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2015年03月07日
昨日、物産センターへ様子を見に行って、その「あからさまな行為」に頭にきました。
まずは移動でズレまくっている品々、全く販売店としての基本が出来ていない。
自分達が何を扱っているのかが、理解できないのだろうか?
準備に忙しくて大変なら、出品している業者に連絡くらいしろと言いたい。(移動が完了したって事を)

まぁ、それは直せば良いので怒りは抑えましたが、ケースの配置が問題です。
私のケースは加工所の正面へと移り、そう問題は無い(照明に難あり)のですが、ある業者が一つ分のケース料金で二つ使っています。(もう長い事そうです)
しかも宝飾扱いで、それらと同じ並びに囲われています。(宝飾用の照明もある場所に)
あまりにも露骨、誰が見たって優遇しているとしか思えません。

その囲いを「宝飾分野」として、加工所の正面付近を「工芸品の分野」として分けているのだとしても、その選別がなされていません。(ちなみに将来的には、加工所正面のケース全てが、作って売る人達の品で飾られる事が理想的です)
しかも他の業者の勾玉は、その囲いから出されて一つだけ端に置かれていました。(照明が無く暗い場所に)
この状態は何なのだろうか?、早速、店長に苦情を言うと「私の作品は、あの囲いに入れない」と、ハッキリと言われました。(ヒステリックに)

理由としては「宝飾では無く、その場に合わないから」だそうですが、どうみてもその囲いには宝飾品以外の商品が並んでいます。(それに私は宝飾も作れますけど…)
まぁ実際、私の客層ならば加工所の正面である方が良く、「その業者の場所と変更しろ」と言いたい訳ではありません。(勘違いしたようで必死でした(笑))
私が何に怒っているかと言うと、その「あからさまな業者との癒着」にです。
他の業者より手数料が10%高いからと言って、場所とケースを優遇しすぎです。
平然と癒着を臭わす態度、それが当然のようにしている態度、常識が無いのでしょうか?(恥と外聞も)

その業者は店長とも強く繋がりがあるので、癒着しているような疑いを持たれても仕方ないのでは?(お金を貰っている疑惑だってあるし)
とにかく、やる事がいちいちセコイ、そんなやり方がバレないとでも思うのだろうか?(しかも私以外の業者から、苦情が出ないとでも思うのだろうか?)
とりあえず、その業者はケースを一つにして囲いから出し、その宝飾用とした二つのケースは、他の業者達の共同スペースにすべきだと思います。(その業者の商品は、通路を挟んだ近くのケースに移すべきでしょう)
全業者が名前を表に出せないのなら、宝飾領域は全て共同スペースにする必用があります。

その二つのケースを宝飾専用とするのなら、各々が宝飾品だけを並べれば良いだけです。
結局、どんな言い訳をしても筋が通らず、その業者を優遇している現実しか在りません。(ちなみに宝飾分野にすると言う事は、産地の制限から逃れたいと言う思惑がある証です)

それと、物産センター自体が委託で品を出しているのだから「勝手に手数料を変えるな」って話です。
競いたいのなら堂々と競え、「売れるなら何でも良い」と言うのなら、勾玉類を蔑ろにしている意味が解りません。
更に言えば、作ってもいない業者を優遇する行為も意味不明、その販売業者の在庫処理を手伝っているようにしか思えません。

恐らく以前、その業者が入っていた場所に私の作品が置かれていたのが気に入らなかったのでしょう。(店長も、その業者も)
もしかしたら私が場所を奪ったと勘違いしているのかも…、もしそうなら大きな勘違いで、私が出品する際に店員が空いた場所を勧めただけです。
何故その業者がその場所を出されたのかは、詳しくは知りませんが何かしらの問題があったのでしょう。(私が働いていた頃から、癒着の疑惑がありましたし…)

理由はどうあれ私がその場所に入った事や、物産センターで働いていた頃からの確執が大きな理由となっている気がします。(根深い嫉妬があるかと)
でも「好き嫌いで商売するな」と言いたい…、そこがこの糸魚川の致命的な欠陥だと言えるでしょう。(売れされすれば何でも良いと言っているんだし)
思い通りに成らなかった(成らないから)と言って、恨みを持つのはお門違いです。
俗に殿様商売と言われている特性…、歴史を見ても城がない町なのに、全くもって意味不明です(笑)

きっとその業者の商品を自分の商品と錯覚し、依存し、同化し、さも自分が運営している妄想を抱いているのだと思います。(弱者らしい妄想ですが)
どの商品を売っても、物産センターの売上げに成るのは変わりないのに…。
相変わらずと言いますか…、年々酷くなっている気がする、主任も解雇されたよですので、あそこには何かしらの闇があるのでしょう。(解雇には相応の理由が必要ですから、それに管理責任は誰にあるのですか?)
あの年代が必死になって保身をしている、そんな感じが強烈に伝わってきます。


ちなみにヒスイ商品の配置ですが、散漫となっていて通路が狭くなっています。
もっと宝飾系のケースを減らしてスッキリとさせた方が良いかと。(二ケースくらい減らすとか)
あれではもっと店員を増やさなくては、お客さんに対応できないかと思います。
どう考えても、あの規模に店員四人では、かなり無理があるでしょう。(一〜二人が休みの時もありますし)
商品も選別していけば、もっと少なくなるので丁度良いかと思うのですが…。(宝飾には鑑別書を付けた方が良いかと)

店内は窓を塞いだ為に暗く、照明を考えなくては購買意欲も刺激されない気がします。
切れた蛍光灯も多数あるので、それらもちゃんと変える必用があります。(私のケースの蛍光灯も古くなっているので、交換してほしい…。)

とにかく今月の14日には、万全の体制で運営される事を心から願います。
この機会が、糸魚川ヒスイとして「最後の禊ぎになる」って事を忘れないで下さい。(あの年代の、最後のチャンスとなるでしょうから)
2015年03月06日
友人からの依頼で、転石を加工してSVペンダントを作りました。

海岸で出会ったヒスイの転石、鮮やかな翠を持った綺麗なヒスイです。
この翠の部分を切り出して、ペンダント用のルースを作ります。



海の転石なので小さく、タイプが山石系なので小さなヒビも見られます。(友人に伝えた所、ヒビは全く気にしないようです(笑))
翠の部分の厚さがギリギリだったので、慎重にプレートを切り出しました。
地は淡い灰色ですが、それが逆に翠を鮮やかに引き立てているかと思います。(渓谷の芽吹きを想わせます)
グルッと翠が裏まで回っているので、削っても翠が無くなる事はありません。





ヒスイのSVペンダント完成!、翠・黒・灰の三色が入りました。
翠と交差するように流れる黒が、なかなか面白い景色を出しています。
小さなヒビが少し残りましたが、自身で出会った転石なので、それも魅力の一部となるのだと思います。(友人にとっての秘美なのだと感じます)




透明度は低めですが、それでも光を受けて翠が輝きます。
この系のヒスイは翠に特徴があり、発色が良いので遠くからでも目立ちます。
トルコ石の翠バージョンみたいな雰囲気があり、シルバーとの相性も良いように思えます。





この友人とは糸魚川ヒスイを通じて知り合い、今では私と同様に糸魚川ヒスイに魅入られています(笑)
同じ気持ちを共有できる同年代の友人がいるのは、とても大切な事だと感じています。

この縁を大切にして、長く付き合っていけるよう活動して行きたいと思います。(友人達よ、糸魚川ヒスイに飽きないでくれよ〜(笑))

将来的には、こういった仲間と仕事をしたいと思うのですが、財源を考えなくては必ず喰い合う事になります。
仲間とは活動の範囲に留めて収入は別の労働で稼ぐのが、一番バランスがとれるのかも…。
私だけ本業としていますが、それを赦してくれる(認めてくれる)人達であってほしい。(本業には本業の責任があるので、それを果たして行きますので…)

この領域が未来に必用であるならば、どうか「繋げ、継いでいく者」を支えて下さい!




