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作者の思考
二つの神社・二つのモデル
2011年04月07日
糸魚川の天津神社の裏には「天津神社本殿」と「奴奈川神社本殿」が並んでいます。
この地が大和に制圧された事で天津神社が表に出ていますが、本殿自体は並んで祀ってあります。
私は作品が仕上がると「二つの神社に報告に行く」と言う決まりを習慣づけています。
天津神社には天津神を、奴奈川神社には国津神などの作品を報告しています。
個人規模なので、柵も扉も閉まっている社に完成の報告と喜びを伝えている状態ですが…。
それによってどうなる事でも無いのですが、「習慣」を大切にしないと「芸術の進歩」もありません。

例えば「箸を使う」という習慣が無ければ、「箸の使い方」という美しい礼儀作法も存在しません。
食べるための動作に美を持たせて創り出された作法は、芸術となり文化となっています。
多くの人が美しいと認めなければ礼儀作法とはならなかったでしょう。
そしてその需要が高まり商売となる事で、「箸を制作する」という仕事を発展させます。
同時に量産化へ向かうため、美の劣化・価格の破壊を引き起こし、やがて商売として淘汰されます。
それでも芸術としての「箸の制作」は存在し、「箸の礼儀作法」の文化も残り続けます。
要するに、芸術の進歩がなければ「新しい商売」は生まれてこないと言えます。
商売のモデルとは「芸術」であり、原点は「習慣」だと私は考えています。
生きるために行っている事を美しく魅力的に表現した文化を、商売は利用しているのだと。
(その逆に芸術・文化を維持するために商売を利用している現実もある。)
なので箸を三本つかった作法を文化と出来れば、それに伴った商売が誕生する事でしょう。
もっと新しい習慣を生み出せば可能性は広がりますが、定着するのに300年はかかるかと思います。
それでも種をまかなければ芽が出ませんので、いろいろと挑戦してみる必要があります。

先進国は来る所まで来ましたので、後は原点からの発展が必要となるように思えます。
今現在の流行である「低賃金労働者育成システム」から脱却したいのなら、
個々の習慣を大切にして「己の信仰」をもって生きる必要があるのだと思います。
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