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作者の思考
印象と写実
2011年10月17日
今回は主に絵画の手法である写実と印象について書きたいと思います。
同じ絵画でも手法が違うと表現を伝える方法がかなり違ってきます。

印象とはそのままの意味であり、人の「記憶」に伝える技法であります。(起源は画名)
人の記憶と言うものは、古ければ古いほど美化されていき、現実を凌駕していきます。
その記憶を引き出す技法として、全体のイメージだけを描いて朧げに表現するのが特徴です。
なので、見る側に同じ様な記憶が無ければ伝わりようも無く、現代では特に自然風景などの記憶が乏しいので記憶を引き出す印象画法は伝わりづらくなっています。
心境を描く際にも使われますが、同じ心境を体験した人にしか伝わらず、同じ時代に同じ境遇で生きた人々にこそ相応しい作品なのかもしれません。(記憶の鏡的な存在です)

写実は視覚に伝えるものであり、記憶を持たなくて良さが伝わる技法であります。
描き込むことでリアル感を出して、「その作品」を記憶とするだけの表現を込めていきます。
写真と違うのは現実よりも美化されていて、作者の記憶と感動を鮮明に写しだしている部分があります。
作品を通して記憶を共有する意味があり、その記憶の無い人に丁寧に表現しているのが写実画です。
印象と違うのは人の記憶を引き出すのでは無く、作者の記憶を共有するのが目的なのだと思います。
写実画と同じ対象を印象画で描いて見せたら、きっと写実画の記憶が甦る事でしょう。

絵画というものは結局は「記憶」が重要であり、幼少の頃の楽しい思い出や故郷の美しい景色は、人の誰もが美化されて記憶に残しています。
その記憶に勝るビジョンはなく、写真ですら当時の記憶を情緒豊かに残す事はできません。
人の記憶を引き出すには描き込みすぎず、記憶を共有するには感動自体もを描き込む必要があります。

この中間のような絵画は沢山ありますし、違う技法も多々存在していますが、対極のイメージがある印象と写実はその中でも重要で「面白い技法」だと感じています。
現在は幾つもの技法を混ぜて使うことが多いので、その意味合いもハッキリとしませんが「記憶に伝える」と言う本質は何も変わっていませんので、見る側も様々な記憶を養う事で絵画を楽しめるかと思います。

記憶を対象にして表現するのは全ての芸術に共通していて、遙か古代の記憶を持たない現代人にも「古の懐かしさ」を伝えられる唯一の表現方法だと思っています。

現代人の古代に対する一般的なイメージは、遺跡の復元物や博物館での展示・イラストだったりします。
しかし、与えられる記憶だけでなく「繋がれた絆の記憶」を引き出す事のできる作品を創り出す事が、私の夢であり国産翡翠作品としての最終目標となります。(その記憶が思い込みであっても全く構わない)

天然の骨董とも言える翡翠石を分解して新たに生まれ変わらせるのだから、同じように時を重ねてアンティークとして価値が付く作品「不滅の宝」を残すよう活動して行きたいと考えています。



※以前に糸魚川は「翡翠原石の供給地では?」と書きましたが、現在の姿を見て判断する事は「必ずしも正しい」とは言いきれないと考えるようになりました。
例えばエジプトも今の国を見るだけでは、発展した古代文明があったとは考えられないでしょう。
糸魚川も長者ヶ原遺跡付近は田中角栄の時代に工事したので、きちんと調査していない可能性があります。
そうであれば、まだまだ貴重な文化財があの一体には埋まっている事も考えられると思います。
なので、もう少しだけ糸魚川を信用して活動しようと思います。(現状の不埒は無視して行く)
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