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作者の思考
歪と人らしさ
2011年08月27日
当サイトの「ibits」の語源には歪(いびつ)という文字を含ませています。
昔は正確な品が少なかった為、職人達はより正確で完成度の高い品を作る事に力を注いでいましたが、現代では機械の進歩によって正確な品が溢れている状態となっています。
そこで今では、あえて歪さを出して作る事が「手作りの証明」のようになり、手作業で作られた品の魅力を感じる事のできる一つのポイントとなっています。(精密機械などの部品は別として…)
ですが、この歪さは使い方が難しく、やりすぎると「手抜き」に見えてしまい販売しづらくなります。
元々、歪を魅力にして表現するのは芸術の領域なので換金能力は低く、理解されるのにも時間が必要です。

現代の人間社会と一緒で翡翠にも「優等生」と「劣等生」に似た存在があります。
初めから色の発色が良く、透明度も高く、ヒビが少なく、加工や販売に必要なコストが少ない、換金能力の高い良質な翡翠が優等生。
色の発色が悪く、透明度も低く、ヒビも多く、加工や販売に必要なコストが多い、換金能力の低い翡翠が劣等生となります。

優等生である翡翠は磨きがいがあって、目に見える成果を出し、誰もが評価できる憧れる存在となります。
所有できるのはお金を持った人達であり、頂点は社会で「特権階級」と位置づけられている人達です。
投資のしがいがあって、利益を出しやすいのでお金や地位を得る近道となります。

劣等生である翡翠は磨きが困難で、成果も見えづらい事もあり、誰もが評価しづらい存在となります。
しかし、加工や販売に向かい合う時間は多く、それ自体から魅力を引き出そうとするので「芸術」として高める事の可能な存在となります。
私にとっては、これほど思い入れのある存在も珍しく、自分を見ているようにも思えてしまいます。
時間を気にして手を抜くと、へそを曲げるように魅力が出なかったりと天の邪鬼な性質も良く似ています。
今の人間社会の基準がどうであれ、自分の気に入ったものに向かい合って時間を費やし、納得のいく作品を作れたのなら、それが劣等生であっても問題がないと考えています。
いずれは「翡翠」と言う肩書きも超えて評価されるように、自身が成長する時期が必要でしょうが、数多ある鉱物の中で国産翡翠の加工を選んだのだから、その真価を引き出す為に全力で挑戦したいです。

結局、優等生であるはずの「正確な品」に少しの歪さ(遊び)を求めるのは、その対象に「人らしさの証明」を求めているからだと私は考えています。
万人に評価を求めるから、より分りやすい要素を入れなければならず、それによる対価を急ぐから拘りが薄れていき、最終的に陳腐化して量産製品に手を出してしまうのでしょう。

歪さを魅力にできる領域は「手作りでの品」にしかあり得ず、それを風合いとして「美」とする人達も存在するのだから、翡翠を加工する人達にはこの劣等生の領域にも向き合って活動して頂きたいです。

直ぐに結果の出る領域では無いですが、優等生と劣等生の両方の魅力を引き出す道のりは、人間としての成長に大いに役立つと思います。(他の分野でも同じ事が言えると思います)

これからも「人らしさである歪」を大切に、手作りの仕事に向かい合っていきたいと思います。
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