作者の思考

古からの音色

2015年03月29日

これは、最近ご縁があったお客さんの質問に答える事で、再認識した事です。

ヒスイで制作した玉を連ねたブレスレットでの質問なのですが、「ヒスイ同士が擦れ合う事で音が鳴り、欠けたり傷が付いたりするのか?」と言う事でした。(実際はもっと丁寧な、お問い合わせでした(笑))

この質問に答えるには、玉一式が「何を兼ねているのか?」を知っている必用があります。
そしてヒスイが奏でる音が、どれだけ重要なのかを感じ取る必用もあります。

答えを言えば、あのタイプのブレスは数珠を兼ねたスタイルであり、音が鳴るよう少しゆるめに身に付ける方が良いのです。
普通の人では数珠が長すぎて邪魔なので、ファッションとして身に付けながらも加護を受ける、そんな目的があります。
なので二重に付けても良く、音が鳴る方が良いわけです。(ちなみに、返信する前にお客さんは気が付いたようです)
この時の玉と玉とが触れ合う音を、瓊音(ヌナト)と言うのだそうです。

では音の重要性についてなのですが、まず先に磨かれたヒスイ同士で擦れ合っても肉眼に見える程の傷は付きません。(砂場で派手に遊ばなければ(笑))
硬度的に勝る石英に強く押し当てながら研磨しない限りは、ほぼ無傷と言って良いかと思います。

そもそもに結晶体では無いので堅く、普段使いで欠ける事も砕ける事もありません。
風化にも酸化にも強く、人の一生では繋ぎ合わせているゴムが劣化するくらいです。
更に皮脂により摩擦が緩和されて、自然に磨いているような状態になります。


さて本題の音の重要性ですが、その音が「魔除けになると信じられている」って事にあります。(どんな音でも言いわけでは無い)
古来から音には、魔除けの力が宿ると言われています。
よって魂の依代とされるヒスイが奏でる音は、より大きな魔除けになるわけですね。

よく聞いてみると心地良い音色で、手触りも良いから癖になります(笑)
念仏を唱えなくても、心の浄化や安定をもたらしてくれるのだと感じます。

これが古代から繋がる音色である理由は、人とヒスイとの文化によるものでもありますが、原点は糸魚川の海にあります。
糸魚川では、海からもヒスイが上がります。
波打ち際へ行くと、波で擦れ合う石たちの音が聞こえてきます。
当然、その中にはヒスイも含まれていて、その音色で護られているまちなのだと感じます。(他の鉱物(瑪瑙など)もあるので、その効果は抜群かと思います)

この音色が精神を癒し、それを魂に伝え、肉体を活性化させる、そんな事が古代から繋がっているのだと思います。
しかし間違ってはいけないのは、魔除けではありますが「人の悪事から身を護る存在では無い」って事です。

その前段階の護りであり、そもそもにこの音色を聞いて生活しているのにもかかわらず「魂が腐っている者」は、この糸魚川にも多数います。
これは「精神から魂に音が届いていない」って事であり、その者達には当然宿るであろう基準が備わっていない事になります。
これでは抑止力には成りません…、魔は除けても悪からは守られない、それは忘れないで下さい。(悪事には、知恵と身体能力で対抗する以外にないかと…)


多くの人が糸魚川の海へヒスイ拾いに来るのは、「音色を求めての事」も含まれています。
本人は気が付いていないでしょうが、本能的に心の浄化や安定を求めています。
当然、ヒスイを拾いに来ているので目的は良質のヒスイですが、拾えなくても無駄ではないわけです(笑)
これを認識できないと、ヒスイへの執着が怨念へと変わり、狂ったように探し求めるようになります。(亡者のように徘徊し始める)

こうなると負の連鎖となっていきますので、天運を逃したり、腐れ縁になってしまいます。

逆に言えば、この行為で人の品格を判断できるわけです(笑)
良いヒスイを拾えてるとかの問題では無く、その者の行為、向き合い方、そういった事が明確に出るので、一つの判断材料になります。

そう言った事を自分の基準に蓄積し、信用への判断材料とすると良いでしょう。
面白い事に、信用できない人には良く似た特徴があるので、非常に解りやすいです(笑)


悠久の時より自然(神)が奏でる音色、それに人が適応して自然と共に生きられたのなら、古代人と同じ景色を共有できるかのもしれませんね。
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