話は変わりますが、先日の新潟のニュースで糸魚川の特集がありました。
主に完成間近のフォッサマグナミュージアム内観や、糸魚川ヒスイの紹介を放映していました。
その際に、私の勾玉(伊邪那岐)と、神玉(台座一式)が少しの時間でしたが映りました!
糸魚川と糸魚川ヒスイのアピールに貢献できた事を嬉しく思います。

ただ、事前に確認が欲しかったですね…。
と言うのも簡易的なケースの移動により、台座と神玉一式がズレてしまっていました…。
私は神経質なので、ああいったズレがどうしても気になってしまいます。
すぐに整えて店員にも注意をしたのですが、どうもその前に撮影されたようです。
整えるのは私か、店員か、撮影者さんか、誰でも良かったのですが残念です。(一番は私が注意していなくては、いけなかったのですが…)

私は、ことある毎にケース内の作品を綺麗に整えています。
ブース内を可能な限り「時間が止まった世界」にしておきたいと考えています。(だからって、販売していない訳ではありません(笑))
いつ見られても「綺麗な姿で在り続ける」、これはほぼ不滅な存在のヒスイならではの魅力だと考えています。
そういった事を、もっと注意して欲しいなぁ…、物産の店員さんも。
特に女性は他者から見られる事を意識しての特性(化粧などの)が高いのだから、それらの感性を扱っているヒスイ製品に向けて欲しいものです。

まぁ、私が毎日(朝夕に)それらを確認しに行けば良いのですが(笑)
そうすれば今回のような、私(神経質な者)が気になる姿で放映はされなかったでしょう。
でも姑のようで気が引けるなぁ…、それで気になり続けるよりは絶対に良いですよね。
幸いに家も近いので、今後はもっと定期的に確認して行こうと思います。

ただ、気が付かない人もいるので、その殆どが自分の「綺麗に魅せたい」という表現への行為なんだと思います。(結局は自己満足でありますが、それにより別格の存在力が支えるのも事実、大切な事なのだと認識しています)

作品でありながら商品も兼ねている、そう言った存在を高める為には、神経質な程の感性が必用なのかもしれませんね。
何であれ、糸魚川ヒスイの宣伝にはなったので、それらを更に高める為に努力して行きたいと思います!(制作以外にも、やる事はたくさんあるな…)
2015年03月01日
この仕事をしていると、様々な人達に出会います。
特徴を大きく分けると三タイプあり、それぞれに違ったメリットを与えてくれます。
それらのメリットとデメリットを書きたいと思います。(以前にも似た事を書きましたが(笑))

一つ目のタイプは、作品を購入して下さる方々です。作者と世界観を共有し、その創作活動を最も支えてくれます。
三位一体で言う、魂・肉体・精神を救う唯一無二の存在だと言えるでしょう。(作者にとって)
この存在がないと、芸術は成り立つ事はあり得ません。

しかし、物事には表裏があり、存在感が強い事でデメリットも強くなったりします。
例をあげると心酔し「同化したがる」、「束縛したがる」、「操作したがる」と言った危険性が高まります。


二つ目のタイプは、自分で拾ったヒスイの加工を依頼してくれる人達です。
自身の思い出のカタチを委託する事で、作り手を支えてくれます。
三位一体で言うと、肉体を主に救ってくれます。(全く魂と精神を救わないわけではない)
必ず資金が得られるので、ある程度の安定が得られます。

デメリットとしては、作り手に対する「羨望と嫉妬」や、「使役したがる」と言った危険性が高まります。


三つ目のタイプは、自分で拾って自分で作る人達です。
副業(趣味)であれ本業であれ、基本的に根本が同じなので、作る楽しみや大切さを共有できます。
三位一体で言うと、主に精神を救ってくれます。
「同病相哀れむ」とでも言うのでしょうか…、苦労も分かち合う事ができます。

デメリットとして、「才能への嫉妬」があり、更に「傷の舐め合い」により、お互いの成長が止まる危険性が高まります。
たま、自身で作るので「お客さん」と言った扱いにはなりません。
これは私も同様で、他者が作ったヒスイ製品を私が購入する事は在りません。(将来的にコラボは在るかも)


当然ながら、キッパリと三タイプに分かれておらず、それぞれの中間にいる人達も大勢います。(一と二の中間は、特に女性が多いように思えます)
その他にも傍観しているだけの人や、全く関心のない人もいますが、お互いに「毒にも薬にもならない」ので説明は必要ないでしょう(笑)


人との関わりは、とても大切で、生きていく為には必要不可欠ですが、適切な距離を把握していかなくては良い関係は築けないでしょう。
何故なのかと問われると、人間と言う存在が「基本的に弱い存在だから」としか言えないかと…。

近づきすぎて過剰な集団となれば、人間としての強者も弱者となり、やがて卑怯者(ザコ)となって行きます。(人としての様々な基準が、崩壊していきます)
そういった習性を宿命づけられているとしか思えない程、非常に不安定で矛盾しています。

それでも繋がりながら支え合い、傷つけながらも未来を共有する…、とても不思議です。

希望と絶望を身に宿し、どう進むべきなのかを共に考えて行く、それが人としての友(仲間)なのかもしれませんね。
支え合える人達と上手に付き合って、共有できる未来へ進めたらと思います。




ちなみに、こちらは地元の人から首飾りの依頼を受けて作りました。
転石自体は既に磨かれて穿孔もしてあり、それを革紐とウッドビーズで首飾りにしました。(タイプで言えば、二つ目のタイプに入るでしょう)



転石は、そのままなら標石クラスでしたが「それを身に付けたい」と言う気持ちも良く解ります。
家にただ置いておくよりも「身に付けていたい」、私の仕事の原点にも同じ思いがあります。(私の原動力は「造形して高めたい」って思いです)
地元の人と言う事もあり、そういった意識を持った人の存在を嬉しく思います。
今では簡単には出会えない紫ヒスイの転石、きっと思い出のあるヒスイなのでしょう。

そういった存在を、お守りとして身に付けて生きるのも、人として大切な事だと感じます。
2015年02月27日
今月も、姫川をモニターしてきました。
寒暖の差が激しく雨の続いた2月でしたが、ようやく春を間近に感じる気温になってきました。(この日も雨で寒い日でしたが、春の雨っぽく感じました)

今回は、河口周辺の報告です。
こちらには雪は見られず、先日の大雪でも特に積雪は無かったように思えます。
秋に良く似た景色ですが、どこか再生の季節への躍動を感じます。
海は荒れていませんでしたが、連日の雨により川は濁り、その影響を受けてか海も濁っていました。




水の量は多くありませんでしたが、雨により渇水の時期にしては増えたのだと思います。
これから雪解けが始まり、とんでもない水量になるのでしょう。
反対側では大規模な工事が進められています。




大型車や重機が頻繁に動いています。
邪魔にならないよう、現場の近くへは行かずにモニターしました。
遠くで見える明星セメントの煙が、雲と同化しているように見えて不思議な光景です。
セメント製造もフル稼働なのでしょうね。




これが以前の返答にも書いてあった、寺島地区の低水護岸工事なのでしょう。
かなり深く掘っていて、そこへブロックを埋めています。
この付近は頻繁に壊れていたので、これで洪水時でも堤防が決壊する心配は無くなるでしょう。




山の雪解けまでには、まだ時間がありますが春になるにつれて増水するので、天候が多少悪くても工事は進めて行くのでしょう。
この雨の中、ちょっとの時間でしたがモニターをして、現場の人達の苦労が少し分かったように思えます。(冬場の労働は、特に辛いものがありますね)
2015年02月23日
今回は、鳳の羽の首飾りを紹介します。


先日と同じ紫ヒスイで、鳳の羽の首飾りを制作しました。
前回より小さなルースですが、枠デザインと一体化して存在感があります。
春を運ぶ鳥、あるいは春風を表現できたらと思い、民族風の首飾りにしています。



鳥と羽が融合したデザインのSV枠に、柔らかな色彩の紫ヒスイを合わせてみました。
枠の裏側が空いておらず、ルースを合わせるのが少し手間でしたが、慎重に加工しながら納得のいく仕上げになりました。
ルースが小さい分、色の強い部分を選んで加工していますが、春や風をテーマにしたかった事もあり、このタイプの紫ヒスイを使用しました。
この清々しく深みのある紫は、気品さも感じさせてくれます。



裏側が空いていないので前からの光は抜けず、逆に膨張して紫ヒスイを輝かせます。
側面からの光を通すように、ルースの厚さも少しだけ高くしました。
小さな中にも、しっかりと幻想的な景色が詰まっている作品です。
こちらのSV枠はロジウムメッキされていて、変色の心配はありません。(925の刻印もされています)

スエード・ウッドビーズ・メタルビーズで首飾りにしていますが、自分好みの首飾りに変えて身に付けても良いかと思っています。




話は全く変わりますが、もっと先に延ばすはずの国津神「建御名方神」のデザイン案が湧いてきました(笑)
これも「不思議な縁の賜」ともでも言うのでしょうか…。
それと言うのも今月、本来は販売段階にない国津神「須世理毘売」を、ある方の強い要望にお応えして販売しました。
テーマに合った女性でもあり、通常のお客さんでは無く創作を共有できる方でもあったので、これも「偶然のようで必然」だと感じました。
そんな中で建御名方神を考えていると、モチーフとするイメージが湧いてきました。
全く見当もつかなかったのに突然思い付く、不思議です。(こんなに早くイメージできたのは初めて)

その方が言うには、「須世理毘売は嫉妬深いので、建御名方神や奴奈川姫にやきもちを妬いたのかも」と言っていました。
なるほど、私から離れた事でその束縛から開放され、建御名方神や奴奈川姫を考える力が養われたのかも。
また「自分に持てる量は決まっていて、手放さないと新しいものが生まれないという話もあるようだ」とも言っていて、それも納得のできる話だと感じました。(これは作っている人なら、良く解る話でしょう)

まぁ、2月の暗い雰囲気の中、この事が非常に新鮮であった事もあり、私の創作力が刺激されたのも大きいのだと思いますが(笑)

それでも同じ景色を見て、同じ事を感じられる人がいる事はとても嬉しいです。
自然の景色を見て、それが「美しい」と感じるのか、それとも命の奪い合いである「戦場」と見ているのかでは、全く感性が違います。
自然を美しく見られる人は、命を脅かされておらず、心に余裕があるからだと言えます。

