作者の思考

進化のかたちを考える

2013年10月07日

今回は人の進化について考えてみました。

遺跡発掘調査の作業をしていて、今まで頭の中で考えていた推論が確証に変わりました。(私の中で)
そこで人間の「一つの進化のかたち」を追っていきたいと思います。

まず、大昔に人とりつつある生物が、鉱物で道具を作り使いこなす事で人類となる一歩を踏み出しました。
道具として鉱物を使いながら、そこに美を求めていった古代人の感性は素晴らしいと感じています。
この感性だけを見ると現代人の多くは、かなり退化しているように思えます。

また、古代人が作りだした品は無から創造したのではなく、自然を見続けてその姿を見本としています。
きっと「自然は魂と繋がっている」って事を当然のように感じていたのだと思います。

現代では人間であるのが当たり前となり、その先へ進む鉱物の使い方を真剣に考えられていないように思えます。(建材くらいしか発展していない気が…)
なので道具を兼ねながら美しく、身に付ける装飾品でありながら魂と繋がる、そんなお守りが必用だと私は感じています。

自然との共存共栄は縄文時代より成されています。
私が考える「道具を逸脱した存在」も、縄文時代には確立されつつあったと考えます。
あれから最低でも3000年の歳月(諸説あり)が流れているそうですが、その間にこの領域がどれだけ進んだのだろうか…?
私には人が道具を超える事を先延ばしにし、道具に退化させて使っているようにしか見えない領域があります。

私は以前、原発事故の数日前に「弱き存在」と言うブログを書きました。
簡単に言うと、「人が築いた英知は純粋なる本能の力で簡単に崩される」という内容です。
地球そのものを生命体と見立てて書いたのですが、それがある意味現実となり「原発と言う人の英知」が簡単に壊れました。
この事により、私の中でハッキリと分かった事は「手に負えない英知は否定される」って事です。

原発って本当に低コストなのだろうか…?
低コストであるのならば、無駄がなくなり人が必用と無くなっていきます。(必用人数のみで動くから)
人を必用としなくなるシステムのはずなのに、やたら多くいる気がする…。
詰まるところ「人のやる事を奪っていくシステム」なのに矛盾している。
まぁそれが、こちらの領域の最終的な進化なのでしょう。

で…、やる事を失った人は何をすれば良いのでしょうか?
普通に考えれば、いくらでもすべき事はあります。
でもその多くが現代の生活に直結しない事ばかりです。(要はお金に成らない)
だからって古代の生活に戻る必用もないと思いますが…。

ここら辺で考える必用があるのではないでしょうか?
人と成った存在が、さらに先へ進む術を。(原点に帰り自然から)


ちょっと話がまとまっていませんが、どう進むべきかはそれぞれ違っていくのかもしれません。(人類の分岐点にいるのかも)
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