作者の思考

以心伝心を目指す

2014年03月27日

私の文章を称賛してくれる方々がいます。
非常に光栄な事で嬉しい反面、自分の未熟さも見えてきます。
そもそも文章とは劣化したデザインの集合体、ここまで並び立てなくてはならないのは、表現力の未熟さからくるのだと思います。

縄文時代には文字が無かったと言われています。
以心伝心が成されていたって事だろうか…?、かなり伝達能力が高かったのは事実だと思います。(同時に受けとる感受性も高かったかと思います)
現在のような複雑な社会では無かったのも理由かもしれませんが、体感する全ての事を基準として共有していたのだと感じます。

その領域に少しでも近づくよう、今は文字を使って錬磨を重ねて進みたいと思います。
この期間がないと、その先へは進めないかと…。(じゃなきゃ本物なのか偽物なのか分からんし)
例えるなら「デッサンのできない画家」、そんな画家は在りえる筈もないです(笑)

けれど、この成長過程の言葉遊びは、ここだけにしたいと思います。(自分の思いを書いているのは神玉工房か、ibitsのサイトだけです。)

縄文人が必用としなかった文字を、所構わず発信しまくるのは「ただの撒餌」でしかなく、節操がない気がします。

時代の流れとは言うものの、本質からは外れないように心掛けたいものです。

と、言うことで今回は短めにしてみました(笑)
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