それが人の成長であり、芸術へと繋がる源なのだと考えています。(昔、極寒の夜空で見た満天の星空が目に焼き付いています、凍死する思いをしましたが、そんな状況下でも美しいと感じる景色は、まさに神の領域なのでしょうね(笑))

ちなみに国津神は計画上の6体を仕上げてから、箱などのデザインをして、制作コストを見直しながら販売していく予定です。(いつに成るのやら…)
2015年02月20日
以前にも書いた糸魚川翡翠の未来を、再度考えてみました。(何度目だろうか(笑))

今月の13日から、物産センターの内装工事が始まっています。
工事と言っても今から始めるような小規模な工事で、一部の壁を壊したり作ったりする程度です。
商品の並び替えもするようですが、どうもスーパーマーケットのような並びになるらしいです…。
これ以上、糸魚川翡翠の品格を落として欲しくないなあ…。(噂なので、最終的な形に成らないと何とも言えないのですが…)
工事の為、商品ブースの簡易的な移動をしていますので、私のブース周りが少し混沌となっていますが、3月8日には終わるとの事なので、ご了承下さい。
この移動に伴い私のブースが何処へ置かれるのか、一抹の不安がありますが…。(まぁ、現場には臨機応変に対応してもらいますけど(笑))

どうしても糸魚川翡翠を別格の扱いにせず、物産の領域に留めたいようで、自分達が扱えるように存在を引き下げている感があります。(消耗品の扱いにしたいのでしょう)
更に産地を明確にする事もなく、業者を明記する事も無いようです。
要はミャンマー産翡翠を扱う事を、黙認したいのでしょうね。
糸魚川だけは「糸魚川翡翠しか扱わない」とした方が、世界に認めてもらえるのに…。
未だに「安く仕入れて高く売る事」を考えているのだろうか?

これに迷惑するのは、お客さんは勿論ですが、相対する販売員も対応に困ります。
どこの産地なのかも解らないまま、対応しなくてはならないのですから…。
現場の人達に手を汚させ、自分達は隠れて手を汚さない、そんな卑怯な事をこれからも続けて行くのだろうか?(そして知らなかったと逃げるのだろうか…)

しかも銀行から天下りしたジイさんを、引き続き加工所に入れていくようなので、翡翠好きの人達にちゃんと対応する気も無いようです。(銀行から融資を受ける為の施設になっている気がする…)
これが今の経営陣の限界なのだろうか?、どうにも改善不可能な現状が、今の糸魚川には存在しているって事なのだろうか?

市で翡翠をメインの一つとすると明言しているのに、何故こうも現状(中身)が追い付かないのかな…。
来客数(名)だけを考える公僕は今更どうにもなりませんが、利益(実)を考える業者の準備が全くできていません。(実を考えられないから、公僕なんですよね(笑))

現在の商売に必用なのは「福沢諭吉の印刷物を集めて喜んでいるだけの者達」では無く、それらを適度に使ってモノに変える人達なわけです。
お金を交換券として使える人達、汚く稼いだとしても綺麗に使える者達、商売に必用なのはそういった人達となります。

しかし糸魚川の翡翠には、綺麗に使える領域が少なすぎます。
同じように汚く稼ごうとしている者達で溢れ返っています。(その者達は、得たお金を綺麗に使う事はありません)
どうも「根本的な破綻」が存在しているのだと、改めて感じます。(中身のないパフォーマンスが多すぎますね…)

将来的に考えれば、糸魚川の翡翠を扱う者は「作る側である」って事が不可欠です。(ライセンス制も必用かと)
翡翠を仕入れして売る業者は、外で撃ちまくっていれば良いでしょう。
戦争と同じで「他人の国で争いたがる」って事が、最大の共通点でもあるのだから…。

そして作る側は、物産の加工所や高浪の池、不動滝などの管理を一部担う必用があるでしょう。(地域の人と財源を別にして、ローテーションで定期的に担う)
ああいった観光スポットは高齢化により、担い手不足になっていきます。
要は「観光に関わる仕事に協力する必用がある」って事で、家にこもって加工していれば言いわけではありません。(引きこもりじゃ無いのだから)
それと糸魚川での遺跡調査にも、協力していく必要があるでしょう。(糸魚川には、調査を目的とした遺跡発掘が必用かと)

糸魚川へ遊びに来た自身のお客さんを名所に案内しながらも、初めて来るお客さんとも楽しみを共有する、そんな活動が糸魚川翡翠を扱う者に求める「最低限の条件」にして行く必用があるでしょう。(主にフリーのお客さんが対象で、団体は業者に任せるのが良いかと)
ただ、基本的にサービス業ではないので、お互いに礼節をもって楽しめたらと思います。

もちろんこれには、翡翠だけの売上げで生きて行く事のデメリットの解消にもなります。(財源の確保が最優先ですが)
翡翠にとってのデメリットは「過剰に消費される事」であり、作り手としてのデメリットは「他者に足元を見られる事」ですから…。

また、今現在の糸魚川での「売る側と買う側の考え」を極端に説明すると、売る側は「安く仕入れたミャンマー産翡翠(処理品)を高く売りたい」って事で、買う側は「良質な糸魚川産翡翠を安く購入したい」って事です。
ここまでお互いの要望が離れていては、どうにも近づく事はできません。
なので「糸魚川産翡翠を適正価格で売る(買う)」と言う事が、求められるでしょう。
それを可能にするのも作る側であり、この者達の教育、或いは選別が絶対条件となります。

これには「信念を持った人材」で、団結する事が望ましいと考えます。(職人モドキでは無く)


ちなみに本来なら糸魚川の翡翠原石(特に切断されている原石)は、市がライセンスを持った加工人に販売して財源にするのが一番理想的だと考えます。(糸魚川翡翠の全てが、国の天然記念物に指定されている訳では無い)
では原石はどう揃えるのか?、ですが、市民に寄付して貰えば良いのです。(寄付した人に、ふるさと納税のような優遇処置をするのも良いかと)
これには、一定のレベルの翡翠原石である必用があります。
誰も寄付しないと思うかも知れませんが、それは田舎を知らない人の考えであり、その気があるか無いかの問題では無く「そうせざるを得ない」って状況に成るのが田舎の集団心理なわけです。
要は、ただ翡翠原石を持っている者は「住みづらくなる」って事で、幾つかを寄付する事で免罪符の役割を果たすわけですね(笑)
例え原石をライセンス所有者に販売しても、それを他者に売るライセンス所有者が現れるのでは?、と言った懸念もありますが、ちゃんと記録を残せば問題ありません。
その原石で何を作ったのか、残りのプレートはどれだけ在るのか、などを記録で残します。
原石を欲しがる者の殆どが「原石のままの姿での所有」を望むので、一度切断してしまえば需要は無くなります。(プレートにすれば、管理も簡単ですし)
もしそのプレートを誰かに売ったとしても分かるし、他者がそのプレートで制作した商品を売るにも糸魚川の外でしか売れなくなります。(要は趣味で加工する人達にしか売れないって事で、大した利益になりません)
勿論、その事がバレたらライセンスは没収となりますので、そこまでしてやるメリットもないわけです。(完全には防げませんが、かなりの抑止力になり、人格の問題にもなるので大丈夫かと…)
重要な事は、これは市に寄付され、市から購入した翡翠原石(主に切断された原石)での話であり、海や川で拾った翡翠などには適応されません。
この事は糸魚川翡翠を消費する事への「正当性を示す行為」でもあり、「戒め」でもある重要な大義名分になるかと私は考えています。
そんな事をしなくても翡翠販売業者の売上げを上げて税金を増やせば?、と思う人もいるでしょうが、そんな大規模な会社には成り得ませんし、成る必用も在りません(笑)
石灰石とは訳が違うので、その道理は通用しないでしょう。(でも市で石灰石を売っているのだから、市が糸魚川翡翠を売れない道理も無い訳です(笑))

どうしても未来の翡翠の加工人には、胸を張って生きてもらいたいんですよね…。(このままでは、ただの無頼漢にしか見えないし)


ここに書いた事は私個人の考えなので、各々が糸魚川へ来て自分の目で判断すると良いでしょう。
でも判断できるだけの基準を持っていなければ、上っ面に騙されるのは間違いないので、意味ありませんけどね(笑)

それにこれは、もっと先の「未来のカタチ」を想い描いての話なので、メンツが揃わない今では無理な話なのでしょう。

結局は自分の信じている姿を、見せて行くしか方法は無いかと…。
でも見せても「同じ事が出来ない」と言うのであれば、同じ事のできる者が現れるまで待つしかないのかもしれません…。

