作者の思考

王道を辿る

2015年01月13日

王道を行く、この言葉の意味を考えると、一般的には「王の進む道」や「王に成る者が進む道」だと思う人が多いでしょう。(もっと軽い意味の「定石」と思う人もいますが)

しかし、私が考える意味は「王が進んだ道」です。
何が違うかと言うと、まず「過去である」って事が重要になります。
要は「初代の王が進んだ道」であり、「既に切り開かれた道」だと言う事です。(王道を進んでも、必ず王に成る訳ではありません)

なので王道を行く場合、最初に歩んだ者よりも、険しい道ではありません。
その者の教えを学べば、どう進むべきかの道標となるので、無駄な失敗は少なくなります。(完全に失敗が無くなる事はありませんが)
よって「王道を辿る」と言う表現の方が、正しい言い方なのかもしれませんね。

しかし道は示されていても、それなりに険しいのは事実で、誰もが辿れる道ではありません。
示されている道なので、外れるのは自身の意志であり「知らなかった」等の言い訳も通用しません。

特に私は経営と創作の両方を行っているので感じますが、このバランスは非常に難しいです。
俗に言う「手を汚す事」を考えた場合、創作は現実として手が汚れますが(加工するので)、経営では現実の手(肉体)では無く、精神や魂自体が汚れます。

現実の汚れは洗えば落ちますが、精神や魂の汚れは容易には落とせません。
しかも目に見え難いので、洗い流せないレベルの汚れに魔魅れる者が続出しています。(雇用は基本的に分業なので、そういった事が見え難くなっていますが、営業部門はその影響を強く受けます)

こういった者達は、同じくドブに塗れた者達と徒党を組み、傷を舐め合います。
その悪臭で既に嗅覚は壊れ、バランス感覚は皆無となり、手を汚す事に何の躊躇も無くなります。(正確には分別が付かなくなる)

こうなると、ただの動物であり、そこに人としての知性と尊厳は存在していません。
この事により、王道を辿る事は不可能となり、卑怯なだけの人生を送る事となります。

これは既に示されている失敗例であり、避けようと思えば誰もが回避可能な事です。
それでも外れて行く者は出る…、これは頭で解っていても、制限できない欲望によるものなのでしょう。(そもそもに、王の概念が異なっている可能性もあるし)

せっかくデカくて消費が激しい恐竜に成り代わり、捕食され続けた人類の祖が知恵まで与えられて生き延びたのに、その成れの果てが集団となってデカく成り、同じように消費しまくっています。

これが恐竜と同じなのだとしたら、どうしたって全滅するのは必然だと思われますが…。
どうして学ばないのだろうか…、まさに「死なば諸共」が総意となっている証拠なのに。

先人達(初代)が進んだ道を今一度、見つめ直して「どう進むべきか」を認識すべきだと思います。
格好をつけて、自分主動を気取った王道ではなく、既に示されている成功例を元に自身の経験を積んで、肉体を使って進む事をお勧めします。(過剰な安定や共有は、人を腐らせる事を忘れないで下さい)

確実に言えるのは、今の時代、稼ぎ方がセコイと言う事は、その者の人生もセコイと言う事です。
要は、劣等感を原動力にした商売には、自己主張だけで将来性が無いって事ですね…。


ちなみに最近多発している食品の異物混入ですが、そもそもにジャンクフードなので当然の結果のように思えるのですが…。(ジャンク屋を思い浮かべれば、普通の事に思えます)
まぁ、「素顔を曝した」ってだけなのでしょうね…、ジャンクフードを食べる際には、相応の覚悟が必用と言う事なのでしょう(笑)

その物の本質を見る事が出来れば、過剰に期待する事も、過剰に落胆する事もないでしょう。
今よりは退屈な社会になるでしょうが、別の喜びを見出せば良いのではないでしょうか?(そうやって進化してきたのだし)
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