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作者の思考
ヒスイ日和(如月の壱)
2019年02月01日
2月に入り着実に春が近づくのを感じます。
雪が舞ったかと思えば、その雪を雨が溶かしていく、移住したばかりの頃に体感した糸魚川の冬を思い出します。(信州に比べて雪が少なくて驚いていた)
こちらが穏やかな分、別の地域に試練が訪れていると思うと喜べませんが、自然の摂理によるローテーションなのだと考えると気兼ねも無くなります。(でも北と南に試練が集中しているようにも思えるが…)

それでは探石記録、2月に入りましたが1月下旬の事を書きます。

待ちに待った久々の快晴、朝から晴れたので目覚るのも早かったです(笑)
青空には一筋の飛行機雲も見られて、河川敷には春らしい景色が広がっていました。(1/30)




放射冷却により気温は低かったですが、山側からの風だった為、海側に顔を向けていれば寒くはありませんでした。(顔面に吹いてこないので)
河口の浜辺は砂が多く波が強い状態でしたが、引き潮だったので探せる面積は多い環境でした。




何か面白い石でも在れば…、と思って歩きましたが、何一つ見付けられず川との合流点に到着。
先端へ行く途中で川の水流が浜を分断し、二股状態になっていてその先には進めません。(進めないと言うより「危ないので進まない」って感じです)




今回も出逢いは無しか…、と諦めかけたその時、分断している水流の中に淡く膨張する光を感じました。
こういった場合は大抵が白い石(石英・曹長石・石灰石など)で、その白い姿に川の色が映って「淡翠に輝いている」って事が多いです(笑)
何度も何度も「そういった事」を繰り返し体験しているので、とりあえず「確認してみるか」って程度に手を伸ばして冷たい水の中から拾い上げてみました。(流れが速くて朧気にしか見えないので、仕方なく手を冷水に入れました(笑))

引き上げて姿を見た瞬間(数秒の間)、夢と現の判断を失い、何度も顔を近づけて「私の手の中に納まっている現実味のない存在」を確認しました。


この逆三角形の部分が朧気に見えていた部分、私が驚いたのは発色ではなくて石質で、私が「芽吹」として分類しているヒスイの中でも良質なタイプで、「翠雪」としても分類しているレベルでした。(ちなみに「彩雲〜芽吹」よりも、「芽吹〜翠雪」の方が石質が良いですが、それぞれに魅力的な景色を映しているので好みで良いかと思います。(でも金額には影響します))

要は発色と石質のバランスが良く、硬質でシャーベットのような緻密さを持ったヒスイと言う事です(笑)
特徴としては、芽吹色が強くなるとやや硬度が劣り、硬度に秀でると緑系となり黒ずみが強くなる事が多いように思えます。(個人的な考えです)

このシャーベットの様な、水に濡れった角砂糖の様な質感は魅力的で、加工をすると「その強靱さ」に驚くのは経験者だったら解るかと思います。
レア度で言ったらレベル5で、今の石質のままで発色が強くなると5以上となります。(そういったヒスイも確実に存在します(経験済み))
たまに似た様な透明度を示しても石質が劣るものがあり、それはアルビタイトが多いからだと思われます。(この判断は慣れが必用で、見ただけでは初心者には解らないでしょう)


とりあえずは別カットの紹介、冷水から引き上げた状態や、乾きつつある状態を撮影しました。






私が河口へ訪れた時は午前10頃、その前にもたくさんの人が探していたと常連から聞きました。
また、私が歩いていると爺さんが急ぎ足で先に進み、一通り見終わってから帰って行きましたが、その後にこのヒスイに出逢いました。
やっぱり運ですね(笑)、解る事は「目と勘(感)と運(縁)」、これらが圧倒的に違う者がいて、私もその部類なのだと実感します。
こういった事が続くと「神(自然、と言うかヒスイ)に愛されている」って錯覚するのも解る気がするなぁ…。(しかし「だから幸せ」って事も無い気がするが…)

まぁ、そこら辺は個人の自由に解釈するとして、とにかく1月の売上げが最悪(冬期は毎年だから慣れましたが(笑))だった事が帳消しになった気分(あくまでも気分)になれて良かったです(笑)
きっと今回のが正真正銘「今年初めてのヒスイ」となるのでしょう、加工を優先するか悩みましたが探しに来て良かったです。(加工は午後にずらしました)

それにしても衝撃的な出逢い、イザナギ(川)とイザナミ(海)の合流点なので、普通に(神話として)考えるとヒルコ神(ヒスイ)が在るのは当然なのでしょうけど、ほぼ完成されたようなヒルコ神が現れると寝ぼけ眼が一気に覚めます(笑)
あれらが「石」の総称で分類されるのだから不思議、あの次元の違いを見せつけるような力(魅力)は憧れますね…。
人の身で「それ」を身に付けられたなら表現者としては鬼に金棒、人類に分類されながらも「その域に納まらない」そんな魂の質量を宿したいものです。(それ以前に受ける器を鍛えねば…)


長々と書きましたが、今回も私が考える「神々との交歓の一端」を楽しめて良かったです。
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