でも確実に前に進んでいるのだから、今は自分の事を頑張りたいと思います。
2015年02月17日
提出した河川モニターの返答を貰いましたので、お知らせします。

根知付近の返答です。





「姫川沿線を観ると、大野地区から上流に積雪があり、小屋根地区から上流は更に雪が多い様です。(2月6日頃)
 根知川合流部の付近には、未買収地の民地が存在します。ご報告の高水敷も民地で共有地もあります。過去に、河川工事でブロックを制作した事があり、借りた土地を返す時に地元要望でゲートボール場を作る事になった。しかし、「姫川は、急流河川で縦断勾配が大きい河川なのに、ゲートボール場は、水平に作らなければならないため苦労をした。」と当時の施工業者の方が話していました。何時の頃からか、雑草が生い茂りだして使われ無くなりました。
 現在、小屋根地区の雪の中で作業をしているのは、糸魚川の砂利組合関係の方々です。なぜ、この様な時期に作業をしているかと言いますと、河川工事等は、渇水期である秋の後半から冬期間が、増水の危険が少なくなります。一年のうちで最も安全な時期になります。また、川魚等への配慮もあり、この時期に川原の中で作業を行っています。
 今年度の河川工事は、寺島区と西川原地区及び山本地区で現在施工しています。
 小屋根地区の高水敷は、広く平らな地形です。一般者の駐車場としてまた石拾い等の河川利用者の駐車場として利用できないか?との事ですが、お察しのとおり、一般者の不法投棄や不法駐車(廃車の置き去り)などいろいろと困る事態が起こりうる懸念があります。また、民地のため地権者の了解も必用です。更に堤外地であり異常出水等の危険への対応もありますし、車から油流出等も心配になります。安全管理・環境保護への対応が必用に成ります。(川にも道の駅の様な施設が在っても良いですよね。)
 寺島地区の運動公園は、糸魚川市が占用許可を得て市で管理しています。きちんと管理出来る団体が占用許可を取り管理しています。この様に、地元や地権者の了解を得て適切な管理が出来る団体がいないと、小屋根に駐車場は難しいと思います。いずれにしても、河川利用者のマナーが良くなる事が何より大切です。
 冬の姫川は、危険がいっぱいです。天候の良い日に、安全を確保して川を散策して頂ければ幸いです。」


との事です。

先日の大雪で積雪は更に、ものスゴイ事になっているでしょう。
ちょっとの距離で、ここまで違うのは驚きます。

ゲートボール場が作られた経緯が良く解りました。
せっかく業者が苦労して作ったのに、勿体ないなぁ〜。
権利だけあっても、管理できないのであれば放棄したも同じに思えますが(笑)

渇水期が安全で仕事し易いってのは、石拾いと同じだな〜と思いました(笑)
もちろん石拾いは遊びなので、責任の重さは全く違いますが…。
去年からモニターをしてみて、姫川と上手に付き合っている人達もいるのだと感じました。(殆どが業者さんですけどね)



糸魚川へ来て強烈に感じた事は、「土地(敷地)に対しての執着が尋常じゃない」って事でした。
家の敷地の境界線も、常に隣同士でせめぎ合っている所があります(笑)
かなり小規模な領土侵犯が、日常的に行われている感じですね…。(ちなみに敷地の場合は、不動産の権利書に記載されているので法律で解決可能なのですが、そういった状況になると急に大人しくなるようです(笑))

この習性は老人(特に爺さん)に多い事から、昔の糸魚川は土地が何よりも大切だった事が解ります。
もしかしたら財産と呼べる存在が、土地以外には無かったのかもしれません。
なので、土地を手放す事(売るなどして)を、極端に嫌がります。

きちんと管理出来る団体がいない事も問題ですが、それ以前に権利だけを主張して管理能力のない個体が問題となっている気がします。
自分が使いこなせない存在を、他者が使いこなす事への「男の嫉妬や僻み」、これを強烈に感じます。
共有できる未来を考える事は無く、いつまでも自分のレベルに引き下げ続ける性根、これを見れば一部の韓国人や中国人だけを非難できないかと…。

きっと自分の手の届かない存在となり、自分が利益を得られなくなるのが恐ろしいのでしょう。
自身が成長するという選択はせず、権利だけを振りかざして正当性を主張する…。
これが人間の最終形態なのだろうか?、と思うと未来は真っ暗になります。

ですが若い人には見られない特徴なので、そう心配する事も無いようにも思えます。
財産とは古より、早い者勝ちで決まってきたのでしょうが、先祖代々から受け継げる財産には、その対象とならないものが存在します。
それが才能であり、個体としてのみ継げる財産です。

それらを成長させ「権利だけを持った中身のない者達とは違う未来」を、創って行く事が重要となるかと思っています。
違った成長を子ども達に見せていかなくては、現在の虚栄と虚構がセオリーなのだと、勘違いさせ続ける事になってしまうので…。
2015年02月14日
今回は、紫ヒスイの首飾りを紹介します。


知人から譲って頂いた貴重な紫ヒスイで、SVペンダントを制作しました。
この紫ヒスイは海で出会える事があるタイプの、とても稀少な紫ヒスイです。
乳白色の地に紫と薄緑が滲む景色は幻想的で、幼少の頃の夢の景色を見ているようです。
その紫ヒスイで慎重にルースを加工して、スェードとメタルビーズ・ウッドビーズを合わせて、首飾りに仕上げました。




絹にインクを滲ませたような模様が美しく、やや青みがかった紫には気品が感じられます。
よくある特徴のチタン石は目立たず、萌黄〜薄緑に溶け合っています。
何度も枠に合わせながら、可能な限り誤差の無いようにルースを制作しました。
SV枠はロジウムメッキされていて、変色の心配はありません。



透明度も高く、弱い光源でも神秘的に透けます。
色が濃く、くすんでいない紫ヒスイはとても少ないですが、この紫ヒスイはその稀少なタイプの紫ヒスイです。(私が知る限りの、最高クラスの紫ヒスイです)




こちらも同じ紫ヒスイで、SVペンダント制作しました。
ルースサイズが大きい分、色や模様を多くいれる事ができました。(大きく入っていた部分を選んで、ルースに加工しました)
ルースの下部の方が濃くなっていて、上部から紫が流れて溜まるような感じに配置しました。
こちらもスェードとメタルビーズ・ウッドビーズを合わせて、首飾りに仕上げてあります。




微睡むように湧き出す紫が魅力的で、幻想的な水彩画を見ているようです。
僅かに混ざり合う薄緑が、より神秘的に景色を引き立てているように感じます。
華やかな枠を選んだので、男女共用の首飾りになったかと思っています。(紫なので、どうしても女性の方が似合いますが(笑))
こちらもSV枠はロジウムメッキされていて、変色の心配はありません。(925の刻印もされています)



光を受けて輝き、一色タイプとは異なった模様を楽しめます。
地が乳白色なので、ボヤ〜っと膨張するような輝きが魅力の紫ヒスイとなります。
春を感じ、花々を感じ、幼き日の思い出すらも感じる、そんな景色です。

どちらの首飾りも、うなじ部分にあるメタルビーズを移動させる事で、紐の長さを調節できます。



今回は知人の好意により、貴重な経験ができました。
現在では、このレベルの紫ヒスイを加工したくても、その原石と出会えないでしょう。
万が一、海で出会えたとしても、勿体なくて加工する事が出来ないかと思います。(私の場合は)
乳白色タイプの紫ヒスイの多くは、発色している紫がとても淡いです。
それはそれで美しいのですが、加工する(磨く)と余計に薄くなるので、原石のままで楽しむ方が良かったりします。(それにこのタイプは非常に少ないし)

しかしこの紫ヒスイはルースに加工できるだけで奇跡なのに、その模様も素晴らしいです。
インクが滲むような…、紫色の雲が流れるような…、まさに幻想的という言葉がピッタリです。(いわさきちひろ先生の絵のようです)

こういったヒスイで「もっと多くの作品が作れたら…」とも思いますが、それは私のエゴであり、一つ一つを大切に造形していく事が、この仕事に求められているのだと戒めています。

譲って頂いたプレートを大切に加工し、代表作となるような作品に仕上げたいと思います。
2015年02月09日
今回は、天照大御神「咲輝」の三作目を紹介します。


白地に淡く染みる紫色が、春の訪れを感じさせます。
所々に入るチタン石や緑色などの景色は、春雪や桜の葉を連想させます。
紫色は光源により濃く見えたり明るく見えたりして、蕾と開花の表情を楽しめます。





強い光により白地が際立ち、斑のような模様が春風を感じさせます。
特に頭とお尻の部分に濃い紫色が入るように加工し、春の日を浴びて「ゆっくりと開花する景色」を天照に映しました。
綺麗な紫ヒスイが少ない中、テーマに合う作品が誕生して良かったです。



このタイプの紫ヒスイは透明度は低いですが、それでも魅力的に輝きます。
厳しい冬を越えた生命が、幻想的な紫の光を放ってその本領を発揮する…、そんな待ちに待った「再生の季節」を身に宿しています。


今の時期、この景色を見る度に、もうすぐそこの春が待ちきれなくなります(笑)
糸魚川の冬は私の生まれ故郷よりも雪が少なく、凍る事もありません。
でも、晴れ間が少ないのが精神的には苦痛で、冬は暗い気持ちになりがちです。(どこの冬も暗い気持ちになりますが…)

できる事なら冬のない国へ行くか、冬眠したいのですが現実問題として無理だし、それでは冬の魅力にも気づけないでしょう。
この暗い季節だからこそ光はより輝き、ヒスイはより自身の魂を支えてくれるのだと感じています。

この季節の加工は辛いですが、創作の楽しさは強く感じられ、純粋に作る事に没頭できます。
そのせいなのか、自分主動の作品を作る事が多くなり、販売する事を考えなくなります(笑)

ここらで販売も考えて制作しなくては、本格的な春に間に合いそうにないなぁ…。
と、言う事で垂飾のコラボや、シルバーアクセのコラボにも力を入れて行きますので、楽しみにしていて下さい。

