2011年11月17日
一部の地元の人が、糸魚川のヒスイを大切にする理由の中には「故郷の誇り」があるからだと思います。
その誇りを肯定し続ける存在が絶対に必要であり、比較されたとしても揺るがない心を育てる必要があると考えています。
どうしても同じヒスイとしてミャンマー産の翡翠との比較がされますが、これは孔雀の雄雌と同じ様なもので、見栄えが良く「自己顕示」を満たすのが雄であるミャンマー翡翠で、地味ではありますが暖かみがあり奥深い品格によって「自己満足」をもたらすのが雌である糸魚川ヒスイです。
見た目だけの評価により、糸魚川ヒスイの愛好家は悔しい思いをする事が多くあります。
現在、日本に入ってくる翡翠商品は着色などの処理品なので比較の対象にはなりませんが、それを知らない人の言い分や、無着色の天然翡翠に対して明確な対応が出来ていないのが現実です。(糸魚川ヒスイを販売する人の知識が少ない事が原因の一つです)
なので比較された際には「盛りのついた雄の孔雀では無い」の一言で終わるように、糸魚川ヒスイのカリスマとなる品を、それぞれが構築して行かなくてはならないと考えています。
それにジェードとは「あばずれ」と言う意味が含まれていますので、そんなモノと同じにされたくもない。
東洋を差別しての隠語なのでしょう…、今では利益になる事が分り手のひらを返したようにジェダイトと改名して扱っていますが、その事実は消すことは出来ません。(消費し尽くしたら再び差別するでしょう…)
未だに翡翠と翡翠に類似している石全般をジェードと総称する西洋人(宝飾関係者)も沢山います。
こういった差別をされているのは派手なミャンマー翡翠であって、地味な糸魚川ヒスイではありません。
その違いを明確にしていかなくては「その他大勢」みたいな扱いをされ続けてしまいます。
(糸魚川ヒスイは赤色が無いので「翡翠」ではなく、「ヒスイ・ひすい」で良いと思います。)
この現状を打開するには、根幹である糸魚川市民が糸魚川ヒスイに対して誇りを持つ必要があり、それを実現にする計画が絶対に必要になると思います。(一応、案は在りますが将来に託します)
ここまで市自体がヒスイを表に出して宣伝しているのだから、今更後には引けないでしょう。
糸魚川での生活文化の一部として定着する必要があり、楽して儲けようとする姿勢を正す必要があります。
なによりも表面上の色に惑わされないで、モノクロであっても魅力を見出せる目を養わなければ…。
モノクロでも魅力的な品と認識でき、模様と色が入る事により品格を増す事を理解し、それを共有できる人達が大勢になれば何を言われても怖くはありません。
そして、それらを肯定し続ける存在(作品や人材)があって、初めて糸魚川ヒスイの真価を発揮できるのだと私は考えています。(作品と商品のハイブリットの品も必要になる)
それはやがて故郷に対する誇りを育て、郷土愛へと繋がり人の心を豊かにしていくのだと思います。
まずは発祥の地である糸魚川に定着させて、やがて日本全国にその基準を広め、その完成をもって世界に宣伝しなければ説得力が足らず真剣に聞いてはくれません。(まずはヒスイ愛好家の支持を得る必要がある)
実際、この糸魚川でも9割は表面しか見る事の出来ない人達で、その多くは商売にしている為に目先の利益を求め自己顕示している翡翠に向かってしまいます。(そして処理品に引っかかる)
ここでハッキリさせなくてはならいのは「翡翠」が好きなのか「ヒスイ」が好きなのかです。
この答えによって糸魚川が進むべき方向が変わってくると思います。
現実的に商売を考え、その利益にあやかろうとする人には「翡翠」の方が必要なのだと思います。
仕入れて売れるのですから簡単に翡翠商売に参加できます。(売れるかは自分次第ですが…)
その場合はミャンマー翡翠を主力として販売していく事になるので、糸魚川は糸魚川ヒスイという存在を事実上、放棄したと言う事になります。(甲府の水晶と同じ結果が待っているでしょう…)
今後、どのような未来を掴めるのかは分かりませんが、自身の道を進んで行くしか方法はありません。
この小さな地域でさえ私の一生では変えられないでしょう。(糸魚川生まれでもないですし)
それでも自分の信じる活動をして生きて行く事が、自分にとっての幸せの近道だと思っています。
※そろそろ現実のつまらない話ではなく、鉱物や加工の話を書いていこうと思います。
糸魚川には面白い鉱物が沢山ありますので、自分の体験談と共に紹介していきます。