作者の思考

共有と劣化

2013年04月07日

私が常々思うことは「デザインの劣化」です。
例をあげると今使っている「文字」なのですが、元は一つ一つが単体のデザインであったのに、共有する事で繋ぎ合わされ大量に使われるようになりました。

これは伝達として進化しましたが、デザインとして劣化したのだと認識しています。
もともと伝達の為に生み出されたので、当然の進化なのでしょうが劣化しているのも事実です。
簡単明瞭であるべきで、言霊を尊ぶ人には怒られそうです…。

共有はコミュニケーション能力であり、人として大切ではありますが度が過ぎれば個性を失います。
だからと言って個性がありすぎても協調し難く、人間社会で生き辛くなります。

創作の上での劣化は「同じものを作る」と言う問題が原点なのだと考えます。
理由は、同じ存在を多く作ると必ず劣化していくからです。
更に同じ人が同じ存在を大量に作った場合、自分自身で作品を劣化させている事になります。

しかし文字と同様、ある程度の数を作らないと他者とは共有できません。
勾玉を見れば分かるように、その姿形は数多の共有を得て様々な素材で具現化されています。
その為、姿形としては劣化し、古代人の価値感を大きく下回る結果となっています。(しかし存在的には、三種の神器として共有される域にまでなっています)

唯一無二で存在しうる、そんな存在が「創作の絶対神」になるのだろうと私は考えています。(日本の神々は八百万にして唯一無二の存在)


私達は神では無く人なので「限りなく唯一無二に近い存在」を追い求めて行くしかないのでしょう。
私は加工を仕事としていますので、創り出す品は必ず劣化していきます。(同時に共有もされますが…)

それを防ぐ事にも繋がる「新たなデザイン」を増やして食い止めようとするのですが、今度は「デザインと言う存在自体」が劣化していくのです。

何かを消費しなければ、何かを生み出せない、それが生命の理なのかもしれません。
作品の劣化を防ぐのか、デザインの劣化を防ぐのか…、バランスよく考えて活動しなければと心の底から感じています。
今後は自身で「適正数」なるものを、基準として構築する必要がありそうです。

ガラパゴス化、大いに結構です、日本の独自性を保つのに過分な共有は必要ではありません。(こういった文化の領域での話です)

多分、純粋な創作活動を求めるのなら、強力なパトロンが必要不可欠になるかと思います。
しかし今の時代は王政でもありませんし、中途半端な民主主義で成されています。
どうにも「作る側」には、生き辛い時代なのだと感じます。


物を作り続ければ、より完成度の高い作品が仕上っていきます。
それは、一度制作した品が基準となり、更に上を目指すからだと思います。
そうやって人は成長していくようで、その性からは逃れられないようです。

姿形が同じゃ無くても、身体で憶え経験してきた事は無意識に手を動かすようで、人の学習能力の凄まじさを改めて感じます。

ここは潔く、その習性を使いこなし、高みを求めてたいと私は考えます。(制限も持ちながら)


理解しておけねば成らない事は、ヒスイ製品は「工芸品を兼ねているが、民芸品では無い」って事です。(更に言えば雑貨でもないです)
ヒスイは上位の存在なので下位に下る事も可能ですが、本質である「精神の石」や「お守り」である事は忘れてはいけません。

民芸品の要素を加えるにも「ぐい呑み」レベルにし、雑貨の要素を加えるにも「根付け」レベルで止めるべきでしょう。(どちらも工芸品を兼ねている品なので)

常に精神文化(お守り)の要素を大切にして、今後も人の傍にあり続ける存在として繋げていくべきだと考えます。

そんな私達の活動を「生きている限り見続けたい」と、願ってくれる人と出会えれば最高です。(近い将来、唯の傍観者では、見続ける事は不可能となっていくでしょう)



話は変わりますが、神玉工房のトップ画像をアレンジしました。
トップ画像の奴奈川姫が「何故、天津神の力を行使しているか?」は、私にとって奴奈川姫が「最高の巫女」だからです。
きっと八千矛神(建速素戔鳴尊という説も)が、この奴奈川の地を訪れた理由はヒスイだけで無く、奴奈川姫の巫女としての能力を必要としたからなのでしょう。
奴奈川姫はヒスイの「守護者」として森羅万象の力を体現する、そういった力が在ったのだと思っています。

なので今度は、国津神バージョンのデザインもしていきます。(神玉の国津神が仕上がった後の話ですが…)

かなり個人的な意見なのですが、出雲で表向き翡翠が流通していないのは、碧瑪瑙の立場が無くなるという理由だけでなく「翡翠の品だけあっても力を行使できる者がいない」って事が主な理由のように思えます。
出雲大社の勾玉は、備えた者が奴奈川姫と一緒にいる事で発揮される加護だったのではと考えます。(翡翠としても文化財としても、国宝である事は変わりません)
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