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作者の思考
現実逃避の究極体
2011年09月27日
人類の文化の発展は、見方を変えると「現実逃避の発展」と言えるかと思います。
多くの人々が神とするイメージは見た目通りに「地に足が着いてない」です。
地球の理に囚われない絶対的な存在として人に恩恵や罰を与え、翼があって自由に空を飛び、太陽の様に光を放ち宇宙と繋がっている…。
地球を超えた存在であり、人が決して逃れられない地球との関わりからも解放された存在となっています。
あまりにも都合が良すぎるように思えます。(現実逃避の究極体が生み出した完全体って感じ)
地球の上位として宇宙を持ってきても規模がデカすぎて理解できない、計り知れない存在にしたいのは分かるのですが、現段階では付き合い方が分からないと思うのは私だけでしょうか…。

しかし日本に伝承されている古き神々を見ると、かなり「地に足が着いている」事が分かります。
日本人には「現実と向かい合う事の意味」が本能的に分かっていたのかも知れません。(家紋も植物だし)
全ての神の根源は自然(地球)から生まれた存在であり、現実での苦しみを堪え忍ぶ為には、自然との関わりで生まれる「喜び・楽しみ」が必要だと直感的に判断して誕生したのだと思います。(五〜六感によって)

現実をそのまま受け入れるように人類は進化しておらず、ひたすら逃げることに徹した結果、頭脳が発達して現代のような「人が住みやすい社会」にまで到達したのでしょうが、現実を受け入れ遺伝子自体を強化していった他の生物と比べるとあまりにも貧弱な存在となっています。
しかも「人にとって住みやすい社会」から生まれた人間は、より住みやすい社会を目指して行くので心が満たされる事がありません。

人が英知と呼ぶ科学で誕生した原発も、扱うのならば放射能を「分解できる遺伝子を持つ」、あるいはその科学を駆使して「分解する術を持つ」必要があるに決まっています。
原発を神のように宙に浮かせて、地球との関わりからも解放する事が可能なら別ですが…。

しかし、既に造られてしまった存在なので破棄する事は容易ではないでしょう。
遺伝子を強化してリスクを断つか、精神を強化して制限して行くか、そのいずれかの方法しかないかと…。
そして、そこから新たに向かい合う魂(未来を担う命)が生まれてくるのだと私は考えます。

人が現実逃避をするのは人で在る限り変えようが無く、無理に地に足を着けると途端に争いが始まります。
自然を神とする日本の神々も争いからは逃れられないようで、戦ってばかりいますね…。
結局、生きていく中で規模は違えど「現実逃避」と「争い」は存在していて、その中間に「自然(地球)と向き合う」って事が在るのだと考えています。

理解しておくべきは、現実逃避に傾きすぎると後始末が出来ず、現実直視に傾きすぎると戦争になる。
人は逃げることで現在の能力を得ましたが、時には向かい合う強さを持たないと足が地上から離れていき地球との関わりを忘れてしまいます。(這い蹲っても駄目…)

人の文化を大切にしながらも、地球との関わりも大切にしなければなりません。
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