2011年09月17日
今の社会の勢力図は勾玉と大珠の勢力図と関係があると私は考えています。
私の考えでは、勾玉はイザナギであり男性を象徴していて、大珠はイザナミであり女性を象徴しています。
(この場合の勾玉とは一般的に知られている定型であり、動物形などの異形とは別です)
土地として本来なら伊勢がイザナミであり、出雲がイザナギを担っているはずだったと考えています。
出雲の語源にはイザナミが関わってる説があり、日没の地(根の国)と言う事もあり女性(イザナミ)を象徴しているように思えますが、出雲大社の主神である大国主が男である事、卑弥呼が女性(男性だった可能性もありますが、女性で通す理由があったはず)である事、勾玉を制作している事からイザナギ(男)の地であると考えています。(武器も制作していましたし…)
今は名前が変わっていますが、天照(女)が伊勢となり、大国主(男)が出雲となっているので、私が考えている位置に治まってはいます。
現在は、三種の神器として剣(男)勾玉(男)鏡(女)のバランスとなり、あまり素材を限定せずに象徴(姿形)だけが国の宝として伝わっているので、男女共に勾玉デザインを求めるようになったかと思います。
私はこれが昔から現在へと続く、男女の勢力図に影響しているように思えてなりません。
大珠は勾玉を兼ねてもいて、女性がスカートとズボンを着用できる許容量の高さに似ています。
また、勾玉は単体でも見栄えしますが、大珠は装飾として着飾ってあげないと魅力を出す事が困難です。
男性が女性の魅力を見抜けず、女性自身も女性本来の魅力を認識していないから大珠は衰退して行き、上っ面の魅力に騙されて現在のような社会となったようにも思えます。
事実、今の「仕事」とされている行動の殆どには、男女の身体能力の差が関係していません。
男が必死に守ってきた領域も、取って代わる事が可能であり、消耗している男性より消耗されていない女性の方が伸び代があり、消費の面でも女性の客さんが圧倒的に多いので発展がスムーズになります。
ただ、障害となるのは男性なら立場(権力)に執着する年輩者ですが、女性の場合は更に男性全般が障害となる可能性があり、開拓にはかなりの精神力が必要となるかと思います。
どのような状況であっても女性は男性よりも障害が多く存在しますので、男性と同じやり方では乗り越え続ける事は、まず不可能となります。(女性としての向き合い方をすれば良いかと思います)
大珠も一緒で勾玉は国の神器となった事で、これ以上の高みは望めません。(上がる事も下がる事も無い)
だとしたら、大珠は国の宝では無く、「人の宝」として高めれば良いのではと考えています。
小規模で身近な所から開拓していき、時間をかけて人の宝となれば、即ち国の宝と同等になるでしょう。
(勾玉が通ってきた道ではありますが、更に進化させた表現を用いて行う必要がある)
神話でも時々、男女の立場が入れ替わったりして、「伊勢(日昇)はイザナギ(男)」、「出雲(日没)はイザナミ(女)」という時期から、「伊勢(日昇)はアマテラス(女)」で、「出雲(日没)はスサノオ(男)」というように男女が入れ替わって治められる時期がります。
本来、男が求めるべき品はイザナギ(勾玉)ではなく、愛する女性であったイザナミ(大珠)であり、今までのマイナスを補充するためにも、女性も少なからず大珠と向き合うべきだと感じています。
男性は黄泉の国まで追いかけて行くほど愛した女性(大珠)を、もう一度、思い出してほしいですね…。
大珠の姿は海から昇る太陽にも見えて、海に沈む太陽にも見えますので、どちらにも解釈できる事が大昔の物語りを面白くしているのかもしれません。
求愛の順序が違ってヒルコが生まれたり、他界の順序が違って黄泉比良坂での一件があったように、優先順位を間違えると不幸な事が起こりますが、長い目で見ると発展に繋がっています。(良くも悪くも)
重要な事は女性社会が理想と言うことではなく、男性社会と女性社会と中間社会の三社会がグルグルと回り続けて進んで行ければ、消耗される力を制限できると考えています。
(中間のニューハーフの方々の社会は感性が豊かなので面白いかもしれません)
現在の日本は西洋ナイズされていて、誰かが造った道を一方行しか進めていない気がします。
過剰な安定は人を腐らせますので、それぞれが制限できる精神力を持つ必要があるのかもしれません。
話はそれるのですが、スサノオの生まれた部分が疑問でしょうがありません。
アマテラスとツクヨミは瞳から誕生したのに、スサノオは鼻…、ちょっと格好悪いような気がします。
鼻は象徴なので意味があるのだと思いますが、やはり同じ瞳から生まれてほしいです。
そこで第三の目である「心眼」から生まれたって言う設定を思いつきました。(今更ではありますが)
この姉弟は三位一体なので「肉体のアマテラス」「精神のツクヨミ」「魂のスサノオ」となります。
心眼ならツクヨミではないかとも考えましたが、心臓は「魂の宿る臓器」にちなんで心の眼から誕生したのはスサノオとして考えて行きたいと思っています。(鼻が象徴する傲慢さが失われてしまいますが…)
以上、私の勝手な解釈でした…。