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作者の思考
ヒスイ日和(文月の参)
2020年07月14日
夏の中盤が始まりましたが、まだまだ雨の日が続いています。
降ったり止んだりを繰り返す小雨なのが救い、「もう水不足の心配はないので早く明けて欲しい」と、思うのは人間の都合なのでしょうね…。
騒いだところで意味がないので、水害に注意しながら梅雨明けを待ちたいと思います。

それでは7月二回目の探石記録を書きます。

この日は朝から曇り空、でも広がっているのが雨雲ではなかったので明るさがありました。(7/13)
空を覆う雲で山は確認できませんでしたが、河川敷に生い茂る植物は、昆虫たちの帝国として黄金時代を向かえていました(笑)




浜の状態は砂が多く波は強め、海は干潮で川の濁流により透明度は皆無でした。
自然光はギリギリな感じ…、時折、雲が薄くなった部分から太陽光がボンヤリと見られました。(その際は気温も上がって蒸し暑さを感じました)




冬の海を感じさせるような波打ち際を歩き、川との合流点に到着。
かなり川幅が広がっていて、連日の雨で水量が増した事が分かりました。
しかし、大きな流木などは無く、上流で土砂災害があったような形跡は見られませんでした。




ちなみに、川と海とがぶつかって出来た場所(石が積み上がった丘)で、サーフィンをしている人がいました。
何も今じゃなくても良いだろうに…、と思いましたが、待ちに待った日だったのかもしれません。(いずれにせよ、これで命を落としても悔いはないのでしょう)
川の影響をギリギリ受けず、波の影響を最大限に受ける場所を選んだあたりは、命知らずではあるけど「慣れた人」なのだと感じました。


探石に話を戻し、この時点で見付けたのはロディン岩(鶯石)2個。
なかなか綺麗なタイプを見付ける事が出来ました。


私が愛称として「鶯石」と呼んでいるタイプのロディン岩。
ヒスイと間違える石の中でもNo.1と言える石、発色だけで言えば通常のヒスイより綺麗だったりする事が多いです(笑)
でも透明度が低く、光を膨張する事もないので、ヒスイのような「神々しさ」は備えていません。(備える前に「袂を分かった」って感じ)

それでも春先を感じさせる萌葱色(黄緑)が綺麗で、石質も良いので加工しても美しく仕上がります。
ヒスイと混同される事なく適正な活用がなされたなら、価値を引き上げる事も可能でしょう。


特に悪くない環境ではありましたが、面白い石などは探せませんでした…。
今は「神生みの真っ最中なんだな〜」って感じで、イザナギ(川)とイザナミ(海)とが激しくぶつかり合っていました。
この後に、イザナギ(川)が破壊した「カグツチのカケラ」が姿を現すのか、イザナミ(海)によって練磨された「ヒルコ神」が姿を現すのか、とても楽しみです。


ヒスイは無しか…、と思いながら戻っていると、僅かに光の膨張が目に入りました。
その打ち上がった「光を放つ石」を手に取ると、それはヒスイのカケラでした。


これはイザナギ(川)による「カグツチのカケラ」と言えるでしょう。
先程のロディン岩(鶯石)の方が発色は良いのですが、やはり「光」はヒスイの方が強く放っているようです。(それにしても双方は似ているな〜)
小さいですが加工も可能で、ストラップや垂飾にも十分に仕上げられます。(紫が入る事もあるタイプのヒスイで、淡い緑が流れています)

ヒスイの転石は1個でも見付かると嬉しい、この喜びを何度も味わってきた幸せ、これから何度でも味わう事のできる幸せ、いろいろと満たされます。

今回も楽しめました、次は加工する(活用する)幸せを求め、「人がヒスイにカタチを与える喜び」を体現したいと思います。

これで今回の探石記録を終わります。




そう言えば、糸魚川から初めての感染者が出たようです。(20代の会社員らしい)
糸魚川と言っても青海〜能生まであるので、どこから出たのか良く分からない…、もっと狭めた情報が欲しいところです。

ウイルスとの共生は「人間がウイルスにメリットを示し続ける事」の始まりなのでしょう。
きっと平均寿命は50〜60歳程度になっていくのでしょうね…、その中で人間は成長率を高めて生きなければ成らなくなるでしょう。(老いていけば見放されて重傷化するので)
若者は「アホ面して生きていると何も成せないまま死滅する」って事を、肝に銘じて生きた方が良いかと思います。

それにしてもウイルスが人間に与えるメリットはないのだろうか?(前にも書きましたが…)
これでは「地球と人間の関係」と同じような気が…、人間は近くに若い惑星(地球に代わる惑星)がないから移住しない(出来ない)だけのような気がする…。(ウイルスを理由に他県に移住するのも「その縮図」かと)

これが「不完全な生物の性(さが)」なのだろうか?
なんにせよ寿命が50歳となれば、私はあと7年となるので計画的に生きなくては目標を達成できない訳ですね…。
60歳となれば17年か…、この差はデカイなぁ…。

まだ感染してはいませんが、「赤信号みんなで渡れば怖くない」から「毒喰うなら皿まで」って状態に社会がなってきているので、覚悟はしておいた方が良いでしょう。(次の「死なば諸共」って段階が末期かと)

とにかく将来的には「ウイルスにメリットを示し続けて生きる」って事からは逃げられないでしょうから、その人生の中で「自分らしく生きられる方法」を見出したいと思います。

今、なによりも願うのは両親の健康で、苦労してきたのだから最後の日まで元気でいてほしいと思います。
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