作者の思考

道具と化す者

2014年06月17日

現代人が心を病む一番の原因は、人間が「道化」であるからだと感じています。
私は「道具と化した者たち」を道化と分類しています。
現代の殆どの人達が道具となり、消費されて捨てられる、そんな社会に生きている気がします。(自分も含め)

なんでこんな社会に成ったのだろうか?
こんな領域に「人としての尊厳」は宿っているのだろうか?

そもそもに人間とは、道具としてしか生きられなくなっているのだろうか?
それとも根元的に人間は「道化」だったのだろうか?

この道化の領域では魂は正常ではいられず、魂の器なしでは成長はおろか、保つ事さえ困難なようです。
特に芸能界は魂の消費が激しく、長くその領域にいると魂は劣化して行きます。
薬物に手を出すのも、それが原因とも言えるのではないでしょうか…。
なので芸能人が「お守りという存在」を、こぞって所有したがる理由も頷けます。(ヒスイに限らず)

もし人間が道具の領域から出る事ができず、一生使い続けられる存在だとするのなら、その使用頻度を大幅に抑え、大切に扱われる存在になるしかないのかもしれません。
古来より、大切に使われた道具には「神」が宿ると言われています。
付喪神と言う概念が人間にまで及んでいるとしたら、これを目指すしかない気もしますね…。(他者が道具として扱うのならば、せめて自身だけは己を大切に生きなければならない)

人としての生き方は、目的は違えど結果的に「道化からの脱却」を果たそうとしているようにも見えます。
その為に努力して、自分自身の存在理由を確立し、誕生理由を確信したいのだと感じます。(その手法として、人間を道具としている現実もあるのかもしれませんが)

全員が道化から脱却したとしたら、現在のシステムは回らないのでしょうね…。
だとすれば、これは気づいた者勝ちと言う事なのだろうか?

自身の見せ方が解らず、売り方も解らず、そもそもに何者なのかすら解らない。
こういった者達は、これから先も道具として消費され続け、廃棄されて行くのかもしれません。

私はこれから先、信仰(宗教じゃなく)が重要になると思っています。
自分一人で仰ぎ信じる事の大切さ、それを持たない者達の結末は「道具として生き、道具として死んでいく」って事なのだと感じています。

それぞれの信仰、これが大切で将来的に必要不可欠となっていくでしょう。(それぞれの信仰=八百万(それだけ多く)の信仰と見る事もできるかと)


ちなみに「徒党を組む事でしか何も成せない者達」が「満足に徒党も組めない」なんて、意味不明ですよね(笑)
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