作者の思考
龍と蛇
2010年09月07日
一般的に龍は「光」を示し、蛇は「闇」を示しています。
龍の中には黒龍がいたり蛇には白蛇がいますが、単体の中で光と闇を分けただけの事であり、
龍と蛇の二つを比べてみるとやはり「光」と「闇」に分かれます。
ですが羨望と畏怖、これらは立場の違いで逆転する事もあります。
どちらが「光」でどちらが「闇」なのかは、おかれた状況で変化し全ての人が共有する事は不可能です。
人が人を敵として認識し争いがある以上は壊せない理です。
この理は神話にもあり天津神のスサノオは大海原の龍でありますが、
国津神のスサノオ(大国主)は大地に降りた蛇となっています。
神話で見れば国津神のスサノオが光にも思えるのですが蛇(畏怖)とされています。
国津神自体が総じて「鬼」と呼ばれる存在になっている事が多いようです。
何が真実なのか解りませんが物語である以上、綴った人が決めれば良いのだと考えています。
結局は全ての人間が一つの答えを完全に共有することは不可能なのだから…。
それでも作者には明確な答えがあり、それを知りたいと渇望するのも人間なんだと思います。
龍の中には黒龍がいたり蛇には白蛇がいますが、単体の中で光と闇を分けただけの事であり、
龍と蛇の二つを比べてみるとやはり「光」と「闇」に分かれます。
ですが羨望と畏怖、これらは立場の違いで逆転する事もあります。
どちらが「光」でどちらが「闇」なのかは、おかれた状況で変化し全ての人が共有する事は不可能です。
人が人を敵として認識し争いがある以上は壊せない理です。
この理は神話にもあり天津神のスサノオは大海原の龍でありますが、
国津神のスサノオ(大国主)は大地に降りた蛇となっています。
神話で見れば国津神のスサノオが光にも思えるのですが蛇(畏怖)とされています。
国津神自体が総じて「鬼」と呼ばれる存在になっている事が多いようです。
何が真実なのか解りませんが物語である以上、綴った人が決めれば良いのだと考えています。
結局は全ての人間が一つの答えを完全に共有することは不可能なのだから…。
それでも作者には明確な答えがあり、それを知りたいと渇望するのも人間なんだと思います。