2011年10月07日
日本神話にある黄泉比良坂での一件には、私的には疑問が多く存在します。
イザナミが「千の命」を断つと言い、その際にイザナギが「千五百の命」を生むと言ったとされていますが、どうもその順番や役割があべこべに思えてしまいます。
本質で考えると「生み出す」のは女性であり、「排除する」のは男性であります。
もし順番が違うとして、最初にイザナギが「千五百の命」を生むと言ってから、イザナミが「千の命」を断つと言ったのなら理解できるかと思います。
どんな存在も同じですが増えすぎると支障が出てきます。(増やせば良いというモノではない)
現在は少子化とされていて、国を維持するには税金を自動天引きする人員を多くすれば良いと言う現実がありますが、人数を増やしただけではもう何も解決されません。
今度は役割が逆だとすると、イザナギが「千の命」を断つと言ってから、イザナミが「千五百の命」を生むと言った事になり、これでも私は納得できます。
そもそも難産でイザナミが死んでしまった事により、その子供(ヒノカグツチ)の首をはねたのはイザナギ自身であり、どう考えても「生み出す」って感じでは無いですね…。
そのヒノカグツチの死によって数多の神が生まれたとされてはいますが…。(生と死は表裏一体って事を伝えたいのだろうか?)
これはアマテラスとスサノオの関係にも言えて、スサノオはアマテラスの創り出す存在を破壊する事が唯一可能な存在となっています。
しかし、それも三分の二までの事であり、全てを破壊することはないです。(滅亡しますので)
アマテラスにはツクヨミが常に側いて、協力しながら創り出していきます。(日進月歩ってやつです)
明けも宵も進んでいく事で膨大な数を生み出しますが、その三分の二を根の国(黄泉)の守護者であるスサノオが排除するバランスとなっています。
こう考えると古代での出雲が根の国と呼ばれ、蛇を信仰する文化がある意味が少し分かるように思えます。
これを男性と女性に当てはめて考えますと、現在は女性用の商品ばかりが多く生産されています。
そして造っているのは大体が男性であり、消費するのが女性というバランスになっていますね…。
これを逆にできなのだろうか…、女性が男性用の商品を造り、男性が消費するバランス。
男性がその三分の二を消費していく存在となれば、神々のバランスに近づけるような気がします。
男性をメインとするので規模は今よりは小さくなり、先へ進むスピードが緩やかになるかと…。
まぁ、そう簡単にはいかないでしょうが、将来的には選択肢に入りそうな事ではあります。
ここで重要な事は、足し算である「生み出す」って事より、引き算である「排除する」って事がとても重要な事で、もし人が足し算しか出来ない存在であれば、この先を進んでは行けないでしょう。
(人以外の生物ならば、足し算のみでも他の生物が引き算を担っている食物連鎖がある)
プラス思考・マイナス思考も同じで、マイナス思考は「慎重さ」をもたらす大事な思考です。
しかし、バランスとしてプラス思考はマイナス思考の一歩先を進まなければなりません。
人がプラス思考だけで生きていくとしたら、それは唯の馬鹿と言う存在になります。(実在しませんが)
誰もがマイナスを持っていて、それを乗り越えて一歩進むのが最良のバランスとなります。
とにかく生み出されるのは三分の一の割合が良く、「三歩進んで二歩下がる」のバランスが一番良いです。
三つ巴のバランスも、これを基礎にして進んでいきます。
日本の神話は言い回しが沢山あって、普通に読んでいても意味不明な事が多いです。
ですが本質からの広がりなので、探求していけば自分なりの解釈を掴めるかと思います。(答え合わせはできませんが…)
しかしあの文面で意味が通じていた時代って、かなり読解力にすぐれた人達の文化だったのだろうか…。
それかシンプルすぎて、逆に難しく考えてしまい、現在人には伝わりづらいのかもしれません。
現実と言うのは常に人類にとってマイナスなものでしか無く、本気でエコを考えたなら悲惨な結論になる。
マイナスだらけの世界を、一歩乗り越えるプラスを持って生きる事が人の定めなのかもしれません。
「知らぬが仏」と言う言葉があるのなら「知ってキリスト」と言う言葉があっても良いと思ってしまう。
現実の姿を知っても尚、真実を背負って前に進む事が「人が人である証明」なのでしょう。
それすら逃げて生きたいのならば、人を辞めるしか方法はないかと思います。