ちなみに、自分主動の作品である神玉も販売していますので、気になる方はお問い合わせ下さい。
物産センターにも値段を表記して出品していますので、見に来て下さいね。(暖かくなったら)
2015年02月07日
久しぶりに晴れたので、海へ転石を拾いに行きました。
最近は海へ行く事も少なくなり、ヒスイの標石と出会う機会がありませんでした…。
今年は、この日が拾い始めとなります。(初心に戻り楽しもうと思いました)

早速、一番近い押上のヒスイ海岸へ行きました。
天気は良かったのですが海は大荒れ…、大きな波が打ち寄せていました…。
無理は禁物!、と慎重に浜へ近づき、波の引き際を見ていると太陽光で「ボヤ〜」っと輝く存在が目に映りました。
その時点でヒスイだと分かりましたので、波が引いたのと同時に走り、押してくるのと同時に戻りました(笑)
まだまだ「錆び付いていない」っと自画自賛をして、安全な場所へ上がり手にした転石を確認しました。(海には、県外から二人ほど拾いに来ていましたが、あんな拾い方は出来ないと驚いていました(笑))

海が荒れていると危険なので、全くお勧め出来ない方法です。
きっと久しぶりで気合いが入っていたから、動けたのだと思います。(慣れた時(油断した時)が一番危ないです)

こちらが、この日に出会ったヒスイです。
珍しさとしては普通レベル(レア度2.5)ですが、拾い始めとしては満足のいく結果でした!
標石とするには少し魅力が足りないので、ここだけの紹介にします。





白地に、うっすらと淡い翠が入っています。
細かい翡翠輝石がキラキラと輝いていて、まるで雪のような質感です。
石目にそって茶色く変色した部分は、このタイプのヒスイに良く見られる特徴です。(青ヒスイにも見られる特徴と似ている)
以前に紹介した黄色ヒスイと思われるヒスイとは違い、色自体が赤褐色で、練られている部分に染み込んでいる感じもしません。

茶色が張り付いているような感じで、石目で変色している部分は、かなり劣化しているようです。(その部分だけヒスイ輝石(細胞)が死んでいる感じです)
その石目から割れた事により、表面にも茶色が残っているのだと思います。

それなりに光も通して、8mm位なら透けます。
透けた部分も黄色くならないので、溶け合っていない事が分かります。(ちょっと茶色が映りますが)

もし完全に溶け合っていたのなら、黄色ヒスイと言えるのだろうか…?
ミャンマー産ヒスイでは、土の色が染み込んで表面〜数センチが赤色や黄色に変色するのだと言います。
染み込みながら酸化して色が付くと考えると、黄色が深く染み込んでさえいれば問題は無いのか?
まぁ、黄色ヒスイにもピン〜キリがあるので、その基準は分析するしか無いのでしょう。
それに見た目も黄色ではなく茶色のなので、溶け合っていても茶色ヒスイとしか思えないでしょうね(笑)


とにかく、久々のヒスイ拾いを楽しめました。
押上のヒスイ海岸は、糸魚川駅から一番近い場所にあります。
現在、工事をしていて、車を止めるスペースを広くしているようです。(普段は、大型車の運転手さんが休んでいたりして、車を置くスペースが狭い感じがありました)

ちなみに昔は、糸魚川駅の真正面が海水浴場だったのですが、現在は道路になっています。
あれでは商店街の道を歩いて海へ向かう意味が無い…、虹の橋では魅力に欠けるかと思います。
なので、糸魚川駅の正面(海側)に、奴奈川姫の祭壇を作ればどうだろうか!
道路はトンネルにでもして、その上に祭壇を作り、同時に虹の橋と同じく海を見渡せる場所にするとか。
これなら間違いなく、商店街を通って祭壇へ向かう事でしょう!(祭壇は古代の出雲大社をモデルにして作る)

海側に奴奈川姫の祭壇、山側に天津神社(天津神社本殿・奴奈川神社本殿)、そんな感じにすれば魅力的な気がする。(天津神社へ行く道も真っ直ぐに繋げた方が良いかと…)
その際は、旧市役所跡にある奴奈川姫親子の像を、祭壇に祀る事をお忘れなく。(あと海風対策もね)
あ、これって以前にも書いたような気が…(笑)

勝手な事を言ってますが、いずれそうなったら面白いな〜。(相変わらず無責任だな(笑))
2015年02月02日
前編で紹介したヒスイ(オンファス輝石)での勾玉の紹介です。
遅くなりましたが、なんとか仕上がりました。(待ってなかった?(笑))




前編では、この勾玉をヤマトタケルと命名していたのですが、磨きの行程で、その姿形(デザイン)や紋様が際立ってきたことにより、改名する事にしました(笑)
その名を伊邪那岐「大蛇」(おろち)と改名し、伊邪那岐シリーズに加えて制作していきます。
伊邪那岐「神蛇」(かんなぎ)と同じデザインを用いた事や、濃緑で蛇紋石のような景色が見られる事から命名しました。
八つを組み合わせて「八岐大蛇」の首飾りを、作っても面白いかと思っています(笑)
大蛇は、このヒスイ(オンファス輝石)専用のテーマとして制作して行きます。





ヒスイでありながら蛇紋石を想わせる紋様が美しく、艶に限っては通常のヒスイより、一段と際立ちます。(ガラスコーティングしたような艶になります、今後これをオンファス光沢とでも呼ぼうかな(笑))
青銅色の肌も美しく、古来から畏怖をもって崇められる大蛇のようです。
透明度は皆無と言えるほどに低いですが、自然光を受ける事で濃緑が膨張するように見えます。
これは私だけかもしれませんが、ヒスイ拾いをしている際の最終的な見極めになる特徴です。(視野の片隅でボヤっと発光している感じです)


このヒスイを加工した理由としては、個人的に蛇紋石の紋様が好きだった事にあります。
しかし蛇紋石の「硬度」と「重量」が、どうしても私の何かに引っかかっていて、それがどうしても気になる不満要素でもありました。(更に酸化によって変色するのも気になっていました…、しかしこの特徴は蛇紋石の魅力なのかもしれませんので、私個人が気になっているだけです)
私にとって「硬度」と「重量」は非常に重要で、あり過ぎても言いわけではありません。
いろいろと試した結果、ヒスイが理想的なバランスであり、そのバランスに魂すら感じます。(個人的な認識です)
何故かピッタリと納まるような感覚…、お守りとしての存在をより感じさせる「何か」が宿っている気がしています。(普通に相性が良いだけなのでしょうね(笑))

そんな時に、このヒスイ(オンファス輝石)に出会いました。
出会って長らくは、ただ眺めて楽しんでいたのですが、どうしても加工したくなり勾玉の制作を試してみました。
すぐに加工する気にならなかった理由である「粘りの有無」に、案の定、悩まされましたが、このオンファス輝石にもピン〜キリがあり、その見極めも基本的にヒスイと同じ事が解りました。(ヒスイだから当然か(笑))

そして粘りが低い分、艶出しは容易である特徴も解りました。
特に磨きに注意する事は無く、普通に磨くだけでプロ級の艶が出ます(笑)
キメが非常に細かいので、削りの行程もすんなりと進みます。(それでもヒスイなので硬いですが…)
造形し易く磨き易い、何て素晴らしいヒスイなのだろうか!
しかも酸化による変色も無く、逆に皮脂などでより濃緑になっていく事でしょう。

気を付ける事は「何処を切り出して加工するか」の判断でしょう。
これは透明度の低い山系のヒスイと同じ特徴なので、致命的なヒビや石目を避ければ問題ないでしょう。

何度も言ますが、このヒスイ(オンファス輝石)の最大の魅力は「青銅色の肌と蛇紋石のような紋様」です。(宝飾としての価値は、まず無いかと…)
なので、一般的なヒスイを好む人達には全く需要がないでしょう(笑)

それでもこの魅力を共有できる人は確実にいますので、テーマを持たせて作り続けて行きたいと考えています。

ちなみに、勾玉の「ヤマトタケル」は、改めて専用のデザインで表現したいと思っています(笑)
2015年01月29日
今月も、姫川をモニターしてきました。
昨日から急激に気温が下がり、先日までの陽気が嘘のようです。
これから更に気温が下がるので、耐える日々が続きそうです。(気力的にも、体力的にも…)

今回は、根知周辺の報告です。
こちらは町中とは違い、真っ白な雪に包まれています。
こんな状態でも、河川の工事は行われていました。(殆ど雪かき作業のようになっていましたが(笑))
工事の人達しかおらず、この時期に、この場所での河川利用は無いようです。




相変わらず山々は雪化粧をして、春の訪れを待っているようです。
この日は海側が少し曇っていましたが、こちらへ向かうにつれて青空が見えてきました。(久しぶりに晴れました)
きっと小谷や白馬も晴天なのでしょうが、その分、厳しい寒さとなっている事でしょう…。





この場所は工事用に通れるようになっていますが、普段は鎖で塞がれています。
もしこの場所を利用したい場合は、どこかに許可がいるのだろうか?(元ゲートボール場なので、地元住民の許可が必用なのかな?)


