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作者の思考
遺跡掘り体験 ⑥
2013年07月07日
※現在、前回の縄文遺跡から出土した石の洗浄をしています。(土嚢洗いも)

そこで気が付いた事を書きます。
それは、打製石器と磨製石器は「鍛冶屋と研ぎ師の原点なのでは?」と言うものです。(当然か…)

打製石器は様々な鉱物で制作されていますが、磨製石器は蛇紋岩〜透閃石・緑閃石などの艶が出る石が殆どです。
これは打撃での形成に適さないからだと思われますが、それだけでは無いように思えます。(打撃で形成して研磨で仕上げようと試みた石器も幾つかあります)

これは私の個人的な考えなのですが、打製は「純粋に道具を追求した技法」であり、磨製は「道具に美しさを求めた技法」であるのでは?と考えます。(時代が新しくなるにつれて、道具は打製が多くなっているとの事です)

当初は「頑丈な道具に切れ味を求めたから研磨した」そんな理由から始まったかもしれませんが、いつしか砂岩の粒度を見極め段階化し「より美しく携帯できる存在」を具現化する者が現れたように思えます。
その瞬間にそれは道具の領域を超え、自己アピールの象徴である装飾品への扉を開いたのではと考えます。(美しく磨かれた道具は皆の目を引きますし、大切に使うようになります)

何故ならば、石器で最高に切れ味の良い道具は「黒曜石で制作された道具である」って事です。
頑丈さに難はありますが、堅牢さを求めるのなら研磨の必用もありません。
切れ味の良い道具と堅い道具の二つがあれば問題無し、これは金属の概念にも共通するかと思います。
金属の刃物はその二つを合わせ持っているので、使い勝手が良く武器へと発展したのだと考えます。(武器での段階では打製石器の意味合いが強い気がします)
黒曜石も美を兼ねていて、それは黒曜石自体に「光沢があるから」だと言えると思います。

刀剣が美術品となった時代には「切れ味を追求したら偶然に美しくなった」なんて段階はとっくに過ぎており、ちゃんと理解したいた者が「より美しく携帯できる存在」を表現したのだと思います。(この段階だと磨製石器の意味合いが強い気がします)
ちなみに現代では艶があって当たり前になっていますので、更なる発展を必用としているようです…。(この領域に入る全ての存在が)

打製石器と磨製石器とは現代に存在する「道具と装飾品の原点」であり、どちら側の領域へ向かうかで用途も違ってくるのではないでしょうか?(金属器は両方の特性を持っていますね)
古代では打撃により割っていたヒスイも、現代ではブレードで切断しています。(切断は研磨領域になります)
これは生活する為の道具としてではなく、より豊かな生き方を求めて「変化した道具である」と言えると思います。

また、使用していた砂岩を見ると上手に使い込まれたものが存在します。
現代と一緒で「道具をみれば使い手の腕もわかる」もので、かなり使い込まれていて部分的に使用する用途に応じた形や厚みをしていました。(これ一つで穿孔以外の成形が可能でしょう)
間違いなく「使い手の道具」だと感じ、古代の加工人が使ったであろう砂岩(道具)と出会えた事を嬉しく思います。


私自身が目指す「悠久の絆」とは、創作を最初に体現した者との繋がりを築く事であり、その意志を私なりに現代へ再生させる事です。
道具の領域すら混在しているのだから、それらを作った者達の中から私が求める者を見つけるのは、とても難しそうです…。(東北の遺跡の方が可能性は高いかも)

でもそれが楽しいんですよね(笑)。

私は道具を使いこなす事が、人の真価(進化)だと考えています。
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