2013年01月17日
※この話は世界に呪い(のろい)呪い(まじない)が在るのだとしたらの話です。
現在の「限られた領域で喰い合うデフレ社会」は、古の呪いである「蠱毒」と同じ状況を成しています。
なので、その領域で作られた商品には僅かながら呪いを帯びていても不思議ではありません。
物が売れない理由は需要がなくなった事もありますが、人が本能的に感じ取っているのではないでしょうか…。
そんな状態の社会が良くなる訳がありませんし、今後もデフレが続くのなら、より呪いの力は増して行くでしょう。
もしかしたら「世界に呪詛を刻む事」を目的としている者が、世界にいるのかもしれません。
今の状況を利益とし、継続する事を望む側は必ず存在していますので。
この状況を打破するにはどうすれば良いのでしょうか…?
私が思いつく事は「毒を以て毒を制す」という考え方です。
要するに「呪い(のろい)には呪い(まじない)を以て対処する」って事です。
しかし、現実的に呪い(まじない)に相当する行動とは何なのだろうか…?
インフレに向かう全ての事になるのだと思うのですが、具体的には良く分かりませんね。
景気が気分の影響を強く受ける事から「楽しくなるような事」には間違いはないでしょうが…、昔ならば「お祭り」という行事で担えたのでしょうけど、現在は毎日がお祭りみたいな日常でもあるので効果は薄いでしょう。
何であれ「信仰心を煽る事」が大昔からの対策で、お金を信仰している現代人にはやはり「お金そのもの」をばらまくのが一番効果があるのでしょう。
しかし、お金が「人間社会における便利な交換券」と認識していないと、くだらない事に使わされる恐れがあります。
重要な事は「物と換える」って事で、根本が物々交換から始まっている事を忘れず、仮想空間のデータだけの存在に使うお金は最小限で良いです。
呪い(まじない)の領域も行きすぎれば問題が生じるので、バランスをとる事が重要な課題となるでしょう。
結局はどちらも毒、そう考えると「人間社会は毒で満ちている」って事になるのでしょうか…。(二つの毒の耐性を持てば関係ないでしょうけどね)
幻想社会がどんどん進んでいく中、人はそれに対応しきれるのだろうか?
人類が何をしたいのか、何をすべきかさえも分からなくなっている気がします。
一度、原点に戻って考えた方が良いのではと思う事があります。
今の人は「人を使う者・人に使われる者・自身を使う者」の三タイプが存在しています。
この三つは個体に少なからず同時に存在し、どの領域をメインとするかで生き方に違いが出ます。
これは自分で決めていく事が可能で、段階ごとに移り変わる事も可能です。
結局は「自分の選択次第」であり、その領域を選択したのなら相応の生き方をするのは当然となるでしょう。(別の領域に行くのなら相応の行動が必要となります)
現状の自分がどのタイプかを見定め、それを全うするも良し、段階を進めるのも良し、個人の自由ですが、何もせずに僻むのだけはやめて下さい。
とにかく邪魔、全く邪魔でしかない。(後が閊てるから、引退するなり独立するなりして道をあけて頂きたい)
こんな思いを女性は「何世紀も抱えていたんだな」と思うと同情してしまう。
しかし、その溜め込んでいた不満が力となり、女性が現在を大きく変えていくのは間違いないでしょう。
そして、その伸び代を使って、現在を担ってもらうしかないですね…。
でも「伸び代の限界」は在りますので、人はその先の事を考えておく必要があるります。
国民が増え難くなりますが、人類自体は増えているので地球的には問題ないか…。
この先、更に人類が増えて行くのなら身体のサイズを半分にする方法を考えた方が良いような気がします。
どうしたって「群れて生きる弱者」と言う割には身体がデカ過ぎますね。(ホビットくらいで丁度良い)
商売では「作る側・売る側・買う側」の三つがありますが、それとは別に「餓鬼」という領域があります。
要するに必要も無いのに「作りまくる・売りまくる・買いまくる」がそれで、一切満たされる事のない器の壊れた存在です。
餓鬼が存在しているのだから、もうこの世は地獄と同じって事ですね…。
呪いどころの話じゃないのかもしれません。
とにかく、人を子飼いにし使役する事しか頭にない連中に言いたい!「王族にでもなったつもりですか?」と…。
所詮は根っからの貧乏人、餓えに苛まれている人達です。
そんな人達に「鷹は餓えても穂を摘まず」って言葉を教えてあげたいものです。
時に人は「右」や「左」として例えられる事がありますが、右であろうが左であろうが人をひっぱく事は可能なんですよ。
重要な事は「よっぽどの事がない限りその選択はしない」とする意志が大切であり、それが人としての最大の証であるのだと私は考えています。
少し話は違うのですが、糸魚川のヒスイ関係者はジオパークに認定された重大さを理解しているのだろうか…?(ある意味、開国と同じなんですよ?)
どうも現場の人達(末端ですが)に危機感が無く、情報統制されている感がある。(ここは小さな中国みたいだ)
知ろうとしていない、思考が止まった人達だからかもしれませんが…。
これは「その人達にとってかつて無い危機」なんです、日本からも監視され、世界からも監視されるのですから。
今までのように癒着してどうにかなるシステムじゃ無くなるのです。
言い張って正当化される問題でもなく、今までやってきた事実が表にでるわけです。
もし「騙しが糸魚川の伝統文化だ」と断言したのら不当とは言えませんが、そんな低レベルの伝統文化なら守る必要もありません。
今後に起こる事は、そういった者達が一カ所のショップに大勢集まりだすでしょう。
持っている在庫をどうにか処分するため、真と嘘を混ぜながら販売していく為に。(その者が表に出る事はない)
人を騙すのに、真実と偽りを混ぜ合わせる事は騙しの常識でしょうし…。
今回、認定の更新があるようですが、取り消される事はまずないと思われます。
こういったシステムは、切り捨てるのでは無く「改善させていく」のが定石です。
条件付きの認定となり、次回までの改善を要求されるわけです。(簡単に言えば執行猶予みたいな感じです)
若い世代の罪でもないのにその罰を負わせられる…、全くこの世は闇に満ちていますね。