ここは道を下りて行くと広い場所に出て、そこから川へ下りる事ができます。
河川利用者が車を置く場所としては、十分な面積があります。
ここでの河川利用は、あまり望まれていないのでしょうか?(多分、利用する人の9割は石拾い(翡翠拾い)が目的だと思われますが…)

車の置き場は重要ですが、良い面も悪い面も大きく影響しますので難しいですね。
きっと、利用可能にしたらゴミの不法投棄も多くなるでしょうから、簡単には活用できないのだと感じました。


やっと1月が終わり、試練の2月がやってきます(笑)
ここでの頑張りが春に実を結ぶのだと信じて、頑張ってみようと思います。
2015年01月27日
今回は、カケラのストラップを紹介します。





まずは翠雪のストラップです。
このカケラたちの特徴は、白地がうっすらと翠に染まり、キメが細かいので艶が出しやすいです。
濡れた綿雪のような質感で、練られた良質のヒスイです。
殆ど白い部分のカケラもありますが、私が翠雪ヒスイと呼んでいるヒスイから制作したので、翠雪のストラップとして紹介しています。





透明度も抜群で、アメのような肌に仕上がります。
白っぽい部分から翠へと、グラデーションのような景色があったりもします。




次は芽吹のストラップです。
このカケラたちは、翠雪シリーズと良く似ていて、原石を見るか加工しない限り区別が難しいかと思います。
特徴として、翠雪シリーズより白が強く明るい翠がピンポイントで入ります。
霜降りのような模様も大きく入り、キメが少しだけ粗かったりもします。(って言うか翠雪のキメが、群を抜いて細かいだけなのですが…)



透明度は高い方で、白がハッキリと映し出されます。
雪と氷が混じったような景色で、春の訪れを強く感じさせてくれます。





次は開花のストラップです。
こちらは、紫ヒスイのカケラを加工した作品です。
斑に入る紫色が美しく、これから咲き誇る花々の蕾をイメージして制作しています。
灰色の地に入る事も多く、暗い紫色に見えたりもしますが、春の日差しがそれらを美しく輝かせてくれます。




紫ヒスイは透明度が低いものが多いですが、その分、発色は華やかです。
オオバギボシの蕾のような、淡い紫色もあって気品も感じさせます。


こんな感じで、加工で残るカケラたちをストラップにしています。
小さいので持ち難く、爪を一緒に削る事も多いですが、無駄にしないように心がけて活用しています。
これらのカケラたちは、勾玉や神玉などのカケラでもあり、それらの作品とも繋がっています。
よって普段使いはストラップにして、高額な作品は自身の聖域に飾っていても加護が得られる訳です。
更に言えば、それぞれの所有者さんと、僅かですが繋がっているとも言えます。
それぞれに共有し合い高め合う感性、この規模の共有が良いのだと考えています。(私は)



ちなみに、こういったストラップも作っています。
大きめのカケラを、スエード紐で組んでいます。(長さの調節はできませんが、短めにしてあるので問題ないかと…)

去年から作ってあるのですが、ネットには出していませんでした…。
糸魚川で購入して頂こうと思っているのですが、こんな冬の時期に糸魚川へ来る人はいませんね(笑)
年末早々、大雪で電車や高速が止まったりして、行こうと思っても不可能な状態でしたから…。

本格的な春になって新幹線が通る時期まで、気長に待ちたいと思います。
2015年01月23日
提出した河川モニターの返答を貰いましたので、お知らせします。

河口付近の返答です。





「姫川河口周辺は、比較的人々が河川でレジャーや憩いの場として利用している区域です。今年は、鮭の遡上を確認することができました。天然の稚魚もみられました。
 ご報告にありました、橋梁にロープと縄梯子が取り付けられている事について、「姫川橋」は糸魚川地域振興局(新潟県)管理の橋梁ですが、何の目的で誰が設置したものか不明です。現在は、すでに撤去されています。(12月9日確認)
 須沢の右岸の新幹線姫川橋梁の下流付近に設置されている大きな看板は、平成7年7月11日の大水害が発生した翌年の平成8年度の河川改修工事に於いて、当時の施工業者が河川事業のイメージアップとこの地域のピーアールを目的に設置したものです。ご指摘のとおり描かれている内容の意味が伝わり難いですね。新幹線から良く見える位置であれば、看板の内容を一新して糸魚川市のピーアールに利用してはいかがですかと、糸魚川市へ相談しているところです。
 寺島地区の河川敷は、散歩やサイクリング・ラジコンなどレクリェーションの場所として多くの方に利用されています。この地区は、平成24年度に「姫川かわまちづくり」懇談会に於いて整備計画が策定されて、堤内地に隣接する奴奈川公園や堤防の「姫川桜つつみ」などと一体的に整備し、市民の安らぎと学習の場として水辺整備を進めています。芝生は、その計画に合わせて整備しているところです。渇水期に入って、寺島地区では河川改修工事が最盛期を迎えつつあります。地域の安心安全を守るため、継続的に河川整備を進めています。河川整備にご理解を頂ければ幸いです。」


との事でした。

確認したところ、11月分の返答を送り忘れていたそうです。
きっと年末は忙しかったのでしょう。(憶測ですが)

姫川に鮭が遡上して、稚魚も見られるなんて、姫川が豊かな証拠ですね。
このまま綺麗な姫川の環境を、守って貰いたいです。

あのロープと縄梯子…、誰か中州に取り残されたのだろうか?(前の報告にもあったし)
それとも盗人の遺留品か(笑)
良く解らないなぁ〜、でも解ったところで糸魚川が対応するのかも不明だ…。

その橋の近くにある看板ですが、あの「野暮ったさ」は個人的には好きだったりします(笑)
問題は、まちの中身が伴っていない事であり、イメージアップの為に幼稚な表現(アニメキャラみたいな)にするのも、やめてほしいと個人的には思っています。
なんであれ、河川事業のイメージアップにするのか、糸魚川市のイメージアップにするのか、で表現は変わってくるでしょう。
できれば今の雰囲気を残した「古代から繋がる伝統文化のイメージ」を、表現してほしいです。
多分、古代の奴奈川には河川工事は無かったかと思うので、無理に繋げなくても良い気がします。
もしその形跡があるのならば、前面に出して「古代から繋がる事業だ」と宣伝しても良いかと思います。

寺島地区の河川改修工事が、最終的にどのようなカタチと成るのか楽しみです。(税金の無駄遣いになるのか…、それとも訪れる人達を楽しませるのか…)
間違いなく言える事は「住民自体の意志が結果を左右する」って事です。
住民が意識を持って楽しく活用できたのなら、訪れる人達にもその楽しい雰囲気が伝わる事でしょう。
そこでの楽しみ方を提案・共有できたのなら、始めて来る人達もいっしょになって糸魚川を楽しんでくれると思います。
自分が知らない地を訪れた際に、してほしい事を相手にしてあげる必用があるのでしょうね。(最低限の求める事を)

もし私が対応する場合なら、一緒に石拾いを楽しむ事でしょうね(笑)
2015年01月22日
提出した河川モニターの返答を貰いましたので、お知らせします。

大野付近の返答です。





「12月に入り例年に無く雪の多い気候でした。日差しの当たる日も少ない中で、大晦日は新雪の積もる晴れの良い日でした。写真から清々しさが伝わって来ます。根小屋地先の堤防天端では、12月12日には積雪が30cm以上有りました。
 翡翠橋は、糸魚川市が管理する橋梁ですが、何時になく12月の大雪で歩道除雪までは厳しいものがあるかと思います。
 春から秋にかけて姫川の川原に石拾いの人が多く居ましたが、雪が降っては、見られなくなりました。
 キツネや狸の足跡が雪に残っていたりします。12月15日以降、鮭が居なく成りました。川の水温が冷たくなったのでしょうか?
 堤防をクロスカントリーする人が居たとは、驚きです。貴重な情報を頂きありがとうございます。天候が良いと雪の上も歩きたくなるのでしょう。冬の安全管理について考える必用が有ると思いました。
 冬期間は天候も変わりやすいので、今後の活躍には、安全第一・怪我や事故などに遭わないようにして頂きたいと願っています。」


との事でした。

まず思ったのは、11月分の返答が飛んでいる事です(笑)
何処にいったんだ?11月分…。

それは後で確認するとして、現在のまちなかは殆ど雪はなく非常に助かっています。
気温が低いのは仕方ないですが、風は春の匂いになっているのを感じます。

でも、根知や小滝は未だ雪に覆われている事でしょう。
住んでいる人達は大変だと思いますが、その恩恵で豊かな自然が守られているのだと感じます。
キツネや狸の足跡が見られるのも、この時期ならではの楽しみ方だと思います。

道を兼ねた堤防ですが、活用する人をたまに見かけます。
確かに落ちたら大怪我ですが、自己責任でもある気がします。
今のところ、子どもやお婆さん(女性)が活用しているのは見た事ありません。
主に自転車で走っているオッサンや、何故か車で強引に入ってくるオッサンなどを見ます。
どちらも男なので、その程度の安全管理はできるかと思います。(多分)

