作者の思考
遺跡掘り体験 ⑤
2013年06月27日
現在は古墳〜古代の時代の地層を精査しています。(空撮も終わったので、この層も終わりです)
現在の地層では、あまり遺物は出土していませんが、魅力的な須恵器が少し出ています。
この体験をして初めて須恵器に出会い、当初は現代的な見た目だったので良さが判りませんでした。
縄文土器のようにいかにも「土器」って感じでは無く、ぱっと見は灰色で良くあるプラスチックの配管用の筒に見えるからなのでしょう…。
しかし実際に自分で取り上げてみると、その重厚さに驚きました。
手に持った瞬間、「ガチーン」と言う音が聞こえてくるくらい硬く重く、灰色に見えていた肌も実際は淡青である事を知りました。
表面には縄文土器のような派手な紋様はありませんが、ガラスが溶けたような艶があり肉厚で頑丈です。
かなりの不滅感で、こんな器が現代にも存在するなら所有したいと感じました…。
この感覚自体は初めてでは無く、私が慣れ親しんでいるヒスイ(特にオンファサイトによる翡翠)とそっくりです。
よく考えてみれば、色調もどこか似ていて見るほどに良さが伝わってきます。(淡青ではないですが)
細かい輝石が圧縮され高密度となり、堅牢な肌質と全体を染めるシックな色調を合わせ持つオンファス系のヒスイ…、一般的には知名度が無く人気は低いですが、作品を作るのには最高の石質だと感じています。
(画像は水で濡らした姿で、磨けばその姿になります)
やはり古代人が求めていったのはヒスイと同様の堅牢感であり、その基準は今現在でも繋がっているのだろうと感じました。
実際には灰色がかった淡青のヒスイも存在していて、須恵器が出土する際はヒスイと同様に色の膨張が感じられます。
何故か目に付く色合いをしているのが不思議ですが、これは私個人の目に映る場合の姿なのかもしれません。
ちなみに、この階層で水色のヒスイ石が出ましたが「割られていない事」や「青色である事」から自然に混入した転石ではないかと考えられます。(古代人が持ってきた可能性は捨てきれない…)
糸魚川は掘ると普通にヒスイが出てしまう場合があるので、それが古代人が持ってきたのか自然に運ばれたのかが非常に判りづらいです。(加工した痕があれば別です)
なかなか練られた淡青ヒスイで、最近は海へ行っていない事もあり魅力的に見えました。
あのレベルを海で拾っていたのなら、間違いなくコレクション行きですね…。
今度は海で出会える事を祈っています(笑)。
ちょっと思ったのですが、海や川で拾ってくる鉱物は古代でも現代でも、自身で扱える許容量を超えている事に気づきます。
せっかくの出会いなので拾うのは理解できますが、きっと「自身のみでの加工」だけを考えての事ではない気がしてきます。
もっと言えばその時代での扱いを超えて、次世代へと繋ぐ気もあったのだろうと考えます。
その時代では財産だったのだから当然の事なのかもしれませんが、それとは別に自身の認めた鉱物を「扱える者へ残している」という事はないのでしょうか…?。
これは自分だったらの話なので確実ではありませんが、もしそういった意志が少数の古代人から現代人へ託されていたのなら、その願いは叶う事はないでしょう。
何故ならば全てが文化財であり、個人ではどうにもできないレベルになっているからです。(個人的意志が共有財産を凌駕するなんて時代にならないと無理でしょうね(笑))
短い期間で確実に繋いでいけば定着するし意志も残せますが、数千年前の遺物となるとどうしたって保護するしか無いですよね…。
なので現代に生きる私は、自身が拾い集めた鉱物を後世に残し「扱える者へ繋ぐ事」の意志を明確に残しておこうと思います。(条件となるのは「糸魚川の地で扱う事」の一点のみとする)
鉱物にも加工用と観賞用がありますので、そこも明確にして残す必用があるかと思います。
しかしヒスイなどの鉱物は金属と違い、元に戻す事が不可能です。
なので扱う者は、かなり慎重な性格である事が必用不可欠なのかもしれません。
ただの石として見る人には問題にはなりませんが、そうでない人達には大問題…。
