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作者の思考
神々との交歓
2012年08月27日
私が目標としている「神々との交歓」ですが、何も今から始まった事ではありません。
人類が誕生した時点から現在にまで繋がれた、究極のテーマだと考えています。

そして人類は進化しながら、そのテーマの答えに少しずつ導かれていると考えます。
この時代で日本人は「神が何であるか」を、再認識する事になるかと思います。

人の背中に翼を生やし、頭に光の輪を頂く理想像では無く、顔や手を幾つも持たせ、馬力の応用で人何体分の力を有する事を表現した造形品でも無く、大きさを利用して存在の偉大さを顕示する建築物でも無い。
(芸術品・文化財としての価値は計り知れませんが…)

それら全ては神々と繋がる入口であり、触媒である事を理解するでしょう。
多くの人々に分かり易くする「人の為の表現法」である事を知る事になります。

私の計画での現在を担う「生玉」も、その意味を伝える為に多くの品を制作する必要があると考えていましたが、その必要も無さそうです。(適正な数は作ります)
もう「そのもの」が人間社会に大きな影響を示し始めていますから。

古から続く習慣の全ては、神々との交歓に必要な「大切な基本」です。
習慣として持ち歩くお守りは、それ自体が全ての力を与えるものでは無く、求める存在と人とを繋ぐ鍵だと考えて良いでしょう。
よって「鍵と扉」を認知できなければ、その存在の加護を得る事は不可能なのです。

その扉が何処にあるのか、どう見つけるのかは自分自身の感覚を研ぎ澄ませて探すしか方法は無いかと思います。(その為に人は思考能力がある)
基本を忘れた生き方を続けるのなら、その扉を見つける事も開く事もできません。

人は視覚に頼って生きていますので、当然その習性を利用した判断基準が成されます。
原始的な感覚なのでとても惑わされ易いのですが、その感覚の先を進まなければ、いつまでたっても真実を見る事はできません。

芸術も視覚を意識しての表現方が多くなっていて、それが仮想空間であっても正確な評価ができなくなっています。

全ては「基本」をいかに身に付けているかで、生き方は大きく変わります。
そして、その基本をどれだけ研鑽するかが、人に求められる生き方だと考えます。
(他者との比較は必要なく、今ある基本を高めていけば道は開けるでしょう)

現代に、どのような教育が大切かを再認識する必要があるでしょう。
(この全てが義務教育の延長となっている社会を変える必要がある)
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