ちなみに少し前ですが、不審なオッサンがこの道をスクーターで見回りしていました。
毎日、朝〜夕方頃、姫川に入る県外者に石拾いの注意をしていました。
これは別に「姫川の環境保護や利用者の安全保護の為」では無く、「自分の乞食商売の縄張りを荒らされたくないから」ってだけの考えで行っていたようです。
要は「盗人が盗人を見張っている」って事なのでしょうが、当然ながら姫川に遊びに来る人が全て盗人という訳ではありません。(中には居るのでしょうけど)
ルールを守っていれば、石拾いだって楽しんで良いのですから。

ここらでは「ある意味有名なオッサン」らしく、糸魚川翡翠を牛耳りたいのだそうです(笑)
何というか…、毒を持って毒を制すって事にも成るのだろうか…。
動物レベルの縄張り争いですね(笑)

もし、そんなオッサンに何か言われても、無視して普通に楽しんで下さい。(ルールを守って)
特別な権限がある訳でもなく、発言力がある訳でもなく、将来性がある訳でもないですから。(話では糸魚川市民ですら無いし)
2015年01月21日
今回は、建速素戔鳴尊「雲蒸竜変」の、三作目が仕上がったので紹介します。


幾つもの石目が、海風で流れる雲のような表情を出しています。
白と半透明の部分が混ざり合い、その地に色づく翠が彩雲を想わせるヒスイです。
粘りのあるヒスイなので石目やヒビで割れる事はなく、スムーズに加工ができました。(素戔鳴は細かい加工があるので、より慎重に配置を考えて加工しています)




モワモワっとした紋様が、湧きたつ泉のような、空へ上がる蒸気のような景色を魅せてくれます。
テーマに合うよう翠の配置を定め、「天へ登り、地へ降り立つ」そんな存在を表現してみました。
殆どが自然の力によるものですが、雲蒸竜変のテーマにピッタリな作品になったかと思っています。
溶け合うように流れる翠は、まさに龍脈を表しているかのようです。




透明度も非常に高く、弱い光でも魅力的に輝きます。
透かす事により彩雲模様が強調されて、幻想的な景色を楽しめます。
更に、石目がくっきりと姿を現す事で、より自然が創った紋様を楽しむ事ができます。
これが「秘めたる美」を楽しむ、もう一つの方法だと思っています。

ちなみに、一般的には粗を探す為の方法のようですが、それは「安く仕入れたいから」であり、美的センスの無い者の言い分だと私は考えています。
現実として、これだけの加工をしても割れませんでいたし(笑)
まぁ、それも人それぞれではあるのですが…。



このレベルのヒスイには、なかなかお目にかかれないので、この一枚しか無いプレートから三貴子を制作したいと考えていました。(大サイズの三貴子を)
今回、年末年始の期間で、それが実現できた事をとても嬉しく思っています。

ちょっと不思議な体験だったのは、この素戔鳴と須世理毘売を平行して加工(造形)していた時期に爆弾低気圧が猛威を振るってた事です。(しかも二つの爆弾低気圧が…)
ただの偶然なのですが「面白い偶然もあるんだな〜」と、思いながら加工しました。
二つが一つになった頃には、両方とも磨きの行程に入っていて「やっぱり親子なんだなぁ〜」と、勝手に納得していました(笑)
嵐の神とその娘の制作…、何か面白かったです。(しっかし寒かった〜、何度か挫けそうになりました…)

糸魚川のヒスイを加工していると、そういった自然との繋がりを感じる事が多いです。
ただの偶然であり、ただの必然でもある、そんな感覚(幻想)を楽しめるのも、この仕事の魅力なんだと思っています。
2015年01月17日
この例は全く下らない例えですが、解りやすいので説明します。(以前に書いた、綺麗な水と濁った水の例えと良く似ている)
もし違いを認識できれば、様々な基準に成るかと思います。

まずこの例えは、商売のスタイルを例えたものです。
簡単に説明すると、マシンガン方式は「近くの標的を方向だけ合わせて撃ちまくる方法」であり、ライフル方式は「遠くの標的を狙い撃つ方法」だと言えます。(これは武器(銃器)としての用途とも同じです)
一応書きますが、この場合の撃つは「心を打つ事」を例えていますので、そのつもりで読んで下さい。(じゃないと、まともな人は不愉快になります)

詳細は、こんな感じです。

●マシンガン方式の場合
・射撃(制作能力や伝達能力)の腕は必要なく、方向を合わせて撃ちまくれます。
・近くの標的を撃ちまくるので、主に人口の多い都市が拠点となります。
・相応の玉数が必用となり、各地方や他国から玉の補給を受けます。
・自身で作る事は無く、低賃金労働者換金システムを採用しています。
・近すぎる為に貫通し、狙ってもいないので無用に対象の感性を劣化させます。
・標的が近い(購買力が低い者)為、薄利多売となり激しく消費していきます。
・回転が速いので整備や管理が追い付かず、不良品も多数存在します。
・標的は、一般の人だけでなく、同業者にまとめて処分(補給)する事もあります。
・多くバラ撒く為、それなりに未来へ残りやすいですが、評価は低いです。


●ライフル方式の場合
・射撃(制作能力や伝達能力)の腕が必要で、遠くを見据える眼も必用になります。
・狙い撃つので人口の少ない地方でも良く、地の利を活かす事も可能です。
・必用最低限の玉数で良く、自身で制作する為、調整しながら活動できます。
・独自の表現を開拓し、自身の世界観の展開が可能です。
・心のみを狙い、心に留まるように撃つので、制作にも販売にも時間を必用とします。
・遠くの標的の為、適正価格の維持が可能で、材料の消費も抑えられます。
・緩やかなペースを保てるので、こだわった作品が誕生します。
・標的が限られるので生活が安定しない事が多く、別の稼ぎ方を必用とする場合があります。
・少数(小規模)の為、未来には残りづらいですが、残れば高い評価を受けます。


私が考える特徴は、こんな感じです。
見ても解るように、ライフル方式の方が良く(優遇しているように)見えるかと思います。
それは、私が選んだ方式であるからでしょう(笑)
マシンガン方式にも、それなりの魅力があるのかもしれませんが、今のところ全く感じた事がありません。(選んでいないのだから当然か…)
どうしたって「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる」より、「一発必中」の方が感じが良いし。(ハートに矢を撃つ恋のキューピットと、似た表現だと思えば嫌みが無いかと(笑))

しかも、マシンガン方式は「隠れながら撃ちまくる領域」が多すぎます。(大抵のアンテナショップは、ただの傭兵の集まりかと…)
逆にライフル方式は、現実のスタイルと違い自分が前に出て、一対一で対応します。(標的に自分を見せる、よって標的として狙っていない訳です)

結局はマシンガン方式では、標的は「敵や獲物」として捉えていて、一網打尽にする事を目的としている気がします。
ライフル方式の場合は、大勢の需要があったとしても焦って対応せず、待って頂きながら対応します。(それに怒るような客層ではありませんし)

解りやすいようにライフルとマシンガンに例えましたが、そもそもに、この例えでは全てを説明できません。(商売(戦争)のスタイルとしては説明できますが)
戦争好き、闘争好き、競争好き、そんな者達に解るように例えたのですから…。

よって、自分の目指す対象の仕事には、どちらが相応しいスタイルなのかを見極めて進む必用があります。

なぜならば、全ての人がライフル方式を選んだ場合、その全ての人が「作って売る側」に成る必用があります。(それは今の世の中では不可能でしょう)
要は適正とバランスで、過剰な憧れや劣等感を原動力に、無理矢理その領域に入るのは無粋と言う訳です。
作れなくても、作れる人と協力している人達も現実として存在してます。(マシンガン方式では無く)
そこには、お互いの尊敬があり、信頼があって成り立っているのでしょう。

私から言わせれば、作っていない者が作っている者と同じ名誉を求めるから、成り立たなくなるのだと思います。
「名」と「実」を考えた場合、その両方のバランスをとれるのは「作る側の人」です。
これは、普通の作れない者を否定にしているのでは無く、「過剰に名と実を追う作れない者と作れる者」を否定しているのです。
そして、この思いは「普通に作れない者と、普通に作れる者」の総意なのではないでしょうか?