不滅の存在、扱うには便利ではありますが、使いこなすにはまだまだ永い時が必用となりそうです。
現在の地層では、あまり遺物は出土していませんが、魅力的な須恵器が少し出ています。
この体験をして初めて須恵器に出会い、当初は現代的な見た目だったので良さが判りませんでした。
縄文土器のようにいかにも「土器」って感じでは無く、ぱっと見は灰色で良くあるプラスチックの配管用の筒に見えるからなのでしょう…。
しかし実際に自分で取り上げてみると、その重厚さに驚きました。
手に持った瞬間、「ガチーン」と言う音が聞こえてくるくらい硬く重く、灰色に見えていた肌も実際は淡青である事を知りました。
表面には縄文土器のような派手な紋様はありませんが、ガラスが溶けたような艶があり肉厚で頑丈です。
かなりの不滅感で、こんな器が現代にも存在するなら所有したいと感じました…。
この感覚自体は初めてでは無く、私が慣れ親しんでいるヒスイ(特にオンファサイトによる翡翠)とそっくりです。
よく考えてみれば、色調もどこか似ていて見るほどに良さが伝わってきます。(淡青ではないですが)
細かい輝石が圧縮され高密度となり、堅牢な肌質と全体を染めるシックな色調を合わせ持つオンファス系のヒスイ…、一般的には知名度が無く人気は低いですが、作品を作るのには最高の石質だと感じています。
(画像は水で濡らした姿で、磨けばその姿になります)
やはり古代人が求めていったのはヒスイと同様の堅牢感であり、その基準は今現在でも繋がっているのだろうと感じました。
実際には灰色がかった淡青のヒスイも存在していて、須恵器が出土する際はヒスイと同様に色の膨張が感じられます。
何故か目に付く色合いをしているのが不思議ですが、これは私個人の目に映る場合の姿なのかもしれません。
ちなみに、この階層で水色のヒスイ石が出ましたが「割られていない事」や「青色である事」から自然に混入した転石ではないかと考えられます。(古代人が持ってきた可能性は捨てきれない…)
糸魚川は掘ると普通にヒスイが出てしまう場合があるので、それが古代人が持ってきたのか自然に運ばれたのかが非常に判りづらいです。(加工した痕があれば別です)
なかなか練られた淡青ヒスイで、最近は海へ行っていない事もあり魅力的に見えました。
あのレベルを海で拾っていたのなら、間違いなくコレクション行きですね…。
今度は海で出会える事を祈っています(笑)。
ちょっと思ったのですが、海や川で拾ってくる鉱物は古代でも現代でも、自身で扱える許容量を超えている事に気づきます。
せっかくの出会いなので拾うのは理解できますが、きっと「自身のみでの加工」だけを考えての事ではない気がしてきます。
もっと言えばその時代での扱いを超えて、次世代へと繋ぐ気もあったのだろうと考えます。
その時代では財産だったのだから当然の事なのかもしれませんが、それとは別に自身の認めた鉱物を「扱える者へ残している」という事はないのでしょうか…?。
これは自分だったらの話なので確実ではありませんが、もしそういった意志が少数の古代人から現代人へ託されていたのなら、その願いは叶う事はないでしょう。
何故ならば全てが文化財であり、個人ではどうにもできないレベルになっているからです。(個人的意志が共有財産を凌駕するなんて時代にならないと無理でしょうね(笑))
短い期間で確実に繋いでいけば定着するし意志も残せますが、数千年前の遺物となるとどうしたって保護するしか無いですよね…。
なので現代に生きる私は、自身が拾い集めた鉱物を後世に残し「扱える者へ繋ぐ事」の意志を明確に残しておこうと思います。(条件となるのは「糸魚川の地で扱う事」の一点のみとする)
鉱物にも加工用と観賞用がありますので、そこも明確にして残す必用があるかと思います。
しかしヒスイなどの鉱物は金属と違い、元に戻す事が不可能です。
なので扱う者は、かなり慎重な性格である事が必用不可欠なのかもしれません。
ただの石として見る人には問題にはなりませんが、そうでない人達には大問題…。
不滅の存在、扱うには便利ではありますが、使いこなすにはまだまだ永い時が必用となりそうです。