2011年09月07日
現在の国産翡翠にとって大切な「i」が三つあると私は考えます。
このバランスを古代で上手に保っていた土地の頭文字をもらい、「糸魚川・出雲・伊勢」としています。
糸魚川は長者ヶ原で加工をしていた形跡が在るものの、発掘された品が少なすぎるし、加工技術が残されていないので主に原石共有地であった可能性があります。(私の個人的な考えですが…)
この地は翡翠文化の原点であり、原石の守人(管理)と言う大切な役割を担っていたように思われます。
出雲は現在でも青瑪瑙などの加工を伝える地であり、鉄を使いこなして工具も作る事が可能だったように思えます。(武器の研磨に大珠や勾玉は工具としても使えなくはない、製鉄にも翡翠は使えるらしい)
鉄や玉の加工技術に長けるこの地は、製造文化の礎を担っていたように思われます。
伊勢は培われてきた権威により、国宝や文化財を認定する権限があり、古代から珍重されてきた勾玉を三種の神器に入れる事が可能であったと思います。(しかし勾玉は翡翠に限定されてはいない…)
古代遺産である勾玉の品格を引き上げる為の、重要な役割を担っていた地のように思われます。
かなり大雑把な私の解釈ですが、この三つを仕事としての規模で言い換えると「原石保有力」「加工力」「企画・宣伝力」となるかと思います。
この三つを備えれば問題は無いのですが、一個人に全てを求めるのも…(才能とお金があればあるいは…)
翡翠原石の規模を考えても個人の規模では足らず、地域の規模にする必要があるのかもしれません。
例えば「糸魚川」を中心とした場合、必要なのは「加工力」と「企画・宣伝力」の二つとなります。
この二つを「原石保有力」と同等の力にすれば、再び翡翠文化を復活させる事が可能かもしれません。
しかし現状は圧倒的に「加工力」と「企画・宣伝力」が低く、今後は下がる一方だと予想しています。
とにかく加工の担い手がいません、今では「暇を持て余した人達の遊び」に成り下がっています。
(遊びからの派生ではありますが、信念を持った人でなければ文化として先には進まない…)
結局は国産翡翠の需要が低く、加工を仕事として生活する事が非常に困難なのだからでしょう。
もう一つの「企画・宣伝力」を特化させたとしても、本命の品が揃わないのでは本末転倒ですし、力を入れたからと言って現在の経済状況では十分な需要は出せません。(生活必需品が優先されるでしょう…)
また、現在の「原石保有力」も無限ではなく、将来的に見れば掘り出す権利を得る必要があります。
人は消費する事しか出来ない生物なので、翡翠自体を造り出す事は不可能です。(地球以外は無理)
偉大な表現者でも自然の立場での創造は不可能であり、人間社会での創作が人の限界となります。
この三つの「i」が衰退している大きな理由には、人としての「品格の欠損」が根本にあります。
ばら撒かれる原石、誇りを失った加工、地に落ちていく品格…。
永く開拓されていない領域だったので問題が沢山ありあますが、その分「伸び代」が十分にあるのと思いますので、ちゃんと向かい合えれば良い結果を出せるように思えます。
重要なのは「原点」をおさえながらも「過去」に囚われ過ぎない事が大切だと考えています。
全く過去を見ないのも問題なので、そのバランスに気を付けながら進めて行く事が肝心でしょう。
将来的にバランスをとり合える実力者達が必要となってくる事は間違いないですね…。