この例えでも理解できない場合、もう諦めて下さい。(これ以上、解りやすい例えは無いかと…)
一生、何かに追われながら、新しい未来を恐れて生きていけば良いでしょう(笑)

私の考えを共有できる人は、一緒に未来へ「糸魚川ヒスイの文化」を繋いで行きましょう!
2015年01月13日
王道を行く、この言葉の意味を考えると、一般的には「王の進む道」や「王に成る者が進む道」だと思う人が多いでしょう。(もっと軽い意味の「定石」と思う人もいますが)

しかし、私が考える意味は「王が進んだ道」です。
何が違うかと言うと、まず「過去である」って事が重要になります。
要は「初代の王が進んだ道」であり、「既に切り開かれた道」だと言う事です。(王道を進んでも、必ず王に成る訳ではありません)

なので王道を行く場合、最初に歩んだ者よりも、険しい道ではありません。
その者の教えを学べば、どう進むべきかの道標となるので、無駄な失敗は少なくなります。(完全に失敗が無くなる事はありませんが)
よって「王道を辿る」と言う表現の方が、正しい言い方なのかもしれませんね。

しかし道は示されていても、それなりに険しいのは事実で、誰もが辿れる道ではありません。
示されている道なので、外れるのは自身の意志であり「知らなかった」等の言い訳も通用しません。

特に私は経営と創作の両方を行っているので感じますが、このバランスは非常に難しいです。
俗に言う「手を汚す事」を考えた場合、創作は現実として手が汚れますが(加工するので)、経営では現実の手(肉体)では無く、精神や魂自体が汚れます。

現実の汚れは洗えば落ちますが、精神や魂の汚れは容易には落とせません。
しかも目に見え難いので、洗い流せないレベルの汚れに魔魅れる者が続出しています。(雇用は基本的に分業なので、そういった事が見え難くなっていますが、営業部門はその影響を強く受けます)

こういった者達は、同じくドブに塗れた者達と徒党を組み、傷を舐め合います。
その悪臭で既に嗅覚は壊れ、バランス感覚は皆無となり、手を汚す事に何の躊躇も無くなります。(正確には分別が付かなくなる)

こうなると、ただの動物であり、そこに人としての知性と尊厳は存在していません。
この事により、王道を辿る事は不可能となり、卑怯なだけの人生を送る事となります。

これは既に示されている失敗例であり、避けようと思えば誰もが回避可能な事です。
それでも外れて行く者は出る…、これは頭で解っていても、制限できない欲望によるものなのでしょう。(そもそもに、王の概念が異なっている可能性もあるし)

せっかくデカくて消費が激しい恐竜に成り代わり、捕食され続けた人類の祖が知恵まで与えられて生き延びたのに、その成れの果てが集団となってデカく成り、同じように消費しまくっています。

これが恐竜と同じなのだとしたら、どうしたって全滅するのは必然だと思われますが…。
どうして学ばないのだろうか…、まさに「死なば諸共」が総意となっている証拠なのに。

先人達(初代)が進んだ道を今一度、見つめ直して「どう進むべきか」を認識すべきだと思います。
格好をつけて、自分主動を気取った王道ではなく、既に示されている成功例を元に自身の経験を積んで、肉体を使って進む事をお勧めします。(過剰な安定や共有は、人を腐らせる事を忘れないで下さい)

確実に言えるのは、今の時代、稼ぎ方がセコイと言う事は、その者の人生もセコイと言う事です。
要は、劣等感を原動力にした商売には、自己主張だけで将来性が無いって事ですね…。


ちなみに最近多発している食品の異物混入ですが、そもそもにジャンクフードなので当然の結果のように思えるのですが…。(ジャンク屋を思い浮かべれば、普通の事に思えます)
まぁ、「素顔を曝した」ってだけなのでしょうね…、ジャンクフードを食べる際には、相応の覚悟が必用と言う事なのでしょう(笑)

その物の本質を見る事が出来れば、過剰に期待する事も、過剰に落胆する事もないでしょう。
今よりは退屈な社会になるでしょうが、別の喜びを見出せば良いのではないでしょうか?(そうやって進化してきたのだし)
2015年01月07日
今回は、ストラップの長さを調節する方法を書きたいと思います。

丁度、お客さんから要望があったので、ここで説明します。
まず、調節可能な部分は黒い紐の部品となります。
この部品は基本的に長めに作られていて、付ける物や付け方によっては長すぎる場合があります。
きっと長い分には短くできますが、短い場合は取り替える必用が出てくるからでしょう。



今回の依頼の作品も普通に装着すると、こんな感じになります。
若干ではありますが、長いかと思います。
そこで黒い紐の部品を調節してみます。(例が古いスマホですみません(笑))



ストラップ本体から黒い紐の部品(本来この部品をストラップと言うのかな?)を外し、黒紐を下に押し込んでみます。
この時、二重カンが付いていると紐が出てきませんので注意です。(出にくい場合は、ピンセットで引き出すと良いです)
下に押し込むと結び目が出てきますので、その結び目より上で結べば短くなる訳です。




上で結んだ後に、下の紐を少し残して切り落とし、その先端をライターで炙ればより安心です。(とても簡単です)

留意点として下に押し込み過ぎると、金具から黒紐が抜けてしまいます。
結んでいる最中にも抜けたりするので、カニカン等を上部の紐の輪に付けておくと良いでしょう。
でも調節前なら結び目を切り、上から紐の先端を通せば問題無いし、調節後でも細いワイヤーで下から引き上げれば元に戻るので、心配はありません。

それと短くし過ぎると、本体部分が通らなくなるので、その場合は先に黒い紐部分のみを通し、その後に二重カンで本体部分に繋げると良いです。
その方が革紐やウッドビーズが傷つきませんので、お勧めします。




さっきよりもバランスが良くなりました!
これなら置いた姿や持っている姿もサマになるでしょう。(多分(笑))

これが出来れば、付ける物に合わせて飾る事が可能なので、用途が広がるかと思います。
様々な表現がありますので、色々と試してみると面白いかと思います。



ちなみに、もっと短くしたい場合は黒紐の部品を外して、本体を直接付ける事も出来ます。
ちょっと短すぎるようにも思えますが、間を足して飾ってみても良いかと思います。

自分に合った姿にして、作品が人々と共に在り続けてくれたら嬉しく思います。
2015年01月01日
明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします。

昨年は、様々な出会いがあった年でした。
おかげさまで、なんとか無事に年を越すことが出来ました!
今後とも創作活動に尽力していきますので、協力をお願いします!

今回は、須世理毘売が神玉として完成しました!


11月頃から少しずつ、他の作品と併用して加工を進めて行きました。
どんどんと加工が複雑になって行くので、制作は暖かい季節を選んだ方が良い気がしています(笑)
使用したヒスイは、全体に紫色が入った紫ヒスイを加工しました。
姫のイメージを考えて紫ヒスイを選び、細かい加工に耐えられる質のヒスイで制作しています。
加工の際「堅牢で磨きやすい」、そう言った特徴と「華やかさ」を考えての選択です。



デザインのモチーフは「龍の姫」です。
そこに「珊瑚と真珠の冠」を合わせたデザインを加えて表現しました。
このデザインには女性の「強さ」と「美しさ」を持たせる事が重要なので、国津の戦化粧である丁字は入れませんでしたが、逆立つ髪と冠で国津の姫の気性を表現してみました。
ただ、モヒカンに見えるのも趣味では無いので、あくまでも冠(髪飾り)であり「鋭利(シャープ)ではあるけど艶やかな姿」を心がけました。




須世理毘売に込めたコンセプトは、「内助の功」と「信念を持つ女性」です。
素戔鳴の娘なので、行動力と荒々しい性格も遺伝しています。
しかし、それが女性に宿ると全く別の力として発揮されていきます。
自分の意見を強引に押し付けるのでは無く、その優れた機転(知性)により、守るべき者への試練を共に乗り越えてくれる「支え」と成ってくれます。(主に叱咤激励で支える)
しかし肝に銘じておく必用がある事は「龍の娘である」と言う事で、その頼もしいまでの積極性や行動力は信頼により得られているのであり、一度裏切ろうものなら「支えるはずだった者」へ、激しい怒りとして向けられる事でしょう。
純粋である想いを裏切った末路は、壮絶な悲劇を招く事になります…。



事代主と同様に人魚(人魚姫)のイメージも込めていて、水泡や渦などのデザインを入れています。
腹部には丸みをとらず、顔には丸みをとって…、など、優しい曲線を出しつつも厳しい直線を出して、バランスを見ながら仕上げました。
紫色の配置も考えながら制作し「花の鱗(衣)を身に付けた龍姫」に、見えるよう加工しています。
気性を表現している鋭利な部分を多くして、見た人が素戔鳴の娘である事が分かるように、一部の特徴を継がせる表現もしています。(祖父である伊邪那岐の特徴も大きく継いでいます)
ヒスイ(神)の身であっても父娘、その繋がりは大切に残して行きたいと思っています。

ちなみに、天照は両親(伊邪那美と伊邪那岐)の特徴を均等に受け継ぎ、月読は父親(伊邪那岐)似で、素戔鳴は母親(伊邪那美)似としています。(正確に言えば、素戔鳴は八雷神を宿した母(伊邪那美)の特徴を大きく受け継いでいます)


女性が社会に出て活躍する事を求められている世の中であるにも関わらず、それが未だ様々な要因で進んで行かない現代社会…。
その現状を打開する為、女性としての闘い方を学び、信念を持って前に進んで行いってほしいです。(今の時代、女性が女性を支えても変じゃありませんし)
未来を創る意思を持つ、そんな方々を心から応援して行きたいと思います。



これで残すは、建御名方神と奴奈川姫の母子神です。(今の所の計画では)
今までのペースだと、来年と再来年で完成してしまいますね…。
それではあまりにも面白くない…、なので制作は、もっと先にしようかと考えています。
この二神は、私にも糸魚川にも重要な存在で、もっと色々な経験をしてからでも遅くはありません。
特に今後の糸魚川の変遷で、私の意欲も変わってきますので様子を見ようかと思います。
まぁ、デザインが浮かばなかったら勝手に計画が延びるのですが(笑)

いつも言うように、私に流れる「古代の血」や「繋がる遺伝子」が呼び起こされたら、残りの神々も具現化できるのだと思います。(作品として)
然るべき時に成される、そこには人の意志も大きく関わってくるのだと思います。
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