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作者の思考
お守りという存在
2013年11月17日
お守りとはどういう存在で、どういった理由で誕生したのかを私の解釈で書きます。
私が考えるお守りとは「誓いであり、宣言でもある」と強く感じています。

天運の加護を願うのは当然の事で、人智の及ばない「運命に神の祝福を願う」のは人にとって最も自然であり、大切な事なのだと思います。
しかし、願って所有するだけでは加護を得る事はできません。
天運の加護を得るには、もう一つ重要な事である「そう在ろうとする姿勢」が必用となります。

願う事へ挑戦し、努力し、成長する過程においてのみ、天運の加護は得られます。
ことわざで「果報は寝て待て」とありますが、これは「やるべき事をやった後は慌てるな」って事で、だだ寝て待っていろと言う事ではありません。

なので私は、お守りという存在を所有した瞬間、人は「どう生きるのか」を宣言し、「そう在ろう」と誓いを立てるのだと考えています。
古来から、その為にお守りは誕生し、存在しているのだと私は確信しています。

私は糸魚川のヒスイを造形してお守りを創る事を、ライフワークとしています。
古代からそうであったように、ただの道具では無く、硬く堅い不滅の存在を造形し、不屈の精神を込めて高みを目指す、この過程により天運が宿るのだと感じています。

そして、それを感じ共有できる方々との出会いの中で、私の魂は成長して行きます。
すぐには結果は出ませんが、信念を持って続けていれば、その過程で加護を得るのだと確信しました。
お守りという存在が、人類にとってどれだけ大切な存在なのかを理解できたように思えます。

そう考えると古代の勾玉にさえ「信仰による創作物」と「普及により交易品」が在るって事ですね…。
注意深く調べれば、現在のようにハッキリした違いは無くても「そこに派生する根源」に、気が付くかもしれません。
作った者の生き様が見えないので難しいですが、異常に普及している地域は混在の可能性大です。

まぁ、現代に続くロザリオと似た広がりであり、ただのアクセサリーとして進んだ事も事実でしょう。
そういった存在に天運の加護を求めても…、期待薄でしょうね(笑)
逆に言えば本物を所有して自身が成長すれば、その実感を得る事ができる事になるかと思います。

少なくても私はヒスイの創作活動を通じて、何かしらの加護は実感しています。(幻想の可能性もあるかもね…)

それぞれの時代にヒスイのお守りが在ったのだとするならば、それらを「点」として現代と「線」で繋ぐ、私の目指す事は、継ぐ事よりも「繋ぐ事」の方が重要になってくるのだと感じています。


この活動を通じて感じた事があります。
それは、お守りの大切さを理解できる人の特徴は「道具と人の関係を理解している」という事です。

道具とは、一部の人達が積み上げて進化させています。(長じて機械になっていく)
それぞれの道具を、各々が進めてきたのでは無い為、多くの人達は進められてきた道具を共有し、依存し、構造を理解せずに使っています。
これでは使いこなせる訳もないです…、原始人がスマホを持っているのと同じですから。

皆が作れるようになる必用はないのですが、現時点での道具と自身の差を認識しないと、大きな災いの渦に飲み込まれて行くことでしょう。(私も同様に)

昔は狩猟や農耕により、多くの人が作る事に関わっていたので少なからず道具の進化を担い、その本質を身体で感じていましたが、現在は何も関わっていない人が大勢います。
上っ面だけのシステムを上手く使う事は出来ても、根源を知らない為に作る事ができません。

要するに「人の褌で相撲は取れる」ってだけで、自身の相撲を取る事が出来ない訳ですね…。
だからって独り相撲では駄目なので、共有しながらも個で成り立つ、これが肝心なのだと思います。

古来から進んできた英知を共有しながらも、便乗するだけでなく、己の意志を反映させて共に進んで行けたら理想的なのだと思います。(後は身の丈に合った道具を使う事が肝心ですね)
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