く発色します。
光を受ける事でより輝く姿は、まさに彩雲と言えるかと思います。
日の光だけでなく、身に付ける者の「内からの光」で、照らされる作品となります。
次は、万葉の垂飾の紹介です。
緑と翠が入り交じるヒスイで、垂飾を制作しました。
私が万葉と呼んでいるタイプのヒスイで、アイヌ語で森を意味する「ニタイ」を名前
に加えました。
新緑から深緑へと変わりゆく景色を映し、生命の躍動を強く感じさせる作品です。
所々に雪から大地が現れたような景色があり、それらが魂の輝きを全体に伝えます。
(大地の栄養を得て育つ樹のイメージです)
基本的に従来の万葉の垂飾と同じコンセプトで、よりそれらを強く表現したいと思い
名付けました。(今回は二作目となります)
透明度も高く、光を受けて神秘的に輝きます。
夏の木漏れ日を見上げているような景色を映し、かつて人類の祖が見ていたであろう
原始の森の記憶を呼び覚ましてくれます。
夏に向けて「涼しげな作品」と「燃えるような作品」の二つを作ってみました。
今年も暑くなるであろう夏を満喫する為にも、自身に合った作品と出会って頂きたい
と思います。(今現在でも暑いのですが(笑))
ヒスイに宿る模様は、自然の景色をそのまま映したかのように魅力的です。
実際にヒスイ自体は地球(神)が作った存在なので、当然の事だとも言えますね(笑)
でも、それだけでは人を支える存在にはなりえません。
重要な事は「人に向けた存在は、同じ人が作りだした存在だけ」って事です。
自然が創造した存在にテーマを与え、コンセプトを加え、人の手で加工する、この事
で人の世の全ては成り立っています。(本物の領域での話)
これは大昔からの原理であり、原則である事を忘れてはならないでしょう。
全ては「人間が自然に適応して成り立ってきた事」を、再認識する必用があるでしょ
う。
ここから外れ幻想に傾きすぎると、嘘偽りが跋扈します。
これも人の世の理であり、幻想と現実の狭間で揺れ動くのが人の宿命なのかもしれま
せん。
そうであるならば願う事は「選択できるだけの基準を持つ」って事で、幻想であると
理解して選択し、現実であると認識して選択する、そんな「絶対的な基準」を成した
いものです。
過剰な自己催眠をかけて現を抜かすのでは無く、もっと大切な事に気が付けたのなら
天命を知る事も可能かもしれません。