多くの人の“大切なわたしのかけら”となることを願いまして…
ホーム作者の思考人と石との絆
作者の思考
人と石との絆
2012年05月27日
私の考えですが、人の祖先が人間として進化した瞬間は「道具を使いこなした時」だと考えています。
人類が初めて手にした道具は石であり、石器時代と言う「人として最初の文化」を作りました。
人ならざるものが人として進化するのに、石は欠かせない重要な存在だった事が解ります。

現代でもヒスイの所有を願う人は、遺伝子に石との関わりが深く刻まれてるからだと思います。
今でも人は進化を望んでいて、その方法を本能的に感じとれる人達がいるのだと考えます。
どんな鉱石にも進化を促す要素は含まれているのだと思いますが、ヒスイはその中でも「独特の文化」と成るほどに人類に愛された存在となっています。
人(特に日本人)にとってヒスイとは、とても重要な存在であり、向き合って再認識する必要があるように思うのは私だけでしょうか…。(地球と繋がっているように思えます)

人の進化に競争は必要と言いますが、必ずしもそうでは無い事が分かります。(唯の消耗ですから)
一般的に言う競争とは勝負の前段階であり、子供が自身と向き合う為に行う「予行練習」ですね。
勝負とは「一対一で限りなく同じ条件にして正々堂々と向かい合う事」ですから、身体能力や才能が同じ自分自身との勝負が最終的な試練となります。

スポーツ(特に武道)をやっていた人になら分かると思いますが、他者との勝負の際には第三者の審判が必要となり、その第三者の「誤審」や「しがらみ」によって結果が変えられてしまう事があります。
そういう中でも覆せない結果を出せば他者から賞賛されますので、自分を「その領域での高み」に上げる為には、必ず通らなければ成らない道ではあります。(期間限定の修行みたいな感じ)

しかし最終的に進化とは己自身の問題であり、人が進化に求めたのは競争では無く石(意志)です。
生存戦略としての縄張り的な本能はありますが、それは現段階では現代人に進化を促す要素ではない。
原始に共に生を繋いだ友として石は存在し、ヒスイは人の繁栄(反映)そのものだと考えます。

正々堂々の勝負でもなく、お互いに命を賭す決闘でもない、自分の立場を有利にして競い、間接的に人を死に追いやる、そんなものが人を進化させるはずはなく、それで生み出されるのは「人ならざるもの」でしょう。

人類に天敵がいなくなったと同時に、人は同じ人間を恐れるようになりました。
人間同士で争い「共通の敵」をつくる事でしか団結できない悲しい存在…。

結局そういう者は原始(子供)に戻っているので、一から進化(成長)をやり直すしかないでしょう。

まぁ、これは私の主観での話であり、賛同を求めるものでは無いですが…。
  Powered by おちゃのこネット
ホームページ作成とショッピングカート付きネットショップ開業サービス